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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第132話 異邦人

 
前書き
 第132話を更新します。

 次回更新は、
 1月13日。 『蒼き夢の果てに』第133話。
 タイトルは、 『アンドバリの指輪』です。
 

 
「最後にひとつ聞きたいだけ。そんなに時間は取らせないわよ」

 普段付けているオレンジ色のリボン付のカチューシャを付けていない……長い黒髪を自然に流した状態。旅館に備え付けの浴衣と綿入り袢纏(はんてん)と言う出で立ちは、何時もは見る事の出来ない姿形と言う事で好感度も高く……。
 はっきり言うと普段の数倍はお淑やかに見えるから不思議だ。

 精神的にあっさり立ち直った……とも思えないのですが、それでも、何時もの調子を取り戻しつつあるハルヒ。もっとも、彼女が世界を滅ぼしかけたとは言っても、実際に彼女が行ったのは夢を見た事だけ。世界が生まれ変わる事を望んだと言っても、その程度の事は誰にだって起こり得る事。その辺りに関して言うのなら、今回の敵――あの犬神使いの青年とは立ち位置が違い過ぎるので、その程度の事で一々落ち込んで居られない、と考えたのかも知れませんが。
 そう考え、もう一度、普段とは違う彼女の姿を瞳に焼き付けるかのように見つめる俺。

 飾り気のない黒髪と、強い意志を感じさせる黒目がちの大きな瞳。未だ幼さを残してはいるが、それでも栴檀は双葉より芳し。芳紀まさに十八……にはふたつばかり届かないが、それでも輝かしい未来を感じさせる容貌。
 ただ、その瞳の奥に少しの……。

 そして……心の中でのみ先ほどの考えを否定。今までの彼女……涼宮ハルヒと言う名前の少女が俺に対して見せていた表面上の彼女からすると、これはあっさり立ち直った訳ではない、と考える方が妥当でしょうから。

 これは……。これはおそらく空元気。
 これから出掛ける――戦いに赴く俺に心配を掛けさせない為の……。

 俺を上目使いに見据えるハルヒ。尚、こいつの場合は見つめるではなく、見据えるが相応しいような気がする。
 確かに視線から感じる威圧感が強い。但し、それだけが理由ではなく、俺の言葉や表情から言葉の裏側に籠められた真意を見抜こうとしているように感じるから。
 何時も……。

「あんたと……有希の関係って何?」

 一瞬の躊躇。しかし、そんな物は無かったと自らを否定するかのように、探りを入れるとか、それとなくと聞くとか、そのような穏当な部分を一切感じさせない直球ど真ん中の問い。
 ……と言うか、こんな質問、普通に考えると答えられる訳がない。
 しかし……。

 そうやなぁ、……と短く発した後、腕を胸の前に組み、言葉を探す仕草をして見せる俺。
 ただ、正直に言うと答えはひとつ。現状では分からないが正しい。何故ならば、今、長門有希と言う少女に対して俺が抱いて居る感情が、実は俺ではない誰か別の人間の想いの可能性があるから。
 自らの左腕で、もう一人の――頭の中にゼロとイチに因って記憶されている想いなどではない、まったく別の記憶方法で刻まれていた強い想いを感じ、背中と、そして正面から強く感じる視線に意識を向ける俺。

 但し、故に今ここではお茶を濁すような……例えば、今まで長門さん、などと呼んで居た時のような答えを返す事は出来ない。

「今はとて 天の羽衣 着る折ぞ……とでも言えば正しい関係かな」

 しばし視線を彷徨(さまよ)わせ、再び、俺を見据えるハルヒの瞳と視線を合わせた後に、かなり落ち着いた声音でそう答える俺。
 この言葉の元ネタを知らなければそれまで。知って居れば……。

「何よ、それ。まったく意味が判らないわよ?」

 それとも何、あんた、自分の事が宇宙人だとでも言うの?
 今夜、この部屋にやって来てから初めて、夕食を食いっぱぐれた時のアヒルのような顔で俺を見つめ返すハルヒ。少しの苛立ちと、その中に何故か、少しの落ち着きを同時に内包している。そんなかなり微妙な雰囲気。
 ……それぐらい、この部屋に入って来てからの彼女はテンパって居たと言う事なのか。

