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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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ゼロの使い魔編
第十五章 忘却の夢迷宮
  第七話 笑顔という仮面

 
前書き

 ……あれ? 俺の夏休みは何処? 

 


「―――士郎ッ!!!」


 それ(・・)に最初に気付いたのは、遠坂凛であった。
 五つの属性を全て兼ね備えた五大元素使い(アベレージ・ワン)故か、それとも宝石魔術の使い手だからか、己に迫る桁違いの力の存在に誰よりも早く気付いた。
 それ(・・)が何なのかはわからなかったが、直ぐに対処しなければならないと強迫観念に近い予感を感じ、逆らう事なく凛は己の直感に従い声を上げた。
 タバサたちが立つ壇上の下で待機していた士郎は、その切羽詰った凛の声を聞いた瞬間、祭壇の上に向かって飛び上がっていた。
 壇上の上に飛び上がりながら周囲を見渡し目的の人物―――凛が指差す方向へと顔を向けた。

「―――ッ!?」

 凛が指差した先は北東の空の向こう。常人の目にはただ青い空と白い雲しか映らないが、強化した士郎の目は、遊弋する一隻の船と、こちらへと向かって飛んでくる一体のガーゴイルの姿を捕らえた。そしてガーゴイルを見つけた瞬間、士郎の背筋に悪寒が走った。

 アレはいけない。
 絶対に近付けさせてはならない。
 今すぐ迎撃しなければならない。
 さもなければ―――。 

 焦燥にも似た衝動が全身を駆け抜ける。
 しかし、士郎に動揺はなかった。
 何故ならば、こういった事は初めてではないからだ。
 数え切れない程の戦場を駆け抜けてきた士郎には、馴染みといっていい感覚であった。
 命が危険に晒されている感覚。
 遥か彼方、士郎の目には北東の空から迫るガーゴイルの姿をハッキリと捕らえていた。その手に握っている紅い石についても、獲物を狙う鷹のような目が捕らえていた。
 タバサたちが立つ壇上に降り立つまでに状況を悟った士郎は、足が祭壇の上に触れると同時に、迎撃の為の武器を創り出した。
 
「―――投影開始(トレース・オン)
 
 それは弓と矢。
 弓は洋弓と和弓が合わさったかのような射ることに洗練された黒塗りの弓。
 矢は紅い、まるで血が凝固して出来たかのような一本の矢―――否、剣。
 突然壇上に現れた男―――それも武器を持った男の登場に、周囲に混乱が起きる。そんな騒がしい周囲を無視し士郎は紅い矢を弓につがえ、北東の空へと構えた。

「全軍を下がらせろっ教皇ッ!!」
「一体どうし―――」

 切羽詰った声に、士郎に詰め寄ろうとしていたヴィットーリオの足が止まる。
 理由を問おうと開かれた口から言葉が出る前に、しかし、士郎は既に行動を起こしていた。
 拙速を重視し、必要最低限の魔力が矢に充填されると同時に詠唱(真名開放)し矢を放った。
 
「―――赤原猟犬(フルンディング)

 放たれた矢は紅い雷を纏いながら音を置き去りに標的へと迫る。
 紅い閃光の先に目を向けず、士郎は未だ状況が掴めず戸惑った様子を見せるタバサへと駆けていく。

「伏せろッ!!」

 タバサを抱えながら、飛び込むように祭壇の上に身体を投げ士郎は叫ぶ。
 その声に反応したのは何万もの兵士がいる中、僅か十人にも満たなかった。
 突然の状況に判断がつかず騒然とする周囲の中、数秒後、凛と士郎の予感が正しかった事が証明される。

「「「「――――――ッッ!!!!????」」」」

 何千、何万もの驚愕の声が押しつぶされる。
 物理的にも、精神的にも。
 北東の空に突如現れた巨大な炎の玉。
 遠く離れた空に出現したにも関わらず、その威様と発生した爆音と衝撃にガリアとロマリアの両軍全てが強制的に地面へと押しつぶされる。
 押し倒したタバサを熱と衝撃から守りながら、士郎は肩越しに細めた目で全長十キロにも及ぶだろう巨大な炎の玉を確認した。
 
「くそっ―――冗談じゃないぞっ!?」

 下手しなくとも戦術核並の威力だ。
 もしもあれが軍の中心で出現していれば、あの一発で全滅していた。
 あの一発で最後等と都合のいい考えが出来る筈がない。
 二発目が来る前に早急に対応しなければならない。
 その為には―――。

