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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第170話 襄陽城攻め3

「はわわわ。正宗様、火急の用件と聞きまかり越しました」

 朱里が慌てた様子で正宗の陣所に現れた。彼女を拱手し目を伏せたまま陣所に足を踏み入れた。彼女は顔を上げると正宗の姿を見ていぶかしんでいた。正宗は戦支度を整え床几に腰を掛けていたからだ。

「そのお姿は?」

 朱里は状況を把握しようと正宗に質問した。

「少々面倒なことになってな。先ほど孫文台が襄陽城攻めに向かった」

 正宗は難しい表情で朱里に言った。彼は朱里に甘寧から報告を受けた内容と彼女と交わした内容を全て話した。朱里も眉根を寄せ難しい表情で何も語らず聞いていた。

「正宗様、孫文台が失態を犯した場合に太守から解官するお考えは致しかた無いことだと思います。それ以上に孫文台の独断専行は許しがたきものがあります」

 正宗は朱里の怒りを孕んだ言葉を黙って聞いていた。

「孫文台の件はひとまずおいてく。今後、如何するべきか相談するためにお前を呼んだのだ」
「孫文台が夜襲に失敗した場合に備え我らも準備すべきと思います」
「具体的には?」
「孫文台が東門を破るのに失敗した場合、蔡徳珪がどう出るか懸念しております。このままでは先の無い蔡徳珪は孫文台を蹴散らした勢いで我らに襲いかかってくる可能性があります」
「孫文台が撤退に失敗したらそうなる可能性はあるな。冀州軍の主力が蔡瑁軍の後塵を帰す可能性は低い。だが、この地にいる荊州豪族率いる義勇兵は浮き足だつやもしれん。それが不味い。義勇兵に足を引っ張られ我が軍に被害が及ぶことは絶対に避けなければならない」

 正宗は渋い顔で視線を落とした。

「どちらに転んだにせよ直ぐに動けるように準備を整えた方が良いでしょう。東側の城門を警戒するために星さんを主将とし騎兵一千を率い向かってもらいます。彼女の副将には愛紗さんを当てます。本陣は禜菜さんにお願いしようと思います。如何でしょうか?」
「それでいい。本当に手間を掛けさせてくれる」

 正宗は眉間に皺を寄せ舌打ちした。

「これまでの孫文台の振る舞いは独断専行で荒々しすぎます。孫文台は失態を犯そうと豫州に配置するのが正しいと思います。今後、我らにとって豫州は最前線となります。彼の地であれば孫文台を配置するには良い場所だと思います。もし、何かあったとしても我々で対応できます」
「孫文台が失態を犯した場合に豫州に配置する名目はどうする? 功もないものに褒美をやることはできんぞ」

 正宗は朱里を凝視した。その瞳は彼自身考えがあるが朱里に確認の意味で聞いているようだった。

「功がないなら作ればよいかと」

 朱里は正宗に意味深な笑みを浮かべ答えた。

「恩を売るか」

 正宗は手を顎に当て考える仕草をした。

「孫文台に恩を売られることをおすすめいたします。彼女を解官なされば、正宗様に恨みを抱くでしょう。ですが彼女に恩をかければ、必ずや彼女の正宗様の心象は良くなるはずだと思います。それに孫仲謀を幕僚に加える話を進められれば、甘興覇も正宗様への忠義を示すことでしょう」
「機会を与えるとすれば襄陽城の総攻めか」

 正宗は独白し朱里に視線を向けた。その様子に朱里は笑みを浮かべ軽く頷いた。

「失態を犯した孫文台であれば、正宗様との関係は協力者ではなく、臣下として扱うことが可能です」

 朱里は正宗に自信に満ちた瞳で答えた。正宗は彼女の瞳を凝視した後、深く頷いた。



 正宗と朱里が二人で謀議を行う中、孫堅は兵を率い慎重に東門に向けて進軍していた。彼女は少し焦った表情で孫策が向かった西門の方角を時折視線を向けていた。

「少し時間がかかったね」

 孫堅は愚痴ると周囲の気配を探りながら夜目が効かない暗闇の中をゆっくりと進みだした。彼女の後ろには孫堅軍の兵士達が足下を気をつけながらゆっくりと着いてきていた。彼女に従軍する兵士達は昼間と違い軽装で身軽な装いだった。
 しばらくすると孫堅達が向かう方向とは逆の西門の方角が騒がしくなった。孫策が西門を攻めているのだろう。時間が立たずして炎の燃えさかる灯りが孫堅のいる所からも視認できていた。その様子を孫堅が確認すると彼女は口角を上げ笑みを浮かべた。

