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Deathberry and Deathgame

作者:目の熊
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Chapter 3. 『世界を変えた人』
  Episode 19. The Advance of Black Cat (2)

 
前書き
お読みいただきありがとうございます。

ケイタ視点を含んでおります。
苦手な方はご注意ください。

宜しくお願い致します。 

 
<Keita>

「……なあ。やっぱり、マズくないか? こんな時間にフィールドに出るなんて」
「大丈夫だって! 別に奥まで行くわけじゃないしさ。ちょろっと行って、さっと取って来ようぜ!」
「そうそう。それに何かあっても、今の俺たちのレベルなら楽勝だよ」
「この辺は、そんなに強いモンスターも出ないって話だったしな」

 いやいや、油断は禁物ってリーナさんに散々言われたじゃないか。
 そう言ってやりたくなったが、反対一対賛成三じゃ分が悪すぎる。他のメンバーを置いて僕だけ引き返すわけにもいかないし、仕方ないか。念のため圏外に出る前にサチにメッセージは飛ばしたし、彼女がいなくなったときのような騒ぎにはならないだろう。

 夕日が地平線に沈み、すっかり夜の帳が降りた23層のフィールドダンジョン『深緑の森』を僕らは進んでいく。いつもは『索敵』スキルを持つリーナさんが先頭に、凄まじい反射神経を持つ一護さんが殿を務めてくれていたけど、今回は二人ともいない。代わりにテツオが先頭、僕が最後尾を受け持っている。

「貴方の警戒心は、この面子の中では一番強い。今後私たち抜きで行軍する時は、貴方が後ろで不意打ちに注意すること」

 そうリーナさんに言われたことを思い出す。人間の目で後ろを見ることが不可能な以上、移動中は後方への警戒心が薄らぎやすい。故に、後方警戒は先頭と同じくらい重要なポジションである。そうSSTAの座学でも教わった記憶が頭の片隅に残っている。
 現実世界じゃ特別勉強熱心ってわけでもなかったけど、この世界に来てから、いや、ディアベルさんたちの指導を受けるようになってからは、高校受験の時に匹敵する真剣さで講義を聞いている。例えダッカーが隣で突っ伏して寝てようとも、リーダーとして、ギルド成長のための知識は身に着けておかないと。ずっとそう思って、今まで何とかやってきた。

 でも、ギルドの成長、そしてゆくゆくは攻略組に、という自分の思いばかりが先行して、結果、一人の大事な仲間の気持ちを蔑ろにしてしまっていた。あの夜、僕らの前で、怖い、戦いたくない、と悲痛な声で吐露したサチの顔が脳裏をよぎり、思わず両手棍『ネイビーワン』を握る手に力が籠った。あんな苦しそうな表情をさせたこと、訓練から逃げ出してしまうほどにつらい思いをさせたこと、それを思うと、自分が許せなくなる。何がリーダーだ、何が「皆の安全が第一」だ。一番なのは自分の成長欲求だけじゃないか。自分自身への怒りがふつふつと湧きあがってくるのを押し殺しつつ、表面上は冷静さを保ったままに周囲を警戒する。
 もし敵と遭遇したら、真っ先に自分が前に出なくちゃいけない。昔ならともかく、今の僕には一護さんに鍛えてもらったスタミナと度胸、それに付け焼き刃とはいえ、リーナさんから直々に教わった杖術がある。レベルがテツオよりも三つばかり低くても、後方でウダウダしていてはダメなんだ。自分を叱咤し、神経を更に尖らせていく。

 しかし、そんな僕の目の前で、残りの三人は遠足気分で雑談タイムに入っていった。

「しかしなあ、ダッカー。本当にこの先なのか? リーナさんの好物だっていう、ええと……」
「『ツキミシクラメンの蜜』だ。ああ! もっちろんこの先だぜ! 四日前にさりげなくリーナさんから聞き出して、発生場所もちゃーんと下調べしたからな!」
「お前、本当にリーナさん好きだよなあ」

 テツオがそう言って苦笑すると、ダッカーは「あったぼうよ!」と威勢よく言葉を返した。
 このお調子者があの白皙の美貌を持つ女性に首ったけなのは、引率を引き受けてもらった次の日にはもう全員に知れ渡っていた。なにせ、初日が終わるなり「決めたぜ……オレは、あの人を嫁にするっ!!」と夕食の席で豪語したんだ。どう考えても脈なしなのに、よくもまあ一週間以上も頑張れるよな、と少し感心してしまう。

