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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十五章 忘却の夢迷宮
  第八話 炎の魔人

 
前書き
 後一話とエピローグで十五章終了予定。

  

 








 ジャン……








   ジャン・ジャック……    


   聖地を


 ―――聖地を目指すのよ


  わたしは恐ろしい秘密を知ってしまった


            誰にも話せない


 誰も信じてはくれない


    ああ


 わたしはどうすればいいのだろう


        聖地に向かわねば、わたしたちは救われない
  

 でも、聖地をエルフから取り返そうとすれば破滅してしまう

     
  可愛いジャン

      
 わたしのジャン・ジャック


   母の代わりに聖地を目指してちょうだい


 そこには救いの鍵がある


     やっと見つけた希望がある

 
 ジャン



 ジャン・ジャック


 
 わたしの可愛いジャン






         聖地へ……


  
    
      
 そして彼の地にいる―――
         


          





 

「……ここは?」

 突如茶色の光に包まれたかと思えば、目の前には見覚えのある光景が広がっていた。
 それはヴェルサルテイル宮殿の本丸―――グラン・トロワにある―――正確にはあった執務室であった。
 そう、あった、だ。
 執務室に置かれた家具の種類、並び等から今現在のものではないのは明らかであった。
 この様子からすれば、父王が崩御する直前のようである。
 間違いはない。
 数年が経っていようと、見間違える筈がない。
 これまで幾度も夢見ていた光景であるのだから……。

「一体、どういうことだ?」

 自分が火石に向かって杖を振ろうとした瞬間まで覚えている。
 そして杖を振り切る直前に、茶色い光に……。
 
「―――それは俺も聞きたいんだが」
「―――ッッ!?」

 背後から聞こえた声に慌てて振り返ったジョゼフの前には、腕を組み窓際に寄りかかった士郎の姿があった。

「……ガンダールヴ」
「その様子だと、やはりお前の仕業というわけでもないようだな」

 士郎は窓際から身体を離すと、ゆっくりとジョゼフへと向かって歩き出した。

「幻術、と言うには余りにもリアル過ぎるな……」
「オレは夢でも見ているのか?」

 ジョゼフは近づいてくる士郎を前に警戒する様子も見せず自嘲気味に言葉を吐き出した。
 自分諸共全てを燃やし尽くさんとした瞬間、光に包まれ気がつけば懐かしい父の執務室にいて、そこには自分を追い詰めた敵の姿があった。
 ここまで混沌としたものは夢でも滅多にはないだろう。
 近づいてくる士郎が夢幻の如く触れれば消えてしまうのではと、ジョゼフが半ば思考停止のまま手を伸ばすと、

「―――っ、来いっ」

 何かに気付いたかのようにドアへと顔を向けた士郎が、手を伸ばしてきたジョゼフの手を取り窓の傍へ駆け出した。抵抗する間もなく士郎と共にカーテンの後ろへと隠れたジョゼフは、直ぐに士郎の行動の意味に気付いた。
 士郎とジョゼフがカーテンの影に隠れた直ぐ後、ドアの向こうから足音が響いてきたのだ。
 足音がドアの前で止まると、ドアがゆっくりと広がり始めた。
 その時、カーテンの影でその様子を見ていたジョゼフの未だ状況が掴めず揺れていた目が大きく見開かれた。

「あ、りえ、ない」
「…………」

 軽く開いたドアの隙間から身体を滑り込ませ、周囲を警戒しながらドアを後ろ手で締めて執務室へと入室してきたのは、

「っ―――シャルル」

 シャルルであった。
 己がその手に掛けた男―――弟の姿であった。
 シャルルの姿を目にした時、既にジョゼフにはそれだけしか目に映らなかった。
 思考も疑問も全て停止し、目の前にいるシャルルにしか集中できない―――シャルルの事しか考えられない。

 何故―――シャルルは父王の執務室にいるのか?