「―――シルフィードッ」
「タバサっ?!」

 腕立て伏せをするような姿勢で肩越しに背後―――今も轟々と燃える火の玉を見つめていた士郎の下から、タバサの鋭い声が上がった。
 士郎の下から這い出たタバサは、上空から降りてくる青い影―――タバサの使い魔であるシルフィードに向かって手を伸ばし、立ち上がろうとする士郎へと目配せした。
 シルフィードは主であるタバサの意図を得ると、士郎とタバサの身体を掴み空へと舞い上がった。

「っく―――タバサッ、何をして―――」
「何処?」
「なに?」

 シルフィードの手の内から背へと移動した士郎が、前に跨るタバサの肩を掴もうと手を伸ばそうとする。それを遮るように、タバサが士郎に振り返り指示を仰いできた。

「何処に向かえばいい?」
「ちぃっ―――東北だ。そこに船がある」
 
 タバサを下ろすためかどうか逡巡する士郎だが、そんな時間はないと断じ東北を指差す。士郎の指示に従いシルフィードが東方の空へと向かう。

「しかし一体あれは何なんだ? まるで小型の太陽―――効果範囲も威力も桁違いにも程があるぞ」

 士郎のその愚痴にも似たその言葉に応えたのは、以外にもタバサではなくシルフィードだった。

「きゅい! あれは精霊の力の開放なのねっ! おそらく“火石”が爆発したのね! あれだけの火が集められた“火石”が爆発したら、手も足も出ないのねっ!! 終わりなのねっ!」

 きゅいきゅいと悲鳴混じりの声で説明するシルフィード。

「ひせき―――“火石”か。それは“風石”と似たようなものか?」
「そうなのね! “風石”が風の力が集まったものなら、“火石”は火の力が集まったものなのね! でも、普通は“火石”が爆発するなんてありえないのねっ! 一体どういうことなのねっ!」

 士郎の質問に答えながらも、シルフィードは段々と収束を始めた火の玉へと目掛け飛んでいく。発生した際に比べ、半分近くまで小さくなってはいたが、それでも距離が離れているにも関わらず、大火の間近にいるかのような熱波が感じられた。そんな中、視線鋭く火の玉を睨みつけていた。
 いや、正確にはその付近を飛んでいる―――。

「―――あと一撃分は保つか」

 ポツリと呟いた士郎は、空に浮く炎の向こう。
 この特級の災害の原因であろうフリゲート艦を睨みつけた。
 正確にはその甲板に見える、敵の姿を。

「……やはり、ミョズニトニルン」

 フリゲート艦の甲板に、よろめきながら立ち上がる既に見慣れた女の姿を捕らえた。
 ガーゴイルを破壊した矢は、あと一撃だけならば耐えられる。
 次弾を防ぐため、その一撃で―――そう、士郎が考えた時、甲板の上にありえない者の姿を見た。

「―――っ!?」
「なに?」
「きゅい?」

 ミョズニトニルンの傍にトリステインに居るはずのアンリエッタの姿を見つけた士郎は、その周囲を取り囲むガーゴイルを見て取ると同時に矢の狙いを変更した。
 士郎の意を受け取った赤原猟犬(フルンディング)は、残る僅かな魔力で進路を変更し、アンリエッタの周囲を取り囲んでいたガーゴイルを砕くと同時に力尽き霧のように消え去った。
 突然の襲撃に、ミョズニトニルンは即座に主であるジョゼフを守るためフリゲート艦に搭載されていたガーゴイルたちを迎撃に向かわせる。“神の頭脳”と謳われた全てのマジックアイテムを使いこなすミョズニトニルンの力により、能力の限界まで引き出されたガーゴイルたちが一斉にシルフィードへ向かって矢のように突き進む。
 瞬く間に近づいてくるガーゴイルを前に、士郎はシルフィードの背の上で立ち上がる。

「ここまででいい。後は任せて下がっててくれ」
「なに、を?」

 士郎の言葉にタバサが慌てて背後を見ようとするが、それよりも早く士郎は空へと向かって身体を躍らせていた。

「シロ―――」

 ―――ウ、と名前を言い切る前に空へと飛び出した士郎は、シルフィードの眼前にまで迫っていたガーゴイルの上に降り立った。
 頭上からの衝撃に、ガーゴイルはガクンと高度を下げるが、直ぐに背中の翼を羽ばたかせ高度を上げる。その動きに合わせ士郎は“強化”した脚部で足蹴にしたガーゴイルの頭部を強かに踏みつけ飛び上がった。
 通常時でも敷石を軽く破壊する士郎の震脚じみた踏み込みにより、頭部を破裂する勢いで破壊されたガーゴイルを尻目に、士郎の身体は次のガーゴイルに向かう。川に設けられた飛び石の上を跳ねるようにガーゴイルの上を飛び跳ねる士郎。足場にされたガーゴイルは、士郎が移動する度に破壊され地に落ちていく。
 迎撃のつもりで放ったガーゴイルが、ただの足場にされている状況に、ミョズニトニルンがガーゴイルたちを慌てて引き返させる。しかし、既に遅きに逸していた。残ったガーゴイルが戻るよりも先に、士郎の足はフリゲート艦の甲板に降り立った。

