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或る皇国将校の回想録

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第五十九話 その流れは伏龍の如く

 
前書き
馬堂豊久 独立混成第十四聯隊聯隊長 集成第三軍後衛戦闘隊司令

大辺秀高 独立混成第十四聯隊首席幕僚 後衛戦闘隊首席幕僚

佐脇俊兼 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長

新城直衛 近衛総軍後衛戦闘隊司令

 

 
皇紀五百六十八年 七月二十六日 午前第八刻 伏龍川 大龍橋 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 佐脇利兼少佐


 迷彩色の軍装を纏い、猫を引き連れた男達は疲労の色を浮かべながらも確かな足取りで整列した。

 大隊最先任曹長が点呼をかける、その数は――皇都を発った時と比べて明らかに目減りしている。ついに独立捜索剣虎兵第十一大隊は遂に大龍橋を渡り、龍前国からようやく龍後国へと至ったのだ。
「大隊長殿、点呼終了!総勢五七七名!総員渡河に成功しました!」
 佐脇は意識して深く呼吸をし、気を静める。先の夜襲の前は鋭兵二個中隊の増援を得て総計千名に届くほどに戦力を回復していたはずだ。それがこのざまだ。
 ――だが、目標は達成した、敵は一時的に追撃を諦め第三軍はこうしてどうにか渡河を行う事に成功した。ならば――自分は成功した、と考えるべきだ。
「佐脇大隊長、無事のお戻りでなによりです」
 後衛戦闘隊戦務幕僚の石井少佐だ。佐脇よりも先任であり、この後衛戦闘隊の序列3位である。
 わざわざ第十一大隊を出迎えに来たというわけではないようである。
「こちらは西州第七工兵連隊第三大隊 桐坂大隊長殿だ」
 中年の将校に佐脇は敬礼をささげる。
「やはりここで陣地戦を挑む予定ですか」

「はい、ここは伏龍川における最大の渡河点です、ここで時間を稼ぎたいところです」
 石井が答え、桐坂が補足する。
「我々は第一陣として渡河し、一昨日からここで作業に入り、ほぼ築城は完成させた、あとは砲の配置を終えたら蔵原に向かう――かき集めるだけかき集めた、あとの支援は六芒郭にでも行かなければならんぞ」

「六芒郭?あそこは使えるのですか?」
 あの要塞は曰くつきどころのものではない、幾度も大騒動を起こし、執政府と軍部の権威を揺るがせ、衆民院の勢力争いに利用され――いまだに未完の要塞、否、要塞ですらない新兵訓練所としてしか使われていない。
「俺は知らん、だが物資をあそこに集積しだしたと聞いている、皇都で動きがあったのだろう」


 佐脇は首肯しながらも考えをめぐらす。佐脇が今求められている事は武勲を挙げる事、そしてそれによって新城直衛の駒城における不当な――と彼が考えている――影響力を取り除き、重臣団と主家のあるべき姿を取り戻すことだ。守原英康は信用ならぬが新城を抑え込み、駒州公爵家をあるべき姿に戻せば後は‥‥

 佐脇は馬の足を速めさせる、小半刻程馬に揺られた先の小集落。そこは既に迷彩色の軍装を纏った兵達が歩哨に立ち、中では兵達が思い思いに身を休め、下士官と将校達は帳面をにらみつけ、あれこれと相談をしている。如何な思惑があろうとも第十一大隊は漸く後衛戦闘隊の中枢にようやく辿り着いたのだ。



「失礼します!司令殿!独立捜索剣虎兵第十一大隊長殿をお連れしました!」
 後衛戦闘隊司令部と名を変えても実際は独立混成第十四聯隊本部のままである。
 多くの将校と下士官達が報告書やら地図やらを抱えて行き来しており、その様子は外とさして変わらない。
「御苦労、桐坂中佐殿のご機嫌はどうだった」

「はい、砲の配置には手間取っておりますが おおむね悪からずといったところです」

「あの御仁がここじゃ一番偉い先任中佐殿だからゴマをすっておけよ」
 そういうと幕僚達の中心にいる中佐の階級章をつけた青年は少々やつれた顔を佐脇に向けた。
「御苦労だった、佐脇大隊長。敵主力部隊を後退に追い込んだ貴官と大隊全将兵の奮闘に感謝する。作戦目標は達成できたのは貴官と将兵達のおかげだ」