 何故―――何故、見たこともない険しい顔をしているのか?

 何故―――何故―――何故―――………。
 
 幸いにもシャルルは士郎たちに気付くことなく父王の執務机へと真っ直ぐ歩いていく。
 シャルルは執務机の前に立つと、突然机の引き出しを乱暴に引き出すと床へと叩きつけた。
 厚く柔らかな絨毯でも受け止められない衝撃だったのだろう、ゴンッ! という音と共に引き出しが割れると、中身が辺りに散らばった。絨毯の上には父王の宝石や勲章、書類等が無秩序に散らばっている。茫洋とした眼差しでそれらを見下ろしていたシャルルだったが、ガクリと力が抜けたように膝を着くと、その上に突っ伏し低い嗚咽を漏らしだした。
 
 その姿を、ジョゼフは呆然とした目つきで見ていた。

 泣いている。
 泣いているのだ。
 あのシャルルが。
 一度も見たことのない顔で、声で、泣いている。
 何故?
 どうして?
 今にもカーテンの影から飛び出して、シャルルが涙を流す理由を問い詰めたかった。
 いや、既に身体は前のめりに、カーテンの影から大部分が出ていた。
 しかし、足を一歩踏み出す前に、シャルルはその理由を口にした。
  
「何故―――何故なんだ? どうしてぼくじゃない。ぼくじゃないんだっ」
 
 踏み出そうとした足がピタリと止まった。

「父さんっ。何で、何でなんだよ。ぼくが王さまにするんじゃなかったのか。おかしいだろ? 兄さんと違ってぼくは魔法も学問も全部優れているんだぞっ。家臣だって兄さんじゃない、ぼくを支持してくれているっ……なのに何故? どうして―――どうしてなんだよっ! 意味がわからないよ全くッ!!?」

 ドンッ、ドンッ、と嗚咽しながら何度も床へ両腕を振り落としていたシャルルは、床に転がる茶色の指輪―――ガリア王家に伝わる秘宝“土のルビー”を涙に濡れる目に捉えると、ゆっくりと手を伸ばしそれを手に取った。
 ジョゼフもまた、シャルルが土のルビーを手に取ったのを見ると、慌てた様子で自分の手に目をやった。そこにはシャルルが手に取ったものと同じ“土のルビー”が嵌っていた。
 
「これは―――一体?」

 ポロリと口から疑問が溢れると同時に、脳裏に声が響いた。


『ジョゼフ殿』

「「―――ッ!?」」

 ビクリと身体を震わせたジョゼフだったが、直ぐに脳裏に響いた声に聞き覚えがある事に気付いた。
 その声の持ち主とは―――

「ヴィットーリオ、か? そうか、貴様か―――貴様がこの茶番を仕掛けたのかッ!!」

『茶番? いいえ、とんでもない。これは茶番でも何でもない真実実際に起こったことなのです。わたくしはただ、その指輪の記憶を引き出しただけですよ』

「指輪の、記憶?」 

『ええ、指輪の記憶です。リコード(記録)。これがわたくしの虚無呪文です。対象物に込められた強い記憶を―――念ともいうべきものを鮮明に脳裏に映し出す呪文です。そう、まるで過去にいったかのように鮮明に。今回のリコード(記録)はあなたがその指にはめている土のルビーに宿る記憶を引き出させてもらいました』

「は―――はは……馬鹿な、たわけたことを言うな。周りくどいことはよい。おれをとめたければ殺せばよかろうに」

『それではあなたの魂は救われないではありませんか?』

「馬鹿な……馬鹿なありえん。ありえないのだこのような事は。シャルルがこのような姿を見せるなど……そんな事は―――」

『これが嘘か真かは、あなたならばわかるのではありませんか? わたくしと同じ虚無の担い手なればこそ、これが魔法によるただの虚像であるのか、それともまごうことなき真実であるのか……』

 ジョゼフはヴィットーリオに言われるがまま、感覚を研ぎ澄ませた。
 鋭敏になる感覚から得たものから、ジョゼフは認めないわけにはいかなかった。
 これが―――この目の前に広がる信じがたい光景が、事実過去のものであると。虚無の担い手の本能が、これは間違いなく過去に起きた出来事なのだと。
 そう結論に至った時、ジョゼフの心が騒ぎ出した。
 真実―――実際に起きたこと、だと?
 ならば―――この目の前で泣き崩れるシャルルは、本物―――本物のシャルルなのか?
 


