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執務室の新人提督

作者:RTT
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51

 赤城、という艦娘は良く知られている。
 何を、と問われれば誰もが喜んで口を動かすだろう。
 史実においては第一航空戦隊を代表する軍艦で、南雲機動艦隊旗艦であったという正規空母だ。女性の体を得て在る現在では、提督との間に子を為したと言う事から、一定の任務を終えた鎮守府や警備府等に大本営から与えられる存在である。
 しかし、それは前例にならって子を、という意味だけではない。赤城という艦娘の艦載機運用能力を戦線で活用せよ、また使い切って見せよ、と与えられるのである。
 
 様々な海上作戦を実行した提督や、その提督を助ける艦娘達は、深海棲艦側へと切り込んでいく中で制空権の確保を重視するようになり、やってきた赤城に多くの可能性を見る事になるのだ。
 初めての空母艦娘は赤城であった、という提督も少なくはない。ゆえに、赤城という存在は多くの提督達にとっての教本の様な存在ともなるのだ。
 それも、苦労を共にした、である。
 その結果、大本営の思惑通りとでも言うべきか、互いに心惹かれてそのまま結ばれるという提督と赤城は多い。

 戦艦ならば金剛大和、空母であれば赤城か加賀か、貰う為なら金草鞋。

 とは現代で歌われる提督達の今歌である。
 赤城への軍部――提督達からの想いが窺えようという物だ。
 
 当人も一航戦の、正規空母の筆頭として芍薬の様に凛々しく、海上を行く同僚達を気遣う姿は牡丹の如く美しく、想う人の隣に静かに在る風貌は百合にも似て優しげだ。
 外貌、内面、そして在り方。それら全てが高い水準にある赤城ゆえに、誰もが彼女をよく知っている。
 そして赤城でもっとも有名な事と言えば。
 
「んー……美味しいですー……」

 健啖家、という事だろう。
 
「間宮さんの豚カツも美味しいですけど、鳳翔さんの豚カツも美味しいですー」

 赤城はどんぶりに盛られた大盛りの白米を口に運びながら、豚カツにも箸を伸ばす。頬を膨らませて食事を摂る赤城の姿からは、芍薬だの牡丹だの百合だのといった華は窺えない。ただ、普段凛々しく在る事の多い赤城の、この食事を摂る際に見せる顔は、多くの提督を魅了してやまないものでもある。
 常では見れない赤城の、その満面の笑みに堕ちる者は多いのだろう。ただし、今ここで赤城と共に箸を動かしている存在は、まったく魅了されていなかった。
 
「赤城は食べすぎでち……そんなんじゃ、いつか提督にも愛想尽かされるんじゃない?」

 伊58、皆からゴーヤと呼ばれる潜水艦娘である。
 彼女は提督指定の水着と、常から羽織るセーラー服の上に黒の軍用外套を重ねていた。季節はそろそろ冬である。海の中となれば艤装のサポートもあって体温調整も出来るが、陸の上となれば寒さを遮る外套が必要なのだ。
 ゴーヤはぱくぱくと、その癖綺麗に料理を口にする赤城を半眼で見ながら、自身の前にある秋刀魚定食をゆっくりと食べていた。
 
「提督はそんな方ではありません。ゴーヤさんこそ、そんな食事量では痩せ細って提督に見放されますよ?」
「提督はそんな人じゃないもの」

 ゴーヤは赤城の目を見ながら返すと、一旦箸を置いて湯飲みへ手を伸ばした。赤城はテーブルの上に在る様々な料理、今度は秋刀魚の蒲焼に箸をつけていた。
 
「……はぁ」

 ゴーヤは熱いお茶を嚥下すると、息を零した。それはお茶の熱さと美味さに満足したという溜息ではなく、呆れの余り出た溜息であった。
 
「赤城は、なんでスタイルが崩れないの……」
「……? スタイル、ですか?」

 ゴーヤの言葉に、赤城は暫しきょとん、としてから自身の体に目を落とした。赤城の目には、常の自分の体が映るだけである。赤城の目には、だ。
 
「それだけ食べてその体を維持してるとか……もう女性全てに喧嘩売ってると思う、ゴーヤは」

 ずず、と湯飲みを傾けてお茶を飲むゴーヤであるが、そのゴーヤにしても中々の物である。体つきこそコンパクトであるが、女性的な膨らみや柔らかさから無縁、という体付きではない。むしろ理想的な物を体現したスタイルである。同性の赤城から見ても、ゴーヤは十分に魅力的であった。
 
「それを言うなら、ゴーヤさんこそそれだけの食事量でよくその体が維持できますね?」
「嫌味でちか?」
「いいえ、純粋な疑問です」

 半眼のゴーヤに、赤城は穏やかに返す。お互い何も口にせず、ただ静かに黙っていると、二人が居る部屋――座敷に一つの声が響いた。
 
「宜しいですか?」
「はい、どうぞ」

 赤城の返事に、襖が開かれる。座敷に入ってきたのはこの座敷がある居酒屋、それの主である鳳翔であった。
 鳳翔は手に在る盆から大盛りの焼き鳥、じゃがバターをテーブルに置くと二人に一礼した。
 赤城はそれに深く頭を下げて返し、ゴーヤも正座で礼儀正しく頭を下げた。
 
