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幻影想夜

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第ニ十三夜「影踏み」


「あっちゃんの踏んだ!」
「あ~あ…。」
「けんちゃん、あっちあっち!」
「よしくん早い!」
「けんちゃんが遅いんだよ~。」

 夕暮れの紅。全てが燃えている様な刻。何も考えることなく無邪気に遊んでいたんだ…。
 そう…今日の様な夕暮れ刻だった。空が藍に染まり始め星々が点々と瞬くその時まで、俺らは遊び続けていた。
 思えば…あの頃が一番楽しかった気がする。今日のこの夕陽は、あの頃の記憶を浮かび上がらせるには充分だった。

「田舎…帰ってねぇな…。」

 そこはとある街にある歩道橋の上。その下は帰宅ラッシュの車で混雑しているが、この歩道橋に人が増えるのはもう暫くしてからだ。
「ま、帰ったとこで誰も居やしないしな…。」
 俺の両親は六年前、とある事故で他界した。今更帰ったとこで、もうあそこには誰も居ない。あの頃に遊んだ友達も、殆どが田舎を離れてしまっているのだから、もう帰る必要も無い。
 分かっている。そう…分かってはいるんだが、こうも暮れ行く紅い夕陽を見ていると無性に故郷が懐かしくなり、過去の幻影に追い付かれそうになる…。

「つばさくん、早く早く!」
「みっちゃん、助けて!」
「それ!みんな逃げろ~!」
「また始めっから~!?」
「早く捕まえないと夜になっちゃうよ~?」
「よ~し!みんな捕まえてやる!」

 記憶の中、誰一人欠けてはいない。でも…小学四年の時に二人、卒業の時に一人、そして中学でもまた一人と引っ越して行った。
 在りし日の幻影は、そうやって一つ…また一つと消えていったのだ。
 始めのうちは手紙のやり取りをしていた友達も、徐々にその回数は減っていき、そうしているうちに音信不通となった。
 今思えば、幼かったのだ。いつまでも友達…そう言いながらも、いつしか目の前の楽しさに心を奪われて行ったことを、一体誰が責められると言うのだろう?手紙すらどちらが途絶えさせたかなど、もう疾うに忘れてしまったのだから…。相手だってきっと、ずっと前に俺のことなんて忘れてるに違いない。
 今が嫌だと言うわけじゃない。確かに懐かしいあの家や両親を喪いはしたが、俺はこうして生きている。仕事も楽しいし、それなりに満足した生活を送れている。
 しかし…時折、とてつもない不安に襲われることもある。俺はこのままずっと一人なんじゃないか?このまま惰性的に日々を繰り返すだけで終わってしまうんじゃないのか…と。
 俺の周りには、もうあの懐かしい影はない。追いかけることも、追いかけられることもない。その代わり、日々の時間だけが俺を追いかけているのだ…。
「考えても仕方無い。」
 人通りの少ない路地を歩きながら、俺は一人呟いた。
 空を見上げると、燃える様な紅を冷ますかの様に、夜の藍が少しずつ重なり出していた。それは…言い様のない淋しさを、ほんの少しだけ俺の心へと滑り込ませた。
「さっさと帰って飯にすっかな。」
 わざと明るく言うと、俺は足早に駆け出した。
 もう、何も見たくはない。思い出したくもない。こんな淋しさが欲しい訳じゃない…。
 そこには過ぎ去った影ではなく、置いていかれた俺が居るだけなんだ。

 そんなことは知っている…そう、最初から…。

「もう帰らないと、お母さんに怒られちゃう!」
「そうだね~。僕も帰らないと。」
「それじゃ、これでおしまいだね。」
「え~!?もうずっと僕が鬼だったじゃん!」
「明日も遊ぼうね!」
「うん!」
「じゃ、また明日~!ばいば~い!」

 胸が痛い…。
 あの頃、家に帰れば優しい母が夕飯の支度をして待っていてくれた。父は厳格な人だったが、間違ったことをする人ではなく、時折見せる微笑みに俺は大きな安心感を覚えていた…。
 せめて祖父母が健在であったなら、多少は違ったのかも知れない。だが、俺が生まれる以前に他界しているのだ。
 唯一、二人の叔父は居はするが、両親が亡くなった時には俺を引き取るだけの余裕は無かった。それは理解していたし、高校卒業まで半年を切っていたから、俺は自立することに決めたのだ。大学を諦め、高校卒業と同時にこの街の工場で働くことにしたのだ。
 あの家は思い出が多すぎて、俺はとても住んではいられなかった。
 無論、両親が残してくれた貯金で大学へ行くことも家を維持することも出来たが、俺にはそれをすることが出来なかった。両親の命そのものを糧にしているようで…どうしても受け入れられなかった…。
 二人の叔父は反対したが、俺は後のことを叔父に任せ、一人でここに来たのだ。いや…逃げ出したと言った方が的確かも知れないな…。
 アパートに着き、俺は鍵を開けてドアを開いた。何気無く入ってふと見ると、窓から紅の陽射しが差し込み、まるで映画の1シーンの様な光景を醸し出していた。
 四角い小さなテーブル、その上に置いてあるカップ、気紛れに買った小さなサボテン…。それらが光を受けて長い影をこちらへとそっと伸ばしていた。
 そこにはただ…沈黙だけが居座り、あの時の躍動感は微塵も無い。だが、そこから沸き上がる淋しさは、まるで生きているかの様に俺へと纏わりついてきた。

