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ソードアート・オンライン〜Another story〜

作者:じーくw
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ALO編
  第146話 2人の勇者


 須郷……オベイロンは、高らかにショウの幕開けを宣言すると、芝居掛かった動作で、身体を一回転させ 両手を広げた。

「ただ今、まさにこの瞬間も。この空間、そして彼等の空間も全て、全ログを記録中だ! 精々いい顔をしてくれ給えよ?」

 その宣言を聞き、アスナは唇を噛み締めた。この場以外にも、もう1人いる。最愛の妹の、そして、妹の恋人の元にもう1人。今はもうこの方法しかない、とアスナは即座に判断した。
 キリトの方を見て、早口で囁いた。

「……キリト君、今すぐログアウトして。現実世界で、須郷の陰謀を暴くのよ。……私は大丈夫。だから レイを……皆を、お願いっ」

 自分の事よりも、何よりも耐えられないもの、それは皆同じだったんだ。最愛の人が苦しむ姿を見る事、それだけは耐えられない。だから、アスナはそう言っていた。キリトがここから脱出する事が出来れば、少なくともキリトは無事に帰る事が出来る。そして、キリトなら現実世界で必ず助けてくれる、そう信じて。

「アスナっ……!」

 キリトは、一瞬体を引き裂かれる様な葛藤を感じた。当然だろう。愛する彼女を置いて、逃げるも同然なのだから。だが、今は考えている時間さえ惜しい。
 この場には、いない玲奈と隼人。

 2人がいつまでも無事、という保証は何処にもないから。

 そして、何よりもこれだけの大規模な事をしでかせば、物的証拠が無くとも、捜査する事は可能だと思える。この世界に帰ってきて最初に訪問しに来たあの男に頼めば、間違いない。

 キリトは、必ず助けに来る。と頭の中で叫びながら、高重力に支配されているこの場で、懸命に指先を動かす。


――……だが、悪夢はこれからだった。


 決しの思いで振った指。……懸命に何度動かしても、ウインドウが現れないのだ。何度、何度振っても現れない。3度目を振った所で須郷は、堪えられなくなった様に、高笑いをあげた。

「アハハハハハ!!」

 身体を折り、腹を抱えて笑い続ける。そして、キリトの方を見て。

「言ったろう? ここは僕の世界だって! 誰もここからは逃げられないのさ!」

 ひ、ひ、と身体を何度も跳ねさせながら、そして周囲をまるで踊るかの様に歩き回る。
 そして、先ほど隼人と玲奈の映像を映し出した時と同じ動作を、再びパチンと指を鳴らすと、この無限の闇の空から、じゃらじゃらと音を立てて2本の鎖が落ちてきた。

 それは、玲奈を縛っている鎖と全く同じもの、だった。

 彼女を縛っている様に、まるで意思を持っている、須郷が宿っている様に、アスナの身体を這い回った。

「きゃあっ!!」

 アスナの右手、左手を縛り、釣り上げられた。そのつま先がぎりぎり床につくかどうかの高さ。

「き、きさまっ……!! 何をっ……!」

 キリトが、懸命に叫ぶが須郷は目も呉れずに鼻歌交じりに、上空から現れたもう1つの大きめリングを手にとった。そして、アスナの首に掛ける。それは首輪。
 人間としての尊厳を奪う為に須郷がしかけたのだ。

「小道具は色々と用意してあるんだがね。まずはこの辺から行こうか? アスナ君?」

 所有者の証を刻まれたかの様だ。
『君は僕の所有物だ』その首輪をしている間中、須郷が耳元でそう囁いているかの様な感覚に苛まれる。

 アスナは、小刻みに震えたが、直ぐにそれを止めた。

 自分が、苦しめば、表情に 身体にそれを出せば、キリトが悲しむと言う事が判っているからだ。だからこそ、須郷には侮蔑の表情だけを送った。が、須郷はそれをも待っていた様であり。

