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ユリシーズの帰還

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3部分:第三章


第三章

「古いものを学んで新しいものを手に入れる」
「まさにそれだね」
「はい、それではですね」
 また言ってきた彼女だった。
「まずは今の歌劇を最後まで観ましょう」
「そうしてそれから」
「他の作品も御覧になられますか?」
「他の作品の上演もしているのかな」
「いえ、CDにDVDです」
 彼女がここで言うのは文明の利器だった。文明は芸術も発展させ広めてくれている。それがわからない人間は真の野蛮人だと思う。
「それで聴いて観られますから」
「モンテヴェルディの作品もCDやDVDになっているんだ」
「ちゃんと日本語訳されたものもありますよ」
「いや、イタリア語はわかるから」
「英語もですね」
「うん、一応はね」
 流石に語学者程ではないがどちらもある程度以上はわかる。だから問題はなかった。
 それでだ。あらためて言ったのだった。
「大丈夫だよ」
「それではですね」
「うん、モンテヴェルディのCDやDVDも買ってね」
「そうされるといいです」
 こう話してだった。私は実際にモンテヴェルディのCDやDVDをだ。この歌劇の上演の後で買い集めた。そしてそこにあるものは。
 やはり剥き出しの人間性だった。権力や欲を狙うだ。そうしたものを観てから私の専門分野であるシュールリアリズムを観る。するとだった。
 これまで観ていたシュールリアリズムとはだ。違っていた。
 そこに美だけでなく人間というものも見られた。現実に有り得ない筈の世界の中にだ。
 マグリットにもダリにもだ。それが見られた。
 蟻や幾何学めいた騙し絵の如き陰影の世界、空中に浮かぶ岩の城、魚の上半身を持つ裸体の女、そうしたものの中にだ。
 人間性、剥き出しのそれも見てだ。それでだった。
 私はだ。また彼女に話したのだった。
「やっぱり違うね」
「見えますか」
「うん、人間がね」
 そうだとだ。二人で大学の食堂でそれぞれうどんとそばを食べながら話す。私が食べているのはきつねうどんで彼女はたぬきそばだ。
 それを白い食堂の中で食べながらだ。私達は話していた。
 きつねうどんの揚げとつゆを楽しみながらだ。私達は話す。
「見えるようになったよ」
「私もです。これまで以上にです」
「見えるようになったんだ」
「生々しい、作品の中にあるそれがです」
「見えるようになったんだね」
「自然主義は元々そういうものを描き出すものですが」
 それでもだ。これまで以上にだというのだ。
 
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