「はい、司令殿」

 佐脇は眉を潜めた。上官ではあったが佐脇は駒城家重臣団としては目上の存在だった筈だ、だがそうした気遣いが感じられなくなっている。

「流石は本領軍、正面から戦えるものではないということだな。よもや第十一大隊が半壊するとは‥‥馬堂の兵達にも随分と血を流させてしまったようだ、第十一大隊の兵にも戦の常とはいえ辛い役を任せることになった」
 その時、佐脇は違和感の原因を一つようやく理解した。佐脇利兼が知る馬堂豊久は常になにかしら感情を示していた。だがこの時の“馬堂中佐”は驚くほど虚ろな声色であった。
「誠に申し訳ないが、第十一大隊は一時的に聯隊鉄虎大隊の指揮下に入ってもらおう。
部隊の現況から応急の再編成だ、棚沢大隊長とよく相談するように」
 佐脇は――息を飲んだ。要するにおまえはここまでだ、と言っているのだ。
「で‥‥ですが‥‥」

「独立して動ける部隊を手放したくない、と」
豊久はニコリ、と笑った。
「わかる。わかるとも。君も努力して大隊長になったわけだからね、だがねぇ――部隊の現状を鑑みたうえで判断してもらいたいな、それにさ――現実的に考えてみたまえ。
もう無理だろう? 第十一大隊の単隊戦闘は」
 
「ホント、困ったものだよ、後衛戦闘隊としても手痛いものだ」

「‥‥」 佐脇は沈黙を続けるしかない。処分ではない、棚沢少佐は先任であるのだから妥当な人事ではあるのだろう、だが――

「だがな、佐脇大隊長。大隊一つで敵の主力を後退に追い込んだ事は紛うことのない大戦果だ、この功績は間違いなく君の物である事は私が確約しよう。
君のおかげで第三軍の主力は伏龍川の渡河に成功し、作戦目標は達成できた、それで十分だ ――今は、ね」

 背後に控えていた米山副官が差し出した書類にサインをし、佐脇に差し出した。
「これで正式に発令、と。佐脇大隊長、御苦労でした、後の事は棚沢大隊長と協議してください」

 露骨に興味を失ったと示すかのように後衛戦闘隊司令は作戦概略図に視線を向けて細巻きを銜えた。言葉にせずともわかる、お前は剣虎兵部隊の次席指揮官に過ぎない――そう言っているのだ。
控えていた首席幕僚がそっと司令と佐脇の間に立つ、その後ろで副官が燐棒を擦る音がした。立ち去れ、と言外に示しているのだ。
「はっ、失礼します。司令殿」



同日 午前第十刻 伏龍川 集成第三軍後衛戦闘隊 本部 
後衛戦闘隊 司令 馬堂豊久中佐


 豊久は地図に目を向けた。すでに龍前国を抜け、あとは集結予定地である蔵原まで大街道である内王道を駆けるのみ、只管に逃げるのであれば2日程度で蔵原に集成第三軍の部隊を集結させることができる。
 だがそこまでだ、どうあがいても会戦状況で勝てるだけの戦力はない。早急に虎城の要害に立て籠もるしかないのだが――
「大辺、どう見る」
 集成第三軍はまだ多少の混乱はあってもどうにか秩序だって撤退することに成功している。だがそれは第三軍司令部に名将が集っているからでも、〈帝国〉軍が無能であったからでもない。
 龍州軍の泉川籠城戦によって敵の初動を大いに遅らせることに成功したからこそであり、大局的な成果は龍州軍とそれを救った近衛総軍に帰せられるべきものである。
 そして龍州軍の潰走により、敵はついに本格的追撃を開始することになる。
「敵は常道の手を打っています。それで勝てるのですから奇策に走る必要もありません。
主要街道に部隊を集結させ、集結し目障りな後衛隊を踏みつぶし主力を補足、撃破、そして首都まで打通する、以上です」

虎城に至る街道はおおよそ四種に大別できる、北部は皇龍道を利用するものである、皇龍道は虎城を抜ける道としては最もよく整備された大街道であるが、龍州においては龍塞山脈の裾野であり伏龍川の流れも速く、皇龍道自体も橋をいくつも利用する。
それゆえ軍事的観点からすれば大軍の行動には不適切であり、また橋を爆砕すればそれなりの時間が稼ぎやすい、第三軍の一部部隊が橋の爆砕もかねてこちらを利用している。中央部の転進経路は第三軍が利用している龍岡と汎原を結ぶ大龍橋、馬堂豊久麾下第三軍後衛戦闘隊はここに布陣している。 
その十数里ほど南方に、史沢と上泊を結ぶ伏沢橋がある。龍州軍司令部が掌握した部隊がこの橋を利用して渡河の最中だ。新城率いる近衛総軍後衛戦闘隊がいる。伏沢橋からは五州道につながる道と内王道に合流する道がある。

