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執務室の新人提督

作者:RTT
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42

 鼻歌交じりで、おまけに体でリズムまで取って歩く目の前の上司を見ながら、野分は確りとした足取りで歩いていた。ご機嫌に歩く彼女の上司――那珂と、軍属らしく一部の隙もなく歩く野分の姿は対照的だ。ただ、現在彼女達が歩く鎮守府の廊下には傍目が存在していない。
 もっとも誰かが二人を目にしても、何も思わずすれ違いざまに会釈したり軽く挨拶をする程度だっただろう。皆理解しているのだ。彼女達はそういった艦娘であると。
 
「那珂さん、今日の訓練メニューはどうしますか?」
「那珂ちゃんだよー、さんはいらないよー?」
「……いえ、その上司を、ちゃん、と呼ぶわけには」
「もー、野分は硬いぞー、そのままだと、自分不器用ですから、とか言い出すようになっちゃうよー」

 態々振り返り不器用云々の所で、きっちりと眉を寄せてしかめっ面を作る辺りが実に那珂らしい、と思いながらも野分は那珂の言葉に頷かなかった。なにせこの彼女、普段から妹に当たる艦娘からノワッチなどという不本意な名で呼ばれている為か、人をあだ名で呼ぶ事が不得意なのだ。
 しかもそれが上司となれば尚更である。
 
「んー……ま、それが野分のいいとこでもあるからねー。でも、いつまでもそれじゃ那珂ちゃんやだよー?」
「……善処します」

 曖昧な返事の野分にも、那珂は微笑んで身を翻して歩いてく。軽巡艦娘としては平均的な身長の、その那珂の背を見つめたまま野分は小さく息を吐いた。
 彼女の聞きたかったこと、つまり今日の訓練メニューの話が流れてしまっているからだ。それを口にしようとした野分は、しかし那珂の声によって遮られた。
 
「今日はねー、お休みにしようかー」
「え、休み、ですか?」
「うん、那珂ちゃんそんな気分なんだー」
「き、気分一つで休暇なんて……っ」

 那珂の能天気な言葉に、野分は声を荒げた。
 野分が所属し、那珂が指揮を執る第四水雷戦隊は、他の水雷戦隊に比べれば酷く地味だ。
 
 四水戦は第二艦隊の魁……つまり二水戦と同じ立場にある水雷戦隊であったが、旧海軍時代の、つまり彼女達が艦であった頃は不遇であった。人は華の二水戦と称すれど、四水戦を華とは称えていない。主戦場を駆けた第一艦隊に比べれば、それは仕方ないことで在ったかもしれないが、不遇に過ぎたのもまた事実だ。
 ただし、水雷戦隊としては完全に二水戦に名で負けているが、輩出した武勲艦は他の水雷戦隊に決して負けては居ない。野分、夕立、江風、時雨、と意外に多いのである。
 
「……確かに、今の私たちの戦隊のあり方は変わりましたけど、志まで変えては」
「ノワッチは本当に硬いぞー」
「ノワッチじゃありませんっ」

 冷静になろうとした野分は、しかし返って来た那珂の言葉にかき乱された。そういう所がまた那珂を喜ばせているのだと、真面目すぎる野分には知りえぬ事であった。
 
 野分の言の通り、現在の水雷戦隊のあり方は変化している。この鎮守府に在っては、一水戦は提督の護衛と艦隊の護衛、二水戦は従来通りの艦隊の魁及び電撃戦と水上打撃の要、三水戦は敵威力偵察、四水戦は他の水雷戦隊のサポートだ。
 遠征は各水雷戦隊のメンバーが合同で務め、鎮守府近海の警備と制海権守備は各水雷戦隊および他の戦隊の合同でなされる。
 
