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11部分:第十一章


第十一章

 小坂もその足立を見た。そのうえで本田に声をかけた。
「なあ本田君」
「大丈夫かって言いたいのか?」
「そうだよ。あれじゃあ駄目なんじゃないのかな」
「足立で駄目だって?」
「こう言ったら悪いけれどやっぱり」
 小坂も言うのだった。
「まずいよ。試合投げたわけじゃないよね、上田さん」
「投げたどころか」 
 しかし本田はその満面の笑みをそのままに言うのだった。
「勝つつもりだから足立なんだよ」
「勝つつもりで!?」
「確かに不安になってるさ」
 それはもうさっきのベンチの様子でわかる。見れば今もであった。
「それでもな。足立を選んだんだよ」
「何で足立なのかな」
「動じないからさ」
 理由はそれだった。
「今のこの状況でもな。動じないから」
「だから足立なんだ」
「ああ」
 あらためて小坂の言葉に頷いてみせてきた。
「この試合、阪急が勝つ」
「絶対だね」
「絶対だ。足立でな」 
 そう言いながら試合を見守るのだった。球場は相変わらず巨人ファンの歓声と巨人の旗だけだ。そしてその中で本田は阪急の勝利を確信していた。そのうえで足立をじっと見ていた。
 足立は黙々と投げた。まるで彼だけが球場にいるように。ただただ投げ続け巨人打線を寄せ付けなかった。それを見るにつれ巨人ファンの顔色も変わっていった。
「おかしいな」
「そうだな」
 怪訝な顔で口々に囁きあいだしていた。
「今日の足立そんなに調子いいか?」
「いや」
 それはすぐに否定された。
「普通位だろ」
「そうだよな。言う程よくはないよな」
「それで何でなんだ」
「打てないのは」
 彼等が奇妙に思い出していたその時。本田は笑っていた。そしてこう呟いていた。
「騒げ」
 まずはこの言葉だった。
「騒げ騒げ、幾らでもな」
「巨人ファンへの言葉だよね」
「ああ、そうだ」
 小坂に答える。
「あの連中に言ってるんだよ」
「彼等が幾ら騒いでも無駄だってこと?」
「その通りさ。だから騒げばいいんだ」
「そうだったんだ」
「幾らでも。好きなだけ騒げ」
 それをまた言う。
「騒いでも無駄だからな」
「足立そんなに調子いいかな」
「調子は普通だろうな」
 これについては本田も巨人ファン達と同じ考えだった。
「絶好調じゃないさ」
「そうだね、やっぱりね」
「けれど問題じゃないんだ、今は」
「調子の問題じゃない」
「問題なのは心なんだよ」
「心!?」
「ああ、それだ」
 足立を見ながら言う。足立のアンダースローが唸りそこから放たれるシンカーが張本にファールを打たせる。張本の苦い顔も見える。
「見ろ」 
 張本の顔を見るように言った。
「さっきまでの張本の顔と全然違うな」
「そうだね。試合がはじまる前はもう日本一になったみたいな顔だったのに」
 そういう顔だったのだ。既に彼等は流れが自分達にあると確信していたのだ。確かにそうだった。しかしそれが今では。変わろうとしていたのだ。
「何か変わってきたね」
「それだけ辛くなってきているんだ」
「精神的に?」
「流れが元に戻った」
 本田はこうも言う。
「元にな。五分五分か」
「五分と五分」
 小坂は自分の言葉でそれを己の心に刻むのだった。
「互角なんだ」
「そうだ、互角だ」
 それをまた言う。
「互角なんだ。さっきまで巨人のものだったのがな」
「何かそれって辛いんだろうね」
 それを思う小坂だった。
「そこまで戻されたら」
「焦ってるな、巨人は」
 本田の声は冷静だった。
「そして見ろよ」
「んっ!?」
「球場をな。焦ってるだろ」
「確かにね」
 巨人ファン達が焦りだしてきていた。見れば粗暴な仕草や言動に走っている者もいた。それを見れば小坂も今の巨人が置かれた状況がわかるのだった。
「何か。少しずつ」
「そうさせてるのが足立なんだよ」
 そのうえでまた足立に言葉を戻した。
「あいつが球場の雰囲気にも流れにも飲み込まれずに黙々と投げているからなんだ」
「黙々と」
「あいつの凄いところはな。マイペースなんだ」
「マイペース!?」
「ああ、マイペースなんだよ」
 それをまた言う。
「あくまでな。競馬とか麻雀とかも滅茶苦茶強いんだ」
「勝負事にも強い」
「何でかわかるか?」
「勘がいい?」
 小坂はまずそれを考えた。目の前で今張本が凡打に終わっていた。
「勝負勘が」
「それもあるな」
 本田はそれは認めた。だがそれだけではないと今の言葉の中にそれを含ませてもいた。
「しかしな。それだけじゃない」
「それは一体?」
「勝とうと思わないんだ」
「勝とうと思わない!?つまり」
「わかるよな、御前なら」
「うん」
 彼も記者になって野球を見ていて長い。だから今の本田の言葉の意味がわかった。それがわからないでこの破天荒極まる男とは付き合えない。こうした理由もあったが。
「そういうことだよ」
「そうだったんだ」
「力を抜いているんだよ。どんな状況でもな」
「無駄な力を抜いているから流れにも引き込まれない」
「自分のピッチングができる。要はそれだ」
 彼が言うのはそこなのだった。
「そこなんだよ。だからここで足立だったんだ」
「そうだったんだ」
「流石はウエさんだ」
 彼を選んだ上田を褒めもした。
「最後の最後で足立なんてな。普通はここで山田ってところだろうな」
「まあそうだろうね」
 ここぞという時に投入してこそのエースである。これは昔から変わりはしない。あの杉浦にしろそうだったしかつての足立もそうだった。阪急が今回強いと本田が断言していたのはその切り札が二枚あったからだ。その山田と山口、その二人だ。二枚の切り札は確かに強力だ。
「その為のエースなんだからね」
「けれどあえて山田を出さないでいた」
「昨日山口も打たれたし」
 その切り札を打たれてのことだったのだ。
「それでここで足立は。僕も驚いたよ」
「山田だったら今頃打たれていたな」
「山田もかなりタフだけれど」
 ポーカーフェイスで定評のある男だった。それだけの肝があるからこそエースになれる。しかし山田には致命的な弱点もあったのだ。
「けれど彼はあれだよね」
「知ってるんだな」
「僕も聞いてるよ。ホームランを打たれることが多いってのはね」
「それなんだよ」
 本田は難しい顔で小坂の言葉に答えた。
「あいつはな。よく打たれるんだ」
「あの時の王さんのやつだけじゃなくて」
「真っ向勝負に過ぎるのかボールの質なのか」
 彼は首を傾げさせた。
「ここぞって時にな。いつもホームランを打たれる」
「あの鈴木啓示と同じ位?」
「あそこまで多いかな。それでもかなり多いけれどな」
 何と歴代で二位である。一位はその鈴木だ。しかも三位の東尾修や四位の村田兆司を大きく引き離している。それだけホームランを打たれているということだ。
 
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