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藤崎京之介怪異譚

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last case.「永遠の想い」
  Ⅶ 同日 PM3:41



 夕に染まる部屋。夕陽の紅と影の黒…まるでそれしか色が無いように感じる。
「最期にしよう…。これで終わりだ。」
 その部屋の中、俺は一人呟いた。
 そこは恰も過去の風景でも見ているようで、俺は俺に現実だと言い聞かせるために言ったも同然だった。が…その呟きに答えたものがあった。
「そうかなぁ?折角の贈り物、気に入ってくれなかったみたいだけど。」
 その声…それは正しく奴の声だった。
「来たか。」
 俺はそう返し、静かに後ろへと振り返った。
 確かに、そこには奴がいた。田邊の体を奪った奴が…。だが、そこに立っていたのは、今までとは全く雰囲気を異にしていた。
 田邊は普段から服装には気を使い、あまり華美なものは好まなかった。それがどうだ…絶対にはかなかったジーパンに柄物のワイシャツ…。それも前をはだけ、耳にはピアスまで着けている。まるで女を誘うかの様な風体だ。
「あ、これ?驚いてくれた?この格好って、結構女受けするみたいでさ。これに変えたら、あっと言う間に二十人は抱けたよ。」
「ふざけるな!その体を弄ぶのは止めろ!」
「あれあれ?もしかしてやきもちってやつ?嫌だなぁ。言ってくれたら、いつでも相手したのにぃ。」
「止めろ!」
「おやおや。止めることも出来なきゃこいつの気持ちにも答えられない君に、一体何が出来るのかなぁ?ほら、こいつの体、こんなにいいんだゼ?女も男もよかったってよ。ほんと、良い器を拾ったよ!」
「お前…一体何を…。」
 俺は奴のいやらしい笑みに驚愕した。今更ながら、俺は奴が田邊の体をどういう風に利用していたか思い知らされた…。俺達が探している間、奴は目立たない所で…。
 俺が何も言えなくなった所へ、奴は上着を脱ぎ捨てて続けた。
「どうだい?もうこの体は清くなんてない。もう何人抱いたか分からないからねぇ。そして…何人殺っちゃったかも覚えてないよ。」
「お前…!」
 俺は今まで感じたことのない凄まじい怒りを覚えた。確かに…目の前の奴は悪霊だ。堕ちた御使い…。自らの欲求に忠実で、人々を堕落へと導く…。
「ほら、見てやれよ。お前と寝たいがために鍛えたんだとさ。在りもしない幻見てるより、手っ取り早く端からやっちゃえば良かったんだよなぁ?」
「もう止めてくれ!何故だ?何故…田邊なんだ!?」
 俺は床に膝をついて言った。すると、奴はニタリと笑みを溢して答えた。
「君が唯一、性を考えずに愛した弟子だからだ。性も欲求もなく、それを飛び越えて愛してた奴だ。だから奪ったんだよ。」
「…っ!?」
 俺は何も言い返せなかった。確かに…俺は田邊を家族、弟子、友人として愛していた。彼は常に俺の傍らに立ち、俺にとってそれは当たり前だったんだ。田邊がいたから、俺は女に現を抜かすこともなかった…。田邊がいたから…俺は音楽に打ち込めていたんだ…。
「どうだい?それを私が全て奪ってやった。憎いかい?殺したいほど憎いだろ?」
 いけない…これは奴の罠だ。だが、そうと分かっていても、自分の心は偽れない。
 俺は正直、腸が煮えくり返る程だった。田邊の体だけでなく、その精神までも汚した奴を、俺は到底許すことなど出来ない…。
 今まで、俺の中にこんな感情があるなんて思いもしなかった。だから…それを抑え込む自身が…俺にはない…。
 だがその時、不意に頭に直接声が響いた。

