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ソードアート・オンライン〜Another story〜

作者:じーくw
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GGO編
  第185話 温もりの違い

~竜崎家~



 それは、和人と直葉が昼食を楽しみ、色々と団欒をしていた同日の朝。


――昨日は、本当にいろいろとあった。


 隼人は、目を覚ましゆっくりと身体を起こた。
 いつも通りの時間に目を覚ました隼人だが、ただいつもと違う所があった。隼人の表情は険しく、そして何処か暗くなっているのだ。

 久しぶりに……隼人は夢を見たのだ。

 それは、決して良い夢ではない。それに見たのは一体いつ以来だったか、もう 判らない。ただ、嫌な汗だけがその夢の質を物語っていた。

「…………」

 隼人は、腰掛けていたベッドからゆっくりと起き上がり、そして部屋の窓のカーテンを開く。12月の朝だけど、太陽の光に身が包まれ、暖かさも出てくる。だけど、背後に蔓延った嫌な気配だけは拭えず、冷たいままだった。

「隼人坊ちゃん」

 そんな時、入口から 綺堂が入ってきた。
 背後の気配、闇が……一時的に薄まり、和らぐ。その理由は間違いなく目の前の人のおかげだ。

「おはよう。……爺や」

 笑顔も、多分見せることができているだろう。……多分、としか思えない所が、気になるけれど。

「朝食の準備が、整いました。……お召し上がりましょう」
「うん。……いつも通り、テラスで、だね?」
「……はい」

 綺堂とて、伊達に長年共に暮らしてきていない。
 隼人の変化や葛藤、それが顔に現れている事など、すぐに判る。それが、悪い事であれば尚更だ。その隼人の顔はそれを顕著に伝えるのだから。……心配をかけないとする仕草と相余って、感じ取る事が出来るのだ。


 朝食を取る際も、会話は勿論あった。
 だけど、いつもの楽しそうな、陽気な、……和人の事、明日奈の事、何より玲奈の事を話す様な時の笑顔に比べたら、何割も不足している。

「GGOの事、ですが……」

 朝食も済み、軽く食後の珈琲を飲んでいた時だ。綺堂から、口を開いた。……隼人の表情が明らかに変わったのは、あのゲームから帰ってきた時だからだ。心配したのは言うまでもない。ただ、無事に帰ってきてくれた事で心底安堵したモノだった。幾ら安全を確認したとは言え……仕方がないだろう。

「あ、うん。……ごめん、心配かけちゃったね。大丈夫、これは……オレが、いや オレ達が決着をつけなきゃいけない事、だから」
「そうですか。……そうですね」

 綺堂は親心から心配をしていた。だけど、隼人の言葉を聞いて少しだけ、安堵する。彼はいつも、何かを抱える時は 1人で、と言う事が本当に多かった。それは、あの事件、幼い日の事件の時からそうだ。綺堂と一緒に住む様になっても、それは続く傾向にあった。信頼していない、話したくない、と言った類のものじゃないけれど、無意識下でそう言う行動をとってしまっている様だ。

 だけど、隼人はこの時『オレ達』とはっきりといった。

 本当に良い友人に恵まれた事に、喜びさえ浮かぶ。今回の事件が無ければ、本当に……。

「現実での坊ちゃんのお体はお任せ下さい。渚さんも手伝ってくださると言う事です」
「え、っと…… 渚さんってたしか……」
「ええ、菊岡氏と同じ防衛省に勤めている女性です。専門の資格をも持っています。信頼出来る人、ですよ」
「うん。爺やが認めてるなら、間違いないね。オレも確か会ったことあるから」

 隼人はそう言って笑った。
 綺堂の見る眼は間違いなく今まで知る中でNo.1だ。デジタル世界で視る眼が優れているのが隼人、リュウキであるなら、現実世界で視る眼、その人間の本質を見抜く術に長けているのがこの綺堂だ。事実、これまででもそうだったから。

