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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十五章 忘却の夢迷宮
  第九話 身体は剣で出来ている

 
前書き
 ちと長いです。 

 
『―――教えて』


『……唐突ね』


『わたしは……どうしたら、いい』


『部屋に入ってくるなりいきなりそれ? 全く、夜中に淑女の部屋に押しかけてくるなんて、あなたが男だったら今頃蜂の巣よ』


『わたしは、彼に、何ができる……』


『……話を聞かないわね、この子』


『あなたは、彼と長い付き合いだと聞いた。なら、教えて欲しい。わたしは、彼に何が出来るのか』


『そんなもの自分で考えなさい。人に聞くようなものじゃないでしょ。ふ、ぁ、あ……むぅ、もう夜も遅いし、早く寝なさい。夜ふかしはお肌の天敵よ』


『わたしは―――ッ……お願い、します……』


『……はぁ……全く、何で何時もこうなんのよ。ほらほら頭を上げなさい。女がそう簡単に頭を下げない。もう、仕方ないわね。で、何だって? あの馬鹿がどうしたって?』


『……何時も、わたしは助けられてばかり。彼の力になれたことなんてなかった。わたしの実力では、彼の足でまといにしかならない』


『そう思うのなら大人しくしていなさい』


『っ―――そんなこと』


『出来ないって? じゃあ何なのよ? そもそもあなたは何が知りたいの? 何ができるか聞いてるけど、自分の実力じゃあいつの力にはなれないことは自覚してるんでしょ。じゃあつ

まり、あなたは強くなりたいってこと?』


『違う、そうじゃないっ。ただ、ただわたしは……今のわたしでも、何か彼の力になれないか……』


『………………本当に最悪ね』


『それは―――っ、自分でも、分かって、いる……』


『何勘違いしてるのよ。もう、違うわよ。わたしが言っているのはあいつのことよ。全く、こ~んないたいけで純粋な子を誑し込んじゃってまぁ……』


『誤魔化さないでっ、わたしは―――』


『別に良いんじゃないの?』


『え?』


『そう、ね。先達として一つ助言するとしたら―――信じてあげなさい』


『しん、じる……?』


『そう。信じる―――たったそれだけのこと。でも、それが何よりも難しい』


『何を……わたしは元から彼を信じて―――』


『―――何の罪もない子供を殺しても?』


『……え?』


『助けを求める人を見殺しにしたとしても?』


『な、にを、言って……?』


『……救いを求める人を、殺したとしても?』


『―――あなたはっ!! 何を言って―――』


『―――信じられる?』


『っ、ぁ……』


『それでも、あなたは最後まであいつを信じていられる? 最後まで、あいつの味方でいられる?』


『わた、しは……わたしは―――それでも、信じる……例え何があったとしても、わたしは、彼を最後まで信じる』


『……そう、でも、口では何とでも言えるわね』


『わたしはそんな―――』


『じゃあ、あいつが死にそうな目にあっても、信じ続けていられる?』


『え?』


『……何も出来ず、ただ、あいつが死んでいく様を見ていることしか出来なくても、それでも、あなたは信じていられる?』


『意味が、わからない……あなたは、何を言っているの……?』


『……ま、あなたの気持ちはわかるけど、こちらから言えることはそれだけよ。何があろうとあいつを“信じなさい”。その想いが本物なら、きっと届くから……』


『わたしが知りたいのはそんな自己満足な話じゃないっ! わたしはっ―――』


『話はここでおしまい』


『待って! わたしはまだ納得していないっ!!』


『私からのアドバイスはそれだけよ。納得できないって言うのなら、後は自分で考えなさい』


『……もう、いい』


『そう、なら、おやすみなさい』


『―――最後に、一つだけいい?』


『……なに?』


『あなたは、どうなの。信じているの……』


『愚問ね。年季が違うわよ年季が』


『……わたしは―――負けない』


『―――小娘が、十年早いわよ』










 ―――悲鳴が、喉奥で響く。
 船を覆い尽くさんばかりの炎が上がる度に、逃げるように目を閉じてしまう。
 一キロ以上離れているにも関わらず、船から炎が上がる度に全身が燃えるような熱風に焼かれる。
 
「―――っ、もう、駄目ッ!! シルフィードッ!! お願いっ! 行ってッ!! 彼を助けてッ!!」
「きゅ、きゅい~……だ、駄目なのねおねえさま。これ以上近づいたら落ちてしまうのね。む、無理ね、無理なのね……ご、ごめんなさいおねえさま……」
「そんな、いや……お願い……こんなの……いや―――」

 涙で歪む船へ手を伸ばす。今もまだ、彼は戦っている。自分たちを守るために、あの(地獄)の中で戦っている。
 わたしは、また、それを見ていることしかできない。

「お願い、シルフィードッ―――彼を、シロウを助けてッ!!」
「おねえさま……」

 シルフィードの首に縋り付くタバサ。
 硬い鱗越しにも感じられる己の主の腕に込もる力に、その想いの強さを感じたシルフィードだったが、悲しげに目を伏せると絞り出すように声を上げた。
 
「ごめんなさいおねえさま……でも、無理なのね……」
「っ―――!!」
「おねえさまっ!!?」

 熱風が吹き荒れる中、杖を片手に立ち上がったタバサが魔法の詠唱を始めた事にシルフィードは慌てた。
 “レビテーション”の魔法でこの灼熱の風が吹き荒れる空を飛ぶことは自殺行為にほかならない。それは魔法に縁のない者でもわかるほどだ。
 普段の冷静さからは信じられないタバサの行動に、シルフィードのタバサを止める手が一瞬遅れる。
 シルフィードの制止の声を振り切り、タバサが燃え上がる船へと飛び上がり―――


 ―――パンッ!