 ただ――
 成るほど、元ネタは知って居たけど、意味までは伝わらなかったか。

「まぁ確かに、帰ったとしても忘れられるような相手ではないかな」

 簡単に忘れられるような相手なら人生を跨ぎ、次元の壁を越えてまで絆を結ぶ事は出来ない。彼女との繋がりは既に魂に刻まれた(えにし)。今、色々と蘇えりつつある、外部の記憶媒体を通じてインストールされつつある記憶とは一線を画する物。
 ただ、そうかと言ってリマ症候群とストックホルム症候群では身も蓋もなさ過ぎる。

 それならば、

「そもそも、お前、昨夜の俺が名乗った偽名の元ネタを知って居たのなら、俺の正体も、それに有希との関係も薄々分かると思うけどな」

 もう隠す心算もなく、素直に。そして自然な感じで彼女の名前を呼ぶ。それに、その方が彼女……今、この部屋には居ない方の彼女も喜びますから。
 そんな俺の顔を見据えながら、矢張り疑問符に彩られた表情のハルヒ。俺が長門さん、と呼ばずに、素直に有希と呼んだ事に対しては軽くスルー。
 ただ、成るほどね。流石にこれは難易度が高過ぎたか。
 こんな事が分かるのは有希ぐらいかも知れない。

 無意識の内に二人……いや、本当はハルケギニアのタバサまで交えて三人を比べて居た事に気付き、一瞬の自己嫌悪。俺はそんなに偉い訳でもなければ、二の線だと言う訳でもない。
 まして、生涯の内に愛する相手は一人居れば十分だと考えていたはずなのに……。

「仙童寅吉って言うのは――」

 結局、寂しい、そして冷たい夜が悪い。そう責任転嫁を行って思考を立て直し、説明を続ける俺。

 そう、仙童寅吉とは、江戸時代の平田篤胤(あつたね)と言う国学者の書いた『仙境異聞』と言う本の中に登場する人物。……と言っても、架空の人物などではなく、現実の江戸時代に暮らしていた少年の名前。
 それで、その少年は別に関西圏に本拠地を置くプロ野球の某球団の大ファンの親によって、無理矢理名前を付けられた日本一不幸な少年……などと言う訳ではなく、神隠しに遭って、その異界から戻って来た後に神通力……今で言う超能力と言う物を得て居たと言う少年。
 この辺りは、まるで迷い家(まよいが)の物語の中の登場人物のようなのですが……。

「まぁ、ここまで話せば大体、察しは付くかな?」

 先ほどの和歌は、かぐや姫が月の世界に帰る直前の描写。
 今度は神隠しに遭い、仙境(異界)で術の修業をして戻って来た少年。

 ここに俺と長門有希と言う名前の少女の普段の姿と、そして昼の間に見せた、普段とは違う魔法の世界のふたりの姿。
 これだけの情報があって、ふたりのある程度の関係が想像出来ない訳はない。
 仙童寅吉と俺との大きな違いは、異世界に迷い込んだ俺の方が師匠で、有希、それにタバサも弟子。……と言うぐらいですか。

 おそらく、この世界に俺が呼ばれた理由は、この目の前の少女の所為。今となっては消えて仕舞った過去。今年の四月八日の入学式の日、一年六組の教室内で行われた自己紹介の際の発言。曰く、普通の人間に興味はない、から始まった台詞が原因でしょう。
 確かに普通はその程度の言葉が世界に影響を与える事はありません。
 しかし、ハルヒは王国能力者。自らが支配する王国内では神に等しい決定権を有する存在。
 おそらくこの言葉が影響して過去の改変し易い時点。一九九九年七月と言う、この世界の歴史上で一番微妙な時点をクトゥルフの邪神によって改竄されたのでしょう。

 そして、その揺り戻しとして異世界人であり、未来人であり、超能力者である俺が呼ばれた。ついでに、俺の本名を知る人間はこの世界には一人も居ません。
 つまり、この世界に取って俺は『名づけざられし者』でもある、と言う事。
 この元の流れに戻った今の世界で、ハルヒが最初に求めた友人候補の内、超能力者と宇宙人は長門有希とその他の人間で賄えますが、未来人と異世界人は無理。
 朝比奈みくるは既に未来人ではありません。彼女はこの時代に根を下ろした日本人としての過去を得て暮らしていますから。

 ハルヒがどうにも俺の事が気に成って仕方がない理由は、この辺りの理由が複雑に絡み合っているから。
 彼女自身が無意識の内に為した事。これが俺を最初にこの世界に呼び寄せた。直接的には今年のヴァレンタインデーに、彼女の通って居た中学校内で訳の分からない呪符を貼りまくった結果、始まったのが羅睺星(らごうせい)事件であり、その事件を解決する為に呼び寄せられたのが俺の異世界同位体だったと言う事。