 僕の無言の感想を余所に、ノリの軽い短剣使いの言葉は留まるところを知らない。

「だってよお、あのアイドルにも劣らないハーフっぽい綺麗な顔に、すらっとした美しい脚のライン! サイコーだろ!! オマケに意外と着やせするタイプみたいで、けっこう御立派なおムネをお持ちのようだし……ぐへへ」
「おいちょっと待て。あの人いつもケープ姿だろ。なんでそんなことまで分かるんだよ」
「へっへっへ。それはもちろん、オレ様が『純白の闘匠(リーナ)様ファンクラブ』の会員だからさ!!」

 思わずツッコミを入れてしまった僕に向かって、怪しげなファンクラブを名乗ったダッカーは一枚の画像を見せてきた。
 記録結晶で撮ったと思しきその画像には、紙袋いっぱいのワッフルを小脇に抱えて歩く、ニット姿のリーナさんが映っていた。どうみても隠し撮りと思われるアングルなのはさておき、身体のラインを覆うようなケープとは異なる、フィットするタイプの白ニットによって浮かび上がるボディラインは、確かに、その、出るところは出ていて、起伏に富んでいた。
 思わずちょっと見入りそうになったが、精神力を総動員して視線を外す。警戒警戒、集中集中、右良し、左良し、後方敵影なし、と呪文のように心の中で唱えてどうにか気を静めた。

「でもさ、リーナさんって絶対に一護さんとデキてるだろ。おれたまたま聞いたんだけど、あの二人、いつも同じ部屋に泊まってるみたいだぞ。よっぽど深い関係じゃないと、同棲なんてできないよ」
「な、なぬぅーっ!?」

 ササマルのもたらした情報に、ダッカーのニット帽の下の目が驚愕と絶望の色に染まる。いや普段の距離の近さからして、そんなに驚くようなことでもないと思うんだけど。

「実際お似合いだもんなあ、あの二人。どっちもすごく強くて、見た目も良くてさ。息も合ってるっつーか、ベストパートナーって感じがする」
「あ、おれもそう思う。この前なんて、名前で呼び合うだけで意思疎通できちゃってる感じだったし。凄いよな、あれ、何ていうんだっけ。ツーカーの仲?」
「うぐぐ……ササマルのオヤジ臭い死語はともかく、既にそこまで発展していたとは……こうなったら仕方ねえ。オレが一護さんに決闘を申し込んで……」
「この前一護さんにデュエルで瞬殺されたのはどこの誰だよ! そして全員さっさと前を向け! 圏外では非戦闘時でも常に警戒するようにって、ディアベルさんに教わっただろ!!」

 緊張感皆無の雑談を延々と繰り広げる三人を一喝して前に向き直らせる。ダッカーだけはまだブツブツと言っているが、一護さんにつき出してシバいてもらうぞ、と脅すと一発で黙った。流石に初撃決着デュエルで右手足を一撃で斬り落とされた恐怖は消えていないみたいだ。
 ようやく静かになった三人と共に夜道を歩きながら、索敵警戒の傍らで僕はこのダンジョンにあるという『ツキミシクラメンの蜜』をこんな日没後に取りに行くことになった理由を思い出していた。

 今日の夕方、ディアベルさんから、最前線の迷宮区への道がようやく開けそうなこと、そして明日で一護さんたちの引率が終了になることを聞いた。戦線から退いて以降は料理スキルを上げているサチは「お別れパーティーに出す料理を考えなくちゃ」と張り切っていたが、僕らの方は何もできることがなかった。
 しかし、この十日間僕らを護り鍛えてくれた二人に、何もしないで別れるなんてことはできない。何かお礼ができないか。四人で話し合った結果、ダッカーの強い主張によって夜にしか咲かない貴重な花『ツキミシクラメン』の激甘の蜜を採ってきてプレゼントしよう! ということになってしまった。完全にリーナさんピンポイントな気がするけど、一護さんも意外と甘い物が好きだから、という取ってつけたような理由も一応あるにはある。

 それに、と僕は脳裏に一護さんの傍にいた時のサチの柔らかい眼差しを思い出す。
 詳細は訊いていないけど、サチが本心を僕らに告げるきっかけを作ってくれたのは間違いなく一護さんだ。そして、人と近づくことを恐れていたサチが、ほんの少しとはいえ自分から他人との、一護さんとの距離を詰めようとするようになったのも、多分彼のおかげだと思う。
 もしかすると、それは淡い恋の始まりってヤツなのかもしれないし、親愛の情の表れなのかもしれない。でもそのいずれであったとしても、幼い頃から仲の良かった僕にとって妹のような存在だったサチの心を溶かしてくれたことに、僕はとても感謝をしていた。自惚れが過ぎるかもしれないけど、そのことに対して「兄としての恩返し」がしたいと僕は思っていた。今回取りに行く花の蜜のことはさておいて、明日ちゃんとお礼をしておかないと。

