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藤崎京之介怪異譚

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last case.「永遠の想い」
  Ⅱ 4.25.PM6:57



 俺はメスターラー氏に誘われ、奏夜と共に三人で町へ出ていた。
 奏夜がこちらへ来てから十日以上経つが、これといって進展はない。
「兄貴。こんだけ調べて何も出てこないなんて…返っておかしくないか?」
「まぁ…な。だからといって、ここで慌てても空回りするだけだ。」
「そりゃ…分かってるけどよぅ…。こう何も無ぇんじゃ、俺は何を報告すりゃ良いんだ?」
「それは自力でどうにかしろ…。こっちだって何も分かってないんだし、ゴッドフリートの妻の遺体すら見付かってない。警察に一応は遺体盗難の届けは出してあるが、先ず見付からないだろうしなぁ。」
 メスターラー氏にも全て話してあるが、彼も同意見だった。
「この件も、私は人智を越えたものだと思っている。だが、あれだけ騒ぎを起こしておきながら、ここへきて何も無いとは…どうかとも思うんだがねぇ…。」
 俺達の会話に、前を歩いていたメスターラー氏が答えた。
 俺達もそうは思ってはいるが、それを解く鍵が全くもって見付からない。メスターラー氏もそれは分かってる筈だが、言わずにはいられなかったのだろう…。
「私は暫くこの町を離れますから。」
 いきなりそう言われ、俺達は面食らった。
「どうしてですか?」
「いや、この町の周辺は一通り調べ尽くしたから。後は関連性のあるケルン、ライプツィヒ、それにベルリン辺りを回り、類似事件がないかを調べようとね。」
 彼にそう言われ、俺は少し訝しく思った。何故なら、彼はもうその周辺を調査しているのだから。
「確か…そこはもう調査済みでは?」
 俺の考えが読めたのか、奏夜がメスターラー氏に問い掛けた。メスターラー氏はその問いに苦笑しつつ答えた。
「全て調べられた訳ではないんだ。前回はあまり時間が無かったんで、今回は調べきれなかった部分を調査してこようと思ったんだよ。」
 確かに…前回は大急ぎで情報収集せねばならず、腰を据えて調査…などと悠長なことは言ってられなかったからな…。
「どのくらいで戻られますか?」
「一週間程でどうにかなるだろう。一応連絡はいれるが、こちらで何かあれば直ぐに連絡してほしい。ま、無いに限るがな。」
「分かりました。」
 俺がそう返答した時、黙っていた奏夜が口を開いた。
「俺も同行していいか?」
 そう言われたメスターラー氏は、最初困った表情を見せた。
 以前にも言ったが、メスターラー氏は大学教授でもある。そのため、奏夜が一緒だと何かと都合が悪いこともあるのだろう。
 メスターラー氏は古文学、考古学の教授であり、それで教会や聖堂の古文書にも触れられる。そこへ奏夜がついて行ったのなら、閲覧に規制がかかる可能性がかなり高い…。
 それを知ってか、奏夜はニッと笑みを見せて言った。
「こっちにも多くの知人がいる。ケルンにもライプツィヒにもベルリンにもな。こう見えても結構有名なんだぜ?俺のツテも、それなりに役に立つんじゃないか?」
 奏夜にそう言われると、メスターラー氏は少し考えてから「分かった。」と一言だけ言ったのだった。
 俺達は暫く黙ったまま町を歩いた。目的地にはそろそろ着く筈だったが、その手前で足を止めることになった。前を歩いていたメスターラー氏が、何かに気付いて足を止めたからだ。
「どうされたんです?」
 俺がそう囁く様に問うと、メスターラー氏は「聞こえなかったか?」と問い返されたため、俺は訝しく思いながらも耳を澄ました。
 ここは町中だ。周囲を見ても特に変わった様子はなく、聞こえるのも雑踏特有の雑音ばかり…。奏夜も何だか分からない風で首を傾げていたが、次の瞬間、その雑音の中に悲鳴が上がったのだった。
