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乱世の確率事象改変

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寄り添う蓮の白さに



「――――計略、確かに預かった。本当に劉備軍が移動したなら考える……俺が向かったとこはそんな答え貰ったぜ、えーりん」
「そ……ありがと。ご苦労さま、休んでいいわよ」
「おうよ」

 報告を終えた徐晃隊を見送り、ふぅと一息ついた詠は両手を上げて伸びを一つ。
 先日訪れた朱里達との邂逅もつつがなく終わり、今はコトが起きるのを待つのみである。

 朱里に記憶喪失の事実を教えた、と聞いた時はさすがに焦ったが、秋斗の判断なら任せることにしたのだ。
 白蓮と星は秋斗に会えずじまい。涙にくれる朱里を連れて帰ることを優先したらしく、それはそれで有り難いことであった。

 朱里と秋斗が他に何を話したのか……詠は聞いていない。
 予定通りに計画が進むという事実だけ教えて、彼は深くは語らなかった。

「最後の奴の答えも同じだったな」
「そうね。やっぱりなんだかんだで劉璋を慕ってる臣下も多いってことよ」
「まあ、あたいもその気持ちは分かるけどさ。こうやって外から見てると……」
「なに?」

 言葉を切った猪々子を見つめて首を傾げる。うんうんと唸った彼女は、ぽんと掌を叩いて納得した様子。

「ちょっと劉璋の方を応援したくなっちまうなぁって」
「……そうね。ボク達が徐晃隊を内密に送った奴等は真っ当な人格者ばっかりだし、あんたがそう思うのは普通のことよ。
 でもそんな奴等ばっかりじゃないって事も……あんたなら分かってるわよね?」
「むむ、そりゃぁそうだ。腐ってるのも必ず居るって分かってる。でもやっぱり……なぁ?」
「はぁ……嘗てのあんた達と重ねるのはいいけど、あんまり感情移入しすぎないでよ」
「へいへい、分かってる」

 袁家で同じことを経験してきた彼女としては、ソレに肩入れしたくなる気持ちが大きいようだった。
 第三者の自分達では何も出来ないことは知っている。一時的な感傷に過ぎないのだ。
 ぽりぽりと頭を掻いて、猪々子は切り替えた。

「それにしても……もう本隊は動き出したんだろ?」
「うん。西涼への出立を知らせる文は届いた。ボク達の合流地点は変わらずに漢中。徐晃隊の面々も最少部隊に分けて脱出させてるし予定の内よ」
「騎馬隊が主体だから霞んとこが先陣?」
「だと思う。涼州の土地勘もあるし、西涼に踏み入るまでは奇襲されにくくなるでしょうね。騎馬の力は突撃力と突破力、そして行動力。長距離の遠征だから歩兵達は疲れが出るし、どうにか涼州で一休みと行きたい所だわ」
「んー、じゃあ向かえに来る部隊は誰になるかなぁ……」
「雛里と徐晃隊でしょう」
「即答かよ……まあアニキを一番心配してたのは雛里とあいつらだからそうなんのか」
「ええ、戦闘にだけはしないように動かないとダメね」
「……第三が鉢合わせたらちょっとやべぇかも。第四のこともあるし」

 その時のことを考えてぶるりと震えた。
 きっと其処に顕現するのは地獄に違いない。例え嘗ての戦友である部隊であろうと、そのモノ達はなんの躊躇いもなく蹂躙するだろう。
 敵に恐怖を。戦場に狂気を。また……彼らが大陸に地獄を作る。

「もし劉備軍が何かして来たらあんた達が切り拓けばいい。そうすればあいつらを使わなくて済むわよ?」
「へへ、それいいな。アニキが通る道をあたいが切り拓く。いいねいいねぇ! そんときゃあたいも立派な徐晃隊第九番隊ってわけだ!」

 口に手を当てて可愛らしく笑う猪々子に、詠はやれやれとため息をついた。何処か楽しげな表情は満更でもないらしい。

「頼りにしてるわよ、九番隊隊長殿」
「あいあいさー♪」
「それじゃあ移動の為の必要物資のまとめを始めましょっか。兵士が減ってるってことは気付かれないように……」
「慎重に、だろ? わーってるって。それよかアニキに準備させる方が先だぞ。なんか森の方に行っちまったけどどうすんだ?」
「第四の三人が一緒に付いて行ってるから大丈夫でしょ。あいつの荷物なんてそれこそ料理道具とか変な工具とかそんなのばっか。こまめに纏めてるから勝手に詰めておいても何も言わないわ」
「ふーん、んじゃ、はじめっかね」

