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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第五十六話 クロプシュトック侯事件(その4)

■ 帝国暦486年5月26日  新無憂宮 バラ園 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

爆弾騒ぎの翌日、俺は宮中より呼び出しを受けた。フリードリヒ四世が会いたいといってきたのだ。俺にとっては好都合だった。朝、職場に行くとヴァレリーは食いつきそうな目で俺を睨んでいるし、他の連中も興味津々と言った態で俺を見ている。そのくせ俺が視線を向けるとさっと眼をそらすのだ。居心地の悪い事この上ない状況だ。

俺は飛び立つような勢いで宮中に向かった。もちろんヴァレリーは留守番だ、彼女を連れて行ったら説教が始まるのは眼に見えている。誓って言うが、俺は説教をされるような覚えは無い。昨日の爆弾事件は死傷者ゼロ、感謝される事はあっても説教は無しだ。

謁見室で礼でも言われるのかと思ったが、案に相違して案内されたのはバラ園だった。これは非公式の対面という事だろう、バラ園の外に警備兵はいるが、俺と皇帝の周囲には誰もいない。頼むから心臓発作なんて起こさんでくれよ、これ以上面倒には巻き込まれたくない。俺は皇帝に近づきひざまずいた。

皇帝は剪定ばさみを手にバラを見ている。そして時折はさみを入れ、枝を切っている。チラと俺を見たが手を止める事も無く話しかけてきた。
「礼を言うぞ、ヴァレンシュタイン。そなたのおかげで予の命は救われた、いや予だけではないな、他にも大勢が死なずにすんだ」
「恐れ入ります」

「先日も世話になった。よくオーディンを守ってくれた、重ねて礼をいう」
「はっ」
「そなたの事は、グリンメルスハウゼンより聞いておる。面白い若者だとあれは言っておったな」
「恐れ入ります。グリンメルスハウゼン閣下の事は残念でございました」
「うむ。そうじゃの……」

グリンメルスハウゼン。皇帝の闇の左手。結局あの老人は帝国暦486年を迎えることが出来なかった。第六次イゼルローン要塞攻防戦が終結し、俺達がオーディンに戻ったときには既に老人はこの世にはいなかった……。皇帝はあの老人の事を思い出したのだろうか、手を休め遠くを見ている。バラ園にたたずむ皇帝は奇妙なほど周囲に溶け込んでいる。

「クロプシュトック侯だが、大逆罪の未遂犯として討伐される事になった」
「……」
皇帝は視線をこちらに向け、話しかけてきた。
「指揮官も決まった。ブラウンシュバイク公がな、ぜひやらせてくれと言うのでな。昨夜のうちに言うてきた」
ブラウンシュバイク公か
「……」

「そなたと仲の悪いフレーゲル男爵も参加することになっておる。なんでも功を上げ罪を雪ぎたいと言っておったな」
皇帝の目が小さな笑いを浮かべているように見える。
「……」
「思い当たる節があるかな、ヴァレンシュタイン」
見間違いではないらしい。世の中食えない老人が多い。
「いささか、ございます」

「余り無茶をするでないぞ。グリンメルスハウゼンを悲しませるな」
「……」
俺は軽く頭を下げる事で答えた。
「何か望みが有るか」
「……では二つお願いがございます」
「二つか、欲張りじゃの」
皇帝は面白そうに答えた。

「一つは、ブラウンシュバイク公にクロプシュトック侯討伐に当っては軍規を正せと」
「ふむ、よかろう。で、もう一つは」
「出来ますれば、バラの花を一本いただければと」
途端に皇帝は笑い出した。

「確かにそなたは面白いの、グリンメルスハウゼンの言うとおりじゃ。バラの花か、今までバラの世話をしてきたが、花をねだられたのは初めてだの。しかも一本か? 恋人にでも渡すのか?」
「いえ、怖い部下がおりますので、そのご機嫌を取ろうと思いまして」

皇帝はますます上機嫌だ。誰もこのバラをねだらなかったのか? 結構綺麗なんだが。
「よかろう、持って行くが良い」
皇帝はバラの花を一本切ると俺に渡してくれた。
「さて、そろそろ謁見室に戻らなければならぬ。ヴァレンシュタイン、そなたも戻るが良い。楽しかったぞ」

皇帝と別れ宮殿を歩いているとリヒテンラーデ侯に呼び止められた。俺を待っていたのか?
「ヴァレンシュタイン中将、卿はバラを貰ったのか?」
「はい、それが何か?」
「大胆じゃの」
「? 誰もバラの花をねだった事が無いとお聞きしましたが」
「バラは陛下の唯一の御趣味じゃ。皆遠慮しておったのじゃ」
「……」
遠慮も程々にしたほうがいいぞ。

