| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

藤崎京之介怪異譚

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

last case.「永遠の想い」
  Ⅰ 4.13.AM10:14


「この管を交換せんとのぅ。」
「そうですね。後でシュナイダーさんに連絡しておきます。」
 ここは聖チェチーリア大聖堂。今はアウグスト伯父とオルガンの点検をしている。
「しかし…何も全員日本へ帰国させんでも良かったのではないか?」
 暫く点検に集中していたが、ふとアウグスト伯父がそう言った。伯父も団員達のことが気掛かりなのだろう。
「またその話ですか…。あれは私自身が決めたことです。自分の教え子達を危険に晒したくなかったので…。」
「それは良ぅ分かるがのぅ…。じゃが、あれだけ帰らぬと言っていた者を無理に帰国させるのは…反って酷じゃなかろうか。」
「もう済んだことです。それより、早くこちらを終わらせないと…。」
 伯父は尚も何か言いたげであったが、俺はその話を半ば強引に終わらせた。

 二月の始め、俺は団員達全員を日本へと帰らせた。始めは全員して残ると言い張ったが、わざわざ宮下教授がこちらに来て全員を説得し、そして日本へと連れ帰ってくれたのだ。
 ただ一人、行方不明の田邊を除いて…。
 田邊が消えてから、周囲では何事もなく時が流れていた。あれだけ騒がれた事件も、今では夢だったのでは…そんな風に思ってしまう程穏やかに過ぎていた。
 無言のまま俺とアウグスト伯父は点検を続けていたが、そこへ宣仁叔父が姿を現した。
「兄上、こちらに京之介は来ておるかな?」
「来とるが…何かあったんかの?」
 アウグスト伯父が手を休めてそう問うと、宣仁叔父が「客が来ている。」と言った。そのため、アウグスト伯父は残りは自分がやるからと言い、俺を宣仁叔父と一緒に客のところへと向かわせたのだった。
 宣仁叔父はその客を見知っているらしく、向かう最中にも笑みを見せていた。
「宣仁叔父様…客って誰なんですか?」
「会えば分かる。」
 何だか気になるが、きっと宣仁叔父は話してはくれまい…。こういう茶目っ気は、昔から変わらないなぁ…。
 そうしているうちに、大聖堂の一角にある客室へと着いた。宣仁叔父は俺に扉を開くよう言ったため、俺は怪訝に思いながらもそれを開くと…そこには良く知った人物の姿があったのだった。
「よぅ、兄貴!元気してたか?」
「奏夜!お前…何でこんなとこへ?仕事はどうしたんだよっ!?」
 客…と言われて来てみれば、そこにいたのは弟の奏夜だった。
 俺の弟である奏夜・ヴァーレンティーン・藤崎は作曲家だ。今は日本のドラマや映画の仕事を中心にしているが、ピアノの作品も多く手掛けている。ソナタや協奏曲も作曲していて、昨年は自らピアノと指揮を担当した協奏曲のアルバムを出して好評を博していた。今は俺の家にいるはずなんだが…。
「なぁ…お前、家はどうしてきたんだ?」
「あぁ、文子叔母さん任せてきた。」
「え…文子叔母さんに…?」
 文子叔母さんは父の妹だ。小説家である山久昭雄氏と結婚して子供もいるが、自身はCD・DVDなどの販売店を経営している。
 正直、あまり会ったことはないのだが、少々気難しい性格で、母のことはあまり快くは思っていない。と言うより、そもそも外国人が好きではない様だ。
 尤も、叔母さんの店はチェーン展開していて、海外にも店を出している。その為か、ここ数年は母とのいざこざは絶えて久しい。
「で、何しに来たんだ?日本で仕事してるんじゃなかったのか?」
 俺はそう言いながら叔父と二人中へ入り、近くにあった椅子へと座った。
 俺は半眼で奏夜を見ていたが、宣仁叔父はさも可笑しそうに微笑みながら俺達を見ていた。
 奏夜はそんな俺や宣仁叔父を見て、苦笑しつつも来た理由を話した。
「実は…俺んとこに宮下教授と田邊社長が来てさ、兄貴んことで相談されたんだ。」
「は?何で教授と修一氏が?」
 俺は首を傾げた。何でまた奏夜のとこへ行ったのか見当がつかない…。
「それなんだけどさ…田邊社長は息子の安否が心配で、どうしてもこっちに来たいんだってよ。教授は団員達の要望を届けてほしいってことだったんだけどさ。兄貴、二人が直に来ても断るだろうからって、俺んとこにねぇ…。」
 身内だったら断らないだろうと考えたわけか…。
 だが、それで俺の気持ちが変わることはない。奏夜だって、俺がそういう人間だと知ってる筈だが…。
 そう考えながら俺が溜め息を洩らすと、奏夜は苦笑混じりにこう言った。
「それでさ、まさか二人を連れてくるわけにもいかないだろ?だから、暫く俺が兄貴の手伝いして、向こうへ随時報告をするってことで折れてもらったんだ。」
「…何だって?奏夜、お前仕事どうする気だよ。」
「それは心配ないよ。仕事も大体は終ってるし、残りはこっちにいても大丈夫だから。これが終れば暫くは休めるし、全く支障はないから。」
 俺は再び溜め息を洩らした…。これ以上誰かを巻き込みたくないのだ。それは身内でも同じだとなぜ分からないんだ…?