 そのためには、まずこの夜の探索を無事に終了させることが重要だ。サチがディアベルさんに伝えたりしたら後で怒られる気もするけど、もうここまで来たら腹を括るしかない。とっとと目的のブツを回収して、全員無傷で戻るんだ。

 再び意識を警戒十割に切り換えて歩みを進めようとしたその時、

「……あっ! アレだ!!」

 ダッカーが突如大声を上げた。
 彼の指差す方向に目を向けると、そこには木陰に隠れるようにして咲く、一輪の花が咲いていた。淡い桃色の花弁が月光を反射し、闇夜の中で篝火のような存在感を放っている。その幻想的な佇まいに、僕を含む全員がしばし見蕩れて動かなくなった。

「……これが、『ツキミシクラメン』?」
「きれいな花だなあ」
「ああ、間違いない! 情報で見たのと同じだ。よっしゃあ!! これでリーナさんのハートゲットは確実だぜ!」

 立ち尽くす僕らとは対照的に、ハイテンションで頓狂なことを言いながらダッカーが花の元でと走り寄る。楚々と咲く小柄な花の手前でしゃがみ、ゆっくりと摘み取ろうと手を伸ばした――

「はい、ビンゴっと」

 直後、妙に剽軽な、男の声が響いた。
 同時に、木陰からずるりと伸びた刃によって、ダッカーの右手が斬り落とされる。

「……え?」

 何の前触れも衝撃もなく彼の右手首から先が消失したことに、黒猫団全員が放心状態になった。思考が現実に追いつかない。木陰からおんぼろのマントを羽織った人影が現れても、その手に直剣の無機質な輝きが見えても、その硬直が消えることはない。襲撃を受けたダッカーさえ、まるで他人事のように目の前の現象を眺めている。

 だが、その人物の上に光るオレンジのマーカーを見た瞬間、凍り付いていた僕の思考回路が動きだし、僕は棍を跳ね上げるようにして構えた。

「全員後退!! ダッカーを援護しつつ、ここから離脱するぞ!!」

 僕の絶叫とも取れる指示に、他のメンバーもすぐに再起動した。手首から先を失ったダッカーも、もっと迫力のある部位欠損経験があったせいか、すぐに我に返って左手で短剣を構えた。テツオが盾を構えて前に出て、ササマルが僕の後ろに控える。この三日間で死ぬ気で身に付けた、僕らの基本陣形だ。

「ふーむ、ただの喧しいガキ連中と思って見てたが、存外胆力はありそうだ。不意打ちを受けても即座に体勢を立て直してくるか」

 ゴツイ指先で顎の辺りをこすりながら、人影はゆっくりと歩み出て来てマントのフードを取った。月明かりに照らされて、その男の素顔が見えた。
 年の頃は三十代後半くらいか。潰れた鼻や飛び出た眼、岩肌を連想させるほどに荒れた肌は、昔何かの映画で見た山男を思い出させた。最も、目の前の男の瞳にはそんな純朴さはなく、ついさっき一人の人間の手を斬り捨てたとは思えないくらい、異様に静かな光を宿していた。

 直感でわかる。こいつはヤバイ。多分、この四人でかかってもどうしようもないくらいに。

 でも、それはこのまま戦闘に入った場合の話。馬鹿正直に相手をするつもりはないし、その必要もない。このまま一気に走って逃げるか、あるいは転移クリスタルで離脱するか。どちらかが成功すれば、それで十分だ。
 加熱どころか過熱気味の脳内をどうにか抑え込みながら、全員に遁走命令を出そうと息を吸い込んだ瞬間、

「おーおー! クソ弱そうな連中だなオイ!! こりゃ絶好のカモったヤツじゃねーか、よお!」
「でもよ、コイツら金持ってなさそうじゃね? 狩ってもあんまし美味くねえだろ」
「それならそれよ。金がねえならフクロになってもらうだけさ。ヒャッヒャッ」

 一人、二人、三人……まだまだ出てくる。闇夜から湧き出すようにして、武器を持ったプレイヤーが次々と、僕たちを取り囲むようにして姿を現した。どの顔にも見覚えはないが、全員の頭上に光るオレンジマーカーが、こいつらの正体と目的を十分すぎるくらいに教えてくれていた。

