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銀河日記

作者:SOLDIER
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軍靴の踏み鳴らす音

新たなる年の訪れも近い帝国歴四八〇年の十二月二十二日。帝国に新たなる幕開けが訪れた。
宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の誕生から一夜明け、カレンダーが新たな数字をと同時に軍務尚書エーレンベルク元帥は憲兵隊に帝国辺境区域に点在する基地の一斉捜査を命じた。
現地に駐留する憲兵隊の長達にもその事は一切伝達されておらず、軍務尚書や宇宙艦隊司令長官などごく一部の者しか知らないことであった。だが、憲兵隊の士官達は命令を受けた際の疑念を、現場に行って確信に変えた。資料を押収し、確認した結果そこで行われていた公金横領が露見したからである。これには事前に監察局により集められた資料と追加で行われたその裏付け調査が理由であったが、それをこの時点で知る者はあまりいない。
兎に角、これより帝国軍の中には綱紀粛正の嵐が捲き起った。

その一二月二十二日の夜、アルブレヒトは上級大将から元帥へと昇進し“帝国軍三長官”の一つ、宇宙艦隊司令長官となった伯父グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーに呼び出されていた。ミュッケンベルガーは宇宙艦隊司令長官就任祝いの祝賀会から戻った後で、アルコールの匂いを体に纏わせていた。
「やってくれたな、アルブレヒト。御蔭でこの一年、遠征は出来まい」
目の前にいる伯父の毒気を含んだ言い方も、アルブレヒトは意に介さなかった。二人が向かい合うテーブルの下にはブランデーとグラスが置かれている。アルブレヒトがミュッケンベルガーへの祝いに用意したささやかな一本であった。
「ですが伯父上。恐らく宇宙艦隊にもこの問題は広がりましょう」
「辺境の警備艦隊か。確かにその可能性はありえなくはない。」
ミュッケンベルガーも問題が起こると思われる候補として最初に考えた場所を述べ、頷いた。
「恐らくは。それと伯父上、辺境の警察が今何に悩んでいるか御存知ですか」
「単純な治安の悪化や検挙率の低下ではないとすると、何があるのだ」
「サイオキシン麻薬です」
甥の発言にミュッケンベルガーは一瞬絶句した。
「今、辺境ではサイオキシン麻薬の患者が増加傾向にあるそうです。調べましたところ、現役の兵長など下士官や兵卒の人間が逮捕される例も少なくないそうで。現地の警察が検挙しようとしても憲兵隊の非協力で捜査が進んでいないようです。」
アルブレヒトがさりげなく書類を差し出したのを見て、ミュッケンベルガーはそれを引っ手繰るように持ち、字面を眺めた。ページを捲る度に顔の血の気が少しずつ、失われていくようだった。
「辺境地域はカイザーリング男爵の艦隊など、六千隻の三個艦隊が警戒に当たっていた筈だ。その管区内には補給基地もいくつか存在する。軍の公金横領の金銭、源泉がそこに繋がっている、また辺境の軍組織それ自体がサイオキシン麻薬の密売に関与している可能性がある、お前はそう言いたいのか。これでは現地憲兵隊も完全には信用できん」
「断言はできませんが、可能性としては充分に考えられます。さらに申し上げるとすれば、ケスラー中佐が検挙した第九辺境基地も、カイザーリング艦隊の寄港地の一つです」
「氷山の一角に過ぎんのかもしれんな」
「残念なことですが」
伯父の呟きに、アルブレヒトは小さく頷いた。

