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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六十四話 ベーネミュンデ事件(その4)

■ 帝国暦486年7月30日  オーディン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「閣下、大丈夫でしょうか?」
「何がです?」
「いえ、ただ……」
地上車の中、俺は意味不明な会話をヴァレリーと交わした。もっともヴァレリーの心配については俺も十分に理解している。ベーネミュンデ事件はいささか妙な方向に進んでいた。

リヒテンラーデ侯とベーネミュンデ事件の対処法を練った後、俺はすぐさま、ブラウンシュバイク公に、次いでリッテンハイム侯に接触した。グレーザーが出した書簡を見せ、ベーネミュンデ侯爵夫人をコルプト子爵が煽っている形跡が有ることを伝えたところ二人とも大いに不愉快そうな表情をした。

どうやらコルプト子爵はあまり好かれていないらしい。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家に繋がりの有る彼は、その時々によって、自分の旗幟を公爵派、または侯爵派にしたらしく、結局両派から信用できない奴と思われたようだ。

そのせいだろう、コルプト子爵を謹慎にしたいと提案しても何の反対も無かった。いささか拍子抜けしたくらいだ。もう一つ彼らがコルプト子爵に冷淡だったのはグリューネワルト伯爵夫人を寵姫の座から降ろす事に反対だったからだ。

グリューネワルト伯爵夫人は政治的行動を取らない。たった一人の皇帝の寵姫なのだからいくらでも出来そうなものだが、そのような活動は一切していない。そのことはブラウンシュバイク、リッテンハイム両者にとって大事な事だった。

本来皇帝の寵姫はその影響力から彼らにとって競争相手となる存在なのだ。それを行なわない伯爵夫人は彼らにとって理想の寵姫といえる。わざわざ引き下ろす必要は何処にも無かった。ブラウンシュバイク公の言葉を借りれば“フレーゲルは阿呆だがコルプトはもっと阿呆”ということに成る。

両家の承諾を取り終えた俺はすぐさま、リヒテンラーデ侯に首尾を伝えた。侯が喜んだ事は言うまでも無い。早速リヒテンラーデ侯が噂を流したのだが、その噂が当初の予定からは奇妙に捻じれて広まった。

~ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵が密かに情を通じている。事態を重視した皇帝は「皇帝の闇の左手」であるヴァレンシュタイン中将を使って事実関係を確認するだろう。貴族に対して非好意的な中将がどのような結論を出すかは言うまでもない。二人の運命は決まった~

この妙な噂は俺が否定する間も無くあっという間に広がった。おかげで俺は夜遅くにリヒテンラーデ侯邸を訪問する羽目になっている。ヴァレリーが不安がるのも無理はない。偶然なのか、それとも故意に誰かが流したのか、どちらにしろ余り面白い状況ではない。


■ 帝国暦486年7月30日  クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「妙な事になったな」
「まことに」
俺とリヒテンラーデ侯は応接室で差し向かいに座りつつ話を始めた。侯の表情も苦いが、俺も負けずに苦いに違いない。馬鹿げた噂に振り回されて怒っているのだ。

「卿、皇帝の闇の左手なのかの?」
妙な表情で俺を見る。本当に疑っているのか?
「閣下、冗談はお止めください」
「しかし、信憑性は有るのじゃが……」

半分くらいは出鱈目だと思っているな、この表情は。
「小官が皇帝の闇の左手なら、此処にはいません」
「フム。ま、そうじゃの」
クビをかしげながらも納得したのか、侯爵は話を先に進めてきた。

「で、どうするかの」
「予定通り進めるしかないと思いますが……」
「調査役、尋問役じゃの、問題は」
「はい、小官だと噂を肯定する事になりかねません。あの二人が何を考えるか……」
「つくづく厄介な噂じゃの……」
「はい」
全く、厄介な噂だ。これから尋問役を探すのは容易ではない。国務尚書自ら尋問するという手もあるが……。

「いかがでしょう、侯自ら尋問者になるというのは」
「何を馬鹿なことを」
「いけませんか」
「当たり前じゃ……止むを得んの、アイゼンフート伯を使者とするほかあるまいの」
「アイゼンフート伯ですか?」

アイゼンフート伯ヨハン・ディートリッヒは典礼尚書の地位にある。地位から見れば適当な人選といってもいいのだが、なんと言っても年齢は八十を越えた老人だ。おまけに典礼尚書自体が最近では名誉職になりつつあり、能力は考慮された事がない。到底まともな尋問など出来んだろう。

「卿の心配はわかる。それゆえ卿も同行せよ」
「?」
「アイゼンフート伯は老人じゃ。卿が代わりに質問するのじゃ」
「なるほど、伯はお飾りですか?」
「うむ。仕方あるまい」
伊達に歳を食ってはいないな。

「明日、宮中で決定するつもりじゃ」
「アイゼンフート伯が承諾しますか?」
「嫌とは言わせぬ。嫌なら典礼尚書をやめてもらうまでじゃ」
怒っているなリヒテンラーデ侯は。
「それは、きつい。となると尋問は明後日ですか」
「そうなるの」
「承知しました」