 互いに懸念がないか確認出来た彼女達は椅子から立ち上がった。
 これからはまた戦場。あるかもしれない益州でのモノか、それとも遠く西方の大地でか。どちらにしても自分達に出来ることをやるだけだと二人は心を定め、未来の為にと動き出した。




 †




 その使者は唐突にやって来た。
 西涼から極秘で来たと言う二人の男女は、益州太守である劉璋の元にではなく劉備軍総括である朱里の元へと訪れてきたのだった。

 一人は男。赤茶色の髪にすらりと長い手足。切れ長の瞳には意思の強さを宿し、熱気と呼ぶべき何かを背中に揺蕩わせていた。
 一人は少女。西涼ではよくあるらしい髪型、茶髪のポニーテールを揺らしながら少しばかり緊張した面持ちで立ち竦んでいる。

 実力の程は如何か、愛紗や鈴々、星は読み取る。自分達程では無いが一介の武人として戦場に立てるだろう、と。
 きゅっと引き結んだ唇を震わせて、その少女は朱里、白蓮、愛紗、鈴々、星、藍々の前で声を上げた。

「西涼よりの密使、馬岱と申します。
 予てより劉備軍の噂はお伺いしております。真に勝手ながらも私共の願いを聞き入れて頂きたく想い馳せ参じた次第に」
「曹操軍のこと、ですね?」

 誰よりも先に、朱里が鋭く返した。
 幼い見た目に気を抜いていた馬岱――蒲公英の喉が、その冷たい輝きに魅入られてゴクリと鳴る。

「そろそろ来る頃合いだと思ってました。要件をどうぞ」
「は、はい。
 曹操軍……いえ、魏より宣戦布告が齎され、我が西涼としても戦の準備は進めておりますが兵力差は甚大。
 侵攻開始を目撃した早馬からの情報によると彼奴の軍勢は二十万を下らないと」
「バカなっ! 二十万だと!? 何処からそんな兵数を」

 驚くのも無理は無い。ほんの数か月前まで袁紹軍と大々的な戦を行っていたのだ。いくら広大な領地を整えたとて、それだけの兵数を集めるにはあらゆる事柄が不足しすぎているのだ……常識的に考えれば。
 ただ一人、朱里だけは驚かない。当然のことだと受け止めていた。

「徐州と青州、中原領内の全てを集めて来ていますね。それに曹操さんの領内では自主的に志願する兵士が集う傾向にあります。
 有事は兵士として、普段は農夫として過ごさせるような政策を昔から組み込んでいましたし、黄巾時に青州で賊徒をそっくりそのまま引き入れたとも聞きました。
 それに官渡の戦いで用いた総兵力は四万弱程度なんです。圧倒的不利な兵数差で勝利したのでその余剰分を全て使えば……有り得ない数ではありません」

 淡々と説明する朱里を見て、声を上げた愛紗はそれが事実なのだと受け止める。

――二十万はあまりに多い数。益州への同時攻撃の危機感を煽る目的も含んでる。これで念のための防衛を理由にして私達を成都から引き離す事が出来るはず。

 続けて、と蒲公英に微笑みかけた朱里は、湯飲みを傾けてお茶を一口飲んだ。

「さすがに二十万ともなれば我ら西涼連合全ての兵力を結集しても抗いようがありません。外敵への防衛に当てている兵士を集めても……多分、十万にも届かない、です」
「兵力差は単純に二倍以上。確かにそれでは、いくら歴戦の勇士である西涼の騎馬部隊であっても外部からの助力なくして守り切ることは出来ないでしょうね」
「西涼の主戦力は騎馬ッス。数の差を耐えきれる攻城戦には向いてない。元々が遊牧の民が多いため城の数もそれほど多くなく、遠征の弱点の食糧枯渇を狙うにしても土地柄的に守る方にも不安があるッスか」
「いえ、曹操軍は袁紹軍との戦で試作兵器をいくつか運用してました。なので今回はより改良された兵器も持ち込んでくるでしょう。それを使われては……防城戦に慣れていない軍はとても持ちません」

 すらすらと並べ立てられる説明の前に、蒲公英は呆気に取られていた。
 まるで今ここで軍議が開かれたような空気。納得するしかない理論。反論は許されず、一つ一つを頭に取り込むことしか出来ない。