 確かに、田邊社長…修一氏は息子が行方不明なのだから分からなくはないが、だからといって人員を増やせば解決出来るものじゃない。警察もそれを分かっていて増員せずに捜索しているんだからな…。
 あの事件…あの惨劇を目撃し、それを否定することは出来ないだろう。だから、警察は文句を言われ冷たい視線を浴びせられても、今の体制を崩さずにやっているのだ。
「で、どこまで進んでるんだ?」
 俺が黙っているのを見て、奏夜から話を切り出した。だが、それに対して答えたのは、隣に座っていた宣仁叔父だった。
「それだが…あの事件以来何も起こらず、正直な話し捜査も行き詰まっていてな。」
「え…?あれから三ヶ月も経っていて手掛かりすら無いんですか?」
「そうだ。捜査範囲を広げてはいるのだが、全く何の手掛かりもないのが現状だ。」
「だけど、それは何も起きないため下手に手出し出来ない…そういうことでもあるんですね?」
 奏夜にそう言われた宣仁叔父は、ただ深い溜め息を洩らしただけだった。
 確かに、奏夜の言った通りなのだ。あの日以来、この町では何も起きていない。それが何を意味しているのかも謎のまま今に至る。警察は同僚があんな死に方をしたために血眼になって捜索してはいるが、手掛かりどころか足跡さえ掴めていない。
 それらを踏まえ、俺と伯父達は、もうこれには答えを出しているのだ。

- 田邊は…もう死んでいる。 -

 あの日、犠牲者は一瞬にして人前から消えたと言われていた。ならば、田邊も同じように消えたと考える方が自然なのだ。
 ただ…彼の遺体は未だ見付かってはいない。
 心のどこかでは、まだ生きている…そう思ってはいるが、やはりそれは低い確率なのだ。
「では、これからどう動くつもりなんですか?何かあってから動くんじゃ、役に立たない警察と同じです。」
「奏夜、何て言い草だ!」
 俺は奏夜の口振りを窘めた。しかし、宣仁叔父はそんな俺を手で制し、静かに奏夜へと言った。
「奏夜、お前の気持ちは分かる。苛立っているのも重々承知している。だがな、ここで失敗すれば、より多くの人命が喪われる恐れがある。お前とて、それは理解しているのだろ?」
 奏夜は逆に問われ、視線を下げて「それは…承知していますが…」と呟くように答えると、再び顔を上げて言った。
「ですが、このままではいずれ大きな禍が起こる。そうじゃないんですか?」
「それは分かっている。こちらとて、ただ傍観していた訳ではない。」
「では、何か手を打っていると?」
「そうだ。この三ヶ月、様々な情報を収集していたが、それでとある場所が浮かび上がったのだ。」
 宣仁叔父はそう言うと、一旦口を閉ざした。どこから話すべきかを考えている様子だったが、暫くして奏夜の方から口を開いた。沈黙に耐えられなかったようだ。
「それで、その場所とはどこなんですか?そこに何があるっていうんです?」
 苛立ちを隠しきれない奏夜に、宣仁叔父はやれやれと言った風に軽く溜め息を吐いて言った。
「ここだ。」
 あまりにも短い答えに、奏夜はキョトンとしてしまった。その後、何とか理解した奏夜はそれに返した。
「ここって…この聖チェチーリア大聖堂ですか!?まさか…有り得ないじゃないですか。この大聖堂は十八世紀後半の建造ですよ?今回のことが絡んでいる事件って、確か十五から十六世紀辺りの話しじゃありませんか。」
 その奏夜の言葉に、宣仁叔父と俺は顔を見合せて溜め息を吐いた。そうして後、宣仁叔父は言った。
「いや、この大聖堂全てが十八世紀後半のものというわけじゃない。大聖堂の敷地の一画にある旧礼拝堂は、この大聖堂建築以前からあるものなんだ。」
「旧礼拝堂?」
 それを聞いて奏夜は首を傾げた。
