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ウラギリモノの英雄譚

作者:ぬくぬく
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クンレン――英雄ノ義務

 その後、十分と絶たずして幾子(イクコ)身支度(みじたく)を始めた。
 三年ぶりの親子の再会は、わずか三十分の出来事だった。
 玄関の前に黒塗りのバンが停まっていて、幾子が玄関を出ると、後部座席のドアが自動で開いた。
「それじゃあね、(かなめ)。体には気をつけ給えよ」
「次はいつ帰ってくる?」
「分からないんだ。すまないね……」
「分かった。でも、次は連絡ぐらい入れてくれよ。たまにでいいからさ」
「善処するよ。それじゃあね」
 幾子を乗せた車が走り去っていく。



 翌日。
 (カナメ)の家の敷地内にある柔剣道場。
 四十畳ほどの内装は、剣道に用いるような板張りと、柔道に用いる畳で半分ずつに分かれている。
 その剣道場の方で、道着姿の要が、莉子(リコ)に見守られながら型の鍛錬を行っていた。
「……っ」
 一通りの動きを終えた要が動きを止める。
「うん……完璧。流石、飲み込みが早いね」
 莉子が静かに頷く。
 渋々ながらも弟子入りを志願した要を莉子は快く受け入れてくれた。
「あんなに嫌がってた要くんがこんなにあっさり受け入れてくれるなんて意外」
「師匠の命令は絶対ですから……」
 言い訳をするように口にした。
 弟子になれとは言われたが、ヒーローの試験を受けろと言われたわけではない。日課で続けていた趣味の格闘技の延長と考えれば、そんなに苦にはならないだろう。
 この時、要はそう考えていた。

「何はともあれ……君がわたしを師と仰いだからには、逃がさんよ。これから試験までの二週間、目を閉じてたってわたしの動きが分かるぐらい、みっちりわたしと鍛錬してもらうけんね」
 莉子の目には意志の強さが感じられた。
 ここで何と否定したところで、彼女は諦めないだろう。
「分かりました。母さんに言われた手前もあるし……それまではあなたに付き合います」
 投げやりな返事。だけど、莉子は言質(げんち)を得たとばかりに頷いた。
「では、さっそく師匠命令。わたしには他人行儀な呼び方はせず、フレンドリーに莉子って呼んでくれる?」
「了解しました。莉子さん。……これからよろしくお願い致します」
 よろしくお願いしてしまった。
 その後の二週間、要はこの軽率(けいそつ)な発言を後悔することになる。



 朝のことだった。
 いつもの様に冷凍パスタを電子レンジで温めていると、唐突に玄関のドアが開いた。
 要の居る台所から、廊下を挟んで玄関は見えるところにある。
 何事かと思って目をやると、普通に莉子が玄関に立っていた。
「おはようー」
「莉子さん!? ていうか、鍵は?」
幾子(イクコ)さんに合鍵借りとるんよ。それより! また冷凍パスタ食べよる!」

 靴を脱いで莉子が家に上がり込んでくる。
 台所に入ると、手に持っていた風呂包みを机の上に置いた。
「ご飯持って来たけん一緒に食べよう」
 そう言って包みを広げる。中身は使い捨てのお弁当箱で透明なプラスチックの蓋の下に真っ赤なエビチリとご飯がパンパンに詰め込まれていた。
「飯……作ってきてくれたんですか?」
「師匠やけんね。弟子の体調管理も仕事のひとつよ。あはー」
 ドヤ顔の莉子。
「あ、ありがとうございます……」
 突然の来訪には驚いたが、食事を用意してくれたことに、素直にお礼を言おうとしたところで。

「おらぁ!」

 ガチの拳が要の鼻の下を抉った。
「んぐっ」
 喋っている途中だったので、盛大に口の中を噛んだ。
 切れた唇から血がどくどくと流れ出す。
「な……何するんですか……」
「食事の前に組手しよう。組手!」
「は?」
 そして莉子は返事も待たずに殴りかかってきた。

 そして組手が終わり、朝食。
「そんな氷で冷やさなくてもいいじゃん。おおげさやねー」
「こんなに顔を()らして学校に行ったら、周りがびっくりするんですよ!」
「あ、学校行くんやね。休んで組手せん?」
「しません」
「ほらほら、そんなに怒らんといて。ほら、エビチリ食べよう。タンパク質タンパク質」
 促され、要がエビチリを口に運ぶ。
「辛っ!」
「カプサイシンは新陳代謝(しんちんたいしゃ)を上げるけんね!」
「にしても辛すぎです。どれだけトウガラシ入れたんですか!」
「辛さに定評のある香川本鷹(かがわほんたか)を惜しみなくっ。辛すぎた? まぁ、薬やと思って食べまい」
 満面の笑みの莉子が、要の口にエビチリを押し込む。
 香川本鷹のピリリとした上質な辛さが、口の中の傷に物凄くしみた。

 朝からひどい目に合った。
 きっと家に帰っても彼女に付き合わされることになるのだろう。
 学校だけが要の安らぎの場所だ。
 そう思っていた。

『要くん! 昼休みに組手しよう!