「彼女の事も頼ってください。私と渚さんで、坊ちゃんの事はしっかりとお守りします」
「……あ、あはは、面と向かって言われたら、ちょっと恥ずかしいや」

 隼人は頭を掻きながら苦笑いをした。
 そして、綺堂も一緒に笑う。……本当に安心出来る笑顔、だった。そんな綺堂だから、綺堂が信頼する人だから。……隼人は殆ど無条件で信頼してしまうのかもしれない。勿論、自分自身で見極める、と言う事もするけれど、綺堂の件で限りなくOK側だ。

「それでね、爺や。……少し気になる事があって」

 隼人は、表情を変えた。……笑顔だった眼が、口元が、全て元に戻り、真剣なものに。

「今回、BoBの本戦に参戦するメンバーは45人。……全員の所在地を、調べる。なんて事、無理だよね?」

 隼人は、軽く珈琲を口に運びながらそう聞いた。
 これは、無理を承知である事は判っている。個人情報の漏洩に関しては、ネットワーク上では最重要機密の1つだ。特に近年では、殆どネット社会となっており、年々セキュリティも厳重になっているから。

「……そうですね。渚さんの機関に依頼をしたとしても、厳しいかと思われます。捜査令状を上げる事も同様に。明確な事件じゃない限りは、難しいですね」
「うん。……判った上でだったんだ。ごめん。……あの世界でも、ガンゲイル・オンラインの世界ででも、得ることは難しい。カーディナルのコピーとは思えない程濃厚精密。破れたとしても、何日も何日も、いや何ヶ月かかるか判らないよ。……運営がザスカ。アメリカの国のものだから、って事もあると思う」

 隼人はそう返した。
 事、サイバー犯罪件数おいて、日本とは比べ物にならない程多いのがアメリカ合衆国だ。故に、そのセキュリティ装置もそれに比例する。それは日本とは比べ物にならない程だ。

 そして、今までのVRMMOでは唯一《プロ》がいるゲームタイトル、《ゲームコイン現実還元システム》を併用している事もあり、そのセキュリティが最高クラスなのは仕方がない事だ。生半可なモノにしてしまえば、大損害を被る可能性だってあるのだから。

「……死銃に関する事、判ったのですか?」

 綺堂は隼人に静かにそう聞いた。
 この件に関しては、隼人の口から出るのを待とうと思っていた。昨日、現実世界に帰ってきた時の顔を見た時に、そう思っていたんだ。

 だけど、もう聴かなければならないだろう。

 事実上現時点では無理、不可能と判った状態で個人情報、所在地まで聞こうとした事が後押しした。

「……」

 隼人は無言で頷いた。
 本当に心配はかけたくなかった。……だけど、知らされず、何も知らされず事になってしまうのも親不孝と言うモノだろう。

「死銃は、あの世界での、オレ達の因縁の相手だよ。……だから、オレとキリトの2人でケリをつけなきゃいけないんだ。……本当なら、罪を背負ってでも、あの時に全て終わらせておくべきだったんだ」

 隼人は、そう言うと……両の手を握り、開き、……自分自身の両の手を見つめた。あの時の感触は 今でもはっきりと覚えている。脳裏に、記憶の奥に刻まれている。


――死銃と対面したあの時が切欠だったのかもしれない。


 より鮮明に、あの世界での事が頭の中に蘇った。自分の何処かで、忘れたい。全てを忘れ去りたいと思っていたのかもしれなかった。背負っていく、生き残った者の責務を忘れて。

「……坊ちゃん」

 綺堂は、いつの間にか隼人の傍に立ち肩に手を置いていた。隼人の葛藤を、全て理解したから。SAOの世界での大規模な戦争が会った事は事後調査で判っている。全てを知っている訳ではないが、その当事者である事は知っていた。目の前の隼人が、あの世界のトッププレイヤーの1人なのだから。

「……なのに、オレは忘れてしまっていた。背負うどころか、全部忘れて……、あの世界での事を忘れて。……オレは、責務、重荷、全部、全部忘れて。……ただ 子供みたいに強がって」