「これで五州道に大軍が、となったら泣くしかないな」
「あちらで〈帝国〉軍が動くのならば水軍から通報があるはずです。それに葦川には水軍の陸戦隊と河船が出張っているはずです」
「河船はともかく陸兵団もか?」

「水軍の監視を抜ければどうにもならないわけだがね、第二軍自体北領の二の舞――まぁそれはいい」
最南部には五州道がある。沿岸地帯であるため〈皇国〉水軍の支援により第二軍とそれを追撃する(帝国)騎兵隊以後はほぼ完全に封鎖されている
だが、肝心の集成第二軍は砲兵隊が壊滅し、龍口湾の戦いでは各軍の撤退まで悪戦を続けた所為でほぼ完全に継戦能力を喪失している。そして東州に主力は渡海しており、残余部隊が惨めに追い回されているのが現状だ。

「五州道の騎兵共は、蔵原で再編している主力に対応してもらうしかなかろうよ、あとは近衛頼みだ。俺たちはここで稼げるだけ時間を稼ぐしかない」

「近衛の方がどれほど稼げるか次第だが新城と龍州軍が連携できればあるいは‥‥だが‥‥」

「龍州軍は泉川で火力をほぼ完全に喪失しています、これ以上奮戦を期待するのは酷です」
 主席幕僚の言に後衛戦闘隊司令は唇を吊り上げて頷いた。
「要するに――今の盤面にある四軍のうち、龍州軍、集成第二軍はもはや戦闘不能。
新城直衛近衛少佐殿が率いる近衛総軍後衛戦闘隊は龍州軍が逃げ延びる時間を稼がねばならない。
そしてそれは俺達もまた同じであることは貴様らも分かっているだろう、第三軍まで崩壊したら虎城の防衛線構築の初動は完全に崩壊してしまう」

「要するに、だ。まだ我々も新城たちもこの橋の渡し守を続けるしかないということだ――まともに考えるならな」
 導術の書付に幕僚達の視線がそそがれた
「――近衛少佐殿から、博打のお誘いだ。乗るか、そるか」

「綱渡りは今更でしょう、こちらはまだマシだと思いますが」
 主席幕僚の言葉に幕僚達も苦い顔をしてうなずいた。
「むしろ近衛が成功させることができるのかが問題化であるかと思います。
敗残兵を吸収して数が九千名を超えているなど――とても面倒を見切れているとは思えません」
 石井はむしろ通信先の様相を心配している、それもまた当然ではあろう、まともな将校であればあちらの現状でまともに軍隊として機能しているだけでも驚嘆物だ。実に真っ当な解釈である。
 だが言った対象もそれを告げた相手も悪かったのである。
「おいおい、それを俺に言うのか?新城が率いている部隊を相手に?」
困惑する幕僚達に諦めたような表情の大辺を見て馬堂豊久“大隊長”は肩を震わせ、そして声をあげて笑い出した。

「あぁ畜生!あの馬鹿め!どうしてあいつは!畜生!俺が残ったのに!あの馬鹿めどうしてまだ!」
体を捩り掌で目を覆い、この最前線には不釣り合いな笑い声をあげる若い中佐。窮地に悠然と浮かべる普段の笑みではない、全く異質な――臓躁的なものさえ感じさせるそれがようやく止む。

「あぁそうだろうさ。そうだろうよ、あれはそういう奴だった」
 顔をあげたらそこには常の笑みが浮かんでいた。
「主家の末弟様が好き好んで地獄で遊ぶのなら付き合ってやるのも駒州が臣の務めよ。さて――導術!上砂!」

「‥‥‥はっ!」

「近衛総軍後衛隊に伝達。乗った、と伝えろ」







 擲射砲の砲声が轟く、対岸の白衣の砲兵達が赤黒い内容物を撒き散らして爆散する、ついに接敵したのだ。
「北領だったら橋を落とすだけでも結構な時間が稼げるのだが、そうもいかんな」
 あの時はまともな人間であれば凍死しかねない程の厳寒であった。だが今はそうもいかない。だが伏龍川は小苗川よりも川幅も広く守るにも容易い。大街道を外れて渡河をすることもできるが(田園地帯の治水事業の一端もあり)伏龍川の分流が多く、行軍に適しているとはいいがたい。
 史沢から五州道に伸びる大街道から分岐した街道が彼らの背後の内王道に合流しているが、これも近衛が抜かれない限りは問題ない。常識的に考えれば玉砕してもおかしくないのだが、豊久はそのような心配はしていなかった。
「急造の陣地だがここで稼がせてもらうとしようか」