 この聖チェチーリア大聖堂はかなり大きい。礼拝堂を中心に全部で五つの建物があり、その間には広い中庭も作られている。
 その一画に、現在では使用されてはいない旧礼拝堂が建っているが、こちらはそう大きなものではなく、建造も十四世紀頃と言われている。何回か改築されたようだが、基本は保たれて今に至っている。これといって目を引く建物ではないため、大聖堂によく来る人でも知らない人は多いのだ。
 俺がそう説明すると、奏夜は一層訳が分からないと言わんばかりに顔を顰め、宣仁叔父へと問い掛けた。
「その旧礼拝堂に、一体何があるんですか?この土地にあっても、これといって何かあるわけじゃ…。」
「いや、私達の身近にありすぎて見落としていたんだ。その旧礼拝堂は、ヴェッベルグ伯が建てたものだったんだよ。」
 それを聞くや、奏夜の表情は強張った。まさか、そんなものが大聖堂の敷地にあるなんて、彼も全く想像だにしなかったからだろう。
「で…ですが、それでは辻褄が合わないのでは?あの話しに出てくる伯爵は、約四百年前の人物。だったら…」
「その曾祖父が建てたんだよ。ここは本来、別の教会が建てられていた場所なんだ。そこへこの大聖堂の原型が作られ、それが少しずつ大きくなって教会を丸ごと飲み込んだ…ということなんだ。」
 そこまで聞いて、奏夜は何かに気付いたような表情を見せて言った。
「ですが…この土地に教会を建てる必要は無かった筈です。この大聖堂もそうですが、ここには宗教的ないし霊的な意味合いは全くない。ですが資料を見れば、この土地に多い時で五つの教会が建っていたこともある。この小さな町には多すぎますし、その上でまだ建てるというのは…土地的にもどうかと思いますね。そう考えると、わざと建てた…と言うことになりますが…。」
「全く…その通りだ。」
 奏夜の言葉に、宣仁叔父はそう答えた。それを受け、奏夜は眉を顰めて返した。
「どういうことですか?」
 問われた宣仁叔父は今日何回目かの溜め息を吐き、隣の俺に「京之介、話してやれ。」と言ってきたのだった。
 俺は仕方なく、あの旧礼拝堂について分かっていることを順序立てて話すことにした。
「あの旧礼拝堂を建てたのはゴッドフリートと言い、妻の亡骸を埋葬するために作られたんだ。彼の妻のヨハンナは四十七歳で世を去ったが、このヨハンナがどうも全ての元凶だと考えられる。」
 十五世紀の終わり頃、この地方を流行り病が人々を襲った。恐らくは天然痘だと考えられるが、この町を治めていた伯爵は無論、この病を食い止めようと必死になっていた。
 その最中、最愛の妻がその病に冒されてしまったのだ。
 当時、これは不治の病だった。時には村や町ごと封鎖され、酷い時は焼き払われた。病を放置したままにすれば、国全体を危うくしてしまいかねないためだが、現代から見れば残酷極まりない。
 流行り病もまた自然の摂理とも言えようが、その恐ろしい病が妻に襲いかかった伯爵は、妻を助けようと医師を呼び、自身も様々な文献を読み漁ったようだ。
 しかし、それらは結局徒労に終わり、伯爵は妻が朽ちてゆくのを見ているしかなかった。そして…伯爵自身は精神を病んでいったのだった。
 伯爵は目の前で衰えゆく妻を、こともあろうに否定したのだ。
 天然痘の末期には皮膚が瘡だらけになり、それが破けると膿が出る。伯爵夫人は治る見込みがなかったようで、医師も途中で夫人を見放し、そのまま放置されてしまったようなのだ。それが原因で夫人が死んだ…とも考えられる。
 では、なぜ伯爵は妻のために教会を建ててまで埋葬したのか?その理由は一つだと思われる。

- 恐れたから…。 -

 そう…伯爵は妻の死を恐れた。正気でなかったとはいえ、伯爵は愛する妻を見棄てたのだ。夫人は病床の中で夫を呪ったことだろう。