「ゴーヤさん、お口にあいましたでしょうか?」
「はい。やっぱりゴーヤは間宮さんと鳳翔さんのご飯が一番でち。他のはいまいちでちね……」
「あら……赤城も、注文は以上で大丈夫かしら?」
「はい、十分です。今日はあんまり食べないつもりですから」

 鳳翔は二人と言葉を交わすと、また一礼し廊下へと出て静かに襖を閉じた。赤城は早速、先ほど鳳翔が持って来た焼き鳥へ手を伸ばす。
 
「あんまり食べない……ねぇ」
「そりゃあ、潜水艦娘と比べられたら、誰だって大食いですよ?」
「いやあ、そういう枠組みだけの話じゃないでち、これは」

 一本、二本、と次々と串に刺さった焼き鳥と葱を口に消していく赤城を見つめながら、ゴーヤは秋刀魚定食の残りを食べる為再び箸を手に取った。
 
 お互い、また何も喋らない。静かな座敷の中で、僅かに食器とテーブルのぶつかる音や、箸が茶碗、または皿をついた音だけが木霊する。
 二人は、特に親しい友人という訳ではない。こうして食事を共にする事はあるが、本当にただの同僚だ。いや、ただの同僚と言うには、少々遠慮なさ過ぎるところがあるのだが、これも二人の中では僚艦同士のじゃれ合いなのかもしれない。
 お互い、正規空母、潜水艦のまとめ役として、肩の力を抜きたい時もあるのだろう。
 
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでち」

 二人は同時に手を合わせ、食事を終えた。
 正規空母赤城と潜水艦娘ゴーヤは、同時に食べ終えたのだ。赤城は健啖家ではあるが、ゴーヤは小食家の代表の様な艦娘だ。いや、潜水艦娘は皆小食であるが、ゴーヤは小食の上に食事の速度も遅い為、特に目立つのである。
 健啖家で食べる速度も速い赤城と、少食家で食べる速度も遅いゴーヤであるからこうして食事を終えるのはいつも一緒だ。
 この辺りも、二人が偶にとはいえ一緒に食事をする理由なのだろう。
  
 赤城は湯飲みの中身を飲み干すと、手に在るそれをゆっくりとテーブルに戻し、同じ様にお茶を飲み干していたゴーヤに目を向けて
 
「……問題はありませんか?」

 そう言った。その言葉に、ゴーヤは何も応えない。
 主語のない赤城の言葉に、疑問の相を浮かべるでもなく、何かを誤魔化すでもなく、ただ黙っているだけだ。
 
 ゴーヤは感情の消えた顔で赤城を見た。ゴーヤに応じる赤城の顔も、またどこか冷たげだ。先ほどまで赤城の相を覆っていた、柔らかい彩りは消え失せてしまっている。
 ゴーヤはそんな赤城を見返しながら、平然と口を開いた。
 
「何もないでち。あとは提督の言葉を待つだけでち」
「そうですか、それは良かった」

 赤城は穏やかな相に戻って二度三度と頷いた。その後、テーブルにある伝票を手にとって、座敷の外套かけにかけて置いた、ゴーヤと同じデザインの黒い軍用外套に袖を通した。
 
「赤城、ゴーヤの分は出すでち」
「良いですよ、ここは私に出させてください」
「でも……」

 と続けようとするゴーヤに、赤城は掌を見せて首を横に振った。
 
「御報謝」

 短く、またはっきりと言った赤城に、ゴーヤは暫し黙った後苦笑を漏らした。
 御報謝、等と今時まず聞くものではない。ゴーヤ達が艦で在った頃でも、だ。様々な意味を持つ言葉だが、この場合赤城が口にした御報謝、とは江戸の時代など、旅する僧侶や見るからに苦労している旅人に、人々が僅かばかりの金銭などを渡す際口にした物であろう。明治や昭和の初期辺りならまだあった風習かもしれないが、海で生涯を終えた彼女達は知らぬ物である。
 それでも、今の彼女達は人の体を持ち心を持つ存在だ。どこかで聞いた、或いは知ったそれを、赤城は女性の姿と心でゴーヤに行っている。
 ゴーヤが暫しここを離れ、様々な土地を巡ったと知るからだ。

「じゃあ、今度は他の潜水艦の子を呼んであげてね?」

 ゴーヤは苦笑を浮かべたまま赤城を見上げて言った。その御報謝とやらに与れるのが自分だけでは、と思ったからだろう。
 そんなゴーヤの思いが分からぬ赤城ではない。彼女はにこりと微笑んで
 
「じゃあ、提督もお呼びして皆でお食事会でもしましょうか」

 そう言った。
 ゴーヤは、苦笑を朗らかな物に変えて返した。

「それだけで、胸がいっぱいでち」
 
 
 
 
 
 
 