- 先生。僕はどんなに汚されても、貴方を救えるのだったら喜んで汚されます。貴方の芸術が守れるのだったら、僕は永遠の滅びさえ受け入れます。 -

 その声は…田邊のものだった。目の前にいる薄汚い獣でなく、本物の田邊の声…。
「田邊…?」
 俺がそう呟いた時、目の前で奴が苦しみ出した。
「クソッ!何故だ!?あんな役にも立たない男の前で、何故だ!?他の人間共を犯している時は、お前は表に出ようともしなかったってのにっ!」
 奴の顔は苦痛に歪み、全身から汗を吹き出しながら膝をついた。
 その様子から、俺は田邊が中で戦っているのだと感じ、再び「田邊。」と呼んで近付いた。すると、奴はカッと目を見開いて叫んだ。
「寄るな!」
 奴はそう言うや立ち上がり、そのまま部屋を飛び出したのだった。
 俺は奴を追って駆け出し、その後を見失わぬように走った。だが奴の足は速く、直ぐにその影を見失ってしまったのだった。
「藤崎君!こんなところで何をしてるんだ!?」
 俺が立ち止まって奴を探していた時、向こうからメスターラー氏がやってきてたため、俺はそれまでの経緯を彼に話した。
「向こうから私が来たとき、それらしい姿は見なかった。だとしたら…上だな。」
「鐘楼…!」
 この中央大聖堂の最上階には、三つの鐘がついた大きな鐘楼がある。逃げるには不向きとも思えるが、恐らくは当たりだ。下には聖職者が山ほど居り、いくら悪霊でも全員を相手には出来ないだろうしな…。
 俺とメスターラー氏は、すぐさま鐘楼へと走った。奴が何を考えてるかなんて知る由もないが、兎に角追い付かなくてはならないのだ。
 俺達は数分もせずにそこへ辿り着くと、そこに奴はいた。
 そこは他の教会などの鐘楼よりもかなり広い。何故このように広く作られたかは知らないが、端には腰より少し低い壁がある。それを見て俺は、まるで城にある塔の様だと思った。
 その中で、奴は蒼い顔をして壁に寄り掛かっている。
 俺とメスターラー氏は、暫く奴と睨み合っていたいたが、全く攻撃を見せる素振りは見せなかった。
 それはまるで止まっているような…。そう、何もしないのではなく、何も出来ないのだ。
「そうか…叔父様達が…。」
 下では音楽が始まったのだ。耳を澄ませば、各建物から響く声…。それに合わせるかの様に、メスターラー氏は聖書聖句を朗読し始めた。聖書そのものに興味はなかった筈だが、どうやら諳じているようで、彼は淀みなくそれを口にしていた。
 奴はその中にあって、その蒼い顔を信じられないと言った風に歪めて呟いた。
「な…なぜだ…。そんなバカな…!」
 その時、奴は今まではない程の苦痛で身を捩った。すると、その横に微かにもう一人の田邊の姿が浮かび上がった。
「田邊…!?」
 確かに…それはもう一人の田邊だった。
 俺が目を見開いて彼を見ていると、不意にこちらへと顔を向け、淋しげに微笑んだ。
「貴様ぁ…何故だ!」
 苦痛に喘ぐ田邊の肉体。それは悪霊そのものに与えられた苦痛のようだった。そして、淡く浮かび上がる田邊は奴を見て冷ややかに言った。
「お前は僕の肉体を奪った。だから…僕はお前の陰を奪った。」
 そう言われた奴…悪霊は目を大きく見開いた。
「バカな!人間ごときにそんな…!」
 苦痛の中、奴は驚愕…いや、恐怖した。
 悪霊…太古の霊とは、いわば肉体のない精神体。陰とは、その精神体そのものを指して言ったのだ。故に、奴はその表情を戦慄で覆ったのだ。
「人間ごとき…ですか。太古から生きていたわりには、大したことは言えないんですね。」
「この我を愚弄するか!」
「ええ、無論です。人間の精神を侮ったあなたの負けです。」
 田邊は悪霊にそう言うや、その手を以前は自分だった肉体へと伸ばした。
「ま…まさか…自分の肉体を犠牲にして私を自由にし…その間に…。」
「その通りです。だから…この大聖堂だけは立っている。ここが崩落することはありません。あなたがここにかけた呪詛は、全てあなた自身に返ります。」
「や…やめろ!」
 悪霊は田邊から少しでも逃れようとしたが、苦痛に耐えられずに床へと倒れた。
「無駄です。もう終わりの時なのだから…。」
 悪霊は尚もその手から逃れようともがき、壁際に沿って這っている。
 しかし…田邊は一体何をしようというのだ?俺には全く理解出来ないでいたが、メスターラー氏はそれに気付いた様で田邊に向かって叫んだ。
「止めるんだ!そんなことをしたら、君まで滅んでしまうじゃないか!」
 滅ぶ…?メスターラー氏は、一体何を言っているんだ…?
「田邊…?」
 俺はそう言って田邊を見ると、その顔には穏やかな笑みを見せていた。
「先生。僕は貴方が好きでした。心から尊敬し…愛していました。こんなこと言うなんて…一生無いと思ってましたけど。」
「言うな…それ以上言うな!君が戻ってきてくれるなら俺は…」
「いえ、もう無理なんです…。だから…最後まで言わせて下さい。」
 苦痛に苛まれた悪霊に手を置き、田邊は再び口を開いた。
 それはまるで…死に逝く者の告解だった。
「僕は貴方の一番でありたかった。寧ろ…貴方の所有物でありたかった…。貴方の温もりが欲しかった…。たとえそれが罪だとしても…貴方だけに愛されたいと…ずっと思っていたんです。けれど…告げれば全て消え去ってしまう。それを分かっていたから…貴方の傍に…ずっと貴方の横に立っていれたらと…。」
 そこで田邊は言葉を区切り、まるで在りし日々を思い出すかの様に空を見上げた。
「あの時、河内さんが僕を突き飛ばしてくれければ、三人もろとも瓦礫の下敷きになってました。河内さんも…貴方の一番でありたかったんだと思います。でも僕とは違い、貴方の音楽の友として、親友として一番でありたかったんです。きっと…一番じゃなければダメだと思ったことが…罪だったのかも知れません…。」
 田邊は…泣いていた。俺は彼のそんな顔…見たことなんてなかった。
 自分との葛藤…これから消え逝く者の後悔…。
「嫌だ…嫌だ!田邊、逝くな!」
 俺は声を上げた。もう…大切な人を失うのは嫌なんだ。
 これはただのエゴかも知れない。今、田邊を彼が思うような対象として見ることは出来ない。それでも…彼を喪うことなんて考えられない…。
「先生…いえ、京之介さん。その言葉だけで充分です。」
 そう言うや、微かに浮かんでいた田邊の姿は淡雪の様に消え去ってしまった。
 すると、田邊の肉体を支配している悪霊が、今まで以上に苦しみの声を上げた。
「止めろっ!」
 もはや立つことも出来ない様で、悪霊は床の上でのたうち回っていたが、そこに冷静な田邊の声が響いた。