 詳細は伝えられてはいないが、古文書の記述から察するに夫人は…死後数週間は放置されていたようだ。
 古文書には“それはまるで地獄の亡者の如く恐ろしい姿"と描写されていて、そこから言えるのは、遺体がかなり腐敗した状態だった…と言うことだ。
 古文書には埋葬時、夫人の柩に大量の香や薬草が入れられたと記載があったが、それは腐臭を和らげるためのものだろう。葬儀もそこそこに埋葬したようで、大金を投じた市民の葬儀と皮肉って書かれていた。
「だが、その肝心の遺体が消えてるんだ。」
「消えた…だって?それじゃまさか…兄貴達、伯爵夫人の墓を暴いたのか?」
 奏夜は眉を顰めてそう問うと、宣仁叔父は隣で再び溜め息を洩らした。やはり墓を暴くのは、誰だって嫌なものだからな…。
「そうだ。あの礼拝堂の祭壇下に安置されたはずなんだが、古文書を元に調べてみたら…封が解かれてたんだ。それで開いて確かめたんだよ。」
「しかし…なぜだ?確かに伯爵夫人の墓ともなれば、それなりの装飾品も一緒に入ってるだろうけど…。だけど、あの礼拝堂は大聖堂の敷地内ぞ?」
 奏夜は理解出来ないと言った風に返してきた。そんな奏夜に、俺は苦笑混じりに答えた。
「夜になると、あそこは灯りさえない暗闇だ。まず誰も行かないからな。まぁ、封が解かれたのはかなり前の様だし、今回の件で暴かれたとは考えられない。ただ…」
 そこまて言って俺は言葉を濁した。墓を開けた時、その状態が不可思議だったのだ。それを思うと、本当に全くの無関係なのか…と考えてしまったのだ。
「ただ…何だよ。何かあったのか?」
「それがだな…遺体だけが奪われ、装飾品はそのままになっていたんだ。」
 そう俺が言うと奏夜は、さも嫌なものでも見たかの様な表情をして返した。
「…じゃあ、遺体が目当てってことか?それは…有り得ないんじゃないか?そんなもん盗み出して、一体何しようってんだよ。」
 奏夜の問いに、俺と宣仁叔父は互い顔を見合わせて溜め息を吐いた。そして、それに対しては宣仁叔父から返した。
「それがだな…聖マタイ教会の古文書に、魔女裁判の記録があって…そこに伯爵夫人の名前が挙げられいたんだ。」
「魔女裁判…って、魔女狩りって言うやつだろ?でも時代が…」
「そこなんだが、この地方だけでなく、少なくとも幾つか時代を異にして行われたようだ。この地方に伝わる最も古い伝承によってな。」
「…伝承?」
 奏夜は眉を潜め目を細めた。俺は宣仁叔父に代わり、そんな奏夜へと伝承のことを話した。
 一般的に「魔女裁判」と「魔女狩り」は少し違うが、どちらも宗教的な思想から来ている。この手の事柄をキリスト教絡みと考える者も多いが、元来キリスト教に魔女の考えはなく、魔女と言う呼び名が定着したのもそう古い話しではない。
 魔女は悪魔と契約した者の総称とされ、それは各地に古くから存在する宗教とキリスト教の概念が少しずつ融合して出来上がった考え方なのだ。
 一番古い魔女裁判の記録は1428年。スイスのヴァレー州での事件が初とされ、その事件以降、様々な場所で同様の事件が連鎖的に起こる。
 この地方ではキリスト教が入る以前、自然崇拝が主だった。自然の様々なものに精霊が宿っていると考えていたのだ。
 だが、その中に生け贄を求める精霊がいて、数年に一度、その精霊に処女を生け贄として捧げていたようだ。その生け贄は予め決まっていて、必ず精神を病むという。
 キリスト教がこの地に入ってきた時、そうした習慣は根絶されたのだが、民衆に深く根差していたその風習は、そう容易く消せはしなかったのだ。
