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真田十勇士

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巻ノ二十一 浜松での出会いその六

「駿府にもな」
「前の駿府は小京都と言われ」
「随分栄えておったそうですな」
「義元殿の頃は」
「そうでしたな」
 家臣達もその駿府について話す。
「随分と賑やかで」
「よい町だったとか」
「今は都落ちされた公卿の方々は都にどんどん戻られていますが」
「それでも賑やかなままだとか」
「信玄公の政がよかったので」
「そうらしいのう、それに氏真殿も政はよかったという」
 義元の嫡子であり跡を継いだ今川氏真のことである。
「人はあの御仁のことをよく言わぬが」
「はい、今川を滅ぼした暗君」
「俗にそう言われていますな」
「しかし武田、徳川に攻められ九年もったのじゃ」
 幸村はこのことを指摘した、鰻の蒲焼を食いつつ。その脂の乗りのよさはこれまた絶妙なものであった。
「桶狭間で負けた後でもな」
「そして政はよかった」
「では、ですか」
「言われる様な暗君ではなかった」
「そうなのですか」
「拙者はそう思う、それに朝比奈殿の様な忠臣もおられた」
 最後まで氏真、そして今川家に忠義を尽くした彼がだ。
「それを見るとな」
「暗君ではありませぬか」
「決して」
「そうした方ですか」
「そう思う、それにじゃ」
 さらに話す幸村だった。
「俗に家康殿は駿府で人質として悪く扱われていたというが」
「そのこともですか」
「実は違うと」
「そう言われますか」
「家康殿は前は松平元康と名乗られていた」
 徳川家自体がそうだった、松平家と名乗っていた。
「その元という文字じゃ」
「義元殿の元ですな」
「それを授けられた」
「そこまで大事にされていましたか」
「うむ、太原雪斎殿にも色々と教えてもらっていた」
 義元の軍師であり政戦双方で彼を支えた高僧だ。この者が今川家の柱であったという者も多かった。義元の師でもあった。
「そのことを見るとな」
「そういえば国をなくした氏真殿を」
「家康殿は快く迎えられていますな」
「まるで旧友の様に」
「そうされましたな」
「若し幼い頃に何かあればじゃ」 
 氏真が家康をいじめていたりしていたならばだ。
「そうしたことはされぬな」
「はい、幾ら家康殿でも」
「器の大きさでも知られている方ですが」
「以前何かあれば」
「そうであられれば」
「だからじゃ」
 それで、というのだ。
「実は家康殿は今川家では重く扱われていたのじゃ」
「そうだったのですか」
「実は」
「決して冷遇されておらず」
「今川家では重く用いられていた」
「そうだったのですか」
「そして駿府にも悪い思い出はなかったと思う」
 人質として長く過ごしたその町でも、というのだ。 
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