 身体を震わせる隼人。
 死銃を前にした時。……あれが、あの世界の亡霊だと言う事に気づいた時。正直身体の芯から震えていた。キリトの前だから。……傍に頼れる友がいたから、強がる事が出来たんだ。

「……情けない、よね? あの世界、仮想世界じゃ色々言ってるのに。……現実じゃ、ここに帰ってきた途端に。……オレは本当に臆病者、だよ。……全部全部失ったあの時と、大して変われてない」

 隼人はそう言って、苦笑いを浮かべていた。
 だけど、どう見てもそれは笑い顔じゃない。泣き顔だった。辛い、心底辛い。そう叫んでいる様に見えた。

「隼人坊ちゃん。……坊ちゃんが負った重荷も罪の意識も、私が取り除く事は出来ません。……そんなことを、安易に。……簡単に、出来るなんて言っちゃいけない事だ。 でも、これだけは忘れないでください」

 綺堂は、隼人の肩から頭に手を乗せた。

「私は、坊ちゃんの傍に居ます。……支え続ける事は出来ると思います。そして 私は隼人坊ちゃんの事もよく知っているつもりです」

 隼人にそう言うと、隼人は立ち上がって綺堂の眼をじっと見た。隼人の目には、うっすらと涙さえ浮かべている。

「隼人坊ちゃんがそうしなければ、そうしなければ、失われてしまうモノも沢山あったのでしょう? ……お嬢様の意志を強く受け継いだ坊ちゃんです。自分よりも他人を想っての事。 ……誰かを助ける為にした事でしょう。正当化をするつもりはございません。……ただ、失ってしまった。奪ってしまった。……それらと同じくらい、隼人坊ちゃんがした事で、助かった人達の事も。考えてみてください。 その人達はきっと、きっと……笑顔ですよ」
「っ……」

 隼人は、綺堂の話を訊いて……言葉に詰まる。
 あの世界での事が、負の感情ばかりだった記憶の中で、光が少し、少しさしてきている気がした。

「失われた命の重みは、どんな事情があろうと消えることは無い。ですが、その結果 坊ちゃんが助けた人の事を。皆さんの笑顔を思い浮かべて、自分を助ける。赦す権利があるんですよ。……それに」

 綺堂は笑顔の質を一段階上げた。

「重すぎる様でしたら、お友達の皆さんの事も、もっともっと頼って下さい。きっと、皆さんも同じ気持ちだと思います。 皆さんにも」
「で、でも……オレは十分すぎる程、皆に。皆にもう……」
「坊ちゃんがそう言って、皆さんは『うん』と頷いた事、ありますか?」
「っ……」

 隼人は、その言葉を訊いて、詰まらせた。綺堂の言葉につられて、まるで意思があるように、記憶の扉が開いたんだ。


『……な! 何言ってんの! 知らないの!? アンタに救われた人、この世界に無茶苦茶いるんだよ!?』
『……馬鹿言うなよ。オレがお前にどれだけ貰ってると思ってんだよ』
『そ、そんなっ! 私の方がお世話になったんですからっ!!』
『ありがとう。 忘れないよ。あの子の事、助けてくれて……』
『リュウキくんから色々と貰ったんだ。 ……この世界に住む皆、貴方から貰ってる。返しても返しきれないほどに……だよ?』


 笑顔でそう言ってくれる皆がそこにはいた。沢山の言葉が流れ出てくる。膨大な程に。……本当に心が救われる様な気がした。

「頼る事も、大切なモノなんです。私だけじゃなく、今まで以上に隼人坊ちゃんの事を助けたい、と思ってくださってる皆さんがいるんですから」
「……うん」

 隼人の右目から、自然と一筋の涙が流れ出ていた。それは先ほどまでのモノとは違い、どこか温かい涙だった。





 そして、暫くしての事。

 竜崎家に来訪者が来た。ベルがなり 綺堂が迎えた。来訪者は、先ほど綺堂が言っていた人物。

 防衛省の《姫萩(ひめはぎ) (なぎさ)》だ。

「いらっしゃい。今日もよろしく頼むよ渚さん」
「お邪魔します。 いえ、こちらこそ、ご協力、本当に感謝致します」

 渚も綺堂と同じく隼人の身体のケアとGGOの世界のモニタリング、監視だ。例の事件が、偶然ではないものと言う事を前提で動いている。故に細心の注意を払う必要があるのだ。


