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SNOW ROSE

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兄弟の章
  Ⅱ


「ケイン…元気にしてるかなぁ…。」
 ここはサッハルの街にあるレストラン。ジョージが働くこととなった店である。
 ジョージは、この店の二階に住み込むことになったのだ。
 村を出てからもう半月程になる。弟に何も言わずに出てきたことが、彼の胸に重くのしかかっていた。

 ここでの賃金は、週に銅貨二十枚。下働きのジョージには破格と言って良い額である。
 それと言うのも、彼が料理と製菓が出来ると言う推薦を受けたことと、試験をした際に感じさせたセンスの良さによるものであった。
 要は、オーナーのお気に入りということなのである。かといって腕が無ければ門前払いなので、腕は確かということなのだろう。
「月に銅貨九十枚。ケインの薬代も何とかなりそうだ。ありがたい…。」
 与えられた部屋の片隅で、ジョージはオーナーへの感謝を呟いていた。
「ジョージ。休憩中に悪いが、直ぐに厨房に入ってくれ。人手が足りんのだ。」
 コック長のアッカルドがそう言いながらドアを開けた。
「はい、すぐ行きます。」

― 待っていてくれ、ケイン。俺はもっと働けるようになって、絶対にお前の病を治してやる。父や母の分まで、皆で笑って生きて行けるように…。 ―

 ジョージは拳を握り締め、強い決意を新たにした。

「そこのフライパン洗って準備しといてくれ!」
「コールスローお願い!」
「それコンカッセして!」
 夜の厨房はまるで戦場である。気を抜けば打ち殺されかねない有様だ。
 だが彼は、そんなことではめげなかった。
 先輩達の指示には柔軟かつ迅速に対応し、先を読んで用意することも抜かりなかった。
 ストーブに欠員が出た時なぞ、滞り無くその場で仕事をこなしていた。
「どこで覚えたんだか…。」
 他人が一年掛けて学ぶことを、ジョージは既にやってのけていた。勉強の成果と言える。
 二月が経つ頃には、皆ジョージを認めて可愛がっていた。
 彼はいつの日か、弟のケインと二人で暮らすのが夢だった。それには金がいる。だからこそ、より多くの事柄を勉強していたのだ。
 ただ、この歳では出来ることに限界がある。ジョージはそれを痛感していた。
「おい、ジョージ。」
 ボケッとしている場合ではない。コック長に呼ばれ、ハッとして後ろを振り向いた。
「まったく…何ボケッとしとるんだ。ま、今の時間帯は暇だから、気が抜けるのも仕方ないがな。」
「すみません…。」
 アッカルドは、そんな幼いジョージを見て微笑んだ。
 このコック長とオーナーだけが、彼の実年齢を知っている。他には十八歳と言ってあるのだ。彼の風貌は、それ程大人びていた。
「そうそう、明日のことだが。夕方からフォールホルスト男爵が店を貸し切ることは分かってるな?」
「はい。」
「宜しい。メニューは大体決めてあるが、食後に出すドルチェを君に任せようと思ってな。」
「はい…って、えぇッ!?」
 ジョージは驚いてアッカルドを凝視した。何せ男爵に出されるわけで、こんな下っぱの出る幕ではないはずだ。
 ジョージは自分の耳を疑った。
「ハハハッ!驚いてくれるとは思ったよ。この前作ってくれた焼き菓子が旨くてな、君に任せようと思ったんだ。葬儀出席者への返礼のために催される会食だから、あまり華美なものは出せんがな。」
「僕で宜しければ頑張らせて頂きますが、何種程作れば宜しいのでしょうか?」
 ジョージの問いに、アッカルドは暫し考えてから答えを出した。
「まぁ、四から五種もあれば良いだろう。人数は四十人程だからな。」
 ジョージの頭は計算を始めていた。
 基本はスポンジ、パイ、タルトの三種が喜ばれる。大勢に出すとすれば、この三種を二つずつ作らねば間に合わない。
 他に焼き菓子など、帰り際に渡せる菓子もストックしておいた方が無難と言うもの。
「今の時期手に入りそうな果物は…」
 ジョージが質問しかけた時、待ってましたとばかりにアッカルドは口を開いた。
「お隣のヨハネス公国から、早摘みのベリーが入ってきてる。他にリチェッリからのオレンジとレモンも仕入れておいた。乾果実も木の実もジャムも補充してある。実はな、もう製菓場に用意してあるんだ。さっき着いたばかりだがな。」
「コック長…いくらなんでも…。」
 ジョージは気になった。諸外国から運ばれる果物は、かなり高価な品なのである。それを何種も仕入れれば、当然仕入れ額も変わってくるのだ。
「なぁに、心配せんでいい。諸経費は前もって払われておるからな。実を言えばな、このフォールホルスト男爵はここのオーナーの友人なんだ。」
「はぁ…。友人…ですか?」
 ジョージは首を傾げた。
 片やレストランのオーナーで、片や領地を治める男爵。何が何だか分からない。
「ま、知らんのも無理ないの。ここのオーナーであるサンドランドはな、この店を建てる以前は子爵なんぞしとったんだ。」
「子爵ですって!?」
 目から鱗である。コック長の話しを、ジョージは全く以て理解しかねた。
「ハハハッ!また驚いてくれたわい。」
 アッカルドがあまりにも上機嫌に笑い続けていたため、ジョージは仕方なしにそれを止めた。
「あぁ、すまんすまん。オーナーはな、子爵位を弟に譲渡したんだ。そして、自分の知識と財産でこの店を建てたんだよ。その際、一緒にフォールホルスト男爵も設計に加わっていた。何でも幼い時分からの知り合いだそうだよ。」
 ジョージには理解しがたかった。わざわざ爵位を捨ててまでやるなんて、とても正気の沙汰ではない。
「ジョージ。人にはな、諦めきれん夢ってものがあるもんさ。」
 アッカルドは、彼の心を見透かしたかのようにそう言った。
「ま、頑張ってくれよ。」
 軽く笑い、まだどこかしら抜けているジョージの肩を、力強くポンポンッと叩いたのであった。