莉子』

 三限目の授業の後に、携帯に入っていたメールだ。
 外に来いということだろうか? だが、要の通う英明高校(えいめいこうこう)では、休み時間に校外に出ることが禁止されている。
 その旨をメールで返していたのだが、返事はなかった。
 諦めたのかと思ったが、あろうことか莉子は学生に変装して昼休みの校舎に侵入してきた。
「やり過ぎじゃないですか?」
「昼休みは短いよっ。さぁ、やろう!」
 拳を構えた莉子が殴りかかってきた。

 勿論、家に帰っても組手が待っていた。
 組手というか、莉子に遠慮がないため、ほとんど殴り合いみたいになっている。

 翌朝。
 莉子の襲撃を避けるため、要は早めに家を出た。
「ふぅ……」
 学校最寄りの駅で降りて、何とか莉子と出会わなかったことに安堵(あんど)の息を吐く。
 駅前の商店街。まだ会社に向かうサラリーマンの群れもまばらだ。
「早めに着くけど……何してようかな……」
 早足に歩いて行く要。
「遅刻、遅刻ー」
 からあげ屋の角の曲がり角から、聞き覚えのあるような声が聞こえた。
「まさか……」
 恐る恐る曲がり角の向こうを覗く。
 案の定、そこには制服姿の莉子が居た。
「せいっ」
 彼女は要の姿を捕捉するや、即座に上段の回し蹴りを打ってきた。
「……っ」
「あらぁ、ごめんなさい。わたしったら、本当ドジやねー」
 蹴りをガードした要を見て、わざとらしいセリフを並べ立てながら、莉子が手に持った食パンをひとかじりした。
「ところで、食パンを咥えた女の子と曲がり角でガッシャンコってよくある演出やけど、パンを咥えたまま『遅刻遅刻ー』って言うんってかなり難易度高いと思わん?」
 質問しておきながら、返事を待たずに莉子は殴りかかってきた。

「要くんー、組手するよー」
「組手ー」
 組手、組手、組手……。寝ても覚めても要は莉子と殴り合った。
 始めた当初は、この調子で二週間なんて身が持たないと思った。だが、三日もする頃には、要も彼女との戦いを楽しいとさえ思うとうになっていた。慣れって怖い。
「何でここまでするんですか?」
 毎日のように殴りかかってくるのは、莉子にだって負担のはずだ。そう思って、聞いてみた。
「決まってるやん」
 莉子はさも当然のように答える。
「要くんをヒーローにするために、わたしはここにおるんよ」
「僕はヒーローにはなれませんよ」
 要は素っ気なく返したが、莉子は気にしていない様子だった。
 こんなに夢中で、誰かと殴り合ったのは、久しぶりだった。



 試験を翌日に控えた土曜日の朝。
 いつものように玄関から莉子が殴りこんでくるかと身構えていた要のもとに、一本の電話が入った。
『やぁ、要かい? 僕だけれど、今大丈夫かな?』
 電話の相手は、幾子(イクコ)だった。
「ああうん、どうしたの?」
『定期的によこすと約束した電話だよ。新しい師匠とは仲良くやれてるかい?』
「毎日ところかまわず殴りかかってくる熱心な師匠で感謝してるよ」
『それは仲が良さそうでなによりだ』
「どう解釈すればそうなるの?」
『短期間で分かり合うなら、言葉を交わすより拳を交わすほうが早いというのが、僕の持論だ』
「そうですか」
『とは言え……莉子君の肩に力が入ってしまうのも仕方がないことだろう。何せ、次の試験が要にとって最後のチャンスだからね』
「…………僕は、試験を受けるとは言ってないよ」
『受けないのかい?』
「受けられるわけがないだろう」

 変身後に五感を失うという体質の問題だって解決していない。
 この二週間、変わった練習をしていたわけでもない。
 ヒーロー認定試験の最終試験は、変身後の実践形式で行われる。変身すればまともに戦うことすら出来ない要が、試験に(のぞ)めるはずもなかった。
『要、僕はね。君がヒーローになろうとなるまいと、そんなことはどうでも良いんだ。だけど、君はヒーローを諦めると言いながら、一言だって「ヒーローになりたくない」とは言わなかった。それに、ヒーローにならない君が、鍛錬を続けて何になるつもりだい?』
「……」
『やらないぐらいなら、やって後悔する方が良いなんて言わないよ。後悔するぐらいなら、やらない方が良い。だけど、やらずにはいられないなら……見切りを付けておいで』
「見切りをつけろ……か」
 それが。
 長年、師と(あお)いできた母からの言葉だった。
 一か八かの挑戦をしろじゃない。見切りをつけろ。
 つまり……。
「どうあっても、僕は試験に合格することは出来ないんだね」
『そうだね。僕の目から見て、それは火を見るより明らかだ』
 淡々と、幾子は告げた。
『君ではどうやったって、最終試験に合格することは出来ないよ』
 それは、ヒーローになれないと言われているのと同義だった。
 分かっていたことだ。
 なのに、その言葉は、自分で言い聞かせていた時以上に、要の心に重く伸し掛かった。