「……お前が、ガリア王ジョゼフか」
「ああ、初めましてだねエミヤシロウ。いや、ガンダールヴと言っておこうか?」

 甲板の上で士郎とジョゼフが相対する。
 
「ふむ。まさかあの短時間でここまで来るとは、噂に違わぬまさに“英雄”」
「御託はいい。この場で投降するなら怪我をしなくてすむが、どうする?」

 士郎がデルフリンガーを抜き、切っ先をジョゼフへと突きつけた。
 万の軍勢にも打ち勝ったと噂される“英雄”を前に、しかしジョゼフは恐ることなく小さく肩を竦ませると懐から二つの紅い石を取り出した。

「お前の目的はこれ(・・)だろう」
「……それが“火石”か」
「ほう、知っていたか。その通り。これが“火石”だ。心配せずともこの二つで全てだ。だが、この二つどれも先ほどよりも強力だ。あれは精々半径五リーグだが、この二つはその比ではないぞ」

 懐から二つの“火石”を取り出したジョゼフが、それを人質のように士郎に突き出している。
 下手に攻撃すれば爆発の可能性があると、士郎が動けない中、ジョゼフの探るような視線が向けられた。

「ほう。流石に冷静だな。あれほどのものを見て、それでもその落ち着きよう。ますます驚いたぞエミヤシロウ」
「貴様に褒められても嬉しくはないな。まずはそれを渡してもら―――」

 ―――おうか。
 そうシロウが口にしようとした時、ミョズニトニルン操る十数体のガーゴイルが襲いかかってきた。

「ガンダールヴッ!!」

 羊のような角、頑健な肉体、背には蝙蝠の翼を持つガーゴイルが士郎を取り囲み、一斉にその爪を、牙を振り下ろす。
 四方から迫るガーゴイル。
 逃げる場所などない死地。
 しかし、

「―――ッ」

 甲板に一陣の風が吹いた。
 牙を、爪を振り下ろそうとしたガーゴイルがピタリと動きを止め、ぐらりと揺れたかと思うとバラバラに切断され甲板の上に腕が、足が、胴体が転がる。
 血を振り払うかのようにデルフリンガーを一振りした士郎は、ジロリと悔しげに歯を噛み締めるミョズニトニルンを睨みつけた。

「邪魔をするなミョズニトニルン」
「っ、舐め、るな―――ッ!!」

 ミョズニトニルンが腕を大きく横に振るうと、それに応じるように残ったガーゴイルが襲いかかってくる。士郎は次々に迫るガーゴイルの攻撃を滑るような動きで避けながら、次々にガーゴイルを細かな部品へと変えていく。十数体のガーゴイルが、全て細かな部品になって甲板に転がるまで十秒も掛からなかった。

「……気は済んだか」

 バラバラとなったガーゴイルの中心で、打つ手がなくなったミョズニトニルンを睨み付ける士郎。だが、甲板上のガーゴイルを全て失った筈のミョズニトニルンは、狼狽えるどころか不敵な笑みを浮かべていた。

「舐めるなと言っただろうがっ!!」

 ミョズニトニルンの叫びと共に、士郎の周囲に散らばっていたガーゴイルの残骸が勝手に動き出し、欠片同士が粘土のようにくっつき元の形へと戻っていく。

「これは……」

 訝しげに目を細める士郎に、ミョズニトニルンが自慢げに声を上げた。

「はっ! このガーゴイルは特別に水の力に特化させたものだよ。ヨルムンガンドほどではないけど、不死身に近い。どれだけ細く切り刻んだとしても、元通りになってしまう。さあ、どうする? 剣士のあんたには最悪の相手を前にして」
「……投影開始(トレース・オン)