 野分は、少しばかり不満がある。一から四まである水雷戦隊の中で、彼女の属する、今彼女の目の前にいる那珂が率いる四水戦だけが、やはり地味だ。一水戦は提督を護衛することで鎮守府自体を守っている。二水戦は今の時代も華のまま艶やかだ。三水戦も、本来は第二艦隊の護衛任務が主目的であったが、四水戦同様大きくあり方を変えた。ただし、こちらは四水戦に比べて――いや、他の水雷戦隊と比較しても見劣りしない。
 川内率いる三水戦は海路を確保する任務にあるほか、そこで出会った敵勢力と交戦した後、敵の情報を正しく理解して持ち帰ると言う至難の任務がある。それが例えどれだけ強力な敵であってもだ。おまけに、撤退中敵勢力に鎮守府までの航路を明かさず帰還しなければならない。
 一水戦が盾で、二水戦が矛であるなら、三水戦は車輪である。
 皆、戦場を変えた防具であり武器であり道具だ。
 四水戦だけが、何物でもない。何にもなれていない。提督の為の何かに、なれていないのだ。
 
 ――自分だけが。
 
 野分は知らず四水戦の現状を自身の境遇と重ねてしまっていた。武勲艦、幸運艦として一時は雪風、時雨とも並び称された艦でありながら、彼女は数ある武勲、幸運、功労艦の中で埋没してしまっている。四水戦には間違いなく華があった。矛であった。誰もを魅了し、何もかもを貫いたのだ。彼女はその中にあって確りと意味を持っていた筈なのだ。
 人としての心の負に囚われた野分は、艦娘になってからの生真面目な性格もあってか、一度それに足を絡め取られると中々に抜け出せないで居た。
 しかし、野分の足を絡み取っていた何かは突如消え去った。
 
「あ、提督ー」
「お、那珂ちゃん」

 彼女達以外誰も居なかった廊下に、二つの人影が追加されたのだ。一人は那珂が口にした通り提督であり、もう一人は提督の背後に佇む時雨だ。彼女はまるで常の初霜の様に、静かに提督の傍にいる。それを見て、野分の胸は小さな痛みを訴えた。
 
 ――嫉妬だ。野分は、馬鹿だ。
 
 そう信じた。そこに居ない自分と、そこに在る時雨に野分は嫉妬したのだと信じた。信じるしかなかった。彼女の心は未成熟なのだから。
 
「提督ー、こんなところでどうしたのー?」
「散歩だよ。大淀さんが気分転換にどうぞって」
「あぁ、それで時雨が護衛なんだー?」
「そうそう、初霜さんは今第一艦隊で出てるし、護衛に時雨さんを、って。ただの散歩なんだけどねぇ」

 那珂が時雨に目をやると、時雨がぺこりと頭を下げた。それを受けて那珂も嬉しそうな顔で頭を下げ返す。それを眺める提督の目は穏やかで、一人野分だけが黙って立っているだけだ。
 
「そうそう、うちのエースノワッチだよー」
「……野分です」

 提督達の視線を誘って野分の孤立を防ぐ那珂に、野分はなんとも言えない顔で突っ込みを入れた。
 
「野分さん、おはよう」
「……はい、おはようございます提督」
「おはよう、野分」
「おはよう、時雨」

 それぞれ挨拶を交わしていると、どうしたことか時雨が野分へと近づいていた。彼女は野分の横に立つとそこで立ち止まり、提督と那珂の会話をにこにこと眺め始めた。
 が、笑って眺めている場合ではないと野分は時雨に語気を強くして問うた。
 
「時雨は提督の護衛でしょう。離れてどうするんですか」
「那珂ちゃんが提督の傍にいるから、大丈夫だよ」

 常のペースを崩さぬ幸運艦の姿に、野分は大きく息を吐いた。隠すこともないため息である。
 時雨という艦娘は、史実にあって一水戦と四水戦にそれぞれ所属していた。ただし、所属していた時期は違う為、野分にとっては書類上同じ水雷戦隊に所属していた事もあった艦、程度の認識だ。時雨はこの鎮守府の駆逐艦娘のエースの一人、野分はただの駆逐艦娘。それもまた野分が素直に溜息を吐いた理由でもあった。
 
「それにしても、提督と那珂ちゃんは仲がいいね」
「……そうですね」

 沈んでいた野分の思考は時雨の言葉で再び浮き上がり、野分は目の前の二人を見つめた。お互い自然体で語り合い、そこの無理に笑っているような様子は見えない。
 
「提督はね、テンションの高い艦娘――というか人間相手でもそうだと思うけど、そういうのは苦手だって知ってたかい?」
「えぇ、どこかで聞いた気がします」
「那珂ちゃんは、凄いね」

