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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六十五話 ベーネミュンデ事件(その5)

「シュザンナがの、そこまで思い詰めておったか」
「……」
襲撃事件のあった翌日、俺はリヒテンラーデ侯と共にフリードリヒ四世に拝謁していた。皇帝も俺たちが何の用件で会いたがっているかは判っている。バラ園で会うと場所を指定してきたのは、おそらく他者の介在を嫌ったためだろう。

いや、単にバラの世話をしたかったからかもしれない。フリードリヒ四世は俺たちの話を聞きながら、バラの世話をしていた。話が終わってもだ。興味をなくした元寵姫の事などなんの関心も無いのかも知れない。

「哀れな女だ。せめて地獄からは救ってやろうと思ったが……」
「?」
妙な言葉だ。ベーネミュンデ侯爵夫人はフリードリヒ四世の寵を失ったのではなかったのか? 皇帝は彼女に何の興味も無いのではないのか? 俺は思わず隣にいたリヒテンラーデ侯を見たが、侯も訝しげな表情をしている。

「予の言葉が不思議かの?」
「いえ」
リヒテンラーデ侯が短く答える。俺は慌てて顔を伏せた。幸い膝をついているから不自然には見えない。

「女にとって最大の不幸とは何かの?」
「はて?」
また妙な言葉だ。思わず顔を上げたがフリードリヒ四世の視線はバラに向いたままだ。リヒテンラーデ侯も訝しげな表情で俺を見るが、正直俺にもどう答えればいいかわからん。

「己が子を殺される事よ、シュザンナは四人の子をころされた……」
「!」
フリードリヒ四世は生まれた子が殺された事を知っている。いや、四人とはどういうことだ、皇帝は何を知っている?
「陛下、滅多な事を申されてはなりませんぞ」
「皇帝とは不便なものじゃの、真実を言う事も出来ぬとは」
リヒテンラーデ侯の言葉に返したフリードリヒ四世の言葉には微かに笑いが含まれていた。嘲笑か、それとも冷笑か。

「ルードヴィヒが死ぬ間際に、予に懺悔しおった。許してくれと……。愚かな話よ、皇太子の座を追われると思いシュザンナの子を殺したが、結局はその罪悪感から己が命を縮めよった……。何をやっているやら」
「……」
フリードリヒ四世は皇太子の罪を知っている。しかし、四人とは? おそらく三度の流産を言っているのだろうが、それも全て皇太子なのか?

「……恐れながら陛下、流産の事も皇太子殿下に罪あり、とお考えでしょうか?」
リヒテンラーデ侯の問いに皇帝は緩やかに首を振り答えた。
「アスカン家じゃ」
「!」

アスカン家、アスカン子爵家はベーネミュンデ侯爵夫人の実家だ。ベーネミュンデの名を名乗るまではシュザンナ・フォン・アスカン子爵令嬢、それが彼女の名前だった。しかしアスカン家? どういうことだ?
「し、しかし、何ゆえアスカン子爵家が侯爵夫人を流産など。し、子爵家にとっては、む、むしろ栄達の機会では?」

余りの事にドモリながら話すリヒテンラーデ侯を皇帝は哀れむかのように見ている。
「判らぬか。アスカン家にとってはの、シュザンナはただの寵姫でよかったのじゃ。母になどなる必要は無かった……」
「?」

「最初の子が殺された事でおびえたのよ。アスカン家はシュザンナが予の後宮に入るまでは、貴族とは名ばかりの貧しい家だった。彼らにとって必要なのは裕福な暮らしであって、権勢を振るうことではなかった。シュザンナが子など産んで権力争いに巻き込まれる事を、潰される事を恐れたのじゃ」

「……」
俺もリヒテンラーデ侯も言葉が出ない。それが真実ならベーネミュンデ侯爵夫人が哀れすぎる。
「それを知ったとき、予はシュザンナを後宮から出した。これ以上あれを此処には置けぬ。此処はあれにとって地獄であろう」