 頬を叩かれた。
 船―――士郎の事しか目に映っていなかったタバサの意識の外から放たれた衝撃は大きく、シルフィードの背中にその小さな身体を倒れさせた。
 
「―――え」 
「ごめんなさい。でも、こうでもしないと止められそうにありませんでしたから」

 タバサの頬を叩いたのは、アンリエッタだった。
 風に煽られ揺れるシルフィードの背中という不安定な足場で立ち上がったためか、直ぐに体勢を崩し膝を折って座り込んだアンリエッタは、呆然と自分を見上げてくるタバサへゆっくりと手を伸ばした。

「シロウさんの下へ行きたいのは痛い程わかります。ですが、それはいけません」

 赤く腫れたタバサの頬をそっと撫でた手を肩に置き、アンリエッタは微笑んだ。
 優しく、そして穏やかな微笑みだ。
 それと同時に強さも感じられるものであった。

「……どう、して。あなたはそんな顔で―――笑っていられる……彼が、シロウが、今にも死にそうなのにッ! どうしてっ!? どうしてそんな顔でいられるのっ!!?」

 何時もを知る者が見れば別人かと見紛う程に感情を爆発させた怒声を放つタバサに、その言葉を向けられる当の本人であるアンリエッタは、浮かべた笑みを深めただけであった。

「あなたは……」
「わたくしには何もできません」

 タバサの瞳を見つめながら、アンリエッタはゆっくりと、穏やかな口調で言葉を向ける。

「王としても、一人の女としても、こんな時でも……わたくしには彼の力にはなれません……」
「それは、それはわたしも同じっ―――でも、だからといってただ見ているしかできないのは嫌っ! 何も出来ないのは、嫌なの―――っ!!」

 幼子のように泣きじゃくりながら首を振るタバサをそっと胸に抱きしめる。
 胸元に縋るようにして泣くタバサの頭を撫でながら、その耳元でアンリエッタは囁く。

「……だから、信じましょう」
「え?」
「何も出来なくとも、信じることは出来ます」

 タバサの両肩に手を置き、ゆっくりと胸元から引き離す。
 そして、涙に濡れた瞳で呆然と見上げてくるタバサににっこりと笑いかけた。 

「わたくしには、それしかできませんから」
「そんなの―――もし、それで彼が死んだら。わたしは耐えられないっ!!」
「ええ、それはわたくしも同じです」
「それなら……どうしてあなたは何もしないの……信じるって……それで彼が―――シロウが死んだら……どうするの……何で、信じるだけで我慢できる……」

 胸元に縋り付いてくるタバサの頬を、アンリエッタは両手で包む。

「それは、わたくしが彼を愛しているからです」
「……あい……して……」

 ポカンとした顔で見上げてくるタバサの顔を可愛く思いながら、アンリエッタは今まで浮かべていた聖母の如く微笑を悪戯っぽい笑みへと変えた。

「ええ、あなたと同じように、ね」
「な―――っ!?」

 顔を真っ赤にして慌てて胸元から飛び離れたタバサの様子をクスクスと笑いながら見ていたアンリエッタが、すっと寂しげな顔になると今も戦い続けている燃え盛る船へと視線を向けた。

「本音を言えば、わたくしも今すぐあの場に行きたいです。例え死んでしまうとしても、あの方の傍に一瞬でもいられる方がいい……そう、本気で思っています」
「なら、ならどうして……」
「だから言った筈ですわ。わたくしはシロウさんを愛していると」
「愛しているなら―――」
「わたくしは、彼の全てを受け入れたいのです」
「うけ、いれ、る?」
「……シロウさんの良いところも悪いところも全てを認め、受け入れたいのです」

 アンリエッタは自分で自分の身体を抱きしめた。
 それはまるで、今にも飛び出そうとする自分自身を押さえ込むかのようであった。

「足でまといになると知りながら、彼の下へ行くのはただの我儘でしかありません。例えそれが心の底から彼の力になりたいという願いから来たものでもです」
「そんな、わたしは……」

 否定しようと上げた声は、尻すぼみに消えていく。
 アンリエッタはそっとタバサの髪を梳くように撫でると、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。

「彼の助けになりたい、彼の下に行きたい、それは全て自分の願いでしかありません。『逃げろ』と言った彼の気持ちを無視したものです」
「でも、でも、それでも―――」

 胸元で弱々しく顔を横に振るタバサを抱きしめながら、アンリエッタは幼子に言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。

「信じましょう彼を。シロウさんを―――必ず無事に帰ってくると。勝って必ずわたくしたちの下に帰ってきてくれると」
「そんなこと、わたしには」
「できますよ」
「何で、何でそんなことが……」
「だって、あなたもシロウさんを愛しているのでしょう。なら、きっと信じられる。シロウさんは負けないって」
「ぁ……」

