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ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣

作者:星屑
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第十四話:骸骨の刈り手、禍ツ神



 死神の鎌を持った骸百足。
 その攻撃は歴然の攻略組プレイヤーすら一太刀で薙ぎ払い、その骨で構成された体は剣による攻撃を寄せ付けない。
 既に死者は五人を超えた。にも関わらず、ボスのHPはまだ一割も削れていない。

 確かな焦りが、プレイヤーを飲み込む。抱いた怖れが、一人の男を愚行へ導いた。

「う、うわぁぁぁぁ!!」

 瞳に涙を溜め、そのプレイヤーは一人荒れ狂う百足へ走った。男の頭の中に考えなどなにもない。積もり積もった焦りと恐怖が、男の体を支配し操っていた。

「バカ野郎ッ!」

 赤い武士の怒鳴り声すら最早届かない。
 骸の死神は纏わりついていたプレイヤーを薙ぎはらうと、悠然とその男を見据えた。


 骨の擦れる音。表情のない髑髏が、嗤ったように見えた。
 直後、フロア中に轟音が響く。


「こ、の野郎ォォッ!」

「待てクライン!」

「なっ…ンだよキリト!? 仲間がやられたんだぞ!?」

 全身に怒りを漲らせるクラインを、首根っこを掴むことでなんとか押し留める。
 仲間思いなのはこの男の良いところだが、それで熱くなりすぎて死にに行くようではダメだ。

「安心しろよ。聖騎士二人と英雄サマがとっくに向かってるから」

「んぁ?」

 キリトが指差した先。未だ巻き起こったライトエフェクトで視界が定かではない中で、しかしクラインはしっかりと二人のプレイヤーが骨百足の両鎌を防いでいるのを見た。


「う、オオオッ!」

 そして轟く裂帛の気合い。顔を上げたクラインが見たのは、斧剣を左手に、ハルバードを右手に握ったレンの姿だった。

 上空から飛来したレンの一撃が、スカルリーパーの髑髏を打ち欠く。目に見えて減少したボスのHPゲージに、プレイヤー達の士気は上がった。

「助かったよ、レン」

「礼はいらない。それよりも気を引き締めろ、ディアベル。これは一筋縄ではいかない」

「ああ、分かっているさ。右の鎌は俺に任せてくれ」

「ああ、頼む」

 全身甲冑を纏う男は、かつて第一層の攻略作戦にてレンが助けたディアベルだった。元より優れた能力を持っていたディアベルは、今ではレンが信頼を寄せる内の一人であった。
 ダメージによるノックバックから立ち直った骨百足を、傍らに立った男を意識して見据える。

「……アンタは左の鎌を防いでくれ。頼む」

「フ……まさか君からお願いされるとは思わなかった。ああ、いいだろう。左は私に任せ給え」

 男––––ヒースクリフは、その機械のような鉄面皮に小さな笑みを浮かべた。そして左手に持った純白の盾を掲げ、骨百足の左鎌へそれを翳す。
 凄まじい衝撃音が、爆風となってレンの髪を揺らす。

「何をしている。行き給え」

「言われずとも」

 百足が怒りの雄叫びを上げた。金属を引っ掻いたような大音響がフロアに響く中、レンは地面を蹴った。

「ぅ、おおおっ!」

 身の丈程もある斧剣を容易く振り被り、そして体全体を使って振り下ろす。
 余りにも硬い手応えに、本当にダメージが通っているのか不安になるが、その逡巡を雄叫びと共に跳ね除けて、そのまま振り抜いた。

「ガッ…!?」

 衝撃。
 激痛。
 流血は存在しない。だが、意識を根刮ぎ奪い去り得る程の痛みがレンの胴を駆け抜ける。

 両腕の鎌がディアベルとヒースクリフに封じられている今、正面に立つレンに対して骨の百足が行える攻撃手段はたった一つだった。

 ぶちりと嫌な音が響き、レンの体が落ちる。引き抜いた骨の尾を一振りし、百足は吼える。

「レンッ!!」

 レンがやられるなど有り得ない。
 そんな思考が一瞬キリトの脳内を支配したが、そんな幻想こそ有り得ないと振り払う。この世界では、誰であろうと等しく死ぬ可能性がある。それを、痛い程理解したばかりではないか。

