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猫又

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8部分:第八章


第八章

「そして。さようなら」
「えっ!?」
 ここで愛の告白があるかと思ったネモリーは彼女から別れの言葉を告げられて戸惑う。
「何だよ、それ」
「だって。何も言うことはないから」
 アディーナは言い返す。
「だから。さようならなのよ」
「ちょっと待ってくれよアディーナ」
 ネモリーノはアディーナを呼び止める。ここだった。
「よし」
 トラはちょいと魔力を舞台に送った。すると。
「あっ」
 アディーナを演じる沙世がこけかけた。それを。
 ネモリーノを演じる澄也が受け止めた。当然ここはシナリオにはない。
「えっ」
「あの」
 二人は思わぬことに顔を見合わせる。次の言葉が出ない。
 だがここで。澄也がアドリブを効かせてきた。
「アディーナ、気をつけて」
 彼は言った。
「この道は危ないんだ。君に若しものことがあったら」
「若しものことがあったら?」
 半分アディーナから沙世になっていた。
「僕はどうしていいかわからなくなるんだ。だから」
「側にいて欲しいの?」
「その通りさ」
 ネモリーノは答えた。
「だから。行かないで」
「私のことが好きだから?」
「ずっと前から言っているじゃないか。だから」
「わかったわ」
 その言葉にこくりと頷く。それからゆっくりと態勢を元に戻す。
「一緒にいましょう、ネモリーノ」
「アディーナ」
「そしてね」 
 今度はアディーナ、いや沙世がアドリブに出て来た。
「幸せに」
 すっとネモリーノ、いや澄也に抱きついてきた。
「えっ」
(続けて)
 沙世は澄也にそっと囁く。
(お芝居を続けて)
(う、うん)
 澄也は最初それに戸惑っていたがそれにこくりと頷いた。
(わかったよ。それじゃあ)
(お願い)
 二人の囁き合いは誰にも気付かなかった。すぐに芝居に戻った。
「幸せになりましょう」
「二人で」
「そう、二人で何時までも」
「そうだね。僕達はもう離れないよ」
「ええ」
 澄也も沙世を抱いてきた。彼も段々と感じていたのだ。
 背中に手を回した時にそっと囁いてきた。
(いいよね) 
 耳元で。沙世にだけ聴こえるように。
(いいわ)
 沙世にしてみれば夢みたいなことである。これを断ることはしなかった。静かに微笑んでそれを受け入れたのであった。
(このままずっといさせて)
(ずっと?)
(そう、ずっと。いいかしら)
(うん、いいよ)
 その言葉の意味はわかっている。そのうえでこくりと頷いたのであった。
(お芝居が終わってもね)
(ええ)
「凄い熱演だなあの二人」
 観客達はそんな二人に気付くことなく舞台をうっとりとして見ていた。
「そうだよな、役になりきってるぜ」
「あれ一年の片桐と若松だったよな」
「ああ、そうだぜ」
「一年とかそういう問題じゃねえぜ。ありゃ凄い」
「こんな舞台そうそうお目にかかれないよな」
「ああ、見に来たかいがあったぜ」
「全くだぜ」
 彼等は口々に言い合う。だが舞台の上での本当の出来事には気付いていない。気付いているのは一匹だけ。トラだけであった。
 
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