- もう終わりです。さぁ…ゆきましょう。 -

 それは先と同じく、頭の中へと直接響く様な声だった。だが、俺はそれを聞いて直感して叫んだ。
「止めるんだ、田邊!そんなことしたら…」

- これで良いです。これで…。 -

 そう聞こえたかと思うや、田邊の肉体は苦痛から解放されたようにスッと立ち上がり、壁の上へと飛び乗った。
 俺とメスターラー氏は田邊を止めようと駆け出したが、駆け寄るより早く彼はその手をすり抜け、その身を空へと投げ出した。
「陸っ!」
 俺は彼の名を叫んだ。落ち行く彼は、その顔に至福の笑みを浮かべたが…。
「見るな!」
 彼が地へと激突する瞬間、メスターラー氏が俺を引き寄せた。
「君に…これ以上の傷をつける必要はない。」
 メスターラー氏は俺を抱き、そう呟いた…。
 どれだけそうしていただろう…。俺とメスターラー氏が座り込んでいた所へ、宣仁叔父が駆け付けて来てくれた。
「叔父様…。」
「解っている。彼は…逝ったよ。悪霊を道連れにな。」
 そう言って、宣仁叔父は静かに俺の前へとしゃがんで言った。
「京之介。悪霊共は人の心や体を操るだけではない。こうして大切な者を奪い、自分の所へと引き寄せようとしている。お前は…耐えられるか?」
 それは重い問いだった。メスターラー氏は何も言わないが、俺の肩に置いた手に力が入っているのが分かる。
 だが、俺はその問いに直ぐに答えることが出来なかった。この状況で、それに対して明確に答えるられる者なんていないと思う。それも…俺がその中心なのだ…。
 たとえここで無理だと答えようとも、これから逃げることなんて出来はしない。生きているうちは、それに抗い続けなくてはならないのだ…。
 そんな俺を見かねて、メスターラー氏が宣仁叔父へと言った。
「彼は疲弊しています。それに友を亡くしたばかりなのだから、今は…」
「いや、今だからこそ聞かねばならない。京之介には…悪いと思ってはいる。しかし、これは終わりではないのだから…。」
 宣仁叔父の表情は苦しそうだった。
 だがその刹那、俺の心に田邊の笑顔が浮かんだ。それは最期の笑みではなく、傍らで音楽をしたり事件を調査していた時の笑顔…。そして思った。
今の俺は、あの時彼に想われた俺なのか?
 今のこんな俺を田邊が見たら、きっと怒るに違いない。先生、何やってるんですか!…何て聞こえてきそうだ。
 だが彼は今、下で冷たくなっている。その彼が俺を…多くの人々を守って逝った。少なくとも、そんな彼に答える義務が俺にはある。
「どこまでも…戦い続けます。今言えるのは、それだけです。」
 俺が顔を上げてそう言うと宣仁叔父は静かに頷き、俺とメスターラー氏を立たせ、そして共に何も言わずに下へと降りたのだった。

 夕の陽射しも和らぎ、風が冷たくなってきた…。空は藍と紅が拮抗し、そこへ幾つかの星が姿を見せている。
 下へと降りる直前に見上げたその空は、まるで田邊の死を哀れんでいるようで…涙が一筋零れた…。



 
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