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「庶長子。」

作者:猫SR
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庶長子

 
前書き



私が僧侶に成ったのは
戦で右足を怪我したから、


だけでは無い。






 

 


「和尚がいつも
お香を上げているのは誰?」


ふと、気付くと
近所の子供らが
本堂に上がり込んでいた。

「今日の手習いは休みと
言うた筈だが?」

「家に居っても
畑を手伝わされるんじゃ。」

「なー、その人は誰じゃ?」



薄暗い本堂から外を見ると
麗らかな春の朝日の中で
小鳥が地面をつついている。




あの日もこんな朝だった。


あれから
どれくらいの月日が、、歳月が
流れたのだろう。



ふと、この子供らに
自身の胸の内を
語ってみたくなったのは
今日が特別な日だから、
なのだろうか。






記憶が絵巻物の様に
巻き戻される…。










何やら朝から騒がしかった。


人質が住まわされている
小さな屋敷。

…周りに人が集まる気配。




「御免!!
お館様の命により
猫丸殿をお迎えに参った。
御支度願いたい。」

長閑な春の朝に似合わない、
野太い怒鳴り声が響く。



「如何なる御用向きに
ございましょう?」

「それはお館様より
ご説明が有ろう、某は存ぜぬ。」


物々しい雰囲気だ。
甲冑を身に付けた者も居る。

若様を起こさねば。





南北を大国に挟まれた当家は
或いは北に、又ある時は南にと
臣従と裏切りを繰り返して
生き延びて来た。

若君の猫丸様は第一男子。

当家の跡取りとして
お生まれになったが
正室の藤の方様に腹違いの弟君、
つまり御嫡男がお生まれになって
猫丸様の人生は
変わってしまわれた。





「猫丸様、
堀田のお殿様がお呼びです。
お着替えあそばされます様に。」


猫丸様はまだ眠いのであろう、
目を擦りながら此方を見る。

今年で御年はやっと十二。
まだ母上様が恋しかろうに。




弟君がお生まれになり
嫡男が定まると
猫丸様の立場は微妙となった。

いわゆる庶長子である。

猫丸様の母上は御身分が低い。
側室なのだ。




北の大川氏より侵略を受け、
お館様は南の堀田氏を頼った。

…同盟交渉は難航した、
なぜなら過去、幾度も当家は
離反を繰り返したからである。


南の堀田氏との、この同盟は
猫丸様を人質に出す事で
漸く話が纏まったのだ。





「堀田のお殿様が
我に何ようじゃ?」

猫丸様は
可愛らしく首を傾げる。

髪を下ろせば
女子かと見間違える程。
色白の肌と愛らしい瞳。

人質とはいえ、猫丸様は
此方の侍女達に
随分と人気が有る。


その可愛らしいお顔を見た時、

なぜか嫌な予感がした。




…足音が近付く。


「采女殿、ちと宜しいか?」

自分同様、猫丸様の守役として
此方まで付いて来た、
爺やの三右衛門が
小声で呼び掛ける。



「猫丸様、お早く御召し替えを、」

そう言い残して廊下に出る。



「如何した?三右衛門。」

「采女殿、、余りに様子が
おかしいとは思いませぬか?
この物々しい迎えに
違和感を覚えまする。
采女殿に密書か何か、
届いてはおりませぬのか?」


…確かにおかしい。
爺やの言う通りだ。


「まさか、
手切れになった訳では?」

「しっ!三右衛門、
滅多な事を言うで無い。」


「しかし、状況から察するに…。
猫丸様をお逃がす訳には?」

「それは無理だ、三右衛門、
既に屋敷は囲われて、、」




「お早くお願いしたい!」

迎えの者が大声を出した。







城下の御屋敷にて
堀田播磨守を大広間で待つ。


猫丸様はしっかりと
前を見詰めておられる。

幼いながらに、何かに
気付いていらっしゃるご様子だ。



静寂の中、鳥のさえずりだけが
聞こえている。




足音がして
堀田播磨守が入室した。



「猫丸か、面をあげよ。」

「はっ。」


「…そちの父とは
手切れと相成った。」


やはり!