 ゴーヤにとっての久方ぶりの鳳翔の料理は、やはり美味であった。少なくとも、ここを離れていた際に口にした物とは比ぶべくもない程である。
 ゴーヤが鳳翔や間宮の料理に馴れた舌で在ったが故にそう思うだけだろうが、そう思わせるだけの魅力が鳳翔と間宮の食事には在るという事だろう。

 ゴーヤは満足げに頷くと外套の襟を首元に寄せた。季節は冬の前であるが、夜ともなれば寒さも強い。
 殊、先ほどまで在った居酒屋が暖かった分、感じ入る寒さはより一層厳しい物だ。
 ゴーヤは息を吐いて、僅かに白く染まったそれが宙に溶ける様を見つめた。
 そして、今日までの日々の、その始まりを脳裏に描いた。
 
 この世界に渡った際、一部の艦娘達――ゴーヤ達潜水艦娘は直ぐに動きを起こした。いや、動くしかなかったのだ。静かに混乱し、人知れず狼狽する主の為にも、彼女達は動かなければならなかった。
 その混乱と狼狽を、主から取り除く為に。
 
『提督、お願いがあるでち』

 代表して口を開いたゴーヤの話す内容に、提督は黙って頷いた。そして、無事に帰ってきて欲しい、と言ったのだ。
 だからこそ、ゴーヤ達は人知れず行動を起こし誰にも悟られず、この地に在る全ての鎮守府と施設を調べまわったのだ。大本営さえ、だ。
 提督の龍驤や鳳翔でさえ察知できぬ彼女達である。情報を得る為に様々な施設に忍び込む事は、ゴーヤ達の想像以上に簡単な事であった。集められる物を必死に集め、出来る事を必死で行い、そして彼女達はこうして提督の言葉通り無事戻ってきた。
 提督の願いだからだ。
 
 彼女達の中には、ほぼ全ての軍部の情報がある。勿論、一ヶ月やそこらで集められる情報には限りがあるが、それでも今現在鮮度の高い、生きた情報が手元にあるのだ。
 軍部のあり方、近隣の鎮守府と、そこに居る提督達の素行。各施設の艦娘達の扱いや保有戦力、展開中の作戦、展開予定の作戦、深海棲艦側の動向等などだ。
 だからこそ、ゴーヤは赤城が食事を一緒に、と言ってきた際頷いたのだ。
 どうせ赤城をかわしても、他の誰かが来るだけなのだから、と。
 
「たしか、あの鎮守府の提督だったでちか……」

 ゴーヤは潜水艦娘寮へと続く道を歩きながら、星を見上げて一人小さく呟いた。先日、大淀がとある鎮守府の提督が来る旨を皆に伝え、近隣の清掃や注意を促していた。その来客に該当する人物は、彼女の中にある情報の一つだ。
 体つきの大きな、それでいて草食動物の様な穏やかな双眸を持つ提督である。提督の友人である少年提督の先輩に当たり、年齢と階級はゴーヤの提督よりも上だ。
 が、そんな情報を赤城達が欲しがる訳がない。
 彼女達が欲しい情報は一つだ。だからこそ、赤城は何も言わぬゴーヤに何も返さず帰ったのだ。

 害なす存在かどうか。
 
 ただそれだけだ。
 何も応えぬゴーヤに、赤城は答えを見たのだろう。そういった存在ではない、と。そうでなければ、ゴーヤ達がまず提督に報告している筈なのだ。先ほどまでの居酒屋での会話は、飽く迄赤城達による確認だ。
 私達は傍観でよいのか、どうなのか、という。
 結局、ゴーヤは何もそれらを一切口にしなかった。ゴーヤにも守るべき事があるからだ。

 そんなゴーヤに、無理にでもと口を割らせ様としない赤城にゴーヤは感心していた。流石正規空母の筆頭、そして提督の艦娘である、と。
 赤城はよくゴーヤ達を理解している。いや、赤城自身も戦場において艦載機を縦横無尽に走らせて情報を取捨選択する立場である正規空母ゆえに、共感出来たのだろう。
 拾い上げた情報の扱い方も捉え方も違うが、それもまた在り方の違いであると。
 ゴーヤ達潜水艦娘は多くの情報を持っているが、それは彼女達の物であって彼女達の物ではない。
 
 ただ、提督が開示せよと命令した時だけ、ゴーヤ達の口から語られる物なのだ。
 
 彼女達の情報はただ一人の為に集められた。たった一人の男を守るが故に、だ。
 それは艦娘達の物ではない。あってはならないのだ。
 
 ゴーヤは立ち止まり、外套の下にある提督指定の水着をそっと撫でてを息を吐いた。再び淡く白いそれが宙に溶ける様を見届け、そしてまた一人小さく言葉を零した。
 強い意志が込められた瞳の中に、夜空に浮かぶ淡い月の姿を湛えて。
 
「提督……月が綺麗でち……」

 彼女の耳には、死んでもいいわ、とは聞こえてこなかった。聞こえたとしても、きっとゴーヤは慌てて首を横に振っただろう。
 忍び、忍んで、まだ偲べない。
 ゴーヤは潜水艦だ。提督の潜水艦だ。まだすべき事がある。
 今はまだ、提督の愛に溺れて沈む訳には行かないのだから。 
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