「本部より各隊へ 、日没まで粘るぞ、連中が砲列を整えるのを防げ、こちらの消耗を抑えることを第一とせよ」

「銃兵は極力塹壕から出すなよ、〈帝国〉が戦うのは地形と砲であって銃兵ではない。
陣前発起は最低限にしろ、今日は日が暮れるまでさほどない。連中も本格的にやりあうつもりはないだろうよ」
 日が暮れるまでは後三刻程度、〈帝国〉軍が燭燐弾を使ってまで戦うというのなら話は別だがそこまでする必要はないはずだ、それに夜戦砲撃戦ならば導術を使えるこちらが優位である。

「連隊長殿、敵さんが渡河しとりますわ」
 冬野特務曹長が間延びした口調でいった。

「ん、どれどれ」豊久が視線をやった先では白衣の兵隊共が筏にのって川を渡ろうとしている。
「〈帝国〉軍もこの程度の事で手ぬかりはしないか、当然だな」
  擲射砲隊が再び砲声を轟かせる、またも対岸に着弾するが数発は水面から数間のところで炸裂し、川に滋養を撒き散らさせる。

「真室の時のように浮橋を作るつもりでしょう、陣前に杭を立てられたら厄介です。剣虎兵隊を後方待機させたままでよろしいのでしょうか?」
 米山副官が警告を発するが豊久は笑みを崩さない。
「今は休ませておけ、今日は敵さんも様子見だ、連中にとっては明日には後続部隊も来るだろうし日没も近い、たった半日程度を焦っても意味はないさ。あれは威力偵察と見せ札だ」
 そっと天を仰ぎ、若い連隊長は最後の一言を大気へそっと溶かしこんだ。
「さて、後はどうにか誤魔化せるか‥‥‥」





七月二十七日 午前第一刻  伏沢橋より南方四里
第9銃兵師団〈マクシノマス・ゴーラント〉 第1旅団 ベルジャーエフ准将


 第9銃兵師団〈マクシノマス・ゴーラント〉にとってはいささか不快な事があったとしても今この瞬間までは疑いようもなく勝利へと進んでいた。
 指揮下に置かれた騎兵連隊は先行して橋を確保、そして北方の『オオタツハシ』にて渡河を妨害している蛮軍部隊を背後より強襲すべく北上を開始しているはず――だった。
 だが伏沢橋を無抵抗で確保したのはいいものの『ナイオウドウ』に向かう街道上にて七千名程の混成部隊に砲のつるべ撃ちにあい後退を余儀なくされた。
 アラノック中将の下命に従い、ベルジャーエフは渡河を終えた部隊を糾合し、自身の猟兵旅団に砲兵、騎兵を加えた総計一万五千名による夜間行軍を敢行したのである。

「なっ‥‥‥これは!」
 だが――突如彼らは赤い光に照らし出された、燐燭弾、すなわち敵襲である。
「敵襲か‥‥慌てるな!猛獣使いと言えど所詮は聯隊にも満たぬ程度の小勢だ!軽臼砲に急ぎこちらも燐燭弾を――ッ!」
 その瞬間、ベルジェーエフの言葉は文字通り吹き飛ばされた、彼も幕僚達も慣れ親しみ、恐れることはあっても慌てることはなくなったはずの――砲声によって。
「馬鹿な‥‥先鋒は何をしていたのだ‥‥」

「伝令!伝令!前衛の第21猟兵聯隊より伝達!先鋒二個大隊は潰走せり!敵の総数は不明!!――」
 慌てふめいた伝令が駆け込んでくるが時すでに遅い。ようするに手際よく片付けられたという事だ。
「何たることだ!これでは腹に火薬を抱えて撃ってくださいと言わんばかりではないか!」
 頭を振って嘆きから指揮へと思考の方向性を立て直す、
「司令部から各銃兵隊に緊急伝達!中隊単位で方陣を組み、潰走した兵の収容を急げ!敵は少数だ。追い散らして見せろ!」

