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SNOW ROSE

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騎士の章
  Ⅲ


 リグの街を出てから、約一ヵ月半が過ぎていた。
 今、二人の目の前には、この国第三の街メルの大門が見えてきていた。
 二人は何事も無く抜けられると考えていたが、通行証を見せるなり「公がお呼びです。直ぐに館へお越しください。」と、そのまま馬車へと放り込まれてしまったのである。
「一体どういうことなんだ?」
 マルスは馬車の中で首を傾げエルンストに問ってみたが、彼もまた予想外の出来事に戸惑っていた。
 暫らくの後、静かに馬車が停まった。どうやら着いたようである。
「二人とも、よう来られた。」
 そう言って年老いた男性が出迎えてくれた。この人物がケルテス公である。正式にはベッツェン公爵エギーディウス・ヴァン・ケルテス=アンハルトである。
 公の姿を見たエルンストは即座に膝を折って領主への礼を取ったが、公は「礼を取らずともよい。」と言って、エルンストへ手を差し伸べた。
「相変わらずですね、ケルテス公殿。」
 そう言うや、エルンストは笑って公の手を取り、立ち上がって言った。
「誠にお久しぶりです。しかしながら、公自らお出迎えなさらずとも宜しかったでしょうに。」
 隣に礼を取っているマルスも、それは不思議に感じていた。位が自らと同等であるか、あるいは上位であるならばともかく、下位にあたる自分達を自ら出迎えるなどありえない。
「そなたがマルスか。そう鯱張らんでも良いから、楽にしてくれ。」
 考えていることが見透かされているのか、公はマルスにも手を差し伸べ、立ち上がるように促したのであった。
 だがマルスは驚いて目を見開いてしまったのであった。
「失礼ながら、私目の名を何故…?」
 名乗ってないのだから当然の反応であろう。ケルテス公はにこやかにその理由を話した。
「ベルクより書簡が届いておったのだ。あやつとは長い付き合いでのぅ。どうせわしの事は聞いてはおらんだろうがな…。」
 アンナから少し話しは聞いていたが、まさかベッツェン公爵のこととは思わなかったマルスは、ただただ恐縮するばかりであった。
「ここではなんだ、中に食事を用意してある。そちらで話すとしよう。」
 公は二人にそう言うと、後ろに控えていた執事らしき人物に向き直り指示を出した。執事らしき人物はすぐにその場を去り、それから三人は館内にある食堂へ向かったのであった。
 食堂へ着く合間、広い廊下には多くの肖像が飾られていた。その中の一枚に、エルンストに似た人物の肖像があり、マルスはそれに目を留めた。
 かなり古い絵であることが見て取れたが、気になる程度で尋ねる程でもないと思い、それを口にすることはなかった。
 食堂へ着くと、先程の執事らしき人物が待っていた。
「クレン、あれはあったか?」
「はい、公爵様。七本ございましたので、内五本を用意してございます。」
「そうか。ではお前も席に着くのじゃ。この二人に紹介せねばならぬからのぅ。」
 クレンと呼ばれた執事らしきその男性は、公の言葉に難色を示した。
「公爵様、私は…」
 彼がそう言い掛けた時、公は苦笑いしながら言った。
「分かっておる。仕事の最中と申すのであろう?これも仕事の内じゃ、さぁ席に着け。」
 言われた男性は仕方ないといった風に溜め息を一つ零して席に着いた。
 それを見た公は満足気に顎髭を撫でながら、エルンストに向かって彼を紹介したのである。
「食事を始める前に紹介しておこうかのぅ。前に座るは我が執事であるクレンじゃ。」
 そう唐突に紹介されたクレンはそれに動じず、スッと席を立って頭を下げた。
「ヨーン・ファン=クレンと申します。以後、お見知りおきを。」
 明るい日差しの差し込む食堂で、彼の美しさは奇異なるものにも見えた。だが、それよりも二人は、彼の名前に驚いてしまったのである。
「ヨーンって…もしや、ヨハネス皇国の…。」
 このプレトリウスに於て、名前にヨハネスの略字やそれに関する名前は使わないのが普通であった。
 しかし、そうであれば地方とて、爵位ある者の下に仕えさせるなど聞いたこともないのである。
「驚かれたことと存じます。私はヨハネス皇国出身なのですから。ですが、私は故郷を捨てた身。そんな私を拾い、公爵様に仕えさせて下さったのは、他ならぬベルク様なのです。」
 クレンはそう説明すると、軽く一礼して再び席に座った。
 前の二人は何だか意味が分からず、公が微笑みを浮かべながら言葉を繋いだ。
「まぁ、分からんのも無理ないのぅ。あやつは関わった者達のこともあまり口にせんやつだからの。どれ、先ずはわしのことから話すとしようか。」

