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異界の王女と人狼の騎士

作者:のべら
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第五十七話

 俺は部屋を見回し、漆多が来ていたらしい衣服を見つけるととりあえずズボンとシャツ、そして上着を着せた。その時に気づいたんだけれども、漆多からは糞尿と精液と血液とさらには胃の内容物の混じった何とも言えないすごく嫌な臭いが漂っていたんだ。それは彼が受けた虐待のひどさを物語っていた。
 俺は再び、友人をこんな目にあわせたあいつらに気分が悪くなった。

 しかし、糞便と精液と血液の混ざり合った臭いは相当な悪臭と感じられる。
 意識を臭いから遠ざける。

 ——すると、臭いが全く気にならなくなった。我ながら五感をコントロールできることに驚く。

 漆多を軽々と担ぎ上げる。60キロはあるはずだけど、今の俺にはその重みなどほとんど感じない。漆多を担いだまま何キロでも走れそうな感じだ。
 ……まじ化け物化してるな、俺。

 そして、王女を促して部屋の外に出る。
 彼女は先ほどと同じく右の掌に炎の玉を出現させる。同じようにといっても、先ほどとはずいぶん控えめな大きさだ。
 金属の扉から距離を置き、その炎をそっと投げる。
 炎は揺らめきながらふわふわとゆっくりと飛行していく。扉の上枠に張り付いたかと思うと、まるで意志をもった生き物のようにもごもごと動き出す。
 ドアの枠の周りを溶かしながら移動し、ドアノブと丁番を真っ赤に熱しながら動いていく。そしてドアの下枠も移動し完全にドアの周囲を取り囲んでいた。
 王女が差し出した手をぐっと握る。
 ドア付近が真っ白に光り輝く。激しい音と焦げるような臭いが充満する。それにしても、そのまばゆい光は直視できないほどの目映さだ。しかし光は一瞬で消え、より一層の暗闇に取り込まれた。
 光が消えて暗黒に取り込まれると、全ての音さえかき消されてしまったように感じしまう。
 静寂があたりを包み込む。
 
 夜目が利くようになっているとはいえ、あの猛烈な光を直視したため視力を取り戻すのに少し時間がかかったけど、やがて目が暗闇に慣れてきた。
 俺は扉に目を向ける。
 
「おお、すげえ」
 金属の扉は扉本体と外枠がまるで同化しているかのように綺麗に溶接されていた。どこからがドアなのかは全く分からない。丁番は溶けて一体化し、ドアノブは完全に溶け落ちていた。当然、鍵穴も溶けて無くなっていてこれじゃあドア毎壊さない限りは入ることはできないだろう。
「これなら大丈夫だろうね。アリ一匹入り込む隙間が無いくらいに綺麗にくっついているよ」

「まあこれくらいは簡単だわ。地下室毎溶かしてやっても良かったんだけど、今の私ではそこまでできないから……」
 当たり前のように呟く王女。
 いやいや、コンクリート造りの地下室を溶かしちゃうってどんな能力なんだよって俺はつっこみそうになったが、本気か冗談か分からなかったので口には出さなかった。
 王女が肩で息をしていることのほうが気になったんだ。
「姫、大丈夫か? なんか辛そうだぞ」

「何を言っているのか、意味が分からないな。シュウ、お前こそおかしいわよ」
 そういって俺から離れようとするた、何かに躓いて転びそうになる。
 俺は漆多を担いだままでも素早く動き、王女の腕を掴んだ。
「大丈夫か! 」
 声をかける俺。近くで見る王女の顔は少し青ざめ、額には汗をかいていた。呼吸もかなり荒くなっている。

「やれやれだ……。この程度でこんなに疲れてしまうなんて。まさかここまで力が落ちているなんて思わなかったわ……」
 誰に言うでもなく王女が呟く。その声には失望の色が濃かった。

「すごい汗じゃないか。それに顔色も悪いぞ。すこし休んだほうがいいな」
 そういうとそのまま王女も担ぎ上げた。
「おい、何をする」
 王女が騒ぐが、体調が相当悪いらしく、あまり抵抗もしなくなっていた。
 地上への階段を上り、外へと出た。
 
 空気が冷たく心地よく感じる。
 満天の星が俺たちを照らしている。
 淀んだ空気の中に長時間いたため、この新鮮な空気が実に心地よかった。
 俺は王女と漆多をおろすと適当に座らせた。
 漆多はまだ気を失っているらしい。地面に横たえても反応が無かった。

 俺は座り込んでいる王女の横に腰掛けた。
「大丈夫か? 」

「ああ、なんとかね。……でも、あの程度の術式を発動させるだけでここまでの反動が来るなんて、ホントにどうしようもないわね。あの程度の制御にこんなになるなんて」
 自分自身に失望したような口調で喋る王女の横顔はなんだか悲しそうだ。

「そんなに体調が悪いのか? 」

「体調なんてレベルの話じゃないわ。根本的に私の能力がスポイルされているのよ。……まあこんなチビッコになっているんだから当然【能力】も落ちてるんだとは思うけど、まさかここまで酷いとはね。炎を絞り込むだけの作業で、まるで年寄りのように息切れ起こしているんだから。こんなんじゃあまともに闘う事なんて考えられない」
 一気に喋るが、喋ることさえ苦しそうだ。
「……まさか、ここまで、とはね。こんなんじゃあ、どうしようもないわ」

