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蛇帯

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2部分:第二章


第二章

「待つの?母ちゃん」
「やっぱり」
「御前達は待たなくていいんだよ」
 おそのはむくれた顔で子供達に対して述べた。
「いいね、わかったら寝る」
「寝ていいんだ」
「子供は早く寝るのが仕事だよ。わかったらほら」
「うん、じゃあ」
「おやすみ、母ちゃん」
 子供達はおそののその言葉に応えて仲良く布団の中に入りそのまま寝付いてしまった。だがおそのはそうもいかずむくれた顔で扉になっている障子に目をやっていた。障子の向こうは真っ暗闇であり何も見えはしない。ただ行灯の灯りが彼女の顔を照らし出していた。
「いつもいつも」
 歯を剥き出しにしつつ呟く。
「帰りが遅いったらありゃしないよ。博打ばかりやって」
 そのことに対して怒ることしきりである。顔を俯けさせてかりかりしっぱなしだった。その怒りは収まるところがない。そして遂には。思わぬことが怒ったのだった。
「おや!?」
 何と彼女が締めていた帯が一人でに動きだしたのである。黒く細長い痩せた帯がだ。
「帯が。どうしたんだい?」
 それが動いたのを見て驚いていると。やがて帯は彼女から離れていき何と蛇になった。おそのもそれを見てあっと驚くが蛇はそれよりも早く部屋を出てしまっていた。
「帯が蛇にって。夢でも見てるのかね」
 こう思っていた。とりあえず自分は寝ているのかと思った。ところが暫くして。外からやけに騒がしい男の声が聞こえてきたのだった。
「おい、離せ」
「おや!?」
 それはおそのの聞き覚えのある声だった。まずはその声を聞いて目を動かした。
「今の声は」
「だから離せって言ってるだろ」
 また声が聞こえてきた。
「一体何なんだよ、こいつは」
「御前さんかい?」
 その声が自分のいる部屋の前まで来たところで立ち上がって扉を開けると。そこに小柄で出っ歯の男がいた。彼女の亭主の甚平である。その博打好きのどうしようもない亭主だ。彼は夜の長屋と長屋の間の道を転がりつつ何かに対して必死に怒鳴っていたのである。
「折角楽しくやっていたのによ」
「また随分変わったお帰りだね」
 おそのはまだ喚いている亭主に対してまずは嫌味を贈った。
「一体全体何があったんだい?」
「何もって御前」
 甚平は夜の中でもわかる程泥だらけになってしまった顔をおそのに向けて言ってきた。闇夜の中で目と出っ歯の白だけが浮かび上がる。
「この蛇にな」
「蛇!?」
「だから蛇だよ」
 また言ってきたのだった。
「蛇に巻きつかれてここに連れて来られたんだ」
「蛇ねえ」
 おそのはそれを聞いていぶかしむ顔になった。それを見て甚平も女房に対して尋ねるのだった。
「ひょっとしたら何か知ってるのか?」
「その蛇って黒い蛇かい?」
「ああ、そうだよ」
 不機嫌そのものの顔で女房に答える。
「ほら見ろ、これがその蛇だ」
「ああ、やっぱり」
 おそのは月明かりを頼りにその蛇を見て。納得した顔で頷くのだった。
「その蛇だよ、知ってるよ」
「蛇に知り合いがいるのかよ」
「だから違うんだって。いいかい?」
「ああ」
「その蛇はね。あたしのなんだよ」
 納得した顔にさらに笑みを加えて述べる。
「あたしの蛇なんだよ」
「!?馬鹿を言え」
 甚平は今のおそのの言葉に顔を顰めさせて反論する。
「おめえの蛇だってのか」
「そうだよ」
 その問いにもこう返事を返す。
「あたしのなんだよ」
「馬鹿を言え。うちには蛇はいねえぞ」
「それがいるんだよ」
 しかしおそのは笑ってまた言ってくるのだった。
「わからないかい?」
「どうわかれっていうんだよ。何が何だかよ」
「まあ出て来たっていうか変わったっていうかね」
「変わった!?」
「そうだね。こう言えばいいね」
 今度はこう言うのだった。相変わらず笑いながら。
「わかりやすいね」
「何が何だかわからないんだけれどよ」
「帯だよ」
 遂に答えを出してきた。
「あたし今帯してないだろ」
「んっ!?」 
 その言葉を聞いておそのの腹のところに目をやる。すると本当に帯がない。実にすっきりとしているがそれと共に何処か寂しくもあった。
「そういえばそうだな」
「あんたを待っていて腹にすえかねていたらね」
「ああ」
「帯が蛇になって家を出て行ったんだよ」
「何だって!?」
 それを聞いて驚くことしきりだった。これも無理のないことだった。何しろ最初はおそのもかなり驚いたのだ。それは隠せなかったのだ。
「それは本当なんだろうな」
「嘘を言ってもはじまらないだろう?」
 疑う夫に対して答える。
「そうじゃないかい?」
「まあそれはそうだけれどよ」
「そういうことさ。それであんたを捕まえに行ったんだよ」
「何てこった」
 そこまで聞いて思わず溜息をついた。折角楽しい思いで博打に精を出していたのにと思いそれが非常に残念であったのだ。
「そんなことになるなんてな」
「それもこれも御前さんが悪いんだよ」
 一瞬で笑顔から口を鳥みたいに尖らせてきて述べた。
「いっつもいっつも夜遅くまで博打してさ」
「勝ってるからいいじゃねえか」
「そういう問題じゃないよ。仕事が終わったら家に帰る」
 厳しい声で告げる。
「そういうことだよ」
「そう思うおめえの心が蛇になったってわけかい」
「これで納得したかい?」
「納得したくはねえな」
 この態度は相変わらずだった。
「そんなことはな。全く」
「けれど納得するしかないでしょ」
「ちっ、忌々しい」
 だが仕方ないというわけだった。紛れもない本音である。
 
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