「向こうは派手にやっているようだね」

 孫堅と兵士達は足の進みを速めると東門に向かっていく。ほどなく彼女達は西門に辿り着くと城壁に足早に駆け寄り鉤縄(かぎなわ)を城壁の上に向け投げた。孫堅は器用に鉤縄(かぎなわ)を城壁上に掛け手ごたえを確認するように何度か引っ張ると上りだした。

「蔡徳珪、昼間は散々虚仮にしてくれたじゃないか。必ず私の手でくびり殺してやるよ」

 孫堅は悪人顔で瞳を爛々とさせ、蔡瑁への恨み言を愚痴りながら素早く上っていく。彼女が城壁の上に辿り着くと慎重に顔を出し周囲を探りだした。東門側の城壁の上はかがり火の灯りのみが見えるだけで静かだった。孫策が東門を激しく攻めているせいで夜警の守備兵は全てそちらに向けっているのだろう。
 孫堅は勢いよく城壁の上に身を乗り出し通路に着地した。

「誰もいないか」

 孫堅は猛禽を彷彿する瞳で周囲を見回し舌なめずりする。彼女が通路の様子を確認していると、彼女に続き孫堅軍の兵士達もぞろぞろと城壁を越えてきた。

「文台様」

 孫堅に駆け寄ってくる者がいた。

「思春か」

 孫堅は声の主が誰か察したのか振り向く。そこには甘寧が立っていた。

「車騎将軍へは話を通せたかい?」

 孫堅は甘寧に余計な会話は交えず本題に入った。

「車騎将軍には話を通しました。しかし、」
「上々。さっさと東門を破壊するよ。外から破壊できなくても内からなら破壊できるだろうさ」

 孫堅は甘寧の話を最後まで聞くことなく兵士達に指示を出しはじめた。

「文台様、まだ話が終わっていません。車騎将軍は」
「今回の私の軍事行動に車騎将軍が不快感を示したということだろ?」

 孫堅は甘寧の話を聞くことなく喋りだした。

「そうですが。もし、失態を犯せば太守を免職すると仰っていました」
「そうかい」

 孫堅は甘寧の言葉に憮然とした表情になるが直ぐにさっぱりとした表情になった。

「そんなところだろうね。でも東門を破れば全て問題ないというだろ」

 孫堅はあっけらかんと甘寧に言った。甘寧は困った表情で孫堅を見たが、正宗と交わした話は孫堅に報告することはなかった。

「こんなところでのんびりしている場合じゃない。さっさと東門を破壊する。思春、お前は城門を上げる役目と敵の接近を監視をするためにここに残っておいておくれ」

 孫堅は甘寧を置いて城内に降りる階段を向かい降りていった。その後は甘寧と孫堅兵達が着いていく。孫堅達が城内に降りると暗がりを利用して東門に向かう。彼等は盗賊のような身のこなしで闇に紛れ颯爽と移動していった。
 東門にたどり着つくと、そこでは三十人ほどの人足達が土嚢を積む作業に従事していた。彼等を監視するように武装した兵士が五人いる。彼等から離れた暗がりで様子を窺う孫堅は手で合図し孫堅兵達に指示を出した。孫堅達は慎重に暗がりを利用しながら移動し東門で作業する人足と蔡瑁兵の顔が視認できるまで近づくと、それまで異なり迅速な動きで彼等を撫で斬りにし惨殺し、その遺体を目立たないように片付けさせた。

 東門の両開きの扉は県門(城門の上から落として城門を塞ぐための遮蔽物のこと)で塞がれていた。その県門を塞ぐように土嚢が積まれている。孫堅は積まれた土嚢に視線を向けた。

「思ったより土嚢を積まれているね」

 孫堅は左右上と視線を動かし状況を把握すると独白した。土嚢は甘寧から受けた報告より少し嵩が増えた程度だった。孫堅は腕組し土嚢の山を見つめどうするか思案した。

「お前らこの土嚢をさっさとどかせ! 土嚢を取り除く作業に二百人を残す。残りはここに誰も近づけないように守りを固めろ。近づくやつは女子供だろうと容赦するんじゃない。必ず息の根を止めるんだよ。死体も目立たないように隠せ。いいな?」

