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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  年頃乙女、三人寄れば――

 エミの食事は、時々の例外を除き三食全て自炊である。
 これは食費の節約や、料理自体の楽しさ、奥深さに目覚めたという理由もあるにはあるが、一番は料理スキルの熟練度アップのためだ。だから、攻略に持って行く弁当も自作だし、最近では同じく料理スキルを上げているというアスナと料理談議に花を咲かせることも多くなった。
 しかし、現実世界でも時々料理をしていたと言うアスナとは違い、エミは現実で料理をした経験が殆どない。そのため、思いつく料理のレパートリーがどうしても制限されてしまうのが最近の悩みだった。そのことをアスナに相談したところ、「レパートリーを増やすなら、まずは自分が食べて美味しいものを探すのが一番!」と定期的な食べ歩きを勧められたため、それから時々、美味しいと評判のレストランで食べたことのないメニューを注文してはその味を再現しようとチャレンジしたり、可能ならレシピを教えてもらったりするようになった。これが、前述の例外である。
 そして、アインクラッドに訪れた二度目の六月のある日。その日の朝食も、その例外だった。

「お待たせしました。当店自慢のパンケーキになります」
「わ、美味しそう!」

 喫茶店のテラス席に座り、前に一枚の皿が置かれた瞬間、エミは両目を期待に輝かせた。きつね色に焼き上げられた生地が三枚ほど重ねられ、上にはホイップクリームと色とりどりのフルーツがふんだんに。更にその上からはベリー系だと思われる赤いソースが掛けられていて、仄かに酸味の効いた香りが鼻腔をくすぐって逃げていく。

「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」

 ダークブラウンのロングヘアを背中まで伸ばした、紺色のエプロン姿の店員――タカミが微笑みながら言う。四十七層主街区《リンダース》にあるこのオープンカフェこそ、シリカ、マサキの二人と過ごした前日にエミが助けた夫婦が営む店なのだ。

「じゃあ早速、いただきますっ」

 両手を合わせた後、一口大にカットしたパンケーキを口に運ぶ。まずはもちもちとした生地の食感が口の中に訪れ、それに続いて、ホイップクリームの濃厚な甘さが広がった。それはともすれば他の食材を全て消してしまいそうな濃密さだったが、その甘さをフルーツの瑞々しさとソースの酸味が絶妙な加減で抑えている。クリームの方も、その甘さでフルーツとソースの酸味や生地の食感を際立たせていて、まさに完璧と言えるハーモニーに、気付けばエミは顔を綻ばせていた。

「美味しい! すっごく美味しいです、タカミさん!」
「本当ですか? お口に合ってよかったです」

 安堵の微笑を浮かべるタカミ。エミはもう一口パンケーキを頬張って舌鼓を打つと、はっと我に帰って申し訳なさそうに尋ねた。

「あの……もし良かったらなんですけど、このパンケーキのレシピって、教えてもらえますか……?」
「レシピですか? ……分かりました。エミさんには、特別ということで」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「いえ、そんなに気に入っていただけたのなら、こちらも嬉しいです。……まずソースですけど、アルベリーの実を……」

 タカミが快諾した瞬間、エミはぱあっと顔を輝かせ、ストレージから取り出したメモ帳に、真剣な表情でレシピを書き込むのだった。



 パンケーキをぺろりと平らげたエミは、食後の紅茶を飲みながら今日の予定を組み上げていた。とは言え、分類的にはソロプレイヤーになるエミにとって、特に前からの予定が入っていない場合、やらなくてはいけないこと、というのは基本的に存在しない。となれば、どこか適当なフィールドダンジョンでレベリングに勤しむか、フリーの攻略パーティーに飛び込みで参加するか、それともマサキの家に突撃を仕掛けるか……。

「あれ、エミ?」
「え?」

 紅茶も飲み終え、そろそろ席を立とうかという折になって、不意に横から声を掛けられた。エミがきょとんと聞き返しながら振り向く。すると、栗色のロングヘアを風になびかせたアスナが、テラス席と往来を隔てる柵に手をかけながら、こちらに向けて手を振っていた。

「今日は食べ歩き?」
「うん。ここ、知り合いのお店なんだけど、パンケーキが美味しいの。ミニサイズもあるみたいだし、アスナも食べてかない?」
「そうなの? ……じゃあ、ちょっと試してみよっかな」