「キリトォッ!」

 ディアベルが振り払われ、空いた右鎌がレンを襲う。痛みを噛み殺し、両腕で地面を押して鎌の着弾地点から退避し、そして叫ぶ。
 レンとキリトの視線が交錯する。
 それだけで、充分だった。

「アスナ! 右側面へ回るぞ!」

「え、でもレン君が!」

「レンの指示だよ。大丈夫、あいつを信じよう」

 キリトに正面から見つめられ、アスナは折れた。小さく頷き返した彼女を見て、よし、と両手の剣を握り直す。

「急ごう」

「ええ!」



† †



「グッ…!」

 数えるのも嫌になる程多い脚を小刻みに動かし、猛然と突進してくる巨体をたった一つの盾で迎え撃つ。
 果てしなく重い衝撃を受け止めた刹那、体がバラバラになったような錯覚を受け、ディアベルは絶叫と共にその悪寒を振り払った。

 眼前に両鎌をクロスさせそのまま縦横無尽にフロアを駆け抜け始めた骨百足を捕らえたのは、ディアベルが初めてだった。
 すかさず味方の援護が殺到する。
 右側面からキリトとアスナが、逆側ではクラインとエギルが、そしてーーー

「リライト・スレイブ」

 空から光の剣が落ちる。
 その有り余る威力によって、初めてスカル・リーパーは地に伏せた。

「攻めろォ!」

 声高に叫ぶ。切っ先が指し示すは初めてひれ伏した骨の百足。各所でソードスキルの光彩が輝き、時間差で次々に叩き込まれていった。



† †



「レン、平気なのかい?」

「怖すぎて膝が笑ってるだけだ。今にもチビりそうだが、問題はない」

「大問題じゃないか」

 目の前の敵に注意を向けながら、レンとディアベルはその場から距離を取る。
 レン発案の作戦に切り替えてから数十分。戦況はなんとか有利に進めることができている。
 ローテーションで交代となったレンは、エスピアツィオーネから斧剣に持ち替えた。

「全く…よくやるよ。『火事場』を利用したヒットアンドアウェイなんて。下手をすれば一撃で死ぬんだぞ?」

「一撃で死ぬのは理解しているが、敵の動きはお前が止めてくれるだろう?来るはずもない攻撃に怯えるのは愚かなことだと思うぞ」

「信頼が重い」

「無理難題ではないと思うがな」

 チラリとレンを見る。表示された彼の命の残量は、消滅まで残り数ドットといった所で止まっていた。迷宮区の雑魚モンスターにでさえ一撃もらえば消え去ってしまいそうな程頼りないものだ。

「……それよりも、お前の盾の耐久値は平気なのか?」

「来る前にフルメンテしてもらったから問題はないさ。問題があるとしたら、精神的なものだろうね」

 レンにより即興で提案されたのは、レン、ディアベル、ヒースクリフに多大な重圧と責任が伸し掛るものだった。
 まず、当初は役割ごとに三部隊に分けていたのを二つに大別した。一つは、ヒースクリフ、キリト、アスナ、エギルが率いる防御部隊。残るは、レン、ディアベル、クラインが率いる攻撃部隊。
 防御部隊の要となるのはヒースクリフ。彼が一人で左鎌を抑え、残る右鎌はキリトとアスナの二人がかりで抑え込む。残るエギル達が側面からの攻撃。但し、ソードスキルは用いず、常に回避を意識。
 攻撃部隊の要となるのはディアベルとレン。ボスのHPが半分を切った辺りからとるようになった突進アクションをディアベルが単独で防ぎきり、隙ができ次第、自身のHPが最大値から減れば減るほどステータスがアップするスキル『火事場』によって威力を上げたレンのソードスキルによりダウンを取り、そして残る攻撃部隊でソードスキルの乱舞。

 各個人の技量に頼ってしまっているお世辞にもいい作戦とは言えないモノだが、対策が分からず次々と葬られていた序盤よりも格段にマシだ。

「–––––そろそろ来るぞ」

「ああ。任せてくれ」

 満足に自慢の鎌を振るえない事に業を煮やしたのか、百足が空間が軋む程の大音響を上げる。
 作戦通り、深追いはせず周りに張り付いていたプレイヤー達が四方に散る。

「……なんだありゃ。めちゃくちゃ怖ぇ」

「口調が昔に戻っているよ……それは置いといて。さっきとは迫力が段違いだ」

 防御部隊のプレイヤーはフロアのすみに移動を完了し、攻撃部隊はレンとディアベルの背後に待機している。
 必然的に、レンとディアベルの二人でスカル・リーパーと正面から対峙することになる。