 時雨の素直な那珂への賞賛に野分は少しばかり誇らしくなり、それを馬鹿馬鹿しいと胸中で首を横に振った。ただ、やはり野分は那珂を誇らしく思った。
 
 提督から悪感情で見られている訳ではないが、時雨が言う通りテンションの高い艦娘を提督が苦手としているのは確かだ。だがどうだろう。今野分の前で、その代表的存在でもある那珂は提督と普通に、常の調子で会話を続けている。提督にも無理をした様子はなく、それは飽く迄日常の風景に溶け込んでいた。
 
「那珂ちゃんは、こういうところも怖いよねぇ」
「……怖い、ですか?」

 時雨の、どこか相手を称えたような口調に野分は首をひねった。野分からすれば、那珂の姉である神通や、夜の廊下であったら多分泣くにちがいない山城のほうが怖い。あと早霜も怖いし大井も怖い。この鎮守府に在って数少ない軍属の気分を多いにもつ艦娘の一人である野分も、乙女であるため怖いものは意外と多いのだ。偶々同僚が怖いだけで野分は悪くないのだが。
 
「那珂ちゃんは怖いよ?」
「……そう、かしら?」

 不可思議の余り素を出した野分を、時雨は気付かぬ振りで続けた。そこを突けば野分がまた硬い顔に戻ってしまうと思ったからだ。
 
「那珂ちゃんは、色んな水雷戦隊に顔を出すよね」
「……それが、第四水雷戦隊の任務ですから」

 各水雷戦隊のサポート。いわば雑用だ。手が足りない時、病欠が出た時、様々な理由で第四水雷戦隊は那珂を先頭にして動く。任務は常に急で、彼女達はいつだって慌しく動くはめになる。
 準備をする暇があるのは稀だ。
 
「いつだって急に動くのに、指揮権だって渡されるのに、那珂ちゃんはいつだって失敗しない」
「……そう、ですね」

 野分は、過日自身も共にした那珂の戦場を脳裏に描いた。
 一水戦の護衛も那珂は確りとこなした。二水戦の電撃戦も、神通病欠の為急遽指揮権を渡されたにも関わらず無難にこなした。三水戦の航路確保とその途中での遭遇戦も、帰りの撤退戦も手堅くやりきった。どれもこれも、それぞれの旗艦やエキスパートには及ばないが、那珂は任務をやりきったのだ。自身が中破になろうと、如何にぼろぼろになろうと、笑顔のままで。
 
 時雨は、それを怖いと称えたのだろうか、と野分は思い隣の時雨を見た。時雨の顔は羨望の色に染まりつつあった。何ゆえか、と野分が提督たちへ目を移すとそこには先ほどと変わらぬ景色が在るだけだ。ただ、何故かまた野分の胸が小さくうずいた。
 野分はまだ、心が幼いのだ。
 
 
 
 
 
 
 提督と別れ、二人はまた廊下を歩き出していた。那珂は体でリズムを取りつつ鼻歌交じりで、後ろを歩く野分は軍属らしい確りとした足取りだ。その野分が、前を歩く那珂に声をかけた。
 
「那珂さん」
「もー、さん、じゃないよー。ノワッチって呼び方固定して広めちゃうよー?」
「やめてください」
「野分はわがままなんだからー」

 それでも、野分の声に足を止め振り返る那珂は部下思いなのだろう。那珂は首をかしげて野分の言葉を待っていた。
 
「那珂さんは、このままで良いんですか?」
「……四水戦のお仕事ってこと?」
「そうです」

 聡い那珂は野分の言わんとする事を察し、野分はそれを肯定と頷いた。那珂はなんでも出来るのだ。であれば、指揮権を由良に移して他の水雷戦隊へ移籍するという選択肢もある筈だ。
 野分には、那珂が水雷戦隊旗艦という立場にこだわっている様にも見えない。いや、拘っていればこんな雑用水雷戦隊など蹴っていた筈だとさえ思った。
 
「うーん……那珂ちゃんはねー」
「はい」

 首をかしげたまま、頬に指を当てて那珂は野分に応じる。
 
「艦隊のアイドルでしょ?」
「……そうですね」

 自称であるが、那珂は艦隊のアイドルだ。何があって艦娘の那珂がそうなるに至ったのか殆どの艦娘は知らないし、野分もまた知らない。那珂もまた、それを語ろうとしていないのだから。
 
