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幸福の十分条件

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映し出されたもの

『運命とは、もっともふさわしい場所へとあなたの魂を運ぶのだ』──シェイクスピア



 目を覚ますと、すでに正午を過ぎていた。
 いつもの習慣どおり眠気を適当にあしらってから、身体を起こす。こんな時間に起きたというのに、俺はまだ若干眠かった。
 この世界に来てからはや二ヶ月。ここ最近は夜中に眠り、昼間に起きる生活をしていた。何故かといえば、朝起きてもすることがないからだ。これといって仕事がなければ、やりたいこともない。やっていたことといえば昼寝なのだから、寝続けていても同じだろう。夜中になれば同じように暇になってしまうわけだったが、どうせ暇なら他の人間が寝静まっている夜中のほうが俺は好きだった。
 この時間には起きるのは、昼食のためだ。夕食しかとれないのはさすがにまずい。そういうわけで、食堂へ行くために俺は自室を出た。
 通路を少し歩くと、壁際に座っている女が視界に入った。紺のジーンズに黒の無地のシャツ。洒落っ気のない格好だったが、胸元の膨らみがかなり激しい主張をしていた。横から見ると分かるが、結構な大きさがあった。
 女はこちらに気がつくとヘラヘラとした笑みを浮かべながら、手を振ってきた。
「あ、雄二だ。おはよう、それとも、おそよう?」
 俺は返事をするか少し悩んだが、手を振り返してやる。
「怜司のやつがなんか、部屋から出て来ないんだよね。なにしてんのかな」
 女の視線の先には通路に面した扉があった。怜司の部屋だ。
 あいつがなにをしているかなんて知らないし、どうでもいいの極致だ。だが、内心に思っていることが知られてしまってもめんどくさい。
「……さぁな。ノックでもしたらどうだ」
 適当な相槌が自分の口から出ていく。こういうとき、口数が少ない人間は楽でいい。いつも感情が乗らないおかげで、本当に興味がないときもバレずに済む。
「えー。もしナニしてる最中とかだったら気まずいじゃーん」
 俺の適当極まる返事に、女は最悪極まる冗談で返してきた。自分の心が冷え切っていくのを感じる。そんなこと、俺が知るかよ。
 さっさと食堂に行きたかったが、話しかけられるせいでなかなか進めなかった。人付き合いが苦手な人間の特徴だが、会話のタイミングというのが掴めない。会話から離脱するとき、他の連中はいったいどうやっているのやら。
「そういえばさ、雄二は僕が女だって知っても、あんまり驚かなかったよね」
 女がそう言って、不思議そうな顔を浮かべる。
 そう、こいつは別に新しい住人でなければ、俺の日常に新しく入ってきた人間というわけでもなかった。こいつは実は、蒼麻だ。
 どういう理由だか知らないが、こいつは男のフリをしていたというわけだ。俺がこいつに対して抱いていた違和感の正体が後から分かったが、それは、男女間の微妙な骨格の違いと、声、それと胸元だった。サラシを巻いて誤魔化していたらしいが、それでも多少は膨らみがあったのだろう。
 だが、俺が蒼麻が女だと知って驚かなかった一番の理由は、怜司にベタついていたからだ。あの男に関わる人間なのだから、どうせ女なのだろう、とずっと思っていた。女だというなら、ベタついているのも、声が高いのも、風呂掃除を仕事にしているのも、納得がいく。恐らく、風呂には掃除するついでにこっそり入っていたのだろう。
 ただ驚きはしなかったが、胸にサラシを巻いて男装するなんていう無茶苦茶が目の前で行われると、なんだか腹が立つ。普通、隠しきれるわけがない。相変わらず怜司の強運は恐ろしい。まぁ、俺もはっきりとは気がつかなかったんだが。
「……驚いていたさ。ただ、顔に出にくいんでね」
 理由を正直に答えるわけにもいかず、俺は適当なことをでっち上げた。
「ふーん、そっか。怜司なんか凄い狼狽してたんだよ? あの顔は見せたかったなぁ」