 自分を抱きしめるアンリエッタの腕が細く震えていることに気付いたタバサが、そっと顔を上げる。
 アンリエッタは心配そうに見上げてくるタバサに恥ずかしそうに笑みを向けた。

「わたくしもまだまだですね。でも、それでもわたくしは信じて待ちます。それが、彼を愛すると決めたわたくしの決意です。その結果が、彼の死とわたくしの心の死んだとしても、その決意は変わりません」 

 未だ不安気に涙を流しながらも、グッと口元を噛み締めて何かを決意したタバサの様子に安堵の息を吐いたアンリエッタは、不意に今まで黙って見ていたジョゼフへと顔を向けると、ニッコリと笑いかけた。

「この覚悟を聞いても―――あなたはまだ気楽だと言えますか?」









 ―――火―――炎とは、気体が燃焼し熱と光を出す現象である。
 そこには硬さや重さはなく、言うなれば気体の一種だ。
 触れて火傷をする事はあるが、それを掴むことは出来ない。
 そのため、押し付けられれば火傷をする事はあるが、押しつぶされる事はない。
 
 そう―――その筈だ。

 しかし、これ(・・)は違う。



「―――ッグ、アアアアアアアアあああああああッ!!?」



 これ(・・)は―――重く―――硬い―――。



 受け止める事は考えない。
 初陣の少兵の如く無様なまでな大げさな動きで身体を仰け反らせる。
 常に敵の攻撃を紙一重で避けていたのが嘘のようなていたらく。
 しかし、それも止む無し。
 それ程までに、これ(・・)は危険であった。

 ―――“炎の剣”

 一言で言えばそうだ。
 全長三メートルはあるだろうか。常に揺らめき、確かな姿を取ることはないが、柄と刀身は何とか見て取れる。
 剣である。
 ただし、それは全てが炎で出来ていた。
 柄も、刃も、何もかも、その全てが桁違いの炎で出来ている。
 それこそ、この船を燃やし尽くすだけの熱量を内包しているだろう
 だからそれが振るわれる度に、余波だけで辛うじて形を保っていた船が崩れていく。狂乱の声とともに乱雑に振るわれる炎の剣。その刀身がかすりでもすれば、例えそれが“固定化”を掛けられた甲板であったとしても()どころか()も残らず文字通り燃え尽きて(・・・・・)しまう。
 それだけの熱量。
 例え大きく飛び離れてその刃から逃げ果せられても、熱せられた風圧は避けることは不可能。
 炎の剣が振るわれる度に高温に熱せられた風圧に肌が炙られ、既に全身は軽度の火傷を負っている。
 動く度に全身が引き攣られる痛みを訴える。
 焦げ付いた髪からタンパク質が焼ける独特な臭気が漂う中、喉が焼かれるのも構わず大きく息を吸い裂帛の気合とともに矢を射る。
 一呼吸のうちに三射。
 その全てが宝具に及ばなくとも並の強度ではない魔剣の類。
 それも炎に耐性を持つ魔剣である。
 しかし、


 ―――Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!


 その全ては標的から生み出される炎の壁に融かされ消し飛ばされる。
 都合十回目の結果に落胆する暇もなく、振るわれた剣から生まれた炎を甲板を転がるようにして何とか回避する。
 
「ま、ったく―――規格外にも程がある」

 士郎は“炎の魔人(イフリート)”とでも言うしかない化物となったワルドを睨み付ける。
 戦闘を開始してからまだ五分も経ってはいないが、既に士郎は追い詰められていた。
 触れるどころか近づくだけで燃えてしまう程の熱を常に放射している相手に近接戦は不可能。だからといって遠距離から弓で攻撃を仕掛けても炎の壁に遮られ未だ一度足りとも攻撃は通っていない。逆に相手の攻撃は避けたとしても余波の熱風に全身を炙られ確実に負傷を負う。
 更に―――。

「―――魔力も限界か……」

 士郎はこれまで既に宝具を三つも投影していた。
 干将莫耶は士郎の投影できる宝具の中でもコストパフォーマンスに優れているが、他の二つは宝具の中でも上位に位置するものであった。更にこれまで矢として放った魔剣も宝具に及ばなくともそれなりの業物。それだけに消費される魔力は多く、既に士郎の残存魔力は底を尽き始めていた。
 
「……このままではジリ貧だな」

 赤く焼け爛れ、腫れ上がった手。
 動かす度に酷い激痛が走るが、痛みに顔を顰めることなく剣の柄を強く握り締める。
 追い詰められているが、士郎は欠片も不安が混じっていない瞳でワルドを睨み付けた。

 gaa、aaaa…………

 巨大な炎剣を片手に、肩で息をしながらこちらを睨みつけてくるワルド。息をする度に、その口や身体のいたるところから小さな炎が飛び出してくる。
 敵も限界が近い。
 そう直感した士郎は、一瞬の思考の後、残り僅かな魔力を全て魔力回路に叩き込んだ。

「―――投影、開始(トレース・オン)