 藍々が鋭く目を光らせて朱里に続ける。

「でもどうするッスか? 藁にもすがる思いで来た西涼の使者さんには悪いッスけど……ウチらが加わった程度で相手取れるような敵じゃないッス」
「そんなっ……」

 思わず声を上げた。救援を加えても敗北は確定なのだと。
 本来なら目の前で言うような話ではないのに、藍々に平然と言い切られては絶句するより他ない。

「まずウチらの現状も説明しますよ?
 現状の劉備軍が動かせる総兵力が四万ッス。益州の牧ではないので徴兵することも出来ないため、益州以外の人間しか使えないってことッスね」
「民に呼びかけても他の地域のことで立ち上がってくれることはありません。自分達が暮らす土地を守る為ではない戦いに身を投じるほど、人々の心は義憤に溢れてはいませんから」

 対岸の火事に首を突っ込みたがるモノは居ない。朱里はそう語る。
 元より西涼の救援願いこそがわがままである。自分達の命が危ういから助けてくれと願っていいのは、古くから慣れ親しんできた友や家族、はたまた同じ志を共にする同志くらいであろう。
 馬騰の狙いが何であるのかを朱里も藍々も読み切っている。
 いつかは曹操と敵になるのだから手を組んで相対するのは悪い話では無いのは確か。しかし今回は……あまりに時機が悪すぎた。
 これが攻められる前であれば少しは話が違う。董卓のように、袁家のように悪逆を行う勢力を討伐しようというなら分かる。しかし救われたいが為の命乞いに想えるタイミングでは、人の心は動かせない。

「じゃあ劉備軍は……どうして孫策軍を助けに行ったの?」

 ある程度頭の回る蒲公英からはそんな質問が飛んだ。あちらは助けてこちらは助けないのか、そんな意味合いを持つ質問が。
 救う命を取捨選択する行いに人は疑問を持つ。無償で誰かを助けるモノがいるのなら、助けて欲しいモノはソレに縋るモノだ。蒲公英が放った疑問は当然に出てくるモノであろう。
 それに対して朱里は、冷たい輝きを光らせながら凍りつくような言葉の刃を投げかけた。

「……将来性がある勢力でしたからね。今後の曹操軍と相対するに当たって手を組む為に貸しを押し付けに行ったんです。あなたもある程度政治を見てきたなら分かると思いますが、単純に救う為に行ったわけではありません。
 “困った人を助けるのは当たり前”……それが通用するのは国の守護を責としないモノだけですよ、馬岱さん」

 主の意向とは全く違う言論を述べる朱里に、愛紗が目に見えて苦い顔を浮かべた。反論を上げることはしないが。
 桃香ならばきっと、それは違う、と言うだろう。
 桃香ならば絶対に、困った人を助けるのは当然だ、と言うだろう。
 しかし朱里は言わない。朱里だけは絶対にソレを口にしない。
 主に変わって冷たい決断を下さなければならないこの小さな軍師だけは、劉備軍の中で誰よりも冷たくならなければならないのだから。

「そんな……そんなの……やっぱり、ダメなの? たんぽぽ達は……ずっと、ずっと守ってきたのに……誰も味方になってなんて、くれないの……?」

 ただ、やはりと言うべきか黙っていられない人が、一人。

「馬岱」

 赤い髪を揺らして彼女――白蓮は、項垂れて目に涙を溜めている蒲公英に向けて穏やかな声を紡ぐ。

「同じく馬を駆って大陸の防衛を生業としてきたモノとして馬騰殿のキモチは痛い程分かるよ」

 幽州という辺境の大地を、馬騰達のように守ってきた白蓮。状況的に見ても似ていると言えよう。
 たった一つの勢力、誰も共に戦ってくれるモノはおらず、強大な敵からの侵攻は避けられない。
 救援を求めても跳ね除けられ、その現実に恐怖しながらも戦うことを決めたのが白蓮だった。

 まるであの時の焼き増し。蒲公英は曹操軍との交渉に向かった牡丹と同じで、抗うことを決めている馬騰はあの時の白蓮と同じであろう。
 故に白蓮には蒲公英が牡丹にダブって見える。
 ズキリと痛む胸をたおやかに抑えて、白蓮は蒲公英に近付いて行った。
 涙に濡れる顔を上げた蒲公英の目をそっと拭いて、白蓮は優しく抱き締めた。