――現実世界でも、仮想世界でも。


 渚と綺堂、そして隼人を含めて、今回の件についての話し合いを行った。隼人が、ゲーム内で見た事、そして感じた事を踏まえて。

 そして、何よりも。

「今回の主犯は、……相手はオレ達と同じSAO生還者です」

 その隼人の言葉を訊いて、渚は顔色を変えた。単なる犯罪者と言うわけじゃない。仮想世界と言うもう1つの世界、異世界で培われてきた負の遺産。異世界で現実の感覚を完全に麻痺させた異常者。

「VR世界の暗黒面って言っていい存在だよ。……渚さん」
「……はい」

 渚は隼人の目を真っ直ぐに見つめた。

「多分、無理だと言う事は判る。けど、一応聞いておくよ。SAO生還者で、ギルド《笑う棺桶》に所属していた者を全員リストアップする事は可能ですか?」

 隼人が提案したのはそれだった。あの世界で、自分を《鬼》と形容した以上、あの死銃を名乗る男が、笑う棺桶だと言う事は明確だ。

 ……鬼とは、笑う棺桶のメンバーが着けた異名。

 あの赤く光る眼を全面に向け、奴らに刃を向けたあの姿。何人もの笑う棺桶のメンバーを斬り、時には貫き……、見た通り、全てを叩き潰した。見た目だけではなく、人とは思えぬ鬼の所業から表現された、と言う事でもある。……リュウキ以上に非人道的な真似をした者達からは、考えられないモノだと、当時は皆が思っていた。


――他人にするは良いが自分は被ると言った所だ。


 だが、中には最後まで足掻く者はいた。HPバーが注意から瀕死に変わっても、その狂気の眼を変えない者達もいた。……乱戦の最中もう選択は1つしかなかった。命を奪う事。

 隼人は当時の事を思い出し、表情を暗めていた。そんな彼の事を見ながら、渚は答える。……首を横に振りながら。

「不可能……です。仮想課と称している、総務省のデータベースには、SAOプレイヤー達のデータは、本名、キャラクターネーム、それに最終レベルだけなんです。所属ギルド名やその……殺人の回数は一切判らない。……ですから、元《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》という情報だけで、現実の所在氏名までは……」

 隼人はそれを訊いて、軽く頷いた。
 この答えは、綺堂にも一度、聞いた事でもあり、判りきっていた。隼人自身も、SAO事件に関しては色々と協力的だ。あの世界での事、情報を提供したり、データを揃えたり、としていたのだ。何人かのプレイをモニタリングしたデータは揃っているものの、何千と言う数の膨大なデータは無かった。

「名前、名前……」

 隼人は呟く。
 あの死銃と名乗る者の雰囲気、佇まいには、確かに覚えがある。だが、あの髑髏仮面の様なマスク、姿を覆い隠したボロマント、それらの中身が判らない以上、100%の確証は無かった。

 幹部クラスの者の可能性はある、が、文字通りあくまで可能性だ。100%じゃない。

「あの男の名前は判らない。……だけど、判ってる事はあるよ」
「判ってる事とは?」
「………」

 隼人の話に聞き入る渚、そして腕を組みうつむき気味に聞いている綺堂。2人を見ながら、隼人はゆっくりと答える。




「……死銃は1人じゃない」



















~東京都 とある公園~


 都内の公園だが、遊ぶ子供は皆無。
 何故なら、遊具が2つしかなく、後は砂場が1つだけある寂しい場所なのだ。今日は日曜日だと言うのに、そこには子供の活気で賑わう様な声は一切無かった。あるのは2人の影。