 身体が削られるような痛みが全身に走るが、歯を食いしばり耐える。
 臓腑が炎ではなく己の魔力で焼かれる中、数十本(・・・)の剣の全ての工程を完了。
 
「―――工程完了(ロールアウト)全投影、待機(バレット・フルオープン)

 魔剣、聖剣―――宝具に及ばなくとも、その全てが耐熱に関しては一級品。
 生半可な火力では溶かすどころか熱する事さえ難しい業物であった。
 それが数十本、士郎の背の空中に浮かぶ。
 
「ふぅ……―――いくか」

 小さく吐息を吐き出し、一気に士郎は駆け出した。
 一歩目でトップスピードに入る。
 人、どころか獣でも成し得ない速度を魔術と体術により生み出し。
 それを更に“ガンダールヴ”の力で後押しする。



 ―――■■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!


 
 炎の魔人(ワルド)の前に炎の壁が出現する。
 これまで幾度となく士郎とワルドの間を隔てていた絶対の障壁である。
 近づくだけで燃やし尽くされる。
 触れれば灰にも残らず燃やし尽くされる。
 その炎の壁に、士郎は躊躇なく突進する。
 そして―――
 
「―――大盤振る舞いだ。遠慮するな―――全て喰らえッ!!」

 ―――数十の剣群が炎壁に飛び込む。
 半分以上が壁に触れる前に燃え尽き、三分の一が炎の壁に飛び込み蒸発、残りの剣が炎の壁の半ばまで突き進み―――

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)ッ!!」

 爆発した。


 ――――――■■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!?


 炎の壁が崩れ、揺らぎ、開いた隙間から黒と白の双剣がワルドへ襲いかかる。
 双剣は正確にワルドの炎の剣を持つ手へと回転しながら迫る。
 
 
 ―――gaaaッ?!

 
 狙い違わず、双剣は炎剣を握るワルドの腕を切り裂いた。
 正確には、打撃した。
 “火石”を取り込んだ故か、双剣は耐久度が跳ね上がったワルドの腕を切り裂く事は出来なかったのだ。
 しかし、士郎の狙いは達成できた。
 ワルドの手から炎剣が離れる。
 無手となったワルド。
 その正面に、炎を纏いながら炎の壁を乗り越えた士郎が飛びかかる。その手には一振りの剣。
 その切れ味は士郎の知る宝具の中でも群を抜く一振り。
 
「―――ッオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!!」

 ―――絶世の名剣(デュランダル)
 例えどれだけ相手が硬かろうと、絶世の名剣(デュランダル)の前では意味はない。
 ワルドの身体から放射される炎熱に全身を焼かれながら進む。
 皮膚が爛れ、絶世の名剣(デュランダル)を握る柄に掌が張り付く。
 裂帛の気合を放つ口から熱せられた空気が入り込み、喉奥と臓腑を燃やす。
 視界が白く濁る中、士郎は構わず絶世の名剣(デュランダル)を振り下ろす。
 狙いは一つ―――首。
 一刀の下に切り伏せ終わらせる。
 ワルドは無手。
 これまでの戦闘からわかったこと―――狂気に落ちているためか、反応は早いが咄嗟の判断は遅い。
 ならば、この一撃は防げない。
 その確信の下に振るわれた刃は―――しかし、

「―――ッ!?」

 僅かに逸れ、首筋の横、ワルドの右の肩口から刀身が袈裟切りに入り―――

 
 ■■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!?

 
「―――ッ!!!???」


 ―――炎に飲まれた。
 ワルドの身体に刃が食い込んだ瞬間。 
 刃が入り込み裂けた肩口の隙間から炎が飛び出したのだ。
 一瞬にして炎が周囲を包み、同時に生まれた衝撃が士郎の身体を舷縁にまで弾き飛ばした。
 
「―――ガ、は、ぁ、ぁ、あ……ぁ―――」

 舷縁の下、燃える甲板の上に転がるソレ。
 それは、最早人の形をしたナニカだった。
 服は燃え尽き、全身は黒く焼け焦げている。
 呼吸の度、焦げた皮膚が裂け、濁った体液が溢れ出る。
 目は完全に白く濁り、誰が見てもその目に何かを映すことは不可能だとわかる。
 
「ぁ―――ハ、ぁ……」

 磨ガラス越しに見るかの様な視界の中、自身の両腕が微かに見える。
 腕が―――なかった。
 両腕、その肘から先には、なにも、なかった。
 完全に炭化し、黒い塊となった腕の断面からは、血液の一滴たりとも出ることなく黒い煙が燻っているだけ。
 
 ―――■■aaaaaaaaaっ!! gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!