「……これで決める。耐えてくれよ、ディアベル」

「任せてくれ」

 擦過音を響き渡らせ、骨の骸は自身の眼前で両腕の鎌をクロスさせた。
 プレイヤー達の緊張感が膨れ上がる。

「……投影(トレース)開始(オン)––––––!」

 レンが斧剣を握る左手を持ち上げ、ディアベルが三歩前に出て盾を構える。
 赤き四つの光芒が、二人を睨めつける。それを真正面から受け止めるレンとディアベルには、一体どれだけのプレッシャーが伸し掛っているのかは他のプレイヤーには分からない。

 ただ一つ、言えることがあるとすれば。
 二人は揃って、不敵な笑みを浮かべていたということだけだ。


「う、おおおおおお!!」

 盾と鎌が激突した。その激しさは、フロア中に飛び散った火花のようなライトエフェクトが雄弁に物語ってる。
 されど、蒼白の騎士は一歩も引かず。あろう事か、彼の四倍もあるだろう巨体を押し退け始めた。

「行くぜ–––––」

 ドクンと空気が脈打つ。斧剣から伸びた血管のような青白い紋様が左腕を通り、頬まで到達していた。そして、その紋様に影響を受けたかのように左目も青く染まる。

是、射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)

 神速の斬撃。空間すら切り裂くソードスキル。
 その威力は絶大。ディアベルの横を通り抜け繰り出した九連の斬撃は、世界を置き去りにして骨百足の髑髏に亀裂を生じさせた。

 スカル・リーパーが、悲鳴を上げ、その巨体を仰け反らせる。

 フロアに歓声が湧く。握りしめた拳を突き上げて、目先に迫った勝利に歓喜する。
 その、中で。これまで如何なることにもその表情を激に彩ることのなかった聖騎士の顔が、驚愕に歪んでいたのを知る者は、現れなかった。


「クライン!」

「おおよッ!!」

 いつの間に移動していたのか、愛刀を鞘から引き抜いたクラインがレンの背を蹴って跳躍した。
 鈍色の光を放つ日本刀に、攻撃的な赤い光が宿る。

「喰らいやがれぇッ!」

 一撃の威力に重きを置いた刀スキルの単発攻撃。《絶空》と名付けられた一閃は、この世界でも随一の筋力によりその威力を底上げされ、骨百足の頭蓋に罅を入れ、そのまま横転させる威力を孕んでいた。

「これで決めるぞ! 役割なんて忘れやがれ!テメエらが持つ最強を、まとめてぶつけろッ!」

 英雄(レン)の号令に、生き残った戦士は奮起する。
 その白き英雄の姿に、キリトは、ディアベルは、アスナは、かつてのレンを幻視した。
 自らに課した贖罪により、心を、過去を閉ざしたレンだが、やはり彼の本質はなにも変わってなどいなかったのだ。

 誰よりもアツく。それでいて、誰よりも冷静。そして何より、人の心を燃え上がらせることができる。
 彼の熱意が、彼の勢いが、この場にいる人間に伝播するのだ。

「クソッ、こいつまだ!?」


 全員が各々のソードスキルを放ち終え、スキルディレイに体を縛られた時、スカル・リーパーが緩慢とした動きで起き上がった。
 プレイヤー全員が、目を見開く。だが彼らの胸中に驚きはあれど、恐れはなかった。

 何故ならば。


「エクスッ…!」


 最も信頼する英雄の一撃が、まだ残っていたから。


「カリバァァァァッ!!」

 濃紺の剣から放たれた光の奔流は起き上がりつつある骨の怪物に直撃し、その巨体を押しやる。そして、


「うおおおおおッ!」


 更に出力が上がった勝利を呼び込む聖剣の一撃は、遂に、スカル・リーパーの全てを呑み込んだ。



† †



「……何人…やられた……?」

 同じように床に座り込んだディアベルに問われ、レンは右手を振ってマップを呼び出した。ボスフロア内に存在する光点を数えて、当初いた人数から逆算する。

「……十人、だな」

 ギリッ、とディアベルの歯が鳴る。
 第七十五層攻略作戦に於いて、偵察班含め、二十人が死亡。その全てが、歴戦の攻略組プレイヤーであることが、事の重大さをより深刻にしている。