 プレイヤー相手に強盗を働くプレイヤー集団、オレンジギルド。

「で、どうしますね、お頭」
「どうもこうもない。いつも通り、美しく行こうじゃないか」

 山男の声に応えるようにして、暗がりから一人の男が現れた。他の連中と比べても一回り若く、しかし図体だけは二回りは勝っていようかという大きさに見えた。手にした曲刀がナイフに見えるくらいだ。その巨体をスラックスにワイシャツ、革のブーツに強引に押し込めている。その妙な身綺麗さと図体、服装の三要素が醸し出すミスマッチは、ここが圏外でなく相手がオレンジでなければ、ユーモラスで笑いを誘う出で立ちと評することが出来たかもしれない。
 ミスマッチ男は山男の隣に立つと、僕たちに向かって穏やかな笑みを浮かべてきた。人の好さそうなごく普通の笑顔のはずなのに、僕にはそれが死神の嗤い顔に見えた。

「やあ、初めまして諸君。ボクらは『デスサイズス』という狩り集団だ。僭越ながら、頭領はこのボク、マルカスが務めている。以後お見知りおきを」

 気障ったらしい動作で一礼するマルカスの台詞に、僕は戦慄した。
 以前、情報ペーパーで見たことがある。標的を瀕死になるまでいたぶり、金品を強奪する大型犯罪者ギルド。その名前が『デスサイズス』だったはずだ。リーダーの名前も一致している。ということは、副官らしいあの山男がバンディットだろうか。

 最悪だ。
 よりによって、ここ最近で最も動きの派手な凶悪犯罪者集団に捕まるとは。

 けど、その最悪な状況下においても、まだ僕はパニックになる半歩手前で踏みとどまることが出来ていた。リーナさんに無理やりモンスターの大軍に突っ込まされたり、一護さんとタイマンで模擬戦闘してノーダメージなのに死にかけたりしたことを思い出せば、この状況は絶望的じゃない。あの逃れられない地獄と違って、今ならまだここから命の危険に晒すことなく逃走できる術はあるはずだ。そう思い、僕は最大限の勇気を奮絞って一歩前に出た。恐怖で震える唇から長く息を吸い、吐いてから、なるべく真面目な声を心がけて話しかける。

「こ、こちらこそ、初めまして。僕らは『月夜の黒猫団』です。り、リーダーを務めてる、ケイタっていいます」
「おお! これはこれは素晴らしい。催促せずとも名乗ってくれたのはキミが初めてだ。紳士的な対応に感謝するよ、ケイタ君」
「あ、ありがとう、ございます」

 素直に驚いた、とでもいうかのような反応を見せたマルカスに、僕はぎこちなく礼を返す。周囲の賊たちも、へぇ、とか、マジか、とか、感心するような声をもらすのが聞こえる。十中八苦、それには嘲りの意味が籠っているんだろうが、そんなことはどうでもいい。今、この場を切り抜けることだけを考えるんだ。

「そ、それで、マルカスさんは、僕らに、ど、どのような御用があるのか、伺ってもよろしい、でしょうか」
「うんうん、話が早くてとても助かるね。それでは御言葉に甘えて。
 ボクらは所謂『人狩り』を生業にしていてね。キミたちのような一般プレイヤーから金品を頂戴することで生計を立てている。巷じゃあ犯罪者(オレンジ)ギルド、なんてナンセンスな名称でひとくくりにさせているが、ボクらはそんな下賤な集団じゃあない」

 アルカイックスマイルを崩さないまま、マルカスは木陰から進み出ると僕の前に立ち、優しい教師のような声色で語りかけてきた。

「ボクらは皆狩人なんだよ、ケイタ君。大自然と一体になり、獲物の動きを読み、知恵を駆使して罠を仕掛け、そして狙った方法で確実に狩る。そこらの食い詰め人のように怠惰や傲慢の発露として襲っているのではない。人が人としてあるべき姿、すなわち、自然の節理を壊すことなく、自然と共に生きる。厳しくも逞しい弱肉強食の美学に生きるために、己を律して美しい狩りを行っているのだよ。分かるかい?」
「は、はい。とっても、よくわかります。その理に従ったために、あなたたちは僕らを狩り、僕らはあなたたちの罠にかかって狩られた。至極当然。す、全ては、強気者が勝つという、自然の導きとあなたたちが共にあった故の、当然の結果。そういうこと、ですか?」
「ブラボー!! まさかそこまで深く理解してくれるとは! 昨今の若者は自分の主張に凝り固まりすぎているとばかり思っていたが、これは考えを改めねばな」