「……ムカつく」

 呟きながら、ガツン。と数少ない遊具の1つであるブランコの鉄柱を蹴り飛ばしていた。そこまで力を入れている訳ではないので、軽く揺れる程度である。

「……アイツ等」

 何度思い出しても、そうだ。と言わんばかりだった。

 彼女は《朝田詩乃》

 この場所は自宅アパートから近い小さな公園なのだ。そんな彼女の傍らで、その行動にぎょっとしているのは、新川恭二、GGOではシュピーゲルと言うアバター名を使っている男だ。

「め、珍しいね。朝田さんがそんな……ストレートな事、言うの」
「……」

 恭二の言葉に詩乃は押し黙った。
 正直、なぜここまで怒っているのか、イラついているのか、その根源が判らない。……正直、あの2人の片方、あのキリトであれば話は別だ。

「だってさ……」
 
 だから、詩乃はそちら側に対する不満を、イラつきをぶちまけた。足元に落ちている石を拾っては投げつけ、続ける。

「……図々しいし、セクハラやろーだし。GGOの中で剣なんか使ってるし! 何も銃の世界でそんな戦い方しなくてもいいじゃないのよ!! それに、あいつ、最初は女の子のフリして、私にショップを案内させたり装備を選ばしたりしたのよ!? ……ああ、あんな奴にパーソナルカード渡しちゃうし、お金貸しそうになるし。……ぶっ飛ばしたかったのに、どうして 私と当たらなかったのよ」

 最後には、周囲に石が無くなった為、行為と文句を中断した。

「それって、黒い戦闘服の方のコ……じゃなくて、男だよね?」
「え? あ、ああ そうよ。その通り。 ……あいつが決勝まで来てたら、脳天すっとばしてやるって思ってたのに。……アイツが来たから」

 最後の方で、言葉を濁す。
 そう、彼の事となれば、なぜかイラつく理由が判らなくなってしまうのだ。確かに色々とある。……キリトの行為を黙認していた事もそうだし、屁理屈を言う事もそうだ。だけど……、実害は? と聞かれれば殆ど無い、ゼロと言っていい。


――なのに、なぜこんなに考えるのだろうか?


 詩乃がそう考えていた時、恭二が彼女見ていた事に気づいた。驚いた様な気がかりなような、微妙な表情で。

「……なに? 新川君」
「いや……珍しい、と言うより初めてだから。……朝田さんが他人の事をそんなに色々言うの」
「え、……そう?」
「うん。朝田さんは、普段、あんまり他人に興味ないって感じだから……。それと」
 
 恭二は、詩乃に完全に身体を向けた。表情は少なからず真剣味を帯びている様だ。

「それと、あの、《リュウキ》って人の事となると、何だか口ごもる、よね? ……何かあったの? 彼の事」

 恭二が、更に気になったのはそちら側。勿論、詩乃が他人の事にそこまで関心を示している事にも十分に驚きの事だ。……初めて見たのだから。だけど、それ以上に、……あの男が気になるのだ。

「い、いや……アイツは、その……」

 詩乃は視線を逸らす。
 何か、何かを言わなければと画策していた時、ある事が浮かんだ。この気持ちとは、関係無いのは間違いない。だけど、他人が訊けば、理由になるであろう事が。

「えっと、……新川君も知ってるよね? 以前、私があの銃、へカートを手に入れた時の事や、一時共戦した初心者狩りスコードロンの事」
「え……? あ、あー。うん。……朝田さんみたいな強いプレイヤーを打ち破ったプレイヤーの事? 名前は、知らないんだけど」

 恭二はそういった。
 以前に色々とそのことは彼女から聞いていたのだ。リベンジマッチをしたいと思っていた詩乃は、所属しているスコードロンや時間帯などの情報を恭二に求めた。……だが、プレイスタイル同様に、その部分もその男は神出鬼没であり、判らなかった。

