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SNOW ROSE

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兄弟の章
  Ⅷ


 馬車が全部で十五台、大人数での旅となった。
 サンドランドは店をコック長のアッカルドに託し、男爵は執事のマーシャルに留守を預けた。
 楽団員は十八人。声楽ソリストが三人で、ソプラノとテノールは雇いであった。しかし、アルトだけは別で、どうしても同行したかったメルデンが希望したのである。
 サンドランドと男爵は試験を試み、楽譜が読めることと声質の良さで合格させたのだった。
 バスは無論、男爵自らが歌うのである。
 この旅路は七日間。通る街や村で、レヴィン親子の作品を広めながらの旅となった。
 その音楽は喝采を浴び、多くの音楽家や芸術家に影響を与えたと伝えられている。
 取り分けドナでは、一度教会で哀悼演奏が行なわれていたため、熱烈な歓迎を受けた。そしてこのドナの街から、リコーダーとトラヴェルソの名手と名高いハンス・クラヴド=ケルナーと、ヴァイオリンの名演奏家デヴィット・リックが旅路に加わった。
 この二人は哀悼演奏時にも演奏しており、ジョージの作品に痛く感動したのである。そのため、彼の音楽を普及させたいと旅路に参加したのであった。
 だが一つ、この街に不思議な噂が流れていた。

― 若き死者の骸は腐敗するどころか、薔薇の香りを漂わせて眠っているようであった ―

 そんな噂がまことしやかに広がっていたのだ。
 真偽は分からない。
 ただ、教会の司祭の話しによれば、死後四日経っても死臭はしなかったと言う。それ故この土地に埋葬せず、故郷の村へ戻すことにしたのだと…。
 確かめる術はない。ジョージの遺骸は、もはや墓所に眠っているのだから。

 ドナを出発して三日後、一行がもう暫らくでメルテの村に辿り着くころである。
 揺れる馬車の中で、男爵が話し始めた
「サンドランド。ドナやリーヒトで聞いた話しだが…。」
「薔薇の香りのする死者の話しだな。」
「そうだ。ずっと思い出そうとしていたのだが、あの伝説に似てはいまいか?」
「あの伝説?」
「分からんか?この国が建った時代にあったとされる恋人の…」
「そうか…雪薔薇の伝説か…。」
「そう、それだ。男が戦いに出ていた時、女は男のために祈りを捧げていた。雪の降りしきる最中でさえ、毎日のように神の天幕まで登って祈った。しかし、未知の病に冒され、そのまま息絶えてしまう。男は戦を終えて帰還する際、崖から転落して亡くなる。」
「その男の遺骸からは薔薇の香りがし、腐敗することがなかった。」
「神に愛された者に違いないと、愛した女の墓の傍らに葬られた…。」
 サンドランドはこの会話を暫し考え、その口を再び開いた。
「似ているな…。だが、その話しは神話に近い。千年以上も昔の話しだ。実際に起こったわけでもないだろう。」
「だが、こうして人々は語り継いできた。現に彼は伝説の人物に重ねられているではないか。少しばかり名が知れたとて、根も葉もない噂が流れるとは思えん。」
 そう語り合っているうちに、目的地であるメルテの村に到着した。
 馬車は村の入り口付近で停止したが、二人はまだ考えていた。
 深く考える程に不思議さが増すのだ。まるで成るべくして成った…そう思わせるような節があるのだ。
「まさか…な…。」
 サンドランドは眉間に皺を寄せ呟いた。男爵もまた、難しい顔をしてはいたが、考えても始まらぬという風に立ち上がった。
「これこそ神のみぞ知る…だな。今は彼らのために、我らに出来ることをしようではないか。」
 そう言うと、男爵は馬車から下りていったのであった。

