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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第二十話 それぞれの戦後(その2)

帝国暦487年  1月27日  イゼルローン要塞  ゼーレーヴェ(海驢)  フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー



「乾杯だ、ベルゲングリューン」
「何に乾杯する」
「先ずは生きて帰れたことだな」
「そして勝利に」
「うむ」

お互いグラスを掲げ一息にワインを飲む。口中に柔らかな渋みが残った。ベルゲングリューンが満足そうな笑みを浮かべている。生きている、そんな思いがした。互いに空になった相手のグラスにワインを注ぎ合った。

イゼルローン要塞の高級士官クラブ、ゼーレーヴェ(海驢)は微かなざわめきに満ちている。戦いに勝った所為だろう、何処となく浮き立つような華やかな雰囲気だ。彼方此方で俺達と同じようにグラスを掲げ乾杯する姿が見える。やはり戦争は勝たなければならない。もし負けていれば誰かの弔いのためにグラスを掲げていただろう。切なく辛い乾杯だ。

「良く生きて帰れたと思うよ、まして勝ってここに戻って来られるとは……」
「同感だな、ビューロー。何しろ相手は五万隻の大軍だからな」
「ああ」

相手が五万隻と聞いた時には心臓が止まりそうな思いがした。同時に死ぬことは無いだろうとも思った。二倍以上の兵力を持つ敵なのだ、撤退しても誰も非難はしない。そんなことが出来るのは小学生レベルの算数が出来ない奴だけだ。馬鹿を相手にすることは無い。

ブラウンシュバイク公も無理はしないと言っていた、いざとなれば撤退すると……。だから素直に撤退するのではないかと思ったがそうではなかった。何度も何度も反乱軍を挑発し勝機を探った。反乱軍が耐えられなくなるまで我慢する、そして勝機を探る……。無理をしないと言うのは勝算のない戦いはしないという事だ。勝つための努力をしないという事ではない。

「それにしても駐留艦隊を利用するとは……」
「反乱軍はこちらが要塞攻防戦に持ち込むと思っていたのだろうな。俺だってそう思っただろう、要塞攻防戦なら多少の兵力差など意味が無い」
「うむ」
ベルゲングリューンが髭をしごきながら頷いている。どうやら御機嫌らしい。

公が撤退するのは公自身が勝機が無いと判断した時だけだ。それは兵力の多寡だけで決まるものではない。公は両軍の兵力差を縮め、相手を騙し、奇襲を成功させた。最終的には兵力差は殆ど意味の無いものになっていた。確かに公は無理をしていない。戦いが終わった後ならそう言えるだろう。だが、あそこまで勝利を追い求められるものなのか……。

公爵家の養子として勝たねばならない戦いだった。勝つ事を義務付けられた戦いだった事は分かっている。だからこそ公の才気よりもその執念に圧倒される思いだ。公爵家の当主に求められる物の大きさとはその執念無しには得る事が出来ないのだろう。俺には到底出来ない……。

公爵家の養子になった事を幸運だと言う人間もいるだろう。だが幸運だと言う人間はその求められる物の大きさを知らない。それを知れば幸運と言うよりも苦行だと言うに違いない。指揮官席でじっと勝機を探る姿は勝利を得るためにもがき苦しんでいるように思えた……。

「見事なものだ、何度考えてもそう思うよ。良くあの状況から勝利を見つけたと……」
「同感だな。俺には出来ん。卿なら出来るか、ベルゲングリューン」
「それが出来るならもっと出世しているさ」
違いない、今頃は一個艦隊でも率いているだろう。二人で顔を見合わせて笑った。俺達は声を上げて笑う事ができる、だが公には出来ないだろう、おそらくほろ苦く笑うに違いない……。

あの最後に開かれた作戦会議、そこでの公の言葉。今も鮮烈に覚えている。
“相手の予測通りに動いて勝てるのは戦略的に圧倒的な優位を築いた時だけです。そうでなければ勝つのは難しい、相手も馬鹿ではありませんからね。まして我々は戦力的に劣勢な状態にある。相手の予測通りに動いては勝てません。相手の予測通りに動いていると見せかけて意表を突く必要が有ります”

相手の別動隊を撃破する、或いは後退してイゼルローン要塞攻防戦に持ち込むべし、そう主張する参謀達に穏やかな表情でイゼルローン要塞駐留艦隊との挟撃案を提示した。そして一時的にワーレン、ルッツ両艦隊を分離し駐留艦隊に預ける事で反乱軍の目を欺いた。

反乱軍は我々が後背に現れるまで眼前の敵が駐留艦隊だとは思わなかっただろう。我々に後背を突かれた時は愕然としたはずだ。何故こうなったと……。戦いというのは心理戦という一面がある。相手の心理をいかに読んで戦うか……。今回の戦いはまさに心理戦の占める部分が大きかった。それによって帝国軍は兵力の劣勢をひっくり返した。

