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片輪車

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3部分:第三章


第三章

車「わかったらさっさと諦めるんだ」
母「馬鹿言うんじゃないよ。ちよは私の娘だよ」
車「諦めが悪いね。どっちみちもう私のものなんだよ」
 そして車は動きはじめた。母親から去って行く。
車「わかったら諦めるんだ、いいね」
母「諦める筈ないだろ。ちよ」
娘「おっかあ」

 ガラガラガラガラ

 また車の音がして片輪車は母親から離れ舞台を左に消えていく。
 二人は互いを呼び合うが車は無慈悲にも去っていく。母はその場に泣き崩れてその場の幕は下りてしまう。


 幕が開く。舞台は先と同じ家の中である。
 次の日。家に亭主が帰ってきていてことの次第を聞いている。非常に苦い顔になっている。

父「そのままか」
母「そうなんだよ」
 二人は部屋の中央で向かい合って正座になっている。そのまま話をしている。
母「連れて行かれたよ、あの化け物に」
父「昨日か」
母「そうさ」
 目が赤くなている。泣いている証拠である。
父「何処へだ」
母「化け物のところへだよ」
 今にも泣きそうな顔で語る。
母「どうすればいいんだよ。ちよはもう帰っては来ないのかい」
父「いや」
 だがここで夫は言う。
父「思うところはあるぞ」
母「何だい、それは」
父「比叡山だよ」
母「比叡山」
父「ああ、あそこにな商売相手の徳の高いお坊様がおられてな。その人なら」
母「何とかしてくれるんだね」
父「ああ、きっとな」
 何とか胸を張って言う。
父「やってくれるだろさ」
母「じゃあすぐにでも」
父「ああ、それじゃあ行くか」
 妻に対して声をかける。
父「すぐにな」
母「けれどだよ」
父「どうした?」
母「若しも、若しもだけれど」
 彼女は言う。
母「ちよが戻って来なかったら。その人の力でも」
父「おい」
 憮然とした顔で妻に声をかける。
父「いいか」
母「あ、ああ」
 ぎょっとした顔で夫に顔を向ける。
父「間違ってもそんなこと言うな、いいな」
母「戻って来るんだね、それじゃあ」
父「戻って来るんじゃねえよ」
母「じゃあ何なんだい?」
 夫に問う。
父「いいか」
母「あ、ああ」
父「何があっても取り戻すんだよ」
 きっと妻を見据える。
父「いいな」
母「そうだね」
 夫のその言葉にはっとなる。
母「何があっても」
父「そうだ、それでいいな」
母「あいよ、それなら」
父「腹くくるんだよ」
 また妻に対して言う。
父「わかったな」
母「何があってもかい」
父「そうさ。要は度胸だ」
 自分にも言い聞かせるように語る。
父「御前もちよが大事だろ」
母「そうさ」
 その言葉にむべもなく頷く。
母「勿論じゃないか。だから」
父「そうだよ。だからこそだよ」
母「そうだね。あたし達はどうなってもいいから」
父「いざって時は何があっても。いいな」
母「ちよを連れ戻す」
父「そうさ。じゃあ今からちょっと行って来る」
 すっと立ち上がる。
父「お坊様をな」
母「そうだね。じゃあ頼むよ」
父「ああ」
 こうして夫は先に部屋を出る。後には妻が残ってそのまま座っている。じっと何かを見据えている。
母「ちよ、何があっても」
 そう呟く。そして場面は暗転する。


 夜になる。豪奢な法衣を身に纏った僧侶が二人の家の夜道の前に立っている。そこには夫婦も一緒である。

父「それでは」
僧「はい」
 僧侶は夫の言葉に丁寧に応える。
父「お願いしますね」
僧「わかりました」
 こくりとその言葉に頷く。穏やかな様子である。
僧「これも御仏の御心です」
父「かたじけのうございます」
僧「それでですが」
 僧侶は夫に顔を向けて問う。
僧「そのあやかしのことですが」
父「それでしたらこれが」
 夫は妻を指し示して述べる。
僧「奥方ですな」
父「ええ。それでこれが」
僧「はい」
父「詳しいです。おい」
母「はい。お坊様」
 僧侶に顔を向けて答える。
母「その化け物ですが」
僧「片輪の火に包まれた車ですな」
母「はい」
 その言葉にこくりと頷く。
 
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