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相模英二幻想事件簿

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山桜想う頃に…
  Ⅱ 同日 PM1:48



 それは実に見事な山桜だった。改良された桜よりも花弁が小さいが、その愛らしさたるや、見る者を魅了して止まないだろう。
 私達は間近と言うよりは、山桜からやや離れた場所へと腰を落ち着けた。そこには趣のある小屋があったが、その壁は四方を取り外せるようになっていて、桜庭さんが到着早々に全て取り外してくれた。花を愛でられるよう設計されているようだが、近くにも数本の山桜が植えられていた。恐らくは、いずれこの周囲も山桜で一杯にするのだろう。
 だが、近くで見るよりも寧ろ、やや離れて見る方が美しく思え、私はその小屋から見る景色に目を奪われていた。
「全く…ここから見る景色は絶景ですね…。山桜もさることながら、下の町並みも風情があって良いですし。」
 山桜と山から見える町並みを眺めながら、藤崎は桜庭さんへと言った。桜庭さんはそれの感想が嬉しいらしく、誇らしげにこう返した。
「そうなんですよ。町の大半は田畑ですが、この土地に残された家屋はどれも古くから継承され続けたものばかり。見ていると安堵出来ると言いますか、時間を忘れてしまうんですよね…。」
「そうですねぇ…。穏やかな気分にさせてくれる気がします。旧き善き時代が、まるでそのまま現代へと続いているような…。」
 藤崎は桜庭さんの言葉に、そう言って相槌を打った。すると、今度は亜希が揶揄うように藤崎へと声を掛けたのだった。
「あらぁ…藤崎君がそんなノスタルジックな人だったなんて思いもしなかったわ。」
「亜希さん?俺は三百年も前の音楽を専門にしてるんだよ?それこそノスタルジーの宝庫じゃないか!」
「あら、ノスタルジーって郷愁って意味よ?藤崎君、三百年も生きてるの?」
「あのねぇ…。」
 眉をピクつかせながら亜希を見る藤崎に、私も桜庭さんも吹き出してしまったのだった。
 暫くは話をしながら景色を堪能しているうちに、あっという間に陽も陰り始めた。そうして酒も肴も無くなった頃に、見計らった様に女将自らが夕食を運んできてくれた。
「宿を空けて大丈夫なんですか?」
 私は心配になって女将に聞くと、女将は笑ってこう返したのだった。
「ご心配には及びませんわ。主人も仲居頭の星山さんも居りますし、そう長い時間空ける訳でも御座いませんので。」
 そう言いながら女将は私達の前へと夕食を並べてくれたが、これがまた豪勢なものばかりで、私達を驚かせるには充分だった。そんな私達の表情を見て、女将と桜庭さんはしてやったりといった風に顔を見合せて笑ったのだった。
「これが当旅館の自慢なんですよ。どの様なお客様も、この料理を並べた時には驚かれます。板前である染野が立案致しまして、安い食材で良いものをと。そして見映えも鮮やかであれば、きっとお客様もお喜び頂けるのではないかと。」
「はぁ…染野さんという方は、凄い腕の持ち主なんですねぇ…。」
 私が料理を見ながら感心して言うと、今度は桜庭さんが口を開いたのだった。
「ええ!染野さんは京都の老舗料亭で働いていたんですから。でも、数年前に彼の母が病気で倒れた時、この町に帰ってきたんですよ。女将さんは染野さんの腕をただ錆びてゆくのを放っておけないと考え、旅館の厨房にとスカウトしたんです。」
 私は驚いた。確かに、この料理はどれも素晴らしいものばかりだが、女将自らスカウトしに行くものなのか?それも話だけで?