 悲鳴が上がるや否や、メスターラー氏は直ぐに走り出し、俺と奏夜も後に続いて走り出した。
 大通りから小さな路地へと入ると、そこには中世を彷彿とさせる石畳になっていた。周囲は煉瓦造りの家々が並び、まるでタイムスリップしたかの様な感じがする。
 その細い石畳の通路の真ん中に、一人の女性らしき人物が後ろ向きで座り込んでいた。恐らく、この女性が悲鳴を上げたのだろうと、俺達はその女性へと歩み寄った。
「どうされましたか?」
 メスターラー氏が最初にそう声を掛けたが、全く返事がない。そのため、俺達は前へ進むと、その状況に驚愕することになった。
「うっ…!」
 奏夜は見たものに嫌悪し、壁際へ駆け寄って嘔吐してしまった。幸か不幸か…俺とメスターラー氏は、こういうものに慣れてしまっていたため平気ではあったが…。
「これは…どうしてこんな…。」
 それを見て、俺はそう言うしかなかった。だが、それに答えられる者はいないだろう…。
 その女性らしき人物…その前半分が焼けて炭化し、一部は崩れ落ちていた。追い風であったため、俺達はその臭気に気付かなかったのだ。
「悲鳴聞いてまだそんな時間経ってねぇのに…どうなってんだ?それ見た奴が悲鳴上げたんじゃねぇのか…?」
 蒼い顔をして奏夜はそう言うが、メスターラー氏は首を横に振ってそれを否定した。
「この女性が声の主だ。亡くなって間もないからな。尤も、もっと早い時分に亡くなっていれば、当に警察が来ている筈だ。人少なな路地裏であっても、全く人影が皆無と言う訳じゃないからな。」
 そう言うや、メスターラー氏は携帯でどこかへ連絡を入れた。恐らくは警察だろう。
「兄貴…兄貴の回りじゃ、こんなことがずっとあったんかよ…。」
 奏夜が問う。俺がどんな事件に巻き込まれてるかは話に聞いても、その中でどんなものを見てきたかは知らないからな…。
「そうだ。」
 俺は一言だけ返した。奏夜はそれで理解したようで、その後は何も言わなかった。ま、ここで一から話している余裕など無かったのだが…。
 そうしている間にも、メスターラー氏は遺体を調べていた。無論、警察の迷惑にならない程度…ではあるが。
 数分もすると、複数の警官がここへとやって来た。俺は端によけて警官を見ていたが、その中に見知った顔を見付けた。
「プフォルツ警部!?」
 俺がそう言うや、彼は直ぐに俺を見付け、苦笑しながらこちらへと歩み寄ってきた。
「お久し振りです。」
「警部…何でここに?」
 俺は不思議に思って彼に聞いた。彼は基本、失踪者の追求などが主な仕事だと聞いている。殺人事件は管轄外だったはずなんだが…。
「あれから色々ありまして、私はこういった奇怪な事件を専門に扱う部所へ移動となったんです…。」
「奇怪な…って、もしかしてあの事件が切っ掛けで?」
「そうです。ですが…表向きは無い部所なんです。まさかオカルトに税金使ってるなんて市民に知れたら…それこそどうなるか…。」
 プフォルツ警部はそう言って深い溜め息を洩らした。
 俺がプフォルツ警部と話終えた時、他の警官は遺体の調査を始めていた。この警官達も、勿論ながら同じ部所の人間なんだろう。こういった遺体も見慣れている様子だ。
 まぁ、こんな閑な町でも火事はあるし、数は少ないとは言え焼死体を見たことはあるだろう。
 とは言え、それとこれとでは違う。前半分だけが炭化するまで焼かれ、後は燃えた形跡すらなくそのままなのだから…。
「警部、あれをどう見ますか?」
 俺とプフォルツ警部の所に、さっきまであちこち調査していたメスターラー氏が来て言った。それに対し、プフォルツ警部は頭を掻きながら言った。
「メスターラー君。これを通報してきたのは君だね?」
「そうですよ。町を歩いていたら悲鳴が聞こえたので、私は直ぐに藤崎兄弟と共にここへ駆けつけました。ですが…ついた時にはもうこの有り様でした。」
「藤崎…兄弟?」
 メスターラー氏の言葉に、プフォルツ警部は首を傾げた。どうやら、俺に兄弟がいることを知らないらしい。またどうでもいいことに反応するなぁ…。
