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SNOW ROSE

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騎士の章
  Ⅳ



 メルの街から七日の後、彼らは王都プレトリスに入ることが出来た。
 無事に辿り着けたは良いが、道中で見てきた惨状を思うと、とても安堵出来るものではなかった。
 豊かであったリグの街を出て村を幾つか越えると王家直轄領となるのだが、これが散々な有様なのである。
 理由は分からないが作物が不作で、穀物や野菜などがかなり物価が高騰していたのだ。
 どうやら情報の伝達がかなり遅れている様子である。
「プトの村以降、王家が直轄する領地に被害が多いようだな。昨年の徴税が仇となってしまったか…。」
 エルンストは腕組みをし、何かを考え始めた。
 昨年は平年並みの収穫量であったのだが、どういう訳か直轄領だけ徴税が多かった。
 それは第一王子ガウトリッツが父王から拝領した南三分の二が対象となっており、麦の五分の三が搾取られたのである。
 理由は不明で、これでは食べるだけでもやっとのこと。その上この領地は水辺から遠く、用水路を引いてはいたのであるが、それが春の雪融け水があふれた際に決壊してしまっていたのだ。
 その修復は国の役割であったのだが、それすらも御座なりにされ、民は自らの手で掘るしかなかった。
 しかし、それでは高が知れたこと。やはり水は行き届かず、苗にする麦も少なかったことも手伝って、ひどい不作となった。
 暫らくして、クレンはエルンストに問った。
「これだけひどい不作ですと、何か代用出来るものとかを推奨出来ないものなんでしょうか?豊かな土地から物資を受けるとかは?」
 もっともな意見だが、エルンストは首を横に振ったのである。
「直轄領では無理だ。それは治める者が決めることで、その者が命を下さない限りは許されない。王自らが命じれば別だが、今まで辿った村はガウトリッツ様が王より拝領された土地。かなり難しいと言える。もっとも、麦に並ぶ穀物などないのだかな。」
 そこへ二人の話を聞いていたマルスが、首を傾げて不思議そうに言った。
「何言ってるんだ?メッセンがあるだろ?」
 そう言われた二人は、マルスの言った言葉に怪訝な表情を浮かべたため、仕方無くマルスはそんな二人に窓の外を指差して返した。
「何だ、お前ら分からないのか?あそこに山程生えてるじゃないか。」
 馬車から見えている景色は草野原である。そこに生えているのは、ほぼ全てがクベと言う雑草であった。
「マルス、あれはクベと言う雑草だぞ?毒があって食物としては使えない。」
 エルンストは呆れ顔でこう言ったのであるが、マルスはそれにこう言い返した。
「毒素があるのは殻と身の間だけだ。脱穀した後水洗いし、天日で乾燥させれば問題ない。知らないのか?」
「そんなの聞いた事ありませんよ!どこで知ったんですか?」
 隣で聞いていたクレンは目を丸くして聞いてきた。勿論エルンストもそれには興味はあるが、それ以上にマルスの話しが真実であるのであれば、この危機的状況を幾分緩和出来ようというものである。
「そんなのはフェルティル大陸では珍しくも…。」
 そこまで言ったかと思ったら、マルスは口を閉ざししてしまった。
 フェルティル大陸とは、この大陸より遥か東に位置する大陸で、船で一年近くもかかる。そのため、かなり情報の乏しい大陸であるが、世界四つの大陸中で最も栄えているところとしては知られていた。だが反面、常時戦乱の絶えないことでも有名であった。
「フェルティル大陸…と言いましたか…?噂でしか聞いた事はありませけれど…。」
 クレンは何か聞き出そうとマルスに向き直ったが、マルスは失敗したという風に堅く口を閉ざしている。
「まぁ何でもいいさ。試せば良いだけの話だ。この話もアルフレート様の館に着いてからにしよう。」
 エルンストがそうマルスに助け船を出すと、クレンは仕方なげに「そうですね。」と言ったのであった。
 こうして彼らは、静かに館へ着くのを待ったのである。

