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IF物語 ベルセルク編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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外伝1 哀戦士



帝国暦 489年  2月 25日   オーディン  帝国軍中央病院  アントン・フェルナー



人気の無い軍中央病院の白い廊下に複数の足音が響いた。誰も喋らない、口を開く事を躊躇わせるような静けさが廊下には有った。暫らく歩き幾つかの角を曲がると目指す病室が見つかった。二人の軍人が病室の前で警備している。
「あれか」
ブラウンシュバイク公が呟く。隣りを歩くリッテンハイム侯と視線を交わすと病室に近付く。病室の前に居た警備兵が姿勢を正して敬礼した。

警備兵が居るのは病室の前だけではない。帝国軍中央病院の出入り口の全て、エレベータ、エスカレータ、階段の全てに警備兵が配備されている。おざなりの警備兵ではない。リューネブルク中将率いる装甲擲弾兵が警備についている。彼らの誰何無しには出入りはもちろん階の移動も不可能だ。帝国でもこの病院以上に警備が厳しい建物は無いだろう。

「御苦労」
ブラウラー大佐が声をかけてドアを開けブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、俺、ブラウラー大佐の順で中に入った。簡素な部屋だ。ベッドと幾つかの機材。エーリッヒはベッドに上半身を起こしていたがこちらを見て軽く頭を下げた。ベッドに近付いた。

「元気そうだな、顔色も良い、手術も無事に済んだと聞いた」
「御心配をおかけしました」
「だがリハビリをしたがらぬと聞いたぞ。いかんな、思う様に歩けなくなる」
心配そうなブラウンシュバイク公の言葉にエーリッヒは穏やかな、困った様な笑みを見せた。ずっとこんな笑みは見せなかった。士官学校卒業以来かもしれない。今のエーリッヒにはあの過酷な内乱で正規軍を震え上がらせた凄みは感じられない。

「分かってはいるのですがリハビリをする気持ちになれないのです」
「困ったものだ、そうは思わぬか、リッテンハイム侯」
「全くだ」
帝国最大の実力者二人が苦笑している。普通なら恐縮する、だがエーリッヒは穏やかな笑みを浮かべたままだ。

「新無憂宮の北苑、西苑の片付けがようやく終わった」
ブラウンシュバイク公の言葉にエーリッヒが“そうですか”と答えた。昨年の夏、エーリッヒが北苑、西苑を艦砲射撃で粉砕した。地上だけではない、地下の残骸の整理がようやく終わった。ローエングラム侯も行っていたのだがクーデター騒動や暴動の所為で十分に行えなかったようだ。

「それにしても無茶をする。実際に残骸を見て肝を潰したぞ」
リッテンハイム侯の言葉にエーリッヒが微かに笑みを浮かべた。
「楽しかったです。反逆者になるのも悪くないと思いました」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせた。二人とも困った奴だというように笑っている。

「生き残れるとは思っていませんでしたし勝てるとも思っていませんでした。何処かで戦死すると思っていました」
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、俺、ブラウラー大佐、皆の視線がエーリッヒに向かった。
「だからあんなに無茶ばかりしたのか。一対一での決闘など……、一つ間違えば命を失っていたぞ」

リッテンハイム侯の言葉にエーリッヒは首を横に振った。
「無茶ではありません」
「勝つ自信が有ったのか?」
「いいえ、有りません。死ぬ気でした」
シンとした。死ぬ気だった。やはりそうだったのか……。“馬鹿な事を”とブランシュバイク公が小さく呟いた。

「馬鹿な事ですか……」
今度はエーリッヒが呟いた。口元に軽く笑みを浮かべている。
「十二の時、両親を貴族に殺されました。私の一番大切なものを貴族に奪われたんです、無慈悲に。あの時平民だからといって虐げられる事の無い社会を創りたいと思いました。それを両親の遺体の前で誓いました」
「……」

