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或る画家の遺言。

作者:葉未
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遺言。 一枚目

「…『ドリアン・グレイの肖像』?」

初春、病院の一室。
VIPルームなので無駄に広い、ちょっとシンプルなホテルの寝室のような内装の病室が、俺たちの遊び場でした。
応接用のソファに座ったまま聞いたことのない小説のタイトルを聞き返すと、ベッドで体を起こしていた由生はおもしろそうに笑います。
春風を思わせるその笑顔はだいぶ長い間見ていますが、それでも未だに彼の笑顔を表現する単語として“春風”を使うほど、彼のそれは常々柔らかいものでした。
一般的にイメージする高校生よりも一回り小柄な体格。更に傍にいることの多い俺が長身のこともあって、人にはますます小さく見えるそうです。色が白いのも皮膚や髪が柔らかいことは、長い間病室暮らしをしている証明にもなるでしょう。

「そうだよ。知らない?」
「知らないなあ…。どういう話なの?」

柔らかい声に、柔らかく返す。
俺は決して、飛び抜けて育ちがいい訳ではありませんし、口がいい方でもありません。
…が、彼と話していると、どうしても俺も言葉遣いが普段より優しくなる気がするし、実際そうなってしまうのです。
そして、由生が小説のタイトルを持ち出してきた時は、聞いてやるのがミソでした。
彼は、自分が読んだ小説の内容を人に話すのが趣味のようなものだから、いきいきとストーリーを俺に話してくれるのです。
心の浮き上がりが体調の向上を導くことは、デマでも何でもなく実際の現象ですから、俺は極力由生を上機嫌の状態に保っておきたくありました。
その時に話してくれた、彼の話を要約しましょう。


『ドリアン・グレイの肖像』は、原作タイトルを『The Picture of Dorian Gray』といい、オスカー=ワイルドの長編小説でした。
どこかで聞いたことのあるタイトルと著者名だが、生憎そこまで本を読まない俺にはぼんやり思い出せるか出せないかというだけで、ピンとは勿論来ませんでした。
長編といっても、以前彼が話してくれたような『ジャン・クリストフ』のように三冊四冊続くようなものではないので、話を聞く限り、どうやら俺でも読めそうな長さのようでした。
享楽主義者で美術家な偽悪者を気取っているウォートン卿という奴がいて、彼を慕って影響を受けてしまった誠実であった美青年のドリアンが、自己愛や快楽を理由とした放蕩生活を始め、堕落していくというものです。
ドリアンのことを心から慕っていた親友の画家・バジルはこれを窘めるも、聞きはしない。そもそも、丹誠込めて描いたドリアンの絵画をウォートン卿に見せて絶賛され、モデルに会ってみたいという流れになり、嫌々ながらに交友を作ったのはバジルだったのです。
ウォートン卿は感化されていくドリアンを溺愛し、ドリアンは彼の人生観と生活スタイルに毒され、バジルはそれを後悔します。
最高傑作であるバジルの『ドリアン・グレイ』は、バジルの密かな恋心を込めて描かれました。
口に出来ない自分の恋と想い人の永遠の美貌を祈って描いた作品だったのです。
更に、今ではもう存在しない、卿と出会う前の誠実で無邪気であったドリアンがそこにある。だからこそ魔性の絵になってしまう。
現実のドリアンは時と共に老いることが無くなり、いつまでも若々しく美しく、その代わりに絵画のドリアンが老いていく。
しかし呪いが付いたようにドリアンの周囲には不吉なことが起こり、友人知人も次々と不幸に見舞われる。
ドリアンが背徳や堕落などを重ね心の醜さを得るにつれて、壁にかかった肖像画はどんどん老いてどんどん醜くなり、最終的には見かねたドリアンが肖像画を傷付けると自分も死亡……と、 ざっくりとそんな話でした。


どこかでタイトルだけは聞いたことがあるような『ドリアン・グレイの肖像』ですが、俺は内容を聞いて少し驚いたのを覚えています。
堅苦しい文学かと思いきや、話を聞いているだけで設定からしてなかなか面白そうでしたから。興味を持ちました。

