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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第167話 襄陽城攻め前夜2

 孫堅は孫策と孫権を連れ立って上機嫌で軍議の場から出て行った。彼女達は陣所を出るために入り口に向かった。入り口には甘寧が馬の番をしており、彼女が孫堅達の姿を確認すると孫堅達に駆け寄ってきた。

「文台様、軍議は終わったのですか?」
「思春、ご苦労さん!」

 孫堅は機嫌良さげな笑顔で甘寧に声をかけた。孫堅達は思春から馬の手綱を受け取ると各々の馬に跨がった。甘寧は三人が馬に乗るのを確認すると自らも馬に乗ろうとした。

「忘れるところだった! 思春、車騎将軍がお前をお呼びだよ」

 何か思い出したように孫堅は馬から降りると甘寧に掛けよった。

「それで何だけど」

 彼女の肩に手を回しひそひそ声で話し出した。

「文台様、清河王が私のような者に何かご用なのでしょうか?」

 甘寧は孫堅の話に困惑している様子だった。彼女にとって正宗は苦手な存在なのかもしれない。

「それで何だけどさ」

 孫堅は甘寧に言いにくそうに口ごもる。歯切れの悪い孫堅の様子に甘寧は不安そうな表情に変わる。

「文台様、話とはなんでしょう?」

 甘寧は孫堅に話しを続けるように促した。彼女も孫堅の雰囲気から内密な話と理解したのか小さな声で話していた。

「それがさ。車騎将軍と問題を起こした時につい嘘をついてしまってね」

 孫堅は苦笑いを浮かべ甘寧を見た。彼女は甘寧にことの経緯を話し始めた。
 甘寧は孫堅から打ち明けられ困惑した表情をしていた。自分の預かり知らないところで話しが進んでいるのだから当然のことだろう。

「母様、車騎将軍に本当のことを話しましょ」

 孫権は甘寧のことが心配になったのか、孫堅と甘寧の間に入ってきた。

「しっ! 声が大きい!」

 孫堅は孫権に駆け寄り孫権を黙らせると周囲を見回す。衛兵が孫堅達のことを変な目で見ていたが、孫堅は愛想笑いをすると孫権を馬から下ろした。

「蓮華、そんなことをしたら私は今度こそ太守の座を奪われるじゃないか」
「それだけのことをしたんだから仕方ないじゃない」
「馬鹿かい。私がどれだけ苦労して長沙郡太守の座を得たと思っているんだい」
「巨星が反乱を起こしたから太守の役目が回ってきたんじゃないですか」
「いいから黙ってな」

 孫堅は孫権を黙らして甘寧を呼び寄せまた肩に手を回した。

「思春、悪いけど車騎将軍から褒美を黙って貰っておくれ」
「よろしいのですか? 露見したら文台様のお立場が危うくなるかもしれません」

 甘寧も孫権と同意見のようだ。相手がそこらの豪族ではなく、朝廷の重臣であり強大な軍事力を保有する、正宗であるため嘘をついたことが露見した場合、どんな目に合うか想像できないと考えているのだろう。また、正宗が孫家に快い気持ちを持っていないことを甘寧は知っているだけに尚更なのだろう。

「ばれやしないさ。思春。これを隠さないと私達は路頭に迷うことになるんだ。悪いが頼まれてくれないか」

 孫堅は甘寧に合掌して頭を下げ頼み込んだ。

「文台様、畏まりました」

 甘寧は孫堅に頼まれ困った表情をするも、孫堅の頼みを聞き入れた。

「じゃあ頼んだよ」

 孫堅は甘寧の背中を威勢良く叩くと甘寧を送り出した。甘寧はつんのめりそうになりながらも体勢を整えながら陣所に向かって行った。孫権は心配そうに甘寧の後ろを見ていた。

「母様、甘寧を止めましょう。私が行ってきます。私も清河王と面識があります。清河王なら誠心誠意謝罪すれば分かってくださいます」
「蓮華、余計なことをするんじゃない!」