「女将さん…もしかして、染野さんの料理をスカウト以前に召し上がったことが?」
 私は女将にそう尋ねると、女将は笑って答えた。
「勿論です。実を申しますと、染野は私の遠縁なんです。曾祖父の弟の曾孫にあたりまして、彼が京都の料亭に入ったと聞いた時、直ぐに客として行きました。」
「あれ…?女将さん、東京のご出身じゃ…。」
 何だか変な気がした。染野さんは確かこの町に母がいて、それで帰ってきたはず…。なのに、女将の話はその染野さんと以前から知り合いだった風に話してるのだから、こちらはチンプンカンプンだ。
「あら、これは失礼致しました。私の母と染野の母は知り合いでして、大学からの付き合いだと聞いております。そのため互いに結婚式にも招きあい、ずっと連絡を取り続けてたんです。」
「なるほど…。」
 これでやっと話が見えてきた。しかし…縁ってのは不思議なもんだと思う。まさか、友人が自分に縁のある人物と結婚するなんて思わないしな。
「やだ、私ったらこんなことをお客様に話すなんて!さぁ、冷めないうちに召し上がって下さい。」
 女将は恥ずかしげに頭を下げて言った。私達もそれ以上聞くのもどうかと思い、「それでは、頂きます。」と言って料理に手をつけたのだった。
 料理は見栄えもさることながら、味も絶品だった。何と言うか、素朴ながら素材本来の味を生かし切り、そこに作り手の思いが垣間見れる料理と言うべきか?
「女将さん。この夕食を食べれただけで、この旅館に泊まったかいがありますわ。」
 珍しく、亜希が他人を誉めた…。明日はきっと槍でも降るんじゃないか?
「あなた?今、失礼なこと思わなかった?」
「いいや!何にも思ってないぞ?」
 私が亜希の言葉に返しているのを見て、女将は笑いながら亜希へと言った。
「先の感想、染野に伝えておきますわね。」
 そう言い終えると、女将は「私はここで失礼させて頂きます。」と言って深々と頭を下げ、スッと立ち上がって出ていった。旅館に戻ったのだ。どうやら、後片付けは桜庭さんが一人でするらしい。
「そう言えば、桜庭さん。この櫻華山の話、続きを聞かせてもらえますか?」
 女将が帰ってから暫くすると、亜希が箸を止めて桜庭さんへと言った。そうだった…酒と夕食に気を取られ、すっかり忘れるところだった…。
「英二…。お前、さては忘れてたな?」
 私の反応を察知してか、藤崎はニタリと笑みを溢しながら言った。なんて嫌な表情だ…。
「ほっとけ!京も同じだろうが!…で、桜庭さん。この山桜ですが、どうして増やしたかったんです?別に他の根付きやすい品種でも良かったと思うんですけど。」
 私がそう問うと、桜庭さんは少しずつ話始めた。
「実は、この山桜を増やす試みは、没落以前から行われていたようなんです。江戸後期…とは言っても明治に入る頃ですが、当時の主がこの山を古文書にあるような山にしたいと願ったのが始まりなようです。」
 桜庭さんは私達に酒を勧めながら話してくれたが、要約して説明しておこう。
 彼の話によると、当時の主、栄吉が蔵に保管されていた古文書を整理していた時、ふと山桜の話が目にとまったと言う。そこには山が桜に覆われて、それは美しい光景だったと記されていたのだが、その頃には既に、肝心の山桜は老木三本を残すのみだった。栄吉は何とかそこから増やせないかと、手紙を書いて各地の植木職人に送って協力を仰いだ。それに答え、四人の職人が栄吉の元へと駆けつけたが、その中の一人に堀川宗彌と言う人物がいた。
 この人物、実は貴族の出身であり、趣味が高じて植木職人の肩書きを得たのだった。その堀川が老木から八本増やすことに成功し、喜んだ栄吉は、この山に名前をつけることを堀川に任せたのだと言う。その名が今に伝わる“櫻華山"なのだ。
 その後のことだが、堀川は自分の娘を栄吉の息子に嫁がせ、当時は姓を山下と名乗っていた栄吉に、自分と同じ堀川の姓を名乗ることを許したとか…。なぜ宗彌が自分の娘を位の低い家へ嫁がせたかは謎で、どの古文書にもその経緯は記されていなかった。そもそも、栄吉と堀川宗彌はそこまで親密な関係ではなかったようで、山桜を増やして以降、何年も顔を合わせてすらないらしいのだ。なので、この話は後世に作られた話である可能性が高いという。