「へえー。不思議な話だね。そんな、禁じられた恋みたいな感じだったのか」

俺が言うと、由生は肩を竦めて教えてくれました。

「オスカー=ワイルドがまず同性愛者だったみたいだから。出てくる人物も男が多いんだよ」
「へえ…。…んー。でも、確かに自分が仲介役しちゃった相手に想い人取られたら、そりゃあ嫌だろうね」
「え、そこなの?」
「ん?」

俺の感想に、由生は苦笑しました。
彼の視点からでは、この作品は別の教訓を抱えているということでした。

「違うよ、ヒロ。これは普通、“悪いこととか不真面目とか、快楽に溺れちゃいけませんよ。いかに外見が美しくても心が美しくないとね”って話だよ」
「ああ、そうなんだ? …なんだ。恋愛話の方にウエイトあるのかと思ったよ」
「もー。…まあ、そこがこの本の魅力でもあるけどね。より背徳感が増すんだよ、きっと」

くすくす笑いながら、由生は膝の上に置いてあったその小説の表紙を撫でる。
俺は、彼との視点の違いに気付かされ、嬉しくなりました。
彼が、既に“大人の視点”に片足踏み入れている俺と考えが違えば違うほど、俺には彼が輝いて見え、ますます彼が憧れの対象になりました。

「読んでみる?」

そう言って、由生は俺に本を差し出しました。
しかし俺はこれを断ります。

「うーん…。いいかなー」
「そう? 面白いのに」
「俺は小説苦手だから。由生からあらすじ聞く方が楽しいしな」
「本当?」

俺が言うと、由生は嬉しそうに顔を明るくさせました。
それから、布団の上に置いた右手を、ばたばたと上下させます。

「じゃあ、色々お勧め紹介してあげるから」
「そうだね。楽しみにしてる」
「…あーあ。でもいいなぁ。絵の中の自分かあ…」
「理想を不変のものとして残しておきたいっていう感覚は分かるよな。何となくさ」

重ね重ねになりますが、俺は絵を描くことが好きです。
写真や彫刻なども含め、美術系を嗜む人間にとっては、その感覚は多かれ少なかれ持ち合わせているところだろうと思います。
他の人間よりも“時の流れ”の影響を感じていると思うのです。
その急流の音が聞こえないのがおかしいくらい、時間は俺たちの周りをすさまじい速度で流れています。
美しいものや愛しいもの。
それだけではなく、醜いものや酷いものもですが…。
キモチが動いた瞬間を、固定する。
変じているもの、流れているものを、捉え、拘束し、額縁というカゴとタイトルという“名前”を付けて愛玩動物のように飼う。
そこが面白いところだと、俺は思っています。
表現が気に入らないのなら“心動いた瞬間を記録に残したい”などと美しく装飾もできますが、要はそういうことでしょう。
他の画家がどうかは知りませんが、俺は少しスタンスが風変わりらしく、例え美しい桜の風景を描写し、柔らかく優しく描けたなと自分で思っても、何故か顧問によく『小野寺の作品は意外と攻撃的だ』と評価を受けることがあります。
俺は絵を描くことが好きですが、単純に好きなのであって、詳しい美術的知識は殆どありませんでした。
学んで影響を受けてしまうのも嫌だし。
…とはいっても、普通に美術館とかは好きなので、当然多くの芸術家が俺という一個人の価値観に影響を与えているのでしょうが、自主的に誰に似たタッチで描こうとかはありません。
ですから、顧問が何を言っているのか俺には分からないし、彼的にはそこがいいらしいので、変えるつもりは当時からあまりありませんでした。
そもそも、俺の絵を攻撃的だとか評価するのは顧問くらいなもので、部員や他の観覧者などの口からはそんなこと一言も聞いたことがないため、気にしてもいないのです。
評価は人それぞれです。
同じものを見て何と発言するかで、その人のこれまでの人生が見えたりします。
更に、“俺”という個人を知っているか否かによっても、また大幅に評価は変化します。
だから俺は、正直な話、知人からもらう評価はあまり重要視していなかったりするのです。
そこがまた面白いところではあるけれど。
俺の作品を見てくれて、何と発言するかによって、俺は相手のこれまでの人生観と価値観を視ます。
割と顕著です。おもしろいものです。

