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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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46話

 お父さんはね、正義の味方なの―――。
 遠い記憶の中の言葉。それが何歳のころに聞いたのか、彼女も覚えていなかったし、彼女の母も曖昧な記憶らしく、正確なことはよくわからない。
 それでも、その言葉だけが彼女にとってリアリティを持った父親の存在の予感で、成長してから写真で見る父親の姿はどこか現実感がない姿だった。
 彼女の父親は、つまるところ軍人だったのだ。旧ジオン公国軍の士官で、MSのパイロットも務めていたらしい。彼女の母親が語った正義の味方、という言葉は、言い換えれば公僕として国家に仕えていて、皆のために戦っているという言葉を子供向けに抽象的に言い換えたものだった。別に正義の味方だからといってボサボサの頭の魔術師が荒んだ満面の笑みを浮かべているわけでもなし、赤銅色の髪の少年が試練に立ち向かう姿があるでもなし、白髪の男の少年のような笑みがあるでもなし。まぁ、何か壮大なミュトスが開かれていく言葉ではなかったのである。
 だが、それでも少女にとってはその言葉は大きな意味を持っていた。正義の味方。それは頭はパンで出来ているアニメのキャラクターを例にとるまでもなく、それは誰かのために奉仕しているということだ。滅私に働く父親を彼女は尊敬したし、またそのような父親を目指そうというのも自然な成り行きではあった。だから彼女はエレメンタリースクールでは上位に居たし、部活動もサボらなかったし、学校の行事にも積極的に参加した。所謂彼女は模範的な生徒であり続けて、それ自体に誇りを感じていた。規律の下に自律的に在るということ、それはそれ自体として尊ばれるものであった。
 だからこそ。彼女は、宇宙世紀UC.0080年にジオン公国が連邦政府と終戦協定を結んだこと―――より端的に言って、ジオンが負けた意味がわからなかった。だってジオンの軍人は皆正義のために戦っていたのだから、負けるわけなんてなかったのだから。そんな彼女の思いとは裏腹に、ジオン公国軍は本格的に敗戦国となったのである。10代前半の少女の下に残ったのは、正義に対する己の意思と、母親と、そして父親はア・バオア・クーで戦死したという報告だけだった。彼女の父親は、死んだのだ。遺品は父親が最後に乗っていた機体―――《ゲルググ》とかいう機体をバックに満面の笑みを浮かべてサムズアップする父親と同僚の写真だけだった。ちなみにその同僚も死んだらしい。
 それでも彼女は涙を流さなかった。なぜなら彼女の父親は、正義のために死力を尽くして任務にあたったのだから、それは誇るべきことの筈なのだ。たとえそれは国が負けても、そこに生きていた人々の思いとは全く別な問題である、と彼女は信じていた。勝てば官軍だろう、だが負けた側とて劣らず誇りがあるのだ。
 だが、社会は異なる振る舞いをした。かといって、世界中が、宇宙中が侮蔑で溢れたわけではなかった。ただ、世界はペルソナを被ったのだ。
重工業が極めて発達し、それほど損害を受けていないサイド3は、戦争で荒廃した地球圏の復興に必要不可欠だった。だから、無視されたわけではなかった。だからサイド3は、戦争を起こした国としての義務感から戦後復興に出し惜しみなどなかったし、地球圏はそれを歓迎した。
 いつだっただろう―――とにかく、彼女たちは何かのボランティア活動のため、1年間地球に降りたことがあった。彼女にしてみればそれは当然の行為で、義務感以前の問題だった。
 その時だった。稺い子どもに、石をぶつけられたのだ。その子どもは何も言わず、かといって憎悪に満たされているわけでなく、ただ歴史のペルソナを顔につけて、彼女に石の礫を投げたのだ。そして、その仮面の罅割れた部分から、不気味に蠕動しながらも安らっている大地の、静かな、捉えがたい囁きが漏れる音を、聞いたのだった。
 彼女が軍人になろう、と思ったのは、その出来事があったから、かもしれない。正義の味方になりたいな、なんて眩しくて濁った思いを持ちながら、自分の父親が、何を見ていたのかを見てみたいな、と思ったのだ。
 彼女はまだ、声を聞いていない。一年戦争が終結して、その度に彼女の耳には不愉快で大音量なナショナル的雑音が響いていたからだった。
 そうじゃないのだ。もっと、囁くような声が聴きたいのだ。歴史の根底で汚泥のようにやすらいながら、地球内部のように蠢いている大地の声を、聴きたいのだ―――。
 だって、正義の味方はそうやってきこえないこえをきくひとなんだから。
                    ※