 耳鳴りの向こうから聞こえる叫び。
 ワルドの苦しむ声がする。
 
 …………ああ、まいった。

 最後の最後、絶世の名剣(デュランダル)を振り切る直前。
 刹那にも満たない時の狭間に、士郎は見てしまった。
 あれは、幻だったのだろうか。
 この世界に来て、幾度となく刃を交わしたことで何かしらの思いがあったためか。
 目が、合った。
 狂気に燃え盛る瞳の奥に、見てしまったのだ。
 救いを求める目を。
 助けてと、苦しいと、泣き叫ぶかのような目を―――見てしまった。
 力を抜く時間はなかった。
 あの場で、避ける技量もまた、なかった。
 だから、首を切り落とせなかったのは自分が未熟だったからだ。
 それでも、やはり、覚悟が鈍ったのは確かである。

 ―――また(・・)繰り返すのかと(・・・・・・・)……。

 救いを求める声に耳を塞ぎ、伸ばされる手を振り払い―――十の為に一を殺すのかと―――。

 手を、伸ばす。
 炭化した、最早腕として機能しなくなったソレを、肩口を押さえ座り込んだワルドへと伸ばす。
 今にも弾けそうな身体を押さえ込むように跪いているワルド。
 切り裂かれた肩口を抑える手の隙間から、炎が漏れ出ている。
 
 ―――自分には、何もできない。
 
 この身体は、既に立つどころか足の指さえ動かすことさえままならない。
 上げようとした腕は、微かに身体が震えるだけでピクリとも動かない。
 “聖剣の鞘”がこの身にあっても、この傷を治せるかどうかは不明。
 いや、その前にワルドに殺されるか、それとも船が落ちて死ぬかだろう。
 既に、痛みは感じていない。
 全身の惨状に反し、思考は冷徹なまでに冷静だ。
 しかし、その思考も、段々と鈍くなる。
 眠る直前の、意思が溶けるような感覚。
 次第に、視界も暗くなっていく。
 もう―――何も見えない。


 …………。
 
 ……―――死ぬのか?

 このまま、何も出来ないまま……。

 皆を、置き去りに―――何も為せないまま……。 
 
 暗い闇の奥へ、意思が、沈んでいく。


 オレハ、死ヌノカ……。



 死。
 常人には一生に一度程度にしか経験のないだろうそれは、衛宮士郎にとってはそれほど珍しいものではなかった。
 衛宮士郎にとって、“死”は身近なものであった。
 “自分”が生まれた時も。
 魔術での修行も。
 初めての戦いも。
 “正義の味方”になろうと、向かった先も……。
 衛宮士郎の周りには、“死”で溢れていた。
 だからだろうか、死を目前に恐怖を感じることはなかった。 
 ただ、悲しかった。
 道半ばで倒れてしまうことが。
 見守りたかった者が、自身の足で歩いていく姿を見ることが出来ないことが。
 何より、救いを求めていた者を、救ってやれなかったことが……。
 

 アア……オレハ、ナレナカッタ―――。

 結局、正義ノ味方ニハ、ナレナカッタ……。

 変ワラナイ……。

 アノ頃カラ……オレハ何モ変ワッテイナイ。

 誰モ彼モ死ンデイッタ黒イ太陽ノ下……。

 助ケヲ求メル声ニ耳ヲ塞ギ、自分ノ命ノコトダケヲ考エ、タダ一人、炎ノ中ヲ歩キ続ケタ。

 ソウシテ、生キ残ッタ。

 ダカラ、決メタノダ。

 死ンデシマッタ―――救エナカッタ―――殺シテシマッタ―――彼ラノ死ヲ無駄ニシナイタメ。

 救オウト、決メタノダ。

 誰モガ見捨テルヨウナ。
 
 ドウシテモ溢レテシマウ。

 選定カラ外レテシマッタ者タチ。

 アノ、地獄ノ炎ノ中に放リ出サレタ彼ラノヨウナ者タチヲ救エルヨウナ者ニナロウト。

 幸運ナ事ニ、目指ス背中ハアッタ。

 彼ラト同ジヨウニ、選定カラ外レ、死ヌハズダッタ自分ヲ救ッテクレタ男ガイタ。

 ソノ背中ヲ目指シタ。

 ダカラ、夢ヲ継イダ。

 ソノ結果ハ、更ナル選定ダッタ。

 選ブモノガ、ナニカカラ、自分ニ変ワッタダケ。

 ドウシテモ、救エナイ命ガアッタ……。

 ソレヲ奪ワナケレバ、モット多クノ命ガ失ワレテシマウ。

 ダカラ、殺シタ。

 子供ヲ殺シタ。大人ヲ殺シタ。老人ヲ殺シタ。女ヲ殺シタ。男ヲ殺シタ。知人ヲ殺シタ。友人ヲ殺シタ。隣人ヲ殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ。殺シタ―――家族ヲ、殺シタ。
 
 殺スタビニ、思イ出ス。

 親父ノ言葉ヲ。

『―――子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた』

 俺モ憧レタ。
 
 死ヌハズダッタ俺ヲ助ケテクレタアンタニ……。

『―――残念ながらね。ヒーローは期間限定で、オトナになると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気が付けば良かった』