「ぼくが―――ぼくが一体どれだけの努力をしてきたと思うんだっ! 全部っ、全部この日のためなのにっ! 優秀だと、兄さんよりぼくの方が王に相応しいと示すためじゃないかっ!それなのに―――っ! 何でっ!? 何でだよッ!!?」

 シャルルの嘆きの言葉に、ジョゼフは今が何時かを知った。
 父王が崩御する間際のことだ。
 崩御する直前、父王は自分とシャルルを呼び寄せると、『次王はジョゼフと為す』と言い残したのだ。その時のことは今でも良く思い出せる。

 ―――なにせ自分がこのようになった日であるのだから。
 
 あの時、直ぐにシャルルは屈託のない笑顔で笑いかけてきたのだ。
 
 『兄さんが王になってくれて、ほんとうに良かった。ぼくは兄さんが大好きだからね。ぼくも一生懸命協力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう』―――そう、言ったことも一字一句間違えることなく覚えている。
 
 あの時、おれは疑いもしなかった。
 笑顔でおれに向けていった言葉は全て、シャルルの本心だと思っていた。
 どうあがいてもどれだけ努力しても届かない(シャルル)には、心の有り様でも敵わないと打ちのめされた。
 だからこそ、あれほど憎んだ。
 ……憎んでしまった。
 怒りと、憎しみに果てに殺意が生まれ、ついには弟であるシャルルをこの手にかけてしまうほどに……。

 しかし、それは全て自分の思い込みに過ぎなかった……。

 あの時の笑顔も、あの時の言葉も―――いや、それまでの全てが、自分の嫉妬を見せまいとしたシャルルの必死の抵抗でしかなかったのだ。

 それに気付いてしまえば、もう、耐えられなかった。
 
 目の奥に熱がこもり、視界が歪んだ時には、既に頬を熱い涙が流れていた。
 知らず、身体はカーテンの影から姿を現していた。
 蹲るシャルルの背中の背中が近づく。
 気配を感じたのか、慌てた様子でシャルルが振り返る。

「―――っ、に、兄さん……」

 涙に溢れた真っ赤に純血した目を大きく見開き見上げてくるシャルル。驚愕に歪む顔を慌てて振りながら、シャルルは立ち上がろうとする。

「あ、こ、これは、その、違うんだ。そう、父君の荷物を整理していたら、その、手を滑らせて……」
「もう、いい」
「だからこれは、そう、これは違うんだ」
「もう、いいんだ」

 よろめきながら立ち上がったシャルルが後退りする姿に、ジョゼフは静かに頭を振った。
 そして、自分でも信じられないほど優しい声でシャルルに近付き、その肩にそっと手を乗せた。

「にい、さん……」

 肩に手を置かれた瞬間、ビクリと身体を震わせたシャルルであったが、直ぐに全てを知られたと諦めたのか、ダラリと肩を落として棒立ちになると、今にも泣き叫びそうな歪んだ顔をジョゼフに向けた。