 顔とやらを思い出しているのか、蒼麻は楽しげに笑っていた。まったくもってどうでもいい。
 ちなみに怜司がどうやって知ったのか、俺は経緯を知らない。どうせ、風呂場でばったり出くわしでもしたのだろう。よくある話だ。
 気分が良い感じに沸騰してきたところで、ご本人が部屋からご登場なさった。
「あ、おそーい」
「悪い悪い、昼寝してたもんで、って抱きつくな!」
 出てきた怜司の腰に蒼麻が両腕で抱きつき、怜司が抵抗する。以前と変わらない状況だが、怜司の顔が微妙に赤くなっていて、抵抗が弱まっていた。蒼麻の顔も赤いのが見ていて腹が立つ。
 怜司に女だとバレて以来、蒼麻は男装をやめて女だと分かる格好にはなったものの、振る舞いはほとんど変わらなかった。嫌がるのを楽しむことが、恥ずかしがるのを楽しむことに変わったぐらいだ。
 そのことにももちろん、俺は驚かなかった。よくあるだろ。
「雄二もいるならちょうどいいや。一緒に飯食おうぜ」
 いつもどおりの申し出に、俺の心にはいつもどおり不快感が訪れた。しかし抵抗するのも面倒だったので、三人で食事をとることにした。
 食事中にこれといって変わったことはなかった。怜司が喋り、蒼麻が余計なことを言い、怜司がそれに突っこみを入れて、といういつもの流れを見せられていた。そのままなにが起こることもなく昼食を終えて、俺は部屋に戻った。
 それから適当に時間を潰して、みんなが寝静まったころに倉庫へと移動。仕事を始めた。
 倉庫内に作業の音がかすかに響いている。俺は作業用の机の前に座って、マガジンにひたすら銃弾を詰めていた。これが俺の仕事だ。
 割り振られた仕事の内容としては、こういった銃器のメンテナンスではあったが、各々の専用の装備はそれぞれが自分で調節をするし、自分でできない部分については専門の技師に頼む。となると必然的に、俺がやるのはこういう誰でもできる作業になるわけだ。
 他にはこの組織で支給している汎用装備の手入れなどもあったが、銃弾を入れる作業が作業時間の大半を占める。
 はっきり言って単調だ。自分が作業用ロボットだかアームだかになった気分になる。あまりにも退屈なので、手を動かしながらなにか面白いことはないかと頭の中で探す。すると、最近、日に日に蒼麻と怜司の仲が怪しくなっていっていることを発見した、というどうでもいいことを思い出した。本当にどうでもいい。よりにもよって思い出すことがこれとは、自分で自分に呆れる。
 さらに記憶を掘り下げていっても、以前に怜司がなんかの病気になったとかで、十兵衛が奮闘したこととかしか出てこない。ここ一ヶ月にあった大きな事件といえばこの二つぐらいだ。
 どうにも怜司のやつは順調に周囲の女たちを攻略していっているようだ。十兵衛はこの事件以来、少し怜司に優しくなった気がする。もともと優しくはあったが、それはどこか従者的だった。今はもっと違う接し方になっているように思う。蒼麻は蒼麻で、こっちはついに本格的に互いを意識するようになっていた。夏とかによくやっている、感動恋愛映画を見せられているような気分で、俺としては勘弁してもらいたかったが。
 一方で俺にあったことといえば、こうやって夜中に作業をして昼間に起きるようになったことぐらいだった。リア充と引きこもりの違い、といったところか。
 苛つきが手元を狂わせたのか、置いてあったマガジンを手の甲で弾き飛ばしてしまう。それが机の上に置いておいたナイフにぶつかって、ナイフが床に落下。危うく足に突き刺さるところで、遅れて俺の額から冷や汗が流れ落ちる。ピタゴラスイッチかよ。
 慎重にナイフを拾い上げて机の上に戻す。これは手入れするために置いてあるわけではなくて、俺の所持品だ。一応、ここは傭兵集団のアジトなので、敵が侵入してくるかもしれない、と言われて持たされたのだ。俺のような素人がこんなナイフを一本持ったぐらいで役に立つとは思えないが、お守りぐらいにはなるのでこうして持ってきている。たったいま、それで怪我しかけたが。
 深呼吸をして自分を落ち着かせてから、作業に戻る。銃弾の山と空マガジンの群れが、俺をまだ待ち構えていた。
