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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第165話 復讐の顛末 後編2

 
前書き
蔡瑁登場です。次話は孫堅登場します 

 
 正宗は魏延を治療し二人の護衛をつけると残りの騎兵を率い朱里達と合流するため先を急いだ。朱里との合流地点に近づくにつれ、正宗は表情を険しくし周囲の気配を探るような視線を馬上から送っていた。その様子から正宗の後を追う兵士達は緊張した表情を浮かべながらも、正宗に遅れること無く付いてきていた。

 正宗が朱里達との合流予定地点に到着した時、周囲から剣撃の鳴り響く音とけたたましい怒声が聞こえてきた。既に戦闘中であることは分かった。正宗軍は敵兵を引きつけながら堅牢な守りで敵兵の攻撃を辛うじて防いでいたが一進一退の攻防を繰り広げていた。
 正宗は馬の走る速さを更に加速した。それに合わせ騎兵も加速させた。

「味方が押されているようだ。このまま突撃する」

 正宗は率いてきた騎兵達に命令を下す。彼を先頭に騎兵四千が整然とした布陣で敵集団の横腹を突きなだれ込んだ。その瞬間、敵兵に動揺が走る。敵兵の動きが鈍り右往左往するさまをあざ笑うように正宗と騎兵達は敵兵を鎧袖一触し走り抜けていった。
 突然の急襲による敵兵は隊列を維持できず蜘蛛の子を散らすように瓦解していった。その様子に守勢の正宗軍が呼応するように歓声を上げ、崩壊した敵兵に襲いかかりだした。戦局が一気に変化した瞬間だった。

 正宗は馬の速度を落とすと敵兵に対峙し、襲ってくる敵兵を馬上より双天戟を振り回し殴り殺した。その姿に怯む敵兵を見下ろし睨み付け、周囲を見渡した。

「余は車騎将軍・劉正礼である! どこの軍から知らぬが、これは官軍と知っての狼藉か!」

 正宗は刺すような殺気を周囲に放ち敵兵を睨み付けた怒声を上げた。彼の覇気に気圧された敵兵が震えながら槍を彼に向け構えていたが踏み出せずにいた。
 正宗と共に敵兵を蹂躙した騎兵達は正宗を中心に展開し周囲を警戒した。敵兵が近寄ろうとするが槍で刺し貫かれ絶命していく。次第に正宗に近寄ろうとする敵兵がいなくなった。
 その時、一本の矢が正宗に目掛けて飛んできた。正宗は難なく左手で受け止め、矢が飛んできた先を睨んだ。

「劉正礼――!」

 正宗の名を呼び捨てにし馬にのり突進してくる騎兵がいた。月明かりだけながら服装から正宗軍の兵士でないことはすぐに分かった。黒を基調にした軍装であったが上級武官に相応しい装備だった。その騎兵は正宗へ真っ直ぐに殺気を放ちながら突き進んでくる。そして、その後ろを追うように歩兵の集団が追ってきていた。歩兵の軍装も明らかに正宗軍の装備ではない。
 だが、あと一歩というところで正宗に迫ろうとする敵兵達は行く手を阻まれた。彼らを両側から押しつぶすように正宗軍の歩兵達が彼らに襲いかかってきたからだ。

「どけ! この下郎どもが!」

 騎乗する兵士は女の声で正宗軍の兵士達を罵倒し槍で殺していた。言葉使いから彼女がそれなりの身分であることが窺えた。

「蔡徳珪、正宗様には一歩も近づけません!」

 正宗軍の歩兵達に遅れて朱里が騎乗し正宗に駆けてきた。女騎兵は憎しみに満ちた目で正宗と朱里を睨み付けた。正宗は彼女が蔡瑁であると理解したのか一際険しい目で睨み付ける。
 正宗は三度刺客を送られた。一度目の暗殺目標は美羽だったと思われるが、その後の二度の刺客は正宗個人を狙うものだった。正宗も蔡瑁に遺恨があっても致し方ない。