「いいねぇ、やっぱりNPCの女じゃその顔は出来ないよね~」
「っ!」

 アスナは、更に須郷を睨みつけると、俯いてきつく瞼を閉じた。至近距離で見せられる須郷の顔に、表情に、言動に耐えかねて。

 そんなアスナに、須郷は、喉の奥でククッと音を鳴らしながら笑うと ゆっくりと歩いてアスナの後ろに回った。その栗色の長い髪を人房手に取り、鼻に当てて大きく息を吸い込む。

「うーん。いい香りだ。現実のアスナ君の香りを再現するのに、苦労したんだよ? 病室に解析機まで持ち込んだ努力を評価して欲しいねぇ? まぁ、もっとも その努力のおかげもあって、レイナ君の事もここに招待出来る様になったんだがねぇ?」
「っっ!!」

 アスナは、耐え難い苦しみを味わいながら、目も必死に閉じていた。だが、その須郷の言葉を聞いて、目をかっと見開かせていた。

 病室での出来事。

 見ていた訳ではないし、見れる筈もない。だけどそれが、鮮明に頭の中で映し出されたのだ。

 須郷が、自分の傍で、何かをしている所に、おそらく玲奈が……妹がやってきたんだろう。そして、玲奈自身も須郷の事を快く思っていないのはよく知っている。だから、その行動を問い詰めたんだろう。……そして、この世界に攫われてしまった。
 玲奈は抗ったんだと思う。でも、おそらく自分を人質にして……何もさせなかったんだ。


「こ、この……っ! 人でなし……っ!!」
「ふふふ、言っただろう? 僕は人ではない。神なのだよ? アスナ君。くくく、なんでも思うがまま、なのさ……! ふふ、グラビドンがあのガキを始末したら、アスナ君とレイナ君の2人で愉しむと言うのも最高だとは思わないか? 両手に花とはこの事だ。僕にこそ相応しい!」

 須郷は、今も映像の中で吊るされている彼女を見ながらそう言う。

「や、やめろ……! 須郷ッ!!!」

 耐え難い怒りが、キリトの全身を貫く。怒りが炎となって、身体中に駆け巡る。それは、まるで血肉に、この世界で身体を動かしている神経に宿ったかの様だ。赤い炎を宿したキリトの全神経は、身体にかかる重圧を吹き飛ばすことに成功した。

――……所詮はデジタル・データの世界。

 あの男が何度も言っていた言葉だ。

――強い想いは、システムをも打ち破る事も出来る。

 あの世界で体現した事だ。今、やらなくて、ここでやらなくて、一体いつやるんだ!

「ぐ……おおっ!!」

 キリトは、右手を突っ張り、身体を床から引き剥がした。片膝をたて、そこに全身の力を込めてじわじわと身体を持ち上げていく。

 データ状では有り得ない結果だ。

 如何なる力、パラメータをもってしても解く事は適わない重力の呪縛を解いた。だが、絶対的に有利な状態にある須郷の笑みは崩せなかった。

「やれやれ、君は観客なんだよぉ? この世界の主役である僕とヒロインである彼女との逢引を邪魔しないでくれるか? 観客は大人しく、そこで這いつくばっていろ!!」

 須郷は、立つ事もやっとの状態のキリトに思い切り蹴りを放った。立つ事は出来ても満足に動く事が出来ない。その蹴りをよける事が出来ず、キリトは直撃をしてしまった。

「ぐあっ!!」

 腹部に受けたその一撃は、キリトの肺から空気を全て奪う。それ程までの衝撃に思わず声を上げ、再び手を付いてしまった。だが、倒れたりはしない。もう一度、倒れてしまえば……二度と起き上がれない。キリトはそう思ったのだ。
 だから、何としても、この男を……。

