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藤崎京之介怪異譚

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last case.「永遠の想い」
  Ⅳ 5.2.PM1:36



 この日は珍しく雨だった。この地方は、五月にはあまり雨は降らない。
 そんな雨の中、一人の青年が俺を訪ねて大聖堂へとやってきた。
「京兄、お久しぶりです。」
「お前…何でここにいるんだよ!?」
 部屋の扉をノックされたため開けてみると、目の前には…八年間顔を合わせていなかった末の弟が立っていたのだった…。
 彼の名は綾・セバスティアン・藤崎。綾は「あや」と読みたくなるが、実は「りょう」と発音する。
 綾は十三の時、ドイツの親戚を頼って渡独してからずっとこっちにいた。そこは大学まで日本だった上三人とは違う。独立心旺盛なのか、はたまた…あれに感付いていたのか…。
 あれ…とは、実は綾は養子なのだ。実の両親は家の親と親友で、綾が一歳になる頃に事故で二人共に他界してしまったのだ。
 綾の実の両親は共に天涯孤独で、見兼ねた父が母と相談して引き取ることにしたんだ。
 綾の両親は父が日本人で母がオーストリア人だったため、家族の中にあっても自然だったことが救いだった。
 そんな弟だが、やはり楽器をやっている。綾が得意とするのは木管楽器で、特にフルートが好きなようだ。
 美桜はヴァイオリン、奏夜はピアノ、綾がフルートなんだが…皆、現代楽器なわけで、古楽はやはり俺だけなんだよな…。
「京兄?末の弟がわざわざ心配して来たのに…そんなこと言うんだ…。」
 寂しげに俯きつつそう言う綾。だが、次の瞬間…。
「このバカ兄貴!こっちは心配で心配で夜もろくに眠ってらんないんだよ!全く京兄は何でもかんでも頭突っ込んで、一体何がしたいのさ!これだから…」
 始まった…。綾は怒ると、延々と説教するんだよな…。
 暫くそれを聞いていると、奥からアウグスト伯父が来てくれたのだった。
「綾じゃないかね!おぉ、こんなに大きくうなって。オネショは治ったんかいのぅ。」
「…!この歳になってするわけありません!大伯父様!」
 そう言って綾は真っ赤になった。
 綾はアウグスト伯父を「大伯父様」と呼んでいる。宣仁叔父は単に「叔父様」だが、歳上と言うことで分かりやすく“大"を付けたのだろう。
「ふぉっふぉっ!元気なのも変わらんのぅ。さて、こんな場所で立ち話せんでも、部屋へ行ってゆっくり話せば良かろうに。茶を淹れて行くから、二人共部屋へ入っとれ。」
 アウグスト伯父に言われ、俺は苦笑しつつ綾を部屋へと招き入れた。
 部屋へ入って暫くは他愛無い話しをしていた。それこそ、綾はこの八年がどういうものであったかを延々と話続けていた…。
 だが、そんな綾を見ていると、何だかんだ言っても家族だなぁ…と思って少し感傷的になってしまった。
「お、綾じゃねぇか!何だ、伯父様も言ってくれりゃいいのに…。」
 そう言いながら入って来たのは奏夜で、どうやらアウグスト伯父にお茶を運ぶよう言われたようだ。
「あ、奏兄だ!奏兄もこっち来てたんだ。」
「来てちゃ悪ぃかよ。」
 奏夜は苦笑しつつ、そう綾に言いながらお茶をテーブルへと置いた。
「あ…そう言えば、宣仁叔父が昨日くれたバターケーキあったじゃん。」
「そうだったな。」
 奏夜に言われ、俺は席を立って戸棚からそれを取り出した。
 そのバターケーキは日本のそれとは違い、大きめのクグロフ型で焼き上げたものだ。信徒の方の手作りだそうで、素朴ながら香り豊かなバターケーキだ。