 クトゥルフの邪神が為した事。しかし、俺がハルヒの元に直接召喚される事を嫌った奴らがこの部分に介入。
 その事によって、有希に代表される有機生命体接触用端末や朝比奈みくるがこの世界に残る事となり、未だ世界が完全に安定した、と言えない状態となって終っている。

 この世界の未来が暗黒に包まれる事を是としなかった神や仙人たちが存在していて、更にそいつらが、本来不介入であるべき世界に多少の介入を行った事。
 そう、本来は不介入が基本。但し、この事案に関しては世界の危機。そして、この世界が滅べば、この世界に隣接する……近い関係にある世界にも悪い影響が及ぶ可能性を考慮して、神や仙人たちが介入して来た。
 この辺りが、今、俺がここに居る理由であり、ハルヒがここに居る理由なのでしょう。

 もっとも、それ以前に……俺が未来人と異世界人の属性を持って居る事とは別に、俺自身が、ハルヒに対してトンデモナイ発言を夢の世界で行っているから……。
 これがこの先どうなって行くのか。それは神のみぞ知る、……と言う事ですか。

 微妙に話をずらしているような気がしないでもない。しかし、その部分に関しては思考を無理矢理にねじ伏せた。そもそも、俺がハルヒの事をどう感じて居たとしても、所詮、異邦人。異世界に……ハルケギニアではない、元々暮らして居た世界に帰って仕舞えば、俺の能力ではハルヒに対してどうこう出来る能力は今のトコロ持っていない。
 ふたりの人間関係を決める事が出来るのは、俺ではなく涼宮ハルヒと言う名前の少女の方。彼女がどうしても俺が必要だと願えば、彼女の能力と、俺が渡した召喚具――ふたりの絆を示す銀の首飾りが次元の壁を破って俺を召喚するでしょう。
 タバサが、そして長門有希がそうであったように……。

「所詮は、私の人生人任せ、と言う事か――」

 少し自嘲気味にそう呟き、そのまま回れ右。そこから二歩進む。
 目の前には和室の出入り口に相応しい襖が、ハルヒが閉じた時のままの状態で立ち塞がっている。

「帰って。――ちゃんと帰って来なさいよ!」

 あたしが付いて行かなかったからと言って、気を抜いてヘマをしたら承知しないんだからね!

 背中へと投げつけられる妙に上から目線の言葉。彼女らしいと言えば彼女らしい。
 ただ……。
 ただ……、あたしが付いて行かなかったから……か。こんなトコロにもふたりの違いを感じて、少し口元に笑みを浮かばせる俺。
 何故ならば、有希の時は、自分の知らない場所であなたが傷付き倒れる所を想像する事さえも耐えられない……だったから。

 何にしても彼女らから見ると、俺は少し頼りない存在らしい。
 俺個人としては、頼りがいがある、とまでは思っていないけど、始終面倒を見て、見張って居なければならない程、頼りない人間だとは思ってはいないのですが……。
 但し、これも俺が纏って居る雰囲気の問題。別にハルヒや有希が特別だと言う訳などではなく、俺と直接関わった女性の三人の内の二人までは似たような態度を取る。

「ヘイヘイ、仰せのままに」

 振り返る事もなく、如何にも面倒だと言わんばかりに右手だけヒラヒラとさせながら答える俺。多分、これは……俺が頼りない人間だと思われるのは、人間としての格の問題。それに、芯が通っていないから、なのかも知れないが。
 そう考えながら、頬には微苦笑を浮かべ――

「そんなに心配せんでも、さつきと弓月さんのふたりは間違いなく無事に帰す心算やで」

 ――普段通り、自分の安全は少し無視をした形の答えを返す。この辺りは俺も通常運転中、と言う感じなのでしょう。
 少なくとも、昨夜の犬神使いを相手にした時の俺は異常。いくら自信があっても、それをあまり表面に出さないようにするのが基本です。
 むしろ自信を持ち過ぎて足元を掬われる可能性の方を恐れますから。