「そんな時ローエングラム侯が現れたのです。美しい目をしていた。下級貴族の出自、皇帝の寵姫の弟という立場、覇気、才能、全てが揃っていた。……出世も早い、彼なら帝国を変える事も可能だと思った。彼なら平民達の支持を得易い。新たな王朝を創る事も可能だと思いました」
「エーリッヒ!」
それ以上は言うな、言ってはいけない。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、ブラウラー大佐、皆顔を強張らせている。

「それからはずっと見てきました。多少政略面で弱い部分が見えましたがそれも悪くなかった。自分が助ければ、そう思いました」
言葉が続く、笑みが続く、楽しそうな表情だ。俺の制止など何の意味も無かった。エーリッヒはローエングラム侯の事を懐かしんでいる。

「だが卿はわしの所に残ったな。いつかわしとローエングラム侯が戦う事になると予想していたのに何故逃げなかった? 彼の所に行けば卿を重く用いてくれたはずだ。何故ローエングラム侯の所に行かなかった?」
「それは出来ません」
エーリッヒが首を横に振った。きっぱりとした口調だった。表情も変わった、現実を見据える目だ。

「私はコンラート・ヴァレンシュタインの息子です。父の名を貶めるような生き方は出来ません。それにローエングラム侯は節義の無い人間を軽蔑します。私は公に命を救って貰いました。それなのに公を裏切れば軽蔑されるでしょう。それくらいなら敵になる事を選びます。例え勝ち目が無くても」
笑みがまた浮かんだ、でもさっきまでとは違う。何処か寂しそうな笑みになっていた。

病室に沈黙が落ちた。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、ブラウラー大佐、そして俺、皆押し黙っている。何と言って良いのか分からない。いつも考えてしまう、あの時、エーリッヒをブラウンシュバイク公爵家に引き入れたのは正しかったのかと……。死ぬまでに答えを出せば良いと言われた、出なければ答えは無いのだと言われた。俺は答えを出せるのだろうか、その答えに納得して死ねるのだろうか……。

「……だが卿は敗けなかった、勝った」
「そうだね、アントン。私は勝った。彼の弱点である政略面を突いて。勝利が確実になっていくにつれ辛くなったよ。自分の夢が、願いが潰えてしまうと。侯は私にとってもう一人の私だったんだ……」
「……」

「私は何処かで貴族連合軍の勝利を願っていなかったのだと分かったよ。戦うために色々と準備をした、でもそれは勝つためというより無様な負け方をしてローエングラム侯に軽蔑される事を恐れたからだ。憐れまれるくらいなら憎まれたかった……」
「だから、ローエングラム侯をあんなにも貶めたのか? あれは自分の心を叱咤する為か? ローエングラム侯は敵なのだと……」
ブラウンシュバイク公が問うとエーリッヒは“はい”と頷いた。

「そして私を侯の心に焼き付けたかった。忘れて欲しくなかったんです。一騎打ちも勝てると思っていませんでしたし勝つつもりも有りませんでした。ただ最後にローエングラム侯に思う存分戦わせたかった。艦隊戦では死者が多く出ますから……」
「だから一騎打ちを……」
呻くようなリッテンハイム侯の声だった。

「ええ、侯の怒り、悲しみを私が受け止めようと思ったんです。それが私に出来る唯一つの事だと思った」
「償いか? エーリッヒ」
エーリッヒが首を横に振った。
「違うよ、そんな傲慢な事は考えていない。私の望みだ。侯と共に生き侯と共に死ぬ。侯の居ない世界に私は耐えられないと思った。実際今も酷く寂しい。何もする気になれない」
事実だろう、今のエーリッヒは酷く寂しげで頼りなさそうに見える。

「皮肉だな、卿が勝つとは」
ブラウンシュバイク公が嘆息を漏らすとエーリッヒがまた首を横に振った
「勝っていません。あの時私は心臓を庇った。ですがローエングラム侯は自分の喉を庇わなかった。無防備に私の上に倒れこんで来た。今でも思い出します、喉を切り裂かれるその瞬間まで侯は楽しそうに笑っていました。侯は勝つ事を望んでいなかった。戦いの中で死ぬ事を、私に殺される事を望んでいたんです。多分全てに絶望していたのでしょう」
「……なんと……」
リッテンハイム侯が呻きブラウンシュバイク公が首を横に振った。ブラウラー大佐は痛ましそうにエーリッヒを見ている。エーリッヒの眼から涙が零れた。一筋、また一筋……。