「どうしても、どうしても駄目なんだ。分かっているんだ。兄さんが王になることを祝福しなければならないことは……でも、駄目なんだ。だって、仕方がないじゃないか。だって、ぼくがどれだけ努力したと思っているんだ。王になるために、一体どれだけ頑張ってきたのか―――なのに、父さんはぼくを王にしてくれない」
「分かっている。大丈夫だ。シャルルがどれだけ頑張ってきたのか知っているから。だから泣くなシャルル。お前が王になることこそ正しい。誰が考えたってそうに決まっている。魔法も、勉強も何もかもお前の方が優れているのだから」
「……兄さん」
「そうだ。そうだとも。お前の方が王に相応しい。だからお前が王になるべきだ。なに、父上の言葉はおれとお前しか聞いておらぬのだから、どうとでもなる。お前が王になり、おれはその臣下となろう。大臣となって、お前を補佐しよう。それがいい。それこそが正しい姿なのだ。父王は死の間際でどうかしていたんだ。だからお前は何も気にするな。王となりこの国を素晴らしい国にしよう」

 弟の両肩を抱き、しっかりとその目を見つめながらジョゼフは言う。
 どれにも嘘はない。
 全て心から思った事を口にした。
 それに気付いたのか、シャルルはますます頬を涙で濡らしながら兄を呼ぶ。

「兄さん。兄さん……ごめんよ兄さん。ぼくは本当に欲深いんだ。家臣たちを焚きつけたのもぼくなんだ。裏金さえ使って根回ししたんだ。兄さんはそんなことは一つもしていなかったのに。王さまになりたいからって、ぼくは……」
「気にすることはない。もう、そんな事はどうでもいいんだ。おれとお前は同じだった。それで十分。十分なんだ。それさえわかったら、もう、何もいらない」

 知らず、ジョゼフは笑っていた。
 心の奥底に溜まっていた淀みが、もっと深い場所から湧き上がってきた何か綺麗なものに吹き飛ばされてしまった。
 心は既に爽やかな風が吹き、暖かな思いが満ちている。
 それが喜びなのだと、思い出す。
 
「二人で―――兄弟二人で、この国を、ガリアを素晴らしい国にしよう。おれたち二人なら、きっと出来る。この国だけじゃない。この世界をもっと素晴らしいものにきっとできる」


 流れる涙が全てを洗い流す。

 積み重なった憎しみを。

 空虚な闇を。

 全てが暖かなものに包まれていく。

 胸が、心が暖かくなる。

 今にも歌いだしたいくらいに、踊りだしたいくらいに、心が高揚する。

 これは何だろう?

 知っている筈だ。

 昔は知っていた。

 幼いシャルルを連れて遊んだ時に。

 『兄さん』と、シャルルが笑いかけてくれた時に。

 生まれたばかりのシャルルを見た時に。

 感じた思い。

 そう、思い出した。

 これは、これが―――“幸せ”

 幸せなんだ。



 目の前で悲しみに顔を歪め涙を流していたシャルルの表情が、ゆっくりと変わっていく。

 

『なんだシャルル。そんな顔をして』



『だって、仕方がないじゃないか』



『そんなに、変な事を言ったか?』



『違うよ』


 
『お前を王にすると言ったのは本気だぞ』



『だから違うんだって』



『なら、何なんだ?』



『何が?』



『どうして、笑っているんだ?』



『そんな事、決まっているじゃないか』







      『兄さんが、幸せそうに笑っているからだよ』










 フリゲート艦の甲板に降り立ったタバサは、戸惑いの中にいた。
 甲板の上、自身の右腕から流れた血溜りの中で力なく座り込むジョゼフがいる。
 憎い仇。
 長年の宿敵である。
 何度も、何度も夢にまで見てきた仇だ。
 しかし、タバサはそれが誰なのか直ぐに思い至らなかった。
 何故なら自分の記憶にある憎悪と恐怖の対象であったジョゼフの姿と、目の前でボロボロと涙を零す男の姿が余りにも乖離していたからである。
 涙を流しながら、しかし笑ってもいる、そんな複雑な顔で座り込むジョゼフの隣には、厳しい顔のアンリエッタがジョゼフの右腕に水魔法による治療を施していた。それを見下ろす形で士郎がジョゼフの前に立っている。
 何となく士郎がジョゼフを倒したという事は分かったのだが、何がどうなってこのような状態になったのか全く想像できないタバサが立ち尽くしていると、背後から甲板に聖堂騎士たちが降り立つ音が聞こえハッと我に返った。
 