 ──俺は無意識に、ここ最近の流れから連想される、ある考えを頭の中から排除しようとしていた。それから、目を背けようとしていたのだ。


 次の日。夕食どきになったので部屋から通路に出たところで、怜司と桜が会話をしているところを見かけた。
 この二人が、二人だけで話しているのを見るのは珍しい。なんとなく気になって、俺は聞き耳を立ててみた。だが、内容はいたって普通の世間話で、これといって面白くもなかった。
 せっかくだから後で桜に、なにを話していたのかでも聞いてみようか。そう思ったとき、カラン、と軽い音とともになにかが床に落ちた。
「あ、なんか落ちた。かんざしか、これ?」
 怜司が拾い上げたそれは、かんざしだった。普段、桜はかんざしなんかつけていないはずだったが。
「む。慣れないことはするものではないな……たまにつけてみたら、これだ」
 心なしか、桜の口元が引き締められる。あれは多分、かんざしが落ちたことに対して少し怒っているのだろう。あるいは、そういった醜態を晒したことに恥ずかしさがあるのかもしれない。
「へぇ〜、桜さん、なんか上品ですね……あ、そうだ。俺がつけてあげますよ」
 かんざしを持ったまま怜司が桜の後ろに回りこむ。
「え、あ、いや……じ、自分でやるからいい」
「そう言わず。この間、たまたまかんざしの付けかたを本で読んだんですよ。これ、大変でしょ?」
 そのまま桜の制止も聞かずに、怜司はかんざしを差そうとするが、なかなか上手くいかない。付けることはできているが、気に入らないのか、何度もやり直していた。
「あー……やっぱり一度外れると綺麗にならないな。ちょっと髪、ほどきますね」
「あっ、ばかっ、よせっ!」
 止めようとする桜だったが頭を動かすわけにもいかず、手で止めることもできず、結局は黙り込んでしまった。落ち着かないのか、目線が右に左にと泳いでいる。
 その間にも怜司は桜の髪をほどいて、手ぐしで整え、かんざしを差してから縛り直した。桜から離れて彼女の周りを一周すると、出来栄えに満足したのか、頷いた。
「ばっちりですね。さっきより可愛くなりましたよ」
「う……そ、そうか」
 満足げに笑う怜司に対して、桜は俯いたままだった。
「じゃあ先に食堂行ってますねー」
 そう言って怜司は食堂へと消えていった。桜は何故だか、立ち尽くしたままだ。
 俯いていた彼女はゆっくりと顔を上げると、また俯いた。顔を上げ、俯く。それを何度も繰り返す。何度目かの往復の後で、やっと顔を上げたままにした。それでも視線が泳いでいて──照明に照らされた彼女の顔は、耳まで赤かった。
 深呼吸を何度かしてから、桜は食堂へ歩いていった。
 ……長い一幕だった。なるほど、そういえば怜司の周りで攻略してないのは桜だけだったな。なるほど。寸劇も終わったことだし、俺も食堂へ行こう。
 冷静な頭に反して、俺の胸の奥には今まで感じたことのない感覚が、まるで爆発寸前の爆弾のようにうずくまっていた。俺の理性はそれを無視したまま、身体を動かそうとした。
 だが、俺の足はうんともすんとも動かなかった。まるで神経が通っていないかのように、どれだけ動かそうとしても動かなかった。両手や、首でさえ動かない。唯一動くのは、目だけだった。全身があらゆる働きを拒絶していた。
 俺の頭が困惑で埋め尽くされる。いったい何故、自分の身体が動こうとしないのか分からなかった。不調はそれだけではない。吐き気までしてきたし、視界がぼやけて見える。正体不明の感情が胸の奥からこみ上げてきていた。
 通行人が不審そうに俺のことを見てくる。それに気がついたとき、何事もなかったかのように俺の身体は動き始めた。
 だが、身体は食堂ではなく、勝手に自室へと向かっていた。そのまま自室に入ると、扉を閉めて、鍵をかけた。
 その瞬間、俺の中のなにかが決壊した。


 気がつくと、時間が日付を跨いでいた。
 寝台の上で壁に背を預けたまま、目線を下ろしていく。部屋が崩壊していた。
 本棚は横倒しになっている。床には何冊もの本が散乱。机の上のものは周囲に飛び散っていた。寝台のシーツさえ、引きちぎられている。