「国防軍の趙琳霞中尉です」
 ドアの向こうから聞こえたその名前に、フェニクスはどこかうんざりするものを感じた。何もチョウ・リンファと名乗った相手へ、ではなく、サイド3からの訪問者たちへの食傷である。フェニクスはリンファという女性に会ったことも無かったから、心の中に微かに浮かんだ倦んだ感情をすぐに退け、入出許可を出した。
 アルミのドアノブを回し、フェニクスの上級士官向け執務室に入ったセミロングの黒髪を、金のリボンで2房に纏めた女性だった。
「第112中隊の趙琳霞中尉です!」
 どこか緊張したように敬礼する―――あぁ、とフェニクスは彼女を思い出した。自分の部隊の直援をする部隊の小隊長ではないか。しかもサイド3からの付き合いだ―――中隊長とは何度も会話を交わしたが、他部隊の小隊長とそこまで深いかかわりを持つことは無い。
「特務戦技教導試験隊のフェニクス・カルナップ大尉だ。国防軍の連中は暇人のようだな?」
 返礼をしつつ、フェニクスは務めて砕けた調子で冗談を言った。時折サイド3出身者の人間が面会に来るが、琳霞もそうした人たちの中の1例だった。つと身体を強張らせた琳霞は、しかしフェニクスの予想と異なり、身体を強張らせたままだった。
「仕事のお邪魔でしたでしょうか」
 真面目に受け取った彼女は、委縮したように身を縮めた。
「冗談だ冗談。そんなに固くなるな」
 敬礼を先に解き、フェニクスはなるべく親しみ深くなるような笑みを浮かべることを心掛けた。琳霞の緊張は完全には解けなかったが、幾分かはそれで和らいだようだった。
 琳霞はその後、やはりフェニクスの予想していた行動をした。つまり、元ティターンズのフェニクスを称揚する言葉を熱っぽく語ったのである。
 サイド3の政治的立場は、多くの市民が考えているほどに安泰なものではない。一年戦争の直接の原因として語られる―――それは事実だ。だが後の旧ジオン公国軍残党による紛争の原因となったことは一度として、ない。しかし、同じ『ジオン』である故に、地球圏に住まう短慮な人間たちは、旧ジオン公国軍残党による武装蜂起の度にサイド3に責任を帰してきた。サイド3の市民たちは、身勝手に紛争を繰り返すかつての同胞たちに強烈な不快感を抱いていたのである。だからこそ、ジオン残党狩りを澪標とするティターンズは熱烈に歓迎され、サイド3出身でありながらティターンズに入隊したフェニクスを強く称揚する動きがあるのである。もちろん、サイド3がその一色に染まったわけではないが。
「大尉の駆るB型の《ゲルググ》の活躍にはいつも感動していました。あの時はジオンの正面装備も《ゲルググ》でしたから入隊が楽しみだったのに―――」
 落胆と憤懣を滲ませた溜息を吐いていた。
「《ハイザック》も悪い機体ではないと思うんだが。ブロック6まではとんだ欠陥品だったが」
「あんなものは《ザクⅡ》の模造品です! 姿だけ似せただけのホビーですよ。《ザクⅢ》も上っ面の真似っこに囚われているだけです。《ゲルググ》こそ新しいジオンの象徴、精神的な意味で真の《ザクⅡ》の後継機は《ゲルググ》です!」
 息巻いて身を乗り出していた琳霞はハッと身を硬直させると、顔を真っ赤にした。
「すみません…勝手に舞い上がってしまって」
「構わないよ。今は私的な時間だからな」
 はい、とか細い声で応じたまま、琳霞は委縮したままだ。よっぽど恥ずかしいのか―――琳霞にそのような感情を惹起させているのがまさに自分である、というその事実に奇妙な物を感じながらも、複雑な気持ちで琳霞を見やった。
 まさにそのホビー……もとい《ハイザック》のデザインがティターンズで採用されるに至った理由が、フェニクスたちサイド3出身者が使用した《ゲルググ》にあるのだが。ティターンズのその部隊の性格故、MSの外観が与える心理的効果なども重視したという。RX-178《ガンダムMk-Ⅱ》がガンダムタイプのMSとして開発されたのもその一環である。噂では単眼式のメインカメラを採用したガンダムもいたらしいが、モノアイを搭載したガンダムに関してフェニクスはほとんど知らなかった。
「中尉は《ゲルググ》が好きなんだな?」
 顔を赤くしながらも、顔を上げた琳霞は力強く肯定した。あどけない顔にフェニクスは微笑ましいものを感じながら、彼女は敢えて表情筋を硬くした。
「実戦で《ゲルググ》に遭遇したらどうする?」
 マホガニーのデスクに肘をつき、顔の前で手を組んだフェニクスは挑むように佇立する琳霞を見上げる。わざとらしく畏まったフェニクスの態度を理解した琳霞もまた、身に厳粛を奔らせた。
「敵に堕ちた《ゲルググ》など見るに偲びありません。私自ら葬り去ってやりましょう」
 数秒ほどピリピリした視線を交し合った後、フェニクスと琳霞は互いに破顔した。
                     ※