 孫堅は孫権を強い口調で止めると孫権に馬に乗るように促した。孫権は渋々馬に騎乗した。孫堅はそれを確認すると自分も馬に騎乗した。

「さあて。蓮華、先に行くよ。甘寧なら上手くやってくれるよ」

 孫堅達はその場を離れ自分達の軍が駐留する場所に向かって行った。



「母様、やっぱり言わせていただきます!」

 孫権は陣所から二里(八百メートル)ほど離れた頃、上機嫌に前を進む孫堅に突然声をかけた。孫堅は馬を止め振り返ると驚いた表情で孫権を見た。

「蓮華、突然どうしたんだい!?」

 孫堅は孫権に言った。

「どうしたじゃないわよ。何で思春にあんなことをさせるのよ。どうして清河王の前であんなことを言うのよ!」

 孫権は感情的になって孫堅に怒鳴った。孫堅の甘寧への対応が許せない様子だった。生真面目な孫権としては孫堅の行為が我慢にならないのだろう。

「思春の件かい? 黙って褒美を受ければ問題ないさ。褒美は思春のものにすればいいよ。清河王に嘘をついたことは今更言っても仕方ないだろ。このまま嘘を突き通すしかない。それとも蓮華を車騎将軍に傍に控えさせてもうらう件かい」

 孫堅は飄々とした様子で孫権に言った。

「全部よ!」

 孫権は孫堅に抗議した。孫堅は孫権の剣幕に困った顔になり右手で頭の後ろを掻いた。

「蓮華、仕方ないだろ」

 孫堅は孫権から視線を逸らした。

「何が仕方ないのよ!」

 孫権は孫堅の態度が気に入らないのか詰め寄った。

「蔡徳珪が荊州中から兵糧を買い漁り、豪族達が車騎将軍に献上する兵糧を買い漁ったおかげ兵糧の値が上がっているんだ。それに襄陽城攻めに間に合うように強行軍だったんだ。一万二千もの兵を食わせる兵糧なんて手持ちにある訳ないだろ。蓮華は私に略奪で調達でもしろというのかい。そんな真似したら私は今度こそ車騎将軍に殺されるよ」

 孫堅は開き直って孫権に文句を言い出した。

「言い方があったでしょ!」
「じゃあどういえばよかったんだい」

 孫堅は孫権に面倒そうに返事した。

「でも私を清河王の傍で同行させて欲しいなんて言う必要ないでしょ!」

 孫権は押し黙るも直ぐに口を開き孫堅に抗議した。

「何を言っているんだい。実力者と縁を持つことは重要なことなんだよ。気に入られたのなら利用しない手はないだろ」
「母様、自分が清河王に睨まれているの覚えているの?」
「先陣で功を上げれば問題ないだろ! 私達みたい成り上がりが麒麟児と評される宗室の出自の者と縁を持つなんてありえないことなんだよ。機会を最大限利用して何が悪い!」

 孫堅は孫権の説教を疎ましく思ったのか怒鳴った。

「蓮華、いい加減にしなさいよね」

 先ほどまで黙って聞いていた孫策が口を開いた。

「蓮華、車騎将軍の肩を持ちすぎじゃない」

 孫策は憮然とした表情で孫権を見ていた。

「雪蓮姉様、私がいつ清河王の肩を持ったというんですか?」
「清河王、清河王って五月蝿いのよね。私達は私達のやりたいようにやるのよ。今回の戦だって母上の件もあるけど孫家の利益になるから出てきただけ。別に車騎将軍のために長沙からやってきたわけじゃない」

 孫策は孫権の態度が気に入らない様子で文句を言った。

「車騎将軍は私達を使い潰す気ありありじゃない。自分達で磨り潰して追い込んだ蔡一族の後片付けを私達に命じたんだから。本当にむかつく野朗だわ」

 孫策は正宗への不満を吐露した。

「だからって余計なことする必要ないじゃない。糧食は仕方ないとしても、豪族達の前で私を戦の間傍に置いてくれてなんて明らかに余計なことでしょ? 車騎将軍は不愉快そうにしていたじゃない」
「車騎将軍は孫家と通じていると思われるのが嫌だったということでしょ」