「劉正礼がここに居ると言うことは奴らは蹴散らされたということか。所詮は食い詰め者ということだな」

 蔡瑁は正宗を忌々しげに口を歪め愚痴った。彼女の口振りから魏延が率いる別働隊が正宗によって撃退されたと理解したようだった。

「蔡徳珪、初めて対面するな。余に。いや皇帝陛下に何か申し開きがあるか?」

 正宗は蔡瑁の発した言葉に触れず、冷静な様子で蔡瑁に対して声高に言った。蔡瑁は彼の言葉を聞き終わると鼻で笑い睨み付けた。彼女の表情は心底不愉快な様子だった。

「申し開きだと?」

 蔡瑁は声を大にして笑うと血走った目で正宗を睨み付けた。正宗に向ける視線は仇に向けるそれと同じだった。

「我が一族を散々嬲った貴様に申し開きなどない! 倫陽の首を落とし、私に送りつけたこと私は未来永劫忘れぬぞ!」

 蔡瑁は怒りに震えながら正宗に叫んだ。

「余に落ち度はない」

 正宗は冷静な表情で蔡瑁を見た。

「落ち度がない?」

 正宗の言葉に蔡瑁は正宗を睨み付けた。

「お前の妹の死だけでなく、全てはお前が袁公路を暗殺せんとしたことが発端だ。余は降りかかる火の粉を払い除けただけのこと。それのどこに落ち度がある」

 正宗は平静な表情で蔡瑁に言った。

「だから何だ! お前が倫陽を殺したのは事実ではないか! そして、今は我が一族を滅亡させようと企んでいるではないか。このままでは済まさんぞ!」

 正宗は蔡瑁の弁解を聞き失望した表情を浮かべていた。

「お前のために死を選んだお前の妹が哀れでならん」

 正宗は悲哀に満ちた目で蔡瑁を見た。

「何だ? その目は? この私を馬鹿にしているのか? 許さんぞ! お前だけは絶対に許さん!」

 蔡瑁は正宗を睨み付けると、周囲を見渡し包囲の緩い部分を見つけると自らが騎乗する馬の横腹を蹴り勢いよく方向を変え一人離脱していった。蔡瑁の周囲にいた彼女の蔡瑁軍の兵子達はその様子を一瞬凝視して視線を動かしていたが、事態を理解したのか慌てて逃げ出した。彼らを行動を見た他の蔡瑁軍の兵士達も伝染したように逃げ出した。
 正宗軍の兵士達は撤退をはじめた蔡瑁軍の動きを攻勢と見て追い打ちを駆けようと動き出した。

「蔡徳珪軍を追うな!」

 正宗は馬を走らせ追撃に移ろうとする兵士達に命令した。すると正宗の声を聞きつけた隊長各の兵士達が揃って他の兵士達の動きを止めるべく動き出した。その様子を正宗は見ていたが、そこへ朱里が馬を近づけてきた。

「正宗様、ご無事で良かったです」

 朱里は安堵した様子で正宗に声をかけてきた。

「被害はどの程度だ?」

 正宗は朱里が側に来たことを察したのか、振り向かずに朱里に声をかけた。彼は自軍の様子を観察し被害状況を確認しているようだった。

「正宗様の機転で兵を帰していただいたことで被害は軽微ですみました」

 朱里は拱手し正宗に報告した。正宗は満足そうに頷いていた。

「桂花は無事か? それと私の送った騎兵達も無事か?」

 正宗は矢継ぎ早に朱里に質問した。

「桂花殿は無事です。騎兵達は桂花殿が伊斗香殿の元に後詰めとして送りました」

 正宗と朱里が会話をしていると騎乗した桂花が現れた。服装は整然として、怪我をしている様子はなかった。

「正宗様、ご無事で何よりでございます。朱里殿も」

 桂花は安堵した表情を浮かべて二人に声をかけた。

「桂花も無事のようだな。孫仲台と呉黯奴は伊斗香の元に送ったそうだな」
「はい、彼女達には伊斗香殿の後詰めとして差し向けました。ここを襲撃された以上、蔡一族が逃亡した先にも別働隊が待ち構える恐れがあると思いましたので。勝手な行動をし申し訳ありませんでした」

 桂花は正宗に拱手し報告した。

「気にする必要はない。機転を利かせ指示を出してくれて助かった」

 正宗は桂花を褒めると視線を朱里に向けた。

「蔡徳珪は撤退していったがどうする? 予定通りこのまま見逃すのか?」
「それで良いかと。今回の蔡徳珪軍の襲撃の兵数からして、主力はまだ襄陽城に控えているでしょう」