 その瞬間――

「むぎゅ~!」

 自らの身に施した術の内、物理攻撃を反射する術式が自動起動した事を感じると同時に、後方から何故か、妙に可愛らしい小さな悲鳴が――
 ……と言うか、

「あのなぁ、ハルヒ。これから戦場に赴く仙人に対して、一見無防備に見えるからと言って背中から攻撃を掛けたらどう言う事になるか、……ぐらいの想像は出来ないのか?」

 おそらく、自らが投じた枕……俺が仮眠用に使っていたそれを真面に顔で受け止めたハルヒに対して、振り返りながらそう話し掛ける俺。
 しかし、こいつ、俺の部屋にやって来てから良い所なしだな。

「……あんた、色々と小細工が出来るようね」

 俺の後頭部にぶつかるはずだった枕が、何故、自分に返って来たのか理解出来たハルヒ。そして、そう言った次の瞬間、

「むぎゅ~」

 再び返される枕。但し、今度のそれは別に術によって返された訳などではなく、真っ直ぐに飛んで来た枕を空中でキャッチした俺が素直に投げ返しただけ、なのですが。
 いくら素早い動作で投じられたとは言っても所詮は枕。まして、投げて来たのが有希や万結ならば未だしもハルヒでは、構えて待っている俺にぶつけるのは不可能。
 取り敢えず、

「まぁ、枕をぶつけて良いのは、投げ返されても文句を言わないヤツだけだな」

 そう言いながら、素早く襖を開け、かなり暗い板間――旅館の廊下と俺の部屋を繋ぐ短い板張りの廊下へと身をすべり込ませる俺。
 その瞬間、襖に何か柔らかいモノが当たった音。
 これでは小学生の修学旅行のノリ。ただ、だからと言って、テンションが下がる訳ではない。

「それじゃ、次に会うのはおはようの挨拶の時だな」

 完全に閉じ切る前の襖に向けてそう告げる俺。
 その直後――

 もう一度、襖に柔らかい何かがぶつけられる音と気配。
 そして……

「ちゃんと挨拶をしに戻って来なさいよね!」

 その時にちゃんと――
 何か言い掛けるハルヒ。

 しかし、その言葉を最後まで聞く前に、俺は後ろ手で襖を閉めて仕舞ったのでした。


☆★☆★☆


 小さな音も立てず、後ろ手でそっと扉を閉める俺。
 夜の闇に沈んだ廊下は、穏やかな明るい人工の光に慣れた俺に取って正に異世界。高い天井。和風の意匠で統一された静かな空間は、厳かな冷たい空気に包まれ、足元だけを照らす誘導灯のみが此方と彼岸の繋がりのような気もして来る。

「少し待たせたかな?」

 普段よりも冷たく暗い、冬の闇が満ちた廊下。多くの人の思い出の詰まった場所に、今はただ二人のみが存在するこの事実が、この場所をより冷たく、そして昏く感じさせていたのかも知れない。
 少女は普段と同じように小さく首を横に振った。少し伸びて来たショートボブの紫が僅かに揺れ、誘導灯の緑が彼女の表情の中心に存在する銀に微かに反射する。

 そうか、と短く答えた後、あまり櫛を入れる事のない彼女の頭に右手を乗せた。日常の流れの中で行われる、至極自然な行為。
 表面上は冷たい感覚。そして、タバサとは違う少し硬い髪の毛の質を手の平に感じながら、

「それは悪かったな」

 ……と、先ほどの有希の答えから考えると、まったくかみ合わない答えを返す。そもそも、彼女が俺の事を迎えに来る約束になってはいなかったはず。
 それでも尚、この場に居ると言う事は、彼女の方に何か用があると言う事なのでしょうが……。

 俺に触れられている事。その手から感じている生命の温かさ。そして、意識して押している経絡への刺激などから、今の彼女が感じているのはおそらく安らぎ。
 何時もと同じ衣装。俺とのお揃いにした……可能性もある北高校の制服姿に、少し大きめの北高指定のカーディガンを羽織る。そして、本来は必要のないはずのメガネ。白の靴下も清楚で色の白い彼女には良く似合っている。
 少し釣り目気味の瞳。すっきりとした鼻梁に、薄い唇。薄闇に凛として立つ姿は少し……いや、かなり中性的な雰囲気を醸し出していた。
 もっともそれは、耳を隠す事のない、女性としてはかなり短い部類の髪型と、未だ成長途上にある少女としての身体付きから発生する物なのでしょうが。