 孫策は憮然とした表情で孫権に言った。彼女は名門出の正宗が孫家のことを見下していると思っているのだろう。

「荊州統治で孫家を特別扱いすると豪族達に勘繰られることを懸念しただけだでしょ。清河王にも立場があるから仕方ないと思います」

 孫権は正宗のことを擁護した。それが孫策には気に入らない様子だった。

「ようするに孫家の力は必要ないということでしょ? 車騎将軍は蒯異度を傍に置いて重用しているみたいだし。車騎将軍も劉表と同類ということよ。毛色のよい者を傍に置きたいのよ。蓮華、あの男には気をつけなさいよ」
「どういう意味です?」

 孫権は孫策の最後の言葉の意味がわからず聞き返した。

「車騎将軍は蓮華を女として気にかけていると言うことよ」

 孫策は孫権に忠告し指で胸を刺した。

「何言っているんです!?」

 孫策の発言が理解できないと孫権は困惑していた。孫権にしてみれば正宗の出会いから関係が良好になるまで苦労したため、孫策の考えが理解できないのだろう。それは孫策にも言えた。孫策は母・孫堅が正宗に殺されかけたという最悪の出会い以降、特に正宗との接点は無かったため致し方ないのかもしれない。

「清河王はそんな方ではありません」

 孫権はきっぱりと断言した。孫策は孫権の発言が気に入らない様子だった。

「じゃあ、どういう人なのよ?」

 孫策は憮然とし孫権に聞いた。

「清河王は武勇に優れた方です。気難しい方ですが根はお優しい方です。敵対した者達でも事情を汲むだけのものがあれば情けをかける度量もあります」

 孫権は迷い無く真剣な表情で孫堅と孫策に答えた。孫策は孫権の言葉が信じられないのか半目で孫権のことを見ていた。

「ありえない」

 孫策は独白する。すると孫堅は左手で孫策の頭に手を載せた。

「雪蓮、蓮華の目を疑うのかい? この子の人を見る目は確かだと思うがね。思春の素性を知った当時はあいつにきつく接してたらしいけど、今日は気遣ってたしね。劉景升みたいに狭量じゃないのは確かだろ? それに車騎将軍の幕僚は名門もいるが在野の者の方が多いみたいだしね。雪蓮、お前こそ偏見で目を曇らせるんじゃないよ」

 孫堅は孫策の頭を軽く二三度と叩いた。

「母様も車騎将軍を信用しているわけ?」

 不貞腐れた様子の孫策は孫堅に訊ねた。

「私は娘の目を信じているだけだよ。私が車騎将軍に睨まれるのは納得はしちゃいないが身から出た錆みたいなものだしね」

 孫堅は眉間に皺を寄せ苛ついた表情を浮かべた。彼女は正宗に遺恨があるようだ。

「私も娘なんですけど?」

 孫策は孫堅を半目で凝視した。孫堅は不貞腐れた孫策を見て豪快に笑い出した。

「私は雪蓮も信じているよ! でも蓮華は雪蓮より長く車騎将軍に接している。違うかい?」

 孫堅は口に笑みを浮かべ雪蓮を見た。雪蓮は溜息をつく。

「分かったわよ。でも、車騎将軍は孫家の存在を快く思っていないが気がするの。なんとなくそんな気がする」
「そんなの今日の車騎将軍の態度で分かってることだろ。向こうはそれを隠すつもりはないようだしね。劉景升みたいに影でこそこそと陰湿にやられるよりましだよ」

 孫堅は孫策の忠告を一蹴した。

「私と雪蓮は嫌われてみるみたいだが蓮華には目をかけているみたいだしね。その理由は何となく分かる気がするからね」

 孫堅は孫権に視線を向けた。

「私も雪蓮も毎回夫から注意されるほど短慮で人を切っちまうからね。車騎将軍は敵味方関係なく人の命を大切に思っているような甘ちゃんみたいだし。私や雪蓮を嫌うのは当然だろうね」
「母様、分かってるなら自重してください」