「今日はあきらくんが鬼~!」
「ええ~!昨日も僕だったのに~!」
「じゃんけん弱いんだもん。」
「逃げろ~!」

 過去が現在に追い付きそうになる…。心に映る友達は、みんな無邪気な顔をして逃げ回っている。
 その中で、俺は一人佇んでいるようで、何をしていいのか解らなくなっていた。

「けんちゃん、早く逃げないと!」

- 何から…? -

「もう来ちゃうよ!早く早く!」

- なんで逃げるの…? -

「もう!影踏まれちゃったら捕まるよ!」

- 影を…踏まれたら…? -

 俺はこの遊びの名を忘れていた。なぜだろう…?こんな簡単な名前を、俺は全く思い出すことは無かった。今の子供は誰もやらず、まるで過去の置物の様になってしまった遊び…。
 夕焼けに落ちる長い影は、まるで俺を揶揄っているかの様に記憶を抉じ開けようとし、その度に俺はそれをひたすら拒絶し続けていた…。
 それが今、打ち砕かれた気がした…。

「影踏み…。」

 そのままの名前。地方によってルールなど少しずつ違う様で、名前も“影鬼"“影踏み鬼"などとも言われている。
 なぜこんな単純な名を忘れていたのか…。今にして思えば、きっと忘れたかったんだろう。幼い頃の楽しかった記憶を…。
 まるで子供だと、俺は苦笑した。今の楽しさに偽りはないが、子供のそれとは全くの別物だ。
 それでも…似かよっているようで、俺は自分の弱さを実感させられた様な気がした。
 その時、ふと携帯の着信音が響いた。俺は携帯をポケットから取り出して番号を確認すると、それは知らない番号からだった。
「誰だ?変なヤツじゃないだろうなぁ…。」
 それは全く鳴り止まず、仕方無く出てみることにした。
「もしもし…?」
 俺がそう言うと、向こうから女性の声が返ってきた。
「あ、謙司君?覚えてるかなぁ…私、愛季子だけど…。」「もしかして…あっちゃん!?」
「そう!良かったぁ~、覚えててくれたんだ。」
 電話の主は、小学校卒業と同時に引っ越した幼馴染みの橘愛季子からだった。
 あれから随分経つのに、よく俺の番号が分かったと思う。知っているのは会社のヤツら以外は、二人の叔父と高校の恩師の三人だけの筈だが…。
「しっかし、よく番号分かったなぁ。」
「あのね、この前偶然に恭行さんに会ってね。謙司君がどうしてるのか聞いたら、この番号を教えてくれたの。」
「恭叔父さんが…?そんな話聞いてないけど…。」
「私が黙っててほしいって頼んだの。ビックリさせたくて。」
「確かに…ビックリしたよ。」
 俺たちは少し話した後、近いうちに会うことにした。無論、互いに顔が判るかどうかは不明だ。記憶にあるのは、互いに小学生のままなのだから…。
 数日後、俺は愛季子に会うために家を出てバスに乗った。
 彼女が指定した場所は、この辺でも名の知れた喫茶店だった。俺にとっては隣町だが、愛季子にとってはかなり遠い。どうやら噂を聞いて来てみたかったようだ。
 バスから降りて少し歩くと、指定された喫茶店が見えて来た。彼女とは店の前で待ち合わせていたのだが、そこに居たのは可愛らしい…と言うよりも、美しい女性が立っていた。