「そ、そう。……その男、アイツ、リュウキって人の身内なんだって」
「……へ? えええ!」

 恭二は突然のカミングアウトに驚きを隠せられず、思わず叫び声をあげていた。……周囲に誰もいなかった事が幸いだ。

「そ、そうなんだ。……それなら何だか、妙に強いのも何処か納得しちゃうね」
「………うん」

 詩乃は、頷くと、視線を細めた。睨みつける様に。

「……朝田さんが怒ってる所も久しぶりに見た気がするよ」

 恭二はその視線をみてそう言った。

 あの遠藤達に向けられた視線は心底侮蔑したモノであり、怒りとか、そんな次元じゃないのだ。

 詩乃は、その言葉を訊いて、心の中では否定する。怒っているのではない。……ただ、自分の感情が、気持ちが判らないだけだ。日頃、他人と積極的に関わろうとすることなど、恭二の言うように皆無だし、あの遠藤達についても、彼の考える通り。煩わしさ以外の感情などエネルギーの無駄だと切り捨てている。

 そもそも、詩乃には他人のことを考えている様な余裕など、無いはずなのだ。だけど、あの男達のことはどうしても考えてしまう。癇に障ったり、判らない感情に困惑したりと散々だ。あのBoBの予選が終了し、24時間経っていると言うのにまだ意識の何割もを占領し続けている。

「……私、怒りっぽいのよ。これでも」

 詩乃は恭二にそう返した。
 つま先がぎりぎり届く場所からわざわざ小石を引き寄せ、植え込むに向かって思い切り蹴り飛ばしながら。

「ふぅん。……そうなんだ。そうだ、ならさ」

 恭二はじっと詩乃を見ていたが、やがて思いついた様に勢い込んでいう。

「どっかのフィールドで待ち伏せて狩る? 狙撃がよければ囮はやるし……、確かに朝田さんが言う様なプレイヤーだから相当強そうだけど、超長距離からの狙撃と僕の敵意無しの囮があれば……いけると思うよ? 更にそれでもダメなら腕のいいマシンガンナーたちを集めて……」

 突然の恭二の提案に呆気に取られる詩乃。あれこれとPKプランを考え、まくし立てる恭二の言葉を右手を上げて遮る。

「え、えっとさ。……ううん、そういうんじゃないの。正直、2人ともムカつくけど、片方はバカ正直、片方は同じ意味だって思うんだけど、超正統派。 ……なら、私もフェアな条件で、堂々とぶっ飛ばしてやりたいのよ。 片方には負けたけど、あのセクハラやろーにはまだ負けてない。 2人の異常な戦闘時間で、プレイも目に焼き付けてるし。 幸い再戦、対戦も出来るし」

 そう言うと、詩乃は度なしメガネのブリッジを押し上げながら、スカートのポケットから携帯端末を取り出した。時刻を確認する為だ。

「あと3時間半でBoB本大会だわ。 その大舞台で今度こそ……」

 詩乃は右手の人差し指を真っ直ぐに東の空に向けた。照準線の先に、登り始めた赤い月を捉えて。

 その月に浮かべた顔は、一体どちらの顔だろうか?

 まるでルーレットの様に入れ替わる2人の表情。2人とも、そのアバターがどう見ても女の子にしか見えない。

 リュウキが言っていたが、あのM型アバターは《ナンタラ番台》、 それは《9000番台》と呼ばれているそうだ。ぱっと見て完全なF型。 しかも極めて希少(レア)だと言う事。それも、コンバートした2人揃って希少アバターを引き当てるのだから、運がいいのか悪いのか判ったモノではない。……あとで調べたら、そのアバターは高額で取引されているらしい。