 孫権は困り顔で孫堅に言うと深い溜息をついた。

「母様、ただの甘ちゃんが陣頭指揮とって根切りをする訳ないでしょ。車騎将軍は蔡一族であれば幼子だろうと処刑して晒し首にしてるのよ。地の利のない悪条件下で蔡徳珪の軍を蹴散らしたのは事実のようみたいだし戦上手なのも確か」

 孫策は正宗が甘ちゃんという孫堅の評価が納得できない様子だった。

「車騎将軍が残虐だろうが、兵卒から部将にいたるまで車騎将軍は命を預けるに足る人物なのは確かということだろ。三万もの軍勢が夜襲を受けて体勢を整え反撃に移り敵を蹴散らすなんて、車騎将軍の統率力と兵達からの信頼が並外れているとしか言いようがない。私達にはむかつく態度だけど家臣には公明正大で慈悲深いんだろうさ。悪条件の戦場で屑みたいなやつのために命を預けるわけないだろ。普通ならとっとと逃げちまうさ」

 孫堅は馬鹿を見るように孫策を見た。

「それはそうだけど。車騎将軍。なんか私達のことを目の敵にしている感じがするんだもん」

 孫策は孫堅は口を尖らせ正宗への愚痴を言った。

「母様、雪蓮姉様の言うことはその通りだと思います」
「私を恨んでいるというのかい?」

 孫堅は孫権を訝しむと言った。

「恨みとは違うような。何て言えばいいのか? 私達を危険視しているような」
「危険視?」

 孫堅は難しい顔で孫権を見た。彼女にすれば正宗の恨みを買う理由が思いつかないようだった。それは当然と言えた。正宗が孫家を警戒する理由は前世の知識から来るもので孫堅達には預かり知らぬことだからだ。

「まあいいさ。信用されていないなら、戦功を積み上げて信頼されればいいだけさ」
「信頼を得ようと思うなら余計なことをしなければ良かったじゃない。母様が余計なことをするから欲深い人物だと思われたじゃない」
「欲深いのが何が悪い。他の豪族達だって隙あらば車騎将軍に擦り寄ろうとしていただろ。業腹だが荊州の主は車騎将軍で決まりだろ。名声・出自・権威・政治・軍事どれをとっても敵う者は今の荊州にいない。劉景升はもう終わりだよ。傀儡なら未だましで最悪始末されるだろ」
「それ私達にも当てはまると思うんだけど」

 孫策は孫堅に言った。

「南荊州を手に入れるために劉表と衝突していた私達も邪魔だと思うもの。向こうは義従妹である袁公路を荊州の統治者にするつもりでしょ。車騎将軍は円滑に荊州を袁公路に任すために地ならしに来ただけでしょ。袁公路に敵対した時に危険な勢力は残して置くつもりないと思うのよね」

 孫策は腕組みしながら自分の考えを語りはじめた。

「だからって車騎将軍に敵対するのかい。今、逆らったら蔡徳珪に通じた朝敵として皆殺しにされるだろうね」

 孫堅は緊張感のない表情で飄々と孫策に言った。

「何でそんなに落ち着いていられるわけ?」

 孫策は孫堅の落ち着き払った態度が気に入らない様子だ。

「蓮華がいるから大丈夫だと思っている。少なくとも滅ぼされることはないだろね。冷や飯を食う羽目になっても蓮華には車騎将軍から声がかかると思っている。そこから運も開けてくるかなと思っている」
「すっごい楽観的ね。蓮華が手篭めにされちゃったらどうするのよ!」
「そうなったらそれはそれでいいんじゃないか。姻戚の間柄になれば相応の待遇は受けられるはずだよ」
「弄ばれて捨てられるかもしれないじゃない!」

