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執務室の新人提督

作者:RTT
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46

 
前書き
今回ドイツ艦好きな方は注意してください。
 

 
 夕焼けの紅い陽に照らされ、仄かな紅に染まった執務室で提督は手の中にある書類に目を落としていた。在るは常の執務室、座すは常の執務机だ。そんな彼の前に居るのは事実上この鎮守府を運営している大淀だ。
 組み合わせも、彼らが居る執務室も、何かが可笑しいと言うわけではない。ただ、何か違和感があった。常の執務室にはない何かが、今この場を侵している。
 異物を見つけるのは、しかし簡単な事だろう。たった一つだ。
 
 提督の顔、それだけだ。
 
 常ならぬ真剣な相で、提督は手に在る書類を見つめていたのだ。
 彼の前に立つ大淀は、そんな提督に圧されてどこか不安げな相である。そして提督は大淀の様子にも気付かぬようで――いや、敢えて無視して書類を静かに読んでいた。
 たった数枚、それだけの書類である。読み終えるのは早かった。
 提督は手に在った書類を机に置き、大淀を見つめた。その瞬間、大淀の肩が大きく跳ねた。提督にしては珍しい、感情のない相が大淀の心臓と肩を跳ねさせたのだ。
 
「残念だよ……大淀さん」
「て、提督……」

 落胆を過分に含んだ提督の声に、大淀はただただ体を震わせるだけだ。提督はゆっくりと椅子から腰をあげ、大淀の横を通り過ぎた。通り過ぎる際、彼は大淀の肩を叩いて感情の篭らぬ声で小さく、
 
「残念だよ……本当に、残念だ」

 そう呟いた。
 扉が小さくきしみ、そして閉ざされた。しかしその音は大淀の耳に届いては居なかった。紅に染まった執務室で呆然と佇む彼女が提督の退室に気づくのは、もう少し後の事である。
 
 執務室から出た提督は、大淀に見せた相を輪郭の中に保ったまま廊下を一人歩いていた。いや、実際には見えない護衛がいるのだろうが、提督には見ることも感じることも出来ないのだから、彼にとっては今この廊下には彼一人だけ、だ。
 そんな彼の目に、一人の少女の姿が映った。少女は提督に気付くと嬉しそうに彼に歩み寄り、しかしある程度まで近づくと彼の相に気付いたようで、歩調を変えておずおずと提督の前までやってきた。
 適当に濁して逃げないのは、その少女の提督への愛ゆえだろう。想い人の常ならぬ様子を濁して尻尾を巻いて、等と少女――吹雪には出来かねる事であった。
 
「し、司令官……どうされたんですか? 落ちていた御菓子でも食べたんですか? それとも課金ガチャが十連続でハズレだったんですか?」

 ただし心配するレベルがこの程度である辺り、如何にも提督の初期艦である。
 提督は吹雪の気遣う声と姿に、悟った様な――まさに諦観といった相で小さく首を振り、吹雪の肩に手を置いた。
 そして、言い含めるように、優しく呟いた。
 
「吹雪さん……」
「し、司令官……?」

 夕焼けがさし込む二人だけの長い廊下で、男が少女の肩に手を置き見つめ合ったまま優しく声をかける。吹雪にとっては、漫画やテレビでしか見た事がない世界が、今目の前で、しかも自身に起きていた。
 頬は熱くなり、心臓の鼓動は煩いほどに早く鳴り響いていた。自身の体であるのに、心であるのに、吹雪には何一つ制御できない。
 言い知れぬ甘い痺れの中で提督の次の言葉を――或いは行動を待つ吹雪は、
 
「猫提督、居ないって」
「……はい?」

 素に戻って首をかしげた。
 
 
 
 
 
 
 
「可笑しいじゃないか、だってここにはショタ提督が居るんだよ?」
「は、はぁ?」
「だったら犬提督だって猫提督だって凶暴な自称兎型パワードスーツを着た提督だって居て良いじゃないか」
「は、はぁ」

 吹雪は常の調子に戻った提督の意味不明な言葉に、ただ頷いていた。彼女の手にはオレンジジュースで満たされたコップがあるが、それに口をつける余裕もない。
 
「でも……提督?」

 そう言って、吹雪と提督の座る座敷席に入ってきたのは鳳翔だ。彼女は手に在る盆から秋刀魚の刺身を提督の前に並べ始めた。
 
「その、猫、ですか? そういった同僚がいたとして、提督はどうされるのでしょう?」
「もふりますがなにか」

 鳳翔の疑問に、提督はなんの迷いもなく即答した。しかも無駄に男らしい顔で。普段そんな顔を見せられれば惚れ直す鳳翔と吹雪であるが、流石に話の内容が内容だけに苦笑いしか出てこない。

「大淀さんにも調べて貰ったんだけど、居ないって言うし……残念だ……本当に残念だよ……」

 違う鎮守府では、将来を考えて違う大淀が提督個人のデータを調べていたというのに、この鎮守府では、将来もふりたいが為に大淀に頼んでそんな事をやっていた訳である。頼む方も頼む方だが、それをしっかり調べる方も調べる方である。おまけにそんな事を書類数枚で提出だ。この鎮守府は本当に色々と間違っている。
 