 だが、その想いは叶わない。

 須郷の凶刃が、キリトから奪った漆黒の巨剣がキリトの身体を貫いたのだ。

 その一撃は、キリトの腹部を穿ち、痛みと言う信号が全神経に伝わる。貫かれた腹部から、全身を覆った。

「が……はっ……!」

 その分厚い金属が身体を貫く。そんな光景をみせられたアスナは思わず絶句してしまう。

「き……キリトくんっ!!」

 アスナの悲鳴を聞いて、キリトは我に返った。この程度、アスナの痛みに、リュウキの痛みに、レイナの痛みに比べたら何でもない。そう、強く想い、踏みとどまろうとしたが。

「システムコマンド! 疑似痛覚機能をレベル8に変更!」

 そう須郷が言った途端、突然痛みが増した。鋭い錐で肉を抉りながら、身体の中に入ってくる様な感覚に見舞われる。そして、痛みも先ほどよりも更に増してきた。

「っ……ぐっ……」

 踏みとどまる事が出来ず、キリトは再び地に伏してしまった。高く、登った筈なのに、奈落に叩き落とされた感覚と共に。

「くくく、まだツマミ2つなんだよ? 君。段階的に強くしてやるから楽しみにしていたまえ。……彼の様にねぇ?」

 須郷は、愉快そうな含み笑いを響かせながらそう言う。そして、あの世界を見上げた。

 グラブドンが支配している場所は、ここよりももっと強い重力に支配され、身体中の骨と言う骨が砕かれる感覚に見舞われている事だろう。じわじわと嬲る手を選んだ須郷は、そこまでの強力な重力は求めていなかった。つまり、あの重力はこの世界でもっとも凶悪な魔法。

「随分とグラビドンはご立腹の様だよ。現実にも影響が出る恐れがあるレベル3よりもまだ低くしてあるようだ。……いや、或いは、あれはMAXまで下げてる、のかな? そう言えば、心底嫌っていたしねぇ……」

 くくくっ、と喉の奥を鳴らせながら笑う須郷。

「情けないなぁ? 君のお友達はもっと辛い苦しみを味わってるんだよ? 身体が潰されていく感覚さぁ、いやぁ……知りたくないねぇ、そんな物騒なものは。……で? なのに、君はたったツマミ2つ程度の8で、その体たらくかい?」

 ニヤニヤと笑いながらキリトにそう吐き捨てる。だが、もう飽きたと言わんばかりに アスナの方へと視線を向けた。アスナは、キリトの姿を見て……怒りの意思を持って須郷に叫ぶ。

「い、今すぐキリトくんを解放しなさい! 須郷!!」

 その叫びもまるで耳を貸す様子はない。

「僕はね、こういうガキが一番嫌いなんだよ。何の能力も背景も持たないくせに口だけは一丁前の小虫がね。くく、標本箱の虫はこうしてピンで止めておかなけりゃ。それに僕は優しい方さ。彼にくらべりゃ。……それよりも、小虫君の事が心配できる立場なのかい? 小鳥ちゃん?」

 須郷は、右手を伸ばし、アスナの頬を撫でる。アスナは、それを必死に拒むが、身動きの取れない2つの呪縛。鎖と重力による呪縛の前にはどうすることも出来ない。
 アスナの顔が嫌悪に歪んだその時。

「やめろっ……、須郷ッ!!」

 必死に、遠い道のりを、一から進むように。地に伏した状態から、再び高く飛ぶ為に もがいた。そんなキリトを見て、アスナは気丈な笑みを浮かべた。

「大丈夫、大丈夫だよ、キリト君。わたしは、こんなことで傷つけられたりしない。私は、私たちは……っ!」

 その瞬間、須郷は軋るような笑いをあげた。

「そう、そうこなくっちゃね、君が、君たちがどこまでその誇りを保てるか、30分? 1時間? それとも丸1日? ……せめて レイナ君がここに来るまでは我慢してくれよ? アスナ君の前で、レイナ君を相手にする……と言うのも面白い、だろう?」

 そう言いながら、須郷の右手が、アスナのワンピースの襟元を飾っていた赤いリボンを掴んだ。通常であれば、装備を解く様な真似は出来ない。だが、須郷の行為はそれを可能にした。アスナの衣服の一部、胸元の布地を一気に引きちぎった。真っ白なそのアスナの肌が覗く。
 恥辱に歪み、ついにアスナの身体は小刻みに震えた。