 彼らがアルフレート王子の館に入ったのは、もう夕刻を過ぎてからであった。
 彼らが到着するや、直ぐ様客室に案内された。
 客室と言えど流石と言うべきか…それはとても広く、品の良い調度品などで飾られていた。
 三人はそれらを見ていたが、暫らくして若き王子が姿を現した。
「待たせてすまない。エルンスト、長旅だったな。まずは掛けてくれ。畏まる必要はないからな。」
 アルフレートはかなり気さくな人物のようである。
 エルンストは慣れている様子で、簡易的な礼を取って長椅子に座った。他二人もそれに倣い、簡単な礼を取って同じ長椅子に座ったのであった。
「マルス、よく来てくれた。あの時から、君を忘れたことはない。隣はクレンだね。噂はベッツェン公より聞いているよ。」
 アルフレートがそう話していた時、扉を叩く音がした。アルフレートが「入れ。」と言うと扉が開き、一人の老女がお茶を持って入って来たのであった。
「失礼致します。お茶をお持ち致しました。」
 老女はそのまま歩み出て、長机の上に菓子と茶器を置いた。随分と手馴れた様子である。
「ありがとう、クラウディア。いつもすまないね。」
 アルフレートはその老女に微笑みながら労いの言葉を掛けた。すると…その言葉に対し、老女はこう返したのであった。
「坊っちゃま、私は使用人にございます。これも仕事の一つ。礼を受けるようなことではございません。」
 この老女の言にマルスとクレンは仰天した。主人の礼に言い返すなど、なんとも大それたことであるからだ。ただ、エルンストだけは笑いを堪えている様子であるが…。
「婆やには適わない。もう坊っちゃまは止してくれと言ってるじゃないか!」
「いいえ、坊っちゃまは坊っちゃまでございます。お幾つになられましても変わりません。」
 どうやらこのクラウディアと言う老女は、アルフレートの乳母だったようである。王子であるアルフレートも、この老女には頭が上がらない様子であった。
 だが、そんなクラウディアがテーブルに置かれたものを見ながら、何とも済まなそうな顔をして言った。
「アルフレート様、大変申し訳ございません。急な御来客とは申しましても、このようなものしかご用意致せませんでした。」
 クラウディアはそう言って頭を下げたが、そこには山葡萄と柘榴のタルト、乾果実のケーキ、それに木の実の焼き菓子などが並べられており、客人の彼らにとっては大変な持て成しであった。
「クラウディアさん、私達には充分過ぎる程です。小麦も高くなっていると聞いておりますし、お気になさる必要はありません。過分な持て成しを、アルフレート様とあなたに感謝致します。」
 そうエルンストはクラウディアに言った。するとアルフレートはハッとして、エルンストに話し掛けたのであった。
「やはり知っていたか。その話は後程するつもりだったんだがな…。クラウディア、もう下がってよい。」
 クラウディアは主人にそう告げられると、礼を取ってそのまま部屋を出て行ったのであった。
「さて、マルス。我が恩人よ。本当はこちらから出向かなくてはならないところだったのだが、生憎とこの地より離れることの儘ならない身でね。もう少し早く会いたかったのだが…大変申し訳ないと思う。」
 アルフレートはマルスに対して頭を下げた。
 当初は、恩人であるマルスのもとへ自ら赴くつもりであったようであるが、この王家の兄弟の争いはかなり厳しい状態になっているようである。
 それはマルスも知っている。旅の最中に聞いた様々な噂によれば、現王グロリアス二世ですら、この兄弟の争いには中々介入しずらいのだと言う。
 それというのも、王自身がかなりの高齢であるためと、この兄弟の後ろ盾に国の大貴族が付いているためである。
 兄ガウトリッツには南のプロヴィス家、弟アルフレートには北のフォールホルスト家が後ろ盾となっているのだ。
 フォールホルスト家は古くからの名門であるが、プロヴィス家は新参貴族である。しかし、先代国王の妃クリスティアーネがプロヴィス家の出で、そのお陰か政治にも介入出来るほどの力を付けることが出来たのであった。
 要は、この貴族達の勢力争いでもあったのである。
「王子、面をお上げ下さい。私のような者に礼など不要です。」
 マルスは頭を下げたアルフレートに言った。それを受けアルフレートは頭を上げたが、つかさずマルスに言葉を返した。
「マルス。今の時代、自らを律することの出来ない貴族が多い。それでは駄目なのだ。上だろうと下だろうと、礼は正さねばならないものだ。国は民に支えられているのだぞ?何故に貴族が無駄に威張る必要があるのだ。」
 このアルフレートの言葉を、マルスは生温いと感じた。しかし、現在の貴族の腐敗ぶりは民への礼節を軽んじていることも一因であることは否めない事実であった。
 そんな折り、クラウディアが血相を変えて飛び込んできた。
「どうしたというのだ。合図もなく入ってくるとは…。」
 明らかに不快を示したアルフレートであったが、次のクラウディアの言葉に驚いてしまった。
「王城より使いが参りまして、本日の晩餐に出席するようにとの書簡が届けられました。」
「何だと…!」
 アルフレートは銀盆に載せられた書簡を掴み取り、直ぐ様それに目を通した。
「兄上にしてやられた!」
 アルフレートは顔を歪めて立ち上がった。そこには、着たばかりの三人を招くようにと書かれていたためである。
 それを聞いたクレンは、訝しげにアルフレートへ聞き返した。
「一介の民に過ぎない私達を、何故王城へ…?」
 もっともな意見である。普段は彼らの様な民は入れないからである。爵位があっても直ぐ様入城出来る者は限られており、彼らが晩餐に呼ばれるのは異例中の異例なのである。
「簡単なことだ。兄は、君達と私を引き離したいのだろう。特にクレン、君はベッツェン公に仕える者だし、兄にしてみれば厄介な事この上ないからね。」
 アルフレートがそこまで言うと、マルスが口を挟んできた。
「しかし…私達がこの館に着いたのはつい先ほどのことです。一体いつ王家に伝達が届いていたのでしょうか?」
 それに答えたのはアルフレートでなく、隣に座っていたエルンストであった。
「恐らく、門にて気付かれたのでしょう。通行証を見た兵士にガウトリッツ様の息が掛かっていた…そう考えても良いのでは?」
 エルンストのその言葉に、アルフレートは重い溜め息を吐いた。
「そうであろうな。どうせ兄も出席してるだろう。プロヴィス家当主と共にな。」
 苦々しいといった風に、アルフレートは顔を顰めたのであった。