 孫堅は孫策の言葉に苦笑した。

「車騎将軍はそんな男には見えないけどね。聞けば車騎将軍に寝返った蔡一族を一人朗官にしたらしいじゃないか。そいつは一族から爪弾きにされ不遇を囲っていた庶子みたいだけどさ。庶民への売名とも取れるが役に立ちそうにない面倒そうな奴を傍に置くのは酔狂だろ。私なら迷わず始末するよ」

 孫堅は口角を上げた。

「二人とも何勝手なことを言っているんです!」

 孫権は顔を真っ赤にして二人に抗議していた。

「でも清河王は悪には厳しい御方ですが弱い者には情け深い方です」

 孫堅と孫策を非難するも、孫権は孫堅の話に同調していた。孫策はそんな二人を面白くない様子で見ていた。



 孫堅達が正宗軍の陣所から離れた頃、甘寧は軍議の席上に足を運んでいた。現在、この場には彼女と正宗と泉のみだった。後は護衛が入り口の外に二人いるだけだった。この場で話されることは外には漏れることはないだろう。

「清河王、甘興覇まかり越しました」

 甘寧は片膝をつき正宗に拱手し頭を下げた。

「甘興覇、わざわざ呼びたててすまんな」

 正宗は甘寧に優しい笑みを浮かべ声をかけた。彼の態度に甘寧は戸惑っている様子だったが直ぐに平静を装った。

「泉」

 正宗は彼の左に立つ泉に声をかけた。彼女は両手で小さい漆塗りの台座を持っていた。その台座の上中央には布袋が置かれている。泉は彼の声に促されるように甘寧に近づき、彼女の面前で体勢を落とし台座を置くと正宗の左隣に戻っていった。正宗は泉が側に戻るのを確認すると甘寧に視線を戻した。

「甘興覇、孫文台からお前の殊勝な話を聞いた。私の檄文を孫堅に昼夜を問わず走り続け送り届けたそうだな。その労に対する褒美だ。遠慮はいらん。受け取るがいい」

 正宗は甘寧に言った。しかし、甘寧は悩んだ表情で台座の布袋を凝視していた。

「どうした遠慮はいらんのだぞ? 受け取るがいい。お前の主人である孫文台には既に話を通している」

 正宗は甘寧が遠慮していると思ったのか彼は彼女に褒美の品を受け取るように促した。しかし、甘寧は受け取ろうとしなかった。孫堅から黙って褒美を受け取れと言付かっている甘寧だったが正宗を前にして、正宗を謀ることが気が引けたのかもしれない。蔡瑁の夜襲を完膚なきまでに蹴散らした正宗軍の精強さ。それが孫堅軍に向かうやもしれない。今回の嘘が露見した場合、その可能性は十分にある。だが、理由もなくいらないとは言えず、八方ふさがりなのか甘寧の表情は曇っていた。

「甘興覇、無礼であろう。清河王からの計らいを断るつもりか?」

 泉は厳しい顔で甘寧を睨んだ。正宗は甘寧の様子を観察するような視線を送るだけで黙っていた。

「有り難くお受けいたします」

 甘寧は悩んだ末に布袋を受け取った。布袋は中身の重量で下に伸び、銭の擦る音ではなく砂が擦れるような音が聞こえた。袋の中身は砂金かもしれない。甘寧もそう感じたのか苦悩した表情を浮かべた後、その袋を台座に戻した。

「褒美をお受けすることはできません」

 甘寧は顔を上げ正宗に言った。正宗の温和な表情が一変し険しい表情に変わった。

「どういう意味だ?」

 泉は低い声で甘寧に詰問した。彼女は正宗からの褒美を拒否した甘寧の行動が許せない様子だった。

「私は確かに檄文を届けました。ですが孫文台様とはすれ違いになり、届けることが適いませんでした。孫文台様は自らの考えで南陽郡に参りました。この褒美を私が受け取ることはできません」