「ククク、因みに……レイナ君たちが長引いた時を考えて、別のプランも用意しているんだよ。それを教えてあげようか? ……この場所で楽しむだけでなく、君の病室へ行く。ふふふ、今は君だけじゃないから、君たちの病室、と言った方が良いかな? そこでドアをロックして、カメラを切ったら、あの部屋は密室だよ? 君たちと僕。神の周りに寄添う妖精達、3人だけさ。君達の貞節を、その時に汚してやるよ。それをも耐えれるなら、本当に大したものだよ。くっくっく!」
「っ!」

 アスナは一瞬目を見開いた。でも、せめてもの抵抗に再びぎゅっと目を瞑った。
気丈に振舞った。だが、訪れる恐怖に、涙を流す事は止められなかった。

「あーっはっはっは!! 甘い、甘いよ!ほら、もっと僕のために泣いておくれ! 最高の蜜だ!」

 この時、全てを焼き尽くす灼熱の業火がキリトの身体を、頭の中を貫いた。先ほどのそれよりも、もっとも強く、もっとも熱い怒りの炎。

「須郷……貴様ッ……貴様ァァァァ!!! 殺す……!! 貴様は殺す!! 絶対に殺す!!!」

 そのキリトの怒りに対しての返答は、更なる強力な重力。怒りの炎は、自分の体を動かす、どころか、更に地に沈めた。



 今、この瞬間こそ力を欲した事は無い。



 力をくれるのであれば、それが悪魔でも、鬼でも構わない。あの男を、斬り殺し、アスナを、皆を戻してくれるのなら。



『鬼……?』



 キリトの脳裏に、怒りの炎で焼き尽くされたと思われた頭の片隅に、浮かび上がった言葉。それが鬼だった。



 そう……鬼、と呼ばれた男がいた。



 赤い目をした鬼の姿。自分は何度も見た事がある。そう、一緒に闘ってきた友のもう1つの通名だった。悪意を込めて作られた通名。


 彼の事を思い出して……、キリトは悟ってしまった。


 そう、あの世界で魔王に最後の一撃を喰らわせたのは自分だ。だが、その過程は自分の力ではない。自分は、あの世界でトップの最前線に立ち、己の剣と共に道を切り開いてきたつもりだった。



――……だけど、それは偉大な男の背後に隠れてて、その甘い蜜を吸っていただけじゃないか。



 その偉大な力を欲し、追い縋り、自分のものにして、魔王を倒した、と勘違いをしていた。

 だからこそ、アスナが、彼女の心がゲームの中にあると知った時、それなら自分の力でどうにか出来ると思い込んでしまっていたんだ。

 あの世界での活躍を全て自分の力だと、力に酔ってしまっていたんだ。本来であれば、真にすべき事は大人たちに任せようとせずに、のこのことこの世界へとやって来てしまった。

 そして、この世界で、真の力を失った嘗ての勇者にも出会った。だからこそ、自分しかいない、と思っていたんじゃないか?
 その醜いプライドを満足させて喜んでいたんじゃないのか?

 ならば、この結果は報いなのだろう。

 その醜いプライドのせいで、助かる筈だった真の勇者をも巻き込んでしまった。深く根付いている闇に囚われてしまった。

 これで、もう1人だ。……1人では、何も出来ない。

 ただの無力で、無邪気な子供。

 残されたのは、後悔。自責の念。それらにゆっくりと自分の精神を食い尽くされればいい。それこそが、自分への罰だ。……それさえ嫌だと言うのなら、思考を放棄する以外無い。








『どうした、逃げ出すのか?』



――……違う、現実を認識するんだ。オレは何も出来ない。なんの力も無い男なんだから。



『屈服する、と言うのか。かつて君達が否定したシステムの力に?』



――……仕方ないじゃないか。オレはただのプレイヤー、そしてメッキが剥がれた偽物の勇者なんだから。そんなもの、がゲームマスターに敵う道理はない。



『それは、あの戦いを汚す言葉だ。彼が君に全てを託し、そして君が意思を受け継ぎ未来へと繋げた。……君のその言葉は、全てを君に託した彼をも汚す、と言うのか?』



――……汚す? 何の事だ。ただ、事実を言っただけだ。オレはただ横から勝利をかっ攫っただけなんだから。



『違うな。あの時の戦いでのその力はシステムを上回った。確かに、それには彼の意思が宿っていたから、だろう。……だが、宿主が君だったからこそ、真の力を、システムを上回る力を出すことが出来た。……その時、私は悟ったのだよ。システムを上回るのは人間の意志の力。未来の可能性を紡ぐのは、人間の意志の力だ。……その可能性を悟らせたのは、あの戦いがあったからだ』