 孫堅は兵士達に凄みのある険しい目で睨みつけた。兵士達は彼女の雰囲気に気圧され黙って頷くと動きだした。土嚢をどかす作業に従事する者達は一旦武器を置き作業し易いように剣や胸当てを辺りに置いた。守備に回った者達は東門と内城を繋ぐ道の暗がりに陣取り身を潜めていた。



 四刻位(一時間)経過しただろうか。孫堅兵達の働きで積まれていた土嚢は大人数で作業したことも功を奏したのか残すところ一割程に減っていた。

「このくらいでいいだろう。思春、県門を上げてくれ!」

 孫堅は城門のある城壁の上にいる思春に大きな声で声をかけた。思春は彼女の指示に頷き兵士達に指図した。しばらくすると県門がゆっくりと上がりはじめた。
 県門が城門の扉の中程まで上がった頃、孫堅の背後が慌ただしくなった。

「文台様! 集団がこちらに迫ってきています!」

 城門が中ほどまで開いた頃、甘寧が孫堅に大声で呼びかけた。彼女は土嚢の除去を続ける兵士達の監督を中断し緊張した様子で背後を振り向いた。遠目に松明の灯りがいくつも確認できた。その灯りの数を彼女は数えるように凝視した。

「孫太守! 敵にきづかれました!」

 甘寧に遅れて孫堅軍の兵士一人が切羽詰った様子で息切れしながら伝令として駆け込んできた。孫堅の顔は一層険しく変わった。

「もう少しだというのに」

 孫堅は苦虫を噛み潰したような顔に変わり低い声で愚痴った。

「文台様! どうされますか?」
「思春――! このまま県門を上げてくれ――!」

 孫堅は迷わず甘寧に命令した。思春は目配せで部下に作業を進めさせた。

「お前達はこのまま作業を続けて東門を開き門を破壊しろ。その後は撤退の準備をしておけ!」

 孫堅は土嚢を除去する兵士達に命令を出すと守備の任についていた孫堅軍三百と合流した。彼女は東門に迫る蔡瑁軍を迎撃するべく彼等に突撃の指示を出す。

「門を破壊するまで二刻(三十分)程だ! ここが踏ん張りどころだ。ここから一歩も蔡瑁軍の兵を通すんじゃない!」

 孫堅は南海覇王を天に向かって威勢良く抜き放つと号令を出し自らは先陣を切った。これに同調するように孫堅軍の兵士達も怒号を放ち彼女に続いた。
 しばらくせず孫堅軍と蔡瑁軍は衝突した。対する蔡瑁軍の兵数は五百程。蔡瑁軍が数の上では若干勝っていたが孫堅軍の放つ気迫に一瞬気後れし動きが鈍り、そこを孫堅が傍若無人な斬り込みを行い三人が血を撒き散らし絶命した。夜目の効かない夜間戦闘であることも相まり、蔡瑁軍は浮き足立つ。そんな蔡瑁兵達をあざ笑うように孫堅は水を得た魚のように南海覇王で敵の命を斬り伏せていった。彼女が剣を振るう度に血飛沫が上がり、彼女を血で染めるが彼女はそれを気にすることなく歩を進めた。その様に蔡瑁兵達は次第に恐怖の表情に変わっていった。

「雑兵如きがこの孫文台とやりあおうなんて百年早いんだよ!」

 乱戦の中、孫堅は敵の血を浴び眼光を輝かせ眼前で抵抗する蔡瑁軍の中央を食い破らんと突き進む。彼女の敵を寄せ付けない勇猛さに感化され、彼女に続く孫堅軍の兵士達も負けじと敵兵をねじ伏せ斬り伏せた。その有様は羊の群れを狩る狼の集団に見える。

「ひけぇ~! ひけぇ~!」

 上ずった声で叫ぶ蔡瑁軍の隊長らしき男が撤退の合図を出した。それを皮切りに蔡瑁軍は蜘蛛の子を散らすように逃げだした。

「逃がすか!」

 孫堅は蔡瑁軍の隊長目掛けて自らの南海覇王を投げつけた。南海覇王は吸い込まれるように彼の首に突き立てられた。彼は口から血の泡を吐き呻きながら背中から倒れるが、蔡瑁軍の兵士達は彼の死を悼むことなく、恐慌状態に陥り倒れた彼を踏みつけながら逃げ出した。