「悔しいよな……哀しいよな……苦しいよな……救いたいよな?
 分かってるよ。お前達が大好きな家を壊されたくないって気持ちはさ。
 一緒に草原を駆け抜けた場所も、おいしいお茶を飲んで温まる店も、皆で笑い合った街の中だって、大切な大切な宝物。それが失くされちゃうかもしれないことが怖くて、悲しくて、辛いんだよな。
 その家を守る為に……私達に出来ることは少ないけど、手助けをさせてくれ」

 耳元で紡がれる優しい声。蒲公英は甘えるように白蓮の胸に顔を埋めた。
 一緒の想いを感じてくれる人の存在が嬉しくて、一緒に家を守ってくれると言ってくれるその存在が優しすぎて、彼女の声は大きく、大きく室内に響き渡った。

 そんな二人の様子を見ながら、星はやれやれと肩を竦めた。

「相も変わらず私の主はいつも通り、か。ああなっては桃香殿の意向も朱里の意向も、誰の意向も聞かんぞ? まあ私は誰が味方せずとも白蓮殿の味方だがな」
「……」

 星の語りに、愛紗は星のことを羨ましげに見つめた。

――白蓮殿は……変わらない。昔のまま、桃香様の友であったあの頃のまま。たった一つ、我慢することを辞めた。

 泣いている子供をあやす白蓮の姿に、愛紗は昔の桃香を重ねていた。
 きっとあの頃の桃香なら、蒲公英の哀しみになりふり構わず近寄って抱きしめたはずだった。
 今は此処にいないが、今の彼女であれば、朱里の結論を促す為にしたいと思っても耐えたことだろう。

 其処が違う。今と昔では、主のナニカが大きく違うのだ。
 自然と発生する気持ちによる行動を抑えてしまうようになった。その一寸の躊躇いが、相対する人間に与える影響は大きい。

 桃香と白蓮は似ている。
 心の在り方も願いの祈り方も……人への想いも。
 本当は逆だった。本来は逆だった。
 桃香のそういった所に白蓮は憧れていたはずで。

 その差異に、その変化に、愛紗は気付いてしまった。
 だから、星のことが羨ましい。昔の桃香のような白蓮と並んで歩いている彼女が。絶対の忠臣、白馬の王の右腕である彼女のことが。

 一人。朱里は星の声と愛紗の無言からその心情を察する。“全てを理解した上で”

――そう、だから私は桃香様を此処に呼ばなかった。

 白蓮と同じ状況に置かれた西涼の使者に対して、今の心乱された桃香では有利が得られないと思ったから。
 目の前に現れた西涼の使者に冷たい現実を突き付ければ、きっと白蓮は今のような行動に及ぶと分かっていたのだ。
 白蓮が優しく導けば、それは桃香の意思でもあると手渡せる。

 これで西涼の心は手に入れたも同然。心の底から来る優しさの発露は、甘い毒のように西涼の民に沁み渡って行くだろう。
 僅かな支援でいい。ほんの僅かな手助けをするだけで、西涼の勝敗如何に関わらずその兵力が手に入る。
 ここまでが朱里の計算。
 隣に立つ藍々は、そんな朱里の思考を読み取って震えあがる。

――人の心さえ遥か高みから見下ろしながら操る……なんてバケモンになったんスか、あんたは。

 耐える。
 口に出すことなく、藍々は目の前の白蓮と蒲公英に向けて呆れたように見せながら声を上げた。

「……白蓮さんの意見もごもっとも、全兵力を向けることは出来ないッスけど……始めっから自分らは西涼に支援を申し出るつもりでした。
 長旅でお疲れでしょうし、今日はこれまでとするッスよ。ゆっくり旅の疲れを取ってください。馬岱さん……と……?」

 そういえば、と思いだした。一緒に来ていた男は何物なのだろうか、と。
 微笑ましげに蒲公英を見ていた男が、藍々の発言によって漸く口を開いた。

「ああ、名乗るのが遅れたな。俺は華佗という。ただのこの子の護衛兼付添いで、医者だ」

 その発言に目を見開いたのは、たった一人。
 雷光の如く思考を巡らせた後、慄く唇を震わせ、彼女は……朱里は声を流した。

「……そう、ですか。長旅お疲れ様です。すぐに部屋を準備させるので、使者の方と共にゆっくりとお休みください」

 “彼”に対する、深く色付く悲哀の感情を溢れさせながら。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

今回は短め
絶望を経験しているからこそ出てしまう白蓮さんの感情な回
桃香さんが役目を奪われている件について

次は桃香さん出ます。
ではまた 
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