 1人は、右も左もわかってない様で、かつての自分。即ち初心者時代の自分を思い出したから、引き込まれる様にガイド役を務めた、勤めてしまったのだ。

 そして、もう1人は違う意味で引き込まれた。

 鮮やかな銃捌き。……事実上攻略不可だと言われていたゲームをクリアしたこともそうだが、それはもう1人も同じだ。だけど、それ以上に目を引いたのは銃捌きの方。かつて、自分を圧倒した、これ以上ない程の差をみせられた相手と同等の技量を使ったことに目を奪われたのだ。

 そして、それから色々とあって……。

「~~~~~っ!!」

 詩乃が思い出したのは、更衣室となっている待機場所。主に女性プレイヤーが使っている空間。そこで見られてしまった事を思い出してしまったのだ。判らない感情よりも、怒気が圧倒的に占めてしまう。

「あいつには、風穴開けなきゃ気がすまない。 ……ビンタ1発なんかじゃ全然足りないわ!」

 心の奥に燻っている彼への想いをまるで押し殺す様に……全面に怒りを顕にした。……キリトもリュウキも、共通する闇を持っている事も忘れようとして。

「あ、朝田さん?」
「……え? な、なに?」

 興奮状態、鼻息を荒くしていると、再び驚愕した様に恭二が話しかけた。

「い、いや……、大丈夫なの? そんなことして……」
「え……? あっ……」

 詩乃はこの時、自分が何をしているのか、理解した。本当に無意識だった。……無意識のうちに、向けられただけで、見ただけで、この世界では吐き気さえ起こしてしまう形、拳銃を模した形を作っていたのだ。

 詩乃は、慌てて手を開き軽く振る。いつもなら、間違いなく動悸が跳ね上がるのに、不思議とそんな気配は無かった。

「う、うん、なんか……きっと、怒ってるからかな? 平気だった」
「そう……」

 今日時は顔を上げて、詩乃の目を見ながら、不意に両手を伸ばしてその右手を包み込んだ。暖かく、わずかに汗ばんだ手のひらの感触。

 ……暖かさは確かに感じた。……だけど、あの時のモノとは種類がまるで違った。

 一瞬、驚いた詩乃だったがすぐに俯く。

「ど、どうしたの、新川君」
「なんだか、……心配で。朝田さんが、いつもの朝田さんらしくないから。僕に出来ることがあったら、なんでもしてあげたいんだ。モニタ越しの応援しかできないけど、その他にも、出来ること、あったら……って」

 恭二の細いナイーブそうな顔立ちの中で両の瞳だけが、詩乃を見る瞳だけがうちの感情を持て余す様に熱く光っている。




――あの時の彼の瞳はどうだった?





 何で、ここで彼の事を。……あの男の事を思い出してしまうのか、判らない。
 ただ、目の前の恭二の眼とあの時、対戦した時。……肩で息をしつつもしっかりと見た眼を比べてしまっていた。





――何で、こうも違うの?





 どちらの手も確かに暖かい。だけど、根本的な 何か(・・)が 違っていたんだ。それを、その機微を感じたのだ。

「い、いつもの私、って言われても……」
「朝田さんて、いつもクールで、超然としててさ、何にも動じなくて、僕と同じ目に遭ってるのに、逃げたりしてないし。……とても強いんだよ。すっごく。朝田さんのそういうとこ、ずっと憧れてたんだ。僕の……、理想なんだ、朝田さんは」

 恭二の熱気に気圧される。
 やっぱり、違う。……全然違う、と詩乃はこの時強く想った。身体をひこうとするけど、背中にあたるのは遊具の1つのブランコの鉄柱。それ以上そうさせなかった。

「で、でも……」

 詩乃は、この時認めなかった。現実世界での弱い自分の事を、知っている筈だから。……だけど。

「シノンは違うじゃない。シノンはあんな凄い銃を自在に操ってさ。……最強のプレイヤーの1人じゃない。僕はあれが朝田さんの本当の姿だと思うな。……だからこそ、心配なんだ。動揺したり怒ったり。……あんな奴らの事で」