 手短に話せば、こうである。

 未だ公も若かった時分、隣国のヨハネスへ供を連れて旅をしたことがあった。
 意気揚揚と旅を満喫し、いざ帰ろうと国境近くのステファナという村を出た。
前日のひどい雨で地面はぬかるんでいたが、日が良く照っていたために先を急ぐことにしたのである。
 だが、途中の山道で土砂崩れに巻き込まれ、危うく命を落しかねなかったことがあったのだ。
 公は谷へ落ちてしまったのだが、奇跡的に柔かい枯葉の積もった岩の上に落ち、大した怪我もせずにすんだ。だが、上では供の者が怪我をしている様子で、呼んでも返答が返ってこなかったのである。
「さすがにわしも困ってしまってのぅ。登ることも出来ぬ急な崖で、下の谷川は先の雨で増水しておる始末じゃ。そこへベルクが通り掛かったのじゃよ。天の采配とは良く言ったものだのぅ。」
 公一行を見つけたベルクは、一先ず公の供等を手当てし、その後、荷物から縄を取り出して難なく公を助けだしたのだという。
 それ以降、ベルクとは付き合いがあり、今でも書簡のやり取りがあるのである。
「さてクレンよ、次はおぬしの番ぞ。」
 公の話しは終わったようで、クレンに話題が移された。
「どこから話せば良いやら…。」
 クレンはそう言うと、暫し思案した。それから少し間を置いて語り始めたのであった。
「ではベルク様に出会った経緯から…。」
 それは六年程前になる。
 クレンはヨハネスにて、元はミルバーム伯爵の三男として育った。
 だが、父のハンス・ペツォーレの贅沢ぶりにクレンは反感を抱き、それを父に進言した際に口論となり、半ば勘当同然に屋敷を後にしたのだと言う。
 最初は途方に暮れ、行くあての無い旅をしていた。だがある日、人買いに捕まってしまったのである。彼の容姿に目を付け、高値で売れると罠を張っていたのだ。
 そこへ偶然にも、食品の買い付けに来ていたベルクがそれを発見し、人買い商人らを素手で倒して追い払ってしまった。
 もっとも、この大陸では人買いは違法であり、殺されても文句は言えない。捕まっても死罪になるので、追い払われた者は幸運と言えるかも知れないが。
「その時、ベルク様は私を拾って下さり、後に公爵様に推挙して下さったのです。これが私がここに在る理由であり、ベルク様と公爵様のご恩に報いる唯一の方法だと考えております。」
 言葉少なに語ったクレンであったが、彼の言葉にはかなりの重みをマルスは感じていた。かなりの苦労があったことは、旅をした者であれば容易に想像出来たからである。
「さて、これを開けるかの。」
 沈んだ空気を払拭したいのか、公は陽気な声で一本のワインを持ち上げた。
 今まで沁々としていたマルスとエルンストであったが、そのワインをみるなり顔を引き攣らせたのであった。
「なんでドナなんですか…。」
 二人は二人して同じことを言った。
「ん?なんじゃ、ドナは嫌いかのぅ?ベルクが二人にはこれをと書いてきとったが…。」
 マルスとエルンストは顔を見合わせて苦笑いするほかなかったのであった。

 さて、食事も大分片付き、エルンストはそろそろ良かろうと話を切り出した。
「ケルテス公殿。勅令にて呼び出した理由を、そろそろお教え願いたいのですが。まさか、晩餐のためではありますまい。何かあったのですね?」
 公は静かに目を閉じ、暫らくは無言であった。それから目を緩やかに開くと、耳を疑うような事を口にしたのである。
「エーヴェルハーネ王妃が幽閉されたのじゃ。先日、わしのもとに王妃自らがしたためられた書簡が届けられての。王妃付きの家臣達も見張られているようで、何とか隙を見て出入りしている商人に渡したようじゃ。」
 公の話しを聞いて二人は驚愕した。
 この国で第二位の地位にあるのは王妃であり、その力は王にも匹敵する。法を収めたプレトリウス王大典には“王が誤った路に民を導かぬよう、王妃がこれを戒めるべし。王妃の権限はこれ、王にすら拒否すること罷に成ならぬ”とあるため、幽閉されるなどありえない話しなのである。
「書簡の内容じゃが、どうやらガウトリッツ王子が王に進言したらしいのじゃ。弟のアルフレート王子が母である王妃と結託し、王へ謀反を企てているとな。」
「ありえないっ!」
 公から書簡の内容を聞くや、エルンストは立ち上がっり、その拍子に椅子が倒れた。
 怒りに満ちた表情で立つエルンストに公は静かに言った。
「憤るのも無理ないことじゃの。しかしな、そう頭に血を上らせては、この先やっては行けぬぞ?仮にもおぬしは王家の血筋なのだから、もう少し冷静に対処せねばな。」
 なんとはなしに公は言ったのであろうが、その言葉にマルスとクレンは驚いてしまった。
「エ、エルンストが王家の…!?」
 マルスはエルンストに視線を移したが、彼は「失態だ。」と呟いて公に一礼すると、その場を後にしてしまったのであった。
 残されたマルスは気まずそうに公を見ると、公は顎髭を撫でながらマルスに語りかけた。
「なに、直ぐに戻って来よるわい。頭を冷やしに行っただけじゃからのぅ。前と少しも変わらんやつじゃ。」
 まるで叱られた子供のことでも話しているかのように言った。
 そんな公に、マルスは一つ質問をしたのである。
「エルンストが王家の血筋とは…どういうことなのでしょうか?」
 そう問われた公は目を丸くした。
「なんじゃ、聞いておらなんだか。あやつはプレトリスⅥ世の末裔じゃ。かの王が妾に生ませた子が侯爵の地位とシュトッツェル地方を領地として頂き、その分家がヴィルヘルムの家系になる。今は伯爵の地位に着いているはずじゃが。この公爵家にも一度、ヴィルヘルム家から養子を迎え入れたこともある間柄じゃよ。」
 マルスはその話しを聞き、廊下で見た肖像画を思い出した。