 民衆は新参宗教の神よりも、常に傍らにあった精霊を恐れていたのだ。そこで民衆は、精神を病んだ者を"悪魔憑き"と呼んで処刑することにより、自分達の心の安寧を計ることにしたのだ…。これで大丈夫…これで安心だ…。そう思い込むことで、どうにか精神を安定させていたのだろう。世界では様々な理由があるのだが、ここではそうしたことが時代と共に変化してゆき、いつしか「魔女裁判」というものに変わっていったのだ。
 十五世紀の終わり、そうした思想の中で行われた魔女裁判は全員が無罪とされているものの、その後の天然痘の大流行によって全員が亡くなっている。これが教会が多い理由と、この大聖堂が拡張され続けた理由なのだ。
「それじゃ…精霊信仰をキリスト教によって抑え込もうとしたって訳か?」
 奏夜は訝しげにそう問うと、それには宣仁叔父が返した。
「恐らくはそうだろう。聖マタイ教会やこの大聖堂も、以前は精霊を奉る祠があった場所に建てられいる。他の教会や聖堂も同じだ。そのため、これはキリスト教徒だけでなく、民衆自体がわざとそうしたと考えられる。祠を跡形もなく打ち壊し、その上に建造されたのだからな。どの様な資料にも、それによる抗議や反乱などの形跡は示されてはいないのも、そう考えれば辻褄は合う。」
「そうすると、ヴェッベルグ伯も精霊を信じていた…ということか?」
「そうかも知れん。少なくとも、この地の伝承は恐れていたと推測出来る。」
「でも…伯爵はカトリックだろ?そんな精霊やら伝承やらを信じるか?そもそも、伯爵家はこの土地の者じゃなかったんじゃないか?」
 奏夜が腕を組んでそう言うと、宣仁叔父は溜め息を吐いて答えた。
「ヴェッベルグ家は、この土地に古くからあった。伯爵の称号を与えられた初代トービアスは、元はただの農民だったのだ。」
 それを聞くや、奏夜は驚いて目を丸くした。
「農民が…貴族になったのか…?」
「そういうことになる。農民だったトービアスが伯爵になった理由は、ある年に起きた干ばつにある。農民とはいえ、トービアスは独学で開墾や土地利用にまつわる事柄を学んでいた様で、その干ばつの際、王にあることを直訴しに行った。」
「あること?」
 奏夜は不思議そうに言った。まぁ、不思議がるのも無理はない。農民が貴族に、それも伯爵位を与えられての厚待遇でなったのだから、それこそ何をやったのか気になるというのが本音だろう。
 宣仁叔父は少し間を置いて、そんな奏夜に続きを話した。
「隣の地方には、二つの大きな河が流れいた。干ばつにあっても、この二つの河は水量が多く、トービアスは、この河の一つからこちらへと水を引くことを提案したのだ。」
「ちょっと待って下さい…当時、水は奪い合いになる程だったはず…。なのに、わざわざ隣の地方へ掛け合って引くなんて…有り得ないんじゃないですか?王だって許可するはずが…」
「奏夜、それがトービアスに一任されたんだ。」
「え…?」
 話が見えないという風に、奏夜はポカンとした表情で宣仁叔父を見た。
 宣仁叔父は畳み掛ける様に、次へと話を進めたのだった。
 ここから話が長くなるので要約するが、当時は王と民との関係は著しく悪かった。その理由としては戦争が挙げられる。
 当時は未だ混迷の時代であり、油断すれば土地を奪われかねなかった。そこで各地から兵士を集めていたわけだが、そのお陰で小さな村や町は若い男性がいなくなり、内から弱体化してしまった。要は働き手を取られてしまったのだ。その上、税は見る間に上がり、とても生活出来る状態ではなくなったのだ。そこへ干ばつが重なり、民の不満は加速したと考えられる。
 トービアスは齢五十を越えており、兵士に徴収されることはなかったが、その有り様を静観することは出来なかったようだ。そうした経緯故に、トービアスは王へ嘆願したのだ。
