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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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72話

 鼻をつく血の匂い。
 サイド8コロニー守備隊格納庫には既に活気がなく、ただ黙然と作業に従事する整備服の男たちと、身体中から真紅の液体を流して血だまりを作る亡骸が転がるばかりだ。
 ノーマルスーツの男が遺骸を睥睨する。
 重要拠点という言葉に安心し、腑抜けた間抜けども。嫌悪と侮蔑を惹起させたのも、仲間の整備服の男が声をかけるまでだった。
「『ラケス』は無事に『銀の弾丸』を受け取ったとのことで」
「了解した」
 肯きと共に応える。作戦は無事に進行しつつある―――後は『白雪(スノー)(ホワイト)』を確保すれば、作戦は成功だ。顔に笑みを浮かべたのもつかの間、男は整備服の男が言い淀んだように口を閉ざしながら俯くのを確認した。
「どうした?」
「いえ……それが『白雪娘(スノーホワイト)』を取り逃がしたと……」
「何!? それは『ラケス』には報告したのだろうな!」
 怯えたように整備服の男が身を縮めた瞬間、男の腕が頬を何の躊躇も無く打ち付けた。派手な音とともに柔らかい頬をぶたれた整備服姿の男は、醜い悲鳴と共に地面に転がると、目を濡らしながらなおのこと怯えた目を男に向けた。
「馬鹿が、連絡は密にしろと言ったはずだぞ! 我々が寡兵であることを忘れたか!?」
「申し訳ありません!」
 立ち上がった男が頭を下げる。頭を上げたところでもう一発今度は左頬を殴りつけたノーマルスーツ姿の男は、無様に転がる男に侮蔑の一瞥をくれながらも、顔を上げた。
 視界に映る灰色のMSA-099《リックディアス》。特徴的な頭部ユニットに、ずんぐりとした体躯はどこか頓馬な印象を与えるが、単純なカタログスペックならば《ジムⅢ》にも比肩し得る。それでもコロニー守備隊などという部隊に配属されているのは、ジオン系の技術を多く取り込んでいるが故の扱いの悪さだ。もちろん、正規軍でもない男たちにしてみればそれはどうでもいい話で、むしろ腕の良くない自分たちには《ジムⅢ》を上回る対弾性はありがたい。
 そして何より、その名前が好ましい。希望峰を発見した男、バルトロメウ・ディアスに因んで名づけられたその名前は、将に世界を切り開かんとする自分たちの乗機たるにふさわしいように思えた。
 上手く行けば、MSパイロットとしての出番はないと言われていた。もちろん立場上そうなるのが最も好ましいが、やはり元軍属のMS乗りとしてはまともにMSに乗れれば、とは思っていた。
 機会は廻ったのだ。ティターンズ崩壊から既に10年弱。軍を辞めさせられた自分を拾った彼らに報いることが出来る―――。
「総員、傾注」
 ヘルメットに内蔵された無線機に声をかける。
「予定が変わってしまった。どうやら我々の出番のようだ。これより我々はニューエドワーズコロニーに侵入する。コロニー内の試験部隊で実弾を装備している部隊は無いが、敵は精鋭ぞろいだと言うことを忘れるな」
 応の声が無線越しに鼓膜を打つ。胸の高鳴りを感じた男は、下面に降りたキャットウォークに乗った。柱のスイッチを入れると、細長い通路が両脇の柱に支えられ、ゆっくりと上昇していく。
 実弾を装備した試験部隊の情報は掴んでいる―――だが、そこもすぐにでも制圧するだろう。
「フォックス・ハントか―――久しぶりだな」
 《リックディアス》のメインカメラを眺めた男は、懐かしさを漂わせた冷たい笑みを浮かべた。
                    ※
 ニューエドワーズ司令部。
 
 通路は暗い。道を行く3人は各々声を出す余裕すらなく、忙しなく周囲に視線を投げていた。
 一見して3人は司令部のMPと同じ服装をしていて、そしてその手に持つサブマシンガンも間違いなく地球連邦軍で正式に採用しているものだった。
 『眼下』に3人の男を見とめ、その男は息を飲んだ。
 右手に握る得物の感触は固い。人を殺傷するに余りある凶器は、されどあの3人の武装に比べれば玩具のようなものだ。
 油断なく周囲を警戒する3人。2人が前に展開し、1人が後ろで援護といった様子で歩いていた。
 2人が男の下を過ぎていく。まだ動く時ではない。そう、後ろの男が男の真下を過ぎた、その瞬間こそ―――。
 男は、予め外しておいた格子を素早く、それでも無音で外すと、即座に飛び降りた。
 体重100kgを超す巨体が音も無く着地する。同時に、男は右手に持った消火用の斧を力いっぱいリーダー格と思われる前方左の男の背に投擲した。
 強靭な肉体から放たれた斧は目まぐるしく回転し、男の首と背中の境目あたりに深々と突き刺さる。一撃の元に殺戮された男が斃れるより早く、男は眼前の男の足を払うと同時に首に腕を回す。咽喉元にナイフを突きつけながら、大柄な男は男の右腰に刺さっていたホルスターからハンドガンを抜きだし、流れるような動作でセーフティを解除しつつ前方の男に銃口を向けた。