- まさか…なぁ…。 -

 俺は躊躇った。あんな美人に声を掛けて間違っていたら…それこそ下手な軟派だからな。
 だが、その女性はこちらを向くや、躊躇いもせず笑顔で手を振った。
「謙司君!」
 その笑顔は紛れもなく…愛季子だった。
 ポカンとしている俺のとこへ、彼女は嬉しそうに駆けてきた。そんな彼女に、俺は少しだけドキッとしてしまった。
「久しぶり、元気だった?もう…こんなにカッコよくなっちゃって。」
「あ…あぁ…。お前こそ綺麗になったな。最初、誰だか分からなかった。」
「またぁ…。謙司君、口まで上手くなっちゃって。」
「本当だって。声掛けるか迷っちまったよ。」
「そう?なら…嬉しいかな…。」
「…?」
 彼女の言葉に、俺は少し違和感を感じた。それが何かは分からなかったが…。
「でも、何で今になって俺なんかに会いに?」
「ま、その話は中に入ってからにしよ?」
 そう言って愛季子は俺の手を握って店へと入った。
 そこは喫茶店…と言うよりは小さなレストランと言え、イタリアのトラットリアに近かった。
 俺たちは案内された席で、最初は他愛ない話をした。卒業後の話から始まり、会社の話や友達の話など、取り留めもなく話続けた。それこそ付き合った相手のことまで…。
 そして、今は互いにフリーだと分かったが、どうも愛季子の様子がおかしな気がする。
「なぁ、お前…なんかあったんじゃないか?」
「え…?」
 彼女の表情が変わった。俺は「やっぱり…。」と思った。
「話してみろよ。そのためにここに来たんじゃないのか?」
 俺がそう促すと、彼女は小さな溜め息を吐いた。
「あのね…私、今度お見合いさせられるの。」
「…そうなんだ。相手は?」
「父の勤めてる会社の上役の息子さんだって。」
「へぇ…。でも、乗り気じゃないみたいだな。」
 俺はそう言って珈琲を啜ると、愛季子は珈琲カップに両手を添えながら返した。
「あの…久しぶりに会って突然こんなこと言うのもどうかとは思うんだけど…。」
 彼女はそこで言葉を切った。どうも言い難い話の様で、俺にそのことで何かを頼みに来たのだと思った。
「言ってみろよ、あっちゃん。」
 俯く彼女に、俺はニッと笑って言った。俺に出来ることなら、何でもしてやりたいと思う。
 俺はそんな大層な人物じゃないが、久々に会った幼馴染みの力になれない程ヤワでもない。ま、権力者に楯突く程の度量は無いが…。
「あのね…今度のお見合い、私が本当に好きな男性を紹介したら…断ってくれるの…。」
「で、俺を代わりに?」
「そうじゃないの!」
「…?」
 俺は首を傾げた。だったら、俺になにを…。
「あの…私、ずっとけんちゃんのことが…好きなのよ!」
「…は!?」
「だから、代わりじゃなくて…」
 俺は目を点にした。愛季子に表情を隠す様に俯き、迂闊にも顔を赤くしてしまった。
 別に童貞と言うわけじゃないが、こんなことを面と向かって言われると恥ずかしい…。
 仕方無く片手で口元を抑え、外方を向いて彼女へ返した。
「お前…俺なんかのどこが良かったんだよ…。」
「…走ってるけんちゃん、本当に素敵だったんだよ…。みんなと笑ながら走り回っているけんちゃんが…私、本当に好きだったの。それでね、私が引っ越すことになった時、それが初めての特別な“好き"だって、気付いたの。でも…言えなかったんだ。」
「で、わざわざそれを言いに?」
「違うの。そうじゃなくて…」
 そこでまた会話が途切れた。
 俺は相変わらず、彼女が何を言いたいのか分からずにいた。
 俺は最初、愛季子が見合いの前に遣っておきたい何かを頼みたいのだと考えていた。でも、どうやら的外れな様だ…。
「えっと…なんと言うか…私、今までお付き合いした男性全員に、こう言われたの…。“前の彼氏の代わりは出来ない"って…。初めてお付き合いした人にもそう言われてて、それで気付いたの…。私、けんちゃんの面影を追いかけてたんだなって…けんちゃんじゃなきゃダメなんだなって…。」
「え…?えっと…それって…」
「あの…嫌じゃなければだけど…私と本気でお付き合いしてほしいの!」
「…っ!?」
 言葉に詰まった。あれから十数年…俺も愛季子も別々の道を歩んで来た。俺にも様々な出来事があり、愛季子だって同じな筈だ。でも、それでも…俺が良いんだと彼女は言う。
「あのさ…俺、あんま金無いし、職業だって稼げる職に就いてる訳じゃない。」
「知ってるよ。」
「それに…両親も逝っちまってて…」
「知ってるよ。」
 愛季子は静かに答えた。もう知っていて覚悟を決めて来たみたいに…。
「それでも…俺が良いのか?」
「うん。けんちゃんが良いの。」
 愛季子は…真っ直ぐに俺を見て返した。
 全く…こんなとこでする話かよ…俺はそう思って苦笑すると、愛季子はムスッとふくれて外方を向いた。
「何も笑わなくったって…。」
「いや…ゴメン。」
 俺はそう言いつつ、そんな愛季子が可愛いと思った。しかし、俺は俺で、やはりあの時とは違っている。
 でも…。
「なぁ…苦労するぞ?」
「うん。」
「それでも…一緒に居たいのか?」
「居たい。」
 真っ直ぐに見つめた彼女の瞳に、俺は軽く溜め息を吐いた。
 その時、ふと幼い時の光景が脳裡を掠めた。

- つかまえた! -

 あぁ…捕まっちまったな…。
「俺もお前が好きだよ。少しずつ…時間を埋めて行こう。」
 俺がそう言うと愛季子の目から涙が零れ、その顔はあの懐かしい満面の笑顔へと変わった。

 もう、鬼はいない。
 でも、もしいるのだとしたら、それはとても幸福な鬼なのだろう…俺は、そう思った…。




        END



 
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