「アスカン家を咎める事は出来なかったのでしょうか?」
俺は思わず問いかけた。答えたのはリヒテンラーデ侯だった。
「それは出来ぬ。それをやれば罪は侯爵夫人にまで及ぶ」
もっともだ。それは皇帝の望まぬ事だろう。

「陛下、侯爵夫人は知っていたのでしょうか」
「知っておった。だから予を求めたのだ、ヴァレンシュタイン」
「?」

「誰もあれを愛さなかった。利用しようとしただけだ。予だけがあれを人として、女として愛した……。予はあれに平穏を与えたかったが、あれはたとえ地獄に落ちようとも予と伴に有ることを望んだ……哀れな……」
侯爵夫人が望んだのは、権力でも富でもない、ただ人として愛される事だったのか。

「国務尚書」
「はっ」
「シュザンナを苦しまずに済むように頼む」
「はっ」

「シュザンナに伝えよ。予も後から行く、美しい姿で待っていよ、と」
「はっ」
「陛下、今ひとつ侯爵夫人にお情けを」
「なにかな、ヴァレンシュタイン」
「陛下のバラを侯爵夫人に賜りたく」
「バラか、よかろう、あれも喜ぶであろう」

ベーネミュンデ侯爵夫人は自裁を許された。当初立会人達を罵倒していた夫人は国務尚書がバラを渡し、何事かを囁くとそれまでの抵抗が嘘のように大人しくなり、艶やかに微笑みながら静かに毒酒を飲み干した。

ベーネミュンデ侯爵夫人はバラを握り締めたまま息絶えた。安らかな死顔だったと言われている。国務尚書の命により、遺体はバラを握り締めた姿のまま棺に入れられた。


■帝国暦486年8月5日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー

ヴァレンシュタイン中将が訪ねてきた。周囲には護衛兵が四人付いている。フィッツシモンズ少佐も入れれば護衛は五人だ。例の事件以来、憲兵隊から身辺警護として付けられたと聞いたが本当らしい。ヴァレンシュタインは二人だけで話したいと言ってきたので会議室に案内する。護衛も付いて来ようとするが、中将が止めた。フィッツシモンズ少佐を伴い会議室へおもむく。

今回の訪問は突然のものではない、事前に連絡があった。ミューゼル大将がいないときに会いたいというもので少々不安がある。司令官に内密の話とは一体なんなのか? 思い当たる節が無いだけに不安が募る。フィッツシモンズ少佐は会議室の外で見張りに立つ。かなり神経質になっている。中将は部屋に入るとすぐにロイエンタール少将を呼んでくれと言ってきた。どういうことだろう。

「大変だったようですね」
「ええ、後味の悪い事件でした」
「しかし、中将が無事でよかった」
「そう思いますか」
少し皮肉そうな口調で話す中将に、私は違和感を感じた。どういうことだ。

「ベーネミュンデ侯爵夫人の流産の事、ご存知ですか?」
「ええ、陛下からお聞きになりましたか?」
「哀れな話です。本当なら侯爵夫人は死なずに済んだはずなのに」
「どういうことです?」
侯爵夫人が死なずにすんだ? どういうことだ? 何かの手違いがあったのか。

中将の話してくれた内容は深刻なものだった。何者かが噂を捻じ曲げて広めた。標的は侯爵夫人ではなく、むしろ自分だったのではないか? そして侯爵夫人は嵌められたのではないか? 私も中将の考えに同感だった。標的は中将だろう。しかし誰が?