 酷いありさまなのは部屋だけではなく、俺の身体も同じだった。頭は鉛のように重いし、泣きはらした目が痛む。さんざん打ち付けた腕は赤く腫れ上がっていて、額から流れた血が顔に痕を残している。
 まるで誰かと格闘したみたいになっているが、俺は誰とも殴り合いはしていない。強いて言うなら部屋と殴り合いはしたか。
 あの後、俺は半狂乱となって自分の部屋で大暴れした。本棚を自分で引き倒し、机の上のものを薙ぎ払い、慟哭をあげながら床を何度も腕で打ちつけた。腕の感覚がなくなってくると、今度は頭を打ちつけた。
 冷静な頭で振り返ってみても、何故暴れたのか、自分でもよく分からなかった。恐らくは怜司と桜が原因なのだろう、と俺の頭は予想した。赤くなった彼女を見たとき、俺は彼女もまた怜司にまつわる“登場人物”なのだと感じてしまった。普段、かんざしをつけていない女が、たまたまかんざしのつけ方を覚えた直後につけて現れるなんて、偶然にしてもできすぎてる。そう思った瞬間、俺はなにもかもがどうでもよくなってしまった。
 この考えが明らかに間違いなのは、自分でも分かっている。ここは現実で、物語の中じゃない。そんなことは分かっていたが、それでも怜司に対してだけはそう思うことしかできなかった。
 間違いだと分かっているのに、その考えを変えることができない。きっと俺は、どこか壊れてしまっているのだろう。なにか、自分や人生に対する認識のなにかが壊れている。だが、もう、自分ではどうすることもできなかった。俺はもう、疲れ果てていた。
 こんなことなら、あのとき怜司のお節介がないほうが良かった、とさえ思う。それならまだ、遠くから見ているというだけでなんとかなったかもしれない。中途半端に桜と接近しているのが良くなかった。
 冷え切った頭が、さらに思考を遡らせていく。そもそもどうして俺はこんな世界に来てしまったのだろうか。一体どうして、怜司という最悪な形の人間が目の前に現れ、桜という女性と出会い、こんな状況に陥っているのだろうか。何故、俺は生まれて、生きて、ここでこうしているのだろうか。いったいなんのために。
 なにかの罰としか思えなかった。両親に従わなかったせいなのか。それとも、両親の期待どおりにできなかったせいなのか。俺が無能なせいなのか。いったいどこからが俺のせいで、どこからが俺のせいではないのだろうか。
 俺は、自分自身に起こった、すべての物事の原因を探していた。この苦痛の、理由と意味を探していた。それさえ見つかれば、まだ耐えられるかもしれない。だが、見つからなかった。俺の苦痛の原因をなすりつけられるようなものは、なにひとつとしてなかったのだ。あるとすれば、それは俺自身以外にはなかった。
 それでも俺は、自分が悪いのだと思うことに疲れてしまっていた。立ち上がるだけの気力が、俺にはもうなかった。
 重力に従うままに、首を倒す。視界の端で、光り輝くものがあった。希望のように見えたそれは、机に突き刺さったナイフだった。
 汚れひとつない刀身が、鏡のように俺の顔を映し出していた。そこには、見たことのない顔があった。
 二つの漆黒の穴が、俺を覗き込んでいた。


「あー、疲れた」
 業務である通路掃除の、夜間の分を終えて俺は部屋に戻ってきていた。単純労働とはいえ、この施設は大きいためにそれなりの疲労がある。
 寝台に寝転がると、疲労が抜けていく感覚が全身に広がる。リラックスしながら、俺は今日あったことをなんとなく振り返っていた。今日はいい発見があったからだ。
 かんざしをつけた桜さんは綺麗だった。普段はなんというか、仏頂面だけど、女らしい格好をしたらかなりの美人なんだろう。もしかすると蒼麻以上の変化があるかもしれない。
「そういえば、飯のときに雄二いなかったな。いつもはいるのに」
 ふと、無口な友人のことを思い出した。具合でも悪くしてなければいいが。雄二のことは明日聞くことに決めて、俺は部屋の明かりを消して眠りについた。
 しばらくして、俺は物音で目が覚めた。誰かがトイレに行くために通路を歩いているのか、と思ったがどうも違う。扉の開閉音が明らかに至近距離から聞こえてきた。