――……戦い? それも無意味だ。単なる数時の増減だろう?



『そうではない事を、君は本当は知っている筈だ。さぁ、立ち給え、キリト君。あの世界での姿を思い出し戦い給え』







『――立ち給え、キリト君』







 最後の一声は、雷鳴のように轟いた。キリトの意識が覚醒していく。






『あの時のお前の言葉があったからこそ、オレは立ち上がることが出来たんだ』






 新たに聞こえてくる言葉。雷鳴の様に轟く中、確かに聞こえてきた言葉。






『最後の最後まで諦めない、と言う事を改めてキリトに教えてもらったんだ。諦めない……また、会おう、キリト。……必ず』






 歯を食い縛る。身体を縛る重力と、自身を磔刑にしている剣。……剣を認識した、意識し直した。


 これは、本当に剣なのか? あの世界で、あれ程毎日見てきた剣だというのか?

「ぐ……おお……ッ違うッ!!」

 そう、あの世界で浴びせられたあらゆる刃は、もっと重かった。

「こんな……魂のない攻撃にっ……!」

 あの世界で、受け続けた剣。意志の篭った剣は、例えどんな意志でも重く、強かった。

「ぐおおおおっ!!!」

 咆哮に合わせ、キリトはついに立ち上がった。流石の須郷もフルパワーで仕掛けた重力魔法の支配下の中で動けるとは思ってもいなかった様だ。

「やれやれ、オブジェクトの座標を固定したはずなのに、妙なバグが残ってるなぁ? 運営チーム共の無脳っぷりは……、おっ?」

 須郷は、キリトを殴りつけようとした。だが、その右拳はキリトの左手で阻止されたのだ。満足に動ける筈もないこの場所で立て続けに起こったバグ。

 だが、もっと驚くことが起こる。

「システムログイン。ID《ヒースクリフ》。パスワード******」

 パスワードをシステムが認識した瞬間、キリトはまるで呪文を唱えているかの様にな声を発していた。盗聴防止機能だ。

「な、なに!? なんだ、そのIDは!」

 来たことのないID、そして 自由に動き、システム的制限を仕掛けた筈なのに、ウインドウを出している目の前の男。驚きのあまり、歯をむきだしあて驚愕の叫びを上げていた。即座に、管理者権限を使おうとした須郷だったが、キリトの音声コマンドの方が早かった。

「システムコマンド、スーパーバイザ権限変更。ID《オベイロン》をレベル1に」

 管理者様のシステムウインドウが、須郷の前から消失した。目を剥き、何もなくなった空間を唖然と見つめる。もう、神たる力、妖精王たる魔法のスクロールはもう現れない。

「ぼ、僕よりも高位いのIDだと……? 有り得ない……有り得ない……! 僕は支配者、創造者だぞ! この世界の、帝王、神だ!!」
「違うだろ。そうじゃない。……お前はただ盗んだだけだ。世界を、そこの住人を、そして盗み出した玉座の上で一人踊っていた泥棒の王だ」
「こ……このガキ! 僕に、この僕に向かってそんな口を……!! システムコマンド!! オブジェクトID《エクスキャリバー》をジェネレート!!」

 須郷は、怒りの表情で金切り音を上げた。……だが、もはや権限の無い須郷には応えない。

「システムコマンド!! ええい、言う事を聞け! このポンコツが!! 神の……神の命令だぞ!!!」

 わめきたてる須郷。その須郷から、キリトは目を離した。今は、彼女を安心させてあげるのが先決だから。

「……直ぐに終わらせる。もう少し待っててくれ」

 アスナは、まだ輝きを失っていない瞳をキリトへと向けた。彼女に培われてきた強靭な魂はまだ砕かれていない。涙を目に溜めながら、アスナは頷いた。

 これは偶然、なのだろうか?