 真っ直ぐに俺を見つめる有希。微かに潤んだ、まるで深い湖を連想させる瞳に……しかし、今は僅かな翳り。この翳りの理由は……。

 迷いか――

 普段から自信満々と言う雰囲気ではない彼女。
 いや、他者から見れば自信満々に行動しているように見えるでしょう。確かに、行動自体に躊躇はなく、決断にも表面上を見るだけならば迷いのような物を感じさせる事はありません。
 彼女が迷いに近い感情を発するのは俺を見つめている時だけ。

 理由は……。彼女が迷っている内容に関しては、色々と思い当たる部分があり過ぎてひとつに絞る事が出来ない。例えば、先ほどハルヒと交わした会話の内容。今宵、これから起きるであろう事件への対処方法。俺に対する感情。

 そして、俺と彼女の未来……。

 ただ、その迷いに対して直接助言は出来なくても、多少、解決する為に前向きな気分にしてやる事は出来るかも知れない。
 そう考え、彼女に触れている右手に軽く能力を籠める俺。同時に手の平に熱が発生。
 彼女が生きて動く為には自ら生成出来る気だけでは足りず、霊道を通じて俺から供給される精気が必要となる。つまり、その彼女の体内を巡って居る精気……龍気を活性化させてやれば、有希は好調になる。
 俺自身が気の扱いに多少、不器用なトコロがあるので本来は他人の気の調整など行わないのですが、有希とタバサが相手なら問題ありません。

 彼女の体内を巡っている気は、元々俺自身が生成した精気ですから。
 これで、彼女は気分が晴れて、少しは前向きに考える事が出来るようになるでしょう。

 上目使いに俺を見つめる有希。
 彼女の頭に右手を置き、彼女と視線を交わらせたままの姿勢を貫く俺。
 普段通り……彼女と暮らし始めてから繰り返される沈黙の時間。ただ、決して違和感のある物でもない。むしろ、彼女やタバサが創り出す沈黙は俺に取って心地良い物である。

 少女はそのまま沈黙を続けた。
 そして、俺もそのまま待ち続けた。

 まるで時間自体が流れる事を拒絶したかのような空間。
 他に人の気配がしない旅館。ここは現在、冬の大気と、夜の静寂と言う名前の精霊たちが完全に支配する世界。当然、俺の部屋に居るはずのハルヒも、ここまで強く気配を感じさせる事はない。

 ……いや、ハルヒ自身は、今頃、何故自分が俺の差し出した手を取らなかったのか。その事を反省している事でしょう。
 有希から僅かに逸らした意識の端でそう考え、少し苦笑にも似た笑みを浮かべる俺。
 もっとも、あのツンデレ気質のへそ曲がり、更に負けず嫌いが素直に動く事が出来ないだろう、と判断してコチラが素直に行動したのです。
 確かに……。確かに、あの場には俺とハルヒしか居ませんでした。
 ……が、しかし、あの場には俺が居て、ハルヒが居たのです。
 あいつが自分の気持ちに素直に行動する事に抵抗があって当然。あの場には二人分の視線が存在していたのだから。妙に高飛車な態度に出なかっただけでも、それだけ彼女が失調状態だったとみて良い。

 もし、あの場で俺がもう一歩余計に踏み込めば、なし崩し的に――例えば、あんたがそんなに言うのなら的な、妙に上から目線の会話の後に未来が確定していた可能性もありますが……。
 この世界に俺が留まり続けられるのならそれも可能でしょうが、残念ながらそれは難しい。
 故に、そこからもう一歩余分に踏み込む事もなく現状維持が確定した。そう言う事。
 もしかすると自分の事は棚に上げて、その一歩を踏み込まない俺に対して、逆に不満を感じているかも知れませんが……。

 ただ、俺自身が現――

 俺の意識が目の前の少女以外の誰かに逸れた。その刹那。

 有希が僅かに身じろぎを行う。それは本当に些細な動き。おそらく、直接触れて居たから分かっただけ、そう言うレベルの動き。そして半歩分、俺に対して……。

「!」

 そっと寄り添うように。少し身長差があるので、まるで胸に顔を埋めるように抱き着いて来る彼女。
 僅かに俯き加減。俺の表情を、行動を余す事なく映す瞳は敢えて俺から外されている。
 ……俺の思考がハルヒに向いて居た事に気付いた。その可能性はある……か……。
 しかし――

「帰りたい?」

 小さく、抑揚の少ない彼女独特の口調で問い掛けて来る有希。
 タバサの声、そして彼女(蒼の少女)の香りは俺に取って強い郷愁を誘うアイテム。何故か……いや、その理由も分かっている。これは今の俺ではない、かつて俺だった存在の想い。
 それならば有希の声は――