 正宗は甘寧の話を聞き終わる冷めた目で甘寧を見ていた。その視線は怒りを覚えているようには見えなかった。甘寧の行動を観察していて、彼女の様子が変に見えたのかもしれない。対して泉は完全に血が上っている様子だった。彼女にすれば孫堅は正宗に襲いかかった賊、そして目の前の甘寧は孫堅は嘘を正宗に報告したと証言しているのだ。正宗のことを第一に考える彼女の怒りはもっともなことだろう。

「そうか」

 正宗は低い声で短く答えた。甘寧は彼が怒りを抱いていることを感じただろう。すぐさま両膝をつけ彼に対して平伏し顔を地面につけた。

「清河王、この甘寧を罰し孫文台様の罪をお許しください! どのような罰も受けます!」

 甘寧は正宗に対し平伏したまま必死に懇願した。

「貴様が謝罪して済む話ではないわ! 正宗様は衆人にてお前に褒美を出すと公言されたのだ。それが嘘だと? お前の首一つで済むと思っているのか! 孫文台、許さんぞ!」

 泉は正宗が恥を掻いたことに立腹し甘寧のことを罵った。正宗は泉と違い冷静な表情で甘寧を見ていた。

「泉、落ち着け」
「しかし!」
「いいから落ち着け」

 正宗は泉を落ち着かせた後、甘寧を見た。

「甘興覇、どうして打ち明ける気持ちになった? 褒美を受け取り隠し通すこともできたであろう」
「隠した後に文台様に悪意を持つ者に露見した場合、文台様の身を危険に晒すかもしれないと考えました」
「ここで白状しお前一人が罰を受ければ丸く収まると考えたか?」

 正宗の言葉に甘寧は頷いた。正宗は一瞬目を細めるも直ぐに元に戻した。

「余が孫文台に敵意をいただいている場合を考えなかったのか?」

 正宗は甘寧に聞いた。甘寧は即答せず沈黙した。

「その可能性もございますが清河王は筋目を通せば寛大な対応をしてくださると思っております」
「筋目を通すなら、筋を通すはお前ではなく孫文台の方であろう。違うか?」
「そのこと平にご容赦の程お願いいたします。孫文台様が追うべき罪を私が負います」

 甘寧は平伏の体勢のまま額を地面に擦りつけ必死に許しを請う。その姿を正宗はしばし凝視していた。

「孫文台が追うべき罪をお前が背負えるわけがないだろう。太守と有象無象のお前では立場が違う。お前に負えるものではない」

 正宗は厳粛な態度で厳かに答えた。

「そこを伏してお願いいたします。どのような罰でも私がお受けいたします」
「ここまで余を虚仮にするとは孫文台の評価は修正せねばならないな」
「そこを伏してお願いいたします」

 甘寧は正宗に対しひたすら額を地面に擦りつけ許しを請う。

「甘興覇、どんな罰でも受ける覚悟があるというのだな」

 正宗は甘寧に対して怒っている様子はなかった。

「はい」

 甘寧は低い声で正宗に返事した。その態度から覚悟はしていることは正宗にも泉にも理解できた。だが泉はそれでも怒りが収まらない様子だった。

「甘興覇、孫文台の元を去り私に仕官しろ」

 甘寧は顔を上げ驚いた表情で正宗を見た。正宗は神妙な表情で甘寧を見ていた。

「もう一度言う。甘興覇、孫文台の元を去り私に仕官しろ。それでお前の主人の罪を聞かなかったことにする」
「申し訳ございません。お受けできません」

 甘寧は平伏したまま正宗の申し出を澱みなく拒否した。その声音から強い意志を感じられた。

「どんな罰でも受ける覚悟があると言ったのは偽りか?」
「滅相もございません」
「では私に仕官しろ」

 甘寧は正宗に何か言いたそうだったが口を噤んだ。ここで正宗に意見することは彼女にとっても孫堅にとっても良い結果を招かないと感じたのだろう。正宗は平伏する甘寧を凝視した。