 復活したガーゴイルたちが士郎に襲いかかる中、士郎は一つの槍を投影した。
 それは黄金に輝く通常の槍よりも短い短槍。
 左手にデルフリンガー(長剣)
 右手に短槍を握った士郎は、焦る様子を見せることなく先程と同じように襲いかかるガーゴイルを次々に切り倒していく。あっと言う間に先程の巻き戻しのように倒されたガーゴイルを前に、しかしミョズニトニルンは不敵な笑みを崩さなかった。直ぐに復活すると分かっていたからだ。
 だが、いくら待っても復活しないガーゴイルに、次第に焦りだした。

「な、ど、どういうことだい? もう復活しても可笑しくないはずなのに……ッ!? ガンダールヴッ!! 一体何をしたぁっ!?」

 悲鳴にも似たミョズニトニルンの声に、士郎は右手に握った黄金の短槍を一振りするだけで応えることなくジョゼフに向き直った。
 
「さあ、茶番は終わりだ。痛い目に会いたくなければその手にあるものを渡してもらおう」
「まったく、凄まじいものだ。だが、他にもガーゴイルはいるぞ、おれの相手をしている暇などあるのか?」
「その頼りのガーゴイルたちは、どうやらロマリアの聖堂騎士たちの相手に忙しそうだが?」

 士郎がチラリと視線を向けた先では、士郎の後に続いて飛んできたペガサスなどの幻獣に跨ったロマリアの聖堂騎士たちがガーゴイルたちと戦う姿があった。もし士郎の迎撃のため、ガーゴイルを呼び戻せば、たちまち聖堂騎士たちが乗り込んでくるだろう。

「そのようだな。ならば仕方がない。おれが相手をするしかないようだな」
「なに?」
「とは言え流石に一人では荷が重い……助っ人を呼ばせてもらおうか」

 そうジョゼフが口にした瞬間、士郎の背後の空間が揺らめいた。

「―――ッ?!」

 背筋に走る寒気と直感に従い士郎はデルフリンガーを背後へと振り抜く。
 ガキンッ! と鋼と鋼がぶつかる剣戟の音が響く。

「馬鹿―――なっ、ワルドッ!?」

 風を纏わせた杖と鍔迫り合う士郎が、間近に迫るいるはずのない男の姿に驚愕の声をあげる。

「っ、こ、の―――、ぃっ!!」
 
 デルフリンガーごと押し斬ろうとするワルドの人間離れした文字通りの怪力に顔を歪めながらも耐えていた士郎だが、チリリと産毛が逆立つような電流にも似た悪寒に、咄嗟に転がるようにその場から飛び離れた。
 甲板の上を転がりながら距離を取った士郎が、起き上がり先程まで自分がいた場所を睨みつけると、そこには短剣を片手に持ったジョゼフが立っていた。
 士郎とジョゼフの間には十メートル以上の開きがあった。それが僅かな間目を離した隙に距離を詰められていた。何らかの武術の達人ならばいざしらず、基本運動能力は常人と変わらない筈のメイジが魔法もなしでこの距離を士郎に悟られる事なく踏破する事は不可能である。
 ならば考えられるのは一つだけ。

「……“虚無魔法”か」
「その通り虚無の一つだ。“加速”という魔法でな。文字通りただ単純に動きを加速させるだけの魔法だが、中々使い勝手はいいぞ」

 短剣を弄びながら関心するように顔を上下に振るジョゼフの身体をさり気なく士郎が確認するも、何処かを痛めた様子は見られない。
 士郎の世界にある魔術の中には、ジョゼフが使った“加速”と似た効果を持つ“固有時制御(タイム・アルター)”というものがある。
 時間操作の魔術を応用したものであり、簡単に説明すれば、“固有結界”を術者の体内に設定することにより、体内時間を操作する魔術であった。
 これを使用すれば、体内時間をある程度自由に加速・減速することが出来る。しかし、その代償は大きい。結界が解けた際、調整された側の時間が外界の時間に合わせるよう世界からの修正を受ける為、加速・減速の程度に合わせ術者の肉体に負担がかかるのだ。
 それは下手をすればそのまま死亡する可能性があるほどに。
 しかし、士郎の見る限りジョゼフに何らかのダメージを受けた様子は見られない。 
 つまり――― 

「―――制限なく使えると考えるべきか……厄介だな」

 何かの縛りがあるのかもしれないが、楽観的な考えは即、死につながる。
 ならば最初からサーヴァント並みの速度の相手は、もしくは空間転移の使い手と考えておけばいいだけだ。
 それだけでも厄介であるのに、と考えながら士郎は背後に視線を移す。
 そこには剣状の杖を隙のない構えで向けてくるワルドの姿があった。以前、ミョズニトニルンと共に襲ってきた際に倒しと思っていたが、ここにいるということは倒しきれなかったか、自分が本体と思っていたものも偏在(ユビキタス)で創り出したものであったかだ。

