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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第141話 迦楼羅の炎

 
前書き
 第141話を更新します。

 次回更新は、
 5月18日。『蒼き夢の果てに』第142話。
 タイトルは、『九鴉九殺』です。 

 
 遙かな高みから地上を睥睨する赤い……瞳。
 (くら)き闇の向こう側にゆらり、ゆらりと揺らめく濃い赤い影。その中で不穏に輝く瞳だけが妙に浮き上がって感じる事が出来る。
 圧倒的な存在。其処から強く感じる、息苦しくなるかのような猛烈な意志。世界の何もかもがその瞳の前にひれ伏し、ただただ許しを請う事しか許されていない。そのような重圧。
 永劫に近い時を封じられ、現世に対して、自らの事を忘れた人々に対して怨に満ちた光を放ちながら……。

 見鬼の才にて上空を感じる俺。ほぼ視力が回復したのかと思えるほど、自らの脳裏に結ぶ像は詳細で、その事だけでも、この場に顕われた蛇神の存在の力がうかがい知れると言う物。

 現状は想定していた内容からすると最悪の状況。出来る事ならば、コイツが顕われる前にすべて終わらせたかったのだが……。
 但し、最悪の内容だからと言って、ここでケツを捲って逃げ出す訳にも行かないし、当然のようにこの状態となる事を想定もせず……何も準備をしていなかった訳でもない。
 しっかりと自らの両足で大地を踏みしめ、物理的なまでに高められた神威に抗しながらも、考えを纏める俺。
 そう、それは至極簡単な策。大祓(おおはら)いの祝詞。これで異界との接点と成って居る次元孔を封じて仕舞えば、邪神の驚異的な回復力を封じる事が出来、後は残滓を倒せば終わる。

 罪、穢れの一切を祓う祝詞。少なくとも、この祝詞にも日本の歴史と言う強い存在の力がある。アラハバキが信仰を失ってから久しい日本の現代社会であるならば、この十二月の末日に唱えられて来た祝詞が絶大な効果を発揮する事は間違いない。
 奴……蛇神アラハバキについて俺が詳しい成り立ちを知らないと言う事は、おそらく歴史の彼方で消え去ったか、もしくは現在でも何処かで信仰が残っていたとしても、それは極少数による信仰。
 対して、大祓いの祝詞は、俺でも知っているレベルのかなり有名な祝詞。
 それぞれが今持って居る力は比べる方が間違って居るレベル。

 そうやって、かなり簡単な事のように考えた刹那――
 俺の施した霊的な砦の周囲に降り注ぐ霧。これはおそらく、先ほどまでこの高坂と言う街全体を包み込んでいた、そしてその後、召喚されたアラハバキを構成する呪力の一部として取り込まれた物。
 ――だとするとマズイ!

 砦の周囲を取り囲む悪しき気配。この霧とも、闇とも付かない、何とも表現し難い虚無から立ち昇って来ていた()()に触れた時、いみじくも覚えた巨大な何モノかの体内に入ったかのような感覚は、正に事実だったと言う事。
 最初から俺たちは蛇神アラハバキの体内に居た。薄く拡散した奴自身を構成する物質……呪力の中で戦っていた、と言う事ですから。

 現実の言葉としては大祓いの祝詞を続け、更に分割された思考で砦の強化を図る。今回の戦いに限った事ではないが、それでも、転生の記憶が復活していた事には感謝をするしかない。何故ならば、もし、ハルケギニアに召喚された直後の俺がこの事件に巻き込まれていたのなら、……と考えるとぞっとする、と言う答えしか得られないと思うから。

 まるで巨大な瀧の如く降り注ぐ霧。当然それは単純な水などではない。しかし、その恐るべき圧力が、見鬼を通じて感じられている世界の在り様を変質させ――
 そのまま、霊的な砦と接触。
 その瞬間、何もないはずの空中に複数の光る帯が発生。同時にミシリっと言う、現実にはあり得ない音を感じた。