 一つ補足しておこう。
 この店で働く切っ掛けを作ったのは、実はジョージの師と呼べる人物なのである。
 今から三年前、とある子爵の館で使用人の募集をしていた。一人欠員が出たためである。
 そこへジョージが応募してきたのだ。
 面接は子爵自ら行なうという異例の試験だったが、ジョージの熱意と誠意に心動かされた子爵は、年令を考慮して一日四時間週四日の仕事を彼に与えた。
 当面のジョージの仕事は、厨房での下働きであった。そこで出会ったのがマーガレット婦長である。
 マーガレットは一先ずジョージを試した。彼に料理を作らせてみたのだ。
 するとジョージは、手早くオムレツとサーモンのソテー、ポテトとリンゴのサラダを作った。どれも単純な料理だが、味が問題であったのだ。
 美味かったのである。
 それに驚いたマーガレットは、その日からジョージに料理と製菓を本格的に教え始めた。
 ジョージは他の誰よりも覚えが早く、半年程で全てマスターしてしまっていた。
 そこでマーガレットは子爵に嘆願を出し、子爵の実兄が経営する店に就かせてもらえるように取り計らったのだ。
 それは何故か?
 それは…マーガレット自身が、彼の身元調査をしていたからである。
 才能も腕もあるのだから、若くとももっと時間を働け、賃金の良いところへ行かせてやれぬものかと考えたのである。

 これはジョージに話してはいない。
 同情も多少はあるにせよ、それだけではこの世界を生きては行けない。彼の力量を見込んでのこと。
 それゆえ、彼自身に告げる必要性はないと、そう判断したのであった。
 子爵自身も兄のことには一切触れず、他の使用人達さえ噂することすらなかった。
 この館の中では、その話は禁句であったのだ。
 それゆえに三年もの月日が必要でもあったのだが…。
 ジョージには「子爵の知人が経営する店」に推薦する、とだけ伝えられていたのである。
 その肝心のマーガレットだが、ジョージが子爵家を後にした数日後、突然子爵に暇をもらって旅立った。
 以前から妹夫婦に呼ばれていた遠い南の国、モルヴェリへ行くことにしたのだ。