 俺モ、気付イテシマッタノダロウカ……。

 救ウ度ニ殺シ、“正義の味方”デアル筈ノ手ガ、血デ染マッテイルノヲ見テ。

『士郎―――誰かを救いたいということはね他の誰かを救わない、ということなんだよ』 

 アア、ソノ通リダ―――ソノ通リダッタ。

 結局俺ハ、唯ノ一人モ救ウ事ハ出来ナカッタ。

 本当ニ救イタカッタノハ、俺ガ殺シテシマッタ者タチダッタノニ……。

 ダカラ、俺ハ、ドウアッテモ“正義の味方”ニナンテ、ナレナイノダ。

 何モカモ救オウトスレバ、待ツノハ破滅ダケ。

 現ニ今ガソウダ。

 ワルドヲ殺セズ、逆ニ俺ガ殺サレタ。

 ワルドモコノママデハ長クナイ。
 
 シカシ、ソレマデノ間ニ一体ドレダケノ命ガ失ワレルノダロウカ。

 俺ガ、ワルドヲ殺セナカッタバカリニ……。

 ……アア、俺ガモット強カッタノナラ、救エタノダロウカ。


 モット強ケレバ…………。


 ……ワルドヲ―――全テヲ救ウコトガデキタノダロウカ……。


 ―――イヤ。


 ……マダダ。


『―――うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ』


 ―――オレハ―――……諦メタクナイ―――。


『爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ』


 マダ―――。 

 
『まかせろって、爺さんの夢は―――』



 諦メナイ―――。





 ………………………………………………………………
 …………………………………………
 ……………………
 …………
 ……





 ―――本当に、馬鹿ね。


 ちっとも変わっていない。


 何時も何時も……最後の最後まで人のことばっかり。


 少しは変わったかな、なんて思ってけど、やっぱり変らない。

 
 強くて、優しくて、暖かくて―――そしてとびっきり愚か……でも、そんなところが、全部好き。


 本当、何で前ばかり見てるかな?


 少しは、後ろも振り返りなさい。


 足元を、見下ろしてご覧なさい。


 あなたは、一人じゃないのよ。


 あなたは誰も救えなかったと言うけれど、そんなことはないわ。


 あなたは救った。


 たくさんの人を。


 ただ、あなたはそれを見ていないだけ。


 ほら、今も聞こえるでしょ。

 
 あなたを呼ぶ声が。


 感じるでしょ。


 あなたの足元に、そっと寄り添っているものを。


 全てを救いたいだなんて、何時も無茶なことを言うけど。


 そんな事できるわけないでしょ。

 
 誰しも一人でする事には限界があるわ。


 そして、人にできることにも限界がある。


 でも、あなたが気付けば、もしかしたら“奇跡”が起きるかもしれないわ。


 自分が一人じゃないことに気付いて、それを受け入れて、それでも救おうとするなら、きっと“奇跡”はあなたの力になる。


 ねぇ、シロウ。


 わたしは、ずっとあなたと一緒にいるよ。

 
 何があっても、ずっと傍にいて見守ってあげる。


 あなたが望むのなら、何度だって“奇跡”を起こしてあげる。


 だから、目を開けて。

 
 足元を見てごらん。
 

 そこに、“奇跡”がある。


 そこに、“救い”がある。


 あなたが決して間違っていなかった証明が、そこにある。


 だから、目を覚ましなさい。


 わたしの愛しいシロウ()……。





 …………………………………………
 ……………………
 …………
 ……





 何かに呼ばれた気がした。

 高熱に爛れて張り付いた瞼が開いていく。

 意識はなく、しかし、何かに導かれるように視線は足元へ。

 最早一メートル先も見えない視界の中、燃え盛る甲板の上にありえないものが映った。

 花、だった。

 綺麗な。

 美しいとしか言いようのない花。

 ―――青薔薇。

 ―――白百合。

 二輪の花。

 燃え盛る炎の中にありながら、涼しげに緩やかにその身を揺らしている。

 焼け爛れ、とうに機能を失った筈の鼻腔を、甘い香りがくすぐる。

 何故か、涙が溢れていた。

 余りにも美しかったから?

 余りにも香しかったから?

 違う。

 そうじゃない。

 確かに感嘆するほど美しい。

 確かに陶酔するほど(かぐわ)しい。

 しかし、そうじゃない。

 そうではない。

 ただ、余りにも眩しかった。

 その有り様が。

 その存在が。

 あまりにも、綺麗だったから。

 だから、手を伸ばした。

 導かれるように。

 誘われるように。  
 
 肘から先がない事は忘れていた。

 どうあっても触れる事すら出来ない花。
 
 なのに触れた。

 蒸発し、消えてしまった筈の手で、指先で、士郎は間違いなく触れた。

 二輪の花へと、その指先で触れた。

 そして、知った。

 この花が、自分の為だけに咲いてくれた花であると。

 愛しさが、溢れる。

 それは、その花からか、それとも自分自身からか。

 ないはずの指先から伝わる暖かさが全身を包む。

 枯れ果てた大地に暖かな水が染み渡っていくように、淀みなく全身を包んでいく。

 指先一つ動かせなかった筈の身体に、力が漲っていく。

 子供の頃のような万能感を感じる。

 今なら、何でも出来るという確信があった。

 その決意が、自然と口から形となって溢れ出す。




 
 ―――身体は、剣で出来ている





 蘇るのは、かつて凛に言われた言葉。 
 それは、“固有結界”についての説明を受けていた時のことだった。
 もし、今後“固有結界”が使えるようになったとしても、決してしてはいけない使用方法。
 それは、世界の干渉を受け、どうしても莫大な魔力を消費してしまう“固有結界”を最小限の魔力で使用するための方法。
 “固有結界”の体内展開。
 しかし、それは絶対に使用するな、と凛は言った。