「シャルロットか」
「っ」

 ビクリと、タバサは身体を震わせた。
 臆したわけではない。
 怯えたわけではない。
 ただ、単純に驚いただけである。
 あまりにも穏やかな、そして暖かな声であったから。
 驚きのあまり前へ出そうとした足が止まりかけたが、直ぐに力強く甲板を踏みしめ前へ出た。

「何が、あったの?」

 士郎の隣で、タバサが静かに口を開いた。
 ゆっくりと顔を上げ、タバサを見上げるジョゼフ。自分を見上げるジョゼフの瞳に、タバサはますます混乱する。
 あまりにも自分の知るジョゼフ(伯父王)と違った。
 その姿形は最後に見たものと寸分違わない。
 しかし、その身に纏う雰囲気が、その顔に浮かぶ表情(感情)が、自分の知るソレとは一致しない。
 憑き物が落ちた―――そんな言葉があるが、まさにそれである。
 
「―――あなたに、何があったの? 答えて」

 タバサの再度の問いに、ジョゼフは静かに顔を左右に振った。

「それは出来ない。おれだけの話ではないからな。お前の父の名誉も関わってしまうからな。しかし、それ以外なら答えよう」

 苦笑、と言うよりも自嘲。
 そんな感情を口元に浮かばせたジョゼフは、タバサに向き直ると深々と頭を下げた。

「お前には、本当にすまないことをしたと思っている。どれだけ謝罪しようとも、お前は俺を許さないだろう。だが、それでも謝らせてくれ。すまない。本当に迷惑を掛けた。これは、詫びの印にもならないが、受け取ってくれ」

 ジョゼフは左手を自身の頭部へと向けると、そこに飾られていた冠を掴みタバサの足元へと置いた。

「……元々お前の父のモノになるはずだったものだ。お前にこそ相応しい。それと、お前の母のことだが、ヴェルサルテイルの礼拝堂に一人のエルフがいる。お前も良く知っているあのエルフだ。その男におれの最後の命令だと言い、薬を調合させろ。それで、お前の母の心は元の通りになる筈だ」
「っ―――答えてっ!」

 杖の切っ先を仇へと向け、鋭い声で問い詰める。
 その姿は、普段の様子からは考えられない程の苛立たちを見せていた。

「すまないが、やはりそれだけは出来ない。もう、終わったことなのだ。おれには語るべきものは何もない。後は、全てお前の好きにするがいい。この首をはねたければ、今すぐにでもはねるといい……」

 ジョゼフはそう言うとタバサに向けて首を差し出した。
 眼下に差し出された憎い仇の首。
 知らず、父の形見である杖を握る手に力が篭る。
 呼吸が荒く、身体に震えが走る。
 内から湧き上がる暗い衝動が身体を駆け巡る。
 今にも杖を振り下ろし、夢にまで見た仇の首を刎ねてしまいそうだ。
 しかし、ぐっ、と唇を噛み締め、タバサは杖を胸元へと引き戻した。

「シャルロットさまっ!」

 そんな時であった、ジョゼフを囲む士郎たちに気付いた聖堂騎士たちが駆け寄ってきたのは。
 タバサに首を差し出すジョゼフの姿を目にした聖堂騎士たちは直ぐさま状況を把握すると、次々にタバサに声を掛けてきた。タバサを取り囲んだ聖堂騎士たちは、何とかジョゼフの首を刎ねさせようと声を上げるが、タバサは返事どころか視線さえ向ける事なく黙って首を差し出すジョゼフを見下ろしていた。