「お前ら! あいつ等全員を皆殺しにしてしまえ!」

 孫堅は蔡瑁軍が敗走する姿を見ながら彼等に追い討ちを掛けるために孫堅軍の兵士達に命令した。孫堅軍の兵士達は敵兵を蹴散らしたことで高揚しているのか、彼等は敵兵を殺さんと追う。孫堅もそれに続く。彼女は南海覇王についた血糊を死んだ敵兵の衣服で拭うと敵兵が逃げた先を睨み走りだした。

「あいつ等を皆殺しにして。車騎将軍への土産としようか」

 孫堅は舌なめずりし逃げ惑う敵兵の後姿を嫣然とした笑みを浮かべみた。逃げ惑う蔡瑁軍の兵士達は孫堅軍の兵士達に抵抗する気力もないのか、あっけなく殺されていった。
 孫堅が襄陽城の中央に十字路に辿り着くと事態が一変した。空から沢山の風切り音が聞こえたのだ。孫堅は表情を歪め歩みを止め空を見上げ構えた。

「矢が来る! 気をつけろ!」

 孫堅は孫堅兵達に対し警告を出し剣を構えようとした瞬間、矢の雨が孫堅軍に降り注いだ。矢を受けた場所が悪く即死し倒れていく孫堅達が一人一人力無く倒れていった。孫堅自身も重傷を負うことはなかったが身体に矢を数本受け苦痛の表情を浮かべていた。

「糞っ!」

 矢の飛んできた先から孫堅は矢の投射位置を割り出し、内城がある左方向を向いた。暗闇の中を何か動く姿が見えた。蔡瑁軍の援軍で間違いないだろう。兵数は分からないが内城から兵を繰り出してきたということは規模は大きいと思われる。

「撤退だ! 怪我をしている奴等を守りながら撤退する。仲間を見捨てるんじゃないよ!」

 孫堅は苛立たし気に孫堅兵達に命令を出し撤退を開始した。だが、彼女達を蔡瑁軍が見逃すつもりは無いのか追撃をかけてきた。蔡瑁軍は追い打ちをかけるように矢を放ってきた。二射目の矢の一斉投射で次々に孫堅兵達が倒れていった。孫堅も南海覇王で矢を払うも矢傷が一つ二つと増え表情に疲れを覚えているようだった。

 孫堅軍が東門の近くまで辿りついた時には当初いた三百の兵は半分にまで減っていた。孫堅の表情にも焦りが現れていた。彼女の背後からは三度目となる風切り音が聞こえた。孫堅兵も疲弊しているためか行動が鈍く、矢の雨を凌ぎきれず次々に死んでいく。

「東門まであと少しだ。気を張ってこの場を切り抜けるんだ!」

 孫堅は疲れた表情で孫堅兵を叱咤した。彼女は飛んでくる矢を南海覇王で払う。矢を払う。一斉投射される矢の雨に孫堅は顔を歪め矢を払うが彼女の身体に矢傷が増えていった。膝、腕と矢を浴びるも、苦痛で表情を歪めながら矢を払った。