 口元に人差し指を当てて考える素振りを見せていたアスナだったが、やがてそう言うと入り口から回ってきてエミの対面に座った。注文を取りにきたタカミにアスナの分のパンケーキと紅茶のおかわりを注文し、そのアスナに問いかける。

「そういえばアスナ、今日攻略はいいの?」
「今日はオフにしてもらったの。……その、キリト君とデートなんだ」
「へーっ!」

 仄かに頬を赤らめるアスナに、エミは賞賛の声を上げた。
 二人の親交が始まったのは圏内PK騒ぎの直後。共通の友人、趣味の存在もあって、今では二人の関係は親友と言って差し支えないものにまで深まっていたのだが、二人の友情に何より寄与したものは、実はそれとは別にあった。
 それは何か? ――そう、恋バナである。
 アスナが言った「そういえば、エミとマサキ君って付き合ってるの?」という一言に端を発したその会話は、お互いの進展状況が似通っていたことも相まって爆発的な盛り上がりを見せた。エミはマサキに、アスナはキリトにそれぞれ想いを寄せていることやその理由、二人ともアプローチはしているのに進展がないこと等を瞬く間に共有した二人は、その酷似ぶりにただならぬ縁を感じ、がっしりと握手を交わしながら同盟関係の締結を誓ったのである。以来、二人はデートスポットの情報やファッションについての情報交換や、戦略の立案を行う仲だ。

「って、デートの時間は大丈夫? 無理やり引き止めちゃったなら……」
「ううん。行く前にこれをピカピカにしとこうと思って、リズのところに行くつもりだったから」

 アスナは腰元に携えたレイピアに触れた。

「そうなんだ。気合マンマンだね!」
「うん……。けど、必死すぎて引かれたりしないかな?」
「心配ないと思うけどなぁ……。服はいつものだし、アスナかわいいし。……それよりも、キリト君相手だと、そもそも気付いてくれる確率のほうが低いような……」
「それは……あるかも。っていうか、確実にそうなりそう……」

 二人して、大きく溜息。このキリトの鈍感さというのは、アスナがキリトに恋して以来、いつも悩まされていた大きな問題だった。二人は何とかそれを掻い潜ろうと幾つも案を出し合ったのだが、未だに効果的な対処法は見つかっていない。

「ところで、エミの剣ってもう結構長いこと使ってない? 余計なお世話かも知れないけど、変えなくて大丈夫?」

 にわかに重くなりかけた空気を払いのけるように、視線を落としていたアスナが話題を変えた。その両目は、エミの腰に提げられた片手剣に注がれている。
 一瞬反応が遅れたエミだったが、人差し指をあごに当て、考えを巡らせながら答えた。

「えっと、今のがドロップしたのが四十二層の時で、ステータス的にはそこそこだったから……確かに、そろそろ変え時かも」
「だったら、一緒にリズのとこ行かない? リズなら、いいインゴットの話とか知ってそうだし」
「そうだね。着いてこうかな」

 頭の中で予定を立てつつエミが頷く。
 リズベットのところにランクの高いインゴットがあればいいのだが、そうでない場合は自らフィールドに赴いて探してくる必要がある。インゴットがドロップする場所と相手によってはパーティーメンバーを募る必要が出てくるかもしれない。
 となると、今日は一日丸まる潰すつもりでいたほうがいいかも……。等というエミの考えを察したかのように、正面のアスナが得意げな顔で口を開いた。

「それじゃあ、インゴット探しにはマサキ君について来てもらうのはどう? それで連れ出して、二人っきりになっちゃうとか」
「……!」

 その瞬間、エミの両目がきゅぴーんと音を立てそうな勢いで光を発した。マサキほどのプレイヤーであればエミと二人でインゴット探し程度なら十分行えるし、何よりごく自然に一日中行動を共にできる。しかも、その後お礼と称して次の約束を取り付けることだって簡単に――!