会議室のドアが開き、ロイエンタール少将が入ってきた。はて、少し緊張しているようだ、どうしたのか。中将はにこやかに迎え、自分の隣の椅子を勧める。そして何気なく切り出した。
「ロイエンタール少将、私が皇帝の闇の左手だと噂を広めたのは少将ですね?」
中将の言葉にロイエンタール少将が蒼白になった。

「ロイエンタール少将、本当か?」
「……」
「噂の出所を探りました。何人かの女性が浮かびましてね、いずれもロイエンタール少将の親しい女性でした」
「……」

「ミューゼル大将に頼まれた、そうですね」
「……そうです」
観念したようにロイエンタールが答える。
「馬鹿な、何と言う事をしたのだ。もう少しで中将は死ぬところだったのだぞ。大体中将は動くなと言ったはずだ」

「判っています、しかし……」
「自分とヴァレンシュタインのどちらの言う事を聞くのか、そう言われましたか?」
「……はい」
何と言う事だ。まるで子供ではないか。

中将はロイエンタール少将に今回の件を誰にも喋るなと口止めして解放した。会議室には私と中将の二人きりだ。心臓が飛び出しそうなほどの圧迫感を感じる。
「面白くないのでしょうね」
「?」

「先日のフレーゲル男爵の処置といい、今回の一件といい面白くないのでしょう」
何処か疲れたような口調だ。嫌気がさしているのか。
「フレーゲル男爵の件は仕方ないでしょう。提督も理解しているはずです」
「理解するのと納得するのは別問題ですよ。私に対して不満があると見ました」
確かに、そういうところは有る。

「今回の一件も、グレーザーの書簡は私に来ました。それに手を出すなと言われた。面白くなさそうでしたね」
あのときの表情は覚えている。確かに面白くなさそうだった。
「……だからといって中将を危険にさらすような……」
「やりますよ、あの二人は」
「!」
あっさりと言ってのける中将に私は絶句した。

「あの二人にとって、グリューネワルト伯爵夫人は絶対です。彼女を守るためなら何でもするでしょう」
確かに提督の伯爵夫人への執着は異常だ。
「……」

「ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵の噂が流れたとき、私たちが流したと直ぐわかったはずです。噂によってベーネミュンデ侯爵夫人が暴発する事を恐れたミューゼル大将は、侯爵夫人の目をそらす必要性を感じた」
辻褄は合う。しかしだからと言って。

「それが、あの皇帝の闇の左手ですか」
「ええ、まあ私の鼻を明かすという稚気も有ったかもしれない」
うんざりしたように中将が話す。
「そんな問題ではないでしょう! 殺されかけたんですよ。大体謝罪も無いと言うのは」
「謝罪は出来ません」
「!」

「謝罪は出来ないんです」
「どういうことです」
「私を信用していませんから」
「!」
まるで他人事のようだ、私は何もいえず中将を見詰めた。


「私が、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯に訴えたらどうなります?」
「……」
「彼らは皆ミューゼル大将とグリューネワルト伯爵夫人が私を利用してベーネミュンデ侯爵夫人を始末した、そう思うでしょうね」

確かにそうだろう。その先にあるのは……。
「……」
「これまで、グリューネワルト伯爵夫人が宮中で無事だったのは、いかなる意味でも政治的な活動をしなかったからです。しかし今後は違う。皇帝の寵姫と帝国軍大将、そしてローエングラム伯爵家を継承する人物が宮中の勢力争いに参加した、そう思うはずです」

「確かに、そうですね」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯もそれを許すはずが無い。潰されますよ、簡単に」
「……」

「軍も同調するでしょう。今回、私が殺されかけた事でミュッケンベルガー元帥もエーレンベルク元帥も大分怒っています。ミューゼル大将もそれを知っている。だから知らぬ振りをしているんです」
「……」

つくづくうんざりした、と言った表情で話す中将に私は同情を禁じえなかった。確かにこれまでの中将の行動にミューゼル提督が納得できない部分があるのは事実だろう。しかし公平に見て、中将は十分にミューゼル提督のために動いている。誰もが認める事実だ。

それを受け入れられないと言うのは上に立つ人間として問題があるのではないか? さらに今回の伯爵夫人への執着にしても部下にとっては不安しか感じないだろう。中将が提督に手を出すなと言ったのにはそれもあるはずだ。しかし結局手を出してこの事態を引き起こしている。

このままでいいのだろうか。果たして彼は自分の将来を托せる人物なのだろうか。目の前で憂鬱そうにしているヴァレンシュタイン中将を見ながら私はこれからの事を考え暗澹とした……。



 
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