「前門の虎、後門の狼―――か」
 
 厳しい戦況を前にしながら、しかし士郎は落ち着いた様子で囲む二人を警戒しながら、遠巻きに自分たちを見つめる二人に声を掛けた。

「アンリエッタ、ぎりぎりまで離れていろ。アニエス、出来るだけそちらに被害が及ばないようにするが、どうなるかわからん。直ぐに動けるようにしておけ」
「は、はいっ!」
「っ、この―――、くっ、わかった……負けるなよ。お前が負ければどうなるかぐらいわかっているだろう」

 素直なアンリエッタの返事と、脅しか発破を掛けているのか判然としないアニエスの声を耳にした士郎は、僅かに口元を緩めるとデルフリンガーと黄金の短槍を握り直した。

「ふっ―――任せろ」
「「―――ッ!?」」

 ドンッ!! と強化された甲板の板が砕かれる音が響いた時には、既にその場に士郎の姿はなかった。
 ほぼ並行してジョゼフの姿も消え、同時にコンマ数秒前までジョゼフが立っていた今は無人の空間にデルフリンガーが振り下ろされた。

「ちっ」

 小さく舌打ちをする士郎の身体に影が落ちる。士郎は競泳選手のように前方に飛び込むと、甲板に手をつき器用にくるりと一回転しその場から距離を取った。立ち上がった士郎の足元がぐらりと揺れる。先程まで士郎が立っていた位置に、半径三メートルはあろうかという巨大なすり鉢状の穴が空いていた。長剣の形をした杖を片手で振り下ろした形で止まっていたワルドは、ゆっくりと杖を持ち上げると自身の肩に乗せた。

「流石ダナ“ガンダールヴ”。ソノ動キ、“加速”ニ引ケハ取ラナイナ」
「喋れるのか?」
「オ陰様デナ」

 剣状の杖を肩に乗せた状態で、ワルドは器用に肩を竦ませてみせる。
 
「そう―――かッ!!」

 耳をつんざくような衝突音が響き、周囲に船体を破壊するほどの衝撃が発生する。発生源は士郎が握るデルフリンガーとワルドが握る剣状の杖の衝突が源であった。
 士郎の“加速”にも迫る速度での攻撃であったが、ワルドは慌てるようすもなく振り下ろされたガンダールヴを剣で押さえ込む。

「反応がいいなっ!!」
「人ヲヤメタオ陰デナ―――力モ又同様ダッ!!」

 鍔迫り合いから一転、ワルドが士郎の体を吹き飛ばす。
 吹き飛ばされる先には誰もいない。背後を見て確認した士郎は、直ぐさま体勢を整え―――黄金の短槍を背後に突き出した。

「っぎ?!」
「ただ速いだけでは俺は刺せんぞっ!」
「っが!」

 士郎が前を見ながら脇の間を通すように突き出した黄金の槍は、狙いたがわず短剣を握るジョゼフの右腕を貫いていた。黄金の槍を引き抜きながら回し蹴りでジョゼフの身体を甲板に叩きつけた。
 その時、ジョゼフの胸元から一つの赤い石が転がり出た。

「姫さまっ!?」
「―――っ!?」

 それに気付いた瞬間、盾になるように立つアニエスの背後にいたアンリエッタが飛び出した。両手を後ろに縛られ、上手く動けない姿でありながら、必死に走り甲板の上を転がる赤い石に飛びついた。

「っ、んっ!」

 大きく口を開き甲板の上の“火石”を咥えたアンリエッタは、飛びついた勢いを殺せずそのまま甲板の上をゴロゴロと転がっていく。その後を必死の形相でアニエスが追いかける。 
 士郎はその様子を視界の端に捕らえてはいた。しかし、助けにいっている隙はない。甲板の上に叩きつけられた衝撃でジョゼフの腕から引き抜けた黄金に輝く短槍を横凪に振るう。

「っグ」

 くぐもった悲鳴を上げたのはワルドであった。士郎に向かって剣を振り下ろそうとしていたワルドだったが、己が杖を振り下ろすよりも早く士郎の攻撃が当たると判断し、剣状の杖を縦に構えた。しかし、人外の身体を更に強化したとしても、士郎の一撃を受けるには構えも体勢も整っていなかった。剣戟と言うよりも爆薬が破裂したかのような衝撃と音が響き、ぐらりとワルドがたたらを踏んだ。そんな隙を逃す筈もなく、本能的に後ろへと逃げるワルドの胸を目掛け、士郎は黄金の短槍を全力で突き出した。