「お前はこの意味が解るか?」


堀田播磨守が
猫丸様に問い掛ける。



「無論。…解ります。」

気丈に、、
健気にも猫丸様はそう答えた。


「ほう、流石は裏切り者の息子。
胆が座っておるわ。」

播磨守はそう言うと
猫丸様を見て微かに笑った。




「吾は幾つになった?」

「当年、十二になりました。」

「左様か。 …のう、猫丸。」

播磨守は佇まいを崩し、
猫丸様にこう語り掛ける。


「当家に仕える気は無いか?
そちは父親に捨てられたも同然。
当家の、ちい姫の婿となって
我らの身内にならぬか?」



意外な話だったが、
播磨守の狙いは判る。

猫丸様を婿に迎える事に依って
当家を分断し、
来るべき合戦において
有利な展開を、
更には当家を併合したおりには
猫丸様を担ぎ上げて据え置き、
領国として
取り込むつもりなのだろう。




猫丸様…、、、


「ありがたきお話なれど
きっぱり、御断り申す。」

「…何ゆえ?」

「手切れとなったおりに
人質が殺されるのは世の習い。
猫丸、未だ幼少なれど、
命が惜しくて
父上を裏切ったなどと
人に言われたくは有りません。」


「人質は磔、獄門ぞ?
恐ろしゅうは無いのか?」


「承知致しておりまする。

…恐ろしゅうなど無い!!」


拳を握り締めて
猫丸様は叫ぶ様に答えた。




ご立派です、若様。




「左様か、、、惜しき事よ。」


堀田播磨守は溜め息をついた。


「猫丸、そなた切腹の作法は?」

「守役の采女から教わりました。」


「ならば切腹申し付ける。」



堀田播磨守の温情であろう。
人質としては破格の扱いだ。

播磨守は元服前の猫丸様を
人質では無く、
一人前の武士として扱ったのだ。






「殿。」

昼を食している播磨守に
奥方様が話掛ける。

「何用じゃ。」

「お隣りの国の人質に
切腹を申し付けたとか。
まだ年端もいかぬ子供だと
言うでは有りませぬか?
…侍女達が
噂しておりましたゆえ。」

「その侍女とやらは
どこぞから聞いたのだ?
表の事に口を出すでない。」

「されど、殿は、、、
その子供をゆくゆくは
ちい姫の婿にと、仰ったそうな、」

「黙れ。
あれは利発じゃ。
ちい姫を断りよったわ。
ただの子供では無い、、
既に立派な男子だ。
生かしておいては
この先、ろくな事にはならん!」

「しかし、、、」

「くどい!!」









城下の外れの河原の一角。

暖かな陽射しに風が混じる。

竹矢来で区切られた中に
畳が敷かれていた。



見物人が集まりだした。
百姓に混じって
旅の商人の姿も見える。


当家の密使が居るのでは?
ただ、余りに遅すぎた…。




あの後、猫丸様は
別室に留め置かれ
お話が出来なかった。







後ろ手に縛られた猫丸様が
馬に乗せられて、、到着した。


護衛の武者に軽々と
馬から抱き下ろされた。




「なんと!まだ子供ではないか!」

「知らぬのか、
お隣の殿様の子じゃ。」

「同盟が手切れになったそうな。」

「まだ、十にも満たぬのでは?」


見物人が口々に噂をする。

「あれ、おいたわしや、
あれほど可愛らしい子を!」

「母上様がどれ程悲しむか!」

女どものすすり泣く声が
聞こえる。



猫丸様は
畳の上に座らされ
縄をほどかれた。




「どけっ!!」

人混みを掻き分け、前に、
猫丸様の
視線の先に回り込みたい!