「流石に私たちでも、猫や犬が提督では困りますねぇ……」

 頬に手をあてて上品に微笑む鳳翔の顔を見ながら、提督は何か言おうとしてやめた。吹雪は吹雪で、腕を組んで、むむむ、と唸っていた。が、暫ししてから腕を解いて声を上げた。
 
「動物の提督は無理ですよ……意志の疎通が出来ないじゃないですか」
「喋るから大丈夫だよ」
「それもう犬とか猫じゃないですよね?」

 吹雪の鋭いツッコミにも提督は怯まない。彼は鳳翔によって捌かれ、今目の前に置かれている秋刀魚の刺身を見て鳳翔に頭を下げた。
 
「すいませんね、鳳翔さん。お邪魔した上に料理まで出してもらって」
「いいえ、お気になさらないで下さい。今日は私も龍驤も待機でしたし、仕込みも一段落ついたところでしたから」

 現在、三人が腰を下ろしているのは鳳翔の居酒屋である。時間は陽が少し前に落ちた頃で、まだ開店前だ。
 提督のあまりにあまりな発言に、吹雪が鳳翔の元に提督を運んだ結果、こうなったのである。
 
「でも……鳳翔さんは凄いですね。第一艦隊の不動の軽空母なのに、週4日もお店を開くなんて……」
 心底からの言葉であろう。吹雪の相は素直な賞賛に染まり、吹雪の声は純粋な感嘆に溢れていた。
 
「何も凄いことじゃありませんよ」

 鳳翔は微笑むだけだ。ただ、と鳳翔は続けた。
 
「私が、皆の笑顔をみたくて、出来ることをやっただけですから」

 そう言った。吹雪と提督は、そんな鳳翔の笑顔に胸を打たれた。終戦後、一番最初の空母は、一番最後の空母と共に解体された。その小さな、艦として見れば小さな体の上に傷つき倒れ、心さえ切り裂かれた様々な人間を乗せて、同胞達の消えた水底の上を駆け回った。
 鳳翔が最後に見た物はなんであったのか、感じた事はどんな事であったのか、そんな事を分かると言えるほど、共感できると思えるほど吹雪も提督も傲慢ではなかった。
 
「それに、普段は間宮さんや瑞穂さん達にも助けて貰っていますから」

 第一艦隊不動の両目の一人である鳳翔である。そう大きくはない店一つとはいえ、一人で回すのは不可能だ。そのため、鳳翔の友人である間宮や腕自慢の艦娘が下拵えなどを手伝うのである。
 鳳翔自身も、体が空いている時には様々な所で動いている為、皆出来ることを手伝うのだろう。

「それに……」

 と、また鳳翔はそれにと呟いた。ただし、今回の呟きは弱弱しい上に少しばかり困り顔だ。さて、何事かと身構える吹雪と、秋刀魚うめぇ、と刺身を食べる提督は鳳翔の次の言葉を待った。
 
「その……私達軽空母は、お酒好きが多いですから、放っておくと間宮さんに迷惑をかけてしまいそうで……」
「あー……」
「千歳さんと隼鷹さんですね……」

 納得、と声を上げる吹雪と該当艦娘の名をあげる提督に、鳳翔は溜息を零しながらも確りと頷いた。
 
「その二人に引っ張られて、皆飲んでしまうんです……それを見ているともう、これは私が処理できる範囲で見ていないと、他の皆に迷惑をかけると思ってしまいまして……」

 龍驤と共に軽空母をまとめる――いや、この鎮守府を裏からまとめる鳳翔である。当人にその気はなくとも、実際そうなっているのだから仕方ない事であった。
 そんな彼女であるから、後輩達を放っておけなかったのだろう。であれば、と色々考えてこの居酒屋を持つに至ったのだ。
 
「皆の笑顔も見れますし、軽空母達のお酒も度を越せば注意できますし、丁度良かったんですけれどね」

 笑顔の鳳翔であるが、度を越した場合どんな風に注意されるのか気になって仕方ない吹雪と、秋刀魚うめぇ、と刺身のつまの千切り大根を食べながら提督は黙っておく事にした。
 
「……そう言えば」

 吹雪はオレンジジュースをちびちびと飲みながら、秋刀魚うめぇ、と添えられたたんぽぽを食べている提督に問うた。
 
「提督はお酒とかは飲まないんですか?」
「うーん……」

 吹雪の言葉に、鳳翔も提督へ目を向けた。二人の前で頭をかいている提督は、間宮に行こうと鳳翔の店に来ようと、酒を頼んだことがない。酒保にある酒を購入したという話もなければ、誰かと一緒に飲んだ、という話もない。気になるのは当然の事であった。
 