「……いい、いいよアスナ! うん、わたしそうする!!」

 勢いよく椅子を鳴らして立ち上がるエミ。二人は顔を見合わせ、「今日こそは!」と目線で言葉を交わしながら力強く頷いた。



「一件目のオーダーはっと……」

 アインクラッド第四十八層主街区《リンダース》に存在する、一軒の職人クラス用プレイヤーホームにて。ごと、ごと、ごと。と、外の水車が刻む緩やかなリズムを感じながら、リズベットは炉の前に立った。左手に持ったメモに目を通しつつ、ウインドウから金属素材(インゴット)を取り出して炉に放り込む。この場所に居を移して三ヶ月。この職場にも慣れたもので、初めの頃はいちいち工作機械の配置に戸惑い、もたついていた工程も、今では流れるように行える。
 併設された巨大な水車が特徴的なその家こそ、リズベットの住処であり、また彼女の経営する武具店――《リズベット武具店》であった。
 メモをストレージにしまい、赤熱したインゴットをヤットコで金床(アンビル)の上に取り出す。ポップアップメニューから作成アイテムを指定して、一度深呼吸。
 “武器を作るときは余計なことを考えず、ハンマーを振る右手に意識を集中し、無の境地で叩き続けるべし”――SAO鍛治職人たちの間で飛び交うオカルトの一つで、自分のことを合理的な人間だと解釈しているリズベットが唯一信じている説だ。
 絶え間なく流れる水車の音が、徐々に小さくなっていく。そのタイミングで、リズベットはハンマーを振り上げ――


「「おはよーリズ!」」
「うわっ!」

 た瞬間、店舗スペースと繋がるドアが勢いよく開け放たれた。振り下ろされたハンマーが狙ったインゴットから大きく逸れて金床の端を思いっきり叩き、情けないサンドエフェクトが工房を満たす。リズベットが不快感を露にして振り返ると、《閃光》アスナ、《モノクロームの天使》エミが立っていた。

「あ、ごめん……」
「以後気をつけまーす」

 以前から「工房に入るときは必ずノックをするように」と口を酸っぱくして言い含めていた意味は多少なりともあったようで、二人は舌を出しながら謝罪の言葉を口にした。

「その台詞、何回聞いたかなあ。……まあ、叩き始めてからでなくてよかったけどさ」

 そんな二人を呆れ顔で見上げながら、金属を炉に投げ入れて立ち上がるリズベット。このやりとりは、まだ《リズベット武具店》が露店だった頃からのお約束だったりする。

 この二人とはそれなりに長い付き合いのリズベットだが、その二人の間に親交が生まれたのは、実はつい最近のことだと知らされた時はとても驚いた。二人とも攻略組のトッププレイヤー、しかも美少女とくれば、どこかで知り合っているはずだと思い込んでいたからだ。確かに言われてみれば、二人との会話でもう片方が出てくることは記憶になかった。
 そんな二人だが、最近急激に友情を深めているようで、今日のように二人での来店も珍しくない。以前三人でお茶会を開いた時など、リズベットの洒落っ気のない服装をオシャレに改じてくれようと言うありがたくないお節介を二人から頂戴したものだ。
 そこでリズベットは散々っぱら二人の着せ替え人形にされ、かわいらしい檜皮(ひわだ)色のエプロンドレスにベビーピンクの髪という驚異的なカスタマイズを施されてしまった。アインクラッドで間違いなく五本の指に入る美少女二人に絶賛された恰好ということで実はちょっぴり嬉しかったりもしたのだが、ツナギに茶髪のショートという洒落っ気の全くない見た目からの激変はさすがに気恥ずかしく、適当なところで戻すつもりだった。……のだが、この恰好になってから店の売り上げが倍増してしまい、戻すに戻せなくなってしまったために不承不承据え置いている。

「……で、今日は何? ずいぶん早いじゃない」
「あ、これお願い」

 リズベットがハーブティーの入ったポットとティーカップを並べていると、勝手知ったる、とでも言いたげに工房を横切って白木の丸椅子に座ったアスナが腰のレイピアを投げて寄越した。片手で受け取ったリズベットは、少しだけ刀身を抜いて検分しながら首を傾げる。

「まだあんまりヘタってないじゃない。研ぐのはまだ早いんじゃないの?」
「そうなんだけどね。ピカピカにしときたいのよ」
「大事なデートだもんね」
「ちょっ、エミ!?」
「へぇぇー?」

「デート」という単語に耳ざとく反応したリズベットが、ニヤニヤと笑いながら椅子ごとアスナににじり寄った。アスナが顔を赤く染めて抗議の視線をエミに向けるが、当の本人はそれをスルー。

「アスナだって、ずっと隠しとくつもりじゃないんでしょ?」
「……まあ、そうだけど……」
「ねえ、相手は誰なのよ、詳しく聞かせなさいよ。てか、ここに連れてきなさいよ」
「だ、ダメ、まだ秘密! まだぜんぜん、その……一方通行だし……」
「へーっ!」