ローエングラム侯が天才ならエーリッヒはそれに匹敵する傑物だった。その二人が共に死を望んでいた。一人は全てを失った絶望から、もう一人は大切なものを失う絶望から。二人が協力すればどんな世界が現れたのか……。エーリッヒ、辛かっただろうな。敵も味方も大切なものも全て殺す。狂う事でしか成し得なかっただろう。ベルセルク、そう思った……。

「ローエングラム侯の死に責任を感じているのか?」
「責任ですか……、いいえ、ただ寂しい、虚しいんです。何故あの時心臓を庇ったのだろう。庇わなければ一緒に死ねたのに……。全てが私の望みとは別な方向に進んでいく……」
ブラウンシュバイク公の問いに答えるエーリッヒは寂しそうだった。死に損ねた、そう思っている、そしてその事を責めている。ブラウンシュバイク公がやるせなさそうに息を吐いた。

「……ヴァレンシュタイン、ローエングラム侯は死んだ。辛かろうが死んだ者は戻っては来ぬ。そして卿は生きている。生きている者は生きている者だけが成し得る責任を果たさねばなるまい」
「責任ですか……」
「そうだ、未来を紡ぐという責任だ」
「未来……」
虚ろな口調だ、ブラウンシュバイク公の言葉はエーリッヒの心に届いていない。

「卿が望んだ世界、わしとリッテンハイム侯で実現して見せよう。だから力を貸せ、ヴァレンシュタイン。怪我を治し戻って来るのだ」
「そうだ、我等には卿の力が必要だ」
「その必要はないでしょう。御婦人方に全てを託しました」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせてから微かに笑った。力の無い笑いだ、エーリッヒが不思議そうに二人を見た。

「残念だが卿の配慮は無駄になった」
「それはどういう意味です、公」
またブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせた。二人とも苦笑が止まらない。
「アマーリエと侯爵夫人が自分達の手には負えないと言って我らにチップを見せたのだ。二人とも震え上がっていたぞ。もっとも見せられた我らも溜息しか出なかったが」

俺も中身は見せてもらえなかったがチップの事は聞いた。一体何時から用意していたのか……。チップの事を聞いた時は声を出す事も出来なかった。
「自分で卿の夢見た世界を実現したいとは思わなかったのか?」
「……あれは保険だったのです」
保険? 自分が居なくても帝国が変わる様に残したという事か。違うな、リッテンハイム侯の問いに答えたエーリッヒは困った様な顔をしている。他に何か有る。

「貴族連合軍は負けると思いました。その時にはブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も戦死したでしょう。例え降伏しても反逆者の盟主と副盟主です、待っているのは死。生き残る事は出来ません。お二人を救う事が出来ないのならせめて両夫人、御息女方は助けたいと思いました」
「……」
皆、声も無く聞いている。エーリッヒ、卿は……。

「私も戦死していたでしょう。あの方達を守る人間はいない。だからあのチップを作りました。戦局が悪化したらチップを御夫人方に渡すつもりでした。そしてチップを使って内乱終結後、ローエングラム侯と取引させる……。ローエングラム侯ならあのチップの価値を理解して十分に利用するでしょう。庇護者を失い無力な寡婦と子供を許す事など何程の事でも無い」

「……閣下、そのチップは何時作られたのです?」
ブラウラー大佐が恐る恐る問うとエーリッヒは一瞬だけ大佐を見て直ぐ視線を逸らした。
「……クロプシュトック侯の反逆が終った時です。何時かローエングラム侯と戦う事になると思った。貴族にどの程度期待出来るかと思いましたが期待外れも良いところでした。貴族連合など所詮は烏合の衆だと再確認しましたよ。あの阿呆共と組んで勝てる筈がないと……」