 上空に撮された妹の姿。彼女も自分と同じ表情をしていた。姉妹だから、よく判る。

 向こうでも、もう大丈夫なんだ。

 その間キリトは、伝説の武器《エクスキャリバー》をこの場に呼び寄せ須郷に放り投げる。

 そう、これこそがチートと言うものだ。なんの苦労も無く伝説の最強の武器を召喚。正直不快感を拭えない。そして、《あの眼》とは比べたりしてはいけないものだ。幾年月、年月をかけて育まれ、培われてきた力なのだから。皆を守る為に、精神を削りながら使っていた力なんだから。
 こんな不正と一緒にしてはいけない。

「決着をつける時だ。泥棒の王と、メッキの、偽物の勇者の……! システムコマンド、疑似痛覚機能をレベルゼロに!」
「な、なに……?」

 仮想の痛みを無制限に引き上げるコマンドを聞き、須郷の頬に動揺の色が走った。一歩、一歩歩くことで生じる筋肉に軋みですら忠実に再現している。この痛みの機能を生み出したのは、あの男だ。この世界で、復讐をする為に、現実を限りなく模写して作った狂気のシステム。それが自分に向けられている今、思わず後ずさってしまう須郷。

「逃げるなよ。あの男はどんな場面でも臆したことはなかったぞ。あの、茅場晶彦は!」
「か、かや……!?」

 その名前を聞いたとたん、須郷の顔がひときわ大きく歪んだ。

「茅場っ!! そうか、そのIDは!! アンタか! またアンタが邪魔するのか!! なんで死んでまで、僕の邪魔をするんだよ!! アンタはいつもそうだ!! 僕の欲しいものを端からさらって!!」
「須郷、お前のその気持ち、オレにも判るさ。オレ達はアイツに負けてるからな。――でも、アイツを超えたいと思っても、アイツになりたい、と思ったことはないぜ。お前と違ってな!!」
「この、このガキがぁぁぁ!!」

 須郷は、裏返った悲鳴と共に、その黄金剣を振った。まるで、重みのない一撃。もし、これをアイツが受けていたとしたら?嘲笑するだろう。滑稽だと。だけど、この男だけは、オレ自身で決着をつけなければならない。不意に、視線を上へと向けた。

 別の空間での戦いを見た。

 そう、あの男こそが真の英雄、勇者。ずっと這いつくばっている筈が無い。リュウキも剣を取り、相手を見据えていた。真の勇者に相応しいオーラと共に。


 キリトは、ニヤリと笑うと、右手の巨剣で軽く弾き返す。そして、すれ違いざまに須郷の右頬に剣先を掠めた。


「アツッ!! い、イタァァァ!!」


 目を丸めて悲鳴をあげるその姿を見て、一瞬出た安堵は再び息を潜め、再び怒りの炎が身の内を焼く。この男は、二ヶ月もの間、アスナを虐げ続けた。姉の帰りをずっとずっと、待ち、毎日献身的な看病を続けたレイナの想いも踏み躙った。

「痛い、だと?」

 そして、全ての元凶。
 SAOと言うデス・ゲームを生き残り、後は還るだけだったプレイヤー達を攫った。そうだ、リュウキは、それをも助けようとした。最後の最後まで、皆を助けようとしたんだ。だからこそ、現実世界で彼は苦しんでいたんだ。記憶障害と言う形になって。

 彼等の痛み、リュウキの痛み、アスナの痛み、レイナの痛み。


――皆が受けた痛みはこの程度じゃない!