 恐る恐る薄目を開けて確認してみると、寝台のすぐ傍に誰かが立っていた。暗くて顔はよく見えない。
 視界の端に鈍く光るものが見えた。そこから暗い腕が続き、肩に繋がる。なにかを振りかざしているのだと気がついた瞬間、俺の腕が反射的に跳ね上がっていた。
 同時に腕に衝撃。俺の腕が相手の腕を受け止めていた。相手が振り下ろしたナイフの切っ先が、目のすぐ先で止まっている。
 襲撃してきたなにものかは俺の上に馬乗りになると、両手でナイフを押し込んできた。両腕に力を込めて反発し、なんとか拮抗させる。
 咄嗟の判断が働いたが、俺の頭は突然の出来事に完全に混乱していた。
「だ、誰だお前は!? なんで、こんなことを!」
 相手は俺の問いかけには答えなかった。だが非力なおかげで、まだ刺されずに済んでいた。
 十秒ほど拮抗したままでいると、突然部屋の明かりがつけられた。扉のほうを見ると、蒼麻と桜さんが立っていた。
 俺が助けを請うよりも先に桜さんが動き、俺の上に乗っていた人間を床に引きずり倒した。傭兵だけあって、目にも留まらぬ速さだった。
「た、助かった……」
 全身から一気に力が抜けていく。危険から脱したことで、遅れて恐怖がやってくる。それでも、頭の中の混乱はいまだに収まってはいなかった。
 寝台にへたり込む俺を尻目に、桜さんと蒼麻は驚いた顔で犯人のほうを見ていた。俺もそれに倣い相手を見る。その瞬間、言葉を失った。
「ゆ……雄二?」
 そこにいたのは友人の雄二だった。桜さんに腕を背中で捻りあげられ、床に倒されている。俺はさらに混乱した。いったいなにが起きてるのか、まったく分からない。
「雄二っ、いったいどうしてこんなことを!?」
 入り口に立っている蒼麻が驚きの声をあげていた。俺はまだ言葉を発することができない。
「……答えろ、雄二。何故だ」
 桜さんも雄二に問いかけるが、雄二は答えようとしなかった。
 俺の理性は混乱しながらも原因をつきとめろ、と言っていた。恐怖と困惑のために身体は、思うように声を発してくれない。それでも俺は、無理やりにでも言葉を出そうとした。
「ど、どうしてだっ!? どうしてお前が、俺を!!」
 張り付く口を強引に開いた瞬間、恐怖と驚愕が入り混じった声が俺の喉から吹き出した。それを聞いた雄二が、初めて顔をあげた。
「……っ!!」
 俺の背中が、氷になったかのように冷え切った。雄二の暗い眼孔の奥には、憎悪などという言葉では言い表せないほどの、深海のように重いなにかがあった。俺は直視することができず、目線をそらした。
 身体に震えがきて、思わず両腕を抱いてしまう。表現できない恐怖が全身を支配した。
「だ、大丈夫!?」
 蒼麻の心配そうな声が遠くに聞こえる。視界が徐々に薄れていき、俺は意識を失った。


 次の日になって、俺は雄二がどうなったかを知った。
 この組織の長の指示で、雄二は地下牢に入れられた。どういう処分をするのかはしばらくしてから決めるらしい。警察などは俺たちがいた世界のようには働いていないようだ。この世界の、こういった法があやふやな部分が、俺は嫌いだった。
 面会を申し込むと、渋い顔をされた。それでも俺は頼み込んで鉄格子越しに話す許可をもらった。
 本人に直接、理由を聞きたかった。あんなことをした、というよりは、あんな目をする理由をどうしても知りたかった。俺が知らず知らずのうちに、あいつになにをしてしまったのかを。
 地下に続く階段を降りると、目の前が牢屋だった。広さは八畳程度で、電気は通じていて、思っていたより明るい。鉄製の床と壁、という内装も変わらなかった。
 雄二はその中央に、俯いたまま座っていた。とくに拘束はされていなかった。
「……ゆ、雄二」
 恐怖を押し殺して、俺はなんとか声を絞り出した。
 緩慢な動作で、雄二は顔をあげた。そして、なにも見なかったかのように顔を下ろした。
 彼の瞳には、なんの感情も灯っていなかった。 
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