「姫、どうしたんだ? 」
 一人で落ち込んでいる少女をどうにかして励ましてあげないと。俺はそんなことを思っていた。
 でもこれといった台詞が浮かばない。
「おいおい、しっかりしてくれよ。こんなところでへこたれてなんていられないんだろ? 俺の契約者なんだからしっかりしてくれよ……。まあ契約者が何をするのかはよく分からないけど、姫が闘うべき相手は俺にとっても敵なんだから俺も闘うよ。いや俺が姫を守ってやるから、さ。だから落ち込むなよ。落ち込んでいたって何も変わらないだろ? さあさあ、とっととこんな辛気くさい場所からは撤収して、家に帰ろう。……そうだ、なんか美味いもんおごってやるからさ」
 そうやっていくつもの励ましの言葉をつなぎ合わせ、なんとか彼女の関心を惹こうとする。
 でも、王女はずっとうつむいたままで何か思いに耽っている。
「俺じゃあ駄目なのかい? 姫の敵と戦っても勝ち目がないっていうのか? 確かに単なる先兵でしかない寄生根相手でこのありさまだからちょっと不安かもしれないけど、なんとかなると思うぜ。そうそう、特訓すれば必ず俺は強くなる。間違いない。だからちょっとは安心してくれよ」
 弱気になられると調子が狂ってしまう。いつもどおりの偉そうで生意気なチビに戻ってもらわないと。

「お前の力がどれほどのものかは、私にも図りかねるわ。確かに、私の僕になり力を与えられた者とは比較にならない力を出しているように思う。だけど、自身でも制御できないような状態になる者と共闘なんてできると思える? 今でもお前は僕でありながら、私の制御の及ばないところがある。こんなこと今まであり得なかった。私の力が衰えているのが原因だとは思うけど、これは大変な問題なの。もし、何かあった時に私を攻撃しないっていう保証はある? ……無いでしょう。だったら私はお前の暴走を力づくで押さえ込むくらいの力が必要だわ。だけど、そんな力は今の私には無い……」
 確かに、あの妙な声の奴に俺は乗っ取られていた。それについて何故かそう強く拒むこともしなかった。理由なんてまったくわからないけど、まあそれでいいやなんて思っていた。自分の意志で自分を動かせないなんてあり得ないことだ。しかも異世界からの化け物と闘わなければならないのに、コントロールの効かない恐れのある武器を用いようとは思わないな。いつ暴走するか分からないんだから。

「大丈夫、大丈夫だと思うよ。たぶん。絶対にそんなことはさせないから」
 確信はないけど、必ず出来ると思う。守りたいものを自ら壊すなんてことは絶対しない自信がある。暴走したのは奴らが敵であったし、同情の余地のない悪党だったから殺すことにそれほど抵抗を感じていなかったからなんだ。そうでなければきっと抵抗する。殺してやるとまでは思っていなかったけど、まああいつらなら死んでもいいやって思っていたのは間違いない。そこにつけ込まれただけなんだ。俺の中では奴らに対する怒りと嫌悪しかなかったんだから。そしてなんとしても王女を護らなければならないという義務感。
 人喰らいについては、よく分からないけれど。そこは本能的な部分だったのかもしれない。嫌悪感を感じながらもそれ以上の恍惚感を感じていたし、さらに欲してしまっていた。あの感情はどこから来たのか? 俺を乗っ取った奴のものなんだろうか? それとも俺の心の奥底に潜んでいたものなんだろうか。
 そこだけについては少し怖い部分がある。あれは本能でありもしかすると制御できないのかもしれない、という恐怖が。恐怖といいながらそれを求めている感情が今でも存在することに気づき、薄ら寒くなる。 
 でも大丈夫。俺は自分に言い聞かせる。
 あのとき、暴走を許可したのは、蛭町が王女を、紫音を、妹をなぶり殺しにしてやるって言ったからだ。あれがスイッチになった。俺は満身創痍で、死に直面していた。自分の命がつきようとしていて、もう起死回生の妙案など全くなかった。その時に奴の誘いがあったんだ。このまま自分が死に、王女たちがあの化け物に寧々と同じように嬲りものにされた上に殺されると思った時、もはや倫理や正義などどうでもよくなっていたんだ。もう誰も寧々のような目に遭わせたくない。目の前で大好きな者が殺されるところなど見たくない。自分が地獄道に墜ちようが護ってみせる。その思いだけだったんだ。
「だから、俺は強くなる。もっと強くなる。そんな状態に陥らないように。だから大丈夫だ……」
 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。

 その声は届いただろうか?

 王女は相変わらず何か物思いに耽っていたが、やがて立ち上がった。
「ここでこれ以上考えても結論は出ない。帰るぞ」
 もう立ち直ったのか、単に切り替えただけなのかはわからないけど、彼女の顔には笑顔が、生意気そうな笑顔が戻っていた。


 
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