 村では、男爵が訪問すると知らせを受けたのが一日前であった。村長に便りが届くや、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。
 ここ数年、村を治める子爵以外は、お偉い様が訪れることなぞなかったからだ。
 一行が村へ到着し、男爵らが馬車を下りてくるや、村長を始め村人達が出迎えた。
 村長は直ぐに男爵らを宿舎の方へ案内し、出来得る限りの持て成しをした。
 男爵やサンドランドは、このような待遇を望んではいなかったが、楽団員達は大いに喜んでいたため、有り難くこの持て成しを受けることにした。
 そこへ村長が、恭しい態度で男爵の傍へ歩み寄った。
「男爵様。告げられました通り、教会に合唱隊を呼び寄せる手筈は整いました。兄弟の墓の前には、椅子と譜面台を直ぐにでも設置出来るよう指示してまいりました。如何なさるおつもりで…。」
 村長がこのよう動いたのには訳がある。男爵が予め便りを書いて指示していたからである。
「書いた通り、今は亡き兄弟への哀悼演奏をするのだ。我もそれに参加する。彼らの才能に敬意を表してな。」
 この言葉を聞き、村長は目を丸くしてしまった。
「男爵様自らお出になられるのですか!?」
「ん?何か不満でもあるのか?」
 そんな村長の顔を見て、男爵は片眉を上げた。
 それに気付いた村長は、冷や汗をかきながら頭を垂れた。
「い、いえ、滅相もございません。私も是非拝聴しとうございます。演奏の時を、心よりお待ち申し上げております。」
「まぁ良かろう。明日の昼、教会での演奏の後墓所に赴くゆえ、その時に椅子と譜面台を用意せよ。」
「畏まりました。」
 村長は男爵の指示に返事をすると、そそくさとその場を後にしてしまったのであった。
「リチャード、あまり村長を揶揄うな。」
 サンドランドは苦笑いしながら男爵を嗜めた。
「まぁ良いではないか。明日からは揶揄う暇もなくなると言うものだ。しかし、幾つかの楽曲は練習が足りん。特にマルクスとジョージのカンタータは、ある意味対位法技術の見本市だ。合唱と管弦楽を合わせる時間を取らねばな。」
「そうだな。お前の楽団の水準の高さは知っている。まず落とすこともないだろうが、問題が無いわけではないな。」
「だがしかし、何とも無念なことよ。自らの手で指揮したかったであろうに…。」
 男爵の顔が陰った。
「言っても仕方ないことだ。今は彼らがどう演奏したかを想像し、出来得る限りそれに近付けることが肝心だ。我らが光の下で演奏すれば、彼らもきっと喜んでくれるに違いないと言うものだ。」
 あれこれと話し合っているうち、男爵はふと気付いたことがあった。
「サンドランド。お前…我が弟の葬儀の際に店を貸し切った時、わざと演奏せなんだな?あの時は、お前が演奏するものとばかり思っておったが…。」
 あまりにも遅すぎる問いに、サンドランドは呆れ顔で言った。
「今更何を言ってるんだ。」
「やはりそうか…。お前はジョージがマルクスの息子であることを知っていたのか?」
「そうではないが…。あまりにもヤツに似ていたから、もしかしたらと思ったんだよ。多彩なところは親譲りだったな。」
 そう言うやサンドランドは席を立って、近くに置いてあったリュートに手を掛けた。
「しかし…あれ程の腕前になるとは…。」
 一人調弦をしながら呟いた。その呟きを聞いた男爵は、眉を潜めて聞いた。
「どう言う意味だ。あたかも最初から知っていたようではないか。やはり…」
「そうではないのだ。実はな、ジョージは弟の館で三年ほど働いていたんだよ。そこで弟は、彼に何が出来るかと問ったことがあった。ジョージは料理から音楽まで何でもやると答えたそうだよ。そこでリュートをフィリップに教えさせようとしたらしいが、フィリップの方が舌を巻いたと手紙には書いてあったよ。手紙のことはジョージには内緒にしていたがね。姓は聞いてなかったが…会って一目で間違いはないと確信したよ。」
 なんということもなげに言うサンドランドを見て、男爵は溜め息を吐いて呟いた。
「ま、今更だな。やっと分かった気がする…。」
 その後、部屋の中にはサンドランドの奏でるリュートの響きが広がった。
 曲はマルクスの<ファンタジア>であった。