 朱里を口元に指を当て考えながら答えた。

「ところで正宗様が相手をした蔡徳珪軍の別働隊はどうなされてのですか?」

 桂花は正宗に質問した。

「一人だけまともな者もいたが、残りは雑兵というにも憚るような烏合の衆であった。二度騎兵による突撃を行い陣列を崩壊させたらあっという間に逃げ出していった」
「北東から南下してきた敵兵は最初から捨て駒だったということですね。目立つように数だけ揃えたということでしょうか。私達の方へ襲撃してきた蔡瑁軍は正確な数は分かりませんが三千程度でした」

 桂花は蔡瑁に裏を搔かれたことが悔しいのか眉間に皺を寄せた。

「桂花殿の推測で間違いないでしょう。蔡徳珪も『所詮は食い詰め者』と独り言を言っていました。しかし、彼女への対応方法は修正する必要があります。傭兵とはいえ、こうも悪戯に兵を損耗する手法を平然と取る人物だったとは」

 朱里は蔡瑁の用兵に困惑しているようだった。

「朱里殿、そう何度も使える手ではないと思います。蔡徳珪は自らが率いる兵は直参で固めているようでした。それでも我が軍の兵士の練度とは比べるまでもないですが」

 朱里は桂花の話を聞くと納得したように頷いていた。

「まさかとは思うが、蔡徳珪が暗殺者をこの近辺に残していったやもしれん。不審な兵士がいないか速やかに確かめておいてくれ。私は伊斗香達を追う」
「かしこまりました」

 朱里と桂花は揃って正宗に拱手し去って行った。それを確認すると正宗は少数の騎兵を供回りとし馬を走らせた。



 正宗が蔡瑁軍の襲撃を蹴散らした頃、伊斗香と蔡平達は騎兵五十騎歩兵二百を率い逃亡した蔡一族を追っていった。ここまで来る間に足の遅い老人や子供とその母親は彼らによって殺されていた。残るのは蔡平の父を含めた数名の男達だけだった。

「いいか! 見つけ次第殺せ! 決して逃す出ないぞ!」

 伊斗香は険しい表情で部下達に叱咤し、蔡平に視線を向けた。蔡平は馬術の心得がないためか歩兵を引き連れ走って移動していた。

「蔡平、お前も覚悟をしておけ。手柄を他の者に奪われるやもしれんぞ。お前の引き連れる歩兵に手分けして探させるのだな」

 伊斗香は厳しい表情で蔡平に言った。暗に蔡仲節に復讐したいなら早く見つけて殺せと言っていた。蔡平も彼女の言葉の真意を汲み取り慌てて彼女に駆け寄った。

「あいつは私に殺させてください!」

 蔡平は伊斗香に必死に訴えた。

「甘ったれるな!」

 伊斗香は蔡平を睨み付け蔡平に怒鳴った。

「蔡仲節に復讐したくば自分で奴を見つけさっさと始末しろ! それが出来ないというならお前に運が無かっただけのことだ!」

 伊斗香は蔡平を一瞥すると部下に声をかけて先を急ぐように馬を走らせた。その後ろ姿をしばし見ていた蔡平だったが、剣を握る手に力を込め月光が射す夜の街道に視線を向けて走り出した。少し進んだところで蔡平は部下の兵士達に蔡仲節を探すように命令を出し別行動をとった。



 蔡平は夜陰に目を懲らし血眼で蔡仲節を探していた。すると風がないにも関わらず葉擦れの音が背後から聞こえた。彼女が音の聞こえた方角が視線をやると、そこには木々が密集し草が生い茂っていた。彼女は剣を構えゆっくりと近づいていった。

「出て来い!」

 蔡平は警戒した様子で叫んだ。また、草擦れの音がしたかと思うと人影が背を向けて走って逃げ出した。背格好から見て成人した男であることは間違いなかった。蔡平は男を追いかけた。
 しばらくして男は足を地上に露出した木の根に足を引っかけ無様に転けた。蔡平が見逃すわけもなく、じりじりと警戒しながら男との間を詰めていった。

「待て!」

 男の顔が月明かりで照らされた。蔡仲節だった。彼は衣服は言うに及ばず顔も泥と土で汚れていた。彼は土で汚れた手で自分の顔の汗を拭い緊張した面持ちで蔡平を見ていた。
 蔡平は蔡仲節の顔を確認すると憎悪に満ちた瞳で睨み剣を正眼で構えた。彼女から溢れ出る殺意に蔡仲節はたじろいだ。