〝ざしゅっ!!!〟

 キリトの一閃は、須郷の右手、黄金の剣を握った手首諸共吹き飛ばした。

「アアアアアアアアアアッッッ!!!!!! ぼ、僕の手がぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 失った手首を求める様に残った左手でその場所を掴む。だが、これで足りる訳がない。まだ、足りない。

 絶叫を上げ続ける須郷に追撃の一撃。胴体部を両断する一撃を与えた。〝ずばんっ!〟と言う音と共に、須郷の身体は2つに分かれた。

「グボアアァァァ!!!」

 下半身が白い炎と共に消え去り、残ったのは上半身のみ。キリトは、その長いロングの金髪を掴み上げた。

 そして、その身体を思い切り宙へと放り投げる。


 ……その時、目があった気がした。


 あの世界で、戦っている彼と。そう、いつだってそうだ。大切な戦いの時、オレ達は一緒に闘ってきた。

 最初は、背中を追いかけて、追いかけて、ライバルだってずっと思っていた。

 だけど、それは違う。

 リュウキは、大切な戦友であり、親友だ。

 あの時も今も、これからも!

「うおおおおお!!!!!!」

 幕引きは一緒にしよう。

 互いに、愛する人を守って、大団円(エンディング)を迎えよう。

 キリトの巨剣は須郷の身体を貫き。そして、かの世界ではリュウキの鉄槌が男の頭を砕いた。


 須郷の身体と、あの男の身体が燃え尽きた所で。


「お前が負ける訳無いんだ。絶対に」

 
 突き上げた剣を振り払いながら、キリトはそう呟いていた。





――これがもう1つの戦いの結末。ずっと届かなかった想いを届け、その腕に抱く事が出来た。もう1人の勇者の物語である。
















~????????~




 時系列は、再び隼人達の元へと戻る。

 先ほどとは変わって明るく輝いた世界。だが、彼女が見るべき光は、この世界ではない。この世界の光ではなく、現実世界の光。皆と一緒に見る光。

「さぁ……帰ろう」

 隼人は、玲奈を抱いた腕の力をわずかに緩めながらそう言った。だが、玲奈は、もう終わったと言うのに、帰れると言うのに、この時、安堵感ではなく、えも知れぬ恐怖を感じた。

 あの時(・・・)もそうだったから。

 最後の最後まで、この温もりを感じながら、目を瞑った。あの世界へと還れる、大切な人達と、愛する人達と一緒に還る事が出来る。すぐには無理かもしれないけれど、きっとまた向こうで会える。

 だからこそ、玲奈はあの時涙を流しながらも、笑顔で、皆で、約束を交わしながら、目を閉じたのだ。だけど、待っていたのは《絶望》だった。

 愛する人達がいなくなる、と言う。

「大丈夫、だよ」

 隼人は、そんな玲奈の心境を察し、優しくそう微笑み返した。

「ほん……とう? ちゃんと、会えてる? はやと君と、みんなと、ほんとにあえる?」

 涙で覆われた彼女の顔、桜色の唇が僅かに開いた口元。それは温もりを、安心を求めていた。
 隼人は、安心出来る様に、その桜の唇を自らの唇で塞いだ。

 それは誓いのキス。

 決して破らない。もう、二度と破らない。隼人は、すっと唇を離した。そして、後悔の色が彩る顔を向ける。

「信用……してくれって言いたい。でも、俺は……一度っ」
「んっ」

 最後まで、玲奈は言わせずに、今度は自分から隼人の唇を、薄らと赤みが掛かった唇にそっと押し当てた。

 だって、玲奈は知っているから。

 隼人はどんな時も、全力で全力で応えてくれるんだ。どんな時も諦めずに頑張りぬいてくれる。なのに、それなのに、自分ばかり子供の様に駄々をこねる訳にはいかない。

 辛かったのは、苦しかったのは、悲しかったのは……、隼人も同じなんだから。だから 命の限り信じないといけない。

「私は、隼人君を信じてる。これまでも、ずっと。……これからもずっと」

 この時、流れ出ていた玲奈の涙は、もう止まっていた。今あるのは目に溜まった涙だけだ。にこりと笑った瞬間、その涙は粒子状に空中に舞い上がっていた。

「だから、早く……早く、会おうね」
「ああ。必ず会いに行く。必ず……」

 隼人は、そう強く宣言した。玲奈は、笑顔で頷いた。

 隼人は、システムウインドウを開いた。この世界のシステムコアは、あの時は否定する様に言ったが、やはりコピーとは言え盗んだとは言え、ベースはあの男、茅場が設計したものだ。それを覆すのは本来は、それ相応の時間が必要となるが。