「孫文台に忠義立てのつもりかもしれないが、お前は既に主人を裏切っているということを自覚しているのか。この件が漏れればお前は孫文台の元を去らねばならなくなるかもしれないぞ」
「それでも出来ません。孫文台様の元を去る覚悟で申し上げています」

 甘寧は正宗の提案を拒否した。正宗は甘寧を見つめながら思案している様子だった。

「では私の女になれ」

 正宗は唐突に言った。泉は両目をこれでもかと見開き驚いた表情で正宗の方を向いた。甘寧は沈黙したしたままだったが彼女は緊張した様子だった。甘寧は正宗の意図が読めない様子だった。

「それでお許し願えるのでしょうか?」

 甘寧は躊躇するも固い声で正宗に訊ねた。彼女はどうしても正宗から免罪を引き出したいようだ。正宗は目を細め甘寧を凝視した。

「孫文台の罪を不問にすること約束する」

 正宗は神妙な表情でゆっくりと答えた。

「お受けいたします」

 甘寧は逡巡するも平伏したまま固い声で正宗の条件に応じた。正宗は甘寧の返事を聞くと溜息をついた。その様子を見ていた泉は安堵の溜息をついた。正宗が甘寧を本気で妾にする気がないことを理解したのだろう。

「甘興覇、そこまでして孫文台に何故義理立てするのだ?」

 正宗はしばし甘寧を様子を窺った後に口を開いた。

「私のような者を拾って貰った恩があります」

 甘寧は淡々と答えた。正宗は聞き終わると瞑目した後、しばらくして再び溜息を着いた。

「止めだ! 止めだ!」

 正宗はいきなり投げやりな大きな声を上げた。泉も甘寧も驚いて正宗のことを見た。

「甘興覇、お前の覚悟は十分に分かった。先ほどの話は無しだ。身を差し出さずともいい」

 正宗は甘寧を労わるような表情に変わると言った。

「お前の忠義に免じて孫文台の件は不問にしてやる。その褒美は受け取って置け」

 正宗は笑みを浮かべ甘寧の面前に置かれた台座の上にある布袋に視線を向けた。

「ですが」

 正宗の言葉に戸惑っている甘寧を正宗が制止した。

「余に恥をかかすな。褒美として一度出した物を返せと言っては余の立つ手がない。それはお前の忠義を報償するものだ」

 正宗が「さっさと受け取れ!」と手仕草をするのを見て甘寧は台座の上の布袋をしばし凝視した後受け取った。

「甘興覇、お前の主人の罪を見逃す代わり余と約束せよ。今日あったことは他言無用ぞ。孫文台は勿論のこと孫仲謀にも言ってはならん。お前は真実を語らず褒美を受け取った。よいな? 約束できるか?」

 正宗は甘寧に優しい声音で言った。彼は甘寧のことを思って告白した事実を無かったことにしようとしているのだろう。

「有り難いお言葉ですが文台様に顔向けできません」

 甘寧は気落ちした声で正宗に言った。彼女の中では孫堅の元を去ろうと考えているように見えた。

「主人のためを思ってのことだろう。ならば今日のことは忘れよ。そして、明日からは主人のために尽くせ。これより襄陽城攻めが控えている。お前は孫家を見捨てるつもりか?」

 正宗は甘寧を諭した。甘寧は黙って正宗の話を聞いていた。

「お前が孫文台の元に戻らんというなら、このこと露見させることになるぞ。それでもいいのか? 孫文台は面目を失い荊州の豪族達の笑い者になるだろう。そして、太守の座も追われるでろうな」
「それではお約束と違います!」

 焦った甘寧は顔を上げ正宗に訴えた。

「私はお前の忠義に免じて孫文台を許すのだ。お前が孫文台の元を去るなら許す意味がないだろう。この私を謀った罪と褒美を不当に得ようとした罪で孫文台から長沙郡太守の官職を罷免する。全てはお前次第だ。お前はどうするのだ?」
「清河王はそれでよろしいのですか?」