「絵が動いたりしたら、面白いよね」

手元の本を眺めていた由生は、そう言って顔を上げました。
その意見には、流石に賛同しかねたものです。

「そうかな? …俺は、あんまり好きじゃないけどな」
「何で?」
「絵が変化したら、怖いし気持ち悪いじゃん」

せっかく額縁の中に捕まえた小鳥を空に返したくはないものです。
俺の言葉に、由生はまた苦笑しました。

「怖がりだなあ、ヒロは」
「だって嫌だよ。…まあ、変じていくものも、いい所はたくさんあるけどね。でも永遠とかもいいじゃない。俺は変わらない方が好き」
「ヒロが俺の制服姿を描いてくれれば、僕元気になるかも」
「あはは。そうなったりしてな。今度やってみるか。じゃあ、今度スケッチブック持ってくるから、由生を描こうっと」
「え…。いやでも、ヒロの絵はすごく好きなんだけど、モデルって何となく恥ずかしいからさ…。あと結構疲れるし…」
「ビックリするくらい体力勝負だよ、モデル」
「だよね」
「由生で一番描きやすいのは、やっぱ爆睡してる時だな。あんま寝相悪くもないしね。見舞いに来て寝てると人形っぽい」
「え…! 寝顔なんて描かないでよ!?」
「あ…。うそ、悪い。結構描いたかも」
「プライバシーの侵害だー!」

夢物語から始まって、そんなことを話し合いました。
ぎゃあぎゃあと珍しく焦っている由生の反応があんまりハイにならないうちに、どうどうと落ち着けて、今度証拠品を持ってくるからチェックしてもらうという話になってその日は終わったのです。
ふと腕時計を見ると、三時近くになっていました。
俺は席を立ち、由生を振り返ります。

「お茶にしようか。下のスタバ行ってくるよ。何がいい?」
「ありがとう。何か甘いもの」
「温かいのと冷たいのは?」
「温かいのかな」
「OK。…じゃ、待ってて」
「うん。行ってらっしゃい。カード使う?」
「いや、いいよ」

財布を持って病室を後にしました。
大病院なので、一階にあるフードエリアは半端なく店揃えが良く、カフェやらファストコーヒー系やらファミレスやら、案外何でも揃っています。
でも、例え揃っていても、あまり出歩くことを良しとされない由生にとっては滅多に来ない場所です。
本人は余裕らしいのですが、やっぱり周りが止めることは仕方がありません。
そして、少しベッドを離れると廊下入口のナースステーションで「何処へ行っていたのだ?」と度々聞かれれば、それは本人も自然と外出を控えます。
他人に心配されてそれを無視できる程、彼はクールではないのです。
ですから、その分俺が動きます。
言葉での表現力がないので馬鹿みたいな表現になりますが、俺は王子を守る騎士のような由生と自分の関係を気に入っていました。




日が暮れてくると同時に、名残惜しいが俺は由生の病室を出ました。
そしてその晩、夕食を食べ終わった後の時間に、部屋の机で絵を描くことにしました。
丁度、雑記用のスケッチブックが残り少なかったので、部屋の端にある程度溜めている新しいスケッチブックの中から大きめのものを一冊取り、表紙を開きます。
頭の一ページを飛ばすのは俺の癖のようなもので、最初の一ページの右下に今日の日付だけを付け、二ページ目の白紙を机の上に鎮座させます。
椅子に座り、雑記用の鉛筆をしばらく弄っていましたが、やがて取りかかることにしました。
人物画の練習として、俺はよく由生を描きます。
描き慣れていると言ってもいい。
だから、鉛筆は恙なく進んでいきました。
左手で頬杖をつきながら、躊躇いもなく線を足していく。
…由生が、もし普通に学校に来ていたら、彼は一体どんな生徒だっただろう。
誰と友達になっただろう。
当然、学校の授業は遅れっぱなしだけど、決して馬鹿ではないから、最初から普通に授業を受けていれば、たぶん俺たちと同じ特選クラスだったんじゃないでしょうか。
そうすれば、例え何かあっても俺が面倒を見られるし。
…ああ、いや。そうなっていない設定での想像ですから、面倒を見る必要なんて無いのか。
どうも彼が健全な姿というのは想像が付かなくて困ってしまいます。
仮に由生が通学するとなると、友達として打って付けな相手を探すため、俺は頭の中でクラスメイトの顔を並べました。