 だが、元来山下と名乗っていたものが、途中から堀川姓に変わったことは事実だ。しかし、それは栄吉の死後のことで、栄吉自身には直接関係が無い。
「それでですね、今から十年ほど前に見つかった古文書によると、次の当主になった息子の兼吉が堀川宗彌の娘に一目惚れしたようで、何回も堀川の屋敷を訪ねていたことが書かれていたんです。」
「何回も…ですか?その娘は、兼吉のことを嫌っていたんじゃ…?」
 桜庭さんの話に、ふと亜希がそう口を挟んだ。
「そうみたいですね。でも、そう思っていても直接的には言えなかったようで、父である宗彌も頭を抱えていたみたいなんです。」
「そんなの…初めから断ってれば済むんじゃないのか?」
 今度は藤崎が口を開いた。ま、確かにそうなんだが、相手が悪かったんだろうと私は思った。何せ、ここ一帯を所有していた山下家は、かなりの資産を有していたに違いない。いくら貴族でも、当時の貴族の大半は貧乏だったに違いないのだ。それを考えると、宗彌がどれ程悩んだかが窺える。しかも、山桜を増やす一件では、栄吉からかなりの褒賞を受け取っていた筈だし、その息子を初めから拒否することは出来なかっただろう。別人であったなら、きっと直ぐ様断ったはずだ。
「当時の山下家は、かなりの資産家だったと聞いています。多くの権力者とも面識があったようですし、貴族である堀川も、うっかりしたことは言えなかったようですね。でも、兼吉はそれを承知の上で、三年も堀川の家を訪れては娘に想いを伝えていたそうです。それで娘も根負けして、兼吉を受け入れたみたいですよ。まぁ…それでも、二人の間には男子二人、女子三人の子供を授かってますから、強ち悪い結婚だったとは言えないかも知れませんねぇ。」
「そりゃ…三年も想い続けてくれたんだったら、信じて良いかなって思うんじゃない?この人ならって。」
 亜希は一人で何か納得しているようだ。だが、藤崎は何か腑に落ちないと言った風に口を開いた。
「でもさ、三年も返答を拒み続けたんだったら、さすがに諦めんのが普通じゃないか?」
「京…お前なぁ…。」
 私達が憶測し合っている前で、桜庭さんは苦笑いしているしかなかった…。ま、この話はここで切り上げた方が良さそうだと考えた時、ふいに桜庭さんはその後のことについて語り始めた。
「まぁ、その話については置いておくことにしまして…。二人の子供の話も伝わっているんです。実は、家を継いだのは次男なんです。長男はこの櫻華山で事故死したため、次男が継ぐことになったんですよ。ですが…その長男の死は、次男が仕組んだんじゃないかって話もあるくらいで…。」
 何だかキナ臭い話になってきたなぁ…。まぁ、それなりの資産家なんだから、そういうことがあっても不思議じゃないが…。
「まさか…長男が事故死した場所って…」
「いやいや、その場所はこの山の裏側です。そこにも弔いのために、何本も山桜が植えられています。一応、代々の墓所もこの櫻華山にありますから。」
「え…代々の墓まで…。」
 私は何だか嫌な感じがしたが、藤崎は笑いながら私に言った。
「別に何かあるわけじゃなし、とっくの昔に終わったことだって。」
 その藤崎の言葉に、亜希も「そうよ!楽しまなくっちゃね!」と言って笑っていた。
 確かに…こんなに美しい景色を前にして、楽しまなくては損と言うものだな。桜庭さんも「こんな話、申し訳ありませんでした。」と言って、亜希や藤崎に酒を勧めていた。
 だが…こうしている間にも、旅館では小さな種火が燻り始めていたのだ。桜庭さんが語ってくれた昔話が、遠い歳月を飛び越えて、この現代へと刄を向け始めていたのだ。

 まさか…自分達がその渦中へと巻き込まれてしまうとは、この時は想像だにしなかった…。



 
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