 アレキサンドリア級重巡洋艦『リーンホース』。ニューエドワーズの軍港に停泊しているこの重巡洋艦もまた、エイジャックスと同じく試験小隊の運用のためにニューエドワーズに配備された退役艦のうちの一隻だった。
 格納庫にずらと並ぶ機体は《ゴットフリート》―――後に地球連邦軍にRGM-96X《ジェスタ》の名を戴くことになるが、それはケネスの知る由のないことである。未だアナハイム・エレクトロニクス社の命名した型番とペットネームしか持たないその機体の体躯は、示威的に頑強そうだった。筋肉もりもりマッチョマン、と整備兵は親しみを込めた視線を送っているらしい。プロボクサーさながらの外見は、確かにその名に相応しいようだ。元々のゴットフリートという名前も、大分厳つい名前である。ドイツ語圏の人は怒るだろうか。
「フソウ少尉は大丈夫でしょうかね?」
 《ゴットフリート》のコクピットから降りたところを部下が声をかけてくる。ヘルメットを脱いだケネス・スレッグは、さぁなと素気もなく応えた。
「アナハイムも気が気じゃないのだろうな。あそこには―――」
 言いかけ、ケネスは口を噤んだ。ケネスが顔を歪めたのを察し、部下の大尉の男も険しい顔をした。
「アナハイムも忙しいものだな。あっちに手を出してはこっちに手を出して」
「今回の件も自作自演なのではありませんか?」
 冗談半ば、真剣さも半ばといったように部下は言った。
 流石にそれはないだろう―――無邪気な男の顔を見ながら、そう素直に思えないことにケネスは呆れすら感じた。
 政治のダイナミズムの裏に潜む人間心理は、得てして複雑怪奇な魔物のようなものである。一方、軍人の本領は、金持ちの手のひらの上で無知に踊り狂うことである。踊っている人間がどんな顔をしているのかを知ろうとすれば―――そういうことである。だから、ケネスは「どうだろうな」とだけ応えて、えっちらおっちら仕事をする整備兵たちを眺めることにした。
 ハイデガー中佐はよくやる―――ケネスは己の上司のほがらかな笑みを思い浮かべた。
「家族想いな女性(ひと)なのだがな―――」
「はい?」
 大尉は、ぽかんとした顔でケネスを見返した。
「ご子息のことだ。今年ニューエドワーズの教導隊にご入隊されたと聞かなかったか?」
 はて、と大尉は首を傾げた。実務に真面目な男だが、仕事に集中しすぎるあまりそれ以外のことにはとんと気を配らない男でもあった。悪い男ではないのだが―――。
「ニューエドワーズに居らっしゃるのならお会いにならないのでしょうか。教導隊にお入りになるほどの技量です、中佐も鼻が高いでしょうに」
「厳しく、そうして放任主義的な人だからな―――直接はお会いしないのだろう。時折メールのやり取りはしているようだが」
 中佐らしいですね、と大尉は笑みを浮かべた。その点は、確かに同意したい。元ティターンズテストパイロットを務めた彼女は厳しい女性(ひと)だ。その息子もまた、親と同じく高邁な心の持ち主なのだろう―――。
 ケネスは、何か不安を感じた。得体のしれない奇妙な間歇。美しく気品高い日本の和紙に、廉価な墨汁が愚かしく垂れていくような―――。
「少佐?」
 図体のデカい男が伺うように身を屈めた。「いや」ケネスは首を微かに横に振った。「少し考え事だ」
 はぁ、と男が目を細める。大尉の視線を受け流したケネスは、結局自分が感じたズレがなんなのかを理解することは無かった。
 それに、そもそもケネス・スレッグという男にとって重要な事柄でもなかったのである。金髪をオールバックにする峻厳な顔立ちの男は、10秒後には、己の任務たる《ゴットフリート》の調律という、誇り高い仕事を峩々と志向していた。元々、彼はMSに乗りたいからという単純な理由でテストパイロットになった男である。そう言った意味では、ケネスはみさきの志望動機理由を気に入っていた。
 もし妻がおらず、もっと若くて、みさきが白人でブロンドだったらいいのに。サンチマンタルなど露ほども理解していない運命の神とやらに、いちゃもんをつけたくもなるが、ケネスは気にしないことにした。そもそも彼は無神論者である。神も神で、そんな人間から文句を言われても困惑するだけであろう。
「――――――テストだけに専念できればいいのだが」
 《ゴッドフリート》を仰ぎ見る。フットボーラーさながらにゴツイ身体にヘッドバイザーを付けた《ゴッドフリート》は、そんなことを俺に言うなと呆れと同情を滲ませた視線をどこかに投げていた。
 ラプラスの魔がどこかに居るのかは知ったこっちゃないが、少なからずこのユニバーサルセンチュリーに存在する神は運命に細工をするのが趣味らしい。
 ケネス・スレッグ少佐は不愉快な気分になりながら、格納庫を後にした。 
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