 リズベットは目を丸くして二重に驚いた。そもそもアスナは《攻略の鬼》と揶揄されるほどこの浮遊城の攻略に熱心な人物で、その熱の入れようは見ているこちらが心配になるほどだった。そんな彼女が特定の人物に恋をしたということだけで驚きなのに、まさか口説かれる側ではなく口説く側に回るとは。その人物には是非一度お目にかかってみたいものだ。

「まあ、そのうち会わせてもらえると期待して待ってることにするわ。でもそういうことなら、ウチの宣伝、よろしく!」
「リズはしっかりしてるねえホント。紹介はしとくけどね」
「伊達に商売やってるわけじゃありませんからね。……そういえば、エミはどうなのよ、マサキとは」
「え? っと……アスナと大体おんなじ、かな」

 エミは苦笑いで答える。それを見たリズベットが、腕を組んで唸った。

「まさか、アインクラッドの二大美人が揃って片思いとはねえ……世の中珍しいこともあったものだわ」
「そんなんじゃないってば。……それでリズ、実は、インゴットを探してるんだけど」
「インゴット?」

 美少女というのは普段チヤホヤされている分、自分になびかない男性に魅力を感じる生き物なのだろうか……? そんな薬袋もないことを考えていると、突然エミが話の流れを変えた。話題の転換に乗り遅れたリズベットが聞き返すと、エミが頷いて言う。

「うん。そろそろ剣を変えようかなって思って。どうせなら性能は高いほうがいいし……デートの口実にも使えるかなって」
「それ、ホントはそっちがメインなんじゃないの?」

 あまりにストレートな物言いに、思わずリズベットは吹き出してしまった。照れたような笑いを浮かべるエミに苦笑を浮かべながら、少しだけ天を仰いで考えを巡らせる。

「あたしが知ってるのだと……五十五層のクエストの話とか」
「それ、わたしも知ってる。うちのギルド(KoB)でも話題になったわ。確か、まだ誰も入手できてないんだっけ?」
「そうなのよ。物凄い数の討伐パーティーが挑戦したんだけどね。ドロップ元と見られてる白竜はそんなに強くないんだけど、一向にドロップしないらしいの。だから、今は検証がメインに行われてるって話なんだけど……これはやめといたほうがいいわね」
「え、何で?」

 興味津々という様子で話に耳を傾けていたエミが、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて尋ねる。

「実は、その検証の過程で《パーティーにマスタースミスがいないと駄目なんじゃないか》っていう噂が浮かんできたのよ。あんたたち、鍛治スキルは上げてないでしょ?」
「マサキ君のは知らないけど……多分」

 残念そうに声のトーンを落としつつエミが頷く。
 鍛治スキルや商人スキルを上げている攻略組プレイヤーも探せばいないことはないが、当然のことながら数は少ない。第一、彼が鍛治スキルを上げているなら、鍔が壊れた程度で修復を依頼してくることはないだろう。

「となると……信憑性は少し低くなるけど、四十八層の隠しボスの噂かしら」
「隠しボス?」

 間髪いれず、俯き加減だったエミが顔を上げてオウム返し。自分のカップにお茶を注ぎながらリズベットが頷く。

「三週くらい前かしら、深夜に四十八層の洞窟で狩りをしてたパーティーが、マッピングされてないエリアを見つけたらしいのよ。不思議に思ったそのパーティーが先に進んでみると、そこは巨大な鉱脈で、希少な鉱石アイテムやランクの高いインゴットがゴロゴロ。夢中になって採掘してたら、いつの間にか後ろからボスクラスのモンスターに襲われて、命からがら逃げ帰って来たらしいわ。で、その逃げ帰って来たプレイヤーが言うにはボスモンスターが持ってた剣の色が普通とはちょっと違ったらしくて、だからそのボスを倒せば未知のインゴットがドロップするんじゃないか、って話なんだけど……」
「だけど?」

 難しい顔で話していたことに疑問を持ったのか、エミが不思議そうに首を傾げた。
 SAOでインゴットを入手する手段は主に三つ。洞窟や渓谷などに多く存在する採掘エリアでピッケルなどの専用アイテムを使って採掘するか、同じく採掘エリアで採れる鉱石アイテムを幾つか集めて精錬するか、インゴットのドロップするモンスター――ゴーレム系統や、硬い鱗や甲羅を持つ場合が多い――を討伐するかだ。そして三つ目の場合、モンスターの身体、あるいは使う武器などを見ればドロップするインゴットのランクが大体判別できる。だからそのプレイヤーの言うことは理にかなっており、エミが不思議に思うのも無理はない。
 リズベットは自分のティーカップを手に取り、赤く色づいたお茶をずずっと啜ってから再び口を開いた。