 俺はそんなプフォルツ警部に、未だ壁際へ踞っている弟を指差して言った。
「あそこで踞っているのが、俺の弟の奏夜ですよ。」
 プフォルツ警部が俺が指差す方を見た時、奏夜は何とか顔を上げて会釈した。会話を聞いていたようだ。
「兄弟そろって美形とは…世の中不公平だ…。」
 プフォルツ警部はボソリとそう呟いたが、俺達は聞き流すことにしたのだった。
 そうは言っても、当のプフォルツ警部の容姿は、彼が思うほど悪くはないのだが、奥方がその容姿を窘めたらしい。なら結婚しなきゃ良かったと思うのだが、今はそんなことを考えている場合じゃないな…。
 俺達が話している間に、どうやら大方の調査は済んだらしく、検死官らしき人物が警部の所へと報告したのだが…。
「何?不明による焼死だと?そんな理由があるか!」
「警部。そう仰られても、私としましても説明がつかないのです。どうも内側から燃焼したようなので…。こんな遺体は初めてです。」
 初老の検死官はそう言って頭を抱えた。まぁ、その検死官だけでなく、聞いていたプフォルツ警部も同じなのだが。
「内側から燃焼した…ねぇ。一先ずは事故で処理するしかないかな。まぁ、追求はしますが、恐らくは解らないでしょうね…。」
 プフォルツ警部はそう言うや、後ろにいた警官達に遺体の搬送を命じた。だがその時、再び暗闇から悲鳴が上がった。
「おい…冗談じゃないぞ!また何かあったのか!?」
 悲鳴に驚いた奏夜が立ち上がり様に言うと、俺とメスターラー氏は走り出した。
 もう日も落ち、この路地は闇も同然だった。幾つかの家には明かりがあったが、明かりのない家もあり、多くの空き家があるのだろう。
 だが、その闇の中へ異質な光があった。その光は、まるで炎の様な赤い光…。恐らく…あの光がある場所から悲鳴が上がったのだろう。
 俺とメスターラー氏は、その光を目指して角を曲がった。だが…そこで目にした光景があまりにも非現実的で、一瞬、何がどうなっているのか理解に苦しんだ。
「メスターラーさん…これ、何なんでしょう…。」
「私にも…解らない…。」
 光…それは炎の明かりだった。しかし、そこで燃えていたのは…人だった。それも幾人もの…。
 その炎の中で未だ二つの影が動いていたが、もはや助け出すどころではなかった。
 そこにはガソリンなどの臭いもなく、燃えそうな類いのものもない。なのに…人がこれ程に燃えるものだろうか?この炎は、人の内から直接出ているように見えるのだが…。
 石畳の道に煉瓦の家…そこで人が炎に包まれている様は、幾度となく夢に見そうだ…。地獄というものが存在するならば、これがそうなのかも知れない。
 戦場を地獄だという者がいる。それならば、この目の前にある光景は…何なんだ?一方的に炎に焼かれ、理由もなく生きたまま灰にされる…。
「何なんだ…何なんだ!?」
 俺は怒りのあまり叫んだ。
 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「別に…理由なんてないよ。これといって人間が少なくなっても、さして困りはしないからね。単に暗いから、蝋燭代わりに灯しただけさ。」
 その声を聞き、俺は一瞬で体を強張らせた。
 その悪意に満ちた言葉を紡いだ声…俺はその声に聞き覚えがある…。
「まさか…田邊…!?」
 そう呟いて声の主を探すが、一向に見付けられない。メスターラー氏も同様に探しているが、彼にも見付けられないようだ。
 目の前は炎の海で行けない。だが、その炎の向こう側に、俺は見覚えあるシルエットを見付けた。
「田邊…田邊なのか!?」
「田邊…この体は、そう呼ばれていたのか。別にどうでもいい。何と呼ぼうが、好きにするが良いさ。」
 それはそう言うや嘲笑した。いや、炎で顔はよく見えないが、何故だがはっきりとそれが分かるのだ。
 こいつ…田邊じゃない。だが、姿は彼のものだ。一体…どうなってるんだ…?