「はっ!」
 だが混乱は避けられない、地獄の訪れを告げる唸り声と〈帝国〉兵の悲鳴が聞こえる。
「猛獣使いめ‥‥」
 先鋒の騎兵が交戦した部隊には猛獣使いは確認されていない、だが旅団の食い散らかそうとするほどの砲火力を擁する猛獣使い達、ほぼ確実に泉川で開囲を成功させたこの国の近衛部隊だろう。

「各隊急ぎ方陣!前衛は急ぎ後退させろ!軽臼砲の燐燭弾と方陣さえ完成すれば敵ではない!」
 ベルジャーエフは愚かではない、むしろこの時点で下手に部隊を動かし積極的に事態を収拾しようとせず、素早く損切りを決断したのは或いは英断であったのかもしれない。
 だが夜間行軍自体は紛れもない失態であった。あるいは賢しらなものならば、こう言っただろう。「なぜ背天ノ業を恐れながらも易々と橋を明け渡し、大龍橋の背後をつかせると思ったのか」と。
 しかしながらその批判は的を外している。ベルジャーエフは夜間行軍の危険性は理解していた。泉川の敗戦からも学び、軽臼砲の準備を整え密集して行軍していたのだ。だからこそ、こういうべきだろう、状況と相手が悪かったのだ、と‥‥‥
 新城直衛がついに国の運命を揺り動かした一撃を受けたのだから。



七月二十七日 午前第七刻 伏龍川 東方沿岸 第24強襲銃兵師団司令部
〈帝国〉陸軍東方辺境鎮定第二軍団参謀長 ゲルト・クトゥア・ラスティニアン少将



 龍兵団から受けた報告に彼らは大いに困惑した。
「もぬけの殻?馬鹿な、ここを捨てたら――」
 呻くのも当然だ敵主力軍の後衛は昨日ほんの数刻の間だけで最後の陣地化した要害を放棄したのである。ここを捨てたら虎城まで守るものはないただの平地だ。〈帝国〉軍と正面からぶつかって勝てる者はいない。事実、常道の戦を挑んだ天狼会戦は勿論、敵に地の利があった龍口湾の会戦でも〈帝国〉軍は問題なく勝利している。
 〈皇国〉軍のまともな将校達はまともに戦っては勝てるわけがない、〈帝国〉軍の誰もが同じように敗けるわけがない、と考えていた。
 ゆえに〈皇国〉軍は北領の戦訓を取り込もうとし、野戦築城を尊び、猛獣と夜の闇を戦争に動員した。そして〈帝国〉軍は小細工の入る余地のない決戦を強要しようとしているのだ。

 だからこそ、伏龍川を捨てるという発想は戦場の現実を知り抜いた〈帝国〉軍にとってはあり得ぬことであった。それは虎城まで身を隠せるところはないということだ――未完成の要塞を除けば――の話であるが
「重砲が放棄しております、無論、ほぼすべて爆砕されておりますが、門数から把握するに大隊相当の門数が投棄されております」
 ラスティニアンもまた、その一人である。彼と軍団司令部の面々はまだ到着してから一刻もたっていないが、すでに状況の把握に努めている。

「一日あれば仮設の足場ですが濡れずに渡河ができます、砲車は船を使わねばなりませぬが‥‥」

「蛮軍の部隊であるなら夜間行軍はお手の物、か」
 先行した部隊は連絡が途絶している。何があったかは考えるまでもない。

「騎兵聯隊は一昨日、猛獣使い共に――まだ再編を終えるまでは動かせませぬ」
 ラスティニアンは彼自身が酷使されている駄馬のような顔を更に緊張で引き締めながら言った。
「敵の猛獣使いは騎兵を狙っていました、こうした状況を想定していたのでしょう」