■ 帝国暦486年7月30日 オーディン ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

「あと二日もすれば一段落しますよ、少佐」
「はい」
地上車で中将の官舎に向かいつつある途中、ヴァレンシュタイン中将が話しかけてきた。私を安心させようとしているのだろう。それならこんな仕事は引き受けないで欲しい。本来の仕事だけでも大変なのに宮中の勢力争いに絡むなんて。絶対にやめるべきだと思う。おまけにこんな夜中に有力者の家を訪問するなんて胡散臭いったらありゃしない。

しかし、リヒテンラーデ侯が彼を頼りにするのもわかるのだ。中将には比較的私心が無い。宮中の勢力争いに関わろうとしないから、この手の微妙な問題を相談するには最適なのだ。あの老人にしてみれば周囲にいる人間は気軽に相談しづらい存在なのだろう。だからといって……

ズガーンという音と共に振動が私たちを襲う。地上車が旋回し私と中将がドアに押し付けられる。
「閣下、伏せてください」
私は中将を座席シートに押し倒しつつ、その上に覆いかぶさった。
「少佐」
「駄目です」
起き上がろうとする中将を強くシートに押し付ける。

ようやく何処かの屋敷の壁にぶつかって地上車が回転を止めた。衝撃でフロントガラス、リアガラスが割れ細かい破片が私たちを襲う。外からの生暖かい空気が車内に入ってくるのが判った。私は中将から離れ、急いでブラスターを取り出す。事故じゃない、攻撃を受けたのだ。ベーネミュンデ侯爵夫人か、それともコルプト子爵か。

「中将、頭を低くしてください。狙われます」
「わかりました」
中将も状況を理解したのだろう。ブラスターを抜いて構えている。暗闇の中でも緊張しているのが判る。彼にとって予想外の事態なのかもしれない。そう思うとこんな時なのに可笑しかった。

レーザーが車内に打ち込まれる。こちらも打ち返す。敵は十人以上いるようだ。車内にいる分には多少防げるが、もう一度さっきの攻撃、多分、対戦車ミサイルだろうがあれをやられると危ない。どこかで外に出なければならないがタイミングが難しい。少なくとも三人~四人程度は此処で倒しておきたい。

うめき声が聞こえる。一人倒したようだ。中将と私は、つかの間顔を見合わせる。
「どのくらい持つと思います」
押し殺した声で中将がささやく。
「車内にいられるのは良くて後十分程度だと思います」
私も同じように押し殺した声で答える。
「そうですか……その後は外に出て逃げるしかないですね」
そう、逃げるしかない。しかし逃げ切れるだろうか。

突然、光が辺りを照らす。人々の叫び声が響いた。私は中将と顔を見合わせた。味方? 敵? 中将の名を呼ぶ声が聞こえる。味方が来たようだ、襲撃者たちは逃げ去り始めた。助かったらしい。

「ご無事ですか。ヴァレンシュタイン中将」
車から降りた私たちに話しかけてきたのは三十代後半の士官だった。
「危ないところを助けていただき感謝します、失礼だが卿らは?」
「リヒテンラーデ侯の家臣です。主より中将の後を追えと命じられました」

「リヒテンラーデ侯が」
思わず私と中将は顔を見合わせた。
「はい。間も無くこちらへ来られるはずです」
話している間にもリヒテンラーデ侯の家臣たちが襲撃者たちを追っている。何人か捕縛したようだ。これで誰が襲撃を命じたかも判るだろう。

侯が来たのは約十分ほど後のことだった。周囲には私たちを守るかのように何人かの兵士が立っている。
「閣下。御配慮いただき有難うございました。おかげで命拾いしました」
「卿に死なれては困る。噂が噂だったからの、念のため卿の後を追わせたのじゃ」

侯は本当にほっとしているようだ。表情にも安堵感が漂っている。
「どうやら暴発してしまったようですね」
「そうじゃの、全て無駄になったか」
「はい」
二人の声に疲労感があると思ったのは私だけではないだろう。

「それにしても厄介な噂じゃ」
ぽつりとリヒテンラーデ侯がつぶやいた。
「……」
「こうなって見ると、狙いは卿だったのかもしれん」
侯は手を後ろで組んで考え込みながら話した。中将が狙い? まさか。でも中将は驚いた表情を見せていない。中将も同じ事を考えてる?
「……」
「あの二人を暴発させ、卿を殺させる……。どうやら卿もそう考えているようじゃの」

「ええ、有りそうな事です。しかし一体誰が」
中将の表情も苦い。敵が見えないということが苛立たせているのかもしれない。侯の推理は十分にありえる。だけど誰が中将を……。

「心当たりが多そうじゃの」
からかうような侯の声だったが中将の答えは意表を突くものだった。
「……フェザーンというのもあるでしょうか」
「……有るかもしれん、だとすると厄介じゃの」
中将と侯は黙って見詰め合った。フェザーンが絡んでいる、そんな事があるのだろうか。

「とりあえず今日は、私のところに泊まるが良い。そのほうが安全じゃ」
「そうですね。お世話になります」
「こうなったのじゃ、明日は一気に片付けるぞ」
「はい」

誰が仕組んだにせよ、とりあえずこの事件は終わるだろう。問題はこれからだ。中将には間違いなく敵がいる。今日は運が良かった。だけど次も運がいいとは限らない。何らかの手段をとらないと……。リューネブルク中将に相談して見よう。あるいはキスリング大佐か。中将を敵から守ってくれる存在が必要だ……。





 
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