 男が振り返る動作は、のろかった。2発の銃声と共に黒々とした孔から飛び出た金属の弾丸は頭蓋を破壊し側頭部から侵入し、イデアのための器官を単なる肉の塊へと化した。
 腕の中で男が身動ぎする。
「動くな。お前が母親の股から出てきたことを呪うことになるぞ」
 首を絞める力を強め、その巨漢―――クセノフォン・ブリンガーは、まるで旧友に挨拶するがごとく穏やかな声で言った。
 2秒。
 2人を屠殺し、1人を無力化するのにかかった時間である。
 慄きながら必死に頷く男を見ながら、クセノフォンは内心溜息を吐きそうになった。
 以前の自分なら、もっとスマートに出来た仕事だ。少なからずわざわざ銃を使う必要は無かった。銃と言うのは便利な武器だが、付随して生じる音がどうしてもデメリットになる。もちろん消音のためのアクセサリーはあるが、やはりできることなら血は流さずに殺すべきなのだ。
 周囲に視線を回し、自分の周囲には腕の中の人間と後は物しかないことを確認すると、自分が降りてきた排気口を仰いだ。
「大尉、大丈夫ですよ」
 応答の代わりに、クセノフォンのすぐ脇に排気口から降りたフェニクスは、そうしてまた上を仰いだ。
「降りてきていいぞ」
「えっとちょっと待ってください―――わ!?」
 どこかに足を取られたか、錐もみしながら落ちてきたものをフェニクスが抱き留める。彼女の腕の中で気まり悪そうに笑みを浮かべたアヤネは、礼と共に覚束ない足取りで床に足を下ろした。もともとオペレーターの彼女に、細い通気口を長時間匍匐するということ自体重労働だったのだろう。そして、彼女は目の前の物を眺めて、気分が悪くなったのか背を向けて、自分の腕で自分を抱きしめると、微かに震えた。
「初めましてテロリスト君。御機嫌よう」
 前に回ったフェニクスは、腰を屈めて下から睨むようにして男を見上げた。
「端的に尋ねよう。君たちの部隊の規模と目的、そしてその所属は何だ?」
「し、知らない。俺は末端の人間だ。そもそも知らされていない。それ以上俺が応えられることは無い」
「そうか―――まぁ規模と目的はおおよそは見当がついているから構わんのだがな。どうせ長いこと戦う積りも無いのだろう。それ以上はどうしても言えないか?」
「言えない」
 クセノフォンは、腕の中の男を見下ろした。
 屹然とした声色を出そうとしたのだろう、それでもその声は身体の震えが伝播し、明らかに怯えていることがわかる声だった。
 そうか、と大層残念そうに肯いた後、フェニクスが顔を上げてクセノフォンに琥珀の目を向けた。
「偉いぞ」
 フェニクスが男の頭を帽子越しに手荒く撫でつける。そうしてフェニクスが手を退けたのが合図だった。
 クセノフォンは、1秒とかからずに男の首をあらぬ方向へと捻じ曲げた。鈍い声とともにぐったりと手足を萎えさせた。
「全く、ここはそれなりに重要な拠点だと聞いていたのだがな」
 どっさりと音を立てながら床に転がった遺骸を一瞥する。
 ニューエドワーズ基地司令部に襲撃があったのは、ネオ・ジオンによる輸送船襲撃の少し後だった。MPに扮した何者かによる襲撃―――散らかっている物を目に入れたクセノフォンは、混線していた無線通信の中で聞いた情報はどうやら事実だったらしいと確認した。
「最近物資の輸送関係で民間に委託していましたがそれでしょう。裏は前に言っていた連中でしょうか? それにしては訓練もきちんと熟していないようですが」
「相手もそう楽な状況ではないのだろうよ。だからネオ・ジオンに助けを求める―――アヤネ、ここらへんにトラッシュボックスはあるか?」
「ここらへんですか?」
 口元を抑えて蒼い顔をしたアヤネは振り返って、一層顔を青くした。丁度クセノフォンが死体を肩に担いで、その死相がアヤネの方を向いていたからだった。小さく悲鳴をあげ乍らその場にへたり込みながらも、彼女は自分の頭の中の司令部の見取り図を想起していた。
「えーっと確かそこの通路右に曲がった角に……」
 目を瞑りながらアヤネが言う。「そうか、わかった」と短く応えたフェニクスは、その琥珀色の瞳をクセノフォンに向けた。
「ブリンガー、貴様はこのまま司令部の中で遊撃に当たれ。敵の狙いが被験体(エレア)である以上、その関係者だったモニカもあるいは標的(ターゲット)かもしれない。戦闘の規模からして奴らはここで長いこと戦う気はないんだろうが、それでもお偉いさんがやられると不味いしな」
「大尉は?」
「私は格納庫にいったん戻る」
 言いながら、フェニクスは人型の物からサブマシンガンと腰のホルスターからハンドガンを引っ張り出すと、へたり込んでいるアヤネへと放り投げた。憔悴しきっていたアヤネは落っことしそうになりながらも、なんとかその得物を手に取った。
「私とアヤネが居てはお前にとって邪魔だろう? それにエレアとクレイについての情報が欲しい。オーウェンを着けておいたから大丈夫だとは思うが」
「それだけですか?」
 フェニクスは束の間きょとんとした目をクセノフォンに向けた。そうして、フェニクスは琥珀色の瞳とその綺麗に整ったかんばせに獰猛な笑みを浮かべた。
 「私はな」トリガーガードの中に指を入れ、くるくるとハンドガンを回して見せる。
「私の邪魔をする奴らの面を見たくなっただけだ」 
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