「文台様! 危ない!」

 孫堅の首と胸に二本の矢が刺さった。孫堅は苦痛の表情を浮かべ体勢を崩した。すると孫堅兵が慌てて彼女を守るように矢を払った。

「文台様、大丈夫ですか!?」

 孫堅に甘寧が駆け寄り抱きかかえた。

「しくじったね。甘寧、東門はどうした?」

 孫堅は苦しそうに消え入りそうな声で甘寧に言った。

「県門の昇降機は破壊し、東門も破壊しました。直ぐにでも撤退しましょう」

 孫堅は青白い辛そうな顔で頬を緩めた。

「上々。後のことは頼む。部下を連れて撤退しな。私はもう無理だ」

 孫堅は自嘲の笑みを浮かべ甘寧に頼んだ。甘寧は孫堅の顔を見つめ悲嘆するも、彼女を抱え連れていこうとした。

「私はもう駄目だと言っているだろ」

 孫堅は苦しそうに消え入りそうな声で甘寧を諭した。

「必ず文台様を連れ帰ります。清河王にお頼みすれば救ってくださるはずです!」

 甘寧は孫堅を力づけようと声をかけた。孫堅は甘寧の言葉にくすりと力無く笑った。東門の方角から城門の破壊に従事していた孫堅兵二百が救援のために迫ってきていた。

「東門を破壊すると同時に清河王に援軍を要請いたしました。必ずや清河王は文台様を救うために駆けつけてくださるはずです! だから気をしっかりお持ちください!」

 甘寧は哀しい表情で力無く項垂れる孫堅に声をかけた。

「し。しゃ騎。しょう軍が私如きのために助けに来てくれるわけないだろ」

 孫堅は咳き込み血を吐いた。

「文台様!?」
「大丈夫だよ」

 孫堅は辛そうに甘寧に言った。

「車騎将軍が私を助け無くても誰も責めやしないさ。今回の行動は私の独断だ。東門を破ったんだ。私が死んでも悪いようにはされないさ」

 孫堅は力無く苦しそうに甘寧に答えた。彼女は自らの傷の深さから治療したところで助からないだろうと自覚しているようだった。

「文台様、しっかりしてください!」

 甘寧は孫堅を担ぎ早足で歩きながら声高に声をかけた。東門で工作を行っていた孫堅兵達が合流すると、彼らは傷ついた疲弊した同僚に代わり殿(しんがり)の任についた。

「清河王は慈悲深い御方です。文台様を見殺しにする訳がございません!」
「そうかい。思春、お前を信じるよ」

 孫堅は言葉と裏腹に正宗が援軍を寄越してくれるとは思っていないようだった。それを甘寧も理解したようだった。だが、甘寧は正宗が救いに来てくれると信じているようだった。

 東門の目の前まで辿り着いた時、蔡瑁軍が目と鼻の先まで迫ってきていた。周囲の松明の灯りのおかげで敵方の兵数は二千程とわかる。殿の孫堅兵も損耗しほぼ壊滅状態にあった。孫堅は背後の蔡瑁軍の姿を横目で見た後、諦めたように項垂れた。

「思春、私を置いていけ。部下達を頼む」

 孫堅は背中越しに甘寧に言った。覇気の無い弱々しい声だったが強い意志を感じさせる声音だった。

「できません」

 甘寧は短く返事した。

「最後の命令だ」

 孫堅は苦しそうに先ほどより強い口調で言い咳き込んだ。

「文台様を見捨てて。蓮華様にどう顔向けすればよいのです」
「お前は十分に尽くしたさ。これを雪蓮に渡してくれ」

 孫堅は弱々しい動きで南海覇王を差し出した。甘寧は南海覇王を凝視し悲痛の表情を浮かべた。

「受け取れません」

 甘寧は開け放たれた東門から除く暗がりを見つめた。正宗の援軍は未だこない。

「どうしてですか?」

 甘寧は腹の底から呻くように言った。その言葉は正宗への問いかけたのだろうか? 悲嘆に暮れた表情で東門を見つめていた。このままでは孫堅軍は蔡瑁軍から逃れることはできず全滅してしまう。

「来るわけがないさ。車騎将軍にとって私は余所者でしかない」

 孫堅は小さく笑い甘寧が正宗への問いかけに代わりに答えた。
 孫堅軍の皆は死を悟った。その時、東門の先の暗闇から沢山の馬蹄の音が鳴り響いた。甘寧は顔を上げ馬蹄の音が聞こえる先を凝視した。馬蹄の声は徐々に大きくなっている。大軍の騎兵が東門に迫っている。

「文台様、清河王が助けにきてくださいました」

 甘寧は孫堅に声をかけていると、星と愛紗率いる正宗軍が凄まじい勢いで東門に目掛け突入してきた。

「常山の昇り龍・趙子龍なり! 冀州軍の騎兵による突撃の恐ろしさを教えてやろう。愛紗殿、しっかり着いてくだされよ」
「星殿、安心してください。この関雲長がやっと回ってきた出番を台無しにするわけがないでしょう!」