「要くんー。組手……あれ?」
 電話の後、暫くしてから莉子が家にやって来た。
 玄関先で受話器を置いたまま動けなくなっていた要は、莉子を見て初めて現実に意識が戻った様に動き出した。
「顔色悪いよ、どうかしたん?」
「何でもありません」
 そう。何でもない。
 要は何も変わってはいない。
「試験は明日やけん、今日は練習お休みにしようか」
「いえ……ああ、あの……」
 そういえば、彼女は明日の試験のために、今日まで付き合ってくれていたんだったか。
 ならば彼女にはちゃんと伝えておかなければなるまい。
「僕は、試験を受けるつもりはありません……」
 要は言った。
 何度も口にしていたことだ。莉子は、驚くでも反対するでもなく、ただ大きな目で三回まばたきをして。
「どうして?」
 と、聞いてきた。
「最初から僕は、試験を受けるつもりはありませんでした。受けたところで、合格することなんて出来ないんだ……だったら」
「受けないほうが良い? ……変身したら、五感が無くなっちゃうから?」
 要は頷いた。
「体はもうボロボロだ。敵は強い。負けるってぐらいやったら、戦わん方がいいってこと?」
「……そうです」
「諦めるってことなん?」
「そうですよ」

 莉子が唇を結んだ。
「やってみんと分からんよ……」
「やらなくても分かります」
 莉子がうつむく。
「わたしがこの一週間、君に付き合ったんは、君に明日の試験を受けてもらうためやったんよ」
「……僕があなたの鍛錬に付き合ったのは、母に言われたからだ。だけど、試験を受けろとは言われてない……」
 くしゃりと。莉子がジャージの裾を握り潰す。
 そして、莉子が顔を上げた。張り付いたような笑顔が要に向けられる。
「そっか。恩着せがましいに言うて……ごめん。でも、さ」
 莉子の肩が震えている。
「絶対に合格しろなんて言わん。やけど、試験だけは受けてもらえんやろうか……?」
「それに何の意味があるんですか?」
「要くんに逃げて欲しくない、わたしの我儘(わがまま)だよ……」
「訳がわからないです」
 本当に彼女は意味がわからない。
「お願い要くん……」
「やめて下さい」
 要はこれ以上莉子の言葉を聞きたくはなかった。
「応援してくれたことには、お礼を言います……。だけど、僕はヒーローにならないことを選んだんです。諦めだってついてるんだ。これ以上、僕をかき乱さないで下さい」
 胸がザワついた。
 彼女の目的が、要をヒーローにすることなのは初めから分かっていた。
 だけど、無理なのだ。母にも言われた通り、自分でも十分に理解している。要はヒーローにはなれない。

「無理なんだ……」
 小さく、誰にも聞こえないような声で口にしていた。
「この体が治りさえすればと思ったことは何回もある。だけど、五年掛かって治せなかったんだ……。諦めなきゃいけない。諦めれたんだ。だったらもう、これ以上……」
 叶わない夢は見ていたくなかった。
 莉子の瞳が要を見ている。こんな姿を見て失望でもしたのだろうか。
 勝手に期待したくせに。要にとっては迷惑な話だった。

「後ろを向いて」
 莉子が言う。
 要は言われるがままに従った。
 トン、と背中に温かいものがぶつかってくる。
 莉子が要の背中に手を添えて、額を押し付けていた。
「何してるんですか……?」
「ヒーローはっ……」
 莉子が息を吸う音がした。
「負けてもいい、倒れたって構わん。だけど、ヒーローは立ち上がらないといかん。そうじゃないと、背中に守られていた人が何を信じて進めばいいのか分からなくなるけん……」
「何の話ですか」
「君を信じて、君の背中を見つめている人が、一人でもいる限りヒーローは必ず立ち上がらんといかんのよ」
「僕はヒーローじゃありません」
「君をヒーローにするのは、君じゃない」
 背中に触れている莉子の呼吸が、振るえているのを感じた。
「君の背中に守られている人が一人でもいるなら、君はもうヒーローなんだ……」
 言い聞かせるように莉子が言う。
「自分勝手なんのはわかっとる。だけど、要くん……。もうわたしは君が立ち上がってくれないと、どっちに進めばいいか……分からなくなる……」
 彼女の言葉の意味は分からない。
「お願いします、要くん……戦うことから逃げないで。強くあろうとすることを止めないで……」
 背中に伝わる莉子の気配が、泣いていた。
「自分でも、どうしたら良いのか分からないわたしのこの気持ちを……安心させて下さい」
 女の子が泣いている。
 泣かせてしまったのは、きっと自分だ。

「本当に訳がわからない……」
 要が言う。
「分かりました……」
 玄関先。電話台の上に置いてあった受験票を、要が手に取った。
「絶対に受かるなんて、約束できませんよ」
 要が振り返る。
 目尻に涙を浮かべた莉子は、まん丸な目で何度かまばたきした後に、ホッとしたような笑みを浮かべて、何度も頷いた。
 
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