 そう、光る帯の正体は魔法円。術式の起動後に術式を構成するソレらが現われる事はない類の術を使用したハズなのだが、それが現われていると言う事は、現在それだけ強い負荷が外側から掛けられていると言う事。
 俺の防御用の術式がショボイのか、それとも、今宵、この場所に顕われる連中の能力が常軌を逸して居るのか定かではない。但し、それを今、嘆いていても仕方がない。

 その時、俺の近くで黄金の光が増し、上空へ向け放たれる鳴弦の響き。
 しかし、その力強い黄金の輝きを持ってしても、上空に存在する赤い瞳に届く前に、音速の矢は分厚い闇の層で勢いを失い、すぐに消えて仕舞う。

 成るほど。ただ、これも想定内の事象。少しの落胆を覚えながらも、それでもそう考えて、自らの背に迫って来ていた絶望から更に距離を取る。
 ひとつひとつが弱ければ……。一人の力で届かないのなら数で対抗するしかない。何故か今回は、全方位から俺を捕らえようとする術式ばかりを相手にさせられているような気もするが、その辺りも後に検証すれば良い。
 それに、その程度の事ならば、おそらく、さつきなら素直な答えを返してくれるだろう。その答えは簡単。あんたがちょこまかと逃げ回るからよ、……と。

 先ず、外から侵入する大気すらもシャットアウト。代わりに新鮮な空気の生成を同時に行う。普通の防御系の術式の場合、光や重力、そして大気などの、最初から自然の中に存在するモノ……術者がソレを脅威だと認識していないモノに対しては侵入を妨げる事は少ない。
 しかし、今回の場合はその前提を覆す。ありとあらゆる外界から侵入して来るモノをシャットアウトする、非常に高度な術式の構築を行う。
 何故ならば、あのアラハバキがこの場所と一体化している可能性が有る以上、この砦内に外から空気さえも侵入させるのは危険。其処から、この防御用の術式を崩壊させられる危険性がある。
 次に、砦の内側にもうひとつ新たな砦の構築と、そちらの強化を同時に行う。

「皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて、天の御蔭、日の御蔭と隠り坐して、安国と平けく知ろし食さむ国中に――」

 更に進む祝詞。その時、少し上空からの圧力が和らぐ。
 その瞬間、弓月さんの視線を感じた。確かに、一時的に圧力は弱まった。……が、しかし、今の鳴弦の威力では上空から圧力を掛けて来ている首に攻撃を仕掛ける事が出来ないと言う事なのか。
 ならば――

「全方位の一切の如来に礼し奉る――」

 一時的に言葉にして唱える呪文を、大祓いの祝詞から別の呪文へと切り替える俺。イメージ。世界を覆う炎。自らが結ぶ印からあふれ出す強い炎が世界を覆う様。
 その呪文を耳にした彼女から一瞬、驚きと不安に似た気配が発せられる。成るほど、この反応から推測すると、弓月さんはこの呪文を知っている、と言う事か。

 これから使用する術の内容から、彼女が俺の決意に気付いた……可能性は大きいか。今まで、彼女が示して来た能力や知識から推測するのなら。
 しかし、少々の危険は承知の上。現状を打開するには、これから使用する術を中止する訳には行かない。
 既に覚悟は完了済み。その瞬間、まるで俺の呼吸に合わせるかのように、大きく、ゆっくりと息を吸い込む弓月さん。彼女が精神の集中を行って居る最中も、ミシリっと見えない天井が軋む嫌な音を発する。そして、その音に呼応するかのように頭上に走る複数の蒼い線。

 嫌な気配。危険な兆候。しかし、未だ多少の余裕はある……はず。
 想定しているよりは外からの圧力が大きい事を認識しながらも、冷静な頭でそう判断。但し、少しずつではあるが、周囲からの圧力に屈するかのように霊的な砦自体が縮小している事も同時に感じられた。