「貴様! 丸腰の私を殺す気か!」

 蔡仲節を悲鳴染みた声で蔡平に怒鳴った。蔡平は蔡仲節の情けない姿に軽蔑した表情になるが直ぐに睨んだ。

「だから何だ。母さんは病気で死んだ。お前は無抵抗の爺さん婆さんを殴り殺したじゃないか!」

 蔡平は平静を装い蔡仲節を非難したが、最期には怒りが抑えることが出来なかったのか声を荒げ瞳から憎しみの涙を流した。

「老いぼれどもが死んだのはお前が儂を殺そうとしたからだろうが! この私が何故責められなければならない!」

 蔡仲節は逆切れし蔡平を罵倒した。彼の中では蔡平は血が繋がっていようと娘ではないだろう。

「うるさい」

 蔡平は低い声で蔡仲節を制止すると、彼女は剣の握りを強く握りしめ蔡仲節に目掛け振り下ろそうとした。蔡仲節は咄嗟に地面の土を蔡平に目掛けて蹴り目つぶしした。
 蔡平は咄嗟のことでたじろぎ動きが鈍る。蔡仲節はこれ幸いと蔡平の体勢を崩そうと突進してきた。体格の良い蔡仲節の体当たりで蔡平は体勢を崩し倒れるが剣を手放すことはなかった。蔡仲節はのっそりと立ち上がると憤怒の表情で蔡平を見下ろし睨み付けた。

「この糞餓鬼が! 庶子の分際でなんたる態度か。所詮、阿婆擦れの娘ということか。村に住まわせやっただけ感謝しておればいいものを! この私を殺そうとはとんだ塵虫め」

 蔡仲節は怒り狂い蔡平の腹に右足で蹴り上げたが彼は悲鳴を上げ体勢を崩した。

「あぐぐぐぅああ。うぐぁああ」

 蔡仲節は言葉に鳴らないうめき声を上げながら右足に手をやった。彼の右足には剣で叩きつけたような深い傷で肉が開き隙間から少し骨が見えていた。彼は突然襲った痛みに声を出せず、体をふらつかせていた。蔡平の存在など気にしている余裕などないようだった。
 蔡平は苦しむ蔡仲節を余所にゆっくりと立ち上がった。彼女の右手に剣がしっかりと握られていた。剣からは一筋の血が滴っていた。彼女は苦しそうな表情で乱れる息を整えようとしていた。

「お前を殺す」

 蔡平は殺意と悲しみがない交ぜになった目でのたうち回る蔡仲節を見つめていた。彼女の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。彼女は剣を一際強く握っていた。彼女が蔡仲節を殺す覚悟は出来ていた。元々から蔡仲節と蔡平の間に親子の情などなかった。蔡仲節の態度は蔡平の背中を押すには十分だったのだろう。
 蔡平は苦しむ蔡仲節のことなどお構いなしに剣を蔡仲節の首目掛け全体重を乗せ剣を突き立てた。彼女がはじめて罪人を処刑した時とは違い、確実に相手を絶命する一撃だった。蔡仲節は目を向き出しにし視線だけを蔡平に向け、蔡平を確認すると白目を向き脱力した。蔡平は確実に命を刈るために剣を更に突く。
 蔡平は蔡仲節の死を確認すると剣を勢いよく抜き、よろよろと背後に二三歩下がった。そして、力無く膝を着き脱力したように座った。

「殺した」

 蔡平は小さい声で笑いだした。その声は力無い声だった。復讐を遂げた勝者には似つかわしくない声だった。

「殺した」

 蔡平は視線を地面に落とし小さい声で囁いた。

「父さんを殺したよ。母さん」

 蔡平ははじめて蔡仲節を「父さん」と呼んだ。伊斗香の前でも正宗の前でも「あいつ」と呼んでいた蔡平。彼女の中で何かが崩れた落ちた瞬間だった。

「みんないなくなった」

 蔡平は誰憚ることなく涙を流し月の輝く空を見つめていた。

「どうして私だけこんな目に遭わないといけないのかな」

 蔡平は目を落とし蔡仲節を殺した血に汚れた剣に視線を落とした。彼女は剣をしばらく見つめていたが、徐に剣の刃を首元に持っていこうとした。
 その時、どこからともなく矢が飛んできて、蔡平の手に持つ剣が落ちた。