―これで納得がいったな。―

 その外にも質問したいことは山のようにあったが、とやかく聞くのも無礼だと思い、その場は止めておくことにした。
 目の前には静かにクレンが座っているが、こちらは公を見て苦笑いしながら、ワインを飲んでいるのであった。

 さて、ここは館にある中庭である。秋の深まりつつある暮れの太陽は、落ち行く木の葉を赤々と照らし、名残惜しげに山影へその姿を消そうとしていた。
 その一角に、先程食堂から出て行ったエルンストの姿がある。

―公の前であのような醜態を晒してしまうとは…!―

 中心に据えられた噴水の縁に腰を掛け、自分を叱咤している様である。
 そんな彼の前に、いずこからともなく一人の女性が姿を見せた。
 長い金色の髪に、どことなく物憂げな栗色の瞳が印象的な女性であった。
 エルンストはその女性に気付き、驚いて何者なのかと問い質した。その女性は彼の反応が可笑しかったのか、少し笑いながら自らの名を名乗った。
「私の名はエフィーリア。自然の調和を保つ者、神の言葉を告げる者。」
 それを聞いたエルンストは顔を顰め、憤慨して言い返したのである。
「何という不届きな輩だ!女神の御名を語るとは何たる冒涜!」
 エフィーリアは、そんなエルンストを見てやれやれといった風に頬に手をやった。
 エルンストはそんな彼女の仕草を見て馬鹿にさるたと感じ、傍らに置いていた短剣を抜こうとした。だが、どうしたことかそれは岩の様に重く、抜くどころか持ち上げることも儘ならなかった。
「この地に剣は似合わないわ。」
 そう優雅に微笑んだエフィーリアを見て、エルンストはやっとこの女性が女神であるのだと理解した。
 その後、彼は片膝を折って礼を取り、先の無礼を詫びたのである。
「そんなことはよいのです。私は、あなたに告げなくてはならないことがあって来たのですから。」
 そう言うと、エフィーリアは沈鬱な表情を浮かべ、これから起こる事柄をエルンストに話したのであった。
 エルンストはそれらを聞いて顔を青くし、女神に問い掛けた。
「私は…どのようにすれば宜しいのでしょうか…?」
「あなたはマルスを守らねばなりません。そのために、あなたはここへいるのです。必ずや彼がこの国を救ってくれるでしょう。」
 全てを伝えた女神エフィーリアは、エルンストの手を取って祝福を与えると、そのまま消え去ってしまったのであった。
「大変な事になる…!」
 エルンストはそう呟くと、そのまま走って館内へと戻ったのである。

 天には星々が瞬き、その中に一際美しく月が輝いている。その光は大地を青白く映し出し、真昼の喧騒を冷ましているようであった。
 女神に会った後、ケルテス公らの前に駆けてきたエルンストは、そのまま女神の言葉を伝えた。マルスに関する一部を除いてではあるが、それはエルンスト自身に告げられたものであり、あらぬ不安を煽らぬために差し控えるためでもあった。
 当初は困惑していたケルテス公らも、聞くうちに彼の言葉を信用するようになり、それならばこの先の難局をいかに乗り切るかと思案していた。
 マルスは直ぐにでも立つべきと提案したのであるが、公はそれに反対した。
「気持ちは分かるが、ここは準備を整えて出立するがよかろう。」
 エルンストもこれには同感であった。今の旅支度ではあまりにも心許ない上、丸腰のまま敵地へ入る無謀は避けたいのである。

―何としても守らねばならん。この国の将来のために…。―

 今のエルンストには、女神と交わした言葉が深く胸に刻まれていた。

 その後、彼らがこの街を出発したのは十日あまり過ぎてからのことである。
 彼らのために公は馬車を用意し、これからの資金も工面してくれた。
「アルフレート王子も、そうそう資金を送ることは出来まい。それと、貴族の中にはかなり厄介な者も居る故、クレンを供として連れて行け。何かと役に立ってくれようぞ。」
 ケルテス公に言われるや、クレンが二人の前に歩み出た。
「宜しくお願い致します。」
 貴族との交渉に無頓着な二人には有り難い申し出であり、二人とも「こちらこそ」と、堅い握手を交わしたのであった。
 心強い味方を得て、彼らは街を後にした。
 残ったケルテス公は心配そうに彼らを見送り、快晴の秋空を仰ぎ見て神に祈った。
「天よ、彼らに幸いを…!」

 時は王暦五百九年十月の終わり。
 後々にまで語り継がれるお家騒動の幕開けであった。

 
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