「これで元帥に昇進か……」
「そうだな、あの時のヴァレンシュタイン少佐がブラウンシュバイク公で元帥閣下だ。世の中、何がどうなるか分からんな」
「全くだ」
ベルゲングリューンが困惑したような表情をしている。気持ちは分かる、俺も同じ想いだ。ベルゲングリューンが声を潜めてきた。

「俺達を嫌っているのかと思ったがそうではない様だな、ビューロー」
「うむ、そんな感じだな」
「今思えば大人げない事をしたと思うが……」
「あの当時は余裕が無かった。特別扱いされる公に反発もしたのかもしれん」
「うむ」

顔を見合わせて苦笑した。昔の想い出だ、帝国歴四百八十三年の暮れ、第三百五十九遊撃部隊での出来事。あれから三年だ、時が経つのは早かったのか、それとも遅かったのか……。俺やベルゲングリューンにとっては決して早くは無かった。しかし公にとってはあっという間ではなかったか、それほどまでに変転が激しい。

「それより俺達も准将に昇進だ。閣下と呼ばれることになるぞ、ビューロー」
「ああ」
「その事にもう一度乾杯しよう」
「良いだろう」
互いにグラスを掲げた、そして一息に飲む。美味い、勝利と気の置けない友人、今日はとことん楽しめそうだ……。



帝国暦487年  1月27日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸     オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク



「今戻ったぞ」
「お帰りなさいませ、お父様」
「お帰りなさいませ」
宮中から屋敷に戻ると娘と妻が出迎えてくれた。それ自体は珍しい事ではないが二人とも浮き浮きとしている。ここ最近は無かった事だ。

居間に行きソファーに座ると早速二人が正面に座った。そして弾むような声で話しかけてくる。
「エーリッヒが勝ったのですって」
「お父様が宮中に行かれた後、エーレンベルク元帥から報せがあったのよ」
二人とも小さな子供のようだ、思わず笑いが漏れた。

「うむ、五万隻の反乱軍を破ったらしい。見事なものだ」
わしの言葉に二人は驚いたような顔をしている。
「何だ、聞いてはおらんのか」
「勝ったとしか……、ねぇ」
妻と娘が顔を見合わせて頷いた。どうやら軍務尚書は詳しい事を話さなかったらしい。

「反乱軍は五万隻の大軍だったそうだ」
「五万隻……」
「それでエーリッヒ様は」
「うむ、イゼルローン要塞の駐留艦隊と協力して挟み撃ちにしたそうだ。反乱軍は大きな損害を出して撤退した。大勝利だな」

“凄いわ”、“本当ね”、二人が喜びの声を上げている。随分と心配していたからな、その分だけ喜びも大きいのだろう。
「エーリッヒ様は何時頃お戻りになるのかしら」
「そうだな、イゼルローン要塞で補給や艦の修理をしなければならんだろうから……、ざっと二ヶ月後かな」

わしの言葉に娘ががっかりした表情を見せた。
「二ヶ月も先なの……」
「そんな顔をするな、エリザベート。戦争は終わったのだ、あとは帰って来るだけだからな」

いかんな、納得したような表情ではない。
「それより帰ってきたら忙しくなるぞ、エーリッヒは元帥に昇進だからな。元帥杖の授与式、戦勝式典も有るが、当家でも祝賀パーティをしなければなるまい」

「エーリッヒは嫌がりますわね」
「まあ、そうかもしれんな」
わしと妻の会話にエリザベートが笑い声を上げる、妻もわしも唱和するように笑った。

笑い終えると娘が妻に何事か囁いて席を立った。居間を出る直前に“お母様、お願いね”と言う。はて、今のは娘がわしに直接頼み辛い時にやる癖だが……、妻に視線を向ければ苦笑を浮かべている。

「何かわしに頼みごとか?」
「ええ、ちょっと」
「何だ、一体」
問い掛けると妻の苦笑が更に大きくなった。

「エーリッヒと正式に婚約したいんですって」
「婚約?」
「エーリッヒは養子であって婿養子ではないでしょう? 他の人に取られたくないそうよ」

妻は可笑しそうに笑みを浮かべている。
「冗談か?」
「いいえ、本当の事」
「焼き餅か?」
「ええ」

焼き餅? エリザベートはまだ十五だろう。それなのに焼き餅? わしが唖然としていると妻が話しかけてきた。
「あなた、エリザベートはもう十五よ。焼き餅だって焼きます」
「そうなのか? エリザベートはまだ子供だろう」

妻が笑った。呆れた様な顔をしている。どうせ女心が分からないとか言い出すのだろう。その通りだ、女子供の考える事はさっぱり分からん。
「先日の舞踏会ですけど、グリューネワルト伯爵夫人がエーリッヒと話をしていたでしょう。伯爵夫人はいつもは挨拶だけで殆ど喋らないのに」
「……」

