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江戸妖怪気質

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江戸妖怪気質

                 江戸妖怪気質
 江戸時代のことである。江戸のある長屋に一人の風采のあがらない男がいた。
 この男の名を楚満人という。所謂怪談ものを得意とする町人向けの本の作者の一人である。
 江戸時代も終わり頃になるとこうした本を書く作者が多く現われる様になった。彼もまたその中の一人であったということである。
 今日も夜遅くまで頼まれた仕事をしていた。行灯の油の火を頼りに筆で紙に書いていく。ネタに困っているのか時々筆を止めて頭を掻き毟ったりする。そのせいか髷はかなり乱れていた。
「もし」
 そこでふと彼の後ろから声がかかってきた。
「!?」
 妻も子ももう寝ている筈である。それでどうして声がかかるのか。厠に行く為に目が覚めたのだろうか。ふとそう思い顔を後ろに向けた。
「厠なら一人で行けないか?」
「厠ではない」
 だがその声の主は妻でも子でもなかった。聞けば無数の声であった。
「もし」
「!?」
 楚満人はその声に気付き辺りを見た。見ればそこには何処かで見た連中が集まっていた。
「何じゃ、御主等は」
「御主等ではない」
 彼等は楚満人の惚けた声にこう返した。
「今まで御主とその家族を食わせてやってきた恩人達じゃぞ。礼儀を正さんか」
「もっともわし等は人ではないがな」
「その通りじゃ」
 楚満人はその中の一人の言葉に大きく頷いた。
「わしだからよいものの他の者ならばとうの昔に卒倒しておるところぞ」
「肝が座っておるのう」
「違う。慣れておるのじゃ」 
 彼はこう答えた。
「化け物にはな」
「感心なことじゃ」
「食わせてやっているかいがあるというものじゃ」
 彼等はその言葉を聞いて満足そうに頷いた。見れば妖怪達がそこに集まっていたのだ。
「また随分いるな」
 見ればろくろ首に一つ目小僧、河童にぬらりひょん、から傘に輪入道。とりあえず話に出てきそうなのはあらかた揃っていた。
「ここに来たのは他でもない」
 化け物の中の一人が言った。輪入道であった。
「何じゃ」
「最近の江戸の町じゃ」
「平和で住みよい町じゃな」
 楚満人は笑いながら応えた。
「何処にでも人はおるし夜も朝方になるまで出前の蕎麦屋や酒屋がやっておる。お茶漬けやおでんまで食べられるな」
「行灯の灯りでな。明るいことじゃ」
「今日も江戸は平和でのどかなものじゃ。話をしておると飲みに行きたくなったわ。一緒にどうじゃ?」
「馬鹿を言え」
 うわんが怒った声で彼に対して言った。
「何の為にここに来たと思っておるのじゃ」
「飲みに行くのではないのか?」
「とうの昔に飲んでおるわ」
 一つ目小僧がそう言いながら酒を出してきた。いつも持っている豆腐も一緒である。
「まあやれ」
「すまんのう」
 こうして楚満人と化け物達は飲みながら話をすることとなった。彼等が言うにはその灯りが嫌らしい。
「あれのせいでのう」
 子泣き爺が呟いた。
「どこもかしこも明るくてのう。わし等のいる場所がないのじゃ」
「化け物は暗い場所か人のおらん場所にいると決まっておるからな」 
 楚満人は酒をちびりとやりながら述べた。意外と美味い酒であった。
「しかしそれではお主達は困るじゃろうな」
「そう、そこじゃ」
 河童が出て来た。
「それでお主に頼みたいことがある。とびきり怖いわし等の話を書いてくれ」
「お主等のか」
「そうじゃ。お主なら書ける。それを頼みにここに来たのじゃ」
「今こうして実物がおるから書けるな。どうじゃ」
「わしもおるぞ」
 恐ろしさでは知らぬ者のない牛鬼までいた。
「さあ書いてくれ。早う」
「頼む」
「そう言われてもな」
 だが楚満人は快い顔をしなかった。
「筆が進まぬのか」
「ならば特別な筆を持って来てやるぞ」