「ゴ―――アッ?!」

 以前と同じ、いや、それ以上に硬かったワルドの体であったが、数瞬の拮抗の後、ついに士郎の突き出した黄金の短槍の穂先がワルドの胸の中央に半ばまで突き刺さった。
  
「お―――お、ッ、オオオオォォォォォォッッ!!」
「ッガ、アア、アア、アア―――」

 雄叫びをあげ突き刺さった短槍を、士郎は全身をバネのようにしならせ突き出した。
 
「っぃ、―――硬い―――っ!?」

 噛み締めた口元から苦しげな声が漏れる。
 短槍の穂先は半ばからそれ以上は進むことはなく、槍先から離れたワルドの身体が吹き飛んだだけであった。
 
「……」

 砕けた甲板の欠片が砂埃のように舞う中、士郎は油断することなく周囲を見渡した。槍に貫かれ吹き飛ばされたワルドは、船の端。舷縁に寄りかかるように顔を俯かせて倒れている。黄金の槍で貫かれた胸にはポッカリと穴が空き、暗い闇を見せていた。ピクリとも動かないその様子から、意識はないものと思われた。
 そして甲板に叩きつけられていたジョゼフは、槍に貫かれた腕を押さえながら身体を起こし、士郎を睨みつけていた。

「おれとアレを一蹴、か……まさかここまでの化物とはな、想像以上の強さだ“ガンダールヴ”」 
「……気が済んだならさっさと残りの“火石”を渡してもらおう」

 短槍とデルフリンガーを握り直し、ゆっくりとジョゼフへと歩み寄る士郎。
 絶体絶命。
 打つ手なしの状態であるにもかかわらず、ジョゼフに焦りは見られなかった。

「っふ……舐めるなよ“ガンダールヴ”ッ!」

 近づいてくる士郎の眼前に杖を突きつけるジョゼフ。
 膝をついたジョゼフの前には、士郎に貫かれた腕から流れたものが血溜りとなっている。赤い血の溜まったそこに、血とは別の赤い固まりがあった。

「……貴様」
「それ以上近づけば、杖を振り下ろす。詠唱は既に終わっているぞ」
「っ……」

 士郎が歯噛みする姿を前に、血に濡れたジョゼフは歪んだ笑みを浮かべた。

「ああ、ああ―――悔しいか“ガンダールヴ”。勝ったと思った直後の絶望に、さあ、何を感じる“ガンダールヴ”。それともイチかバチか試してみるか? おれが杖を振り下ろすのが速いか、お前がおれを殺すのが速いか……なあ、試してみるか?」
「…………」

 血を流し伏した姿で剣を握り立つ男を仰ぎ見る男。
 普通であるならば、士郎が追い詰めているように見えるが、現実はその反対であった。
 士郎ならば、瞬く間に詰めることが出来る距離ではあったが、ジョゼフには“加速”がある。もしも、あれが使えたならば、いくら士郎でも杖を振り下ろす前にジョゼフの動きを止める事は不可能であった。“爆発”と“加速”の魔法を同時に使えないとは考えられない。“虚無魔法”については謎が多すぎる。そんな楽観的な考えで、何万、何十万もの命を掛ける事は士郎には出来ない。
 だからといって、このまま指を咥えて見ているだけもまた、ありえない話である。

「……恐ろしいな。この状況でまだそのような目をしていられるとは。今も冷徹にこの場をどう制するか考えているのだろう」

 士郎に杖を突きつけ牽制していたジョゼフだったが、何故かふと、何時か浮かんだ疑問が口をついて出た。

「―――そういえば、“ガンダールヴ”……いや、エミヤシロウ(・・・・・・)に聞きたい事があったな」
「……何だ?」

 油断なくジョゼフの動向を見下ろしながら、士郎は続きを促す。

「貴様が以前、あの娘―――シャルロットと戦った時の事だ」

 ジョゼフの言葉に、士郎は思わず苦い顔を浮かべる。かつて魔法学院でタバサと戦った時の事を思い出したのだ。己の持つ全てを賭け挑んできたタバサ。最後は自身の命を囮に一矢を報いるためだけに氷の矢の雨に自ら飛び込む程にまでおいつめられていた。
 その元凶が目の前にいて、思い出さない筈がない。
 それに忘れるようなものでもない。
 
「それがどうした」
「あの時、お前はあの娘に言った言葉を覚えているか? 確か……『人が本当に幸せを感じた時に浮かべる笑みは、それを見た者さえ幸せにする』だったか? アレはどういうつもりで言ったのだ?」