 恭二の言葉の最後には、悪意の様なモノも含まれていたが、それ以上に気圧されている詩乃には伝わって無かった。

「僕が、僕が力になるから……」


――でもね、新川君。


 わずかに視線を逸らす詩乃。


――私だって、ずっと、ずっと昔には普通に泣いたり笑ったりしてたんだよ。


 心の中で呟く。そして、無意識に比べてしまった彼の事も、恭二の後ろに見据える。


――……なりたくて、今の私になったわけじゃない。私だって、1人じゃなかった事だって……ある、あるんだよ。


 1人で強くなる事を望んだ詩乃……シノン。だけど、あの戦いの時に、彼から言われた言葉、聞いた言葉を思い返した。


――もしかしたら、もしかしたら心の底では、もっと普通に友達と笑い合ったり騒いだりしたいと思ってる?


 そうも、チラリと頭の中によぎっていた。だから、初心者の少女を見かけた時、通常のシノンからは考えられない程あれこれと世話を焼いたし、驚きの技術を見せた少女を見た時、思わず興奮して声をかけた。……そして、その中身が男達だと知って怒りもした。

 恭二の気持ちは素直に嬉しい。……嬉しいんだけれど、やはり違う。何処か気持ちの照準がずれているように思える。感じるモノも違うから。

「朝田さん……」

 不意に耳元で囁かれ、そしていつの間にか、背後の鉄柱ごと、恭二の両腕に包まれていた。まるで、恋人がそうする様に。……だけど、それを意識した瞬間、考えた途端、詩乃は反射的に両手で恭二の身体を押し返していた。

「………」

 恭二が傷ついた様な瞳で詩乃を見た。それも見て、ハッとした詩乃は慌てて言い訳をする。

「ご、ごめんね。そう言ってくれるのはすごく嬉しいし、君のことはこの街で……」

 そう言い切る時だった。頭の中に、チクリ、と何かが迸った。


『大丈夫か? ……その、悪かった。いきなり手なんか握って』


 声が、耳元で聞こえた……気がした。恭二の囁きよりもずっとずっと微かな声。


『どうもありがとう。ここからは《大丈夫》……だから。そっちも《大丈夫だよな?》』


 微かだけど、暖かな声。


――……なぜだろうか? その暖かさの種類が、同じ……なんだ。


「朝田、さん?」
「っ……」

 突然固まってしまった詩乃を見て恭二は思わず声をかけた。寂しそうに。ナイーブな彼の表情が更に落ちている。

「違う、違うの。……だって、新川君は私のこと、沢山助けてくれてるし。この街でも信じられる人、だと思ってる。 でも、でも。今はまだ……そういう気にはなれないんだ。……私の戦いが終わらないと。……それに、この問題は私が戦わないと、解決しない、から」
「……そう」

 頷いた恭二だったけれど、やはり寂しそうに俯くその姿を見たら、詩乃には罪悪感が胸に満ちてくる。恭二と、なぜか、なぜか比べてしまったけれど、本来はそんな事を考える時点で、最低だと詩乃は思えてしまった。何故なら、彼は、新川恭二と言う男は、自分の素性を、あの遠藤達が喧伝した為、全て知っているのだ。その上で、総てを知っても彼は自分から離れず、心を寄せてくれている。そして、彼が失望して離れようものなら、相応の哀しさ、寂しさで心を覆ってしまう事は判るだろう。


――そう、判っているのに……、ここの所、何故だか曇って見えてしまう。


 なぜか? 決まっている。……あの2人に出会ったから。


「だから……だから、待っててくれる?」


 詩乃は極かすかな声で囁くと、恭二も頷いた。


――……ありがとう、と唇だけで呟く詩乃。


 そして、これも無意識に、だろう。いや、この時詩乃は誰がいったのかすら自分自身でも判らなかった。なぜか、判らないけれど、その後に、『ごめんなさい』と 微かに聞こえたのだ。


 それが自分自身の声だと判ったのは、恭二と別れた直ぐ後のことだった。

 
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