「陛下とのお話はいかがであった」
「礼を言われました。昨日の件と先日の件です」
「そうか、他には?」
「バラの話で終わりました」
俺のことを警戒しているらしい。権力者って悲しいよな。

「フレーゲル男爵の件、よくやってくれた」
「?」
「最近、妙に調子に乗りおっての。リッテンハイム侯が先日の一件でケチをつけたので、これからは自分達の時代だと考えおったらしい。跳ね上がりどもが」
苦々しげに顔を歪める。悪人面だな。

「ブラウンシュバイク公もそうお考えでしょうか」
「いや、そこまで楽観はしておるまい。厄介なのは本人よりもその周囲じゃ。これを機にのし上がろうとしておる」
「?」

「エリザベートが女帝となれば、ブラウンシュバイク家の次期当主の座が空く。フレーゲルの狙いは次のブラウンシュバイク公か、あるいは女帝夫君といったところかの。身の程知らずが!」
吐き捨てるようにリヒテンラーデ侯が言う。なるほど、可能性はあるな。しかし、あの阿呆が次期ブラウンシュバイク公?女帝夫君? 悪い冗談だな。ちょっとからかってやるか。

「そうなったら、侯はお払い箱ですね」
リヒテンラーデ侯がますます顔をしかめる。
「嫌な事をいうの、しかし卿とてただでは済むまい」
確かにその通りだ。ただでは済まないだろう。
「選択肢は一つしかないと思うが?」
こちらを探るような眼でリヒテンラーデ侯が俺を見る。誘っているのか?

「ミュッケンベルガー元帥はどうお考えかな」
「さて、小官には元帥閣下のお考えなど判りかねます」
「フフフ、慎重じゃの。それとも私を警戒しているのかの」
「……仕事がありますので、これで失礼します」
「うむ、ご苦労じゃな」
一瞬、苛立たしげな眼をしたな。焦っているのか。

リヒテンラーデ侯の狙いはミュッケンベルガー元帥と組んでエルウィン・ヨーゼフの擁立か。今のままならそうなるが、不確定要素はラインハルトがどうなるかだ。後二つ勝てば元帥になるが、勝てるだろうか。能力は問題無い、後は同盟の出方次第、それと運だな。


■ 帝国暦486年5月26日  兵站統括部第三局  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

中将が戻ってきた。私にバラの花を一本渡す。何のつもり?
「皇帝陛下のバラ園から頂いてきました。もちろん陛下のお許しは得ています。いつも頑張ってくれてますからね。お礼です」
皇帝陛下のバラ! なんて事すんのよ、この阿呆。周りの視線が一気に私に集中する。

帝国では前線に女性兵は出さない。その分だけ後方の女性兵の比率は高い。当然兵站統括部も同様だ。いや、軍務省や統帥本部と比べても多いらしい。女性兵達にとって軍隊は出会いの場所でもある。その点で兵站統括部の女性兵たちは恵まれていない。此処は決してエリートが集まる部署ではないのだ。軍務省や統帥本部の女性兵たちに比べ明らかに不利な状態にあり、そのため彼女たちは不満を持っていた。

そんなときにヴァレンシュタイン中将が現れた。士官学校を優秀な成績で卒業、帝国文官試験合格、おまけに歳は十六歳、少尉として任官したときから彼は兵站統括部のアイドルだった。軍務省や統帥本部の女性兵たちが泣いて悔しがったと言うから凄い。中将が兵站統括部を離れたときは悲嘆に暮れたらしいが、今度は出世して戻ってきた。彼女たちが色めき立ったのは言うまでも無い。

そんな彼女たちにとって私は間違いなくお邪魔虫。亡命者、副官、戦場にも付いて行くのだ、とても許せる存在ではないだろう。おまけに階級は少佐。帝国ではほとんどの女性兵が下士官でごく僅かしか士官がいない。この兵站統括部でも私以上の階級を持つ女性兵はごく僅かだ。

「有難うございます。閣下」
周りの視線を一身に浴びながら答える。視線ってこんなに痛いものなの?
「陛下からバラをいただいたのは、これが最初だそうですよ。大事にしてください」
「はい」

わざとだ、きっとそうに違いない。昨日の事をとっちめられないように先手を打ってきたのだ。強まる視線の中、私は必死に微笑みを浮かべ嬉しそうにした。私にも意地がある。この程度の視線でへこたれはしない。残念ね、私は副官だから大切にしてもらえるの、お判り、皆さん。




 
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