 この外界の状況から、俺たちにあまり時間が残されていない事も彼女なら直ぐに理解出来るはずでしょう。

「――成り出でむ。天の益人等が過ち犯しけむ、種々の罪事は、天津罪。国津罪。許々太久の罪出でむ」

 そして、吐き出す息と共に、俺から引き継ぐかのように力強く大祓いの祝詞を続ける彼女。丹田に落とした息が発現のキーと成り、弓月さんが生成する霊気の質と量が更に大きく成った。
 そうこの時、見鬼が感じて居る彼女の存在を示す黄金の光が更に輝きを増したのだ。

 僅かな衣擦れの音と鈴の音。彼女が発するすべての音が鮮やかに重なり、たったひとつの呪を組み上げる。
 彼女の動きに合わせて、微かに動く空気。更に足場を固める気配から、彼女の決意の強さを窺い知る事が出来る。北高校の制服に身を包む時の少し気弱げな目立たない少女の気配とは違う、白衣に緋色袴姿の少女から感じるに相応しい、強い凛とした清浄な気配。
 矢張り、彼女の真の姿はこちらの方か。おそらく、彼女の家族以外では俺しか知らない本当の彼女と言うべき姿。
 そして……。
 そして、すべての準備の最後に、未だ続く上空からの圧力に抗する砦が発する軋みに、弓の弦が引き締められる音が重なった。

「一切障難を滅尽に滅尽し給え。残害破障し給え!」

 三度繰り返される呪。全身に強い炎の気が駆け巡り、火行を象徴する臓器の心臓が生命の源を強く送り出し続ける。普段とは違う精霊の強い活性化により緋色に染まる視界の中、唯一頭脳のみが世界を冷静に。冷徹に見つめ続けた。
 その瞬間――霊的な砦の見えない城壁の周囲に灯る小さな明かり。
 赤い小さな光。それがひとつ、ふたつ、みっつ。ひとつひとつは直径二センチにも満たない小さな光。その小さな灯が一瞬の内に数えきれないほどの小さな炎となり、それぞれが、それぞれに向け小さな炎の糸を結び合い――
 数瞬の後、暗い闇の気配しかなかった大地に、原初の地球に等しい力強い紅が発生。
 そして、その炎が爆発的に拡大して行く!

 そう、俺が唱えた真言は火界呪(かかいじゅ)。不動明王が纏う迦楼羅炎(カルラえん)を召喚する真言。
 周囲を包む闇……蛇神アラハバキの悪しき気を駆逐して行く迦楼羅の炎。毒蛇から人を守り、煩悩を()らう、とされる霊鳥の炎が世界を朱に染めたのだ。
 煙を発する事のない神性を帯びた炎が、正に燎原の火の如き勢いで広がり行く!

 刹那! 
 退魔の鈴の音が、そして、鳴弦の弦音が二度、鳴り響いた!
 強化され、体感時間が常人の数十倍、数百倍に加速された俺には感じる事が出来る。氷空の中心に向かい、音速の矢が真っ直ぐに上昇して行く様が。

 瞬間――まるで霊的な砦を護るかのように大地に広がり続けていた炎が、その弦音が世界に響き渡った瞬間、遙か虚空へと螺旋を描くように伸びて始めた。
 その様子はまるで炎で出来た龍。紅い炎龍が天を目掛けて駆け上がり、昏い氷空を黄金と朱の色に染めた。
 科学的にこの現象を説明するのなら、これは火炎旋風。膨大な炎により発生した上昇気流。その気流によって炎がらせん状に渦を巻き、周囲から酸素を奪い去りながら、上へ上へと昇り続ける現象。