「…守田とかかなあ」

ぽつりと無意識に呟きます。
守田というのは俺のクラスのリーダー格の男です。
明るくていい奴です。
これといってすぐに短所が思いつかないくらいには。
文武両道で面倒見がよく、人からよくよく好かれます。
HR委員もあいつですから、由生のような、どちらかといえば気弱な生徒がクラスにいたら担任にも頼まれるだろうし、性格からいっても進んで面倒を見るでしょう。
何度か顔も合わせているはずですし、あいつだったらぴったりかもしれません。

「んー…。でも、ちょっと守田は元気過ぎるかもしれないな。結構口も悪いし…」

独りごちて、考えを改めます。
良くも悪くも元気でノリが良い奴だから、由生の周りにはあまりいないタイプで驚くかもしれません。
だったら、クラスメイトの犬伏とかの方が返っていいのかもしれません。
あいつの方が面倒見という点では尚良さそうだと思うし、読書好きでいつも休み時間とか必要がない限り一人で本を読んでいたりするし、そのくせ人見知りはあんまりせず…。
本好き同士で話が合うかもしれません。
…などと、そこまで考えていてはたりと我に返りました。
所詮想像だ。
何を真面目に、「if」の話で由生の友達のことを考えているのか…。

「…あいつの制服、埃被ってんじゃないかな」

自分の馬鹿さ加減に苦笑して、無意識だったスケッチブックに意識を戻しました。
いつの間にか、自動描画をしていた絵はできあがりつつありました。
いつか病室のベッドで本を読んでいた由生をスケッチしたことがありましたが、その服と背景を制服と教室にし、窓辺に立つ彼の姿を描いていました。
白黒の濃淡で描写された雑記スケッチは、ぼんやりとした輪郭を持っていたが、なかなか気に入ったのが正直なところです。

「…うし。こんなもんかなー」

鉛筆をペン差しに戻し、とんとんとスケッチブックを無意味に立てて机を叩きます。
何かに出展するなら下書きくらいはするが、雑記如き、基本的に一発描きなので、消しカスも一切出ません。
俺のちょっとした自慢です。
…今度病院に行く時、持っていこう。
由生に見せてやれば喜んでくれそうだ。
スケッチブックを閉じ、机端のブックトラックに置いて、風呂に入りに部屋を出ました。




落書きが仕上がってから一週間後くらいでしょうか。
土曜日に病室に行ってスケッチを見せると、由生は案の定喜んでくれました。

「おおー。すごーい!」
「あはは。らくがきだけどねー」

布団を挟んだ膝の上にスケッチブックを置いて、由生がそれを指先で撫でます。

「俺、制服着てるね」
「今度は私服にする?」
「え、本当に…!?」
「ちゃちゃっと描くよ。余裕」
「…どの私服がいいかな」
「この間買ったやつでいいんじゃない? カッコイイジャケット買ったじゃん」
「でもあれ冬用だから、もう季節的におかしいんじゃない?」
「じゃあ、今度買い物行くか?」

さらりと出た俺の言葉に、由生の顔がみるみる明るくなっていきます。
そわそわと落ち着き無く布団の上で左右の指を組み合わせて絡めました。
そんな仕草が愉快で、俺もついつい笑ってしまいます。

「いや、でも…。先生に聞かないとさ…」
「そりゃそうだけどさ、すぐそこの横断報道渡った先にあるじゃん、服ある店。…まあ、専門店って感じじゃないしブランド店でもないけど、そこならいいんじゃない?…っていうか、駄目って言われたことないでしょ、ここから駅前くらいなら」