「それでも、あの男はピンピンしている。全く、本当に化け物かい?ヒースクリフは」

 ディアベルの視線の先には、悠然と立ち続ける聖騎士の姿が。
 たった一人であの巨大な骨鎌を防ぎきって見せた彼に、しかし疲労の色はない。ただ、慈愛に満ちた眼差しで、力尽きて床に倒れたプレイヤー達を見下ろしている。

「……いや、バケモンなんかじゃねえよ。アイツは–––––」

 –––––アイツは、神だ
 言いかけた言葉を呑み込む。これ以上言ってはダメだ。
 ヒースクリフは、正体がバレた暁には計画を早め一足先に攻略組から離れ最上階の紅玉宮へ向かうつもりなのだ。それは、ダメだ。できるだけ長い間、ヒースクリフの力を攻略組に留めておかなければ、被害は、これだけでは済まなくなる。

「ん……?」

 ディアベルの声に、思考に埋没していた意識が浮上する。
 その刹那。
 どうしようもなく嫌な予感が、レンの背筋を駆け抜けた。

「キリト………っ!?」

 見れば、レンの15メートル先にいた黒衣の少年が、漆黒の愛剣を携えて地面を蹴っていた。

 ––––まさか、気付いたのか!?

 反射的に、レンもエスピアツィオーネを呼び出してその柄を握る。キリトとヒースクリフの間に割り込もうとして、しかし、既に手遅れなのだと悟った。

 ペールブルーの閃光が尾を引いてヒースクリフに迫る。完全な不意打ち。だが、ヒースクリフは驚異的な反応速度でそれに気付き、驚愕の表情を浮かべた。咄嗟に左手の盾を掲げ、防ごうとする。

 しかし、キリトの剣は盾の縁を掠めてヒースクリフの胸に突き立つ–––––


 寸前。
 その剣が、目に見えぬ障壁に衝突した。フロア中に響く激突音を鳴らし、紫の閃光が炸裂する。
 そして、キリトとヒースクリフの丁度中間空間に紫––––システムカラーのメッセージが表示された。

 【Immortal Object】。不死存在。
 それが、聖騎士の神話の真実。
 ヒースクリフというプレイヤーは、皆の信仰を、期待を集めたその騎士は、真実、この世界により護られていたのだ。

 何故ならば。

「《他人のやっているRPGを傍から眺めるほど詰まらないことはない》。…………そうだろう、茅場晶彦」

 たった一人。この世界を統べる管理者という役割を持つ男。
 ヒースクリフという聖騎士は、このデスゲームを創り上げた最悪の魔人だったのだ。

「貴様……貴様が……。俺たちの忠誠–––––希望を……よくも…よくも…」

 ––––不味い。
 血盟騎士団の幹部を務める男がゆっくりと立ち上がる姿を見て、レンはそう直感した。
 今度こそ、男を止めるべく走り出す。

「よくもーーーーッ!!」

 男が絶叫しながら地を蹴った。空中で巨大なハルバードを振り被り----。
 だが、茅場の動きの方が速かった。右手ではなく左手を振り、出現したウィンドウを素早く操作したかと思うと、男の体は空中で停止しそして床に落下した。
 同時に、レンの動きも止まる。

 -----麻痺状態!?
 急に動かなくなった足をもつれさせて倒れこんだレンが見たのは、グリーンの枠が点滅するHPバー。

 この場で立っていたのは、この状況を作り出した茅場と、その正体を暴いたキリトのみだった。

「……どうするつもりだ。この場で全員殺して隠蔽する気か…?」

「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」

 魔人は作った笑みを貼り付けて首を左右に振った。

「こうなってしまっては致し方ない。予定を早めて、私は最上層の《紅玉宮》にて君たちの訪れを待つことにするよ。
 九十層以上の強力なモンスター群に対抗し得る力ときて育ててきた血盟騎士団、そして攻略組プレイヤーの諸君を途中で放り出すのは不本意だが、何、君たちの力ならきっとたどり着けるさ。だが……その前に……」

 茅場は言葉を切り、そしていつか見たことのある確固たる意志を秘めた双眸でキリトを見据えた。右手の剣を黒曜石の地面に突き立てる。

「キリト君。かつてレン君がそうだったように、君には私の正体を看破した報酬(リワード)を与えなくてはな」

 キリトの視線がレンへ向いた。いや、キリトだけではない。麻痺状態でほとんど動かない顔を動かして、この場にいる全員がレンを見ていた。
 その視線から、レンは目を逸らすことしかできない。