「そういう問題ではないのじゃ」
 だが彼はそれも断った。
「書こうと思えば書ける」
「では何故」
「最近実はわしももっと怖いものを見てしまってな。それで化け物を書くのは止まっておるのじゃ」
「もっと怖いもの」
「うむ」
 彼は頷いた。
「まあこれを見てくれ」
 そう言いながら彼は足下にある数冊の書を化け物達に見せた。そして説明をはじめたのである。
「まずこれじゃ」
 化け物達の目の前にその中の一冊を広げながら言う。見れば遊郭を書いたものであった。絵までついている。
 そこには布団の中で遊女を待つ男が描かれていた。その首は女を待って異常なまでに伸びていた。
「御前さんと同じじゃな」
 楚満人はここでろくろ首を指差した。
「あたしかい」
「そうさ。同じじゃな」
「確かに」
 ろくろ首はそれに頷いた。彼の話はまだ続く。
「これもな」
 今度は遊女であった。どれだけあるかわからない数の手で客から金を巻き上げていた。
「手の多いのはおらぬな」
「代わりに目が多いのならいるわよ」
 百々鬼であった。美しい女であるがその手に無数の目がある妖怪である。
「私は元々遊女だし。似てるわね」
「そうじゃろう。もっと凄いのもおるぞ」
「まだいるの」
「これじゃ」
 今度はさらにとんでもないものであった。三人も子供がいる年増の女が化粧で初々しい芸姑に化けているのである。狐や狸も真っ青であった。
「これはまた凄いのう」
 実際に狐や狸も唸っていた。
「よくもこれだけ化けられるものじゃ」
「化けるのならまだあるぞ」
「まだあるのか」
「うむ、これじゃ」
 今度は流行りに関する本であった。服や下駄は今何が流行っているか。当時の繁栄する江戸はそうしたものにも関心が深く当然それに関する本もあったのである。
 そこには入れ歯や入れ眼、入れ鼻、白髪染め、付け毛、毛生え薬と実に色々とあった。もうそこまでいくと元の姿形がわからない程であった。中には化け物より化け物らしい外見の者まで書かれていた。特に女の化粧は中にはとんでもないものもあった。犬が飛び掛かりそうな派手な服装の男もいた。
「何とまあ」
 これには流石に化け物達も唖然としてしまった。
「わし等より凄いわ」
「驚いたか」
 楚満人は彼等に問うた。
「ううむ、これではわし等に勝ち目はない」
「人間の方が恐ろしいではないか。困ったものじゃ」
「ところがそうではない」
「!?」
 化け物達は彼の言葉に話を止めた。
「というと」
「虚を衝くことじゃ」
「虚を」
「左様。今江戸の者はお主等より凄くなっておるな」
「うむ」
「じゃがそれは気が締まっておる時のこと。油断している時、そして明かるい場所から暗くなった場所に潜んで狙えば」
「楽に驚かせるというわけか」
「どうじゃ。それはお主等の得意技じゃろう」
「確かにな。ではやってみるとするか」
「やってみよ。それで驚かせることができればお主等の勝ちじゃ。わしも商売になる」
「よし」
「ではやってみせよう」
 こうして化け物達は人の虚を衝き、そして暗い場所で驚かせるようになった。これは成功し化け物達は江戸に自分達の場所を見つけることができた。ここから日本の妖怪はその動きがかなり変わった。
 そしてここで利を得た者が。
「これはよいことじゃ」
 楚満人であった。彼は化け物が人を驚かせた話を書き、それは大いに売れた。それだけでなく化け物から謝礼を貰いそれでまた金を得ていた。最早彼は大金持ちであった。
 結局彼は人と化け物を利用して左団扇となったのである。頭が回ると言えば彼にとって都合がいいか。
 化け物をも利用して利を得た楚満人、彼こそ本物の妖怪と言うべきか。だが彼はそんなことは気にも留めず死ぬまで飄々と化け物を書いて楽しく過ごしていたそうである。案外こうしたところが化け物に合っているのかも知れない。


江戸妖怪気質   完

                 2006・1・8
 
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