 ジョゼフが何故それを知っているのかという疑問はあったが、それ以上に何故今そんな事を聞くのか分からず、若干混乱しながらも士郎は素直にその疑問に応えた。

「? どうもこうもない。そのままの意味だが」
「―――綺麗事はいい」
「……」

 声を荒げたのでも大声を出したわけでもない。 
 しかし、静かな声ながら、その中に込められた怨念じみた怒りが、士郎を押し黙らせた。

「競い、奪い、争う間にあって、そのような事は有り得ない。例え相手が親であろうと、友であろうと、兄弟であっても……いや、争う相手が己に近しければ近しいほど、勝利に笑う者を前に、負けた者は誰しもが怒りを燃やし、憎しみを抱くものだ。笑える筈がなかろう」
「……否定はしない」
「はっ、『否定はしない』と、まるでそれだけではないような言い方だな? ある訳がないのだよ“ガンダールヴ”。お前がどれだけ“夢”を“理想”を語ろうとも、そのような事はありはしないのだ。例え真剣勝負でなくとも、ただの遊びであっても駄目だ。最初は小さな苛立ちであっても、敗北を重ねるうちにそれは次第に大きな憎しみへと変わる。勝利に笑みを浮かべる顔を、悔しげな顔に歪ませたくなってしまう」

 静かに語り士郎を見つめるジョゼフの目は、歪んだ異様な光を宿していた。
 黄金の短槍に貫かれた腕から止めどなく流れる血は、確実にジョゼフの命を削っている筈なのだが、弱った様子は一切見えない。それどころか時が経つ程に、いや、話が長くなるにつれ、ジョゼフの声が、気配が、次第に狂気じみた色が濃く、強くなっていく。

「それにもし、仮にそのような事があるのならば……何故、おれはここにいる?」
「何?」

 士郎を見上げるジョゼフの口元が釣り上がる。
 それは一見すれば笑っているように見える。
 しかし、それを見ても誰も笑っているとは言わないだろう。
 何の感情も感じさせない、文字通り仮面のような笑みを口元に貼り付けたジョゼフが、士郎を見つめる。
 その、鈍色に澱んだ瞳で。
 
「そうだ。そうだとも……おれは一度足りとも“幸せ”を感じたことはなかった。ただの一度もだ。いつもいつも苛立ちしか感じなかった。憎しみさえ感じだ。幸せだと? 馬鹿を言うな。勝利に喜色を浮かべ、愉悦に浸る姿を見て、誰が笑える? 笑う勝者を見て敗者が幸せになる? 何処の夢物語を語るのだ。女子供でも口にせんわそのような甘い世界。虫唾どころか吐き気がする」

 血が流れすぎたためか、笑う仮面を口元に貼り付けたまま語るジョゼフの顔はその髪色と同じく青ざめていた。しかし、その口からは止まる事なく湧き出るように憎しみに染まった言葉が流れ続けている。
 
「ああそうだ。やっとわかったぞ“ガンダールヴ”。何故おれがこうも貴様に拘っていたのかが……」

 どれだけ憎しみに染めた言葉を投げても変わらず真っ直ぐに自分を見つめる士郎を見上げていたジョゼフの目が、遠くを見つめるように細まった。

「顔も声も何もかも似ていないが……まっすぐおれを見るその目が、どことなくシャルルに似ているのだ。“ガンダールヴ”。確かにおれもお前と同じような事を考えていた時があった。努力した。誰にも認められなくとも、褒められなくとも、努力を続け―――それでも負けた。だが、それでいいと思った。それだけシャルルは優秀だった。何より優しかった。敗者であるおれにさえ何時も気を使っていた。嘲る事も、罵倒する事さえ一度足りともなかった。だから称えなければ。笑って祝福しなければならない……そう、思っていたのだ」

 澱んでたいジョゼフの瞳に、過去を懐かしむ優しげな色が浮かぶ。

「―――だがな、それでも駄目だ」

 だが、それは一瞬で淀みの中に儚く消えてしまう。

「駄目だったのだよ“ガンダールヴ”。時が経てばやがて己の中にある卑しい劣等感は消えると思っていた。しかし時が経てば経つほどに劣等感が、怒りが、憎しみが……澱のように積み重なっていくだけだった」

 長年積み重なった澱みを映すかのような、暗い瞳で士郎を見つめながらジョゼフは笑う。
 
「それでもお前は言うのか? 『人が本当に幸せを感じた時に浮かべる笑みは、それを見た者さえ幸せにする』と」

 士郎に向けられる仮面のような笑み。
 硬い―――長い間積み重なり折り重なった澱みが造り上げた虚ろな笑みの仮面。
 その仮面(笑み)にはどのような言葉も通る事はなく、触れもせず通り抜けてしまう。
 堅く虚ろで何も無い“虚無の笑み”。
 