 翌日の昼、兄弟への追悼ミサが厳かに執り行われた。
 出席者は皆、黒い喪服に身を包み、教会内で演奏される曲に聞き入っていた。

善き者を招き給え
大地を統べる女神よ
数多の艱難を経て
汝の花園へ招き給え
世が過ぎ去ろうとも
我らを忘れ給うな
大地を統べる女神よ
死したる者を哀れみ
汝の花園へ招き給え

 歌われているのは、ジョージ作曲のカンタータである。
 アルトと弦楽、通奏低音のみの小さなものだが、慈愛に満ちた傑作であった。
 ここでアルトを歌っているのはあのメルデンであるが、張りのある彼の美しい声がこの曲を一層輝かせていた。
 演奏が終了して後、司祭が第一の説教を始めた。
「大地の女神は自らの御心で、憐れみを分け隔てることなく与え給うた。それはただの慈悲ではなく、内からくる愛によるものであった。女神は言われた。“人よ、心あれば聞きなさい。私の上に原初の神あり。その御方の愛ゆえに、汝等は生み出された。私は私を高く上げて下さった御方に誓おう。原初の神を信ずる者に、大いなる大地の恵みをもたらさんことを。”女神はその証として、雪のように真っ白な薔薇を大地に根付かせた。その花は、冬の凍える寒さの中でも、また夏の乾燥した日照りの中でも枯れることを知らなかった。」
 聖文書のヴァール伝第一章からの有名な聖句。
 もうお気付きだろうと思うが、ジョージについて噂された伝説とは、この聖文書が由来する。
 これはヴァルス教の聖典であるが、これが出来た経緯は、またいずれ別の場所でお聞かせするとしよう。
 さて、司祭は朗々と説教を続けていたが、その最中に一人の男が血相を変えて飛び込んできた。
「た、大変です!あの…あの兄弟の…兄弟の墓の…」
 男は慌てふためいており、かなり息もあがっていた。そのためか言葉が詰まり、意味が全く掴めない状態であった。
「どうしたというのだ。彼らの墓所に、何かあったというのか!?」
 男爵とサンドランドが男の下へ行き、一杯の水を飲ませた。男は水を飲み干すと、息を整えてこう告げてきたのである。
「薔薇が…白き雪の薔薇が、兄弟の墓を覆っているのです!」
 その男の言葉に、そこにいる誰もが唖然とした。
 今、ここで司祭が語っていたヴァール伝は、その雪の薔薇の奇跡を伝えるものであったからである。
 教会にいた者達は皆、直ぐ様兄弟の墓へと急いだ。
 そして、着いた先で見た光景は、誰しもが信じがたいものであった。
「何と…!」
 兄弟の墓の周囲を、美しくも切ない真っ白な薔薇が覆い尽くし、その大いなる薫りを漂わせていたのだ。
 その薔薇は春の陽射しを受けて、この世のものとは思えぬような七色の光を帯びていたと伝えられている。
「やはり…伝説は誠であったか…」
 男爵はそう呟き、その場に膝をついた。まるで祈るように。
 サンドランドも「確かに…神に愛された者だ。」と言って、同じように膝を折った。
 それを見た人々は皆、その雪のように白き薔薇に守られたの墓の前に跪き、この兄弟のために祈りを捧げたと言われている。


 この話は後に伝説となり、レヴィン親子の名は今日までも、その音楽と共に語り継がれている。
 しかしながら、この墓所が今はどこにあるかは知られていない。
 サッハルもドナも、そしてメルテと言う地名さえ、数百年前に地図より消え去ってしまっているからである。
 学者の間では、現在フォルスタと言う街が以前のサッハルであった可能性が高いと言われているが、その背後は森に囲まれ、その他の町や村は見当たらない。

 ただ、鬱蒼と茂った大地が、その美しさを奏でているだけなのである。



 「兄弟の章」  完


 
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