 しかし、当然、これは科学にのみ裏打ちされた自然現象などではない。黄金の矢を内包……蛇神の陰にして水の属性を持つ防御障壁から護りながら、遙か高見に存在する本体に一撃を加える為に俺が発生させた炎の柱。
 意識の奥深く。迦楼羅が存在する異界と繋がった俺の精神の奥深くからあふれ出し続ける炎……。これは組まれた印により、イメージだけの存在から現実の存在として姿を現した炎。但しこれは、普段、俺が操る現実世界に数多く存在する精霊とは違う種類の精霊力。まして、その炎自体がドラゴンキラーの迦楼羅の炎。
 現在、龍種の身体が悲鳴を上げ続けている状態。内臓を食い破り、骨を軋ませながら、隙があれば俺自身をも焼き殺そうとする迦楼羅炎。霊気の制御法の修業を、何時の生命でも怠って来たツケを一気に払わされる事に呪いの言葉を吐き出しながら、それでも螺旋の赴く先をひとつに誘導する。
 この炎の前には、如何に蛇神を構成する成分であろうとも無意味。いや、蛇神であるが故に、この炎の神威を押さえる事は不可能と言うべきか。

 そう、蛇神の霧が密度を増す度に、霊鳥の炎がそれを焼き払い、蒸発させ続けていたのだ。
 暗天に起立する巨大な火柱。数えきれないほどの炎塊を四方に撒き散らし、闇夜を朱に染めながら、常識ではあり得ない高度にまで登り詰め――
 その激しい渦の中心を奔り抜けた黄金の矢が、地上を睥睨するかのような巨大な赤い影を今……貫いた!



 片や、意識の片隅。時を同じくして上空にて発生している攻防。
 三つの紅の光点が氷空高くから、巨大な龍の首が地上へと突き出している一点……虚無を湛えし池へと急降下を開始。その後ろ、空中に引かれる三筋の紅い線は、おそらく弓月さんが放った防御用の蟲たち。
 蛇神アラハバキはその全身を顕わす事はなく、未だ巨大な首たちを現実界に送り込むのみ。これはおそらく、反魂封じが完全に破られた訳ではないと言う証。つまり、あの巨大な首の根本には、其処から動く事の出来ない……完全に現実世界に実体化出来ていない身体が存在している可能性が大きい。

 確かにそれならば、その一点に攻撃を加えて見るのも悪くはない。

 待ち構える龍の顎をその持ち前のスピードで躱し、更に下から突き上げるように現れた首に関しては、弓月さんの放った蟲を犠牲にする事で躱す。
 しかし、ふたつ目の首をすんでの所で躱した瞬間、彼女らの前に現われる三つ目の首!
 元々さつきの空中機動は、直線は早いが小回りは苦手。炎を羽根のように広げ、足裏に発生させた炎を推進力に飛ぶ方法は、おそらくジェット戦闘機と同じ原理。

 刹那、アラハバキの首の内側で巨大な呪力が渦巻くのを感じた。
 そう、それは呪力の渦。現世で完全な肉体を持って再臨した訳ではない奴らに取って、呪力こそがすべての源。血であり、筋肉であり、あらゆる感覚器であり……。
 そして、攻撃の手段でもあった。

 咆哮と共にその巨大な口から吐き出される何か。巨大な竜巻にも匹敵する規模の呪力が現実界に顕現する。それは周囲からすべての熱を奪い去り、生命活動を……いや、すべての動きを停止させる絶対零度の吐息。
 もし、この吐息に触れて仕舞えば――

 しかし、その瞬間!
 虚無と無限を貫く絶叫が世界を覆い尽くした!

 完全に三つの紅の光点(三人のさつき)をその巨大な顎で捉えたと見えた瞬間、閃光と爆音が発生!
 そう、三つの光点に遅れる事数瞬。その背後に離れる事なく付き従って居た二つの紅から放たれた巨大な炎が宙空にて合一。今まさに先行する三つの光点と交わろうとしていた巨大な赤い影を包み込んだのだ。

 そもそも、先行する三体は囮。上手く首と首の間をすり抜け、本体部分が未だ現界出来ていない次元孔に一撃を加えられれば儲けもの、と言うレベルの動き。本命は三体の動きにつられた首に致命的な一撃を加える後ろの二体。