このミュッケンベルガーの呟きは、まさに事態の展開を端的に表していた言葉であったといえるだろう。
年が明けてから間もない帝国歴四八一年の一月九日、事態の劇的な変化のきっかけが訪れた。ボーデン星系、クラインゲルト星系にある辺境基地からサイオキシン麻薬が発見される。調査の結果、その製造はそれぞれの周辺に存在する有人惑星、若しくは無人化された補給基地において行われ、輸送は辺境警備艦隊の補給物資に混じって運搬されていたのだった。
辺境警備の憲兵隊には軍務省より再調査・増派が命ぜられ、辺境地域の大地は憲兵隊の軍靴によって踏み慣らされた。憲兵隊は本来その職務を超えた民間人組織の摘発にもとりかかった。そして、一部の基地で製造されたサイオキシン麻薬がオーディンへと帰還する輸送艦の物資の中に混じっていたことが判明、事件は辺境部だけに収まらぬ事態となった。また、一部辺境自治区の中にも民間密売組織が確認され、憲兵隊によって摘発される。こうして事態は一気に、燎原の火の如く拡大して行った。
ゴールデンバウム朝銀河帝国には捜索、逮捕などの権限を持つ捜査機関は三つ存在する。一つは軍務省の管轄にある憲兵隊、内務省の管轄にある警察、そして社会秩序維持局。
民間人に関しては基本的に警察、若しくは社会秩序維持局が行う。無論、今回の騒動による憲兵隊の行動は甚だしい越権行為として公式・非公式を問わず内務省から痛烈な非難を浴びた。宮中でもこれらの事態を受けて軍に対する不信感を深め、大貴族達もそれを嘲笑した。しかし、彼らにも捜査の手は届くことになった。
帝国歴四八一年一月十六日内務省警察総局次長エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク伯爵、そしてヨハン・アルフレット・フォン・フォルゲン伯爵が逮捕されたのである。この逮捕劇の切欠は、アルブレヒトが副官として参戦した第四次イゼルローン攻防戦の四か月前のある士官の戦死が全ての発端であった。
その士官の名前はカール・マチアス・フォン・フォルゲン。フォルゲン伯爵家の四男でフォルゲン伯爵の弟であった男である。軍務省の内勤の士官であったが、出勤回数も勤務意欲も御世辞にも褒められた男ではなく、その反対に遊蕩児としての評判はある程度高かった男である。
彼はハルテンベルク伯爵の妹エリザベート・フォン・ハルテンベルク伯爵令嬢と、彼本人は最初から望んだわけではないが、その女性と恋に落ち、両家の反対を押し切る形で婚約した。だが、エリザベートの兄であるハルテンベルク伯爵は“警察官僚がたまたま貴族の服を着ている”と揶揄されるほどの堅物な男だった。遊蕩児であるカール・マチアスのことは聞及んでいたし、彼の生計に対する観念もその外見と相違なく堅物らしいもので、妹との結婚した後の生計の立て方について厳しく追及した。彼、カール・マチアスは軍隊での職務に精励しているわけでもなく、栄達が望まれるものではなかった。彼はそれだけでは家計が心配であったのか、生計を立てるために、とうとう非合法な手段に手を染めた。
それがサイオキシン麻薬の密売であったのだが、それが時を経て内務省の警察上級官僚であったハルテンベルク伯爵にその事が露見した。伯爵は本来、それを摘発するべきであったが、妹の婚約者、つまりは将来的に自らの義弟になる男が、帝国でも大逆罪に次ぐとも言われる重罪人である事に、彼は恐怖感を覚えたに違いない。
警察官僚としてこれまで積み上げてきた自分のキャリア、家の名誉、妹の将来、それら全てを守るためであったのかどうかは分からないが、彼はカール・マチアスの長兄であるフォルゲン伯爵を抱き込んで、両家の連名で軍に圧力をかけさせ、カール・マチアスを中佐待遇の会計士官として惑星カプチェランカの第二基地、通称“BⅡ”に派遣させた。
その派遣から三カ月後、同盟軍の攻勢が激化し、基地では防衛線を突破した敵部隊が侵入、内部では戦斧を交える白兵戦が起きた。カール・マチアスは不運にもその戦闘の最中、敵の白兵戦部隊に唐竹割りとされて、名誉の戦死を遂げ、准将へと二階級特進し、フォルゲン伯爵による盛大な葬儀が取り行われ、真実は彼の遺体と共に土の中に葬られた。
当事者たるカール・マチアスの謀殺とも呼べる戦死で一応の静寂を迎えていたこの事件であったが、今回の調査でこの非公式な処刑が明るみになり、両名の逮捕へと至った。これは、サイオキシン麻薬の発覚を受けて帝国軍へ嘲笑、冷笑を浴びさせていた官僚社会、貴族社会にも衝撃を与え、捜査範囲はそちらにも否応なく発展した。軍を嘲笑していたその顔が、徐々に引きつり始めたのである。
特に内務省は自身の管轄にある調査組織の高官が密売の隠蔽に関与し、逮捕された事で一連の事件の捜査に対する発言権を完全に失った。これで事件の民間人組織摘発に関する権限も完全に憲兵隊の手中に転がり込んだ。社会秩序維持局も、上に立つ組織が動けない以上、自らの独断で動くわけにもいかず、指を咥えて眺めているしかなかった。そして何より、社会秩序維持局と警察には情報が足りなかったのである。
憲兵隊の行動はそれほど素早く迅速で、それぞれの幹部を歯噛みさせること著しかった。特に貴族や官界に対する捜査の進展の速度は目を見張るものがあり、その情報源が当時飛び交った噂や憶測の対象となったのだった。
その後の調査では、サイオキシン麻薬密売の官界に対する広がりよりも貴族社会に対しての広がりの方が、周囲の目を引いた。密売には湯蕩児や貧窮に追い詰められた貴族達の多くがそれに関わり、その利益が彼らの放蕩の資金となっていたからである。また、それが宮廷や官庁に出仕し、工作するための資金となっている場合もあった。そしてそのため、貴族社会からも多くの人間が逮捕されることとなり、誰も軍を笑うことなど出来なくなった。自分達も同じだったからである。
兎に角、銀河帝国の中には綱紀粛正の嵐が吹き荒れ、憲兵隊はその存在を大きく際立たせた。

だが、帝国軍内部でその火の粉を大いにかぶった者がいる。軍務省に務める軍官僚たちであった。特に人事局である。現職の軍人の一斉逮捕でその職を引き継がせるものの人選に彼らは苦心しなくてはならなくなった。だが、そこに官僚社会、貴族社会へのサイオキシン麻薬密売事件の発展が思わぬ影響を見せた。
幾ら人事案を決めても、そこに退職願、若しくは逮捕の通達で穴があき、また新たな案の作成。それの無限に続くとも思われる連鎖の中で、彼らは日夜残業を強いられた。後退でタンクベット睡眠を採り、二、三日の泊まり込みはほぼ当たり前のこととなった。最盛期には一週間職場に泊まり込むものもあり、人事局は帝都オーディンの不夜城ともささやかれたのである。
憲兵隊、人事局。軍務省管轄のこの二つの組織はこの一連の事件に際して際立った存在感を見せたが、殉職者が出んとするほどの激烈さの職務に日々明け暮れることになった。
自体全ての収集に一応の見込みがつくのは、事件発生から六カ月後のことであった。事態の根の深さと、収集にかかった時間は、銀河帝国という肉体の中に溜まった膿の多さを容易に想像させるものであったが、当事者たちにとってはそんな事はどうでもいいないようであった。彼らは、目の前の案件の山と格闘するしかないのだから。

帝国歴四八一年七月一日、アルブレヒト・ヴェンツェル・フォン・デューラー、パウル・フォン・オーベルシュタインの両名は一連の事件の摘発に功ありとして大佐に昇進することとなった。
 
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