「いやぁ…面白いよ!この体の男といい君といい…何て人間は面白い!」
「何が面白いって言うんだ!」
 俺は炎の向こうへと怒鳴った。メスターラー氏はこの状況に、ただ茫然としていたが。
「あははははは…!怒れ!もっと怒ればいい!お前、この男の心を薄々気付いてたんだろう?お前はそれで、この男を利用してたんだよな?私が全部奪っちゃったけどさ!」
 そう聞こえたかと思った刹那、いきなり目の前に田邊…だった者が現れた。
 メスターラー氏は、いきなり現れたそれに飛び付こうとしたが、彼は得体の知れない力に吹き飛ばされ、そのまま壁に激突して意識を失ってしまった。
 俺はそこから動けず、ただ目の前のやつと対峙していた。
「俺が…何を知っていたって…?」
 恐る恐るやつに問う。
 俺は身体中から嫌な汗が吹き出し、口は緊張で渇いた。やつは今までの霊とはまるで違い、圧倒的な威圧感を俺に与えていた。
 俺が問うと、やつは田邊の顔でいやらしい笑みを見せ、耳障りな声で笑いながら言った。
「こいつがお前と一緒にいた理由さ。」
「それは…河内が…」
「違うなぁ。そんなもんが理由なら、とっくに離れているさ。で、答えはぁ?」
「…お前に答える義務は無い!」
 俺はそう言い放って後退りした時、今度は真後ろから至近距離で声が聞こえた。
「答えはぁ?」
 俺はゾッとした…。こんなのは慣れていたはずなのに…体が硬直してしまった…。
 田邊の体ということもあるが、今まで戦ってきたどんな霊よりも強い。
「時間切れ!こいつがお前を愛してたからだよ!」
 何とも間抜けた声で馬鹿にした様に言った。そして笑い転げ、さも喜劇でも見ているようだった。
「何が可笑しい!」
「だってぇ、男同士なんてエグいじゃん!気持ち良いことしたかったんだってよ!ウヒャヒャヒャヒャヒャ!」
 狂ってる…どうして彼がこんな…。
「どうしてかって?」
 俺が唖然としてそう思った時、やつは突然笑うのを止めてそう言ったのだった。
 だが…その顔は狂喜に満ちていた。
「それは…」
 やつが嬉々として何かを言おうとした時、突然表情が変化して苦しむように踞った。そして、やつは苦しみに耐えるようにして言った。
「先生…逃げて…。」
 その言葉を聞いて、俺は目を見開いた。
「田邊…田邊か!?」
「逃げて…!」
 紅く揺れる炎の中、涙を流しながらそう言う。その顔は、まるで全てに絶望しているかのようで…俺にはどうしていいか判らなかった。
「お前…どうして…。」
「お願いです…僕が…僕であるうちに…逃げて下さい…!」
 田邊はそう言うや、また直ぐに呻き始めた。
 その時、背後からプフォルツ警部らが駆け付け、この惨状を目の当たりにして言った。
「何なんだ…これは…!?」
 その声に反応するかのように、田邊…いや、やつが再び嘲笑しながら立ち上がって言った。
「馬鹿な奴だ。この躰は、もはや私のものだ。手一杯に欲望を満たしてから…お前を殺してやるよ。」
「何をする気だ…。」
 俺は精一杯やつを威嚇しながら言うと、やつは凍る様な笑みを見せて言った。
「何を…か?人間を犯しまくって殺しまくって…楽しいぞ?何せ、今まで私が入った躰は、皆バラバラに裂けちゃったからねぇ。全く、使えない奴ばかりだ。その点、こいつは私が入っても壊れなかった。いやぁ、楽しませてくれる!」
「そうはさせない!」
 俺はそう言って掴みかかろうとした時、やつは慌てて退いた。
「…?」
 それは、ただ捕まることを恐れて…と言うよりも、触れられること自体を恐れている風だった。
 その様子を見て、俺はふと思った。やつは一度も俺に触れてはいない。殺すと言うわりには、俺には何もしていないのだ。
「お前…一体…。」
 俺がそう言うや、やつは下卑た笑みを見せて言った。
「気付こうが気付くまいがどうでもいい。後は私の遣ることを見てればいいさ。」
 やつがそう言った刹那、炎がやつを包み込み、残ったのは火の燻る亡骸だけだった…。
 俺は次の瞬間、躰の力が抜けた様に膝をついた。
「ふ…藤崎さん!これは一体どうなっているんですか?!」
 あまりのことに固まったままだったプフォルツ警部が、やっと我に返って俺にそう問った。
「私にも…分かりません。ただ…。」
 問われた俺は、そこで言葉に詰まった。何をどう話せば…どう言えば伝わるのか…それが分からなかった。
「ただ…何ですか?」
 プフォルツ警部は尚も聞いてくる。この惨状を何とか理解したいのだろう。
「ただ…田邊君の躰が…悪魔に奪われたとしか…。」
 こう言ったところで、そう信じてはもらえまい。それは分かりきったことだ。だが、こう言うしかなかったのだ。