「お前は何をしているのだ!」

 伊斗香だった。彼女は弓を手に持ったまま馬から降りると蔡平に駆け寄った。そして、蔡仲節の死体を一瞥すると乱暴に首元を掴み蔡平を持ち上げた。蔡平は伊斗香に逆らうでもなく、成されるままに立ち上がった。

「蔡平、何をしているのだと聞いている」

 蔡平は何も言わずに目を伏せていた。

「死ぬつもりだったのか?」

 伊斗香は蔡平を睨みつけた。蔡平は何も返事しなかった。

「お前は清河王に多大な恩があるはず。恩の一つも返さずよく死のうなどとよく思ったものだな。清河王に申し訳ないと思わないのか!」

 伊斗香は蔡平を乱暴に揺すったが蔡平は抵抗せず何一つ言わなかった。

「復讐を成就し腑抜けになったか。お前は何のために復讐をしたのだ?」

 伊斗香は蔡平に自分の気持ちを投げかけた。蔡平は伊斗香の言葉に反応せず視線を落としているだけだった。

「清河王はお前を見抜いておいでだった。私もお前が自らの存在意義を復讐のみに置いていたこと知っていた。それでも清河王はお前に目を掛けてくださった。お前など捨て置くことも出来たのだ。それでもお前を見捨てず願いを聞き届けてくださった。お前は何も思わないか!」

 伊斗香は感情を荒げ蔡平に語りかけた。沈着冷静ないつもの伊斗香と違った。

「生きていて何になるんだ」

 蔡平は小さな声で伊斗香に短く答えた。

「皆死んだ」

 蔡平は小さく笑い声を上げ自嘲した。

「皆死んだ。母さんも爺さんも婆さんも。そして父さんも」

 蔡平は力無く伊斗香に答えた。蔡平の「父さん」の言葉を耳にした伊斗香は悲しい表情に変わった。憎悪した父だが、心のどこかでは父を求めていたのかもしれない。

「そうか」

 伊斗香は短く答えると蔡平を解放した。
 伊斗香と蔡平の間に沈黙が広がる中、馬蹄の音が彼女達に近づいてきた。

「ん? 正宗様!?」

 伊斗香は馬蹄の音に視線を移すと驚いた表情片膝を着き拱手した。伊斗香に近づいてきた騎乗する人物は正宗だった。正宗は伊斗香の様子を見た後、側にいる蔡平に視線を向けた。そして視線を周囲に向けた。側に転がっていた死体に視線を向けると瞑目した。

「蔡平、復讐を果たしたようだな」

 正宗は下馬すると蔡平に近寄った。蔡平は正宗の言葉に反応しなかった。彼女の態度に伊斗香は何も言わなかった。

「後悔しているのか?」

 蔡平は何も答えなかった。正宗は俯く蔡平を見つめた。

「お前自身が選んだ道だ」

 正宗は神妙な表情で蔡平に言った。

「何で。何で私ばかりこんな目に遭わなくてはいけないんですか?」

 蔡平は顔を伏せたまま徐に正宗に問いかけた。

「お前が望みお前が選択した。それだけだ。お前は蔡仲節を殺すことを望んだ。違うか?」
「違いません。でも分からなくなりました」

 蔡平は小さな声で正宗に答えた。

「私は復讐のために生きたことはない。だから、お前の気持ちを理解できない。だがなただ一つだけ言えることがある」

 正宗は一拍置いて視線を蔡平から逸らし虚空を見つめた。

「蔡平、生きろ。人はいずれ死ぬ。だがお前の奪った命はお前の意思で殺し死を選ばされたのだ。お前は奪った命の代わりに精一杯生きなければならない。お前が死を選べば、死んだ命は無駄に死んだことになる。生きて。生きて。そして、お前自身で生きる理由を見つけるのだ」

 正宗の瞳は哀しい感情が籠もっていた。蔡平は正宗の言葉に嗚咽を漏らし泣いていた。正宗は蔡平を凝視した後、伊斗香に視線をやり去ろうとしたが背を向けたまま歩みを止めた。

「蔡平、今は泣きたいだけ泣けばいい。そして、それでも死にたいと思うなら死を選ぶのもお前の道だ。だがな死ぬ覚悟があるなら、この私に命を預けてみないか。私には大望がある。それを支えてくれる者達を必要としているのだ。私はお前にその一人になって欲しいと思っている」

 正宗は自分の気持ちを蔡平に告げると今度こそ去って行った。 
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