 先ず、トービアスは予めどの様に工事をするかを王へ話したと考えられ、資料にはないが、それが革新的なものだったと推察される。そうでなければ王に一蹴されるどころか、不敬罪で処刑されかねない。
 トービアスはその才能の他、幸運なことがあった。隣の地方を統治していた侯爵と顔見知りだったのだ。
 古文書にはっきりした記述はないが、侯爵が若い時分、旅先で病に冒されたのをトービアスが治したらしいのだが、彼がどうしてそんな知識があったかは定かではない。ただ、その時からずっと親交があったことだけは記されていて、それがトービアスにとっては幸運だったということだ。
 しかし、いかな親交があろうとも統治者たる侯爵に、おいそれと農民風情が会えるわけはない。王への嘆願も先ずは書状を幾度と届け、それからやっとだったのだ。
 だが、侯爵との面会は三日と掛からなかった。王が直々に侯爵へと書簡を認めていたからだ。そこにはトービアスが示した内容も書かれ、それを読んだ侯爵は直ぐに面会する許可を出したとされる。まぁ、これにも裏があったようで、侯爵は王へ貸しを作りたかったようだ。また恩人たるトービアスへ恩を返す機会と考えたかも知れない。とすれば、侯爵にとっては願ったり叶ったりと言うわけだ。そこで侯爵は人足も自分の土地から手配し、諸費用の半分までも自分から出したとされる。侯爵は政治的駆け引きが得意だったらしく、他国との戦争を避けていたため、人員も金も十分にあったのだ。
 そうして全てを一任されたトービアスは、直ぐ様仕事へと取り掛かり、それは大成功だったと記録にはある。そもそも、この土地が王の直轄でなければここまで酷くはならなかったのだが、以前治めていた公爵が王を裏切ったためにこうなったのだ。王にしてみれば弱り目に祟り目だっただろう。
 そうしてトービアスは伯爵位を受けることとなるが、ここにも裏があり、どうやら民衆をまとめあげて工事を成功させ、その上、王と民との間を取り持って和解させた彼を、王は自分の風避けとしたかったようだ。侯爵とのこともあり、この驚くような待遇でトービアスの偉業に報いたのだろう。
 とは言うものの、これさえ幾つかの古文書を合わせて得た答えなため、絶対とは言い切れないのだがな…。
「なるほどね…。農民が爵位を得るなんて考えられなかったけど、そうした背景があれば別か…。」
 奏夜は尚も不満が残る感はあったが、そのことについてはもう聞いてこなかった。資料はこれだけなのだから、これ以上の詮索は無駄と判断したのだろう。
「それで、ゴッドフリートと何の繋がりが?そもそも、伯爵家であれば一族の墓所があるはず。なぜ無理してまで教会を建てる必要が?」
 奏夜はそう言って話を戻した。その問いに、宣仁叔父は顎をさすりながら答えた。
「ゴッドフリートの妻はな、一族から除外されたんだ。悪魔と契約した者としてな。」
「それって…一族を守るためってことでか?」
「そうだ。先に出た初代トービアスは、一族の掟を厳格に定めていて、一度でも一族の名に傷を付けた者を容赦しなかった。その掟は代々守られてきたため、ゴッドフリートは妻を一族の霊廟へと葬れなかったのだ。だが、妻への負い目もあるため、小さいながらも教会を建てて葬ったのだ。恐れ…というよりは、自らを恥じてのことだったのかも知れんな。」
 そう感慨深げに宣仁叔父が言うと、奏夜はもう口を開かなかった。
 様々なものが拗れている…奏夜もそう思っているはずだ。その拗れた糸を何とか解いてゆくよりほか、この事件を解決する方法はないだろう。
 それらを解明するには、未だ多くの時が必要だった。



 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