「ああ」

 それに、

「―――は?」

 ピシリと罅が入った。
 
「それでも俺は言う」
「なに、を言っている」

 ジョゼフの口元に浮かんでいたものは、既に歪み過ぎて別のモノへと変わっていた。
 
「どれだけ―――どれだけ貴様は愚かなのだっ。有り得ないのだそのような事は」

 引きつり皺が寄るソレは、

「現におれはシャルルが笑う姿を見て一度足りとも笑えた事はないっ」

 怒りに

「誰もが褒め称えるなか、それでも俺をたてようとするシャルルに、感謝さえ抱いた事はないっ」

 憎しみに

「誰もが見捨て顧みることのなかったおれを唯一人真っ直ぐに見つめてくれたシャルルでもだっ」

 劣等感に歪んだ今にも泣きそうな顔であった。

「それでもお前は言うのかっ! 敗者に笑えと、勝者を見て笑えとお前は言うのかエミヤシロウッ!!」

 血を吐くような叫びだった。
 虚ろな瞳が今は燃え盛る炎のような怒りに染まっている。
 血が抜け青ざめた顔を怒りに赤く染め上げ、激しい声を士郎に投げるジョゼフ。
 哀しみをもう一度感じたいがため、世界を炎に包まんとさえした自分が、何故ただの言葉にこれだけの怒りを抱いているのか疑問を抱くことなくジョゼフは叫ぶように士郎を責めた。
 矢継ぎ早に士郎を責める言葉を投げ掛けるジョゼフの姿は、直接前にしていない遠巻きに見ている者たちにさえ身を竦ませる迫力があった。
 身を削られるような気迫と言葉。
 
 だが何故か、アンリエッタには追い詰められているのはジョゼフのように感じていた。
 勝敗を決する決めて(火石)を手中にた圧倒的有利にいる筈のジョゼフが、何かに怯えているようにも見えていた。
 そうアンリエッタが思った時、



「―――笑っていたのか」



 噛み付かんばかりの罵詈雑言がピタリと止まった。
 小さな。
 士郎の呟きにも似たたった一つの言葉が、ジョゼフの口を閉ざした。
 何故、言葉が止まったのか本人であるジョゼフにさえわからなかった。
 ただ、遠巻きに見ていたアンリエッタには、ジョゼフの顔に一瞬怯えのようなものが走ったようにも感じた。

「な、なんだと?」
「本当に笑っていたのかと聞いたんだ。それに俺は何も全ての笑顔に幸せを感じるとは言っていない。本当に心から浮かんだ笑顔は、誰をも幸せにすると言ったんだ」
「そんな事はない……笑っていた。そうだ。笑っていたのだ。いつもいつもシャルルは笑っていた。おれは一度足りともシャルルが悔しげな顔を浮かべた姿を見たことはない。そう、父上が次の王におれを指名した時も、シャルルはおれに『おめでとう』と屈託な笑みを見せたのだ……そう、だから、だからこそおれは……おれはシャルルを殺したのだ」

 ジョゼフの身体が震えていた。
 怒りに染まっていた筈の瞳も戸惑うように、怯えるように震えていた。
 見て見ぬふりをしていた澱の底に隠れていた真実を見たくないと震えていた。
 
「人は幸せを感じた時にだけ笑うわけではない」
「―――やめろ」

 怯えるようにジョゼフの身体が縮こまる。

「何かを隠す時にも笑う。怒りを、哀しみを、憎しみを、劣等感を隠す為の仮面として笑う時もある」
「やめろ」

 息を荒げ、青ざめた顔で士郎を縋るように見つめる。

「もう一度聞くぞ。お前のいう“シャルル”は、本当に笑って―――」
「やめろおおおおおォォォォォォォッ!!!」
 
 怒声のような、悲鳴のような、泣いているかのような、そんな複雑な思いが混じった声が上がり、ジョゼフが杖を振り下ろそうとしたその瞬間だった。ジョゼフの右手の指にはまった指輪―――“土のルビー”が光りだしたのは。
 そして、茶色の光はジョゼフと、杖を振り下ろそうとするのを止めようと直ぐ傍まで接近していた士郎の身体を包み込んだ。






 
 

 
後書き
 感想ご指摘お待ちしています。

 もうすぐ夏が終わる……休みがなかった……。

 今年も海に行けなかった。
 
  
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