「飲めない事はないんだけれど、飲むのはねぇ……」
「えー……じゃあ、じゃあ好きな銘柄とかは?」
「……特に無いかなぁ」

 嘘だ、と吹雪と鳳翔は思った。何か根拠のある物ではない。ただ、二人はそう感じた。感じて、この人らしいと思いもした。
 
 間宮食堂、そして今三人がいる鳳翔の居酒屋では一つ流行っているメニューがある。金剛と霧島の隣に座る際、天龍と木曾が口にしたメニューが、今の流行だ。
 
『いつもの』

 そう言って出されたのは、今鎮守府で余っている秋刀魚を使った定食であった。つまりそれは二人の、いつもの、ではない。原因は提督だ。
 彼は偶に足を運ぶ間宮食堂で、間宮相手に冗談で、いつもの、と言ったのである。偶の来店で、だ。それを聞いた間宮は、冗談だと分かった上で微笑み、お任せメニューとして受け取って作ったのである。
 
 これを、皆が真似始めた。
 提督、という人間は目立つ存在だ。当人がいくら凡庸でも、人ごみの中に混じればもう見分けがつかない様な存在でも、その提督の下に居る艦娘にとって絶対的に目立つ存在だ。
 そういった存在が常識の範疇で遊び、常識の範疇で行動すれば、艦娘が真似るのは時間の問題であった。普段の提督は真似るには少しばかりあれだが、いつもの、というのは真似やすかったのだろう。本当に、あっという間に広まったのだ。
 
 だから、提督は言わない。口の中にあったたんぽぽを飲み込んで、余っている秋刀魚をせめて少しは、と頼み、夜のお弁当当番の為に軽い物しか食べなかった提督は、何も言わない。
 彼が愛したのは、ただ彼女達らしく在る彼女達で、彼自身の色に染まった彼女達ではない。すこし手遅れな所もあるのだが、それは彼の知らぬ事である。故に、彼は黙るだけだ。
 それが正しい事であるのか、間違った事であるのか、判然とさせるには時間が必要であった。
 
 皆が静かになったその場に、一つの音が響いた。
 居酒屋の扉が勢いよくあけられたからだ。扉には準備中の札が在った筈であるが、それを無視してあけたとなれば何か理由があるのであろう。
 そう思って三人があけた人影の顔を見ると、ビスマ、グワットであった。
 
「提督……貴方うちの子をみなかった!?」

 彼女は肩で息をしながら、店内を見回し大きな声で叫んだ。提督達は互いの顔を見てから、代表して提督が問う事にした。
 
「レーべさん? マックスさん? それともプリンさん?」
「違うわよ! うちの子って言えば、オスカーに決まっているでしょう! もう三時間も見つからなくて……」
「――あぁ、あの黒い猫ですね」

 オスカーと言われても提督にはさっぱりであったが、続いて口にした鳳翔のその言葉に、眉を動かした。
 
「オスカー、と来たか……君、その猫を出撃につれていっちゃあいけないよ? いいね、絶対だよ?」
「……? 当たり前じゃない、そんな危ない事しないわよ。もう、あの子ったら、お風呂が嫌いだからって何も逃げなくてもいいじゃない……」

 気の強そうな顔から一転、おろおろとし始めた姿に提督は腰を上げた。提督に合わせて吹雪も腰をあげる。鳳翔も、といったところで提督がそれを手で制した。
 
「鳳翔さんはお店があるでしょう?」
「そうですよ、私達に任せてください」
「いえ、まだ開店には時間がありますから、せめてそれまでは」
「鳳翔……吹雪……提督……あ、ありがとう」

 手伝うと言外で語る三人に、ビス、グワットは常らしからぬ素直な調子で感謝の言葉を口にした。
 
 座敷から出ようとする提督は、靴を履こうとして動きを止めた。彼の靴の隣にある吹雪の独特なデザインの靴の後ろに、小さな影があった。黒いころころとしたそれは……
 
「あぁ、オスカー! そんなところにいたのね!」

 ビ、グワットは小さくころころとした黒猫――オスカーを抱き上げた。逃げないところを見ると疲れているのか、動き回って風呂の事も忘れたか、それだけ懐いているかのどれかだろう。
 嬉しそうに無邪気に笑うでっかいレディーを見ながら、しかし三人は黙ってオスカーを見つめていた。いや、より詳しく言うのなら、オスカーの頭頂部にあるそれを、だろうか。
 三人の視線に気付いたのか、大きな暁は胸を張って言った。
 
「どう、似合っているでしょう? 流石私のオスカーよね!」

 豊満な胸の中で眠そうに欠伸をするオスカーの頭頂部には、提督が偶に被る帽子とまったく同じ物が猫サイズになって被されていた。 
 

 
後書き
実は身近にいた猫提督カッコカリ。
不沈のサムでぐぐれば詳しい話が分かります。

おまけ
その後大淀さんが赤い芋ジャージさんと鳳翔さんとこで飲み会。

大淀「……大淀だって頑張りました……頑張ったんです……」
足柄「……まぁ、ほら、仕方ないじゃない?」
大淀「珍しく提督から頼られたから頑張ったんです……なんですか、犬とか猫の提督くらい百人くらい居てもいいじゃないですか……」
鳳翔「あ、猫提督ならこの鎮守府にいますよ?」
大淀足柄「えっ」 
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