「証拠が弱すぎるのよ。そのパーティーが公開したアイテムの中には確かに数時間の採掘じゃあ集まらないレベルの高ランク鉱石やインゴットがたっぷりあったから、その後幾つも検証パーティーが組まれたんだけど……結局見つけられたパーティーはなし。ボスがいたって言う部屋はマッピングすらされてなくて、自作自演説まで出始めた頃に五十五層の噂が出回ったから、大体の興味はそっちに移っちゃって、今はもう誰も見向きもしてないのよね」

 そこまで話すと、リズベットは口をつぐんだ。手に持ったままのカップをもう一度口に運びながら、「どうする?」と視線でエミに問う。さすがにこの程度の噂話には乗らないかな……というのが率直なところだったのだが、エミはすぐに数度頷くと、

「うん、じゃあ、その洞窟に行ってみる。四十八層で、深夜帯だったよね?」

 と迷う様子すら見せずに言ってのけた。そのあまりの即決に、リズベットは肩を揺らして苦笑いをこぼす。

「ちょっと、本気? あたしが言っといて何だけど、何十人も血眼になって探したのに見つからなかったのよ?」
「まあ、最悪ダメ元ってことで。押してダメなら更に押せ! だよ!」
「あはは、エミはほんっと、相変わらずだねー。――あ、やば、もう行かなきゃ。早く研磨お願い!」
「あ、はいはい。ちょっと待ってて」

 いっそ清々しいほどのエミの一途っぷりに嘆息していたところを、アスナの声で我に帰った。席を立って回転砥石の前まで移動し、アスナから受け取ったレイピア、固有名《ランベントライト》を研いでいく。特に何事もなく研磨は終了し、透き通るようなクリアシルバーを取り戻したそれを鞘に収めてアスナに投げ返すと、彼女は立ち上がって百コル銀貨を指で弾きながらレイピアを受け取った。

「じゃ、わたし急ぐから、これで」
「わたしも、そろそろお暇しようかな」

 ぱたぱたとアスナが逃げるように駆けて行くのを見ながらエミも立ち上がる。

「はいはい。しっかし、エミは相変わらずド直球ねぇ」
「直球勝負はわたしの持ち味ですから。じゃねっ!」
「しっかりやってきなさいよー!」

 エミは最後ににっこりと笑顔を浮かべると、ポニーテールを左右に揺らしながら颯爽と工房を飛び出して行った。二人を見送ったリズベットは、一度大きく息を吐きながら腰に両手を当てる。

「いいなぁ……」

 苦笑しつつ、そんな言葉を呟く。
 今まで鍛治スキルの熟練度上げにひたすら邁進(まいしん)してきたせいで、リズベットは大事な乙女の時期にも関わらず恋を経験していない。その選択を悔いているわけではないが、やはり年頃の少女としては、あんな風に思いっきり恋愛している姿はちょっぴり羨ましい。加えて言えば、鍛治スキルをマスターし、自分の店も持った今は次の目標というものが中々見つからず、肌寒い夜などは妙に人恋しく感じることも少なくなかった。

「あたしも《素敵な出会い》のフラグ立たないかなぁー」

 軽く伸びをしながら余計な思考を追い出し、二人が出て行ったドアに背を向けるリズベット。

「さってと……」

 念のためにもう一度メモを取り出して要求仕様を確認しつつ、再び炉の前に向かう。
 途切れることなく続く水車のリズムが窓から差し込む朝の光と微かに残ったハーブティーの香りを緩やかに攪拌(かくはん)し、それを爽やかな朝の風が外に押し流していく。なのに胸の中に居座った妙なもやもやだけは、吹き流されることなく同じ場所に停滞し、愛用のハンマーを振るい始めてなお、晴れることはなかった。 
 

 
後書き
リズ「……あたしの出番、これだけ?」
ああいや、心配はいりませんよ。
リズ「そ、そうよね! 仮にも原作ヒロインのこのあたしが、これだけの出番で終わるだなんて――」
ええもちろん。あなたには原作通り、キリト君に手酷くフられるという役目がですね
リズ「全ッ然嬉しくないわよッ!」

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