ブラウンシュバイク公は溜息を吐きリッテンハイム侯は首を横に振っている。戦う事だけではなく戦った後の事、敗けた後の事も考えていたとは……。俺は戦う事だけで精一杯だった。俺だけじゃない、皆そうだったろう。ブラウラー大佐も溜息を吐くばかりだ。

多分エーリッヒはそうやってブラウンシュバイク公の恩に報いると同時にローエングラム侯に自分の夢を託すつもりだったのだろう。エーリッヒが内乱を恐れず死を恐れなかったのはその所為だ。こいつにとっては全ての準備が終わっていた。むしろ内乱が起こるのを、その時が来るのを待ちかねていたのだろう。

「ヴァレンシュタイン、改めて言う。早く戻って来い、そして我らに力を貸せ。今回の内乱で貴族は弱体化し平民の力が強まった。それを無視する事は出来ん。卿が望んだように社会を変えなければならんのだ」
「ブラウンシュバイク公の言う通りだ。あのチップだけでそれを成すのは難しい。卿の力がいる」
反応が無い。エーリッヒの心には届かない。エーリッヒの心はローエングラム侯を追っている。

「エーリッヒ、俺からも頼む。戻って来てくれ、皆が卿を待っている」
「……」
「陛下が卿の事を心配している。それにリヒター、ブラッケが卿を待っている。卿と改革について話し合いたいそうだ」
「……そうか」
駄目だな、俺の声は未だ心に届いてはいない。

「ロイエンタール、ミッターマイヤー提督達、ローエングラム元帥府の軍人達も卿を待っている。卿を頼りにしているんだ」
「私を? 馬鹿な、私は彼らの希望を潰した人間だ、そんな事は有り得ない。私を憎んでいるだろう」
ようやく反応が出た。そうか、エーリッヒが落ち込んでいるのはローエングラム侯の事の他に彼らの事が有るからかもしれない。エーリッヒは彼らを高く評価していた、疎まれていると思っているのか……。

「彼らは卿を疎んじてなどいない。卿がローエングラム侯の名誉を守ってくれたと感謝しているよ」
「……」
「彼らは今困った立場に居る。彼らを助けてくれないか」
「助ける? 私が?」
表情が動いた、良い傾向だ。

「彼らはローエングラム侯の元で正規艦隊司令官を務めた。その所為でいささか弱い立場にある。メルカッツ閣下は彼らを高く評価しているがこのままでは軍内で不当な扱いを受けかねない。改革派の政治家達も同様だ。卿に勧められてローエングラム侯に付いた所為で立場が弱いんだ」
「馬鹿な、何を考えている。これからの帝国には彼らの力が必要なのに」
喰い付いて来たな。

「だから卿が彼らを守ってくれ。この内乱で最大の武勲を挙げた卿が彼らを正当に評価すれば誰も文句は言えなくなる。そうだろう?」
「……」
「待っているぞ、エーリッヒ」
「……」
最後まで返事は無かった。



「戻って来るかな?」
病室を出るとリッテンハイム侯が呟いた。自信無さげな口調だ。
「戻ってきますよ、リッテンハイム侯。エーリッヒは戻ってきます」
「自信ありげだな、フェルナー。しかしヴァレンシュタインは戻るとは言わなかったぞ」
ブラウンシュバイク公が問い掛けてきたが公の目は笑っていた。公もエーリッヒが戻ると思っている。

「戻らないのなら戻らないと言った筈です。答えが無かったのは拒絶では有りません、迷っているのでしょう」
「……」
「エーリッヒは彼らを見捨てる事など出来ません。必ず戻ってきます。あいつは何時も誰かを助けたがっているんです」
そう、エーリッヒは必ず戻って来る。ブラウンシュバイク公が、リッテンハイム侯が、ブラウラー大佐が頷いた。待っているぞ、エーリッヒ。





 
 

 
後書き
最終話の感想でエーリッヒが一騎打ちで勝つのは不自然というような感想が有りました。自分としてはあれはラインハルトの自殺のような死を表したつもりだったのですが上手く伝わらなかったようです。という事でそのあたりを外伝という形で捕捉しました。でも書いてみて思ったのですがこの外伝が最終話でも良かったかなと思っています。
 
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