 話しを元に戻すとしよう。
 ジョージは製菓場に立っていた。横には見習いのメルデンが来ている。
「さて、どうするか…。」
 目の前には材料の山。
「先輩、何を作るのか教えて下さい。」
 メルデンは手持ち無沙汰で待っている。
「ちょっと待ってくれよ。って、大して年も違わないんだからジョージでいいって。」
「いいえ、先輩は先輩です。」
 そんなメルデンの頑固なとこが、ジョージは何となく…ケインに似てるような気がしていた。
 少し寂しさを感じたジョージであったが、今はそんな余裕なぞない。
「全く…。先ずはどんな材料が…と、ラム酒漬けのレーズンがあるか。アーモンドは一部プードルにするかな。メルデン、アーモンド100グラムをオーブンで湿気を飛ばしてから冷まし、挽いて粉にしておいてくれ。」
 待ってましたとばかりに、メルデンは「はい!」と返事をし、アーモンドの目方を計り始めた。
「後は…。あ、チョコレートまであるじゃないか!こんな高価なもの、よく仕入れられたな…。」
 そう言いながらも、彼は頭の中で材料を合わせていた。
「あまり華美なものは作れないからなぁ…。」
 そう考えて出てきたものがこれである。

1、ブラックベリーとチョコレートのケーキ
2、アップルとレーズン、ミントを使ったパイ
3、レモンとオレンジのタルト
4、クルミと刻みチョコレートを使ったマフィン
5、ダックワース
6、オレンジピールを使ったガレット
7、干し果実とパンプキンシードのパウンド
 以上七点。

「パイ生地の作りおきがあって良かった…。冬期しか出来ないからなぁ。あ、メルデン、ついでにクルミをローストしておいて。」
 ジョージは指示を出しながら、レモンとオレンジの下処理に入った。
「間に合わせないと。メルデン、干し果実を煮て冷ましておいて。」
「はい!」
 この日、厨房の明かりは深夜まで灯っていた。

 翌日の夕刻。
 男爵一行が到着するまで、内部では戦いが続いていた。料理もそうだが、会場としてのセッティングに時間を取られたためである。
 四人掛けのテーブルを十台に、男爵の家族五人の使うテーブルが一つ。
 それから、店からの哀悼の意をこめた白薔薇の造花を飾り台に置き、やっと完成した。
「それでは皆さん、暫らくしたら男爵一行が到着する。くれぐれも粗相のないようにお願いします。では、各自持ち場へ入るように。」
 オーナーがそう言うや、集まっていた者達は「はいっ!」と返事をし、各持ち場へとついた。無論、ジョージとメルデンは製菓場である。
 ジョージがこの場所を単独で与えられたのには理由がある。
 実は、この部門には専門の人材が就いてなかった。要はパティシェ不在の店なのだ。
 以前、製菓場はその日に応じて誰かが補うようになっていて、誰も手が開かない場合はオーナー自らが粉を捏ねていたのだ。
 無論、そんな大層なものは作ってなかった。
 そこで目を付けられたのがジョージだったのであった。
「先輩…大丈夫ですかねぇ…。」
 メルデンが気弱に呟いた。
 実は彼、かなり内気な性格だったりもする。その反面、かなりの美男子でもあった。
 ジョージの顔立ちもかなり良いのであるが、メルデンはその上をいった。
 だが…この気質のせいか、好きな人に告白してもフラれっぱなしだと言う。
「メルデン、もう運ぶだけなんだから…一体何を心配してんのさ。」
「そうですよね…。」
 ジョージの問いに、メルデンはそう言って微笑した。
「先輩のようになれるでしょうか…。」
 それはメルデンの口癖でもあったが、ジョージはその言葉を聞くたびに溜め息を洩らす。
「メルデン、君は入ったばっかりでしょ?先ずは勉強、その次ぎが実践。結果なんて後から付いてくるものなんだからさ。」
「でも、先輩は入った時から凄かったって…。」
「僕はずっと勉強してたからね。教えてくれた人もいたし。ラッキーだったんだ。でも、それ以上にそうしなきゃならない理由があったしね…。」 ジョージが淋しげな顔をして俯くと、メルデンも「すみません。」と言って俯いた。
 その時、コック長のアッカルドから号令がかかる。
「こっちのほうが空いたから、直ぐに運べるよう移動しといてくれ。」
 彼らは顔を上げ、仕事に集中した。
 そして優雅に盛り付けられた皿を、二人は慎重に移動させていったのであった。



 
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