 困惑した甘寧は正宗を窺うように言った。彼女は正宗の申し出があまりに自分に都合がいいので何かあるのではないかと勘ぐっているようだった。

「良い。この場にいるのは余と泉とそなただけだ。泉は誰にも喋らん。お前が口を噤めば丸く収まるのだ」
「ありがとうございます!」

 甘寧は心底感謝しているのか正宗に平伏すると感極まった声で礼を述べた。

「益州牧・劉君郎殿の件で困ったことがあれば頼るがいい。力を貸そう。私が荊州を離れてた後は袁公路を頼れ。全て話を通しておこう」

 甘寧は心底驚いた表情で正宗を見ていた。甘寧は益州で罪を犯し劉焉から命を狙われている。その彼女を劉焉から守ることを正宗が非公式ながら明言したのだ。彼女と正宗が出会った直後、正宗は劉焉との争いを嫌煙していたのだ。彼女の驚きも当然のことだろう。

「何故ですか?」

 甘寧は正宗に聞いた。

「お前が死んでは惜しいと思っただけのこと。それでは理由にならんか?」

 甘寧は感動した様子だった。



 甘寧は正宗に感謝してたようで何度も正宗に礼を述べて去っていた。彼女が去ると泉が正宗に駆け寄った。

「正宗様、お戯れがすぎます!」

 泉が正宗に不満を言った。

「確かに戯れが過ぎたな。以後気をつける」
「そうしてください。心臓が止まりそうでした」

 困った表情をした泉は正宗に言った。

「邪な考えを抱く女が正宗様に同じ手で近寄ってきたらどうされるのですか?」
「このようなことはそうそうやるつもりはない。今回のことで孫家に種を蒔くことはできた。不和という種をな」

 正宗は笑みを浮かべた。

「泉、甘興覇をどのような人物と見た」
「意外に恩義に厚い人物だと思いました」
「甘興覇は元々益州に侠として生きていたのだ。侠にとって義理は蔑ろにするのは心情的には許せないだろうからな。だが口だけの侠もいる。だから甘興覇を揺さぶったのだ。あの様子なら私から受けた恩を忘れることはないだろう。いずれ役に立つかもしれん」

 正宗は泉に自分の考えを説明しだした。

「深いお考えがおありだったのですね」

 泉は得心したように何度も頷いていた。

「それに甘興覇は孫仲謀に近い存在のようだしな。私に恩を感じる者が孫仲謀の側にいることはよいことだ」
「しかし、甘興覇の忠義は孫文台に対するものではないでしょうか?」
「そうだろうな。だが私への恩も無碍にはしまい。甘興覇がここ荊州まで逃げてきたのは益州に生きる場所が無かったからだ。それを救った孫文台に恩を感じるのは当然のことだ。だが、甘興覇も日頃から劉君郎殿の存在のことを懸念したはず。それを私が払拭することを約束したのだ」
「なるほど。正宗様のお力なら益州牧の動きを抑えることが可能です。孫文台ではせいぜい刺客を実力行使で排除するくらいしかできませんからね。ですが益州牧と争うことになりますがよろしいのですか?」
「構わない。荊州を切り取れば次の標的は益州になる」
「しかし、甘興覇が正宗様に恩義を感じても孫文台への忠義を優先する可能性が高いのではありません?」
「恩を売るとはそういうものではない。恩を着せたことをいつまでも忘れず、それを返させることに固執しては相手の信頼を得ることなどできん。別に甘興覇が私のために何かせずともいい。孫家内に私に対し恩義を感じるものがいることが重要なのだ。いずれそれが不和の種になるかもしれない。今はそれで十分だ」
「正宗様、後学になりました」

 泉は正宗の考えに感嘆した様子だった。

「しかし、今回のことは戯れが過ぎた。今後は言動には気をつけることにする。心配をかけすまなかったな」

 正宗は泉の様子を見て反省したのか泉に謝った。

「いえ、そのようなこと。正宗様の身辺を警護することは私の勤めにございます」
「これからもよろしく頼む」

 正宗は泉に笑顔を向けた。 
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