「チャンスをあげよう。今この場で私と一対一で戦うチャンスを。無論不死属性は解除する。私に勝てばゲームはクリアされ、全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。………どうかな?」

「だめよキリト君……! あなたを排除する気だわ……。今は…今は引きましょう……!」

 アスナの言い分は正しい。 なにせ頼みの綱のソードスキルは全てこの男が作ったものだ。例えキリトの二刀流であろうと、ヒースクリフの反射神経と記憶力、そして《神聖剣》を以ってすれば防ぎ切られてしまう。
 ならば一度撤退して地道に進んだ方が格段に賢い。一度に攻略組トッププレイヤー二人を失えば、今後の作戦に甚大な被害が出てしまうのだから。


 それでも、キリトの表情を見たレンは彼にそのような打算的な考えなど微塵もない事を理解した。
 キリトの表情に浮かぶのは、怒り、そして決意。
 キリトは、愛した人の為にここで退くつもりなどなかった。

「……なら、オレは––––––」

 深く、深く。
 かつて殺人鬼と戦った時の感覚へ、埋没していく。
 徐々に全ての感覚が失われていく。まず音が聞こえなくなり、次いで地面の感触が消えた。そして最後に、キリトがヒースクリフへ飛び掛る姿を見て、視界が暗闇に閉ざされた。



† †



 ノイズにのみ満たされた世界。ナーヴギアと脳の接続がうまくいっていないオレにのみ行ける世界。下手をすれば接続遮断により脳が焼却されるが、今、神の拘束から抜け出す術はそれしかないのだ。

––––なあ、ネロ

 意識の中で問い掛けた。
 かつて最も信頼していた相棒の名前を。この手で、その命を断ち切った少女の名を。

––––オレの友達がさ、命懸けて戦ってんだよ

 今でも思い出せる。
 鮮やかな金色の髪に、鮮烈なまでの赤い衣装。手に携えた剣は情熱の炎が燃え、揺るぎのない絶対の意志が宿った翡翠の瞳。

––––この世界を終わらせる為に。愛した人を、護る為に。……お前の口癖だったよな。『護る』って

 口を開けば言っていた。みんなは私が護るのだと。誰かが死んだ時は、子供みたいに泣き喚いていた。
 そんなお前だったからこそ、オレはお前にはついて行くと決めたんだ。そんなお前だったからこそ、アイギスの仲間が集まったんだ。

––––だったら、オレも戦わなくちゃならないよな

 勝ち目は薄い。
 正直、うまく麻痺状態から抜け出せたとしても、ヒースクリフに勝つビジョンがまるで見えていない。
 それでも。

––––護る為には、戦わなくちゃならねえもんな

 死ねない、なんてただのオレの我儘だ。無慈悲な神がそれに付き合う必要はない。
 死ぬかもしれない。死ぬのは怖い。
 それでも。
 それでも。

––––護るのは、オレ達の役目だ

 目を開く。頭上からは一筋の光が。手を伸ばす。




 『行ってらっしゃい』



† †



 万感の思いが、たった一人の少年を思う意思の力が、神を打ち破る。
 目の前では、繰り出した剣戟の悉くを盾で叩き落される少年の姿。

 ––––守ってみせる

 少女は呟く。
 剣を抜いている暇はない。ならば、この身を差し出してでも。

 キリト君は––––わたしが––––!!

 立ち上がる。
 赤い光を宿した剣が、最愛の少年に落ちようとしている。


『ああ、行ってくる』


 不意に、ぐい、と肩を引かれた。
 次いで、視界を覆う白い外套。

 直後、高く澄んだ金属音が空気を切り裂いた。



† †



「レ、ン……?」

 目の前に現れた青年の名を、キリトは呟いた。
 管理者権限により行動の一切を封じられていたはずの青年は今、ヒースクリフとキリトと間に割って入り、今まさにキリトを断ち切らんとしていた剣を濃紺の剣で防いでいた。

「––––これは驚いた」

 その言葉とは裏腹に、茅場の表情に浮かんだのは紛れもない歓喜だった。
 人の可能性。醜くも気高い、人の本質。茅場がこの鉄城と同様に見たいと願ったものを体現した英雄。その人が、今再び、目の前で奇跡を起こしてみせた。