「さぁ……待っていてくれ」

 隼人は、ウインドウを開いた後、数秒で玲奈を拘束する深層域に存在する複雑な転送関連の場所へとたどり着いていた。

「うんっ。……っ!」
 
 玲奈は、少し慌てた様に、隼人の指をつかんだ。慌てていたが、言葉はしっかりとしていた。

「お、お姉ちゃんは!? わ、私 色々有り過ぎてて お姉ちゃんを……」

 隼人はその言葉を聞いて、ニコリと笑った。そして、慌てている彼女の右頬に手を沿え、彼女の視点を誘導した。映し出されている彼等の姿が見える場所へと。

「あっ……!!」

 玲奈の顔は、ぱぁっと花開く様に笑顔に戻った。そこには、同じく笑顔で、涙を流しながら手を振る姉が。……隼人と同じく、ずっと待っていた大切な姉がいた。
 キリト、和人と共に。

「安心、した?」
「……うんっ!」

 玲奈は頷いた。そして、再び流れ出た涙を拭い。

「お姉ちゃんには謝っておかないとっ。私、隼人君の事しか頭になかったから…・・・」
「……//」

 冬を越えて、春に。
 蕾から花開く様に、自然と笑顔が戻ってきていた。この世界から、現実へと還るその瞬間まで、玲奈は笑顔だった。最後の最後まで、隼人の温もりを感じながら、隼人の腕の中で。


――……現実でも、早く隼人君に会えます様に。


 淡い結晶体となって、消える瞬間。まるで、煌く星に願いを言う様に。腕の中の少女は囁かで、そして何よりも願っている言葉を口にしていた。これに応えなければ、最早男として、玲奈の恋人として失格と言っていいだろう。

「……勿論だよ。オレも……いや」

 隼人は願おうと言葉にしようとしたが、直ぐに首を振った。

「叶える。必ず」

 少女の願いを叶えるのが自分の仕事だ。願いは、もう叶えられた。失われた記憶は戻り、彼女の事を、皆の事を、あの世界で生まれた大切な絆を思い出す事が出来たんだ。
 これ以上は、欲張りだろう。

 後は、自分で叶える。自分自身の力で、玲奈の為に。そして、次の瞬間。

 まるでタイミングを図ったかの様に、ヒビを入れていた大地の亀裂が更に広がり、硝子が割れる様な音と共に、大地が開いた。


「……そう、だったな。あの男にも還さないと」


 隼人は吸い込まれる様に、下へと落ちていく。落下する、と言うのに、落ち着きを払っており、どこに行くのか判っていた様だ。

そう、落ちた場所は。

「……キリト、いや、和人」

 アスナを解放し、涙を流して立っていた男がそこにはいた。

「っ……」

 和人は、リュウキが、隼人がここへと来た事を知り、涙を拭った。


「……遅いぞ? 隼人」
「悪い。……ただいま」
「ああ。……おかえり」


 和人は、判っていた。あの時の隼人が戻ってきたのだと言う事を。

「助ける事、出来たな。互いに……。良かった。本当に……」
「ああ、約束、だろ?っ……、か、かっこうつかないな。大の男2人が涙を流すなんて」
「……これは、内緒にしていてくれ」

 隼人と和人は表情はそのままに、涙だけを流していた。そして、握手を交わした。

 これで、あの時誓った約束を、果たす事が出来る。
 
 2人共に、そう強く思っていた。


 
 彼等を知る者達が、今の彼等を見たら、おそらくは皆が、同じ様に思う事だろう。







――……2人とも、英雄。……勇者なんだと。









 そんな2人を、見ている者がいた。

 その白衣を纏った男は、ゆっくりと静かに……2人の元へと降りていっていた。






 
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