 ―――血肉を鉄に、我は無限の剣を鍛つ





 それは、自殺行為と同じであると。
 確かに体内で固有結界を展開すれば、世界からの影響を最小限に抑える事は可能である。しかし、だからといってゼロではない。極小規模で短時間であったとしても、その反動は大きく。例え数秒でも死に至る可能性は大きい。
 特に士郎の固有結界は暴走する可能性が大きく、その被害は容易に想像出来る。
 身体の内側から剣で串刺しにされてしまう。
  




 ―――百の願いに鉄を鍛ち





 だが、しかし、暴走する刃、自身の身体さえ傷付けようとするその剣を制御する事が出来れば、どうだろうか。
 結界から溢れ全身を貫く剣をその身に全て納めることが出来れば、どうだろうか。





 ―――千の祈りに剣を鍛ち





 かつていたと聞く二十七祖の中の一人ネロ・カオス。
 其の者は、自身の固有結界を肉体内部に展開することで、世界の修正を逃れて固有結界の永続的な使用を可能にしていたと聞く。“獣王の巣”と呼ばれたその固有結界内には、六百六十六の生命の因子が渦巻いており、既に個ではなく群体であり「混沌」そのものであったという。
 それと同じことが、自分には出来ないだろうか。





 ―――万の救いに、剣と成る




 
 不可能だろう。
 それが可能だったのは、ネロ・カオスが二十七祖という強力な吸血鬼であったからだ。
 脆弱な人間の身体と乏しい魔力では不可能だ。
 それはわかっている。
 しかし、何故か、今は出来る気がしていた。
 




 ―――故に、その剣に銘はなく





 もしかしたら、頭が可笑しくなってしまったのかもしれない。
 不安が欠片もない。
 ただ、溢れんばかりの力が漲っている。
 声が、聞こえる。
 なくなったはずの指先から届く声。
 『信じる』という思いが心に届く。





 ―――その剣に意味はない





 ひび割れる寸前の限界にあった魔力回路に莫大な魔力を注ぎ込む。
 回路の許容量を遥かに超える魔力であったが、何故か溢れる事なく淀みなく回り続ける。





 ―――担い手はここに一人、剣の丘で剣を鍛つ





 身体の奥。
 小さな炎が生まれた。
 そこから、剣が生まれる。
 小さな小さな剣は、次第に全身へと広がっていく。
 焼け焦げ、炭化した身体を切り裂きながら、全身に剣が広がっていく。
 激痛が、全身を走る。
 神経を引き剥がし、一本一本丁寧に裂いているかのような痛みが秒毎に増えていく。
 細胞一つ一つ潰していくかのような痛みに、悲鳴すらが上げる余裕がない。
 激痛に意識を失い、それ以上の激痛に意識を覚醒させる。そしてまた、それ以上の痛みに意識を失う。
 それを僅か一秒の間に幾度となく繰り返す。
 炭化し断裂した肘の断面に、極小の刃の先が現れる。
 腕ごと抉り取りたい痛みと違和感と共に、ズルリと刀身が現れる。
 それがより合わさり、次第に形をなしていく。
 腕へと、掌へと、指へと。
 右腕が現れた。
 左腕が現れた。
 その掌には、絆であるルーンが刻まれていた。
 “ガンダールヴ”のルーンが、輝いていた。
 無手であるはずなのに、ナイフの一つも持っていないにもかかわらず、眩いまでに輝いている。
 やがて光は士郎の全身を覆い尽くすばかりか、焼け落ち地上への落下する速度を早めた船の全てを包み込んだ。
 そして、シルフィードの上で全てを見ていたアンリエッタたちは聞いた。
 耳ではなく、心で。
 愛する男の言葉を―――。






 ―――その身体は、無限の剣で出来ていた









 
 ―――剣。
 
 一人の男が立っている。
 
 その男を見ると、何故か剣を想ってしまう。

 白い髪。

 浅黒い肌。

 漆黒の鎧。

 赤い外套。

 どれも、剣を連想させるものはない。

 しかし、その男を見れば、どうしても剣を想ってしまう。

 剣を連想させる男は、静かに、言葉を発することなく、目の前に立つ炎を纏う男を見る。
 狂気に陥っている筈の男の足が、動揺するように僅かに下がる。
 光が広がる直前までは、確かに甲板に焼け焦げた姿で転がっていた。
 それが、光が収まると何事もなかったように立っている。
 服に焦げ跡一つついていない。
 だが、それが理由ではない。
 男が―――狂気に落ちたワルドを動揺させたのは、その身体から放つ“力”であった。
 触れるだけで切り裂かれそうな、そんな力だ。
 だが、動揺は一瞬。
 直ぐにワルドは炎を纏い突撃する。
 どう変わってもワルドのやることは変らない。
 その身から心から溢れる炎で全てを焼き尽くすだけ。
 叫びとともに炎の剣を振り下ろす。
 鉄さえ蒸発させる熱量で出来た剣を受け止めるものなどこの世には存在しない。
 男は動かない。
 勝利の確信に、歓喜の雄叫びが口から溢れ―――


「―――もう、いいだろう」


 ―――収まった。


 光る左手で燃え盛る炎の剣を掴んだ男が、ゆっくりと右腕を振りかぶる。
 数百度を越す熱風が周囲に吹き荒れているにもかかわらず、男には何の影響が見て取れない。
 ワルドは咄嗟に離れようとするが、どれだけ力を込めても男の手から剣は奪い取れなかった。

 ―――aaaaaッ!? aaaaaaaaaaaa!!!!