「またもしてやられたか、あるいは我々が蛮軍を過小評価しすぎていたか」

「それほどと見るべきでしょう。夜間浸透などという馬鹿げた真似も、騎兵相手に的確に猛獣使いが襲い掛かるなどという芸当も、背天ノ業があればこそ。そういうことなのでしょうな」
 参謀長の言葉にアラノックは首肯し、そして重々しくこの追撃戦の総指揮官として一つの結論を告げた。
「認めるしかなかろう、あの蛮軍共は完全にこちらの動きを把握している、そして整備された軍組織による秩序だった後退が行われているのだ」
 “史実”と異なりこの点におけるアラノックの判断は現実との乖離は少ない、追撃戦において“馬堂”という名の異物は物語の大局を僅かであるが確かにずらし始めている。
 一番大きな違いは第三軍全体の活躍である。この点においては龍口湾の騎兵聯隊壊滅が大きい、これによって第三軍の反攻は龍爆までは圧倒的優位を維持し続けることに成功した。そして夜間浸透強襲と払暁に主力の呼応により南方を担当していた第21師団を壊乱に追い込み、龍州軍、近衛総軍の撤退を支援することに成功。結果としてこの撤退戦の様相を大きく塗り替えたのだ。
 ゆえにアラノックは油断をしていない。戦略的な目標は皇龍道の打通。そしてそのためにはここで野戦軍を撃滅してしまうに越したことはない。アラノックとラスティニアン率いる参謀組織の判断は至極妥当なものであった。極論してしまえばこれまでの戦いは小細工の余地がない決戦を強要するための圧迫に過ぎなかったのである。
 だが致命的な要素が二つあった、一つはこの時期の〈帝国〉軍に共通する導術――つまり背天ノ業――に対する知識不足、そしてもう一つが――

「先行した龍兵の報告によりますとロクボウカクと呼ばれている未完成の要塞から物資の出入りが確認されています、恐らくは砲の補充の目途があるからこそここまでやったのでしょう」
 ラスティニアンの頭脳は既に唸りをあげて思考を紡いでいく、ユーリアの期待に沿うことは既に不可能に近い、
「これ程の門数の砲を廃棄して後退するのです、龍爆を受けたといえど思い切りがよすぎます」

 ラスティニアンの見る限り門数からして廃棄された重砲は大隊規模の物だ。
後衛戦闘隊は連隊規模である、ならばこれは継戦能力を捨てるということと同義であるとラスティニアンは判断した。そして後衛戦闘を命じられた部隊であれば任務の放棄と同じである、ありえない。
 ならば――どこからか補充する当てがあるに違いない、それはロクボウカクとやら要塞擬きからだ。

 アラノックは腕を組み、ラスティニアンの意見を彼の〈帝国〉軍の軍事的常識から検討する。
「第9師団が接敵した6,000の兵団に4,000の近衛が率いる猛獣使い。そしてこちらの5,000の部隊‥‥」

「閣下、それではなく虎城における戦線構築に着目すべきです、恐らくは」

「伝令! 第9師団司令部より第二軍団司令部へ!本師団の第一旅団、近衛兵、猛獣使いの夜襲を受けたもよう!
敵兵数はおおよそ四千!死者660名、負傷者3.300名の被害を受け再編の為一時後退!ベルジャーエフ閣下は部隊の増強を求めております!
第2旅団及び支援部隊が先行!」

 幕僚達がうめき声をあげた。

「‥‥やはり敵も立て直しているか。あの州都に立て籠もった連中に兵数を割き過ぎたか?」
「閣下、早期に陥落せしめるにはあれが妥当であったと判断します」
 五千もの火力を整えた集団、三千の猛獣使い、そしてこの陣地を使う第三軍の後衛戦闘隊、総数は五千を超えるはずだ。
「包囲した軍は完全に叩き潰し、継戦能力を喪失しています、渡海した部隊も同様です。ここは南方の第18騎兵聯隊を敵の残存軍が集結しているクラハラに威力偵察に出し、主力は既存の方針の通り『ユミノ』まで集結するべきですが‥‥」

「うむ‥‥龍兵偵察と軽騎兵の偵察を密にせねばならぬか――飛龍が体調を崩していると聞いたが、無理をさせ時とみるか」

「はい司令官殿。それに加え、夜間も行軍を控え、警戒を密にするよう通達すべきです。敵の伏撃さえしのげば我々はこれ以上損失を追うことなく決戦に挑むことができます。
夜間行軍ができない点は痛いですが、ここまで来た以上は損害を避け、『コウリュウドウ』を突破することに注力すべきかと」
 アラノックは深いため息をついた。
「まったく、元帥方はアスローンの片手間程度に考えていらっしゃるようだが、骨の折れる仕事だぞ、これは」
 こうして新城直衛の策は想定以上の効果を上げることになった。だがそれと並行して皇都では数多の思惑が飛び交い、そして一つの策を様々な意図をもって編み上げられていたのである。
 
 

 
後書き
お待たせしました。
本当に申し訳ありません。
夏から神経が壊れたり入院したり色々ありまして現在は求職中の無職となりました。
色々あった一年ですがうまくやれたら今年の内か来年の頭にもう一本書き終えたいところです。
 
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