 感激しきり、といった様子のマルカスは、何度も何度も満足げに頷いている。それを見返す僕も、破綻だらけの理屈に破綻塗れの賛同を返しながら、なんとか笑顔らしいものを作っていた。
 ここまでは計画通りだ。後はこのままひたすらに低姿勢で相手に共感し続け、金品をそっくり差し出せば、それで終了だ。この男の独特の美意識には、きっと常人は賛同なんてしないだろう。今まで連中の獲物になってきた人たちは、きっとそうだったはずだ。だから、あえてここでそれをひたすらに褒め称え、賛成すれば、相手に好印象を与え、こちらの命の危険を減らすことができるはずだ。この場さえ乗り切れば、後はどうにでもなる。最悪モンスターをトレインすることになろうとも、頑張って逃げればきっと生きて帰れる。

 そう自分に言い聞かせてへし折れそうな心を叱咤し、あらゆる感情をねじ伏せて次の一手を打とうと口を開こうとしたとき、

「でもねケイタ君。ボクはこうも思うんだ」

 マルカスは、ふと悲しげな表情を見せた。顔面に張り付いていた笑みが一瞬で悲痛のな面持ちへと切り替わる様は、まるで人形のパーツを取り換えるかのように機械的なもの見えた。そのままマルカスは僕に背を向けて元の位置まで下がり、くるりと振り向く。

「狩る側だけではなく、狩られる側も、立派な自然の一部だ。そうだろう? だって、皆生きているのだからね。立場が違えど、結局は同じ一つ生命の一つだ。
 ならば、ボクら狩る側に礼儀というものが存在するように、キミら狩られる側にも、礼儀が必要なんじゃないかって、ボクは最近思うようになったんだよね」
「……と、言いますと」

 嫌な汗が背筋を伝う。自分の思い描いた道筋が、端の方からひび割れていくのが分かる。からからに乾いた口でどうにか問を返せたのは、奇跡に近かったように思う。

「うん、つまりだね……弱肉強食の美学に従うなら、狩る側はきっちり獲物を殺し、獲物は美しくその運命を受け入れて殺され自身の全てを捧げるべき。ボクはそう思うんだよ」

 目を細め、いたわるような口調のマルカスから、明確な死刑宣告が下った。

 瞬間、息が止まった。

 瞬きも、肺の動きも、心臓の鼓動さえ。ほんの一瞬だけ、僕の全てが死んだのが分かった。
 直後、その全てが一気に再起動し、怒涛の如くに僕へと押し寄せてきた。目を開けていることすらつらく、呼吸は乱れ、心臓は破裂しそうなくらいの早鐘を打つ。どうしようもない生への執着心が、僕の身体を襲っていた。

 だが、それ以上に僕の中で湧きあがる、ある感情(もの)があった。

 それはきっと、パニック故のものだったのかもしれない。
 心のどこかで、もう生還を諦めたが故の蛮勇だったのかもしれない。
 他人はそれを、自暴自棄と呼ぶのかもしれない。

 けど、

「…………るな」

 だけど、それでいいんだと僕は思った。

 策は成る前に敗れた。
 退路は無い。
 こちらはたった四人。
 敵は山ほど。

「……けるな」

 だったらいっそ、やってしまおう。それしか、もう道はないんだ。

 そう思うと、身体は存外にスムーズに動いた。棍を握る手から余計な力が抜け、左足が半足分だけ下がる。同時に、僕の後ろで足を踏ん張る音や、武器を持ち直す微かな音が聞こえた。

 ――ごめん、失敗しちゃったよ。

 そう心の中で、皆に謝る。言葉は返ってこないけど、その代わりに小さな苦笑の音が聞こえた気がした。その一デシベルの返答に最後の躊躇が斬り落とされ、僕は前を見る。
 怪訝そうな顔をしてこっちを見るマルカスに、僕はとびっきりの怒りの籠った笑顔を向けて、堂々と言い放った。

「フザけるなよデカブツが。どっちが狩る者なのか、今ここで見せてやる! 僕たちを、『月夜の黒猫団』を、侮るんじゃねえよ!!」
 
 

 
後書き
感想やご指摘等頂けますと、筆者が欣喜雀躍狂喜乱舞致します。
非ログインユーザー様も大歓迎です。

ケイタがキレました。あと、一護の出番が一話分先延ばしになりました。ごめんなさい。
あと一時間くらいしたらもう一話投稿しますので、少々お待ちを……。 
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