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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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59話

「ジゼル・ローティ少尉、出頭しました」
 ドアをノックする。中から聞こえた声は、出頭という固い性格とは解離した柔らかい声だった。そもそも、出頭と言いながら、ここは宿舎である―――音も無くドアがスライドし、眼下に上官の頭頂部を見たジゼルは、緊張も無く敬礼の格好を取った。
「いいよ、そういうのは……」
 言いながら、エレアも敬礼した。
 17歳―――16歳だったか? 事情があるとはいえ、エレアの階級は中尉である。軍人として、目上の人間かどうかの基準は年齢ではなく階級である。能力にしても、エレアの腕に論はまたない。
 ―――まぁ、ジゼルは細かいことは気にしないが。そもそも、エレア自身が固い姿勢が苦手な質で、そういう態度は止めて欲しいと明言しているのだ。軍務中はともかく、プライベートでもわざわざ堅苦しさを演じるべきではない。
「それに出頭って」
「だって後で来てくれないかって言ったのはエレアじゃない」
「そうだけどさ」
 むー、と頬を膨らませるエレア。そのあどけない仕草がなんとも可愛らしいが、からかうのもほどほどにしておくべきだろう。不満そうな顔をするエレアの頭をぐりぐりと撫でつけながら、彼女の私室へと入った。
 ベッドに机。基本的な調度品はともかく、割といろいろある部屋だなぁ、とジゼルは思った。枕元には何か灰緑色で頭に一本角の生えた小太りの動物―――怪物?―――やらライオンやらのぬいぐるみが転がっていたり、何故かやたらとゴツいダンベルが床に鎮座していたり―――何故か部屋の奥には剣のようなものが置いてある。日本(ジャパン)のカタナ、とかいう奴だろうか? 鞘に収まり、仰々しく佇む様は珍奇を通り越して冗談にしか見えないのだが。
 「なにこれ……」部屋の奥の刀を手に取る。鞘から抜けば、当たり前だが模造刀だった。それでも銀色の刀身に自分の顔が映り、口笛を鳴らした。
「なんかオーウェンとかユートがくれたんだよ」
「はぁ……?」
 よくわからないチョイスである。刀を鞘に入れる際に尖った先端が左手の甲を刺すこと数度、その度に悲鳴をあげ、自傷行為が2桁に達する寸前でようやく黒々とした美しい鞘に銀色の光が収まっていった。
 エレアは毎夜ダンベルを片手に握って上下に動かすか、刀をぶんぶん振り回しているのだろうか? それがパイロットとしての腕に直結している…?
 いやないか。流石に荒唐無稽な話だなと思いながらデスクに視線を一瞥すれば、珍しい紙媒体の本が在った。分厚い本である。紙は茶色に変色しており、時間の経過を感じさせる。
 ベッドに座ったエレアの左手の薬指に光るリングを眺めたジゼルは、キャスター付きのオフィスチェアに腰をおろし、エレアと対面するように座った。
「それで、何? 聞きたいことって」
「あ―――うん、あんまり大したことじゃあ、ないんだけど」
 言い吃ったエレアが身を縮こまらせる。どう言ったものか、そもそも言うべきことなのか。まだ答えが出ていない―――そんな風に見えた。
 ジゼルはとりあえず待つことにした。そもそも、エレアがこうしてプライベートな話を持ち掛けようというのが珍しいのだ、言い慣れていない彼女に発言を煽る必要はない。人には人の時間感覚があるのである。
 十数秒。数十秒。数分ほど経過し、そろそろ十数分という数え方になろうという時になって、エレアはようやく顔を上げた。
「クレイのこと、なんだけど」
 エレアは、言って表情を暗くした。
 あぁ、なるほど―――ジゼルは背凭れに身を預け、視線を斜め上に持ち上げた。
 あの実戦の後、クレイは普通に戻っていた。
 年齢に不相応に静かな青年。寂れた教会のような雰囲気のその人は、薬物と強度のトラウマによる精神的外傷を2週間で克服し、部隊に復帰していた。笑う時は笑うし、MSの操縦技能は依然と同じに回復している。治療に当たっていた医師はその回復ぶりに目を白黒させていたらしい―――が。
 エレアは過敏な少女だった。その資質故にか、人の心の機微に反応する。
 ジゼルも、クレイが依然と同じに戻っているとは思ってはいなかった。正確には、近頃どうにもクレイがふさぎ込みがちだったことが気になっていた。ジゼルはそこまで人の内面を気に掛けるほうではないのだから、エレアは猶更そういうのを感じてしまうのだろう。
「やっぱり、クレイは本調子じゃないのかぁ」
 腕組みする。言ってくれればいいのになぁ、と思いながら、そういう質の人間でもないかと思い直した。
 いかにも謙虚で誠実そうだが、その実自尊心とそれを裏打ちする努力に誇りを持つエリート。もちろん、個人的パーソナリティをとやかく言うつもりはない。人の性格が良いか悪いかの判断など、チョコパフェが美味しいか美味しくないかの真偽判断を議論するくらいに無意味で無価値なことである。
 ともかく、彼はどちらかと言えば一人で抱え込んでしまうタイプの人間であるということだ。
「やっぱり変に言わない方がいいのかな―――その、嫌だと思わないかな?」
「うーん、どうだろう……」
 腕組みしたまま、眉間に皺を寄せた。
 ずけずけと人のプライベートに踏み込むのは単なる愚か者である。一方で、プライベートを全て内側にしまい込めばいい、というのも、単なる冷血でしかない。プライベートとは、共訳可能な出来事に共訳不可能の仮面を被せて擬制とするための言葉ではないのである。
 それじゃあ、その基準はどこにあるんだという話では、あるのだが。
「そうさなぁ……まぁ、待ってるよって、言ってあげたら?」
「待つ?」
 エレアがころんと小首を傾げて目を丸くした。
「なんていうのかなぁ―――まあ、自分がオープンであることの態度表明みたいなものだよ。本当に話したくないことがあったら無理に聞くのは悪いけど、人はやっぱり〈間〉に生きているんだから」
 ゆっくりとジゼルは立ち上がる。そうして、エレアの隣に座り、彼女の小さな銀色の頭を抱き寄せた。
「エレアも、ちょっと前に何かあったんでしょう? それが何なのかは聞かないけど、やっぱり自分の問題でも人に打ち明けたいことって、あるから」
 エレアが見上げる。その赤い目が微かに幽れていた。
 エレアは、自分で解決したのだろう―――それとも、まだ解決していないのか。
「エレアは大丈夫なの? クレイが前に心配してたけど」
 少しだけ彼女は迷ってから、こくりと肯いた。
「そっか―――なら良いけど。エレアも無理はしないでね?」
 うん、と再び肯く彼女の顔には陰鬱さはない。ただ、どこか決然とした―――そして穏やかさを感じる彼女の表情に驚く。
 エレアにとってクレイはどういう存在なのだろう。時間の長さは人の親密さの増大に必然性を伴わないとはよく聞くけれど―――。
「エレアはクレイのこと、好き?」
 何気ない言葉だった。そっと彼女を抱き寄せ、エレアの頭に静かに頬を乗せた。
「うん―――だいすき、だよ」
 何の頓着も無く。
 何の屈託も無く。
 何の柵も無く。
 エレアの口は、全くの淀みも無く、そういう意味の言葉を口にした。 
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