 星が颯爽と馬を駆り、その少し後ろを愛紗が追っていく。彼女達の周囲を冀州軍の騎兵一千が駆け抜けていった。騎兵達は孫堅兵達など存在しないかのように速度を落とさず器用に城内の奥に疾走し蔡瑁軍に突撃した。
 蔡瑁軍は突然の騎兵による来襲に完全に動揺した様子だったが、直ぐに矢を放つ準備をはじめた。しかし、行動に移る前に騎兵による突撃を許し一気に陣を瓦解された。
 正宗軍による蔡瑁軍の蹂躙を呆気にとられた表情で孫堅兵達は見つめていた。

「孫文台、この貸しは高いぞ」

 正宗が孫堅に声を掛け悠々と騎兵二千を引き連れ東門を潜り抜けてきた。

「清河王!」

 甘寧は感極まった様子で正宗の名を呼んでいた。孫堅は甘寧の様子を察して、力無く顔を上げると信じられないという顔で正宗の顔を凝視していた。正宗は笑みを浮かべ孫堅を見ていた。

「清河王! お願いいたします。貴方様の奇跡の力で文台様の傷を治してください」

 甘寧は孫堅を抱えたまま必死な顔で正宗に懇願した。正宗は甘寧の話を聞くと視線を青白い顔の孫堅を見た。孫堅の表情は血の気がなく今にも死にそうな様子だった。

「奇跡の力とは何のことだ?」

 正宗は軽く甘寧の願いを聞き流した。

「張允様の傷を治された力です」

 甘寧の言葉に正宗は平静な様子を装った。

「お願いいたします!」

 甘寧が正宗に縋るように近づき必死に懇願する。

「そのような目で私を見るな。孫文台、生きたいか?」

 正宗は孫堅の方を向いた。

「知れたこと。生きたいです」

 孫堅は正宗に気を張った青白い顔で答えた。正宗は馬から降り、甘寧に歩み寄った。

「そこに孫文台をゆっくり寝かせろ」

 甘寧は正宗の指示に従い孫堅を慎重に寝かせると一歩下がり、正宗に場所を譲った。正宗は横たわる孫堅の近づくと傷の様子を確認した。彼は渋い顔をした。

「面倒だな」

 甘寧は心配そうに孫堅を見ていたが正宗の邪魔にならないように沈黙していた。
 正宗は憮然とした顔で孫堅のことを見ると考える仕草をした。その様子は躊躇しているようだった。

「清河王、治療出来ないのでしょうか?」

 甘寧が心配そうに正宗に声をかけた。

「大量に出血している上に矢が深く刺さっている。首と胸の矢を無理矢理に抜けば、その衝撃で死ぬかもしれん」

 正宗は重々しい口調でゆっくりと喋った。彼の様子に甘寧は落胆した様子になるが正宗に土下座をした。

「何卒、文台様を助けてください」
「そうは言うがな。無理なものは無理だ」

 正宗は頼み込む甘寧を見て孫堅に視線を移し思案気な表情を浮かべていた。すると何か思いついた表情に変わるが渋い表情に変わった。
 正宗は力無く横たわる孫堅の顔を凝視した。見ただけで孫堅はかなり衰弱しているのが察することができた。治療が遅れると死ぬことは間違いない。

「孫文台、この私に何をされようと文句を言うことを許さんからな」

 正宗は覚悟した表情で孫堅に忠告した。孫堅は正宗の言葉に目を薄らと開いた。意識がかなり朦朧としているのか虚ろな焦点の合わない瞳で正宗のことを見ていた。甘寧は正宗の発言の真意が分からないのか彼のことを静かに伺っていた。

「ふっ」

 孫堅は青白い顔でほくそ笑んだ。

「しゃ騎しょうぐん。いのちを救ってくれる…かはっかはっ。相手に文句もないでしょ。私にはあなたが助けに来てくださっただけでもありがたいですよ」

 孫堅は生気のない顔で正宗に精一杯の笑顔で答えた。その言葉を聞いた正宗は孫堅の胸に刺さる矢に手をかけ根元の辺りでへし折る。次に首に刺さる矢を慎重な手つきでへし折った。
 正宗は孫堅の顔を覗き込み彼女を抱き起こし彼女の口を自らの口で塞いだ。周囲にいる甘寧と孫堅兵達が驚いた顔で眺め、孫堅は目を見開き呆然と正宗を見つめていた。その瞬間、正宗と孫堅の身体が神々しい輝きに包まれた。正宗と共に入城した正宗軍二千はその様子を静観しつつ、主君である正宗を警護するように周囲を警戒していた。 
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