「良い香りですね。」
 綾はそう言いながらも目を輝かせていた。綾は昔から甘いものには目がない。俺も奏夜も甘いものは好きだが、綾に比べれば食べる量は断然少ない。
 そんな甘党の綾なのだが、なぜか全く太らない。美桜はそれを見て地団駄を踏み、物凄く羨ましがったらしいが…。
 さて、俺はバターケーキを人数分取り分けると、それを皿に移してテーブルへと置いた。無論、綾の分は多目にしてある。
「それじゃ、頂きます!」
 そう言って最初に綾がそれを嬉しそうに頬張った。
 そんな綾の姿を見て、何だかホッとした気持ちになった。これが本当の日常なのだ。永久に続かぬ刹那の幻であっても、俺はこんなささやかなひとときを嬉しいと感じてしまう。ただの感傷とは解っていても…。
「お、やっとるのぅ。どれ、わしも入れてもらうかの。」
 そう言ってアウグスト伯父が部屋へと入り、笑いながら空いている席へと座った。そんな伯父の前に、俺は静かにお茶とバターケーキを置いた。
「やはり良い香りじゃのぅ。」
 伯父はそう言うとお茶を啜った。
「こりゃ良いウバじゃ。」
「はい。これは父さんが送ってくれたものですから。」
「そうだったのぅ。あやつ、今はスリランカじゃったか。」
 伯父はそう言って再びお茶を啜ってから言った。
「して、綾は何故ここへ来たんじゃ?」
 不意に問われた綾は少し戸惑っていたが、直ぐにアウグスト伯父へと返した。
「京兄が大変だって分かったから、僕に出来ることはないかと思ったんです。足手纏いになるかも…と考えもしましたが、一人で考え込んでも仕方無いので、先ずは行動しようって思ったんです。」
 それを聞くや、俺達は全員で溜め息を洩らした。
「綾。お前、デルフト夫妻には何て言って出てきたんだ?」
 俺が言った「デルフト夫妻」とは、父と母の共通の友人で、綾が現在お世話になっている方だ。
 綾がドイツで学びたいと言い出した時、その我が儘を笑って協力してくれた方で、夫妻共に大学教授だ。夫のトーマスは画家で、世界でも名の知れた人だ。彼の講義は常に満席だと聞いているが、母もそれに参加したことがあるらしい…。妻のヘレンは文学で、幾つかの古典文学の論文で賞を受けているとか。ゲーテの詩集をこよなく愛する人らしく、綾の手紙にそのことが綴られていた…。
 夫妻には三人の子供がいるが、家族で音楽が好きらしく、演奏会に度々来ていた縁で父と親しくなった。母とは教会で一緒に仕事をしたことが切っ掛けになったそうだが、それが十代前半のこと。母の方が付き合いが長いのだ。
「兄が大変なことになっているらしいので、ちょっと様子を見に行ってきますと。」
「…。」
 綾の答えに、一同は呆気に取られた。まぁ、こんなんじゃないかとは思ったけど、そんな風に言って出てきたら、あちらにも心配が掛かるじゃないか…。きっと今頃は母が行ってる気がするけど。
 綾はいつもこんな感じだし、ここで帰れと言ったところで言うことは聞かないだろうしなぁ…。
 しかし、ここへ居させれば綾にまで危険が及ぶだろう。綾は俺がどんなことをしているか正確には知らない。話してないんだ。
 俺は仕方無いと言った風に溜め息を吐いて言った。
「仕方が無いから、暫くはこっちにいていい。」
「本当ですか!?」
 綾は目を三倍は輝かせ、俺をジッと見詰めた。きっと帰れと言うと思ったんだろう。こっちは渋々だってのに、全く暢気な弟だよ…。
「だが、この大聖堂に寝泊まりは出来ない。お前は隣町のホテルに泊まれ。奏夜もそこへ泊まってるから、これといって心配することはない。」
「えぇ!この町、泊まるとこ無いんですか?」
「そうだ。ま、嫌と言うなら帰ってもらうが?」