「…………」

 震える口元からゆっくりと息を吐き出したタバサは、ダラリと杖を握った両手を垂らすと空を見上げた。

「もう―――いい」
「―――?」

 ポツリとしたその小さな声は、不思議とその場にいた全員の耳へと届いた。
 聖堂騎士たちが驚愕の表情を浮かべる中、アンリエッタやアニエスは喜色を浮かべた。
 当の本人であるジョゼフは下へと向けていた顔を上げ、タバサの顔を驚きに見張った目で見上げた。

「あなたの処分については、わたし一人で決めるようなものじゃない」

 見上げてくるジョゼフから逃げるように、顔を逸したタバサはそのまま背中を向け、後ろに控えていたシルフィードの下へと歩いていく。
 しかし、数歩歩いたところでその足をピタリと止めると、ジョゼフに背中を向けたままタバサは自分に言い聞かせるような小さな声で呟いた。

「……ただ、あなたは終わったと言うけど、わたしには何も終わっていない」

 グッと両手で握る手に力を込めたタバサは、歯を噛み締め顔を伏せた。

「わたしは、あなたを許せそうにない」

 噛み締めた口から絞り出すようにして吐き出された言葉には、怒りや悲しみの他にも様々な感情が複雑に混ざり合っていた。
 息をする音を立てる事も憚られる沈黙が周囲を包む中、ゆっくりと歩き出すタバサ。
 しかし、その足はまた止まる事になる。

「なら、何故おれを殺さないのだ」

 背中に掛けられたジョゼフの声にタバサは足を止めた。
 伏せていた顔を微かに上げると、静かに目を閉じた。
 視界が閉ざされ闇が広がる中、浮かぶ人影がある。
 遠い、遠い場所。
 どれだけ伸ばしても、手が届かないそこに、彼の背中が見える。
 
「―――教えて上げない」

 自然と緩んでいた口元に手を当て、小さく苦笑を浮かべたタバサが、顔を上げ今度こそ歩きだそうとした瞬間であった。

「―――ッグ?!」

 押し殺した悲鳴が上がったのは。
 タバサとジョゼフのやり取りに気を取られていた全員の視線が一斉にその悲鳴が上がった方へと向けられる。
 
「っ、離しなさいっ!」

 そこには短剣を手に持ったミョズニトニルンの腕を掴む士郎の姿があった。
 ミョズニトニルンは必死に振り払おうとするが、腕を掴む士郎の手はびくともしない。

「貴様」
「……あなた、今」

 ジョゼフの治療を終えたアンリエッタとその傍に控えていたアニエスがミョズニトニルンに戸惑った声を向ける。
 その理由はミョズニトニルンが握る短剣が向けられた先にあった。
 その切っ先が士郎や自分、タバサに向けられるのなら分かる。
 しかし、よりにもよってそれが向けられた先は己の主である筈のジョゼフであったからだ。

「こそこそと怪しい動きをしていると思えば、随分と物騒な事だ」

 ジョゼフとの唐突な決着に皆が気を取られ忘れられていたミョズニトニルンであったが、だからといってそれを見逃すような士郎ではない。

「何故、自分の主を狙う。何か恨みでもあったか」
「―――っ……恨みなんか……」

 何とか士郎の手から逃げようと暴れていたミョズニトニルンだったが、どうあっても逃げられないと分かると、ダラリと力を抜いて諦めたように顔を下げた。

「そんなもの……ないわけが、ない」

 腕を掴む士郎に支えられるように力なく立つミョズニトニルンが、眼下で膝をついたまま自分を見上げる主へと視線を向ける。

「なぜ……どうしてですか。あなたは何故、わたしを見てはくれなかったのですか。一度足りとも、あなたはわたしを見てはくれなかった。それでもいいと、それでもいいと思っていました。ですが、やはり、それでもと思ってしまうのは愚かなことでしょうか。なら、このまま終わってしまうのならば。せめてわたしの手で……」