 飛来した黄金の矢に貫かれ、巨大な火塊に圧倒され、その身を構成する物質を減らして行くアラハバキの首たち。俺の召喚した迦楼羅の炎に、さつきが放った神炎が合一。膨れ上がった炎はまるで地上に墜ちた太陽の如く光り輝き、燃え盛る炎により、ドンドンと消費されて行く蛇神アラハバキの呪力。
 俺の見鬼には、邪神を構成する呪力が炎と熱。そして、陰陽の気に分解され、まるで陽炎のように氷空に向かい立ち昇って行く様が克明に映っている。
 このまま燃え尽き、ふたつの首がこの世界から完全に消えて仕舞う。そう感じた刹那……。

 轟々と赤き巨獣が咆哮した。それは地上に存在するどのような獣の声よりも大きく、ありとあらゆる自然現象よりも鋭く木霊する異世界の雄叫び。
 その暴風にも等しい雄叫びに大気自体が嵐のように吹き荒れる。

 その荒々しい腕で周囲が一撫でされた瞬間……。

 周囲の木々。真冬故にすべての葉を落とし、来たるべき春に備えて力を蓄えていたはずの木々から、すべての生命力が消えた。……いや、奪われた。
 そう、目の前に存在する赤い首は死そのもの。触れるモノの生命力を奪い、死を与える冥界の神。
 異界から送り込まれる呪力。更に、周囲から奪い去った生命力を糧に、燃え盛る炎の内側で再び構成されるアラハバキの首。
 無数の傷から、炎に巻かれた巨体から漏れ出すように、蒸発するかのように消えて行ったはずの呪力が、いとも容易く補充されて仕舞ったのだ。

 ダメだ。この場所の陰の気が強すぎる。
 確かに攻撃もまったくの無駄と言う訳ではない。少しでも呪力を削れば、削った瞬間は、その部分の再生を優先する為に首の動きを止める。
 しかし、それだけ。与えたダメージに対応する時間の後には、強化された新しい首が再び戦線に参加して来る。

 すべてを吹き飛ばすぐらいの強力な術式で一時的に活動する首の数をゼロにした後、異界のアラハバキとの繋がりを断ち、次元に開いた孔を塞ぐ。その後に周囲から生命力を奪って再生した首を完全に無力化。この順番以外で、今回の事件を終わりにする方法はない。
 但し、これを為すには問題が幾つか。
 先ず首の数が多すぎる。おそらく九つ以上の首が存在する以上、こちらもそれに対応した超強力な術式を組み上げる必要がある。当然、今、組み上げつつある大祓いの祝詞は絶対に。出来る事ならば火界呪も維持した状態で。
 更に、首だけとは言え、古の蛇神アラハバキが現界している以上、この周囲は異界化現象に見舞われていると推測出来る。但し、それは飽くまでも推測出来ると言うだけで、確認が出来ている訳ではない。九つの首の動きをある程度の時間留める為に必要な威力を持つ術式を、異界化していない現実世界で発動させた時に周囲に起こす影響を考えると、かなり頭の痛い未来が待ち受けている。
 戦後の原状回復にどれだけの手間が掛かるか分からないので……。

 人間の器が知れる、かなり所帯じみた……と言うか、人類や世界の危機と、事後処理に自分がこき使われる未来とを天秤に掛けた思考に囚われた正にその瞬間、あらぬ場所から上空に向かい放たれる槍。更に、別の個所からは巨大な雷の気が発せられた。
 そして、それと同時に攻撃が発せられた地点同士をつなぎ合わせるかのような龍気のラインが引かれる。形は五芒星とその頂点を結ぶ円。その中心に蛇神アラハバキが現界している次元孔を置く。

 良し、我が事なれり、だ。これでようやく完全な地の利を得られた。自分の飛霊に任せたので、まず失敗する事がないと言う確信はあったのだが……。
 それでも、安堵の溜め息にも似た息をひとつ吐き出す俺。確かに、飛霊の動きが阻止されて居たのなら、一心同体の俺にはリアルタイムでその情報が伝わって来ていたはず。しかし、現実にはそのような情報もなく、まして、俺の身に飛霊が受けたダメージがフィードバックされる事もなかったので、企ては順調に進んで居る事を理解していたのですが……。
 何にしても、これで更に無茶な術式を組む事が出来る。それに現実界への影響も、この龍気のラインの内側……結界の内側ならば大きな問題は起こらない、と思う。