グリューネワルト伯爵夫人か……。動きそうになる表情を必死で抑えた。あの時はつい胸元に目がいってしまい、妻に酷く怒られた。機嫌を取るのにルビーのネックレスが必要だった程だ。リッテンハイム侯も同じだと言っていたな、侯はサファイアのイアリングだったとか……。別に触ったわけでもないのに何故そんなに怒るのか、理不尽ではないか。もしかすると宝石を買わせる口実かもしれん……。

「それに、エーリッヒがミューゼル大将を何かと贔屓にするでしょう。貴族の令嬢達の間ではそれをグリューネワルト伯爵夫人と結びつける者がいるそうですわ。特に先日のコルプト子爵の一件からは……」
「くだらん」

馬鹿げている。エーリッヒがあの金髪の小僧を贔屓にするのは彼を味方に取り込もうとしての事だ。伯爵夫人の事など何の関係もない。伯爵夫人がエーリッヒに声をかけるのもエーリッヒにあの小僧の事を頼もうとしての事だろう。或いはコルプト子爵の一件での礼も有るかもしれない。そういう意味ではあの二人の関係は極めて親密だが、政治的な物だ、恋愛ではない。

むしろ驚きはグリューネワルト伯爵夫人がそのような政治的な動きをした事だ。エーリッヒの将来性を買ったのか、或いは信頼できると踏んだのか、どちらにしてもこれからは伯爵夫人の動きにも目を配る必要が有る。危険視するわけではないが注意は必要だろう。

「分かっていますわ、貴方が何を考えているか。でも皆が噂している事は事実ですし、エリザベートとエーリッヒが正式に婚約していないのも事実です」
「ふむ」
確かに婚約はしていない。皇帝陛下よりエーリッヒの養子を認めてもらった事で婚約の許可が下りた、そういう認識だった。あえて婚約の発表はしなかったが……。

「どうされました、貴方」
「いや、なんでもない。……良いだろう、婚約を発表しよう」
「……」
妻がわしの顔を見ている。予想外の反応だったか……、だが婚約を発表するなら今だ。今がその時だろう……。

「いささか厄介な敵が現れた」
「厄介な敵?」
「うむ、フェザーンという厄介な敵がな……。どうやらフェザーンはエーリッヒを邪魔だと思っているようだ」

訝しげな顔をしている妻に今回の戦いでフェザーンが反乱軍の情報を故意に帝国に報せなかったと話した。そしてリヒテンラーデ侯の推測、フェザーンは我々の結び付きを危険視している。そしてエーリッヒを危険視している……。話が進むにつれ妻の顔が険しくなっていった。

「エーリッヒを養子に迎えたのは内乱を防ぐためであった。間違っていたとは思わん。実際に帝国は以前より遥かに安定している。我らも滅亡に怯える事もない。しかし対外的に見ればどうであろう、これまで有利に戦争を進めていた帝国が国内の不安定要因を解消した、より強力になった、そう見えたとしてもおかしくは無い」
話し終わると妻が溜息を吐いた。疲れた様な表情をしている。

「帝国、反乱軍の勢力均衡を望むフェザーンにとっては面白くない事態だと言うのですね」
「そうだ」
「それで要であるエーリッヒの失墜を狙った」
「その通りだ」
また妻が溜息を吐いた。

「婚約を発表しようと言うのは、エーリッヒの立場をより強めようという事ですのね」
「そうだ、そしてエーリッヒを守ると言う我らの決意表明でもある」
「……確かに今がその時かもしれませんわね。エーリッヒは宮中でも軍でも力を示しましたもの」

エリザベートが望んでいる。表向きはそれが理由になる。だが真実はフェザーンに対しての宣言であり帝国内の貴族に対しての威圧だ。エーリッヒはブラウンシュバイク公爵家の当主であり帝国元帥であり皇孫の婚約者であると改めて宣言する。

「どうせなら思いっきり派手にやりませんこと?」
「派手とは」
「宮中で戦勝祝賀パーティが開かれますわ。どうせならそこで発表し陛下から祝いの言葉を頂くのです。参列している皆が祝ってくれるでしょう……」
唖然とした。そんなわしを妻が面白そうに見ている。

「なるほど、宮中の公式行事に組み込むか……。ブラウンシュバイク公爵家の慶事ではなく帝国の慶事にしろと言うのだな」
「ええ」
「良いだろう。明日、リヒテンラーデ侯に話してみよう」
思わず笑い声が出た。あの老人も目を剥くだろうな、そして笑い出すに違いない、今のわしと同じように……。



 
 

 
後書き
イゼルローン要塞の高級士官クラブですけど『ゼーレーヴェ(海驢)』としました。はっきりとした資料は無いんですけど要塞には高級士官クラブが有っただろうという前提で書きました。 
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