「アイドルって、仕事をしっかりやるモノだと思うのよね、那珂ちゃんは」
「……はい?」

 野分の歳相応、少女然とした相に那珂は屈託のない笑顔を見せた。自身の相が那珂にその顔をさせたなどと知らぬ野分を放って、那珂は口を動かし続ける。
 
「急な仕事、ぜんっぜんOK。難しい仕事? いいじゃないいいじゃない、那珂ちゃんそういうの好きだよー? 求められたから、那珂ちゃんは答えるの! だって那珂ちゃんアイドルだもん!」

 那珂の在り方であり、生き方だ。恐らくこの那珂という少女は、すでに艦娘としても少女としても完成している。己の竜骨をしっかりと構成しているのだ。
 皮肉なものである。一度は不幸な事故により建造中に解体された艦が、三度生まれて今誰よりも艦娘として、少女として完成している。
 
「皆を笑顔にしてこそアイドル! どんな時だって笑顔がアイドル! アイドルって仕事が那珂ちゃんだから、那珂ちゃんはアイドルを続けるだけだよー!」
「……す、凄い……ですね?」

 野分には理解できない世界である。あるが、しかし野分にも分かる事はある。那珂は現状に不満などなく、この四水戦を嫌っていないという事だ。いや、皆に頼られるという今を受け入れてすらいる。
 野分は未だ確立できない自身と、既に何かを確立させている指揮艦との違いに自嘲の笑みを零した。
 
「そ、れ、にぃー」

 そんな野分の前で、那珂は満面の笑みで何やら言い始める。
 
「那珂ちゃんが色んなお仕事すれば、提督いっぱい笑ってくれるでしょー? 提督は那珂ちゃんの一番最初のファンで、一番大事なファンだもんねー。提督も笑顔、那珂ちゃんも笑顔! あはははは、川内ちゃんみたいな夜戦バカとか神通ちゃんみたいに急に火照っちゃう子に、那珂ちゃん負けないもんねー」

 何気に姉妹をディスりつつ自己主張する辺り、いかにもこの鎮守府の艦娘である。ただ、野分は提督云々の部分でまた胸が疼いた。今日は調子でも悪いのかと野分は首をかしげた。
 それでも、そこに先ほどまであった自嘲の笑みはない。那珂はそんな野分の相に小さく頷いた。
 
 と、二人の居る廊下に、一つ足音が響いた。何事かと二人が目を向けるより先に、足音の主が声を上げる。

「あぁ那珂、丁度よかった!」
「あれ、川内ちゃん。どーしたの?」

 先ほど軽くディスっておきながら、那珂は常の調子で姉に声をかけた。この娘中々に肝が太い様である。
 
「近海警備、今日はうちと一水戦の合同なんだけど、どっちからも病欠出ちゃって……」
「あぁー……最近寒かったり暑かったりだからねー。那珂ちゃんたちも気をつけないとねー」
「そうよねぇ、じゃなくて。人が足りないのっ。あんたのとこから誰か出られない?」
「ほっほー……川内ちゃんからのあつーいオファーだよ、野分」
「熱くないわよ」
「はい」
「はいじゃないが」

 二人の会話を聞いていた野分は、軽く川内を流しつつ既に海上に出る心の準備を終えていた。四水戦の任務上、艤装も常に整備している。あとは海上を駆るだけだ。
 
「川内ちゃん」
「なに?」
「川内ちゃんのこってりしたオファーに応えて那珂ちゃんも行くけど、いい?」
「こってりじゃないが」

 野分だけでなく、那珂も出るようだ。野分は那珂を見上げた。野分は兵士の相で那珂に挑んだが、那珂はやはり常のままの笑顔だ。何故か九州の方言で返す川内は二人ともスルーである。
 
「よぉーし! 第四水雷戦隊、那珂ちゃんとノワッチ、でまーす!」
「野分です」

 勢い良く、それこそ川内まで置いて走り出した那珂の背を見ながら、野分は小さな笑みを零した。
 
 ――もうちょっと、頑張ってみよう。
 
 そんな事を考えながら。 
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