 俺がそう言うと、綾はシュンとして「分かりました…。」と、本当に仕方無いと言った風に返した。
 すると、そんな綾を見て奏夜が言った。
「わざわざ同じホテルで別部屋とらんでも、俺んとこ来ればいいじゃん。広い部屋取ってるし、綾一人くらい余裕だっての。」
「え…。奏兄、昼夜問わず煩いじゃないですか…。」
 綾は露骨に嫌な顔をして奏夜を見た。言われた奏夜は顔を引き攣らせ綾へと返した。
「おい!人様に迷惑掛けといて煩いとは何だっての!タダで泊まれんだからいいじゃんかよ!文句言える立場かっての!」
 すごい勢いで言われた綾は観念したように項垂れ、先の提案を受け入れたのであった。
 こんな二人だが、別に仲が悪いというわけではない。ただ…奏夜は作曲家故か、彼の私生活に朝も夜もない。曲想が浮かんだが最後、突然楽器を鳴らし始めてしまうのだから、それが真夜中であろうものなら眠れやしない。無論、ホテルの部屋は防音になっているが、一緒に泊まるとなれば覚悟が必要…と言うことだ。彼女がいないのも頷けるな。俺もいないけどさ…。
 決まったら即実行とばかり、奏夜は綾の荷物を持って綾をホテルへと連れていくことになった。
「そんじゃ、俺は取り敢えず綾を部屋に連れてくから。」
「えっ!?もう行くの?」
「ほら、兄貴は逃げやしねぇから立った立った。」
 そう言われ、綾は渋々席を立った。
「京兄、後で電話しますので…。」
「分かったよ。それじゃ、奏夜。綾を頼んだぞ。」
「任せとけって!んじゃ、行くぞ!」
 そうして二人は部屋を出た。綾は捕まった犯人よろしく、項垂れながら奏夜の後に付き従って行ったのだが。
 二人が立ち去って暫く、俺とアウグスト伯父はお茶を楽しんでいたが、その時、俺はアウグスト伯父へとある考えを口にした。
「伯父様。僕、ここを離れてみようかと思うんです。」
「何故じゃ?前にも言ったが、迷惑だなどと思っておるのじゃったら…」
「いや、そうではないんです。ただ…僕がここに居ることで、無関係な人達を巻き込むと考えたんです…。」
 俺はそう言ってからお茶を啜った。伯父はそんな俺を見て、一つ溜め息を洩らしてから口を開いた。
「京之介。お前の想いは解るが、どこへ行っても同じじゃ。奴等は何処へでも行き、何処ででも禍を振り撒く。それは誰にも止められんよ。」
 アウグスト伯父はそう言うが、やはり…ここでの事件は俺も一つの要因だったと思う。それを考えると居た堪らない。だから、俺はとある山中にある修道院跡にでも隠ろうかと考えたんだ…。
 そんな俺の考えを知ってか、アウグスト伯父は強い口調で俺に言った。
「エマヌエル。今のお前に心を弱くしている余裕などない。そんなことを考えとる暇があったら、演奏のことを考えんかい!町の楽団からも指揮の依頼が入っとるし、聖マタイ教会からもオルガンの定期演奏を続けてほしいと言われとるんじゃ。馬鹿な考え休むに似たり…日本ではそう言う言葉があるのじゃろ?今のお前にピッタリじゃわい。」
 アウグスト伯父が珍しくセカンド・ネームで俺を呼んだ。アウグスト伯父がセカンド・ネームで呼ぶときは、決まって本気で怒ったり心配してくれたりしている証拠だ。
「伯父様…ちょっと酷いんじゃないですか?」
「何を言っとるか、若僧が。」
 そう言いながらも、アウグスト伯父は笑っていた。伯父には敵わないな…全く。
「それじゃ、僕はこれから町の楽団に顔を出してきます。」
「その意気じゃ。」
 アウグスト伯父はそう言い、そして微笑みながらお茶を飲み干したのだった。



 
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