 後頭部から瞳に掛けて走るピリピリとした何か。鼻の奥が詰まったような感覚。
 これは喪失感? それとも愛しさなのか……。
 ただ、たったひとつだけ分かった事がある。

「帰りたいか、帰りたくないか、と聞かれたのなら帰りたくない、と答えるのが正しいのかな」

 まるで俺の心音を聞き易いように、直接耳を胸に当てている有希をそっと抱き締める。
 ……出来るだけ自らの声が鼻声にならないように気を付けながら。

 実際、ハルケギニアに戻ったとしても危険な事件に巻き込まれるだけ、……なのは間違いない。そして、俺に責任があるのはタバサと俺が縁を結んだ一部の人間だけ。
 彼、彼女らを安全な場所。例えば、この長門有希が暮らして来た世界ならばハルケギニアと比べると格段に安全な世界だと言えるので、コッチの世界に移動させて来られるのなら、それだけで帰る必要はなくなる。
 必要はなくなる、のですが……。

「但し、帰らなければならない理由はある」

 最初に帰りたくない、と言った時には大きな安堵と言う気配を発し、
 でも、帰らなければならない、と口にした時には――

 そう、たったひとつ分かった事。それは、今の会話に関して、彼女は俺の瞳を覗き込む事が出来なかった、……と言う部分。
 有希が俺と直接視線を合わせたくない理由も幾つか思い当たる物がある。ただ、視線を交わらせない為に、こうやって自らが抱き着く事を選択している以上、彼女自身が俺の事を拒否している訳ではない。
 それならば、

「向こうの世界にも大切な家族を残して来ているから」

 俺自身が契約に縛られている訳ではない。そう言う意味を籠めて言葉を続ける。
 血が繋がっている訳ではない。まして夫婦と言う意味での家族でもない。しかし、彼女は、今の生では肉親との絆や縁が非常に薄い俺に取って最後に残った家族。

 安全な地に自分たちだけで逃げるのは、タバサの貴族としての矜持が許さない。王家の血がそれを容認しない。
 それは自らの野望の為に故郷を混乱の淵に投げ込んだ自らの父親や、その父親の言に唯々諾々と従い、自らの娘……双子の片割れを捨てた母親に対する態度を見ても明らか。

 ……タバサは自らの両親に対してある程度の隔意を抱いて居た。それは、自らの名前、シャルロットと言う名前を拒絶している事からも容易に想像出来る。
 今なら分かる。あの時。……ブレストの軍港で起きていた事件を解決する為に、俺だけが派遣されようとした際。自らは、母親の看病の為に向かえと言われた際に発した負の感情は、俺が彼女と共にオルレアン屋敷に向かわなかった事への不安ではなかった。
 それはおそらく、急に告げられた母親の看病と言う事への小さな拒絶だった……と思う。

 そもそも彼女。今、自らの事をタバサと名乗って居る少女の前世が、俺の知っている彼女なら、彼女はオルレアン公シャルルの『双子などと言う不吉な存在がオルレアン家で産まれた事実は伏せなければならない。そうしなければ、儂の王位への道が断たれて仕舞う』……と言う考えの元に処分された双子の()()()の方。
 その記憶がどの段階で回復したのか分からない。……おそらくは徐々に。最終的には誘いの香炉を手に入れた段階である程度思い出したと考えられるが、その段階で彼女は自らの両親との間の精神的な絆は断ち切って居たはず。
 そもそも彼女は……前世のタバサは、シャルロットと彼女の母親を殺人祭鬼の連中から助け出し、俺の両親。マジャール侯爵の元に引き取った後も、自らの母親の元には一度も赴かなかった。
 ……俺が知っている。思い出した範囲内では。
 それは当然、自らの育ての母マジャール侯爵夫人アデライードに対する配慮と言う側面がなかった訳ではないと思う。
 それに、オルレアン大公夫人は、矢張り今生と同じように精神が崩壊して、今、自分がどのような状況に置かれて居るのかさえ分からない状態だったのも間違いない。
 しかし、それだけが理由ではなかったはず。

 何故ならば、そんな事をすれば当時の俺の母親……自らを実の子供と分け隔てなく育ててくれた母親が哀しむ事が分かっていたはずだから。
 しかし、その事が分かっていながらも、彼女は会いに行く事はなかった。