 途切れ途切れに自らの思いを告白していたミョズニトニルンは、段々と顔を伏せていき、それにつれ長い髪が顔を隠すように覆い始める。主と自分を隔てるように髪で顔を隠したミョズニトニルンの足元に、一つ、二つと落ちてくるものがあった。
 
「例え間違っていることだと分かりきっていても、あなたの為ならばと思っておりました。結果どれ程の人が死のうと構わないと。それであなたが救われるのならと―――ですが、結局あなたはわたしとは関係のないところで救われてしまった……なら、わたしの今までは一体何だったのでしょうか……」
  
 士郎に支えられるように立っていたミョズニトニルンの膝が崩れ、遂には甲板の上に蹲ってしまう。
 言葉は次第にすすり泣きに変わり、甲板の上に女の嗚咽が響く。
 誰も動くことは出来なかった。
 声を掛ける事もできず、ミョズニトニルンの小さく押し殺した泣く声が聞こえる中、静かに起き上がる人影があった。
 敏感にその気配に気付いた士郎だったが、それの動きの方が速かった。

「―――っガ!?」

 とっさの判断でアンリエッタたちを突き飛ばした士郎だったが、そのため回避が一瞬遅れてしまった。
 大振りな剣状の杖を腹部に受け、甲板の端にまで吹き飛ばされてしまう。

「ち、ぃ―――まさか、まだ起き上がれるとは」

 舷縁に手を掛け立ち上がった士郎が睨む先には、ジョゼフの流した血溜りの上に立つワルドの姿があった。
 ワルドはチラリと士郎を見たが、直ぐに顔を元に戻し、足元に転がるソレを手に取った。

「貴様、何をするつもりだ」

 両手に干将莫耶を投影した士郎が、警戒を滲ませた声でワルドに問い掛ける。
 ワルドが“火石”を手にしたとしても、それを爆発させることはできないと士郎は直感していた。 
 根拠のないものであるが、間違いはないと士郎は確信があった。
 しかし、その確信があっても何故か拭いきれない不安が胸に渦巻いていた。
 士郎に顔を向ける事なく、無言で手に持つ“火石”を見つめるワルドの姿に、士郎は言いようのない嫌な予感に襲われていた。
 
「オレハ……行カネバナラナイ」

 “火石”を握り、ワルドは顔を上げた。

「ソレガオレノ義務ダ。其レハ死シタコノ身デアッテモ変ワラナイ。其ノ障害トナル貴様ハ、何ヲ犠牲ニシテモ、ドノヨウナ手ヲ使ッテデモ―――」

 そして手の中にある“火石”に目を落としたワルドは、それを握り直し―――

「殺ス―――ッ!!」
「待っ―――」

 “火石”が爆発した時と同じ―――否、それを上回る不吉な予感に士郎が咄嗟に制止の声を上げるが、それで止まる筈もなく。
 ワルドは“火石”を握った手を、士郎が槍で貫いた胸の穴に埋めた。
 一見すれば自らの心臓を掴むかのような姿。
 時が止まったかのような空白が生じ。



 ピシリ―――と、何か決定的なモノが欠ける音が響き。



 其れは現れた。


 
 目、鼻、口、耳、胸に開いた穴―――ワルドの身体にある穴という穴から吹き出した炎は一つになりその身体を包んでいく。
 炎の勢いは留まる事はなく、上へ上へと上昇し、やがて一つの巨大な炎の竜巻へと姿を変えた。
 火炎の竜巻となったそれの周囲に身を焦がす高熱の風が渦を巻き始める。
 熱波に焼かれた聖堂騎士たちが悲鳴を上げそれぞれの騎獣に乗り込み慌てて船から脱出を始める。
 