 目の前のこれは紛れもない現実であり、それは変えようもない。
 だが、田邊が躰を奪われた理由を聞いたのが…俺だけで良かった。彼の精神まで辱しめられるところだった…。
「本当は…気付いてたんだ…。」
 俺がそう呟くように言うと、プフォルツ警部は「何がですか?」と言った。
「いえ…何でもありません。それより、この状況を整理しないと。」
 俺はそう自分に言い聞かせるように言って立ち上がり、先ず気を失っているメスターラー氏を抱え起こした。
「メスターラーさん、確りして下さい。」
 そう言って揺さぶると、メスターラー氏は少し唸ってから目を開いた。
「…痛っ…。どう…なった…。」
「私の負けです。取り逃がしてしまったので…。」
「そうか…。」
 メスターラー氏はそう言うと、俺の肩に手をやって立ち上がった。
「藤崎君…君、あの声を聞いて驚いていたね?私にも聞き覚えがあったが、どうにも思い出せない。あの声の主は一体…。」
 そう問われ、俺の体は硬直した。
 あれを…あんなやつを田邊とは言いたはないし認めたくもない。人間を玩具のように扱い、そして人の心を弄んで楽しむやつを…。
「どうした…?」
 再度問われた。
 言わなければならないことは…理解してる。ここまできて、不可思議なことを認めないメスターラー氏でもプフォルツ警部でもない。
 ただ、俺がそれを受け入れられないだけだ。この事実を受け入れたら、もうただの日常には戻れない…いや、今まで普通なんて無かったんだ。単に俺がそれを「普通」という枠に無理矢理押し込んでいただけ…。
 だから…田邊は…。
「メスターラーさん…。あれは団員だった…田邊です…。」
「何…だと…?あの一月に失踪した団員か?」
「はい。ですが…もう彼は彼ではなくなっていました。」
「それは、どういうことなんだ?」
 メスターラー氏は険しい表情で問った。俺はそれに対し、先に起こった事を全て話した。
 俺がメスターラー氏に話している間も、プフォルツ警部は警官を指揮して事態の収拾にあたっていた。いくら裏路地とはいえ、全く人が通らない訳じゃないからな。遠くには野次馬らしき人影も見えていたが、二人の警官によって行く手を際切られていた。さすがにこれを見せる訳にいかないからな…。
 俺が全て話し終えると、メスターラー氏は険しい顔付きのまま俺に言った。
「後は私に任せ、君は直ぐに弟を連れて帰るんだ。」
「どうしてです?やつと対峙したのは僕で…」
「君が狙われているんだ。そうだな…最初から気付けば良かった…。奴等は、君の事を狙っていたんだ。そう考えれば…辻褄が合うからな…。」
 メスターラー氏は何か解った風だったが、俺には今一つ理解し難いものがあった。
「どういう…ことですか?僕は別に何も…」
「いや、あるはずだ。その理由を…君の伯父達は知っている。だから、戻って問うんだ。自分が何者であるのかをな…。」
「ですが…」
「黙って行ってくれ。これに決着をつけられるのは…恐らく君だけだろうからな…。」
 彼は…何かに気付いたんだ…。いや、前回からの調査で何かを知ってしまったのだろう。
 だが、聞けない。ここで彼に問っても、それを答えてくれないだろうことは察しがついていた。
「分かりました。後は…頼みます。」
 メスターラー氏は俺の言葉に頷くや、そのままプフォルツ警部のところへと行ったのだった。
 俺は奏夜を連れ、何かから逃れるようにその場を後にした。
 大聖堂へ戻る道すがら、奏夜は囁くように俺へ問い掛けた。
「兄貴…あれは、何なんだ…?」
「何…って?」
「ありゃ…普通じゃねぇよ。あんなことが…起こって良い訳ねぇ…。」
 奏夜の声が、多少揺らいでいるのが分かった。かなりショックだったのだろう。いや…ショックでないわけがないか…。
「そうだな。だが、俺にも分からない。ただな…こういうのは一般的な事件にすり替えられ、大概は表に出ないんだ。それこそ…どこででも起きている可能性さえある。」
「そんな…それじゃ…」
「もう、この話は止めよう。ここで議論しても解決しようもないからな。」
 俺はそう言って会話を切った。奏夜は尚も言いたげだったが、俺は沈黙でそれを制した。
 夜空には無数の星々が瞬き、それらの輝きを統べる様に月が浮かんでいた。それを見れば、全てが幻想だったんじゃないか…とさえ思える程、それは美しい夜空だった。
 俺達はその空の下、無言のまま歩き続けた。



 
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