「麻痺から回復する手段はないはずなのだがな」

「……それこそ、お前が望む人の意思の力が為したんだろうよ」

「フ……やはり君は素晴らしい。君こそが、私の望んだ真の英雄だ」

 惜しみない賛辞を、しかしレンは相手にすることはなかった。
 力任せに茅場の剣を押し退けて、距離を取る。

「それでどうする? まだ続けるか?」

 今のレンに最早迷いなどない。
 例え勝ち目がないとしても、戦う決意はできている。

「ああ、続けよう。いや、ただ続けるだけでは詰まらない。そう、試練だ。英雄には試練がつきものだからな。君には、最大の試練を与えよう!!」

 ヒースクリフが左手のウィンドウを再び操作した。その指の動きに淀みはない。
 直後、世界が揺れた。それと共に微かに機械の駆動音が聞こえてくる。

「なんだ、この音…!?」

 隣に立つキリトが驚きの声を上げる程に、その音は地鳴りを伴って大きくなっていった。
 やがてそれの原因が、可視化されていく。

 歓喜の笑みを浮かべる茅場の背後。今の今までただの空間だったそこには、()()()人型のナニカが立っていた。

「な、んだよ……コイツは…」

 現れたのは四つ腕の怪物。
 遠目でも分かるほどに隆起した全身の筋肉に、大木のような脚。両の腰には日本刀、背には二振りの長槍を背負っている。

「『The Evile God』。第九十九層にて、君達が戦う予定だったボスだ」

「……なるほど。お前を倒すには、まずこいつをどうにかしなくちゃならないということか」

「そういうことだ。さあ、挑み給え。最強最悪の神に。なんなら、二人……いや、()()で挑んでも構わない。
 ああ、安心してくれたまえ。HPは大幅に減らしてある。君達が死力を尽くして戦えば、或いは届くかもしれない」

 並び立つレンとキリトの背中に、誰かの手が添えられた。それが誰のものなのか、二人には振り返らずとも分かった。

「私も、戦うよ」

「俺も戦える」

「……ああ、ここまで来たんだ。付き合ってもらうぞ」

 左手に握っていたクリミナルエスパーダが霧散し、入れ替わるようにエスピアツィオーネが右手に収まる。
 
 第九十九層にて待ち受けるはずだった禍ツ神は、ただ黙して眼下にいる三人を見降ろしている。
 その悠然たる佇まいは正に神の如く。見上げるだけで沸き立つ恐怖心に、この場にいるプレイヤー達は呑まれていた。それは体の自由の利くキリトやアスナも例外ではない。気圧されながらも気丈に立ち続けるが、いつ膝をついてもおかしくはなかった。

 そんな中で。
 たった一人。まるで怯える二人を庇うように、レンは一歩前に踏み出した。
 禍ツ神の炎の如き眼光が白い姿を捉える。
 

「この世界に来て、数え切れない程の修羅場を潜り抜けてきた。
 どうしようもない状況に、死を覚悟した事だってあった」

 禍ツ神は動かない。ただただ沈黙を保ち続け、まるで眼下の少年の覚悟を試すように屹立する。

 
「だが、オレはここで生きている。
 そして、これが最後だ」

 贖罪の剣を握る手に、かつてない力が篭る。
 そう、これが最後。
 あまりにも濃い二年間。ただの日常が死と隣り合わせの日々に変わってから、ただ只管に足掻きつづけてきた。それが、これで終わる。終わらせる。

「あの怪物はオレが抑える。ラスボスはお前達に任せるぜ。オレが死ぬ前に、速攻で終わらせてくれよ」

「………ああ」

「任せて」

 キリトとアスナから怯えが消えた。代わりに浮かべたのは、並び立つ英雄と同じ不敵な笑み。
 
「行くぞ、振り返るなよ」

 終幕の刻は迫る。されど生きて帰れる保証などどこにもなく。
 抗うしか能のない哀れな人間は、この絶望を如何にして振り払うのか。
 それとも、ただ、呑まれ行くのみか。
 
 待ち構えるは禍ツを纏いし鬼神に、世界を創造した現人神。勝算などありはしない。それでも戦うと決めた英雄を止める術を、地に伏す人間は持ち合わせていなかった。



to be continued 
 

 
後書き
書き溜めは以上となるので、また更新が滞るかもしれません。申し訳ないです。 
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