 次なる一手の模索に掛かる俺。しかし、その一手が足りない。
 大祓いの祝詞が完成すれば、一時的に過ぎなくてもアラハバキの魔界との間の絆を断てる可能性はある。
 但し、その際にあの首がすべて健在ならば――
 もし、俺が逆の立場なら、ある程度の首を犠牲にしてでも魔界との絆を維持しようと試みる。
 アレがどの程度の知能を有するか分からないが、獣並みの知能だと侮っていて足を掬われる訳には行かない。

 更なる迦楼羅炎の召喚と、さつきの放つ炎の合一で全体を焼く。
 大祓いの祝詞を維持した上で? たったひとつの首を焼くのに、自分の身体の内側を丸焼きにし兼ねないぐらい扱いの難しい迦楼羅炎を今の俺が召喚する?
 現実的ではない。下手をすると暴走する炎が傍に居る弓月さんまで巻き込む可能性も高い。
 まして、さつきには現実界と魔界との間の絆を断ち切った後に、現世に残ったアラハバキの残滓を焼き尽くす役割を任せたい……と考えている以上、それ以前にあまり霊力を浪費するような術の行使を頼みたくはない。

 先ずは自らに物理と魔法を一度だけ反射する術を掛け、その後、上空へ移動。
 アラハバキの首を一望出来る位置から、クラウソラスの一撃で全体に瞬時では回復出来ないダメージを与える。
 その後に大祓いの祝詞を完成させ、アラハバキの身体の存在している魔界と、現実界の絆を断ち切り、
 最後は予定通り、さつきに残滓の掃討を任せる。

 問題は視力が回復しない現在の状態では遠近感がちょいと微妙。更に、全体を一望出来る場所を押さえられるかも分からない。
 そもそも、タバサか湖の乙女のサポートもなしに、クラウソラスの一撃を行使した事がない。
 そして、一番問題なのがアラハバキの首を一度ですべて攻撃出来るかどうかが不明だと言う事。討ち漏らすと即座に回復されるので意味がない。
 周囲はアラハバキを構成する呪力によって満たされている。これを回収すれば、一度開いた次元孔をもう一度開き直すのは難しい事ではない。……と思う。

 出来るかどうかは分からない。しかし、やらなければジリ貧となるのは確実。
 ――ならば、最初の一手は。

「弓月さん――」

 一時的に龍気を送り込む事の出来る霊道を彼女に繋いで、今、俺が主と成って居る大祓いの祝詞を彼女に任せる。
 そう考えて、火界呪を一時的に中断。現実の言葉で弓月さんに話し掛けた瞬間。
 ――不吉な予感が足元から這い上がり、背中を駆け登った。

 刹那、世界が歪んだ。

 再び、突き上げるような衝撃!
 咄嗟に右の膝だけを大地に付け、同時に生来の重力を操る能力を発動。無様に大地に転がる事態だけは避ける事に成功する俺。
 その僅かな対処の後、地鳴りと、真っ直ぐに立って居られないような震動が世界に覆い被さって来……いや、違う。これはおそらく、晴明桔梗を模した結界内のみが震えている、のだと思う。
 それは現実の大地が震えているのではなく、異界から何モノかが顕現しようとして、その影響で世界が歪んでいる状態。多分、この大地の震動は一般的な地震計では観測出来ていない。
 それは生命体のみが感じる畏れ。機械にこの霊的な揺れを認識させるには、それなりの特殊な……表の世界には出回っていない類の計器を使用しなければ無理でしょう。

 そして――

「し――武神さん」

 
 

 
後書き
 今回はちょい短めのような気もしますが……。
 本来は1万6千文字オーバーとなって終った141話を二分割した前半部分です。
 それでは次回タイトルは『九鴉九殺』です。
 
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