猫丸様は青白いお顔で
小刻みに震えていらっしゃる。

無理も無い。



泣き腫らした様な瞼、、、


最期までお側に…、
付いて居てやりたかった、
お話を聞いてやりたかった…。




台の上には小刀ではなく
扇子が置かれていた。

播磨守の指示なのか
検分役の侍の好意なのか。

扇子を小刀に見立てて
切腹の真似事をせよ、
さすれば介錯人が首を落とす、
年端も行かぬ子供に
少しでも辛い思いをさせない、
そんな気遣いなのか。





猫丸様が此方を見た。




大きく、
大きく頷いてみせた。




猫丸様。


あなたは、今、御立派に
人質としての
責務を果たされます。


あなたの短い一生を、
私は忘れはしない。



運命に導かれるまま、
あなたはお館様と母上様の
お子としてお生まれになった。


そして隣国の人質となられた。




幼きあなたが播磨守の申し出を
きっぱりと
お断りになられた事を、
私は必ず、
必ず、お館様にお伝えします。



不幸にしてあなたの命は
今、絶たれようとしている。




あなたはお父上をお怨みに
なられるでしょうか。


恐いでしょうに、、


なんとも、言い様が有りませぬ。





どこからともなく
念仏の声が沸き起こり
それは日が傾き掛けた河原に
大きな声の塊となって響いた。



猫丸様は震えながら
扇子を取り
私をじっと見詰める。




唇が


は、は、う、え、さ、ま、に、


と、動いた。







「ここは どなた様のお屋敷?」


昨年のある秋の昼下がり、
小さな姫君が庭に
迷い込んで来た。

「ここは私と采女と爺やの所。」

「あなたはだーれ?」

「猫丸と申します。
隣の国から来ました。」

「隣の国って??」


「姫様ー!!
まあまあ、そんな所に!!
申し訳有りませぬ、
突然、お庭まで。笑」



後程、、、
その小さな可愛らしい訪問者が
この国の下の姫君様と知った。


以来、ちい姫様は時折、
侍女達をお供に、いきなり
御忍びで遊びにいらした。



猫丸様は、ちい姫様の
雛遊びに根気よく
お付き合いしていた。



ちい姫様は猫丸様を
お慕いしていた。
小さな小さな恋であろうか。








「和尚、それで猫丸様は
どうなったのじゃ?」

「猫丸様は切腹したのか?」


…この子供らに
どこまで話したものか…。




「猫丸様は、、、
作法通り、お着物の前を寛げ、
がたがたと震えるお体で、
扇子でお腹を召された。
ただ、余りの恐さに
首がすくんでしまい、
介錯人は失敗したのだ。
………、
肩口を切られた猫丸様が
絶叫して暴れるのを
もう一人が押さえ付けて
何とか、、首を落としたのだ。」


「むごい…。」




見物人で泣かぬ者は居なかった。

口々に見に来るのでは
無かったと、

誰もが幼い者の命が絶たれた事を
悲しんだ。







子供達が帰った後、
和尚は猫丸様の位牌に焼香し
経を上げる。




外は春の陽射しが
少し暑くも感じる頃だ。





北の大川氏と南の堀田氏が
秘かに同盟を結び
猫丸様の御実家は
南北から挟撃されて滅亡した。

堀田氏を裏切った当家は
大川氏に裏切られた。


猫丸様がお亡くなりになって
僅か一年後の事である。




猫丸様の御実家の領地は
南北に分断された。




だが、
北の大川家は太閤殿下に逆らい、
取り潰しとなった。





南の堀田家は
太閤殿下の覚えめでたく
大川氏の旧領を合わせて
大大名となったが
関ヶ原で石田方に付いて
改易となってしまった。






堀田家の、ちい姫様のその後は知らない。






今日は猫丸様の命日である。





今頃は母上様と仲睦まじく。

…甘えておられるだろうか。







春の陽射しの中、
和尚は裏山に登る。

右足を引き摺りながら。








あの頃、
猫丸様が母上様にと摘んだ花を





探す為に。










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