 駄々をこねる子供のように暴れるが、男はピクリとも動かない。
 
 ―――aaaaaッ!

 どれだけ叫んでも、暴れてもどうにもならない。
 剣から手を離し、逃げ出そうとするワルドであったが、最早全てが遅かった。


「……今は、休め」


 男の―――士郎の拳が振り抜かれる。
 ワルドの胸の中央。
 士郎の槍により穴があき、炎が溢れるそこに、士郎の拳が打ち込まれ―――背中を突き抜ける。

 ッ!? aaaaaa……。 
 
 突き抜けた士郎の拳には、赤い石が握られていた。
 赤い石―――“火石”は所々罅割れ、チキチキと甲高い音を響かせ今にも爆発しそうな様子であった。
 士郎は“火石”から手を離すと、ワルドの身体から腕を引き抜き、倒れかかってくるその身体を抱える。
 そして甲板の上に転がり段々と甲高い音を高くする“火石”に背を向けると、ワルドの身体を肩に担ぎ駆け出した。
 空間転移並の速度で舷縁の縁に足を掛けると、一瞬で空へと舞い上がった。
 そして数百メートル先で様子を伺っていたシルフィードの背中に飛び乗ってきた。

「きゃんっ―――なのねッ!!??」

 一瞬大きく揺れたシルフィードの身体であったが、直ぐに落ち着いて安定を取り戻す。

「し、シロウさん……」
「……シロウ」

 アンリエッタとタバサが、士郎に駆け寄ろうとするが、一瞬向けられた士郎の目を見て踏みとどまった。
 まだ、終わっていないことに気付いて。
 士郎はワルドを肩から下ろすと、最早船の形を保っていない燃え盛る固まりへと身体を向けた。
 同時に、アンリエッタたちの視線もそちらへと向けられる。
 燃える炎の奥―――異様な魔力の揺らめきが大気を揺らす。
 “火石”が爆発するのも時間の問題であると、その場にいた者たちは本能的に悟った。
 数秒か数十秒か、十分はもたないだろう。
 燃え盛る炎を見る者の心に絶望が過ぎる。
 この距離では、どうあっても逃げきれない。
 絶望からくる寒気がその身体を覆う刹那―――

「―――投影、開始(トレース・オン)

 光が溢れた。
 光が生まれた中心に向けられる視線。
 その先には、士郎がいた。
 士郎の左の掌が輝いている。
 “ガンダールヴ(ルーン)”が輝く。



 
 思い浮かぶものは、かつて見た一振りの剣。

 ―――創造の理念を鑑定し、

 現存する剣の中、最上級の一振り。

 ―――基本となる骨子を想定し、
 
 それは、極東の国の神話で語られる剣であった。

 ―――構成された材質を複製し、

 極東の神話の中、様々な使い手の間を渡った剣。
 
 ―――制作に及ぶ技術を模倣し、

 それは、様々な別名を持つ剣でもあった。

 ―――成長に至る経験に共感し、

 そんな中、神話の時代、退治された竜の尾から現れた剣は、とある英雄の手に渡った。
  
 ―――蓄積された年月を再現し、
 
 その英雄は、その剣をもって野火の難を払い生き延びたという。

 ―――あらゆる工程を凌駕し尽くし――――

 それは、エクスカリバー(セイバーの剣)と同じく、自身の手には余るものであった。
 だが、今なら、今ならば―――それすらこの手に掴んでみせようッ!!

 ここに、幻想を結び剣と成す――――ッ!





 燃え盛る船だった炎の塊が膨れ上がる。
 周囲の大気ごと燃やし尽くしながら迫るそれは、地獄の顕現であった。
 逃げることは不可能。
 防ぐことは更に不可能。
 絶望する気力すらわかない程の絶対の破壊に満ちた炎を前に、士郎は立つ。
 熱風が吹き寄せる。
 この身体となった士郎には何の影響もないが、他の者が当たれば焼け焦げてしまうだろう。
 士郎は、右手に握った剣を前へと向けた。
 すると、周囲を焼き尽くしながら迫る熱風がまるで避けるようにしてシルフィードから逸れてしまう。
 だが、安心する間もなく、本体が迫ってくる。
 炎の固まり。
 眼前に迫る地獄を前に、士郎は剣を構える。
 大きく身体を逸らし、剣を腰だめに。
 そして、薙ぎ払った。
 その真名と共に。



「万難薙ぎ払え――――――草那芸之大刀ッ!!」





 
 

 
後書き
 感想ご指摘お願いします。
 草薙の剣―――正式な読みが不明のため書いておりません。 
 抜けではありませんよ。
 能力は予想なので、もしかしたら今後変更する可能性があるかもしれません。
 次話はエピローグです。
  
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