 その頃の彼女へと意識がどんどんとシンクロしているのなら――
 更にあの頃……前世の彼女は蒼く長い髪の毛を素直に流す髪型だったのが、今世の彼女は短い髪型。前世で自らを育ててくれたマジャール侯爵夫人アデライードと同じ髪型と成って居る事から考えても……。

 そしておそらく、ある程度の記憶が蘇えった段階で彼女の貴族としての矜持も出来上がったのでしょう。自らの野望の為には民の迷惑など一切顧みようとしなかった自らの父親。オルレアン公シャルルの行いはすべて否定したと思う。
 前世の彼女は、妹のシャルロットが王太子妃として王家に入る代わりに、オルレアンの家名を継ぐ権利を有していたのですが、その権利をすべて放棄。自らもオルレアンの姓ではなくガリア風に言うとロレーヌ。ロートリンゲンの姓を継ぐ事を望んだのです。

 あの時のガリア……ジョゼフが王位を継ぐ直前のガリアの状況は、一歩間違えば王位を争うふたりの王子の対立により、泥沼の内戦に発展していたとしても不思議ではなかった。そうならなかったのはジョゼフの側に夜の貴族。吸血鬼の支援があったからだけ。
 おそらく、俺では絶対に下す事の出来ない類の決断をジョゼフは下し、その命の元に闇から闇に葬り去られた命の数は……貴族の関係者だけでも二桁では納まらなかったでしょう。

 運……『天命』は因果律を操るハルケギニアの神がシャルル側に着いていたから、運が良かった、などと言う可能性は否定出来る。逆に言うと、シャルルの側が常識では考えられないくらい……異常に運が良かったから、一切の正統性がない。例えば、前王はジョゼフが次の王位に就く事を望み、立太子の儀を行い、幼い頃よりハルケギニア風の帝王学を学ばせ、王家に伝わる秘事もジョゼフにのみ開示されて居た、などと言う事実があったにも関わらず、内戦が起きる危険性がある事も知りながら、ある一定数以上の貴族が、シャルルが王位を継ぐ事を支持する……などと言う、本来考えられない状態が起きた。
 これはつまり、泥沼の内戦が起きる事をハルケギニアの神は容認していた、と言う事。

 そんな彼女が聖戦……と言うと聞こえは良いが、実際は領土欲むき出しの侵略戦争。他国の軍隊によって自らの故郷が荒らされる事を容認出来る訳がない。まして、その後ろには自らの父親を闇に堕としたハルケギニアの神の姿が見え隠れしている。
 いや、神の代行者たるブリミル教の神官、そしてその頂点に立つ教皇庁の連中の姿が、と言い直すべきですか。

 それに、そもそも真っ当な貴族なら、自分の領地内が他国の軍靴に踏み荒らされる事を我慢出来る訳はないでしょう。そう言う点で言うのなら、他国の軍事的支援を当てにしていたシャルル・アルタニャンなどのレコンキスタの三銃士たちとは考え方が一八〇度違う人間だ、と言うべきでしょうね。
 ヤツラは自分が権力を握る為に、外国の軍隊をガリアに招き入れようとしていた売国奴。流石にここまで酷い連中は各国の歴史を見ても珍しいのですが。
 少なくとも日本の歴史上で、他国の軍隊の力を借りて日本を統治した王朝や幕府はいなかったと思います。
 第二次大戦以前にはね。

 まぁ、何にしても……。

 俺は場に流され易い性格で、ハルケギニアの聖戦に関わっていたのも流され続けた結果。自分から積極的に関わった訳ではない。しかし、タバサの場合は自らの意志で関わると決めた人間。
 ……確かに洞の戒律で、普通の人間に対処出来ない事柄。例えば、ハルケギニアの聖戦の裏側で動いているクトゥルフの邪神を無視する事が出来ないのも事実ですが、それは流され続けた結果分かった事実。
 多分、深く関わらなければ、ヤツラの暗躍に気付く事はなかった……とは言い切れないけれど、対処が遅れていたのは間違いない。

 そんな俺がハルケギニアの聖戦に関わらない事をタバサは喜んで受け入れてくれるでしょうが、彼女を安全な場所に逃がそうとする事は拒否される事は間違い有りません。
 普段通り眼鏡越しの瞳で真っ直ぐに俺を見つめた後に、小さく首を横に振って拒絶の意を示すだけでしょう。