 さて、一同は王城へ向かう支度を整えると、用意されていた馬車に乗り込んだ。荷物は邪魔になるため、馬車の屋根へ括り付けたのであるが、マルスの大剣だけは彼自身が持って乗り込んだ。
「マルス、それはあの時の剣だな?」
 アルフレートは気になったのか、マルスに尋ねてきた。
「ええ、そうです。これは十二の時から持っているのものです。父の形見でもあるのですよ。」
 その剣の柄には布が巻かれており、どのようになっているかは分からなかった。だが、鞘には多々の傷跡があり、かなりの年月を感じさせる風格があった。
「そうか、その剣で私を助けてくれたんだな。改めて礼を言う。あの時の剣捌きは見事であったな。まるで舞うような、鮮やかなものであった…。この地では見られない型だったが、どこで覚えたのだ?」
「故郷で…。」
 アルフレートの問いにマルスは一言だけ答え、馬車の外へ視線を移した。
 そんなマルスの心情を察したかのように、エルンストが別の話題を振ったのであった。
「なぁ、マルス。クベの話を詳しく聞かせてくれないか?」
 エルンストにそう言われたマルスは、視線を車内へ戻して言った。
「メッセンのことか。」
 マルスは来る時に語ったことを、アルフレートに話して聞かせた。
「あれは食物として扱えるのか!?」
 前と似たような反応に、マルスは苦笑せざるをえなかった。その後、幾つかの食物についても話した。
 ミンクルという木の樹液を煮詰めると、黒糖に近いものになること。バルという木の実から油を抽出する方法など、どれもこの国に数多く自生している植物で、直ぐにでも役立てるものばかりであった。
 マルスを除く三人は、彼の見識ぶりに、ただ目を丸くするだけであったという。
「どこでそんなことを…!僕の知らなかったことばかりですよ。それが実行出来れば、かなりの人達が救えますね。」
 クレンは揺れ動く馬車の中で器用にメモを取りながら、一人で頷いていた。
 アルフレートも感心したように頷き、マルスに語り掛けた。
「我ら兄弟の争い故に、民が苦しんでいるのだ。明日にでも早速やってみることにする。雪が降り積もる前に、なんとか決着をつけなくては…。」
 だが、アルフレートが考えている程、その決着が長引くことはなかった。
 たった二日…。それで、この四年に渡る兄弟の争いは幕を閉じてしまうのだ。

 神の怒りによって…。



 
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