由生が入院しているこの病院は、大学病院です。
しかも、そんじょそこらの大学病院とは訳が違う。
国…というわけではないのですが、北は北海道南は沖縄の地方自治体が協力して設立した団体が運営しており、実際隣接している大学の方では毎年各都道府県から二名ずつ、優秀者を基本学費無料で推薦枠として医学部に入れるようになっているらしい。
敷地はかなり広く、病院やそれに不随する建物が建ち並んで渡り廊下で繋がっている他、レストラン街、スーパー、服屋、郵便局、コンビニ、ヘリポートなど、都心の病院なんかより田舎な分よっぽどあります。
勿論、敷地外の周辺もそれなりに栄えていました。
近くの元国鉄の駅名がこの病院の名前になる程度には大きい。
そして、そんな駅と病院の正面玄関とはあまり離れておらず、徒歩十五分か二十分といったところでした。
この程度の距離であれば、外出禁止なんてことはあまり無い。
それは由生が一番良く知っているはずでした。
だが、彼は照れ臭そうに笑い、今さっき告げた理由を口にします。

「でも、ほら…。期待して、駄目って言われたら哀しいじゃん。だから、まずは“駄目”って思っておいた方がいいだろ?」
「……」

そんなことを、哀しげに…ではなく、照れ臭そうに笑いながら言い、俺は笑顔を引っ込めてしまいました。
我慢とか自虐的とかな笑みでは一切ありません。
もうそんな浅い場所に、由生はいないのです。
叶うだけでなく、望むこと自体が、実は幸せで強欲なことだと無意識に学んでしまっているのでしょう。
そう思うと俺は哀しくなりかけますが、本人が哀しくないのなら、俺が哀しくなったってそれは同情です。
随分前にそれは止めると決めたから、俺は再度笑みました。
しかし脳天気に笑い飛ばすのは無理だったので、微笑で。

「駄目だったら、通販って手もあるだろ。春物は売ってる時期短いぞー?」
「ぱ、パソコン取ってパソコン!」
「どーこに置いたっけなー?」
「ちょ…戸棚の中って知ってるだろ…!」

慌て出す由生の声をからかいながら、たらたらとわざとゆっくりノートパソコンを戸棚から取りだし、サイドテーブルへ置きます。
コンセント入れてやって電源ボタンを押した段階で放置し、暫くはソファでスマフォを弄っていましたが、滅多にパソコンなど使わないせいで…しかも服の買い物なんて相当幅広いジャンル見ようとしてるわけですし…当然、WEB内で迷子になったようでした。
このご時世でこの年齢で、日常ネットすら弄らないというのだから驚きですが、“ハイテクよりもアナログが好き”というその好み自体、由生を少年の世界に留めている要因の一つであるから、俺は返っていいと思っています。
あんまり多くの楽しみを知っても、できないんじゃ返って辛いだけだと思いますし。
だったら知らない方がいいでしょうから、彼のご両親もネットをあまり推奨しないのでしょう。

「どこがいいか分かんない…」
「どれ。じゃあ俺がよく行くブランド見る?」
「やってー」

テーブルの上を、由生がパソコンこっちに押し退けます。
ソファを立って、傍まで行き、横からノートパソコンへ手を伸ばします。
カタカタとボードを打つ俺の指先を、妙味深そうにいつも由生は覗きます。

「ヒロ、打つの早いね」
「そう? 普通だよ」
「…パソコンって目が痛くなるから苦手だ」

両手の平で左右の目を擦りながら、小さくぼやきました。
…確かに、俺もパソコン始めた頃は苦手だったかもしれないと、思い起こした。
でも、それはもう本当に随分前だ。
小学生とかレベル。
例えば年齢が一緒でも、由生と俺やその他の同級生の間には、このように十年程度の差があるというわけです。
こんな表現は失礼でしょうが、小さな子どもを相手にしているような感覚が生じます。

「黒がカッコイイかな」
「あんまり薄着は止めた方がいいと思うよ」
「じゃあどれがいいかな」
「自分で決めなさい、自分で」
「えー」

間延びした声で批難するも、由生は一晩かけて服を選んだようでした。




後日、彼が選び、俺がGOサインを出した洋服が病室に届きましたが、それよりも先に主治医の外出許可が出て、学校にお情け程度に行ってもいいということに彼は狂喜乱舞していました。
 
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