 それに、俺がハルケギニアに帰らなければならない理由は、タバサだけが理由ではありません。
 あの世界には一人、もう一度、絶対に話さなければならない相手がいます。

 俺の心音を聞き、自らの心を落ち着かせている少女に意識を戻す俺。いや、より正確に言うのなら、俺の腕の中にいる少女の異世界同位体の少女に。
 タバサだけなら、おそらくこの世界には存在していないので、最悪、この長門有希が暮らして来た世界に逃がす――強制的に召喚する方法があります。
 ハルケギニア世界がクトゥルフの邪神の思い通りに滅ぶのなら……。

 しかし、彼女……湖の乙女に関して、その裏ワザを使う訳には行きません。
 何故ならば、今、自らの腕の中にいる少女とハルケギニアに残して来た紫の髪の毛の少女型精霊は――

 まるで幾重にも重なった鎖に囚われたかのようなふたりの時間。しかし、その瞬間、急に現実を伴って動きが戻った。
 それまで俺の背中へと回されていた彼女の両腕がそっと外され――

「今だけは私を見つめていて欲しい」

 少し上目使いに俺を見上げた有希。普段通りの体温に乏しい無機質な声。但し、その瞳は僅かに潤み……。
 そして、そのまま自由になった両方の手。少し大きめのカーディガンの袖に半分ほど隠れた彼女の手。その手を俺の頬に当て――

 しかし……。
 その自らの頬に当てられた手をそっと外す俺。瞳は彼女の瞳を。右手は頬に当てられた彼女の左手を、まるで割れ物を扱うように丁寧に抑えながら。
 確かに俺の心情的に言えば、僅かに上気した頬に有希の少し冷たい手の平は心地良く、更に彼女に触れられている事は俺に取っても安心する行為。決して不快な状況ではない以上、本来ならこのまま成り行きに任せても良い場面。
 彼女に触れられると、それだけで心の何処かが震える。これが俺自身の感情(恋心)なのか、それとも違うのか。これに付いては分からない。分からないが、心の何処かでは、もういい加減、次のステップに移っても良いのではないか、そう囁く自分が居るのも事実。

 ただ……。
 思考は堂々巡り。俺と、今の俺ではない、かつて俺だった存在のせめぎ合い。それがふたりだけなら無理矢理押し止める事も、無理矢理納得させる事も難しくはない。
 しかし、せめぎ合っているのは俺と、俺以外の複数の俺たち。

 結論は出ない。そもそも、有希に対する感情が俺の物なのか、それともそれ以外の何者……少なくとも俺には違いないが、過去の俺であった存在の物なのかさえはっきりしない状況では、このまま場に流される訳には行かない。
 自分の想いすら理解出来ない様では……。

 かなり自嘲的な笑みを一瞬浮かべる俺。しかし、直ぐに取り繕ったかのような作り笑顔を彼女に向けた。
 もっとも、彼女……長門有希は俺の心の動きには敏感。おそらく、俺の心の中にある蟠りなど初めから気付いている。

 不自然な間。有希の瞳を見つめ固まる俺。そして、同じように俺に行動を阻止された彼女が俺の瞳を覗き込む。

 彼女の行動を阻止した理由すら定かでない以上、この時間は仕方がない。――俺に取っては仕方がない事なのだが、しかし、とても居心地の悪い時間。
 普段よりも時間が長く感じられる。その時間の中で答えを探す俺。
 付け焼刃だろうが、何であろうが、このままでは俺が単に有希を拒絶しただけで終わって仕舞う。
 何か答えを……。それも場を流して仕舞えるような言葉を……。

「俺はオマエの事しか考えていないさ。正に誠実なることトロイラスの如しだ」

 
 

 
後書き
 ……物語のアーキタイプのほとんどは神話の中にある。
 すべての物語のアーキタイプはシェークスピアによって書き切られた。
 むぅ、中途半端で薄い学問しかないオイラなのだが……。この言葉は真実かも知れない。

 オープニングのあの描写は素直にギャップ萌えと言うヤツ。偶に見た目の印象を変えられると、と言う感じ。
 次。これでは○○サイドと言う方式は絶対に使えないな。
 特にタバサは、表面上は原作と変わらないけど後ろが違い過ぎて……。

 それではここで少しネタバレ。
 夏休み中、歌いまくった魅惑の妖精亭関係のイベント。あれは文化祭の代わりです。
 ……って、オイオイ。

 それでは次回タイトルは『アンドバリの指輪』です。

 ……これも長い伏線だな。 
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