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無言の会話

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(ハガレン)無言の会話、ラスト

春を告げる鳥の声がブリッグズの山奥から聞こえてくる。
まだ風は冷たい。地面は硬い雪で覆われているが、これも時間の問題だ。
日に日に太陽は高くなり、暖かな光が凍てついた雪を溶かしていくだろう。
ギュッギュと、雪を踏みつけて俺は進む。
辺りには黒く平たいプレートのような物が、そこらじゅうに点在している。
石には名前が刻まれており、生まれた日を示す年号と、人生の終わりを示す数字のどちらもが記載されている。
俺は一つの墓の前で立ち止まった。
バッカニア。
かつてアームストロング少将の片腕として、ともに戦った男の名前だ。
彼の希望を尊重する形で、この凍てつくブリッグズへと遺体を運んだ。
「ファルマン少尉から聞いたよ。中央の煤けた空は似合わんだと? バッカニアよ。ずいぶん粋なことを言ったもんだな」
もしバッカニアがここに居たら、あの豪快な顔で笑ってくれただらう。しかし目の前にある無機質なプレートは無言を貫くばかりだ。
俺は花を供えようと身をかがめた。その時サカリと、手が何かに触れた。
雪のせいで気がつかなかったが、どうやらもう一つ、バッカニアの墓には花束が添えられていた。
高級そうな純白の包みだ。
「完全に雪と同化してるな。気がつかないわけだ」
花を足蹴にしない様にと、俺は花束を拾い上げた。
雪のように白い紙に包まれていたのは、空の様に青い花だ。
濃いブルーの花には見覚えがある。これはアームストロング少将の部屋で見た花だ。
「この花は何だったか……」
青い花。
確かこれはプリムラの花だ。バッカニアがアームストロング少将のプレゼントにと、選んだ花だ。
なぜこの花がここに有るのだろうか。誰が供えていったのだろうか……
頭に浮かんだのは一つのシルエットだ。ブロンドの髪をなびかせて、氷のごとく澄んだ青い瞳を持つ女王。
アームストロング少将だ。
「少将が来ていたとしても、おかしくないか」
そうだ、ここはブリッグズだ。
忙しい彼女でも、部下の墓参りくらいは出来るだろう。ああ見えても義理堅いところはあるのだ。
バッカニアが死んで一年だ。自分と同じように、節目としてここに来たとしても何ら不思議ではない。
その時だ。
正午を告げる鐘の音が教会から聞こえてくる。
確か、帰りの汽車は三時に駅に着くはずだ。あまりゆっくりしていられない。それまでの間に帰り支度を整えなくてはならない。
「バッカニア、また来るぞ」
またいつ来れるかは分からない。来年になるか、それとも何十年後になるか。仕事次第だ。
俺は懐から瓶を取り出した。透明な液体がちゃぷんと揺れる。
バッカニアがよく飲んでいたウォッカだ。
それを花束の横に置くと、俺は踵を返した。
懐中時計で時間を確認しながら、元来た道を戻っていく。
途中に小さな小屋のような、こじんまりとした商店が佇んでいる。先ほど花を買った店だ。
田舎の商店らしく、花のほかに雑貨や簡単な軽食も売られている。
二重になったガラスを俺は叩いた。奥から人の良さそうな夫人が顔を上げた。
「おや、さっきの軍人さんかい? もう墓参りは済んだのかしら?」
「ああ、名残惜しいが、帰りの時間があるんでな。何か食べ物はないか? 駅に着くまでの間に食べてしまいたい」
女はハイハイと頷くと、奥からいつくかの包みを持ってきた。どうやらミートパイのようだ。
これから先は、乗り換えだの移動だので疲れることだろう。俺は彼女の手から3つほど手に取った。
それをカバンに収めると、店を出るためガラス戸に手をかけた。
俺はふと、足元に色が落ちていることに気がついた。
ブリッグズの空の様に、深く澄んだ青い色。それが足元に見えている。
「店主、この花はプリムラの花だな?」
「男の人なのに、よくご存知ですね。珍しいわ」
俺は顔が赤くなるのを感じて、サングラスを顔に押し付けた。
男が花の名前を知っているなど、女々しいようで恥ずかしいのだ。
女は俺の表情など全く気がつかないようだ。ニコニコと目を細くして、花についてのアレコレを説明しだした。
「プリムラはどの花よりも早く花を咲かせることから『最初』って意味がある花なんですよ。それに花言葉も素敵で、無言の愛って言うんです。素敵な花でしょう?」
「ああ、いい花だな」
花に興味が持てない俺は、適当な感想を述べた。
女店主に礼を言うと、ガラス戸を静かに閉めた。
風が頬に当たる。冷たさが残るものの、昨日より暖かくなっているようだ。
ここも雪が残っているが、あっと言う間に、若葉が生い茂るようになるだろう。
「春を告げる花か……」
俺はミートパイを食いながら、女店主の言葉を思い出していた。
プリムラ。花言葉は無言の愛。
バッカニアはプリムラが持つ意味を知っていたのだろうか。知っていて、 アームストロング少将のプレゼントに、プリムラを選んだのだろうか。
知っている、知っていないで、花の持つ意味は大きく変わるだろう。
「そういえば……。ウィリアムの奴……」
あの色男は、プレゼントの発案者がバッカニアである事を気にしていた。それはどういう意味があったのだろうか。
プリメラの花、発案者であるバッカニア、アームストロング少将にプレゼントを受け取ってもらった時の彼の笑顔。
『中央の煤けた空は俺には似合わん』
バッカニアの声が頭に響く。俺は弾けるように空を見上げた。
頭上に見えるのは青い空だ。
どこまでも吸い込まれてしまいそうな、真っ青な空。
同じような青さを自分は知っている。バッカニアと二人で、よく見ていた青の色。我らの女王。アームストロング少将の瞳の色だ。
「ああ、そうか、バッカニア。そういう事だったのか」
所々で感じていた疑問が一つに結びつく。頭の靄が晴れたようだ。
きっとバッカニアはプリムラの持つ意味を知っていたのだろう。
だからこそ、アームストロング少将の誕生日にプレゼントを贈ろうなど企画したのだ。
決して口にする事の無い想いを、バッカニアは何としても伝えたかったのだ。
なら次なる疑問だ。アームストロング少将はどうなのだろうか。
プリムラの花言葉を、バッカニアの想いを知っていたのだろうか。
「少将は有名なアームストロング家のお嬢様だ。間違いなく知ってるな」
バッカニアの墓に供えられいたのは青いプリムラの花だ。無言の愛。その意味をアームストロング少将が知っている可能性は高い。
ならこの花は、アームストロング少将からバッカニアに当てた想いなのだろうか。
「この話をしたら、俺は少将に殺されるな」
俺はミートパイを口に放り込んだ。食べ応えのある一枚だ。
ようやく墓の出口も見えてきている。残りの2枚を完食する頃にはホテルに着くだろう。
春を告げる鳥が鳴く。
俺は空を見上げた。バッカニアが愛したブリッグズの空だ。
「想いは届いたか? バッカニア」
空は無言で微笑むばかりだ。



END 
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