「タバサッ!! アンリエッタたちを連れて逃げろッ!!」
「あなたはっ!?」

 どうするのか? その言葉を聞く前に士郎は両手に握る剣を構えた。
 今もなおその勢力を伸ばし続ける炎の竜巻へと。

「これの始末をつけるッ!!」
「始末って……もう」

 アニエスと共にジョゼフとミョズニトニルンを連れシルフィードの下へと向かっていたアンリエッタが肩越しに炎の竜巻へと視線を向ける。その中心にいたと思われる男の姿は炎の壁に遮られ見ることはできない。いや、最早身体が残っているかどうか。この炎の中で、形を保っていられるようなモノがあるはずがない。
 鉄すらも溶かすだろう炎の中心にいて、生きていられるはずがなく、その形すら最早ないだろうと思われた。
 炎の竜巻の熱量が余りにも大きすぎるためか、灰すら残らぬ炎の勢い故に、今すぐ船が燃え尽きるとはいかないようであった。
 それでもそれも時間の問題であり、現に甲板に既に四割方炎に包まれていた。
 今はまだ緩やかに高度を下げているだけの船であるが、何時墜落するかもわからない。 
 シルフィードの背に乗り込んだアンリエッタたちが必死に呼び掛けるが、士郎は動く気配すら見せず炎の竜巻を睨んでいた。
 士郎には予感があった。
 身体は巻き上がる炎に炙られ火を吹きそうなほどに熱い。
 しかし、先程から感じる寒気により、身体の芯は冷え切っていた。
 士郎は確信していた。
 まだ、終わっていない、と。
 そんな中、いくら呼んでも応えない士郎に痺れを切らしたタバサが無理矢理にでも回収しようとシルフィードに命じ―――





 ■■■■■■■■■■■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaa―――ッッッ!!!!!





 ―――世界が震えた。
 炎の竜巻が内側から弾け、その衝撃で周囲一帯の雲が吹き飛んだ。
 聖堂騎士たちが乗る騎獣やシルフィードが嵐に翻弄される木の葉のように吹き飛ばされる中、それを直前にしていながら士郎は甲板の上に立つ続けていた。
 甲板の上を走っていた炎が甲板事消し飛び、あちらこちら穴だらけとなったそこに立つ士郎は、不動の姿勢で炎の竜巻があった場所の中心に立つ男を睨み付けていた。
 ソレ(・・)は、最早ワルドとは言えなかった。
 姿は、炎の竜巻が生まれる前と一見すれば変わっていない。
 確かに服の大部分が燃え尽き、ボロを纏っているようにも見えるが、言ってしまえばそれだけである。
 四肢も一つとして欠けていない。
 その整った容姿も変わりはない。
 しかし、それでもソレ(・・)はワルドとは言えなかった。
 胸に開けられた穴の奥に炎を揺らめかせ、呼吸の度に炎がその口元が上がっている。
 身体の周囲が揺らめいているのは、その身が莫大な熱量を溜め込んでいる証拠だ。
 現にソレの足下から煙が上がり、燃え上がり始めていた。
 僅かに身体を隠していた引っかかっていただけの服にも火がつき、あっと言う間に燃え尽きてしまう。
 繊維の一本でさえ身に付ける事のなくなったソレだったが、直ぐに代わりのモノがその裸身を覆い隠した。
 ソレは炎であった。
 一瞬見えたソレの身体。
 全身至るところなく走った傷。
 まるで陶器で出来た人形に走る傷のようなそれの隙間から吹き出した炎が、服の代わりにその身を覆い隠したのだ。
 全身を炎で身を包んだソレの周囲から自然と炎が上がり始める。
 再度炎に包まれる甲板の中、ソレはゆっくりと顔を士郎へと向けた。


 「―――ッ!!」


 物理的に感じられる程の圧力に息を呑む。
 燃え上がる甲板を背にした、まるで炎を従えるかのようなその姿。
 その姿はまさに、伝説に詠われし―――魔人。



「―――……炎の魔人(イフリート)



 ―――■■■■■■■■■■■■aaaaaaaaaaaaaaaaaaa―――ッッッ!!!!!


 

 
 

 
後書き
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